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2021/01/02

【書籍】『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』

この本は、本間九介ペンネーム「如囚居士」)という人物が1894年4月から6月にかけて『二六新報』という日刊新聞に連載した朝鮮事情(連載終了後書籍化)を現代語に直したものです。その際、日本近代政治思想史を専門とするクリストファー・W・A・スピルマンという歴史学者が監修し、『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』とサブタイトルが付けられ、スピルマン博士による解説が付せられています。

後述しますが、この本が書かれた1894年というのは非常に象徴的な年です。

 

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『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』表紙
イラストは本間九介による

 

この『朝鮮雑記』(1894年=明治27年)とイザベラ・バード韓国ではビショップ婦人と呼ぶようです)の『朝鮮紀行』(1898年=明治31年)、荒川五郎の『最近朝鮮事情』(1906年=明治39年)と併せて読めば、朝鮮末期、即ち、日韓併合直前の朝鮮事情は大凡理解できますが、この3冊の性格は若干異なります。

 

 

イザベラ・バードは謂わば物見遊山の旅行記、荒川五郎の本は朝鮮に住む(予定の)日本人のための現地生活ガイドのようなもの。しかし、本間九介は、現代風に言えば新聞の特派員として、体裁はコラムのような形式で朝鮮の習俗などをユーモラスな文章でリポートしながら、時折、政治状況や経済状況を考察したり批評しています。それは、「朝鮮を先進的な日本の援助のもとで独立させ、東アジア全体に近代的な秩序と文明をもたらす」(スピルマン博士の解説より)という「アジア主義」の思想が根底にあるからです。

確かに、彼は「開化人」として所謂“上から目線”で「未開」な朝鮮人の風習や生活習慣を小馬鹿にしています。例えば、「市街の不潔」というタイトルのコラムでは、「不潔は、朝鮮人のパテント(専売特許)だろう。」という文で始まり、腐った食物も意に介さずに食べることや、家が粗末なこと、衛生観念に乏しいことなどを書いています。

しかし、一方で、朝鮮人がこのような惨めな生活をしているのは、中央政府の事大主義と改革を受け入れない李氏の保守主義や、役人が腐敗し、賄賂が横行する社会システムのせいだと同情したり、属国意識が抜けずに気概のない朝鮮人に憤慨し、世界情勢を知らない朝鮮人を、しばしば「井の中の蛙」と言っています。また、依然としてシナ(清)の影響下に置かれている状況や、朝鮮政府が顧問として日本人ではなく、アメリカ人やフランス人を招聘している事に対し、何故我が国はもっと積極的に朝鮮に関わらないのかと日本政府を批判したりしています。

従って、この本の価値は、彼の考えを述べた最終章の「清国の野心 朝鮮の懦弱 日本の無為」(懦弱:なまけて弱いこと。いくじのないこと。進取の気性のないこと)と、スピルマン博士の解説にあると思っています。

 

なお、この本は『朝鮮雑記 日本人の朝鮮偵察録』(조선잡기 일본인의 조선정탐록)というタイトルで韓国語訳もされています。(2008年06月16日出版) ネット書店のレビューを見た所、10段階評価で7.7と、思ったよりは高評価でした。(この項、後述)

 

ご存知の通り、伊藤博文(1841~1909)は、併合には消極的で、朝鮮の真の独立や開化は朝鮮人自身で成すべきと考えていました。つまり、これが当時の日本政府の方針であり、福沢諭吉も当初は同じ考えで、朝鮮の改革派の若者を庇護していました。

これら主流派と比較すると本間九介はかなり急進的ですが、彼の言動を通して、この時代の日本人が「世界におけるアジア」、「アジアにおける日本や朝鮮」という広い視野で状況を捉えて、朝鮮の自立を望んでいたことがよく分かります。もちろん、その根底には日本の国益があるのですが、「アジアの権益を虎視眈々と狙う欧米列強」、「依然として朝鮮への影響力を及ぼし続ける清」、「清の脅威」、「日本の朝鮮における権益」等々、これらが朝鮮を舞台に渦巻いていた時代でした。明治維新を成し遂げたこの時代の日本人、特に知識人は、現代の平和ボケした日本人とは異なり、日本を取り巻くアジアや世界の情勢には鋭敏でした。

一方、朝鮮人はと言うと、これもある種の「平和ボケ」...。この言葉が適当かどうかは分かりませんが、一部の知識層を除き、多くの人々が一握りの支配階級に生殺与奪を握られている状態を受け入れていました。いくら本間九介が不甲斐ないと憤ったり、義侠心に駆られていても、それ以外の世界を知らない層が大半だったので、そういう意味で安定した社会でした。

 

そして、当時の朝鮮人の対日観はどうかというと、非常に反日的でした。これは、『(小)中華思想』、『華夷秩序』によるものが大きいのでしょうが、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に対する恨みもあるようです。

何故か、彼らは朝鮮が大勝したと思っていたようですが、この時の戦乱により、朝鮮全土が焦土と化したことを非常に恨んでいるということを本間九介は度々書いています。(実際には、秀吉の目的は明であり、その通り道の朝鮮は“焦土”とされるほどに抵抗してはいなかったのですが。

日本人からすると、「それでは元寇(1274年、1281年)はどうなんだ」と言いたくもなりますが、とにもかくにも、16世紀から延々と日本を恨み続けていたのは事実であり、朝鮮人(韓国人)の「反日」は戦後教育によるものよりもっと根深いということを知りました。そしてこの反日感情は、この本が書かれた時代、何かの折に必ず吹き出すのです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

さて、この本が書かれた1894年という年ですが、朝鮮の改革を目指して1884年にクーデター(甲申政変)を企てるも失敗した金玉均(キム・オッキュン)が殺された年(3月28日)であり、甲午農民戦争=東学党の乱が始まった年(1月11日~翌3月29日)、日清戦争(7月25日~翌4月17日)が勃発した年でもあります。つまり、朝鮮が最も不安定な時期でした。

 

もう少し補足します。

朝鮮末期は李氏第26代国王の高宗(1852年7月25日 - 1919年1月21日)の実父で摂政の大院君と高宗の妻の閔妃(びんひ/ミンピ)の一族との対立と高官の派閥争いに明け暮れ、事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた)により、その時々で周囲の国を利用していました。

大院君がまず権力を握ると王権強化と攘夷に努めますが、1860年代から欧米列強が通商を迫り始め、1875年の江華島事件の結果日朝で結ばれた江華島条約により朝鮮が開港すると、閔氏一派が権力を握ります。日本の援助を受け、軍隊の近代化を図りますが、財政出費がかさみ、旧軍人への俸給が滞ったことから、1882年、兵士の不満が爆発して反乱(壬午軍乱)が起こり、この騒乱は反日感情を引き起こし、日本公使館襲撃事件にまで発展します。背後には大院君がおり、再び大院君が権力を握ります。日本も軍を出しますが、この騒乱を制圧した清が影響力を強め、大院君を拉致し、清は袁世凱を送り込んで朝鮮の実権を握ります。

一方、政治に不満を持ち、日本の明治維新のような改革を目指した金玉均や朴泳孝(ぼくえいこう/パク・ヨンヒョ)等の開化派は1884年にクーデター(甲申政変/甲申事変)を起こしますが、事大党(伝統を守って宗主国たる清国への臣属を主張した保守派)に与する清の派兵を許し、クーデターは失敗に終わります。金玉均は日本に亡命しますが、後に閔氏の刺客により、1894年、上海で暗殺されます。遺体は朝鮮に運ばれて切り刻まれ、これを知った福沢諭吉は朝鮮に見切りを付けて脱亜論を唱えます。

甲申政変鎮圧の際、清国の軍隊によって日本人居留民が殺されたことから、日清の対立が深まり、1885年、伊藤博文と李鴻章が全権大使となり、天津条約が結ばれ、この条約で、両国の朝鮮駐屯軍を撤退すること、以後朝鮮へ軍隊を派遣する必要ある時は両国互いに通知することなどを取り決めます。これが日清戦争の伏線となります。(本間九介はこの天津条約により朝鮮は独立したと考えており、その後も影響力を持ち続ける清に不満を持っていました。)

この間も欧米列強により朝鮮の権益が奪われていき、1894年の甲午の年、朝鮮南部を中心に農民戦争(甲午農民戦争)が起こります。これは東学(土着の宗教や儒教・仏教・道教を折衷した新興宗教で西学=キリスト教に対する)の信徒を主体とし、「反侵略・反封建」の性格を持った反乱です。本間九介や朝鮮の独立を支援しようとする日本人居留民は東学党を親日だと勘違いし、これを支援しますが、彼らは日本も敵視していました。

閔氏政権はこれを鎮圧するために清に出兵を要請、これを日本は天津条約違反として日清戦争(1894~95年)に発展します。

1895年10月8日、閔妃が暗殺されます。これは、一般には、「日本公使三浦梧楼の陰謀により1895年10月8日、日本守備隊および日本人壮士に惨殺された」(広辞苑)とされますが、まず、日本人だけでは閔妃を識別できたのかという疑問があり、朝鮮人の間でも閔妃を除外しようとする勢力が少なくなかったこと等から、日本人が首謀者だとしても朝鮮人の協力があったと考える方が自然です。そして、それどころか、実は閔妃は生き延びて、ロシアに逃れたという説(※)もあるようです。

 

※「친구 ともだち」さんの動画

動画主さんは、新たな資料がロシアから出てきて、これが事実だと言います。それなら何故、日本人の歴史家はこれを取りあげないのか不思議に思いますが、今更、異説を唱えても韓国の反日に火を点けるだけなので、やる気が無いのでしょうか。

 

日清戦争における日本の勝利により、下関条約(1895年4月17日)で清に朝鮮の独立を認めさせ(第1条)、高宗を皇帝として大韓帝国が成立すると、開化派はこれを記念して「迎恩門」(シナの使者を三跪九叩頭礼で迎えた屈辱的な門=沖縄の守礼門のようなもの)を壊して独立門を建てます。しかし、日本に対して三国干渉(仏、独、露)が行われると、王は今度はロシアに事大します。その元凶である閔妃が下関条約の半年後に暗殺(?)されると、高宗はロシア公館に亡命して(露館播遷/俄館播遷)引きこもります。ここから、日露戦争(1904~05)で日本はロシアと戦う羽目になっていきます。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

上記は主に日本が関係する部分を中心に1894年に至るまでの経緯を簡単にまとめたものですが、どのような感想を持たれるでしょうか?

韓国の歴史教科書では、高宗は「改革君主」とされているそうです。(これが、李栄薫博士らの唱える『植民地近代化論』に対して、“既に朝鮮末期には資本主義が萌芽していて、日本がいなくても朝鮮は自力で近代化できた”、というファンタジー理論に繋がります。)

 

日本は余計なお節介をしすぎたのかもしれません。そして、望み通り、清の属国のままであれば、今頃、中国の一地方か、独立国のままで北朝鮮のような生活をしていたかも知れません。

 

無知な安重根が伊藤博文を暗殺しなければ、福沢諭吉の言葉に従っていれば...

