韓国で慰安婦問題などで日本人と同じ歴史観を持つような方達が、朝鮮の併合を語るのに沖縄を引き合いに出すのを何度か見かけた事があります。Facebookであったり、保守系ネットメディアの番組等です。
それによると、韓国人は沖縄を、朝鮮と同様に明治政府によって併合された土地だと見ているようです。
ブログ主はその都度、日本はそもそも小さな ”国” に分かれていて、それはそれぞれが独立国という意味では無い事、沖縄の言葉は紛れもない日本語である事、遺伝子的に”琉球人”は古代日本人である縄文人の痕跡を最も残している事等をコメントして、沖縄は古来より日本である事を主張してきました。
まあ、中国と異なり、韓国人が沖縄について歪んだ歴史観を持っていても大きな影響はないのですが、たまたま『京郷新聞』のコラムを読んだら、筆者が沖縄の集団自決についてデタラメを長々と書いていたので、ご紹介したいと思います。
予備知識として、『京郷新聞』は左派メディアであり、現政権には批判的な立場である事、韓国人はしばしば沖縄を日本の帝国主義の悪魔化に利用する事、韓国人記者の文章の特徴は、「天声人語」的と言うか、長々と歴史的逸話等を披露した後で、最後の数行で強引に結論と結びつける手法が多い事にご留意下さい。
言いたい事は国家権力の批判で、現政権(尹錫悦政権)批判の様です。
また、韓国では、フェミニズムが強い為か、この記者は、家父長制度〔←これも日本が持ち込んだと思っている〕の延長に国家を見ている節があります。
沖縄戦や集団自決の描写などはおそらく『沖縄タイムス』辺りの影響を受けているのでしょう。
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※誤翻訳による誤字は極力訂正していますが、日本語として若干不自然でも意味が通じれば機械翻訳ママ。緑字はブログ主の補足。
https://m.khan.co.kr/opinion/column/article/202405282041025
[정희진의 낯선 사이]채 상병 사건과 오키나와 전투
[チョン·ヒジンの見知らぬ仲]チェ上等兵事件〔※〕と沖縄戦
2024.05.28
チョン・ヒジン 月刊オーディオマガジン「チョン・ヒジンの勉強」編集長
※チェ上等兵事件:今年7月の豪雨による行方不明者の捜索中に海兵隊上等兵が水死した事件。必要な装備も付けずに無理な捜査を指示したのでは無いかとして、検察の特別捜査の立法(特検法)が主張されたが、大統領は拒否権を発動した。また、疑惑のさなか、国防相をオーストラリア大使に任命して国外逃亡させた事が批判されている。大使は辞任。
最近出版されたハンギョレ、コ·ギョンテ記者の著書『ボーンハンター(Bone Hunter)-ある人類学者の韓国戦争遺骨追跡記』を読んで、その余震から自由ではない時間を過ごしている。 著者と本の主人公パク·ソンジュ忠北大名誉教授の労働と知的好奇心、人間に対する礼儀こそ「真の」歴史意識という気がした。
韓国戦争は全世界26カ国が参戦した「第3次」世界大戦であり、100万人の民間人死傷者を生んだ内戦だった。 では、その遺体はどこにあるのだろうか。 米国は、韓国戦争当時に戦死した自国軍の遺体を直ちに収拾し、本国に送った。 一方、この70年余りの間、韓国政府は発掘概念すらないか、「色彩」〔※政治理念上の傾向〕を云々してきた。
私たちは戦争犠牲者の遺体の上に建てられた建物、道路、各種インフラに住んでいる。 忠清南道牙山付近の地域を主に扱った本の初発掘エピソードのタイトルは「ここは地面を掘ればすべて死体だ」だ。
「参戦勇士」という言葉は軍人だけが戦争をするような印象を与える。 多くの軍属、各種補給業者、民間人も戦争の参加者だ。 また、戦争と平和の時間は別に存在しない。 代表的に、当時の蔡上等兵事件がそれだ。 これは現政権が平時に軍人をどのように待遇するかを示す端的な例だ。
文化人類学者のオム·ギホは、採傷病事件を契機に国家主義社会での救助と脱出について次のように分析する。 セウォル号が国民の死を放置した事件ならば、梨泰院惨事〔※〕は死から脱出しようとする国民を阻んだ事件であり、採傷兵事件は国民を救助しようとする軍人を歴史から削除しようとする場合ということだ。
