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【歴史戦】領土問題(竹島・日本海・対馬)

韓国(2019年以降の記事)

2025/08/24

【世界地図】日本海を「朝鮮海」、日本を「大日本」、太平洋を「大日本海」と表記した地図について

「X」で、韓国人(?)が「東海を『朝鮮海』と表記している日本地図」として下の画像を提示していました。

 

20250824_worldmap01

 

日本海を「朝鮮海」、日本を「大日本」、太平洋を「大日本海」と表記した不思議な地図で、「江戸」は東北にあるし、... ブログ主は、最初、捏造だろうと思ったのですが... 。

 

* * * *

この地図の説明は後回しにして、実は、日本では江戸時代の一時期、そのような表記の地図が作られていました。〔下図〕

 

20250824_worldmap02

 

上の画像は、江戸時代の天文学者である高橋景保(たかはし かげやす)の『新訂万国全図』(文化17年:1820年頃)の地図で、全体像は「国立公文書館」のサイトで閲覧できます。

高橋景保... シーボルト事件(1828年)で死罪になった人物です。

彼の時代、世界地図を日本語化する過渡期でした。

影響を与えたのは、イタリア人のマテオ・リッチという、明国で布教をしていたイエズス会宣教師の地図で、この時代の... 例えば「太平洋」は「寧海」・「静海」などと呼ばれており、どちらも穏やかな海という意味で、後に「”太平” 洋」に落ち着きますが、世界地図の海などの呼称が定まらない時期でした。

詳しいことは、『大日本海 : 日本地理学史の研究』(鮎沢信太郎 著/京成社出版部/1943)の「大日本海 太平洋を大日本海と改称するの説」を読んでいただければ良いのですが、現代の「大西洋」を「大東洋」、一部を「小東洋」と呼んでいた時期もあったそうです。

そして、著者によると、この名称の定まらない海を「大日本海」と名付けたのは高橋景保が最初だと言います。

 

これで、江戸時代に「大日本海」や「大日本」が地図に現れることは分かったものの、それでは冒頭に掲げた地図は何かと言うと... 

 

韓国でこの地図が広まったのは、2011年頃で、「東海を『朝鮮海』と表記した日本の古地図発見!」などと、韓国メディアが報じた事がきっかけです。以下、『世界日報』(세계일보)の記事をご紹介します。

https://www.segye.com/newsView/20110503005424
동해 ‘조선해’ 표기 日 고지도 발굴
東海を「朝鮮海」と表記した日本古地図が発掘
 2011-05-09

キム・ムンギル韓日文化研究所長「1835年…公開地図中最古」

現在の東海を「朝鮮海(朝鮮海)」、日本東側の海を「大日本海(大日本海)」と表記した19世紀初頭の日本古地図が発掘された。日本が過去に東海を日本海ではなく朝鮮海と表記していたことが確認され、東海の名称を巡る議論において日本の主張の説得力を弱める根拠として活用される見込みだ。

日韓問題の専門家であるキム・ムンギル日韓文化研究所長は、最近日本の古書店で入手した東海を朝鮮海、日本東側の海を大日本海と表記した日本の古地図を3日に公開した。この地図には「フランス人が作成した地図を入手したところ、外国語で表記されていたため、日本の漢字で(表記を)修正した」という地図の説明文と共に、制作年が1835年と明記されている。地図は、韓国と日本を含む西半球と、ヨーロッパ中心の東半球の2つの部分に分けられている。

キム・ムンギル韓日文化研究所長が3日に公開した19世紀初頭の日本古地図。東海が「朝鮮海」、日本東側の海が「大日本海(大日本海)」と表記されている。 

キム所長は「古地図には製作者表示はないが、ミノサカ・ソゴ(箕作省吾)という日本人であることは間違いなく、これまで公開された朝鮮海表記の古地図の中で最も古いものと思われる」と述べた。彼は「フランス人が作成した地図を修正した」という地図の説明について、イタリアのイエズス会に所属し、フランス宣教団の一員として中国で宣教活動を行ったマテオ・リッチが1602年に描いた地図を指すものだと、学界では理解されていると伝えた。マテオ・リッチが描いた地図をミノサカが参照したとの説明だ。

キム所長は、日本だけでなく韓国、中国などの古地図128点を調査した結果、東海が朝鮮海と表記された地図が80点、東海と表記されたものが20点、日本海と表記されたものが11点程度だったと述べた。しかし彼は「日本海表記の地図はすべて1905年の日露戦争前後に作成された地図」であり、「日本が日露戦争を契機に朝鮮海を日本海と表記し、独島を侵略する意図が込められているように見える」と明かした。

 

* * * *

冒頭の地図の全体図は、Googleの画像検索で韓国のオークションサイトに見つけましたが、全体的には雑な造りで、出品者も、以下の様に日本語でも説明をつけています。

作者・作製年不明であるが,解説の末尾で,「天保6年(1835)のフランス人原図による」と述べる両半球図である。この原図については不詳であるが,本図自体が描く大陸の海岸線はかなり簡略化されていることから,「大衆向け」に作製され,販売された世界図であったと思われる。それは,穿脚・長脚・長臂・不死国,女人国,小人国に言及する上部の解説にも表れている。これらの異域は,マテオ・リッチ系世界図や西川如見『華夷通商考』(1695)にもみられ,庶民向けの世界図・世界像を構成する重要な要素であった。

 

20250824_worldmap03

 