そう思わざるを得ませんが、歴史に「IF」はありません。現代の韓国人が日本を恨むのなら、それは感情の問題だからとやかくは言いません。しかし、理不尽な言いがかり(慰安婦問題、徴用工問題)は、日本側(反日日本人や朝鮮総連)が火付け役とは言え、毅然とした態度で望むしかありません。旭日旗などに対する子供じみた嫌がらせに対しても同様です。

歴史認識は利害関係のある二国間では一致することはないでしょう。しかし、願わくば、韓国人には歴史を捏造せずに、「朝鮮=善、日本=悪」という結論ありきではなく、起きたことを客観視できる理性を持って欲しいと思っています。そして、16世紀から西欧のアジア侵略の野心(cf. 1596年、 サンフェリペ号事件)を知っていた日本人と、知らない朝鮮人(韓国人)とでは自国史の視野が異なるのはしかたがありませんが、せめてアジアくらいには視野を広げないと、自国の置かれていた立場は理解できません。

これを改めるのは韓国人自身でしかできません。これが必要ないと考えているなら、日本人は、よく喩え話で言われるように、「回覧板だけは回すお隣さんの関係」として静観するしかありません。

ただ、現在、一部の理性的な韓国人が、「慰安婦関連法」(=元慰安婦を「被害者」と定義づけている)撤廃活動や反日銅像(慰安婦像、徴用工像)撤去を求める活動を行っています。慰安婦問題と徴用工問題は韓国が歪曲している歴史の内、最も「ほころび」が出やすい問題であり、歴史認識を正すきっかけになる可能性があります。

年末には『売国奴高宗』という本も出ました。どうやら、「日本=悪」という立ち位置は変わらない本のようですが、ファンタジー歴史ドラマで李氏朝鮮を美化している韓国にあって、ようやく、自国のダメな歴史を論じることができるようになったようです。(今更かよwという気がしないでもありませんが。)

この本の読者は別に日本との関係を良くしたいのではなく、左派の洗脳から自分を解放するためでしょう。しかし、それでいいのです。我々はもはや本間九介になる必要はないのですから。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

『朝鮮雑記』の原書は国立国会図書館のデジタルアーカイブで読むことも可能です。但し、語句が難解で、読むのに苦労するかと思います。現代語訳版は語句の解説(※印で章末にまとめて解説している他、括弧書きで意味の説明あり。)があり、すらすらと読むことができます。

ブログ主は電子図書版(Kindle)で読みましたが、紙の本への拘りがなければ、文中の※印をクリックすると注釈に飛び、戻るボタンで本文の元の位置に戻れる他、語句をドラッグで範囲指定して辞書(デジタル大辞泉)を引いたり、ラインマーカー(4色)でマーキングできたりと便利で、また、電子図書はページの概念が無いので、ページ幅を自由に変えたり、文字の大きさも変えることができます。(1ページに入る文字数がそれによって変化する)

『最新朝鮮事情』はおそらく国立国会図書館のデジタルアーカイブ、つまり原書でもあまり苦労なく読めるでしょう。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

韓国語版『朝鮮雑記』について

この項、書きかけ

 

  


 

 

 

 

2020/12/04

【書籍】「韓国の外交官が語る世界が見習うべき日本史」(申尚穆/シン・サンモク著)/日本語の「悔しい」と韓国語の「オクウル」

最初にこの本の著者(シン・サンモク/신상목 氏)について簡単に説明します。

この本は、韓国の日本式うどん屋のおやじによって書かれました。

 

 

と言っても、そんじょそこらのうどん屋ではありません。

1996年に外交官試験(外務考試)に合格し、一等書記官して日本勤務など、16年間キャリアを積んだ後、退職してうどん屋に転身した方で、ソウルで「きり山本陣」といううどんを中心とした和食店(※)を経営する傍ら、朝鮮日報で「​外交官出身のうどん屋店主の日本の物語」(외교관 출신 우동집 주인장의 일본 物語)というコラムを書かれている方だそうです。

※本の著者紹介ではうどん専門店となっていましたが、ネットで画像検索すると、とんかつや寿司、うどんの付いた和食定食など、幅広い和食を取り扱っているようです。うどんを打っている作業をガラス張りで見せる演出などは日本的です。

 

 

この本の韓国語のタイトルは「学校では教えてくれない日本史」(原題:학교에서 가르쳐주지 않는 일본사 : 훈련된 외교관의 시각으로 풀어낸 에도시대 이야/2017年)というもので、著者は、その2年後に「学校では教えてくれない世界史 日本、ヨーロッパに出会う」(原題:학교에서 가르쳐주지 않는 세계사 : 일본, 유럽을 만나다/2019年/未訳)という本を著しています。

学術的な本というよりは、喩えて言えば、杉浦日向子氏の「お江戸」本のような、気楽に読める内容となっています。

 

これらの本が韓国で読まれる背景としては、韓国人の、「日本の開国(1850年代)に比べ、韓国の開国は1876年(江華島条約=日朝修好条規)と、たった20~30年しか違わないのに、なぜ、日本は文明開化に成功し、我々はできなかったのか?」という疑問があるようです。

こう考えるのも当然で、韓国でもそれなりに日本史に興味を抱く人たちはいるようですが、やはり、主として戦国時代(戦国武将)や明治維新が興味の対象で、これまで江戸時代を解説する本はほとんど無かったのでしょう。武士が常に刀を振りまして殺し合いをやっている野蛮な国というイメージもここから来るのだと思います。

従って、この時代、いかに日本社会が成熟していたのかが分からないのは無理もありません。

 

この本は「第一章 江戸の真ん中に二百年続く蕎麦屋がある意味」から始まります。

日本人は何の疑問も抱かないことですが、200年前に蕎麦屋が開業できたということは、その時既に綺麗な水(上水道)があり、産地から蕎麦の原料を輸送するシステムといったインフラが整っていたことを、この章で韓国人読者は知ることになります。

これを導入部として、江戸の土木工事、参勤交代、出版文化、旅行文化、教育制度や外国文化の積極的な吸収など、前述の韓国人が抱く疑問の回答となる事実が次々と示されます。知識欲や好奇心の強い読者にとっては驚きの連続でしょう。

日本語訳は出ていませんが、続編の「~世界史」の紹介を読むと、ヨーロッパの大航海時代や日本人のヨーロッパ人(宣教師や商人)との邂逅を解説しているようで、目次などを見た限りでは、その内容は別として、範囲としては、高校の「日本史」の教科書で扱うレベルのヨーロッパ史だと思います。(この本の目的は、日本人の目を通した世界史を疑似体験することのようです。)

従って、概略としては、2冊とも日本人にとってはそう目新しい内容ではないのですが、「~日本史」に関して言えば、韓国人向けと言うこともあり、因果関係が丁寧に解説されていて分かりやすく、また、ちょっとしたこぼれ話などを盛り込んでマニアックな部分もあり、日本人が読んでも楽しめる本です。

例えば、江戸で「仙台味噌」が流行したこと、しかし、「信州味噌」にそのシェアを奪われた理由など、へぇ、と思うような話もありますし、韓国の原理主義的な儒教(朱子学ー性理学)と日本の儒教、儒学と言った方が適切かもしれませんが、その比較など、これも、詳しい日本人にとっては江戸時代の学問・思想史の「さわり」程度かもしれませんが、同じ儒教でもいかに日本は実学的だったかがよく分かります。

日本人にとっては、大人のための日本史教科書「江戸編」みたいな感覚で読める本です。

 

なお、この本は翻訳とは思えないくらい自然な文章で読みやすいのですが、書評を機械翻訳で読んだところ、韓国人読者もそう感じているようです。

韓国人読者を対象にしているので、「朝鮮で言うと~にあたる」式の説明はところどころに出てきますが、それもさほど多くはないので、あまり気にはなりません。むしろ、極力比較は控えて、「説教臭」はないので、韓国人読者にとってもストレスではないらしく、2冊とも10点満点中「9.3」と高評価です。(中には、朝鮮を卑下しすぎているという不満を書いている読者もいましたが、事実なのだからしゃあないw)

 

ちなみに、ソウル大学の受験で(おそらく、「歴史」の選択科目の事だと思いますが)、世界史を選択する学生は3%なのだそうです。(←「~世界史」の出版社レビューより) と言うのは、韓国人にとって「歴史」とは「国史」のことで、「世界史」は他人事とのこと。自分達に関係ない歴史項目を暗記するだけの世界史は人気が無いようです。

ブログ主も、YouTubeのコメント欄などを読んでいて、韓国人は「(その時代の)世界の情勢の中での韓国(朝鮮)や日本」を捉えていないと感じることがよくありますが、実際に殆ど世界とは関わりがなかったから関心も無いのでしょう。日本人に当てはめれば、英国は産業革命辺りからは日本史に関わるので興味があるが、英国王朝史全体には興味が無い、みたいな感じでしょうか。

従って、この本のレビューを読むと、「日本の歴史を通してヨーロッパ史の別の面を学べた」というような、新鮮な発見があるようです。

 

できれば、著者には明治維新以降の日本人目線の世界史、即ち、日本はどのように世界情勢を把握していたのかを書いて欲しいと思いました。

李氏朝鮮末期の朝鮮人が世界は12くらいの王国しかないと思っていた時代に、東南アジアの情勢はどのようなことになっていたのか、それに準備した日本としなかった朝鮮の違いを韓国人に知って貰いたいと思います。

愚鈍な高宗が、近代的な契約が分からずにアメリカ人に電力会社の権益を取られてしまったり、清朝末期のように、借金まみれで欧米列強に鉄道敷設権などを渡していたことなど、韓国人は知らないのです。

 

以下、ブログ主の覚え書きなど、補足です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

産経新聞のコラム

https://www.sankei.com/column/news/180811/clm1808110004-n1.html
【ソウルからヨボセヨ】早大留学経験もある元外交官が日本の江戸時代に興味を持つ理由
2018.8.11 11:00

 韓国のエリート外交官出身ながら外交官を辞めて日本風ウドン店をやっている申尚穆(シン・サンモク)氏(48)という“変わり者”がいる。外務省に入った後、早稲田大に留学し2002年から2年間、在日韓国大使館で勤務。そのときの日本体験から一念発起し、6年前に外務省を退職して和食ウドン店「きり山」を開業した。

 今も店は繁盛していて、ソウルのグルメ激戦区である「江南(カンナム)駅」周辺で、人気店の一つになっている。日本滞在時代にウドン食べ歩きなどで「日本の味」にはまり、中でもごくごく大衆的なウドンに日本の“文化力”を感じ、自ら韓国で店を始めたというわけだ。

 彼は大変な勉強家で筆も立ち、新聞や雑誌に日本史エッセーを連載中だが、昨年夏、出版した『学校で教えてくれない日本史』は既に1万部を超え、この種の本としては異例のベストセラーになっている。

 中身は江戸時代の多様な紹介で、食文化やビジネスをはじめ近代日本のルーツは江戸にありというもの。ベストセラーの背景については「若者を中心に近年、激増している日本への旅行者が韓国とは異なる日本の姿に接し、なぜだろう?と知的疑問を抱くからかな」という。日本に比べ韓国が近代化に立ち遅れたのは、韓国には“江戸”がなかったためというのが彼の見立てである。(黒田勝弘)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

著者は「江戸(時代)がなかったこと」を近代化の立ち遅れの理由としていますが、(この本のテーマはそれなので間違いだと言うつもりはありませんが)個人的には、現在の韓国の社会規範とか人間関係とか、江戸時代のような庶民文化を経験していないことは、韓国社会の様々なところに影響していると感じます。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

最後に、エピローグから日本人と韓国人の興味深い比較をご紹介します。

日本語の「悔しい」は韓国語では「억울(オクウル)」(漢字で書くと「抑鬱」)ですが、意味が違うのだそうです。

ネットで調べたら、 「억울해요(オグレヨ)」(悔しいです)という表現も見つかりました。

  

「悔しい」は「自分が決心したとおりに事が進まなかったり、他者との競争に敗れたり、誰かに害されて怒ったり遺憾の気持ちを抱いたりすること」。一方、「オクウル」は「自分の過ちではなく、他人の過ちによって良くないことが起きたり、悪い境遇に陥って怒ったりイライラしたりすること」

簡単に言えば、自分を責めるか(=悔しい)、他者のせいにするか(=オクウル)の違いで、前者は改善(著者の表現は「現実の変化」)に繋がり、後者は「」に繋がるというもの。単純化しすぎるかもしれないが、と断りを入れつつ、著者は韓国と日本の間には、そのような心理や性向に違いがあると言います。

 

尤も、韓国人も日本人のような「悔しい」気持ちを抱くことがあるのかも知れませんが、それを表す言葉があるのかどうか...。

と思って調べたら、それとピッタリ一致する単語はないようで、「悔しい」に関する、通訳とか翻訳家?らしき韓国人たちのブログがいくつか見つかりました。

通訳泣かせの単語のようです。

ある人は、「残念だ」くらいに意訳すべきと書いていました。

そのブログによると、浅田真央さんがキムヨナさんに負けて2位になり、「悔しい」という言葉を発したところ、韓国メディアが直訳したため、浅田真央さんが韓国人から叩かれたのだそうです。

上に書いた「オクウル」の意味を知ればそれも納得します。

 

もう一つの例。これは短いのでブログ全文をご紹介します。(機械翻訳ママ)

 

https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=oyakoko&logNo=220724448237&proxyReferer=https:%2F%2Fwww.google.com%2F

クヤシイ~

びっくりした。

去年日本のセミナーの一つだったメーキャップ大会で
準優勝した美容デザイナーの口から
この単語が出てきた時、
一瞬、私はどう通訳したらいいか戸惑った。

受賞の感想を問うインタビューで、
それも優勝者をすぐ横に置いて
「悔しい」「悔しい」なんて。
通訳室にぽつんと一人でぼーっとしていた。 ほんの束の間
同時通訳機を耳に差し込んで首をかしげる
60人余りの韓国のお客様はどうしろというのか… (´;ω;`)

原文:

쿠야시이~~

깜짝 놀랐었다.

