公開:2021-11-28 19:47:17 最終更新:2021/11/30 7:21(加筆)
韓国のCBSノーカットニュースが、11月19日付けで『米国機密図書、対馬を韓国の島に分類』という記事を出しました。〔記事後述〕
米国立公文書館(NARA)に所蔵されている『JANIS』というシリーズの文書で韓国を取り扱っていて、そこに「対馬が韓国に含まれる」という記述がある、という内容です。
これに関しては、日本在住の韓国人YouTuber「箱バン金さん」が、「寝言は寝てから...」という動画で見事に論破し、更に、韓国の古文書に「対馬を外国(=日本領)と見なす」叙述が幾つもあることを解説してくれています。
竹島の話題の記事の韓国人のコメントを読むと、必ずと言ってよい程、「日本が独島の領有を主張するなら、我々は対馬の返還を求めよう!」といったコメントが共感を集め、韓国人が本気で “対馬は韓国の領土” と思っている事が分かり、ブログ主など、「こいつら、ええかげんにせえよ!」と憤りますが、軍事評論家でも、台湾有事の際にどさくさに紛れて韓国軍が対馬に侵攻するかも知れないと、憂慮している方もいます。
韓国人は「事実はどうでもいい」人達なので、ブログ主は馬鹿馬鹿しいと笑っていられない状況であると思っています。
国立図書館:Joint Army-Navy Intelligence Study of Korea, Regional Summary, JANIS 75, April 1945, Chapter 9-11
『対馬』の項は上記本のコマ番号「56」に記載されている。(但し、動画で提示された箇所とは違う。下図参照)
◇ ◇ ◇ ◇
この『JANIS 75』については、簡単に種明かしをすると、第二次世界大戦中にアメリカが日本を幾つかの地域に分割して、人口などを報告書にまとめたもので、下図の如く、日本列島が複数に区分されている事からも、たまたま、対馬を韓国、というか、朝鮮半島と同じ報告書に含めたものです。そもそも、第二次世界大戦中は朝鮮半島は「日本」ですから、「KOREA」という表記も便宜上でしょう。
『JANIS』シリーズの分類(箱バン金さんの動画よりキャプチャ)
『JANIS 75』表紙
詳しい解説は動画を見て頂くとして、このエントリーでは、幾つか重要な事をメモしておきます。
◆『JANIS 75』の対馬に関する記述
動画では該当箇所をキャプチャして紹介していますが、その英文を写し取り、和訳しておきます。
F. Tsushima
Tsushima, a group of islands between Korea and Japan, is part of Japan proper and a under the jurisdiction of Nagasaki Prefecture. The civil administration of the islands is conducted through the branch office (shicho) in Izuhara, on Kamino-shima. Under this office there are 2 districts, governed from Izuhara and from Sasuna on Shimano-shima, in each of which places there is a police station.(以下略)
和訳:
F. 対馬
対馬は韓国と日本の間にある島々で、日本の一部であり、長崎県の管轄下にあります。対馬の民政は、上島(かみのしま)の厳原(いづはら)にある支庁で行われています。この支庁の下には、厳原と下島(しものしま)の佐須奈(さすな)の2つの地区があり、それぞれの地区には警察署があります。(以下略)
※過去には南部を上島、北部を下島と呼んだこともあったが、現在は万関瀬戸より北部を上島(かみじま)、南部を下島(しもじま)と呼ぶ。 〔Wikipedia『対馬』より〕
※ノーカットニュースの記事では、「proper(形・副:適切な)」は「property(名:所有物)」の誤記では無いかと書かれており、ここでもそのように訳した。
◆対馬を韓国領だと言い出したのは誰か?