この地図をどういう目的で売ったのかは分かりませんが、珍し物好きの人が購入したのでは?と想像します。

これを入手したキム・ムンギル韓日文化研究所長が、”バッタ物” (安物、まがい物)だということを隠して、大発見!とばかりにマスコミに宣伝したのではないでしょうか。

 

 

  


 

 

 

 

2025/08/04

【竹島】韓国側に「独島を朝鮮領土に組み込んだ」という証拠はない (4)『指令第3号』

前回のエントリーの続きです。

韓国(大韓帝国)の鬱陵郡では、日本が竹島を領土に組み込んだという事を知り(1906年3月末)、道庁に報告、政府から調査を命じられます。

これが『指令第3号』です。

結局、これに対する報告書らしきものは上がってこなかったので、”朝鮮(大韓帝国)は日本の竹島編入に異議を申し立てなかった” という結論になります。

その為か、指令第3号を扱っている論文や記事は検索してもあまり見つからないのですが、韓国の外交部(日本の「外務省」に相当)は、資料を捏造して公開しているという話を「X」で知ったので、記録しておこうと思います。

 

* * * *

【指令第3号】

島根県視察団の訪問を受けて日本が竹島を領土編入した事を知った鬱陵郡守の報告(1906年4月29日)に対して大韓帝国議政府が調査する事を命じた司令(1906年5月10日)です。

 

20250802_19060510_shirei31

 

 

「指令」の部分を@jizoh3さんの画像をお借りして説明します。

 

20250802_19060510_shirei3102

 

議政府は「独島が便地の説は令によって属(令属)した根拠はないが、... 更に調査して報告する事」と郡守に指示していますが、前述の様にこれに対する明確な再報告はありませんでした。

 

◆韓国外交部の捏造(?)

しかし、韓国外交部は、「便地」を「領地」と読み替え、「令属」を「全属」と読み替えて、この文の意味を捏造しています。

※リンクはテキストにしておきます(https://dokdo.mofa.go.kr/m/jp/dokdo/faq10.jsp)が、キャプチャは以下の内容です。

 

20250802_19060510_shirei3103

 

韓国の記録員のデータベース(漢字ハングル混じり文)には「便地」、「令属」と表記されています。

https://db.history.go.kr/joseon/level.do?levelId=mk_002_0010_0560

20250802_19060510_shirei3106

 

 

 

  


 

 

 

 

2025/08/02

【竹島】韓国側に「独島を朝鮮領土に組み込んだ」という証拠はない (3)島根県視察団と所謂「沈興澤報告書」

前回までのエントリーから、まずは、朝鮮(大韓帝国)側の「独島」の呼称変化をまとめておきます。

于山島が現在の独島を指すという根拠はゼロなので論外として、1903年刊の葛生修亮の『韓海通漁指針』では「ヤンコ島」、1904年9月25日付の軍艦新高の日誌では韓人は「独島」と呼んでいるという日本側の記録があります。後者は「松島」(=現・鬱陵島)での聞き取り調査です。

1905年1月28日に竹島を日本領に編入した翌年の1906年3月末(3月26~29日)の島根県視察団の直後に鬱陵郡守が道庁(江原道)報告した内容でも「独島」と表現されているようです。〔※後述

このことから、1903年~1904年9月の間に、竹島... 西洋人が「Liancourt Rocks」と呼ぶ島を韓人が『独島』... 少なくとも鬱陵郡の人達がその様に呼ぶ様になったのは事実のようです。

 

しかし、韓国側は、『勅令41号』の「石島」が、現在彼らが「独島」と呼ぶ島である事を証明できていないのが致命的 なのです。

 

一方、日本側は、現在「竹島」と呼んでいる島(岩礁)の存在を認識していると共に、嘗てはそれを「松島」(当時は鬱陵島が「竹島」)と呼んでおり、西欧人の誤解が原因で、「竹島」と呼ぶ様になった経緯が分かっています。漁民が通称として「リャンコ島」などと呼んだ島も現在の竹島である事が分かっています。

嘗ては「竹島」と呼んだ鬱陵島は朝鮮領土だと認識して政府が渡航禁止にした事(1696年)も明らかなので、日本側は、現在の鬱陵島と竹島の区別もついていました。

 

ここでは、島根県視察団について書かれた『島根県』の解説を転記します。

 

* * * *

https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g19.html
杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」
第19回鬱島郡守沈興澤と島根県調査団

明治38(1905)年2月22日島根県の松永武吉知事は、竹島が島根県の所属となったことを告示の形で発表しました。そしてこの年の8月、自ら県職員および県警察官3名を連れて竹島の視察をしました。... 

翌年の明治39年3月、島根県は各方面の代表45名からなる視察団を結成し、竹島の調査を行い全貌を把握しようとしました。団長は島根県庁の第三部長神西由太郎(じんざいよしたろう)、それに隠岐島の行政の長の島司(とうし)という職にあった東文輔(ひがしぶんすけ)、日本政府に竹島の領土編入と貸下げを願い出た中井養三郎、八束郡秋鹿(あいか)村(現在松江市秋鹿町)の尋常小学校の校長で、のちにこの時の調査の詳細な記録集『竹島及鬱陵島』を刊行した奥原福市(碧雲)等も参加していました。

彼等の乗った第2隠岐丸は、数日続いた悪天候の合間をぬって3月26日の夕方出発し、翌朝竹島に到着しました。奥原碧雲は、「竹島に近づくと3匹の鯱(シャチ)が猛然と船に突進し、無数の海鴎(カモメ)が海上を乱舞し、数千の海驢(アシカ)が岩頭に群集し叫び声をあげた」と記しています。全員で手分けをして島全体を調査した後、海が荒れて来たので92キロメートル先の日本人も多数居住している鬱陵島へ、その日の午後移動しました。鬱陵島は、1900年に竹嶼(ちくしょ)と石島との3島で鬱島郡という郡となりました。鬱陵島の道洞(トドン)に郡庁を置き、朝鮮本土から郡守(長官)が赴任していました。