작년 일본 세미나 행사 중 하나였던 메이크업 대회에서
준우승을 한 미용 디자이너의 입에서
이 단어가 튀어나왔을 때,
순간 난 어떻게 통역해야 하나 당황했었다.

수상소감을 묻는 인터뷰에서
그것도 우승자를 바로 옆에 두고서
'분하다' '억울하다'라니.
통역실에 덩그러니 혼자 멍(?) 때렸다. 아주 잠깐.
동시통역기를 귀에 꽂고 고개를 갸웃거리는
60여 명의 한국 고객분들은 어쩌란 말이냐... ㅠㅠ

 

このブログのタイトルは「​悔しい (쿠야시이) 분하다. 억울하다??」というものですが、丸括弧内の「쿠야시이」(クヤシイ)は発音通りにハングルで書き表したものです。

「분하다」は翻訳ツールによると、「悔しい、残念だ、忌々しい」などとなり、「억울하다」に至っては「抑制されて重苦しい、濡れ衣を着せられて胸がふさがる」という意味のようです。

 

ここまでを読んで「韓国人は常に人のせいにする」などと誤解はされないと思いますが、念のために書くと、このようなシチュエーションでは韓国人は「オクウル」という言葉は使わないということです。

しかし、日本語の「悔しい」が表す感情に韓国語の名称がないということは、名前を付ける必要がないとも言え、逆に「억울하다」が日本語では一言で言い表せないのも同様の理由です。つまり、そういう感情はそれぞれの国民には希だと言うこと。

 

試しに英語の辞書を引いてみると、be frustrated,be bitterly [extremely] disappointed(イライラする、ひどくガッカリする)で、これもちょっと違うような気がします。

やはり、「自分自身の未熟さに怒りを覚える」みたいな説明口調になりそうです。

おそらく、日本人特有の感情であり、著者はこの単語を使って、日本人の一般的な性格を伝えたかったのでしょう。

 

 

  


 

 

 

2020/11/16

【韓国】『反日種族主義』(李栄薫著)に欠けていること

ブログ主は保守系韓国人の方が作るYouTube動画を観て、そこに書き込まれたコメントを翻訳ツールで読んで、必要があればコメントを返しています。(日本語だったり、英語だったり。)

そこにコメントを書くような韓国人は、いかに李氏朝鮮時代が未開だったのか、日本統治時代に韓国の発達の基礎が築かれたこと=植民地近代化論は理解しているのですが、なぜ、日本と朝鮮が併合に至ったのか、正確には、なぜ、朝鮮が日本に併合を依頼したのかを理解していない事に気付きます。

反日種族主義』(李栄薫著)は画期的な本で、(李栄薫教授は以前からそのような内容の本を書いていたのですが)多くの韓国人に読まれ、そこで真実を知って「反日種族主義」から脱することができたとは思うのですが、最近、上記のことに気付きました。

このことを『反日種族主義』で取りあげなかった理由は分かりませんが、李栄薫教授は「併合」自体は認めていないようです。ブログ主が『李承晩TV』の動画で理解できるのは日本語字幕付きのものくらいですが、その中でも、そのようなことを仰っていた記憶があります。しかし、その上で、しかも、身の危険を顧みず、客観的な数字から植民地近代化論を解説していることは大いに称賛を贈ります。

こうした本や動画で多少歴史の事実を分かった方が「李朝の王族は国を売って自分達だけ貴族となっていい思いをした」、「高宗は売国奴」などと言いますが、毎年、歳出が歳入を何倍も上回り、大韓帝国は、最早財政破綻をしていました。併合以前にそれを援助していたのが日本です。1910年にいきなり併合したわけではありません。

手元に『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔基鎬著/2004年、2007年文庫化)という本がありますが、これによると、1904年度に日本から目賀田種太郎(1853-1926)を財政顧問に招聘し、日本政府は直接支出で援助します。1907年の朝鮮(大韓帝国)の国家歳入は748万円で、一方、歳出は3000万円以上だったので、差額は日本が支払っています。

おそらく、大韓帝国は日本にまるごと併合されなかったら、欧米列強に“食い散らかされて”いたでしょう。最早、高宗一人でどうにかできる状態ではなかったのが朝鮮であり大韓帝国でした。

日本が併合しなかったら、中国やロシアの一部になっていたと考える方もいるようですが、中国やロシアが朝鮮の借金を肩代わりしたとは思えません。それ程朝鮮は貧しい国でした。権益だけ貪って、朝鮮という国は消滅していたのではないでしょうか。

例えば、併合以前、京仁線の鉄道敷設権も日本がアメリカから買って開通(1900年)させました。併合以前にいかに日本が大韓帝国を自立させようと協力したか、しかし、結局自立できなかった。それが分からないので、日本がいきなり「植民地」化したなどという誤解が生じるのだと思います。

 

 

  


 

 

 

 

2020/09/22

【書籍】池萬元著『反日への最後通告』(ハート出版)を読んで【書評】

公開:2020-09-22 08:08:56  最終更新:2020/09/22 9:09

以前から気になっていた『反日への最後通告』(池萬元著/ハート出版)。〔原題『조선과 일본 - 한국인이 알수 없었던 진실』(朝鮮と日本-韓国人が知らなかった真実)〕

 

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日本統治時代の話は(日本人向けには)語り尽くされていると思って後回しにしていたが、池萬元(チ・マンウォン/チ・マノン)博士の数々の発言(後述)を読んで、この本を読んでみたくなり購入。

 

 

慰安婦や徴用問題といったテーマでは『反日種族主義』と被る部分もあるが、システム工学博士でありMBAを取得された博士の視点は、経済学者である李栄薫教授等とはまた違ったものである。

この本は上記のような日本統治時代の事=所謂、植民地近代化論=も扱っているが、一貫するテーマは「日本人と韓国人の【精神性】の違い」であり、どちらかと言うと戦後から現代に至る日本と韓国との比較、特に「なぜ、戦後の荒廃から日本が現在の地位を勝ち得たのか(それに比べて韓国は...)」という事に重点が置かれている。おそらく、韓国人の「反日」の根底には「侮日」があると見抜いてのことだと思う。

池萬元博士が称賛してくれる日本人、特に日本の企業家と労働者の美徳は、日本人が現在もそれを維持しているか?と考えると、日本人がもう一度原点に立ち返るためにこの本から学ぶ点も多いと思う。

 

◇ ◇ ◇

 

李栄薫教授は韓国の「聖域」の一つである「慰安婦問題」に言及して韓国社会からバッシングを受けた。池萬元博士は、慰安婦と並ぶ韓国の別の「聖域」である「光州事件」の真実を追究したことから100件以上もの訴訟を起こされた。(光州事件については後述)

この件に関してはこの本でも扱っており、博士自身の身に起こった激しい攻撃は韓国社会の「病巣」の一端を見ることができる。

日本人がこの本を読む時は、これは韓国人に向けて書かれた本という意識を持たないと、いかに衝撃的な内容かが想像できないと思う。

この本は以下の7つの章より成る。

 

第1章 世界の中の朝鮮
第2章 外国人と内国人が見た朝鮮
第3章 滅ばざるを得なかった朝鮮
第4章 日本軍慰安婦と強制徴用
第5章 日本との決算
第6章 日本は学ぶことの多い国
第7章 韓国を牛耳る左翼勢力の専横的な歴史歪曲

 

第1章と2章では、韓国人がいかに「井の中の蛙」かということを韓国人に向けて突きつけている。特に第2章では、欧米人による「韓国(人)評」を多く引用し、韓国人の「自尊心」(メンツ)を徹底的に叩き潰す。そして、現代韓国人が英雄だの義士だのと称賛する朝鮮人(安重根を含む)が日本の偉人(伊藤博文、渋沢栄一、松下幸之助、etc.)と比べていかに過大評価、というより、間違って評価されているか、一方、「親日派」というレッテルを貼られた朝鮮人(尹致昊李完用等)が、いかに愛国者であり正しい事を言ってたのか、白日の下に晒している。

李氏朝鮮時代や日本統治時代の朝鮮に対する外国人の評価は、『反日への最後通告』を元に作成された下記の動画でも分かる。

 

『친구 ともだち』チャンネルの動画「外国人が見た日韓併合以前の韓国人の暮らし。第1部。
(この動画主は、元々韓国人向けだけに誤った歴史を正す動画を作成。恐らく、日本語訳を付けて紹介されて日本人の関心が高まったために日本語字幕を付けて発信し始めたのだと思われるので、「用日」韓国人とは区別する必要がある。)

 

第6章の「日本は学ぶことの多い国」では、韓国人が「日本は敗戦後、朝鮮戦争を利用して経済復興を成し遂げた(だけの国)」という韓国人の『侮日』を根底から覆すものである。

日本がみすぼらしいトランジスターラジオでアメリカ人に馬鹿にされながらも、徹底的なQC(品質管理)でアメリカの製品を凌駕する過程を韓国人向けに説明している。

この本は『反日種族主義』で「反日」の呪縛から冷めた韓国人を更に啓蒙する書だと思う。そういう意識を持って日本人がこの本を読むと、いかに衝撃的な本であり、タブーに挑戦したかがより理解できると思う。

 

◇ ◇ ◇

 

韓国に於ける「光州事件」の扱い

日本人にとっては、池萬元氏が韓国人にとってどのような存在かが気になると思う。

これを理解するには、日本人にはそれ程関心がない『光州事件』(5.18民主化運動)について、池萬元氏がどれほど満身創痍になりながらも真実を追究し、韓国人からの尊敬を集めているかを知らないと理解できない。

まず、『光州事件』について広辞苑を引くと、「1980年5月、光州市で、軍部による戒厳令拡大に反対する学生・市民を戒厳軍が鎮圧、武力衝突に発展して、多数の死者が出た事件。」と解説され、韓国民主化のための運動であったとしか言わないが、実態は北朝鮮の工作員が主導した共産主義者による暴動であり、しかし、それ以外の解釈をしようとすると池萬元博士のように100件以上もの訴訟を起こされることで、普通の韓国人は口を閉ざさるを得ない。池萬元氏のHPは政府によって閉鎖されても、反共で愛国的な韓国人は彼を支持している。

現在の与党は光州事件の公式評価について反論する者に対し懲役刑を下す法案まで通そうとしている事でも、この事件(暴動)がどれほど文在寅政権にとって「聖域」であるかが分かると思う。

ブログ主はこの本(原書)の評価を探して読んでみたが、実際に購入した読者はほぼ☆5つの評価を付けているのに対し、読まない者から低評価をつけられている。高評価の読者のコメントには「発禁になる前に購入した」というものまであった。

 

池萬元氏ほどの「韓国の知性」を20年近くにもわたって裁判で浪費していることは韓国にとって多くな損失であり、悲劇だと思う。

 

光州事件の首謀者達が北のスパイである証拠は数多く挙げられている。

 

 

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光州事件の公式評価について、韓国人が異を唱えられないことがどれほど異常なことかは、たとえば下記の洪熒(ホンヒョン)氏の動画でも分かる。

 

 