動画では1948年の李承晩と解説されており、大統領として公式に声明を出したのは李承晩で正しいのですが、それより前、1945年10月15日付けで鄭文基という人が「対馬島の朝鮮所属と東洋平和の永続性」という論文(?)で、対馬の領有を主張しているそうです。
当時の新聞記事(箱バン金さんの動画よりキャプチャ)
「我々は日本に、対馬を韓国に返却するよう要求するつもりだ。対馬は上島及び下島の二島から成り、韓日両国の間に位置する韓国の領土であるが、350年前、日本が不法的に奪取したのだ。」(箱バン金さんの動画の字幕より)
『奇怪な対馬韓国領説』(島根県のサイトにあるPDFより)
上の韓国語の記事は、1948年のものだそうで、こちらの『対馬侵略工作』というサイトに書かれていますが、これ以外にも李承晩は対馬の領有を度々主張しているようです。
下の記事にあるように、「応永の外寇」(1419年)が対馬領有の根拠で、これについては、以前のエントリーでも説明しています。なお、『談論風発』で検索した所、恐らく「山陰中央新報」のコラムだと思われます。(「談論風発」のロゴが一致)
◆韓国の古文書の記録
箱バン金さんは、李承晩の「350年前」という言葉から、1600年頃の高麗史を確認してくれていますが、
『宣宗実録81巻』の1596年の記述には「対馬の倭」(倭とは朝鮮人が呼ぶ日本人)、1605年の記述には「日本国対馬島太守平議智」。更に遡って、『世宗実録4巻』の1419年に、「対馬は本来朝鮮の土地だが、ただ窮地〔=僻地〕であり、狭くてむさ苦しいので、倭人の居留を放置したら...」という記述があり、これが「応永の外寇」つまり、朝鮮人から見たら対馬征伐の際に、上王が言った言葉です。箱バン金さんは、更に遡って古い記録を調べてくれていますが、対馬を日本と見なす記述しかありません。
一例だけ挙げると、「1051年 日本の対馬から本国の逃亡者3名を押送してくる。」という記録があります。
ブログ主は、そもそも李承晩の「350年前」も適当に言った事だと思います。この人は、反日は反日でも、“小児的”な反日です。
◆ノーカットニュースの記事機械翻訳
https://www.nocutnews.co.kr/news/5660080
[単独]米軍機密島嶼、対馬を韓国の島に分類/原文:[단독]미군 기밀도서, 대마도 한국 섬으로 분류
ワシントン=CBSノーカットニュース、クォン·ミンチョル特派員
2021-11-19 14:56
核心要約
- 日本、米国で独島領有権紛争を再び試み
- 対馬島が韓国の領土という証拠も数え切れないほど
- 米軍秘密図書、韓国編の対馬も登場
写真1.〔画像省略〕米国JANIS75巻の韓国編、第1冊の人口編に登場する韓国地図。 左上に「韓国人口密集地域」というタイトルが見え、左下に済州島が続いて右下に対馬島(Tsushima)が鮮明に印刷されている。 済州島の海岸沿いに人口が密集しているように、対馬の上下に人口密集地域が表示されている。 出典:アメリカ国立文書保管庁、NARA
日本政府が、金昌竜(キム·チャンリョン)警察庁長官の独島(ドクト、日本名·竹島)訪問の機会に、長年の独島領有権紛争化を試みている。
日本が独島領有権を主張し始めたのは、第2次世界大戦敗戦国の日本の地位を定義したサンフランシスコ平和条約締結過程の文句を、日本が恣意的に解釈してからだ。(関連記事参照)
しかし、対馬を韓国(Korea)の島に分類した第2次世界大戦当時、米国の機密冊子が発見され、興味を集めている。
対馬は釜山から49キロ、日本九州から147キロ離れた面積700平方キロメートルの島だ。 独島より3700倍も大きい。
対馬を韓国の島に分類した本は第2次世界大戦中に米国陸海軍合同情報組織である「JANIS」が世界各地で遂行する米軍の軍事作戦に必要な情報を盛り込んで発刊された機密冊子の一冊だ。