ところで、この鬱島郡3島の内の「石島」が韓国では日本でいう「竹島」のこととされ、5年後の1905年に日本が略奪したとされています。しかし、韓国で当時発行されていた「皇城新聞」に、鬱島郡の範囲を東西、南北の距離で示した記事がありますが、それによると鬱陵島からわずかの海上までの距離で、92キロメートル離れた日本の竹島とはとても考えられません。私達は竹嶼の近くにある観音島のことだと考えていますが、石島とは固有の島名でなく観音島や周辺にある多数の岩礁を総称したものだという研究者もいます。

さて、島根県の視察団が鬱陵島を訪れた時の鬱島郡守は、沈興澤(シム・フンテク)という52歳の人物でした。翌日の3月28日、島根県視察団の10数人が代表して郡庁を訪問し、沈興澤に対面しました。沈興澤は白い衣類を身につけ、冠をかぶり、たばこを吸う時に用いる長い「きせる」を持ち座布団の上に座っていました。神西部長が島根県視察団の来訪の理由を説明し、竹島で捕獲したアシカ1頭をお土産として差し出すと、郡守は遠路の船旅の労をねぎらい、アシカの贈り物にお礼の言葉を述べました。ただ島の行政等の質問にはあいまいな回答しかしなかったと、奥原碧雲はその著書に書いています。

会談が終わると、訪問団と沈興澤等郡庁の関係者は記念の集合写真を撮っています。島根県視察団はその日の夕方鬱陵島を離れ、一路隠岐の西郷港を目指し翌29日午後4時頃帰着しました。

一方、沈興澤は島根県視察団が船で島を去ると、3月29日(陰暦3月5日)鬱島郡が所属する江原道(カンウォンド)の道庁に、いわゆる「沈興澤報告書」と呼ばれるものを提出しました。それには「本郡所属の独島(ドクト)は外洋にあり、100余里も離れているが、3月28日、日本の官人達がやって来て、独島がこの度日本領地に編入されたので視察に来たと言った。官人の代表は日本島根県隠岐島司東文輔、事務官神西由太郎、税務監督局長吉田平吾、分署長警部影山岩八郎等であった。彼等は鬱陵島の戸数、人口と土地の生産物の多少等について質問した。こうした状況に対して検討されることを願う。」というものでした。

これに対して議政府参政大臣朴斉純は「独島が日本領になったということは、全く根拠のないことであるが、さらに独島の状況と日本人の行動について報告すること。」という指示※『指令第3号』:次エントリーで説明を出しています。注目すべきは、沈興澤や朴斉純が竹島のことを現在韓国で使われている「独島」という言葉で語っていることです。日本の文献では、明治37(1904)年9月に書かれた『軍艦新高(にいたか)戦時日誌』に、竹島に行った人の聞き取り情報として「リァンコルド岩を韓国人は独島と書し、日本の漁夫達は『リアンコ島』と呼称している」と書かれています。

独島の島名は公的機関から命名されたものではなく、恐らく日本人に雇われて鬱陵島から竹島に渡り漁業を手伝った朝鮮の人達が、遠い場所に位置する孤独な島のイメージを「独島」の言葉で表現し、それが定着して沈興澤のような郡守も用いる段階になっていたと想像されます。

また、沈興澤が独島を「本郡所属の外洋100余里も離れたところにある島」と表現していることから、石島のような本郡を構成する島でなく、鬱陵島の属島といった認識の島であったことが推定されます。

なお、最近韓国では竹島周辺の海底の堆(たい)、つまり「バンク」に竹島問題に重要な意味をもつ人の名前をつけて発表していますが、その1つに「沈興澤海山」と沈興澤の名前をつけたものがあります。

 

写真:鬱陵島の鬱島郡庁前での竹島視察団記念写真(明治39年)〔島根県立図書館所蔵〕

20250801_shimane

 

(参考文献)

  • 『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』内藤正中多賀出版平成3(2000)年
  • 宋炳基「日本のリヤンコ島(独島)領土編入と鬱島郡沈興沢報告書」『韓国近代史論集』ソウル知識産業社平成2(1990)年

 

次回は、『指令第3号』について

 

  


 

 

 

 

2025/08/01

【竹島】韓国側に「独島を朝鮮領土に組み込んだ」という証拠はない (2)「大韓帝国勅令第41号」(1900年10月25日)

前回のエントリーの続きです。

韓国の『東北亜歴史ネット』には以下の様な説明があります。

ここで「石島」は現在の「独島」だと述べています。

 

