【川崎】多摩川の道祖神と川崎宿/飛脚の料金はいくらくらい?【東海道】
川崎は東海道五十三次の宿場町の一つで、現在もJR川崎駅近くに旧東海道が残りますが、当時を偲ぶものはほとんどありません。
しかし、江戸から川崎に渡る「六郷(ろくごう)の渡し」があった場所の近くには、ひっそりと道祖神が佇んでいます。
左側に映っている道路は多摩川の土手の上の道なので、近所の方や散策する人くらいしか通らないので、ブログ主も2年ほど前にウォーキングをしていて初めてこんなところに道祖神があるのを知りました。
1枚目の画像の背後に見えるタワーマンションがある辺りは、昔、コロンビアの工場がありました。この辺りの町名は「港町(みなとちょう)」ですが、故美空ひばりさんの「港町(みなとまち)十三番地」のタイトルはこれにちなんだものです。
下は旧東海道と現代の地図との対比ですが、六郷の渡し跡は赤い線の右端に位置し、道祖神はこのすぐ近くにあります。
多摩川にかかる六郷橋は箱根駅伝でお馴染みかと思います。
旧東海道とほぼ並行に走っている広い道路が通称「イチコク」(第一京浜国道15号線)ですが、明治期の1號國道は旧東海道のことだそうです。(【出典】Wikipedia「国道15号線」)
少し、六郷橋や川崎宿について補足しておきます。
徳川家康の時代(慶長5年)に長さ百九間の六郷橋が架かりましたが、その後、度々水害で流されます。八大将軍吉宗の時代に長崎から江戸に象が上りましたが、その頃には橋がなく、舟を並べてその上に板を渡し、仮設の橋のような物を作って象が渡ったと言われています。(画像は歌川広重〔1797-1858〕の東海道五十三次『川崎宿』)
川崎宿と言えば東海道五十三次の宿場町ということはご存知だと思いますが、初めから宿場ではありませんでした。家康の命で六郷橋がかけられたときに伝馬制が敷かれて宿駅が設けられ、品川-神奈川宿の距離が長くて両宿の負担が過重になったため、遅れて元和9年(1623年)に川崎宿が設けられました。当時の川崎は寒村だったので、この使役はとても重荷だったそうです。
「伝馬」とは宿駅に常備されて公用の人や荷物の継ぎ送りに当たった馬で、ここで荷物を積み替えたわけです。今で言えば、宅配便の集配所のようなものですね。
『東海道五十三次』の「次」とは「継」のことで、まさしく、箱根駅伝の襷のように荷物などのリレーの中継点だったわけです。
宅配便で思い出しましたが、江戸時代、江戸から京都へ手紙を送る飛脚には到着の日数を確約するシステムがあったそうでです。
旧東海道にあり川崎宿の歴史を学べる「東海道かわさき宿交流館」で知ったのですが、日にちの確約がない“普通便”ようなものは現在の金額に直すと1,000円程度の料金、6日を確約する定六(じょうろく←これだけは覚えていました)が2,000円。これを4日で送る“速達便”もあったそうですが、これは高くて24万円だったそうです。
調べたら、飛脚は江戸-京都間を3~4日で走ったとのことなので、これは速達便ですね。
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