【戦後の密航者】(2)『無窮花と桜 韓日関係の諸問題』(1968)より
1967年5月19日~21日にかけて日本で開催された「韓日キリスト者平和セミナー」の記録です。日韓基本条約が1965年に締結された2年後で、韓国からも10名(ほとんどは牧師)を招いて日韓間の諸問題について意見交換をする趣旨の集まりのようです。
ここでご紹介するのは、「入国者の問題について」と題された市村彰氏の講演で、この方は1951年頃から密入国者の問題に関与し、1961年からは入国審査官(特別審理官)として現在(=講演当時)まで働いていらっしゃるそうで、以下、入管業務を中心にポイントとなる部分のみ要約・引用してご紹介します。
結論から言うと、終戦以前に日本に住んでいた人は勿論、家族が引き続き住んでいて生活の基盤がある様な人達は、犯罪歴が無い限り、その情状を酌量されて在留許可を得た方が多い様です。
例えば、金正恩の母親(高容姫)は大阪鶴橋で生まれた在日朝鮮人2世で、父の高京澤の様な家族が日本にいる人は通常ならば在留許可が下りそうですが、密貿易を繰り返して拘束された為、入管法違反で強制国外退去処分を受けました。
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p.49(28コマ目~) ※青字部分が引用
◆所謂「協定永住」とは
韓国と日本の協定によって日本に永住の申請ができる人は、昭和二〇年(一九四五年)八月十五日以前から引続いて在留している者、及びその子され、この時の登録を第一回として、その後現在までにであることが第一の条件となっている。〔外国人には昭和二十二年(一九四七年)五月二日外国人登録令が施行八回の切替交付が行なわれている〕
◆当時の入国管理事務所とは
法務省入国管理局に属する地方機関で、札幌、仙台、東京、羽田、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島、高松、下関、福岡及び鹿児島にあり、そのほか退去強制令書を出された外国人を送還のため収容する入国者収容所が、大村(韓国・中国人)と横浜(その他の外国人)にあり、この収容所からそれぞれの国へ送還することになるわけである。各入国管理事務所には、さらに全国にある七七〇の出入国港に出張所が設けられている。これが入管の現状である。
◆朝鮮半島からの密航者の推計
戦前二〇〇万人に達していた朝鮮・韓国人は、戦争終結の一九四五年八月末より同年十二月末までに、約一五〇万人が引揚げ帰国し、日本に残留した者の数は概ね五〇万人と言われておるのである。本年一月の登録上の韓国・朝鮮人は五十八万六千人で、一口に六〇万と言われている。その間、昭和三十四年(一九五九年)以降、新潟港から北朝鮮へ引揚げた者の数が、約九万人に達している。現数五十八万人のなかには、密入国して入管の手続きを経て在留を許可された者が、相当数含まれている。それに出生等の自然増などを考えても、約十万人以上の密航者があったと推測されている。
と、市村氏は1967年時点で10万人以上の密航者がいると推測されているが、前回のエントリーでご紹介した『朝鮮日報』の記事〔1947(昭和22年)~51年(昭和26年)の5年間で46,489名の逮捕者〕... 元ネタは『読売新聞』の様だが... と比較すると、朝鮮日報の挙げた数字は日本全国の検挙者数の様である。
日本の警察や海上保安庁、それに入管等による検挙又は自首等の数字は、到底一〇万人に達しない。なぜならば、終戦直後の日本の警察力は微弱で、海上保安庁も昭和二十三年に設立されたものであり、それらの検挙数は、
昭和二十一年 一万八千人
昭和二十二年 六千人
昭和二十三年から二十五年までが毎年八千人、これらの計は約四万八千人で、これは密航全体の一部にすぎないからである。昭和二十六年以後の検挙数は、概ね毎年三千人以下である...
... 密航者の最も多かったのは、先にも言いましたが、 昭和二十年代、遅くも昭和三十五年頃までの間のことであって(勿論現在でもあるが)、それまでに密航者の大部分が渡航しているからである。一九六〇年には、韓国にも密航者を取締まる法律〔※〕が出来て、不法に国外に渡航する者の監視を厳しくしており、その結果、その後の密航者検挙数はずっと減少し、年間一五〇〇人位に止まっている。
※1963年3月5日「外国人の入国·出国と登録に関する法律」を廃止し「出入国管理法」を制定〔行政安全部 国家記録院サイトより〕
しかしながら、これで密航者の問題が解決されたというわけではない。先程申した多くの潜在密航者は、一体どうしているか。ある者は戦前から引続き在留しているように装うている者もかなりおる。また自分の本名でない他人名儀の外人登録を持ったり、外人登録を持たぬままで陰の生活をしている者など、多様に想像されるわけで、私個人としても、数人について心にかけているが全く分らぬのである。
◆密航者はどういった人達なのか
別の資料を読むと、学生の徴兵忌避もあった様だが、やはり、生活のため、祖国の生活が期待外れだったからの様である。
特に目立つものに、こういう人達がある。終戦になって、特に帰国を急いだのは、老人や婦女子のようであった。それで、一家の主人は家財整理等のためにそのまま残留し、これらの男性はその後殆んど帰国しなかった者が多くあった。その理由は、家財整理がむずかしかった事も一つの原因であろうが、一面本国の状況が予想を超えてよくない。これでは帰国しても生活できない。こういうことで、日本に居残ってしまったのが実情である。その結果、先に帰国した妻子が生活に困り、夫や父を頼らざるを得なくなって、当時として密航以外に日本への渡航方法は一般には閉ざされていたため、危険を冒し、また多くの密航料を負担し、苦難を越えてこの手段によった。こういう事情の婦女子の密航者は、決してすくない数ではなかったのである。