* * * *

http://contents.nahf.or.kr/japanese/item/level.do?levelId=isdk_001j_0020_0010

1. 1900年、大韓帝国勅令第41号、独島を韓国領土として世界に公表

1900年、大韓帝国は「大韓帝国官報1716号」を発行し、「勅令第41号」を世界に公表した。勅令41号は「鬱陵島を鬱島に改称し、島監を郡守と改正する件」であり、その第2条に「郡庁位置は台霞洞に定め、区域は鬱陵島全体と竹島と石島を管轄する事」と定めた。ここでいう竹島とは、鬱陵島から東に2kmの距離にある島を指し、石島が現在の独島である。独島は朝鮮の歴史の中で主に于山島と呼ばれていたが、1882年に朝鮮王高宗と鬱陵島の検察使である李奎遠の会話の中から、高宗が「鬱陵島と竹島、松島(=独島)を総称して鬱陵島とする」と言ったことをきっかけに、名称に変化が生じた。その後、松島は日本名であるため、その名前を捨てたと推定され、鬱陵島の住民が独島をトルソム(石の島)と呼んでいたため、全羅道などの方言からトルソム→ドクソム→ドクト(独島)と名称が変化し、現在の独島という名称に定着した。文献では、1904年に日本の軍艦『新高』が「韓国人はこれを独島と書く」と記録したのが最初である。韓国側の文献では、1906年に鬱陵島の郡守沈興澤が報告書の中に独島という名称を初めて使った。これは、独島という名称がそれ以前から定着していたことを証明している。石島とはトルソムを漢字表記した名称である。

 

20250801_takeshima_chokurei41
日本語訳(Wikisource:光武四年勅令第四十一号

 

※鬱陵島を「郡」に格上げするという内容。

第1条 鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等とすること
第2条 郡庁の位置は台霞洞に定め、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること

 

日本の学者は、石島とは独島ではなく鬱陵島の北にある観音島だと言っているが、観音島には島項、カクセソムなどの名称があったため、わざわざ石島と命名する必要はなかった。また観音崎と呼ばれ、島ではないと認識されていた。島項という名称も「島のうなじ」という意味であるため、完全な島として見なしてはいなかった。すなわち、石島とは独島のことであり、1900年に大韓帝国は独島を鬱島郡の管轄区域に正式に編入したのである。1905年に日本が独島を島根県に不法編入した時より5年も早い時点であった。

(引用終わり)

* * * *

韓国側は、独島は元は于山島と呼ばれていたが、その名を捨てたと(←推測。根拠なし)し、方言で石島(トルソム)と呼ばれていた島が独島であり(←明確な根拠なし)、1900年に「郡庁位置は台霞洞に定め、区域は鬱陵島全体と竹島と石島を管轄する事」と定めた事が独島領有の根拠と述べています。

 

1.于山島

しばしば韓国側が提示する「于山島の描かれた地図」ですが、その位置は明らかではありません。『領土・主権展示館 Q&A』が説明する様に、鬱陵島の事(2つの島から成ると考えていた?)か、存在しない島です。(「竹嶼(ちくしょ)」を思わせる図もあり。)

 

20250801_usan01

 

2.1904年に日本の軍艦『新高』が「韓国人はこれを独島と書く」と記録

これは『軍艦新高行動日誌』の事で、1904年の「軍艦新高行動日誌(5)」の9月25日に記録に出てきます。〔コマ番号:66/73、『アジア歴史資料センター』の「軍艦新高行動日誌」検索結果全体はこちら

ここには「リアンコルド岩〔〕を韓人は独島と書き、我が国の漁夫はリヤンコ島と呼ぶ」と書かれています。

※1849年にフランスの捕鯨船Liancourt(リアンクール)号が現在の竹島を"発見"したので、Liancourt Rocksと呼ばれる。日本語では「リャンコ島」などと呼ばれた。

 

ここでは『島根県』の「実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜 第16回」を引用して説明します。

(韓国側は『勅令41号』でいう石島は独島の事だと主張するが、)だがそのためには、独島の呼称がいつから始まり、独島での漁労活動がいつから行われたのか、実証しておく必要があった。歴史的根拠を示すことが出来なければ、憶説に過ぎないからである。

 現に1903年刊の葛生修亮の『韓海通漁指針』では、後に竹島となる無人島について「韓人及び本邦漁人は之をヤンコ島と呼」称したとしており、独島の前身は石島ではなく、ヤンコ島であった。そのヤンコ島(竹島)が独島と呼ばれるのは、1904年頃。1904年9月25日付の軍艦新高の日誌には、「韓人之を独島と書し、本邦漁夫等略してリアンコ島と称せり」と記されている。これは1904年からリアンコ島でのアシカ猟が本格化し、日本人に雇われた欝陵島民がリアンコ島に渡ったからである。従って1904年から始まった独島の呼称が1900年の勅令に影響を与え、独島が石島と表記されることはあり得ない。「独島の月」には歴史的根拠がなく、韓国側の石島=独島説は荒唐無稽な憶説に過ぎないのである。

 

3.請議書(1900年10月22日)

ここでは鬱陵郡の範囲が「縦80里、横50里」と書かれています。(1里=約400m)

この範囲に竹島(韓国が言う独島)はありません。また、最終的には東西60里、南北40里となります。

 

 

再び島根県のサイトより説明をお借りします。

 

(「韓国側の石島=独島説は荒唐無稽な憶説に過ぎないのである。」として、) それは「勅令第41号」が発布される三日前、内部大臣の李乾夏が提出した請議書が証左となる。欝島郡となる欝陵島は「縦八十里ばかり、横五十里と為す」と明記され、欝陵島の特産は「馬鈴薯、大麦、大豆、小麦」とされているからだ。当時、欝陵島の主産業は農業で、漁業は欝陵島周辺での採●(アラメ採り)程度であった。それは欝陵島の郡昇格に繋がる1900年6月の視察官禹用鼎の視察録が証明している。禹用鼎は『欝島記』の中で、「所種は則ち大小麦、黄豆、甘藷」、「水利は則ち採●を主と為す」とするように、欝陵島では農業が営まれ、漁業は採●が行われていただけである。欝陵島の島民が独島に渡るのは、勅令が発せられた4年後、リャンコ島でアシカ猟が始まってからである。

