【ベ・ミン博士】韓国『国史』教科書「近代史」の問題点(2)
前回のエントリーの続きです。
3.「近代国家樹立のための努力」
この部分は日清戦争から大韓帝国樹立時期までの部分だ。 旧韓末で最も悲しく情けない感じを与える部分がこの時期だが、すでにクリティカルタイム(開港から日清戦争まで)を虚ろに送った朝鮮が、遅ればせながらそれも「時代遅れのロシア式専制政治」に新たに跳躍しようとする誤った方向の改革を示す最も代表的な例であるためだ。 発題者〔※講演者=金容三記者〕も指摘したように、特に日本へのコメ輸出と関連した教科書の叙述内容は、経済史を意図的に歪曲させて叙述する印象を強く漂わせる。 また、東学農民運動もやはり発題者の見解のように実際より理想化され過剰意味付与された代表的な部分だと考えられる。
4.「日本の侵略拡大と国権守護運動」
この部分は大韓帝国樹立以後から韓日併合時期までだ。 事実上、日露戦争での日本の勝利により、韓国の状況はほぼ以前まで競争関係だったすべての緊張関係が解消され、日本が韓国で、発題者が表現したとおり「優越な利益」を安定的に確保する状況になった。 それまでのすべての改革のための機会を無駄にして、今になって朝鮮が取れる選択の余地は極めて制限的になったが、現行の韓国史教科書はこのような状況をありのままに見せるよりは、発題者が指摘した通り「偽ニュース」を根拠に当時の状況を持続的に隠蔽している。 いつまで学生たちがそのような、事実とかけ離れた歴史的認識を土台にした、乙巳条約、韓日併合条約の無効に執着する歴史認識を持続していくよう放置するのか。
その後続く義兵関連教科書の叙述もファクトに記述した叙述というより、東学農民運動や韓日併合条約に関する叙述のように偶像化、英雄化、理想化などの過剰な意味付与で点綴〔※〕された内容になっている。 「日本は強者であり、悪い国であり、朝鮮は弱くて善良な国」という図式的な二分法で、韓国史教科書の叙述は歴史叙述というより自己憐憫の小説に近い内容になってしまう。
※点綴(てんてい)とは「点を打ったように,物がほどよく散らばること。また,散らばっている物をほどよく綴り合わせること」で、この言葉自体はポジティブな意味のようですが、ブログ主はこれを読んで、最近読んだ『愛されない共和国』(ブライアン・マイヤーズ著)に書かれていた、”韓国人が書いた歴史書は時系列を無視する”、”歴史を流れでは無く、物語の集まりとして捉える” (←意訳)という事を思い出しました。
以下は ”総括” に当たるのでしょうが、ここでも「不平等条約」に関する見解を述べてらっしゃいます。これを読むと、清による扱いがあまりにも酷かったので、”多少不利な条約だったが、清に比べたら日本は天使” みたいな話なのではないかと思い始めました。
経済史の部分で発題者がよく指摘しているように、最も不平等条約は、清と結んだ条約だったことは明白な事実だ。 旧韓末の叙述は、この点だけを見ても明白に反日親中の偏った見方を基にしていることを示している。 さらに、朝鮮および大韓帝国政府の無能な経済および外交政策に対する内容は、清に対する内容よりも徹底的に隠蔽している。 朝鮮は弱く、善良な国という図式は、これでぎりぎりに維持されていく姿が、旧韓末の叙述の本質といえる。
発題者がまとめた「現行高校の韓国史教科書の問題点」の部分は、今後現在の教科書をどのように修正していくべきかをよく示している。 発題者が指摘した部分のうち、歴史的事実自体を誤って記述している、すなわち歴史記述における誤りの内容は早急に修正されなければならないだろう。 また、反日親中の偏った叙述の様態は、よりこれに対する批判を十分に公論化させる必要もあると考える。
しかし、最も本質的な問題は、発題者が最後に指摘した「朝鮮の滅亡について語らない」韓国史教科書の姿だ。 この件に関しては,私は発表者よりも個人的に最も苛立っている人物の1人だ。 なぜなら、この部分が曖昧に叙述されているため、日帝時代の韓国史叙述で韓国人が日帝によって収奪された歴史という敍事が堅固に機能するためだ。
甚だしくは愛国、反共などを叫ぶ自称右派市民の多くも、日帝時代に対する根本的な錯覚と幻想に陥っていることを見ることになる。 朝鮮社会の中で両班集団と政府官吏たちによって受けた真の搾取に対しては知らぬ存ぜぬで一貫する叙述のせいで、彼らは善良な韓国人たちが悪い日本人たちによっていじめられたという単純認識に捕らわれている。 日帝の支配政策は事実上、搾取というよりは同化がその本質だった。 むしろ真の搾取と収奪の関係は、日帝時代の韓国人と日本人の関係だったというよりは、それ以前の19世紀朝鮮社会の中の両班と農民の関係だったと見るのが事実に近い。
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