現在、韓国与党は光州事件の評価を覆そうとする者に対して懲役7年の刑を与える法律を成立させようとしている。(韓国の名誉毀損の刑罰は最高でも5年)

民主化運動という美名の元に、これに実際に関わったかどうかも関わらずに光州市(5.18補償委員会)が「光州5.18民主有功者」を選定して、恩給のような特権(特別支援金や就職の特権)を与えている事や、なぜか、政権が代わるごとに「有功者」の数が増えているのを見ると、有功者認定が利権となっていることが理解できるだろう。(本来、時間が経つにつれて減るはず)

 

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拾いものの画像にブログ主が追記

 

この有功者の選定は金大中政権の時に決定し、光州事件当時中学生だった者や他の地域の民主化運動家にも「有功者」の認定がされて特権を享受している。(証明書が発行される)

 

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【参考】

 

◇ ◇ ◇

 

おそらく、この本は池萬元博士がブログなどに書き溜めた文が元になっていると思われるが、ブログ主がこの本を読もうと思ったきっかけになった池萬元氏のコラム(実際に同書に収録されている)を紹介する。

 

「日本人たちは憎しみを学ぶことで昇華させた」

製造業や貿易業の仕事に携わる韓国人は、日本の悪口を言ったり憎んだりはしていない。日本から学ぶことが多いからだ。日本を知らない人だけが、過去という氷の棺の中に自分の魂を閉じ込め、日本なら無条件に嫌いだと言っているのだ。60年もの間憎しみ続けて我々に一体何の得があるというのか。我々は考えなければならない。

過去数千年の間、我々民族が同族同士の間で犯した蛮行の中に、日本以上に厳しい事例が果たして本当になかったのだろうか。日本が我々よりも野蛮なのか、そうではないのか、優秀だったか、醜かったか、今の日本人と韓国人を見れば、その違いをまざまざと知ることができる。日本人は今でも我々より、何倍も元気に暮らし、世界で最も尊敬される礼儀作法と信用力を持っている。もし、日本経済と韓国経済の間に万里の長城を築けば、被害は両国ともに生じるが、我々の被害の方がはるかに大きい。外国に行って日本人を罵れば、悪口を言ったものが除け者に合う。認めたくないだろうがこれは現実だ。

我々は日本よりも早く成長したがる。発展の原動力は、創造性と先進科学を収容する姿勢だ。憎しみからは絶対に創造性は生まれない。我々が今からでも考えなければならないのは、日本が米国から学んだ方法を学ばなければならないということだ。

健康薬品ひとつ作るにしても動物を相手に実験をする。人の命というのはそれほど尊いものであるからだ。ところが、米国は原子爆弾を作り、その実験相手に日本人を選んだ。日本人たちの自尊心がどれほど傷ついたことだろうか。放射能とは恐ろしい物質である。日本人たちは、その放射能を子どもの世代まで受け継がなければならないという現実に一体何を思っただろうか。おそらく、我々に原爆が落とされていたのなら、米国は今でも我々の不倶戴天の敵であっただろう。だが、日本人たちはその憎しみを学ぶことで昇華させた。日本人は自分たちより優秀な人の前にはひざまずく。このような姿勢を我々は持っていない。日本人は優秀な米国人から学び、学んで勝たなければならないと考えたのだ。

日本人は一方で、廃墟の地にブラシをかけ、もう一方では、こまめに米国に渡り、工場の門を外からのぞき込んだ。これは彼らよりも優秀な米国を学ぶためだった。米国人たちは、そんな日本人たちを蔑視した。「日本人は寝ても覚めても米国に引っ付くことしかできない。ドアを開けてすべて見せてやれ。」

1957年当時、ダレス米国務長官が、多くの日本群衆に向けて、米国の優越感を表現した。「親愛なる日本国民の皆さん!日本は技術面で永遠に米国と競争することはできません。日本は今、世界最高のハンカチと優れたパジャマを生産しています。なぜそのようなものを米国に輸出しようとしないのですか?」あえて米国を真似るとして、工場の門をのぞき込む見苦しい姿を蔑視したスピーチであったし、1957年に米国に渡ったみすぼらしいトランジスタラジオをあざ笑う言葉だった。

当時、米国は世界のGNPの54%を占めていた。ほぼすべての生産拠点が米国にあり、世界の新製品すべてが「MADE IN USA」だった。彼らは米国で作られていないすべての製品をゴミとして蔑視した。これをNIH症候群(Not Invented Here Syndrome)と呼んだ。

これらの侮辱を跳ね除け、日本人たちは米国から続々と先生たちを呼び寄せた。1950年には、あの有名なデミング博士を、52年に​​はジュラン博士を、54年にはピゲンバウム博士を招き、科学経営、システム管理、統計学的品質管理を覚醒させた。そして、日本は産業界のノーベル賞であるデミング賞(Deming prize)を制定した。日本が今日の品質ナンバーワン国に君臨するのは、米国人の師匠であるデミング博士の存在があったことを世界に示したものである。一方、我々自身を今一度振り返ってみよう。我々は今、外国を排斥する中、狭いナショナリズムに浸っている。我々なら、多くの国民を原爆で殺した敵国の人種、米国人を師匠とし、それを記念して産業界のノーベル賞と呼ばれるデミング賞なるものを制定することができるだろうか。

「米国を模倣しよう(Copy the West)」「米国に追いつく(Catch up with the West)」。日本人は米国を追い越すために情熱を注ぎ知恵を絞った。そして1980年代にはいよいよ日本が生産技術と品質管理で、米国を上回った。その時からしばらくは、米国が日本へ学びに通った。ダレス米国務長官の嘲弄まじりのスピーチから25年、1982年に自動車の米国人顧客満足度調査で、日本の自動車が上位1・2・3位を占めた。一方、米国車はわずかに7位であった。米国人が最も好きな車は米国車ではなく、日本車だったのだ。仕事に没頭し目標を捕らえる姿は美しくはないだろうか。「日本のやつら」がやったことだから、こんなことも見苦しいと見るべきなのだろうか。

日本だけ憎むのではなく、最近では米国を憎む人も増えてきている。優秀な人を見られない心や憎悪する心が、我々に何を持たらすのだろうか。我々よりも立派な人も敵で、我々よりも優秀な国も敵ならば、我々は誰から学び誰とともに生きていけばいいのか。

わが民族同士?外勢を憎み、国際社会に不当な理由を上げながら飢えに苦しむ住民を弾圧して殺す北朝鮮と手を取り合って生きなければならないというのだろうか。憎悪心をそそのかせば団結はできても発展はない。醜い人同士が手を握れば皆が醜くなる。我々が恐るべき対象は北朝鮮ではなく、憎悪心を学ぶ力に昇華させ米国と肩を並べた日本の人々である。我々は日本の学習方法を学ばなければならない。

昨日、自分が何を間違ったのかを問う人々は、昨日の間違いから知恵と教訓を導き出す。しかし、昨日の間違いが誰によってもたらされたのかを問う人々は、昨日の間違いを延々と繰り返すことになるだろう。

池萬元|2011.3.1

(カイカイ反応通信:韓国人「日本人たちは憎しみを学ぶことで昇華させた」より転記)

 

 

  


 

 

 

2020/06/06

【書籍・韓国】『韓国人、韓国人を叱る』(赤石晋一郎著/小学館新書)/「徴用工“被害者”」について(1)

最近、web上の赤石晋一郎氏が書かれた記事を幾つか拝読し、著作の『韓国人、韓国人を叱る』に興味を持ったので読んでみました。

ジャンル(スタイル)としてはルポルタージュで、韓国と日本の間の「棘」となっている慰安婦問題や所謂「徴用工」問題の関係者だけでなく、ライダイハン、米軍慰安婦、脱北者問題、『反日種族主義』等の関係者へのインタビューを元にまとめられています。

上記だけでもタイムリーな話題ですが、著者ご自身がまきこまれた韓国メディアの捏造報道にまつわる部分は、ご本人が意図したことではないとは言え、これを読めば、日本の報道がこうして捏造・歪曲して韓国で伝えられるという良い見本で、興味深く読みました。

いずれの章も、批判や批評を控えて「生の声」を取りあげたもので、上記の問題を考える一助となるでしょう。

以下は目次です。

 

序章 経済学者が警告「韓国経済は滅びるかもしれない」
第1章 元指導者の嘆き「慰安婦問題は金儲けになってしまった」
第2章 元米軍慰安婦の憤り「なぜ日本軍慰安婦だけが」
第3章 ベトナム戦争犯罪を追及する記者「韓国軍は何をしたか」
第4章 被害者団体代表の訴え「金を出すべきは韓国政府だ」
第5章 脱北作家が告発「大統領は脱北者を見捨てた」
第6章 『反日種族主義』著者の決意「歴史を正す戦いをする」
第7章 元徴用工の証言「差別はあった」「いや、なかった」
終章 韓国で巻き起こった捏造報道の真相

 

第1章は挺対協の重鎮(元幹部)による尹美香氏や現在話題になっている挺対協批判。第2章は日本軍相手の慰安婦とは扱いに雲泥の差がある元米軍慰安婦へのインタビューですが、その女性は月4万円の生活保護で暮らしていると言います。元米軍慰安婦達は2014年に韓国政府相手に訴訟を起こし、これは当ブログでも覚え書きとしてメモしていたのですが、この本で彼女等が勝訴したことを知りました。しかし、その賠償金額は日本円にして数十万円。インタビューに応じたチャンさんの「日本軍慰安婦とどこが違うの」という言葉は尤もです。(2014年の訴訟に関する記事はこちらのエントリーに掲載しています。

第3章はライダイハン問題を追及している女性へのインタビューで、この方は良心から活動を行っているのかも知れませんが、ブログ主個人的には、韓国人による「ライダイハン活動」には「大韓民国の否定」の側面があると思っています。韓国国内(済州島)にあるライダイハン像は慰安婦像や徴用工像を作った例の夫婦の手によるもので、北朝鮮あるいは従北活動家とは無関係ではないでしょう。したがって、こうした活動を「韓国の良心」とだけ捉えることには個人的には懐疑的です。

第5章は脱北して韓国で小説家をされている方へのインタビューですが、文在寅政権の脱北者に対する冷酷さが伝わります。つい最近(昨年11月7日)も、おそらくは脱北者なのでしょうが、船に乗っていた2名の北朝鮮人を、他の乗組員を殺害した(←ろくに調査もせずに何故それが分かったのでしょう?)とし、更に本人達が北朝鮮に帰りたいと言っているという理由で北に送還した事件がありました。韓国の法律では北朝鮮の住民は韓国国民と見なしているので、自国民を保護しなかったことになります。現在、韓国で暮らしている脱北者は文在寅政権に対して恐怖感を抱いているとはよく聞きますが、この章を読めば、それも理解できます。

第6章は『反日種族主義』の著者の一人、イ・ウヨン博士へのインタビューで、李博士の人柄が伝わってきます。

また、上の目次にはありませんが、「長いあとがき」ではナヌムの家でインタビューした元慰安婦の女性のことが書かれています。名前は伏せられていますが、裵春姫(ペ・チュニ)というおばあさんではないでしょうか。ナヌムの家とは、挺対協の影響下にある元日本軍慰安婦と称する女性達が住む施設ですが、現在、挺対協だけでなく、この施設にも金銭スキャンダルが吹き出しており、その一つがペさんの署名した、遺産を全てナヌムの家に寄付するとした「誓約書」です。但し、この誓約書に注目しているのはネットメディアだけです。

なぜブログ主が彼女ではないかと思ったかと言うと、晩年、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河教授とペさんは信頼関係にあり、朴教授がナヌムの家から名誉毀損で訴えられた裁判の最終意見陳述ではペさんは実は「日本人が好きだった」と朴教授が明かしているからです。(詳細はこちらのブログ記事『【慰安婦問題】共同生活施設「ナヌムの家」でも金銭スキャンダル』を参照して下さい。最終陳述へのリンクも貼ってあります。)ペさんは朴教授と電話で話す時には聞かれていないか怯えている様子だったそうで、朴教授も誓約書の信憑性に疑問を呈しています。

さて、ここまで、『第4章 被害者団体代表の訴え「金を出すべきは韓国政府だ」』と『第7章 元徴用工の証言「差別はあった」「いや、なかった」』については飛ばして書きました。

批判というわけではないのですが、少し注文をつけたいのは、「被害者団体」、「元徴用工」という言葉に説明がなされていないので、多くの読者は戸惑うのではないかと思います。

ここで言う「被害者団体」とは、「日帝による被害を受けた“徴用工”(や軍人・軍属)への補償は日韓請求権協定で国家間の補償は済んでおり、その補償は韓国政府がすべき」と主張する団体で、基本的にはごもっともな主張なのですが、赤字にした部分を理解できる読者はどれほどいるでしょうか?