 さらに禹用鼎が視察した範囲は、「周廻一百四五十里」の欝陵島一島に限られ、竹島(独島)には渡っていない。それは1883年に欝陵島踏査をした李奎遠が、欝陵島を「周廻一百四五十里」としたように、すでに欝陵島に対する領土的範囲が確立していたからである。そのため李奎遠が欝陵島の属島としたのは竹島(チクトウ)と島項(後に鼠項島、鼠項島の発音は石島のソクトウに近い)の二島で、いずれも欝陵島から2キロ以内の小島である。

 韓国の慶尚北道議会は、「勅令第41号」に依拠して10月を「独島の月」とした。だが「勅令第41号」の石島は独島(竹島)ではなかった。欝島郡自体、「周廻一百四五十里」の欝陵島一島に限られていたからだ。韓国側では勅令を根拠に、竹島の島根県編入を侵略と決め付けているが、歴史的根拠がないまま竹島を不法占拠しているのは、韓国側なのである。

(下條正男)

 

202250801_19060713

 

つまり、韓国側が古地図の「于山島」を独島だと主張したり、『勅令41号』の「石島」を独島だと主張しても、後者は ”方言が変化したのだろう” という推測でしかなく、呼称の変化を裏付ける資料は無いのです。

 

 

  


 

 

 

 

【竹島】韓国側に「独島を朝鮮領土に組み込んだ」という証拠はない (1)概略

公開:2025-08-01 07:28:04  最終更新:2025/08/02 1:20

 

竹島(韓国名:独島)に関しては、SNS(X)上でも、日本人と韓国人(かどうかは不明)との間で議論があり、最近は、本国の韓国人も竹島の帰属問題に参戦してくるのですが、彼らは現代日本語には堪能でも古い文書となると歯が立たず、問題提起するだけで、議論にはついて行けなくて離脱する... というのはしかたが無いことだと思います。

 

この方(『しずく』さん)は単に問題を提起しただけで、日本人と議論を戦わせようというつもりはないと理解しています。

 

20250801_takeshima01

 

 

* * * *

 

①日本は17世紀初頭から鬱陵島や竹島で経済活動を行っていた(その後、政府は鬱陵島は朝鮮の領土と認識して渡航を禁止)②1905年、竹島の領土編入を閣議決定、どの国からも異議申し立てが無かった。
日本にはこれらの活動が公式文書で残っているが、朝鮮には竹島を領土に編入した記録が一切無い。

 

これを換言すると以下の様になります。

 

日本政府は独島を無主地と判断して、1905年に領土に編入。これに対する韓国(=大韓帝国)の異議は無かった。韓国は独島を領土の範囲内と認識していなかった。

 

独島に関しては様々な側面からの議論はありますが、問題は上記に尽きると思います。

 

ここではまず関連する時系列と主要な文書をざっと見る事にします。

 

* * * *

1900年(光武四年)10月25日 【韓国】「大韓帝国勅令第41号」... ”竹島” と ”石島” を領土に編入

  • これに3日先んじて「請議書」が出された。(李乾夏が提出)… 郡に格上げされる「鬱陵島」の範囲を建議。
  • 「石島=現在の独島」であると韓国側は主張するも、「全羅道などの方言からトルソム→ドクソム→ドクト(独島)と名称が変化したから石島=独島」と苦しい説明。(石島は鬱陵島の周囲にある小さな島々の1つに過ぎないと思われる)
  • 勅令41号に書かれている「竹島」は「竹嶼(ちくしょ)」と思われる。〔※下図の「竹島」
20201101_chosun_takeshima04_20250801043801

 

1905年1月28日 【日本】竹島編入の閣議決定

  • 1905年2月22日 公布 → 現在の『竹島の日』
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1906年3月 【日本】島根県視察団が独島(竹島)や鬱陵島を視察、鬱陵郡守等を訪問

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1906年4月29日 【韓国】鬱陵郡守が道庁に報告書

  • この報告書内で「独島」という名称を使用

→ 「指令第3号」:議政府(大韓帝国の最高行政機関)が再調査を命じる(5月10日) → その後何ら報告があった形跡はない。

  • 「指令第3号」には議政府が「(報告のあった)独島は『令属無根』」、即ち、令(=勅令41号)で述べた島では無いと書いている。

 

* * * *

 

下図は埼玉県教育委員会が作成した子供向けの資料ですが、大まかな時系列が一覧できるので提示します。

 

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また、『領土・主権展示館』サイトの「北方領土・竹島・尖閣諸島(相手国・地域の主張などのQ&A)」で基本的に韓国の主張を論破しているので、このURLもご紹介しておきます。

 

次回以降、個々の資料の問題点などを追求していきたいと思います。→ NEXT

 

  


 

 

 

 

2024/04/09

【竹島】呼称問題:なぜ、「松島」と呼ばれていた竹島が「竹島」と呼ばれる様になったのか?/幻の島「アルゴノート島」

竹島の問題をややこしくしている原因の一つに、日本では、以前は鬱陵島(うつりょうとう/ウルルンド)を「竹島」または「磯竹島」と呼んでおり、現在の竹島を「松島」と呼んでいたのに、ある時から、鬱陵島を「松島」、現在の竹島を「竹島」と変えた事があります。

なぜ名称を入れ替えたのか?、結論から言えば、19世紀半ば頃にヨーロッパで作られた地図には鬱陵島=「松島」と記されている事が多かったので、島根県に竹島を編入する際、それに合わせたのです。