◆強制退去か残留許可か
入国警備官によって不法入国が間違いないと判断されても、もう一度、入国審査官に委ねられるが、被疑者は法務大臣に対して異議を申し立てる事も出来る。しかし、最終的には法理の問題では無く、情状調査により、8割が在留を許可された模様。
ところで、検挙された密航者に対して行なわれる出入国管理令による退去強制手続きについて、簡単に説明をすると、警察などの関係機関から通報を受けたり、入管に自首して来た密航容疑者に対して、先ず違反事実の調査が行なわれる。つまり、正規入国許可の手続きを経由しない不法入国者であることを明確にしなければならないのである。これは入国警備官によって行なわれる。その結果、不法入国の事実が間違いないと認められると、収容令書によって収容され、事件は入国審査官に引渡される。丁度裁判所の手続きと似ており、そこで第一審に該当する違反審査が行なわれ、不法入国事実が誤りがない場合、判決と等しい処分である認定が行なわれる。これは退去を意味するもので、これに従った場合退去強制令書が出される。即ち送還されるのである。
しかし容疑者には、特別審理官に対して口頭審理の請求をすることができ、もう一度詳しく審理を受けることが出来る(第二審に等しい)。口頭審理は、違反審査の認定に誤審があるか否かについて、審理をするのが目的で、その結果、判定という処分がなされる。これに従うと審査時と同じ退去になる。以上が地方入管事務所で行なわれる手続きであるが、さらにもし判定に不服であれば、法務大臣に対して異議の申出をする方法が残されている。...
... 異議の申出は、出入国管理令第四十九条によって行なわれ、異議の申出に理由があるかどうかを決定するもので、裁決という。... 法務大臣の裁決には、出入国管理令第五〇条に「特別に在留すべき事情があると認めた場合」というのがある。... 韓国人(登録上は国籍朝鮮となっているままの者が多い)の異議の申出であるが、法律適用に誤りがあるというような法理論的なものはごくまれで、家族事情等から送還されては困るから、特に人道的に在留を許して下さい、という嘆願の申出がその殆んど全てを占めているのが実情である。この事実からしても、密航者処理は最早法理論ではない。...
現行犯で捕えられた者に対する入管の処理は、比較的厳格なものがあったと思われるが、一方潜在密航者で自首したような場合には、情状調査も徹底して行なわれ、 かなり人道的に取扱われたと言えると思う。
統計的にも、取扱総数の八〇%以上が在留を許可されている。それぞれの経歴、家族事情、職業、資産関係などの情状にもとづいて、人道的な裁決が行なわれたからである。
◆異議を申し立てて在留を許可されるケース
担当の入国審査官の「意見」が物を言った様である。
これら許可された者は、どういう人かと言うと、第一に日本に夫(父)のおる老幼婦女子で、次いで昭和二十七年(一九五二年)以前に密航した者、特に戦前日本におって、戦争末期疎開などで帰った者、あるいは、正しい職業に従事し、犯罪経歴がなく(あっても軽微)父母兄弟等近親者が日本に住んでおり、その者の生活本拠が日本に強いと思われる者、それに離散家族と思われる者などが、多く在留を許されておるのである。
... 私は昭和二十六年(一九五一年)頃から、密航者問題に関与して来ているが、特に昭和三十六年以降は、入国審査官(特別審理官)として、毎年百件以上の事件の処理に当って来ている。審査、口頭審理がすんで異議申出を行なった者については、事件の記録を整備し、別に事件概要書というものを作成して、事件を法務大臣に進達するのであるが、その際に、事件についての各段階の調査担当官が、在留を許可するか退去させるべきかの意見を記載する。私は私の意見を記載するのであるが、これにはキリスト者としての考えが打出されていたことは言うまでもない。言うなれば、密航者の立場と私自身の立場とを、入れ替えて考えさせられたことである。... 私の処理したものにあっては、特別なものを除いて、不許可という意見は出なかった。それで再三、私の意見は甘すぎると言う注意をうけたのである...
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ここで整理すると、在日コリアンとは、①終戦以前から日本(内地)に住んでいた者、②戦後に密航して来たが、検挙されても在留を許された者、③潜在的密入国者の3種類の在日朝鮮人がいて、①②は良いとしても、③が問題となる。
しかし、その後も日本で生活をするためには、どこかで ”自首” して外国人登録をしたはず... 即ち、自然増ではない在日コリアンの人口増加があったはずで、その動機となるのは1980年代に国民年金に加入できる様になった辺りではないかと想像するが、『民団』が公表している「年度別人口推移」表では、国籍離脱者(帰化者)もいるせいか、傾向はつかめない。〔人口推移表〕
cf. 朴斗鎮(パク・トゥジン)著『朝鮮総連』
在日朝鮮人の権利獲得運動は、日本が一九七九年に「国際人権規約」を批准し、八一年一月三日に「難民条約」に加入したこともあって、八〇年代には大きく前進した。八〇年からは公営、公社、公団住宅へ入居する権利が得られ、八二年には「国民年金」や「児童手当」なども適用されるようになった。もともと在日朝鮮人が目指していた運動は、こうした諸権利の獲得をめざす運動であったといえる。























































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