いえ、偉そうに書いているブログ主も以前書いたブログ記事などを読み返さないと簡単には説明できないのですが、日本人がいう「徴用」や「動員」、韓国人がいう「強制動員」に関する理解は日韓でかなりの隔たりがあり、また、韓国国内でもその定義が変わっているのです。

また、「元徴用工」として著者がインタビューした方々は、実際の徴用令(効力は1944年9月~1995年8月の終戦までの11ヵ月間→実際は1995年3月に朝鮮と内地=日本との間の連絡船がほぼ欠航となるので実質7ヵ月間)によって日本に働きに来た方達ではなく、それ以前の「官斡旋」で日本に来た方々なのです。

但し、インタビューされた「元徴用工」の方々(正しくは「旧朝鮮半島出身労働者」)は賠償を主張している訳でもなく、日本での経験や2018年10月30日の大法院判決についての感想を述べられているだけです。

ちなみに、大法院判決の原告4名もまた「徴用工」ではなく、「募集」に応募した者1名、「官斡旋」で日本に来た者3名です。また、この判決は、募集工とか徴用工とかは関係なく、「そもそも日本による“植民地支配”が不当であった」という認識に基づくもので、これ自体、『日韓基本条約』を反故にする判決です。これが通ってしまうのなら、「日帝時代に学校で無理矢理日本語を学ばされた」でもなんでも通ってしまいます。

再び、「但し」なのですが、インタビューを受けた方々はそのような区別は認識しておらず、たまたまなのか、口を揃えて「小遣い程度の賃金しか貰わなかった」と述懐しています。日本に出稼ぎに来た方達の中には稼いだお金で田んぼを買ったというような話はよく聞くのですが、インタビューされた方の中にはそのような例が無かったのが不思議です。また、中にはその『徴用』に関して、強制性を感じていた方もいました。これはこれで「生の声」であり、貴重なのですが、これは「証言」でもあるので、この方たちの勤務実態などをもう少し追跡して欲しかったと思います。

また、「被害者団体」に関しては、盧武鉉政権の時に、1938年4月1日の『国家総動員法』~1995年8月の終戦までの期間に、日本に出稼ぎに来た人達を全て「強制徴用」としたので、韓国国内では「被害者」で正しいのですが、こうした説明がなく、「被害者団体」という言葉を目にすると面食らう読者も多いのではないでしょうか。

韓国政府や韓国国民が「強制徴用」としている事は、日本では「戦時動員」としていまが、これについては複雑なので別のエントリーでもう少し詳しく見ていくことにします。

徴用問題に関しては上記のように若干注文がありますが、日本人の多くが抱いているイメージとはまた別の側面がある事を知ることができる本なので、ご一読をお薦めします。

 

 

  


 

 

 

 

2019/12/15

【書籍】『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』任文桓(イム・ムナン)著-(2)朝鮮戦争

掲題の本はだいぶ前に読み終わっていたのですが、文中、理解できなかった部分を調べていたので、続きを書くのに時間が経過してしまいました。(→前回のエントリー

今回は著者が経験した朝鮮戦争について書き留めておこうと思います。

 

朝鮮戦争

著者の経歴については次回あらためて書きますが、1935年(昭和10年)、日本で東京帝大法学部を28歳で卒業すると拓務省に採用され、同年、朝鮮総督府への出向を命じられます。ここで終戦を迎え(45年/昭和20年)、米国統治、大韓民国成立(48年/昭和23年)と経験、その2年後の1950年6月25日に突如北朝鮮が38度線を越えて南進を開始します。

「突如」と書きましたが、動乱の1年前の1949年6月8日には駐韓米軍の全員撤収を発表し、国民が不安視する中、さっさとこれを完了します。また、5ヵ月前の1950年(昭和25年)1月12日にアチソン国務長官が発表した、いわゆるアチソンラインを知って、韓国人は孤独感にさいなまれていたようです。

アチソンラインとは米国の安全保障は日本、沖縄、フィリピンを結ぶラインというもので、韓国は枠外に置かれたからです。

 

* * * *

 

この本を読む前は、同じ民族による戦争と言っても単純に北朝鮮と韓国の戦争と考えていたのですが、正しくは、同時に韓国国内の内乱でした。これは、同じ地上戦と言っても例えば沖縄戦とは異なります。

大韓民国は成立時点から多くの共産主義者を抱えていたので、北朝鮮の南進に呼応して彼等も同胞を襲います。

考えてみれば、48年には済州島四・三事件 が起きていました。この事件に関する記述は、立場によってバイアスがかかりすぎているのですが、一つの説としては「共産主義者の暴動」です。

新政府も、最終的には李承晩と中国に逃れていた臨時政府のメンバーが手を組むのですが、そこに落ちつくまで、共産主義者の一派も加わり、覇権争いを行っていました。

 

著者は家族と別れて約90日間の逃避行を行うのですが、その間、出会う人間が「どちらの側」であるかを見極めないとならないのです。

例えば、後家さん(未亡人達)が北の側につき、「右翼人狩り」のようなことを率先して行いました。著者はこのことを、儒教社会にあって再婚が許されなかった後家は社会の変革を求めていたのだろうと想像しています。

また、ある集落に逃げ込んでも、そこが共産主義者の村ではないかと疑心暗鬼になります。ある集落ではたまたま共産主義者は1件のみで村八分のようになっていたので安全でした。

共産軍がソウル市内に入ってくると「右翼人」の自首が奨励されます。自首すれば許されると宣伝して、それに応じた者達は結局北に連れて行かれてその後の行方知れずになります。

 

ここで少し詳しく時系列を追うと、李承晩大統領は27日未明には密かに漢江を渡り、ソウルの南に位置する水原市に逃亡します。そして、28日の午前2時半には漢江橋が爆破され、多くのソウル市民が川の北側に取り残され、ソウルを占拠した共産軍の手に落ちます。

本来は市民の避難を考慮して、橋の爆破は28日の朝と命令されていたのに、軍の責任者が慌てすぎて夜中に行ってしまったと書いていますが、朝なら朝で、避難する人でごった返している橋を落としていたのではないかと思います。27日の時点で、大統領はソウルにいて首都を死守しているという虚報を流していたのですから、数時間の猶予では手際よく市民が避難することは不可能だったでしょう。

橋が爆破されていることさえ知らない市民が車で橋を渡ろうとして、次々と切れた橋の先で川に落ちていく光景が目撃されています。

結局李承晩は8月20日には釜山に首都を移すのですが、9月15日にマッカーサーの仁川上陸作戦があり、28日にはソウルを奪還し、李承晩も韓国軍に北進命令(38度線突破)を出します。

恐らく、90日間の逃避行とはこの辺りまでの出来事だと思うのですが、本の中ではここから53年7月の休戦協定までの戦争の状況は語られません。実際には10月20日には平壌を占領するも、中共軍の参戦により、翌年の1月4日には再びソウルが奪われるのですが。

 

1953年(昭和28年)、著者はすでに官職は退いていて朝鮮商船の社長となっている時に8年ぶりに日本を訪れ、友人知人と旧交を温めます。

その時に6・25、即ち朝鮮戦争のことを説明するのですが、理解して貰えません。そこで、こう結論づけて話を切り上げたと、その時の言葉を書いているので、一部をご紹介します。

「東京空襲のときには空さえ警戒しておれば良かったので、地上の人間には分裂も敵もいなかった。地上の人間同士は信じ合っていた。ところが自由と共産との戦争が地上で繰り広げられると、人間社会が不信の渦巻きの中に投げ込まれ、長く苦しい時が刻まれていく。なにしろ街角で知人に会うのが一倍怖いという哀れな人の世の中になる。密告が怖いからだ。(以下略)」

 

* * * *

 

これを書くに当たって、『「ひとりがたり馬渕睦夫」#17 朝鮮半島問題とは何か?① 朝鮮戦争に見る近代史の真実』を再度視聴してみましたが、この戦争は不思議な点が多く、韓国国内ではどのように総括されているのだろう?と思います。

馬渕大使が仰るように、アチソンラインの発表は北に対して「南進」しても良いというサインのように思えるし、中共軍を指揮していた林彪には米軍の作戦が筒抜けだったと言います。国連軍を指揮したマッカーサーは、「勝てる作戦」を本国から拒否されました。そして、大統領はアメリカの息の掛かった李承晩。仕組まれた戦争である可能性が大なのですが...

 

次回、著者が新政権で接した李承晩大統領について書くとともに、この本の感想のようなものを述べたいと思います。

 

 

 

 

  


 

 

 

2019/11/30

【書籍】『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』任文桓(イム・ムナン)著-(1)創氏改名

掲題の本は、たまたま知って興味を持ち読み始めたのですが、実際にとても面白いです。

まだ1/4程しか読んでいませんが、気付いたことをメモするつもりで記事にします。それは『創氏改名』(1940年/昭和15年)についてです。但し、「創氏改名は実は朝鮮人が望んでいた」などということを書く意図はありません。そんなことは恐らくあちこちに書いてあると思うからです。

ここで取りあげるのは、何故、『創氏改名』が日本統治時代の“悪政”のシンボルのように使われるのかを理解するヒントのようなものを発見したからです。

 

その前に、この本について簡単に説明します。

以下はAmazonの商品説明より。

 

16歳で日本に渡り、苦学の末、高文試験に合格し、東京帝大を卒業。朝鮮総督府に行政官として勤務。戦後は李承晩政権下で農林大臣をつとめた著者が、波瀾にみちた半生を、被害・加害者史観にとらわれることなく生き生きと描く。〝植民地世代〟が残した最も優れた回想録!(『愛と民族』一九七五年、同成社刊を改題・復刊)
内容(「BOOK」データベースより)

 

著者が生まれたのは日韓併合(1910年/明治43年)の3年前の1907年(明治40年)で、日本で進学するために友人と2人で日本に来たのが1923年(大正12年)です。官製留学のようなものではないので、最初は京都で人力車夫と牛乳配達をしながら予備校に通う生活をします。「被統治民族」という意識はあり、反骨精神は棄てていませんが、商品説明にもあるように、決して被害者意識にとらわれたものではありません。

この本に特徴的なことは、著者自身を「彼」あるいは「バウトク」(子供の頃の愛称)と三人称で書いていることで、また、描写がとても生き生きとしていて、まるで小説のように読むことができます。

今後も、関心を持ったトピックがあれば、ブログに書き留めていくつもりなので、本書の紹介はこの程度で切り上げ、本題の『創氏改名』について書くことにします。

 

 

任(イム)少年が最初に働いた工場で、呼び名をどうするか、ということになり、「任」の日本語の音読みは「ニン」なので「ニンどん」(京都なので「~どん」なのでしょう)と呼んでみたところ、おかみさんからどうも語呂が悪いと、「『ジンどん』にしなはれ」と申し渡され、必死に抗弁するエピソードが書かれています。

それは、「ジン」では「仁」になってしまい、姓が変わるからという理由です。

結局、「ジンどん」にされてしまうのですが、韓国では何か誓いを立てるとき、「もしその誓いに背いたら姓を変える」という表現があるそうです。

儒教の影響で、男系による万世一系を大事にする韓国社会だからだそうで、「姓を変えるのは犬畜生にも劣る」のだそうです。

日本では跡取り息子がいない場合、養子を取ることは珍しくありませんが、韓国ではあり得ないと書いています。

これを読んで、後世、日本統治時代を「悪」とする印象操作には『創氏改名』はうってつけのものだったのではないかと思いました。

『創氏改名』は「姓」を奪うものではありませんでしたが、同じ朝鮮人でも立場や家柄によって受け止め方は異なったのではないかと思います。ちなみに著者はこれを批判しています。