これには、「アルゴノート島( Argonaut)」という、実在しないのに、朝鮮半島と鬱陵島の間にある(とされた)島も関係します。これは、ヨーロッパ人が鬱陵島を測量した際にずれが生じた為で、2つの鬱陵島ができてしまったのです。

 

下図の左側は長久保赤水(ながくぼ せきすい)の作成した『改正日本與地路程全図』(1780年・部分)。これには「磯竹島」(鬱陵島)と「松島」(竹島)が描かれています。 

※茨城県の高萩市が地図のレプリカを販売しているようです。

 

 

 

◆1700年代末に生まれた幻の島「アルゴノート」

1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが 鬱陵島を「発見」、これを「ダジュレー(Dagelet)島」 と命名しました。続いて、1789年にはイギリス の探検家コルネットも鬱陵島を「発見」しましたが、彼はこの島を「アルゴノート (Argonaut)島」 と名付けました。
しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、そ の後にヨーロッパで作成された地図には鬱陵島が別の2島であるかのように記載されることと なりました。 〔cf. 外務省『竹島の認知』〕

 

 

このように、18世紀末~19世紀半ばのヨーロッパの地図では、日本海に浮かぶ鬱陵島が「ダジュレー島」と「アルゴノート島」という2つの島に ”分裂” しました。

これを日本人が知る事となるのは、1840年に、シーボルトが発行した地図によってです。彼は日本の地図も把握していたので竹島を認識していました。

 

◆1840年のシーボルトの日本地図

彼の地図では「アルゴノート島」(左)が「タカシマ」,「ダジュレー島」(右)が「マツシマ」と記載されました。 〔下図/cf. 外務省『竹島の認知』〕

 

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▲開国 明治政府による近代国家建設〔領土・主権対策企画調整室〕よりキャプチャ

 

 

これにより、それまで「竹島」や「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が「マツシマ」とも呼ばれる混乱を招きます。

1863の英国海軍の地図でも「タコシマ」(アルゴノート島)、「マツシマ」(鬱陵島=ダジュレー島)、リアンクール島(竹島)が描かれています。

 

 

上図/下の勝海舟『大日本国沿海略図』(1867)の拡大画像は国土地理院にサイトにあります。竹島は「(リ?)エンコヲルトロック」と書かれているいるようです。

 

◆1905(明治38)年、竹島の編入に際して、竹島を「竹島」と命名

以下は、島根県『竹島の「真実」と独島の《虚偽》』- 第1回『「日本の公式地図に独島は存在しない」のは当然』より引用します。

 

... 江戸時代に松島と呼ばれていた竹島が、欝陵島の呼称であった竹島と命名されたのも、理由があってのことである。それは竹島が島根県に編入される際、新島の命名を問われた隠岐島司の東文輔が、次のように具申し、それが採用されたからである。

「欝陵島ヲ竹島ト通称スルモ、其実ハ松島ニシテ、海図ニ依ルモ瞭然タル次第ニ有之候。左スレハ此新島ヲ措テ他ニ竹島ニ該当スヘキモノ無之。依テ従来誤称シタル名称ヲ転用シ、竹島ノ通称ヲ新島ニ冠セシメ候方可然ト存候」

 東文輔は、「欝陵島は江戸時代まで、竹島と通称してきたが、海図では欝陵島が松島と表記され、それが一般化している。海図に描かれた松島は欝陵島なので、新島にはこれまで欝陵島の呼称としてきた竹島を付けるべきである」と、具申したのである。東文輔が「欝陵島ヲ竹島ト通称スルモ、其実ハ松島」としたように、1894年に発行された『新撰朝鮮国全図』の松島も、一島からなる欝陵島のことだったのである。...

 

* * * *

なお、竹島編入(1905)の翌年に島根県が視察団を送り、ついでに鬱陵島を訪問して鬱島郡守の沈興澤(シム・フンテク)等と記念撮影をしています。その時に郡守は初めて日本の竹島編入を知り、道庁に報告書を上げるも、朝鮮側は何の抗議もありませんでした。

cf. 島根県『杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」』- 第19回鬱島郡守沈興澤と島根県調査団

 

  


 

 

 

 

2024/02/16

【竹島】1908年の韓国人(大韓帝国)の地図【『百年歴史』氏のブログから】

前回のエントリーで竹島を取りあげたところ、奇しくも『百年歴史』さん(韓国人ブロガー)も「獨島(独島)」を取りあげていらっしゃいました。〔대한제국지도(1908년)에서 보는 간도와 독도/大韓帝国の地図(1908年)から見る間島と独島〕

※百年歴史氏は、韓国による竹島占拠の正当性があるのかどうか、根拠を資料に求めて探求していらっしゃいます。

今回は、そのエントリーを再編集して、韓国(李氏朝鮮/大韓帝国)の竹島領有の正当性があるのかを確認してみたいと思います。

 

そもそも、日本が竹島を領土にしたのは、1905年1月28日で、この島が無主地である事を確認しての事です。

本来はこの時点で "勝負あり” ですが、それ以前に韓国が竹島〔英語名:Liancourt Rocks/リアンクール岩礁=1849年にフランスの捕鯨船Liancourt号が現在の竹島を確認した事から命名〕を正確に認識していたのかどうか?は韓国人、とりわけ、李承晩の行為を正当化したい韓国人には重要な事だとブログ主は理解します。

韓国人の一般的な主張は、”日本が竹島を領土に組み込む以前に朝鮮/大韓帝国も領土として認識していたが、日本の保護国下で反論ができなかった” というものだからです。

1908年の韓国〔当時は大韓帝国〕の地図から、当時、彼等はどのように竹島を認識していてのでしょうか?