「JANIS」シリーズの第75巻で、韓国に関する内容を盛り込んでいる。 2冊に編綴されている本のタイトルは「KOREA」(Including Tsushima and Quelpart)だ。
韓国語で言えば「韓国(対馬島と済州島を含む)」だ。
写真2.〔前掲の表紙の画像〕JANIS75巻1冊の表紙。 韓国領土区域の下側に済州島と対馬島が鮮明に表示されている。 出典:NARA
CBSノーカットニュースが米国文書管理記録庁(NARA)から確保した第1冊の表紙には「非登録機密」という文句が刻まれている。
序文には「この研究の目的は、我々が韓国で遂行するかもしれない軍事作戦計画に基づくすべての必要な具体的な地形学的情報を出版物として提供するためのもの」と記述されている。
本のタイトルにすでに「対馬島」が明示されているように、781ページで構成された本の全般に韓国のすべての地形説明に対馬島が主要記述されている。
本には概要、軍事地理、海岸と上陸地域、気候、港施設などが順に説明されているが、各項目別の地図も大変精巧に印刷されている。
写真3. 〔画像省略〕JANIS75巻1冊の地図。 左は海岸区画で、右は上陸地点だ。 両地図とも対馬島がやはり明確に表示されている。 (NARA)
まず、第1章の概要項目の「主要交通ルート」の便には、南部の中心地として釜山(プサン)、大邱(テグ)、鎮海(チンヘ)、麗水(ヨス)が明示されており、続いて南海の最大の島として対馬と済州島が説明されている。
人口と政府項目内の軍事地理編には、韓国内の少数(several)の大きな島と数百の小さな島しょが紹介されているが、ここでも鬱陵島、対馬、済州島を代表的な島として指摘されている。
写真4.〔画像省略〕JANIS75巻1冊の地図。 韓国を立体模型で描いているが、ここにも対馬島が大きく現れている。 写真4.JANIS75巻1冊の地図。 韓国を立体模型で描いているが、ここにも対馬島が大きく現れている。(NARA)
ただこの本1章42ページ「人口と政府」編には対馬が日本領土という説明も登場する。
「人口と政府」編は人口、労働力、政府組織、政治要因、安全および公共秩序の順に述べられており、最後に対馬島についての説明が添えられている。
そこには「韓国と日本の対馬は日本のproperの一部であり、長崎県の司法管轄」と書かれている。
ここで「proper」は叙述上名詞だが当該単語は名詞としては使われない。
米国メリーランド州に住むある米国人資料調査員は「文脈上、所有という意味の"property"という単語が間違って使われたものとみられ、"日本所有"と読める」と話した。
これは本書の中で対馬を韓国の島として一貫して記述しているのとは相反する記述だ。
写真5. 〔画像省略〕JANIS75巻1冊の地図。 韓国の地図を衛星の形で表現した。 釜山(プサン)の麓に対馬島が表示されている。 出典:NARA
矛盾する説明が同じ本に登場する理由は、この本が様々な情報をまとめたためと見られる。
この本は序文で「1945年3月1日までワシントンで得られるすべての資料を集大成した」と明らかにしている。
そして、海軍作戦参謀処、陸軍情報処、海軍情報処、気象庁、空軍など11の政府機関の情報を網羅していると説明した。
このため、ある情報は対馬を韓国領土に分類した反面、ある所は韓国の領土に分類しながらも「日本所有の部分」と表示したものと推定される。
実際、韓国政府も一時、対馬が韓国の領土だと公式に問題提起をしたことがある。
1949年1月、李承晩(イ·スンマン)大統領が新年の記者会見で、対馬の返還を日本に求め、さらに1951年4月にも米政府に対馬領有権を公式に主張した。
「世宗実録」や「東国輿地勝覧」などには、対馬が韓国の領土という記録が少なくない。
国内の歴史学界では、朝鮮時代に対馬を空けておいたため、19世紀後半、日本の明治政府が対馬を日本に編入させたと見ている。
※取材支援:韓国言論振興財団
最近のコメント