 

日本人が他国の習慣をとやかく言うのは避けるべきですが、李氏朝鮮ではいかに儒教(朱子学)により生活ががんじがらめになっていたかは韓国人自身が様々な形で書いています。

例えば、『日本の中の朝鮮紀行』(著:金 声翰)という本は東京帝大法学部で学んだ著者がジャーナリストとなって韓国の『京郷新聞』に連載(1984年)した文をまとめたもので、言葉の端々に「反日」が隠せないでいるのですが、『日本と韓国人』という章では、朱子学を「精神的な荒廃だけにとどまらず、現実の物質社会の破壊をも引き起こした」と言い、朱子学の厳格性によって支配されたために「産業、経済は萎縮し、国は貧困におおわれた」と書いています。

江戸時代の朝鮮通信使も、日本に来ながら日本から持ち帰ったものは「サツマイモ」くらいで、日本から何かを学ぼうとはせず、専ら関心があることは日本人の振るまいが儒教の礼節に適っているかどうかのみでした。(ブログエントリー:【書籍】『朝鮮通信使の真実』(石平著)/現代韓国に通じる『侮日・反日』と『精神的勝利法』

一方、日本は、と言うと、著者は「妥協」という言葉を用いていますが、「柔軟性」とか「受容力」のような意味合いで使っていて、例として「神仏習合」を挙げています。また、同じように儒教を取り入れながらも「科挙」は日本の実情に合わないと取り入れなかったり、西洋文物に接しても、受け入れはするが、日本独自のものは捨てず、その結果、科学技術の先端に立ち、東洋思想の研究でも先頭に立つ、と、褒めながらも悔しさを滲ませています。

84年頃の日韓の経済格差を覚えている人は理解できるでしょうが、そこに、「嘗ては文化的に上だったのに」という意識が加わるのですから、著者のような教養人ならその『恨』は相当なものだったと思います。(『恨』についてはこちらのエントリー参照。「恨み」とは異なる感情です。)

李氏朝鮮の時代、と言っても、いつ頃の話かは分かりませんが、朱子学の中でも「礼論」(礼節に関する理論)が支配しており、例えば、兄弟が諍いを起こすと兄弟不和の罪で火あぶりにされたり、寡婦が再婚すると、人の道に外れたとして奴婢にされてしまう、という世界だったそうです。

以前のエントリーで日本統治時代に出された『断髪令』について書きましたが、これも親から貰った身体に傷を付けるという理由で儒教の「孝」に背くことであり、断髪した息子を見て自殺した親までいたそうです。但し、田舎の人達はもう少し鷹揚で、「お父さんの髪がさっぱりした」と後々までも母親が喜んでいたことを書いている韓国人もいます。(『醜い韓国人』(著:朴 泰赫)/ブログエントリー:【書籍/儒教文化】『醜い韓国人』(朴 泰赫著)/なぜ、韓国人は頭を丸めて抗議する?

こうしてみると、とことん価値観の違う人達(だったの)だな、と思います。

 

ついでに、ここまでで興味深いエピソードをいくつかご紹介しておきます。

『日本帝国と~』の著者はこの本を1975年、60代後半で出版していますが、その当時は釜山に住んでいたそうで、その理由が面白いのです。

電機屋でテレビを改造して貰えば日本のNHKが観られたからで、相撲や大河ドラマ、歌番組を観ていたそうです。一緒に観ていた次男も自然と日本語を覚え、大河ドラマ『国盗り物語』(1973年)の豊臣秀吉と家康のやりとりを見て家康が嫌いだと言ったりしていたそうです。

これに続いて山岡荘八の小説『徳川家康』にも言及していますが、そう言えば、獄中の朴槿恵元大統領が『徳川家康』を読んでいると、少し前に記事で読んだのを思い出しました。

そこで調べて見たら、韓国語のWikipediaによると、韓国語タイトルは「大望」というそうで、こんなことが書かれていました。(Google翻訳/一部ブログ主が翻訳を訂正

「韓国では1970年に大望(全12巻)というタイトルで翻訳著作物の原著許可のない出版を許可していた当時大韓民国の著作権法に基づき、海賊版が出版され、ベストセラーとなり、2000年に徳川家康(全32巻)というタイトルで再翻訳された。」

朴槿恵氏が読んでいたのは正規版でしょうが、著者は海賊版を読んでいたのでしょう。

 

 

  


 

 

 

2019/11/20

【書籍】『反日種族主義』感想-1.韓国人読者の目線で読んでみる

イ・ヨンフン(李 栄薫)元ソウル大教授等が著し、韓国でベストセラーとなった『反日種族主義』、ブログ主も入手し、現在読んでいる途中ですが、一番興味があったのは、「何故、この本が韓国人に受け入れられたのか?」という点です。

もちろん、韓国における「日韓関係史」の中で定説となっている「土地収奪論」や「徴用工」、「従軍慰安婦」などのテーマで、データを用いて論理的に解説しているので説得力がある、というのことは大きいと思いますが、本書の構成が絶妙なのだと感じました。

まず、本題に入る前のプロローグとして「嘘の国」と題し、「嘘をつく国民」、「嘘をつく政治」、「嘘つきの学問」、「嘘の裁判」という各項目の元、韓国がいかに欺瞞に満ちた国だという様々な“事実”を突きつけて読者を打ちのめします。プロローグの最後は「反日種族主義」ですが、ここでは簡単に説明されるのみで、「反日種族主義」は何か?という興味を喚起させます。

ここで、言うなれば“先制パンチ”を喰らった状態で、本論に読み進むと、次々と嘘の歴史が暴かれていきます。

第一部で最も多くページ数を割かれているのは「徴用工」の嘘ですが、これと大いに関係がある「日韓請求権協定」の問題にも触れます。

第二部は、主に、韓国人の「精神文化」をテーマにした項目が並びますが、読者によっては、この章が一番ショッキングではないかと思います。第一部で語られることは、まだ、学校教育や小説などに騙されたと、他人のせいにして自分を被害者の立場に置けます。しかし、第二部では、こうした嘘を受け入れてしまう自分達の「精神性」にも問題があると指摘されてしまうのです。

「竹島」の問題はこの章で扱われます。

なぜ、韓国人が竹島に固執するのか、これが韓国人固有の宗教観や自然観という、おいそれとは変えられないものに根ざしていると知るのは辛いことだと思います。被害者の立場から引きずり下ろされるわけですから。

最初にプロローグを先制パンチと書きましたが、野球に喩えると、自慢のエースを出したのに、いきなり先制ホームランを打たれたようなもので、ここで中押し(点)を取られるようなもの。そこでダメ押しとなるのが第三部の「種族主義の牙城、慰安婦」です。

 

もちろん、韓国人も完全に騙されていたわけでは無いと思います。

そのことを、ジャーナリストの崔 碩栄(チェ・ソギョン)氏がWEDGE Infinityに寄稿した文で説明してくれています。(2カ月で10万部『反日種族主義』、韓国人著者たちの受難 P.2

筆者は所謂「在日○世」ではなく、大学で日本学を修めた後、来日した「ニューカマー(new comer)」で、両親からは特に反日教育はなされなかったそうです。

崔氏は言います。「これまで、何か違和感を覚えながらも解けずにいた頭の中のジグソーパズルが、次々と正しくはまって行くような『快感』を感じたからだろう。」と。

情報化社会になり、また、国内の閉ざされた言語空間以外に実際に自分で見聞きした知識が増えれば増えるほど、植え付けられた“記憶”との齟齬を感じる機会が増えるはずで、イデオロギーに凝り固まって耳を塞いでしまう人以外、教養が高い韓国人ほどその『快感』の度合いも高く、『反日種族主義』に書かれていることを受け入れられるのだと思います。

崔氏はこの本が受け入れられた理由としてもう一つ、「韓国社会のタブーに挑戦した著者達への称賛」も挙げています。

 

さて、第三部まで読んで“打ちのめされた”読者ですが、「エピローグ」で救いの手が差し伸べられます。

「救いの手」と書きましたが、新たな「目標」や「課題」を与えられると言った方が適切かも知れません。

現政権が、韓国の建国の精神である「自由民主主義」から「自由」の文字を取り去ろうとしていることの危険性が説かれているのです。

このエピローグに関しては、ブログ主は韓国人読者がどこまで理解できているのだろうか?と、少し疑問に思います。それは、韓国人がそもそも本来はネガティブな意味の「民主主義」という言葉を正しく理解しているのだろうかという疑問があるからで、もう少し詳しく説明した方がいいのではないかとも思うのですが、読者の理解度については、ブログ主は日本人なので分かりません。

とにかく、「現在は『亡国の危機』である」ことを呼びかけていることは伝わると思います。

ここで読者はある種の「使命感」を抱くでしょう。

 

エピローグについてはもう少し書きたいこともあるのですが、取り敢えずはこの本の「構成」に注目して感想のようなものを書いてみました。

最後に、エピローグに書いてある「種族主義」の定義を書いておきます。

 

「個人は全体に没我的に包摂され、
集団の目標と指導者を没個性的に受容する」

 

この本で読者は『“反日”種族主義』を克服したとしても、今後、韓国社会に蔓延る様々な「種族主義」と対峙しなくてはならないでしょう。

従って、エピローグはプロローグでもあるのです。

 

続きはこちら

 

  


 

 

 

 

2019/11/18

【書籍】『朝鮮通信使の真実』(石平著)/現代韓国に通じる『侮日・反日』と『精神的勝利法』

公開:2019-11-18 09:06:10  最終更新:2019/11/20 10:31

2017年10月に「朝鮮通信使」に関する資料が『世界の記憶』(Memory of the World)に登録されました。(記事後述)

念のために書いておきますが、『世界の記憶』であって、どこにも「遺産」という言葉は入っていません。これは資料の保護とアクセスしやすさを目的にするもので、その資料が本当に歴史的価値があるのか、あるいは真実なのかということは、これを決定する委員会は単に文書管理の専門家なので判定できません。2015年に中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録されたことがいい例です。おまけに、「南京大虐殺文書」は公開すらされておらず、アクセシビリティ(accessibility)も担保されていないのです。

いい加減、ユネスコなどに権威を求めるのはやめたらいいと思いますが、「資料の保護」という意味では登録することは無駄ではないのでしょう。

 

さて、ブログ主は、このニュースで久しぶりに「朝鮮通信使」という「歴史用語」があったことを思い出しましたが、それ以来忘れていました。それを再び石平氏の新刊のタイトルで思い出したのです。

それは、『朝鮮通信使の真実 江戸から現代まで続く侮日・反日の原点』 (WAC BUNKO 313/2019/11/4) というタイトルで、副題からも分かるように、日本に来朝した朝鮮通信使達が、大阪や京都、江戸などを旅して、その繁栄と壮麗さに驚きながらも、散々悪態をついている屈折した心境にスポットを当てて書いたものです。

「水車」を見て驚いたり、宿舎で「蚊帳」を見て驚いたり、前述のように繁栄した大都市を見て感嘆しながらも、日本の自然や日本人を侮辱する言葉を日記に書き付けているという事が、著者は、現代まで続く「侮日・反日」の原点と見なしています。

新書版のボリュームなので、朝鮮通信使の全容を掴むことはできませんが、このような切り口は著者ならではで、面白い視点だと思います。

 