 

* * * *

念の為書きますが、1908年の大韓帝国は日本の保護下にありましたが、日韓併合(1910年)以前で、国家の体裁はあった時期です。

その時に作成した地図が下図です。

 

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黄色や赤の丸、竹島や鬱陵島といった文字はブログ主が書き込んだもので、竹島の位置は、百年歴史さんのブログに掲載されていた拡大図〔下図〕から「この辺りだろう」と判断しました。下図の黄色い丸は百年歴史史さんが書き込んだ物です。

 

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この地図の竹島の位置は、百年歴史さんも指摘していらっしゃいますが、「アルゴノート(Argonaut)島」という幻の島 ...、実際には存在しないのに、1789年にイギリスの探検家コルネットが発見した島として、ヨーロッパの地図上には長らく記録されていた島です。

外務省の「竹島の認知」というサイトでは、以下の様に説明されており、アルゴノート島は鬱陵島の誤認のように思えます。

1787年,フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り,これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名しました。続いて,1789年には,イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を「発見」しましたが,彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けました。しかし,ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから,その後にヨーロッパで作成された地図には,鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることとなりました【図2】。

 

もう一度書きますが、日本は1905年に既に「竹島」の正確な位置も把握し、無主地である事も確認して領土に編入していたのです。

一方、大韓帝国は、1908年当時、竹島... 韓国人が現在「独島」であり固有の領土だと主張する島をアルゴノート島と勘違いしたり、その位置も分からずにいたのです。

 

***

 

百年歴史史さんは、1905年に日本で発行された「韓国全図」も提示しています。〔下図

 

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黄色い丸はブログ主が付けた物で、下はその部分の拡大図です。

 

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竹島がおおよそ正確な位置に描かれており、竹島の英語名の「リヤンコール(リアンクール=Lien Cool)」の文字も見えます。

1905年には竹島を領土に編入している位なので、それは当然だと百年歴史史さんも仰います。

更に百年歴史史さんは、「韓国全図」に竹島が描かれているからと言って、本州や九州の一部も描かれているので、日本が竹島を韓国の領土と認識していた証拠にはならないとも仰っています。

 

百年歴史さんが、竹島 ... 韓国人が言う独島を自国領土だと主張したいのは、韓国人としてはしかたがありませんが、この方は、その為には根拠が必要だというスタンスです。

そのことを理解してあげて下さい。

 

  

  


 

 

 

【竹島】韓国のお笑い地図 取って付けたような獨島...w

ニュース動画は限定公開との事で、取り急ぎ重要なシーンをキャプチャしておきます。

 

* * * *

https://www.fnn.jp/articles/-/658329
「竹島」韓国製地図に初めて記載されたのは戦後間もない時期「韓国の主張は後付け」(島根)
2024年2月15日
山陰中央テレビ

2月22日の「竹島の日」を前に、新たな資料の発見です。
韓国で製作された地図に初めて「竹島」が記載されたのが、戦後まもない時期だったことを確認できる新たな地図が発見され、15日、報道関係者に公開されました。

発見された地図は、韓国の出版社「大韓書林」が1949年11月に発行した「標準大韓民國全圖」です。
地図には、韓国で「竹島」を意味する「獨島」の表記が確認できます。
外交問題を研究する「日本国際問題研究所」から委託を受けた島根大学法文学部の舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)教授が、台湾の古書店から入手し、1月、確認しました。
舩杉教授によると、韓国で製作された地図で「獨島」=「竹島」が初めて記載されたとみられる資料だということです。〔中略〕

この地図は、複製版が15日から松江市の「竹島資料室」と隠岐の島町の「久見竹島歴史館」で公開、展示されています。

* * * *

 

▼地図の右端に「鬱陵島」がありますが、そのすぐ下に四角い枠で囲って
「獨島」が描かれています。〔拡大画像後掲

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▼「標準大韓民國全圖」

20240215_takeshima02

 

▼「獨島」?

20240215_takeshima03

 

この「獨島」の描き方はいかにも ”取って付けた” 様で、恐らく元の版の地図に急遽描き足したのではないでしょうか。ちなみに実際の竹島の位置は下の様になります。領海も示すのであれば、朝鮮半島をもっと左上に寄せて、正確なな位置に「獨島」を描くはずです。

20240215_takeshima05_reference

 

  

  


 

 

 

2023/04/03

【竹島】朝鮮人(韓国人)は自国の領土の東端をどこだと認識していたか?

ここに一つの史料があります。

 

 

日韓併合(1910年)や日露戦争(1904~05)以前の1899年に作成された大韓帝国〔※〕の地理教科書『大韓地誌(대한지지)』で、大韓帝国の東端を東経130度35分と示しています。おまけに「日本海」とも書いていますね。

※大韓帝国は日清戦争(1894~95年)により清から独立して成立。

 

大抵の韓国人、というか報道を見ると、あちこちに移動する「于山島」〔恐らく「竹嶼」(ちくしょ、韓国名:竹島、チュクト、죽도)の事〕が描かれた地図を持ちだして、「これが独島だ」と言い、「独島が朝鮮領に含まれていた証拠」だと主張しますが、東経を持ち出す事はありません。

 

20230403_takeshima04

ひょっこりひょうたん島か!w

 

また、1947年に書かれた「朝鮮常識問答(조선 상식 문답)」(崔南善 著)には、東経130度56分23秒と書かれています。

 

20230403_takeshima02
Dokdo-or-Takeshima?』サイトから拝借〔※後述

 

では、これはどこを示すのでしょうか?