著者は日記での「憂さ晴らし」を魯迅の『阿Q正伝』に見られる『精神的勝利』の手法だと考察しています。

『阿Q正伝』における『精神的勝利法』については著書の中でも説明されていますが、ここではブリタニカ国際百科事典の説明などを元にご紹介します。

この本は1921~22年に発表された魯迅の小説で、日雇い農民阿Qは辛亥革命(※)に憧れるが、最後は強盗犯として革命軍に銃殺されます。彼は愚かで力も無いのに自尊心だけは強く、例えば、相手が弱そうだと思うと喧嘩をふっかけますが、たいていは負けます。しかし、「負けてやったのだ」と考えて優越感に浸り、その優越感が崩れると「自分で自分を軽蔑できた」と大人物になったと思い込みます。『精神的勝利法』、『面従腹背』、卑屈と傲慢の二面性など、封建社会の奴隷の典型的人物で、当時の国民性を鋭くえぐった本です。
※辛亥革命:1911年辛亥の歳に武昌に挙兵し、清朝を倒した中国の民主主義革命。12年1月孫文が臨時大総統に就任して共和制を宣言、中華民国が誕生。

 

では何故、李氏朝鮮における高位高官である使節団が阿Qのような奴隷根性に満ちているかと言えば、彼等は、日本に『朝貢』にやってきたからです。将軍にお目見えするときは「四拝半」と呼ばれる屈辱的な儀式を行わなくてはならず、自尊心が傷つけられました。

朝鮮では空理空論を唱えて生産性のない両班か下層の奴婢の社会に分かれていたので(ごく一部、医者などは中間層)、職人のような技術職は蔑まれていたため、中産階級のような精神はなかったのではないかと思います。支配者として搾取する側か、搾取される側かの2種類の人間によって構成されていたためです。

一方、日本には武士や農民以外には町人層がおり、豊かな町人文化を育んでいました。

 

『朝貢』と書きましたが、これは朝鮮(韓国)ではまた別の見方がなされているようで、例の如く、「高度な文化を伝えてやる」為に日本に行ったと説明されているようですが、その儀礼(四拝半礼)や、家康が祀られている東照宮へ参拝させられたりする事からも分かるように、明らかに朝貢であろうと著者は言います。そこでまた悔し紛れに東照宮をけなすのです。

実際に、朝鮮からは200年間に渡り、将軍代替わりごと12回来朝しているものの、日本からは1609年に国交回復を祝うため、日本から300余人の使節団を送っている他は一度も使節団のようなものは派遣されていません。

朝鮮通信使の人数は少ないときで300、多いときには500名にも及び、これを大阪から東海道を、案内役などを含めた3千人もの人数を道中させ、ある意味見世物にするのですから、江戸幕府の威光を知らしめるのに格好のものだったでしょう。これと同様なことは琉球に対しても命じていました。

 

画像は朝鮮通信使とは関係ありませんが、沖縄県那覇市の城間幹子市長が2017年に中国・福州市の名誉市民を贈られたときの使節団だそうです。朝鮮通信使の絵図はネットで見られますが、似たようなもので、見世物そのものです。

 

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ここでふと、大学受験に使った参考書を見てみました。『要点整理 日本史』(第3刷:昭和54年(1979年)2月1日)です。

すると、面白いことに気付きました。

 

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「来朝」という言葉は、単に「来日」の意味もありますが、「外国・属国の使者などが朝廷へ来て礼物を献上すること。」(デジタル大辞泉)という意味もあります。そこで、同参考書の他のページを見てみると、例えば、フランシスコ・ザビエルは「来日」、ペリーなら「来航」のように書き分けています。

朝鮮通信使が世界の記憶に登録された頃に、「友好使節」と、対等な立場であるかのような表現で、現在はそのように認識されている様ですが、この参考書が書かれた当時、歴史界、少なくともこの本の著者は「来朝」という言葉をわざわざ使っていたのです。

同時期にブログ主が使っていた山川出版の『日本史用語集』でも「朝鮮通信使④():朝鮮の慶賀使節。1605年に日朝和議なり、07年に来朝。以後将軍代替わりごとに来朝。12回に及ぶ。」と書かれています。

 

※ ④というのは、当時13種類の歴史教科書の内、4社の教科書に記載されているという意味で、ブログ主の記憶では「あまり重要度は高くないが、レベルの高い試験には出るかも知れないので要注意」という歴史用語です。ちなみに、上の画像にもある、明と行っていた『出会貿易』は⑤です。

 

ああ、この頃から朝鮮人はこうだったのだ、と納得できる楽しい本です。

 

上に、現代の韓国では「朝鮮通信使は高度な文化を伝えてやるために派遣された」という認識だと書きましたが、通信使もそのつもりで来日したのかも知れません。しかし、日本の方が遙かに進んだ技術があることを目の当たりにしました。それを阿Qばりの『精神的勝利法』で精神の平衡を保つところなど、現代韓国人と少しも変わりません。

 

朝鮮通信使の目的としては、ブログ主の個人的見解では、秀吉の朝鮮出兵で互いに抱いた猜疑心を払拭するため、双方とも「下心はない」ことを確認し合うことが大きかったのではないかと思います。それは、第8回(1711年)の接伴役となった新井白石が「一方的に敵情視察されている」と警戒しており、和睦から100年経っても決して気を許してはいないからです。この辺りは現代のお花畑の政治家とは異なります。

 

* * * *

 

以下、『日韓2000年の真実』(名越 二荒之助著)という本から少し補足します。

この本の著者(編者)は日韓の歴史教科書のすりあわせを行う協議会に参加され、第1回の日韓(韓日)教育文化協議会では「和して同ぜず」の精神で、韓国側の「挺身隊と慰安婦を同一視」する発言を訂正したりしています。比較的韓国に対しては優しい立場で書かれた本ですが、この本の良さは「歴史秘話」が豊富なことです。

 

石平氏の著書にも書いてありますが、そもそも日朝和議は対馬の宗氏(うじ)が望んだことで、そのために、「国書偽造事件」も起こしています。

公正を期すために書くと、対馬と朝鮮の関係は対馬が朝貢する立場でした。(このことから、韓国では「対馬は韓国の領土」などという歴史の捏造がなされるのでしょう。

 

朝貢は確かに屈辱的なのですが、実際は朝貢する側の方が見返りが多いのです。それは、琉球を独立国のように偽装してまで薩摩藩がシナとの貿易を行わせ続けたことからも分かると思います。

では、対馬はどのように貿易を行ったかというと、1609年に釜山に造られた10万坪の敷地を持つ「草梁倭館」(領事館のようなもの)で行われました。朝鮮通信使によって日本が書物などを入手したことは日本側のメリットではあったでしょうが、実際は、釜山でも様々な書物を手に入れることができました。

領事館から1.5里より外に出ることは禁止されていたにも関わらず、朝鮮で出版されている書物は悉く持ち帰り、それ(漢文)に送り仮名や返り点をつけた本を日本で出版、多くの人が研究したそうです。これを書いているのは金聲翰氏という、日本統治下の韓国で生まれ東京帝大で学んだ韓国人作家で、日韓の「学習熱」を比較した文章の中で紹介されています。

一方の朝鮮通信使は日本から書物を持ち帰ることはしませんでした。漢学では自分達の方が上だと無視したとしても、それ以外の事にもさほど関心を持たなかったそうです。

金氏も石平氏と同様、朝鮮通信使は日本の都市や商工業には興味がなく、彼等の関心事と言えば、日本人の言行が朱子学の礼法に適っているかしか興味が無かったと書いています。唯一の例外は農業に興味を持ち、対馬からサツマイモを持ち帰ったそうです。(『日本の中の朝鮮紀行』)

金氏は「(礼法に適っていないと見ると、)自分達と直接関係が無ければ笑い、関係があるものは無理強いしてでも正さずにはすまなかった」と、石平氏と同様のことを書いています。

 

前述のように、朝鮮通信使の接待は、第8回(1711年)の接伴役となった新井白石の意見によって改革されます。

毎回、宿泊費や接待費、土産物に百万両の経費がかかったそうで、一方、朝鮮側の経費は30万両程度だったそうです。

 

白石曰く、「第一にお金がかかりすぎること、朝鮮が通信使を送ってくるのは武力では適わないから文章の上手いものを送ってきて恥を雪(そそ)ぐ狙いがある。日本の使節は漢城には行けないので一方的に敵情視察をされる。また、朝鮮は信義に薄い国だ。秀吉が出兵したときは明に助けて貰いながら、明が清に攻められたときには援軍を一兵も送らなかったではないか。」(

 

※これは『国書復号記事』に書かれているようです。こちらのブログ記事より該当部分を引用させて頂きます。

夫朝鮮 狡黠多詐 利之所在 不顧信義 蓋穢貊之俗 天性固然
(現代語訳)朝鮮人というのは狡くて人を騙す、利があれば信義など顧り見ない人々である。 しょせん「穢貊-わいばく」な野蛮人だ、こうした性格はうまれ持った天性である。

 

彼は将軍と朝鮮の三使節が面接をするときに将軍の座を一段高くしたり、接待の食事の質を制限したりしました。

これに反対したのが、対馬藩の外交を担当していた雨森芳洲(1668~1755)で、この人物は石平氏の著書にも登場しますが、誠意を持って朝鮮通信使をもてなしたにも関わらず、石平氏の言葉を借りれば「ヘイト」されています。

雨森芳洲は新井白石に反論して、

「朝鮮人は詐(いつわ)りが多いと言うが(ブログ主「多いぞ。」)、詐りが多くてどうして国が成り立ってゆこうか。(「それが成り立ってるんだよなあ。」)外国との交際は『誠心』を持って接することである。」と言っています。

 

現代と同じような議論を18世紀にもしていたわけですね。

但し、この二人の激論の中心は将軍(征夷大将軍)の称号をどうするか、という問題です。

それまでは「大君」(これは英語にもなり、「tycoon」となりました。※)だったのですが、この言葉は朝鮮では次期国王(=皇太子=世子)以外の王子の呼称だったので、「日本国王」と呼ぶべきだというのが白石の意見で、これに芳洲が反発して議論になったのだそうです。

 

※ ty・coon / taIkúːn / (変化形の発音 tycoons )
【日本】
[名] [C]
①(実業界・政界の)大物, 実力者, ボス
▷ a business [media, newspaper, property] tycoon
実業界の大物[メディア王, 新聞王, 不動産王].
②[or T~] 大君, 将軍《徳川将軍に対する外国人の呼称》.

ジーニアス英和辞典 第5版 (C) Taishukan, 2014-2015
 

 


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22913440R31C17A0MM0000/
「朝鮮通信使」「上野三碑」が世界記憶遺産に
2017/10/31 10:07

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は31日(日本時間)、歴史的価値の高い文書などを対象にした「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、江戸時代の朝鮮王朝が派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めたと発表した。群馬県高崎市の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」も登録が決まった。

審査を行った国際諮問委員会(IAC)の勧告を受け、ボコバ事務局長が78件の登録を承認した。「世界の記憶」の日本国内登録は計7件となった。

国内ユネスコ委員会が推薦した第2次世界大戦中にユダヤ人を救った岐阜県出身の外交官、杉原千畝の資料「杉原リスト」は登録されなかった。

朝鮮通信使は朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。対馬(長崎県)や江戸を経て、徳川家康が祭られる日光東照宮(栃木県)まで、一行が通った地域に外交文書や行列の様子を記した絵などが残っており、日韓の関係自治体や民間団体が共同で計333点の登録を申請していた。


また上野三碑は飛鳥、奈良時代(7、8世紀)に現在の群馬県高崎市に建てられ、国の特別史跡に指定されている山上碑、多胡碑、金井沢碑の総称。681年建立の山上碑は完全な形で残る石碑としては国内最古とされる。いずれも漢字で刻まれ、東アジアの文化交流を示す遺産として同市などが申請した。

記憶遺産を巡っては前回審査の2015年、中国の「南京大虐殺」関連資料が登録されたことに日本政府が反発。制度の改善を求めてユネスコ分担金の支出を一時凍結した。ユネスコは次回の19年審査から、事実関係や歴史認識で見解の相違がある案件は、関係国からの意見聴取の手続きを導入するなど、審査の見直しを決めている。

 

 

  


 

 

 

 

2019/09/20

【書籍/儒教文化】『醜い韓国人』(朴 泰赫著)/なぜ、韓国人は頭を丸めて抗議する?

BBC JAPANに興味深い記事(英文記事を翻訳したもの)を見つけました。このところブログ主が興味を持っている「儒教」にも関係しています。

 

韓国では文在寅大統領や彼が法相に任命した曺国氏に対して連日デモや抗議集会が行われ、昨日(19日)は全国の大学教授が各地で抗議集会を開きました。数日前から準備した曺国氏法相任命に反対する署名は3396筆を集めたそうです。(2019.09.20付朝鮮日報:「祖国アウト」強まるキャンドル〔機械翻訳〕)

10月3日には大規模な反文在寅集会が予定されていますが、日本のマスメディアは曺国氏のスキャンダルを面白おかしく報道したり、反安倍集会は嬉々として報道するくせに、こうした国内の動きを正確に報道しないのはフェアではありません。実際に韓国政府や多くの韓国人が参加している不買運動や日本ヘイトの数々は日本人が怒っても当然ですが、同時に日本のメディアの意図も感じ取る必要があります。

 

ここから本題ですが、まず、BBCの記事をご紹介します。

 


https://www.bbc.com/japanese/49737325
韓国の法相任命に「丸刈り」抗議 でもなぜ頭を丸める?
2019年09月18日

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、多くの不正疑惑がかかる側近を法相に任命したことで、世論の不満が高まっている。頭を丸刈りにして抗議する人も現れたが、なぜ抗議する側が頭を丸めるのだろうか?

韓国の最大野党・自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表は16日、青瓦台(大統領府)前で開かれた抗議集会で、頭髪を丸刈りにした。

これは、曺国(チョ・グク)氏の法相任命をめぐり、政府への抗議の意を示したものだ。曺氏は文氏の側近で、娘の大学院入学や家族の資金運用で不正があった疑いをかけられている。

 

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(中略)

儒教にルーツか

黄代表の「丸刈り抗議」は注目を集め、ソーシャルメディアで話題になった。韓国で最もよく使われている検索サイトのネイバーでは、同氏の名前が検索語のベスト10に入った。

だが、なぜ丸刈りが抗議とつながるのか。

ひとことで言うと、それが「伝統」だからだ。韓国では抗議の意を示す方法として、頭を丸めることが長い習慣となっている

ルーツは儒教の教えにあるとされる。頭を刈ることで、目標に向かって打ち込む態度を示すと、歴史的に捉えられている

軍事政権時代の1960~1970年代には、頭髪を丸刈りにして、反政権の姿勢を示す人が少なくなかった。

また、過去数十年の間にも、活動家や政治家たちは、抗議行動として丸刈りを使ってきた。

2018年には、トイレや更衣室に隠しカメラが置かれる事件が相次いだことを受け、女性たちが頭を丸刈りにして抗議の行進をした。

その2年前には、米軍のミサイル防衛システムに反対する市民900人以上が、頭髪をそり上げた。

東部の利川(イチョン)市では2007年、新工場の建設地をめぐって議論が沸き起こるなか、何百人もの市民たちが丸刈りにした。

今回、大統領府前で丸刈りにした黄代表は、英俳優ギャリー・オールドマンにそっくりになったとソーシャルメディアで評判になり、キムチ・オールドマンというあだ名がついた。

 

日本でも決意の表れとして頭を丸めるということはありますが、大抵は過去の自分と決別するというような、自分自身に対する決意表明が多いかと思います。

それ以外は、罰ゲーム。時代劇などで、果たし合いで勝った相手の髷を切り落として辱めるというシーンがあります。(仲代達矢主演の『切腹』では復讐として敵の髷を切り落としています。) 

調べたら、江戸時代の刑罰の一つとして、姦通などをした女性の髪を剃り落とし、親元に返すというものがあったそうです。(デジタル大辞泉) 現代では、賭けをして、例えば「巨人が優勝できなければ頭を丸める」などと宣言する程度ですが。

上の記事に書かれたような抗議行動は日本人の目には異質に映ります。

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記事では「頭を刈ることで、目標に向かって打ち込む態度を示す」儒教文化があると説明されていますが、最近ブログ主がよく引用している『醜い韓国人―われわれは「日帝支配」を叫びすぎる』(朴 泰赫著/1993年)に興味深いことが書いてありました。

本のレビューも兼ねて、ご紹介したいと思います。

 

『醜い韓国人―われわれは「日帝支配」を叫びすぎる』

この本の著者、朴 泰赫(パク・テヒョク)氏は1928年に現在の大韓民国京畿道(キョンキドウ)生まれだそうで、元号で言うと昭和3年生まれです。ソウル大学を中退して新聞記者を経て、一時は韓国有力紙の東京特派員をしていたこともあったとプロフィールに書いてあります。

世代毎の年の差を20年と仮定すると、朴氏の親は1908年(明治41年)頃、祖父母の代は1888年(明治21年)頃に生まれたことになり、日韓併合は1910年ですから、併合前後の変化も家族から聞くことができ、また、自身も日本統治時代を経験しているので、この本で紹介されるエピソードはリアルな体験談が多く、また、新聞記者をされていたので、取材を通じて、あるいは同僚から聞いた話として紹介される小さなエピソードは学者が書く本とは目の付け所がひと味違っていて、大変興味深く読みました。

 

例えば、「大統領選挙」は韓国では(少なくとも本が書かれた当時)、「大権選挙」という言葉が使われ、大権とは「皇帝の統治権」を表す言葉だそうです。よく、「大統領候補の『指名』を受ける」と言いますが、韓国では「推戴」という「押し戴く」という意味の、まるで皇帝にでも使うような言葉なのだそうです。

金泳三大統領(在任期間:1993~98)が当選すると、「閣下」と呼ばれ、盧泰愚(1988~93)が止めていた「検食官」、つまり「毒味役」を復活させたとのこと。

当時、日本駐在の韓国人記者は日本の政府高官が自分でバスや地下鉄で移動するのに驚いたそうです。

呉善花さんの本を読んでも感じたのですが、精神はいまだに「李氏朝鮮」であり、「儒教」に縛られていると考えると、怒りも収まり...ませんが、行動原理が少しずつ理解できてきました。

この本を読むと、著者の子ども時代、李氏朝鮮時代の因習が残っている地方の村の様子もよく分かります。

よく知られている「両班」(リャンパン)=科挙に合格した官僚(貴族)は朝鮮社会のトップに位置し、両班の下に「中人」(チュンイン:医者や通訳などの技能官吏)、「常人」(サンミン:主に農民)。ここまでが「良民」と呼ばれ、その下には「奴婢」(ノビ)である「賎民」により社会が構成されていました。そしてこれが基本的に代々固定化しているのです。(あの世に行っても両班は両班)

韓国人にキリスト教徒が多いのもそのせいかもしれませんね。(とは言え、呉善花さんによると、かなり韓国化したもので、現世利益を求めるようですが。)

 

日本統治時代になり、階級は廃止されましたが、現実の世界では差別は残っていました。著者の家は「中人」の身分だったそうですが、その村では「両班」3割、「中人」4割、「常人」3割で、「常人」は蔑視されていたそうです。

 

 

さて、問題の「髪」にまつわる話ですが、日本でも文明開化の象徴として、1871年(明治4年)に「散髪脱刀令」がありましたが、朝鮮では1895年(明治28年)に断髪令が出されます。

これが、いかに朝鮮人の怒りを買ったかは、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』に1章を割いて詳しく書かれています。

  

 

 


『朝鮮紀行』第31章 「まげ」/朝鮮版ヒジュラ より

  • (断髪令に)これが全土を炎と燃えさせた! 憎き日本人が優位を誇ろうとも、あるいは王妃(ブログ主註:閔妃/1895年10月8日暗殺)が暗殺されようとも、国王が幽閉同然の待遇を受けようともじっと耐えてきた朝鮮人が、髪型への攻撃にはどうにも耐えられなかったのである。...
  • 朝鮮人にとって「まげ」は朝鮮人たるしるしであり、大昔からの慣習であり(500年前からとも2000年前からともいわれる)、歴史のあるがゆえに神聖なものであり、たとえ実際にはまだ数歳の子供ではあっても、社会的法的に成人である証であり...

 

『醜い韓国人』によると、朝鮮では両班でも常人でも未婚の間は男は髪を腰の辺りまで垂らしていたそうです。『朝鮮紀行』によると、「まげ」(サンドゥ)を結う儀式は、どんなに貧乏でも無理をして行う重要な儀式でした。

儒教の影響で、「身体髪膚(身体と髪や皮膚、すなわち身体全部)これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝のはじめなり。」という教えがあるそうです。要するに「親から貰った身体を傷つけるようなことは『孝』に背く」という意味なのですが、それにしては、韓国の整形好きは一体... (外見や見た目の若さに拘る韓国人については『拓殖大学教授・呉善花氏「韓国人に衝撃、日本の女将さん文化」』が参考になるかも。)

 

『醜い韓国人』の著者が親から聞いた話では「日本人は男達の髪で織物にする」というデマを多くの人が信じていたそうですが、著者の母は父がサンドゥを切ったことに関し「日本人のお陰で父(夫)がさっぱりした髪型になったので、感謝している」と生涯、口癖のように言っていたそうです。

 

こうしたことを知って、ふと、日本ではどうだったのだろう?と考えます。

廃刀は武士にとって抵抗はあったようですが、韓国人同様に髷を結っていたのですから。「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という狂歌があったくらいなので、多少の抵抗はあったとしても、やってみたら「意外と良くね?」となったとも思えますが...。

 

こうしたことは、日本人から見れば下らないことですが、それほど李氏朝鮮時代の習慣は朝鮮人に染みついていたと言うことは覚えておくべきかも知れません。現代の韓国人を見ると、非常に「プライド」に拘るのが分かりますが、日本統治時代の屈辱が、反日教育も相まって増幅されているように思えます。特に既得権益集団である両班は、その特権を奪った日本人に相当恨みを抱いていたのではないでしょうか。

 

* * * *

 

こうして見ていくと、同じように日本の統治を受けても「(不満もあったが)良いことは良い」と評価してくれる台湾人との違いも見えてきます。

朝鮮は曲がりなりにも李朝という長年続いた国であり、独自の文化もありましたが、清から割譲された台湾は、明の時代にその版図に入れられたとは言え、「化外(けがい)の地」として中央から束縛されていませんでした。

台湾は多くの少数民族が住み、一つの独立した国ではなく、オランダに勝手に城を作られたり、清の時代には鄭成功が逃げてきたり、常に外から来た人間に我が物顔で支配されていたので、日本に割譲されても「またか」という感じだったのかもしれません。(尤も、最初は抵抗しましたが。)日本が統治し始めた頃は、まだ「首狩り」の習慣を持った部族もいました。

呉善花さんは台湾と韓国の対日感情の違いを不思議に思って、ひととき、台湾人に理由を聞いて回ったそうです。台湾でも、戦後、国民党の支配下で「反日教育」が行われていましたが、学校でそのような教育を受けても、家に帰ると親からそれは違うよと教えられたと答えが返ってきたとのことでした。

終戦後の国民党による「白色テロ」(親日派や知識人の粛正。「共産党(=赤色)」ではないので「白色」)により、日本統治時代の良さが印象づけられたということもプラスに働いているでしょう。「犬(日本)が去って豚(中華民国)が来た」という言葉に良く表れています。

 

色々な本を読んで、韓国人の日本人に対する「恨み」は(理不尽だとは思いますが)多少は理解はできるようになりました。ただ、ブログ主が不思議なのは、対日本以外でも彼等が「非礼」な態度を平気で取ることです。

つい最近も、サッカーのU18かなにかの大会でトロフィーを侮辱して優勝を剥奪されたことがありましたが、特にスポーツの世界で見られるマナーの悪さはどこから来るのでしょうか?

八百長やラフプレー、バドミントンの試合での「謎の風」、いつかのオリンピックで、フェンシングの女子選手が判定に不服で何時間も会場に居座ったこともありました。

少しずつ、歴史を直視し、日韓関係を両校に保ちたいと考える人達が増えていますが、全体としては、正直言って、永久に分かり合えない国だと思います。

 

追記しますが、『醜い韓国人』の第6章の「日韓関係史」は、さすが元新聞記者らしく、短いながらも非常に分かりやすいものでした。

 

 

  


 

 

 

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