 

20230403_takeshima03

 

韓国の領土には東経131度52分にある竹島は含まれていません。

 

ところで、竹島関連の地図などを調べていると、大抵、上述の『Dokdo-or-Takeshima?』サイトに既に書いてある事が多いです。どうも複数の方によって運営されているサイトのようで、英語で書かれています。

上記は、そのサイトで説明されている事から「東経」に絞って参照したもので、「Korean Eastern limits described in various books exclude Takeshima/Dokdo from Korean Territory」〔様々な書籍に記載されている韓国の東方限界は、竹島/独島を韓国領から除外〕というページには、書籍名とそこに示されている韓国(朝鮮・大韓帝国)の東端が一覧になっています。

 

下図は上記サイトの「1954 Korean map didn't include Liancourt Rocks」というページの一部をキャプチャしたものですが、1954年の『Korea: Her History and Culture』という本は韓国政府の広報部が英語で作成した韓国案内のような本です。この本には竹島(独島)に言及が無いばかりか、付属の地図には竹島が描かれていないそうです。〔リンク先で地図などの拡大画像を閲覧可。

 

20230403_takeshima05

 

以下は機械翻訳で書いた韓国語なので、正しいかどうかは分かりませんが、必要なら、このページに掲載されている図とともにお使い下さい。(取り敢えず、韓国人には通じました。)

러일전쟁 이전인 1899년 대한제국이 발행하던 지리교과서 '대한지지'에는 대한제국의 동쪽 끝을 동경 130도 35분으로 기록하고 있으며, Take-Shima(동경 131도 52분)는 포함되어 있지 않았다.

※【上記ハングル文の機械翻訳】日露戦争以前の1899年、大韓帝国が発行していた地理教科書「大韓地誌」には大韓帝国の東端を東経130度35分と記録しており、Take-Shima(東経131度52分)は含まれていなかった。

 

  


 

 

 

2022/04/19

【竹島】「竹島のアシカを絶滅させたのは韓国人」という証拠の記事

韓国では、竹島のアシカを絶滅させたのは日本人という事になっているそうです。

それを論破する記事を『キムチわさび』さんが動画にしてくださいました。

 

 

産経新聞は2016/7/4 付けで『「アシカ絶滅は日本のせい」は捏造…韓国の定説に韓国紙が異議、乱獲し精力剤にしたのは自国だ』という記事を書いていますが、この中で言及されている2つの韓国語の記事を見つけたのでメモしておきます。

まず、この記事のネタ元と言える記事、2016年6月13日付『慶尚毎日新聞』のWeb記事「독도 강치」(独島アシカ)という記事。そしてもう一つは、2012.08.20付『中央日報』の「'독도 침범' 日함정, 민간수비대 사격에 놀라… 」(「独島侵犯」日本艦艇、民間守備隊の射撃に驚き…)という記事です。

後者は、1954年頃、民間人が「独島義勇軍守備隊」を結成して日本人漁民を死傷させたりしていた事が書かれており、「釜山のヤンキー市場に行って、アシカ1頭を与えて拳銃と小銃を手に入れた。」という記述があるので、この頃まではアシカがいたことを示しています。

以下、最初の記事の冒頭部分を機械翻訳でご紹介して終わりとします。

韓国の記者にしては珍しく良心的です。

 

* * * *

補足は緑字で追加。多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ

http://m.ksmnews.co.kr/view.php?idx=140905

独島は昔からアシカの天国だった。 数万頭が群れをなして独島に平和に暮らしていた真の独島の主人だった。 しかし、現在、アシカは絶滅している。

多くのメディアや学界では、日本の植民地時代、日本の漁師たちの乱獲で絶滅したと定説のように予想している。

事実ではない。 正さなければならない。 韓日間の独島紛争が日増しに激しくなっているこの時、韓国の恣意的な歴史記録は、韓国にとってややもするとわなになる恐れがある。 1945年の光復(クァンボク=日本植民地支配からの解放)後、1950年代初めから半ばまで独島を守っていた独島義勇守備隊員たちの証言でも、当時、アシカが少なくとも700頭あまり住んでいた。

この事実は、洪淳七 独島義勇守備隊長の手記「独島は誰の土地なのか」でも正確に記録されている。 李承晩(イ·スンマン)大統領の特別指示で全数調査した結果だ」と述べた。

続いて1960年代、独島を守っていた警察関係者、漁民の証言でも数百匹のアシカが生息していたということを筆者は直接聞いたことがある。

1970年代初め、独島工事の関係で出入りした鬱陵島住民のチョン某氏も、当時数百頭が住んでいたという。

当時、アシカに対して無知だった私たちは、アシカの海狗腎〔生殖器(強壮剤に用いる)〕や肉を得るために銃で、網で捕獲し、甚だしくは水上に浮かんだアシカに向かって東島の頂上で機関砲で射撃練習もした。 川魚を捕まえてプルコギパーティーも開き、生け捕りにして鬱陵島に持ってきた。 現在シャンゾンしている〔住民の金某氏は、60年代に警察署長の頼みで海狗腎の身を乾かし、麦米2俵も受け取ったという。 独島義勇守備隊員たちも海狗腎の身を政府高官、軍将官たちに上納したと証言している。

独島で強制的にアシカが姿を消したのは70年代初めから半ばだと推定している。〔以下略〕

 

 

  


 

 

 

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