※セウォル号事件:2014年に発生した海難事故で299名の犠牲が出た。朴槿恵大統領の弾劾の遠因となった。
※梨泰院惨事:繁華街の梨泰院(イテウォン)で、ハロウィンに集まった若者達が百名以上圧死した事件。左派はこれを国家の責任だと見なしている。
国家はもともと合法的な暴力機構だ。 暴力だけが国家の本質ではないが、国家は常に「適切な国民」を選択する。 国民に対する保護と処罰には、徹底した包含と排除の基準がある。 水害失踪者を救おうとした海兵隊上等兵が国家有功者にならず、あらゆる政治的論議に包まれた今の状況は非常に症候的だ。 常識と非常識は真実の問題ではなく、認識者の位置性の問題だが、いくらそうだとしても、この事件はあまりにもおかしい。
沖縄戦闘で強制された集団自決
「東洋のハワイ」と呼ばれる沖縄は、第2次世界大戦の中で最大規模の戦争が起きたところだ。 侵略国日本は一度も本土で戦争をせず、「内部植民地」である沖縄を戦場にしたが、結局本土の広島と長崎に原子爆弾が投下されて敗れた。
沖縄はもともと日本の領土ではなかった。 14世紀から沖縄には軍隊のない琉球王国が栄えたが、1609年、今の鹿児島にあった薩摩国が初めて沖縄を強制併合した。 1879年、日本政府は武力で琉球王国を占領し、沖縄県として日本に強制編入させた。
沖縄は日本全体面積の0.6%に過ぎないが、在日米軍の75%が駐留しており、沖縄本島の20%を米軍基地が占めている。 沖縄は、日本が太平洋戦争で敗れた1945年から27年間、米国の植民地だったが、1972年、日本にー米国と日本を主体に見ればー「返還」された。
27年間沖縄を支配した米国は、沖縄の地理的位置に注目した。 沖縄から2000キロ以内に東アジアの主要都市台北、北京、平壌、ソウル、マニラなどがすべて入ってくるため、沖縄はアジアの軍事拠点になるのに最適だった。
悲劇のクライマックスは太平洋戦争末期の1945年4月1日から6月23日までの83日間に起きたいわゆる「鐵の暴風、アイアンストーム(ironstorm)」戦闘だ。 米国は莫大な爆撃を浴びせ、日本政府は当初から自国領土である沖縄を守るつもりはなかった。 沖縄は日本の「銃弾受け」「捨てられた石」だった。
当時、日本の戦略は沖縄を人質に米軍が電力を消耗させる持久戦だった。 日本本土を守るために圧倒的な海上力と制空権を持つ米国の陣を抜くことだった。 6月23日、総指揮官だった牛島滿司令官の自決で戦闘が終わるまで、18万の米軍と7万の日本守備隊が激戦を繰り広げた。
沖縄戦で死亡した米国兵士は1万人である反面、10万人以上の沖縄現地人が命を失った。 特に、日本が沖縄住民に強要した「集団自殺(forced mass/collective suicide)」は、類例のない世界戦争史の惨劇だった。 日本政府の軍令によって9万4000人の沖縄人が「自ら死亡した」のだ。
当時、沖縄防衛部隊である大日本帝国第32軍の使命は、沖縄住民の安全と生命を守ることではなかった。 守勢に追い込まれた日本軍は沖縄人が「米国のスパイになる」ことを憂慮し、心理戦を展開し始めた。 「米軍が上陸すれば、男たちは拷問を受けて死に、女性は強姦されて死ぬだろう」と極度の恐怖感を造成したのだ。 日本政府は、米軍の手に恥辱的な死を迎えるなら、自決がましだと命令した。
国民の自助活動も阻止する国家
沖縄の人々は、日本軍から受け取った手榴弾を爆発させて死亡したり、劇薬を飲んで死亡した。 手榴弾が足りないほどで、家族と隣人はお互いをナイフで刺したり、首を絞めたりするのを助けた。
その後、多くの人々が集団自決の理由を研究した。 背景は多様だった。 捕虜として捕まることは恥辱であり、天皇の名の下に勇敢に死ぬことが美徳であると教わったため、前述のとおり米軍に捕まると、男は惨殺され、女は強姦された後に殺されるという教育を受けたので、降伏して捕虜になろうとする者は殺すという日本軍の脅威(実際に多くの人々がこの理由で死んだ)、軍官民共生公社の一体化という概念が沖縄住民の心に深く刻み込まれ、軍が天皇に死ねば自分たちもそうすべきだという考え、日本軍兵士たちが住民から自殺命令を聞いた、 すなわち、誰がいつ言ったのか不明確だったにもかかわらず、住民たちは軍令が下されれば死ななければならないと信じた。
捕虜と収容所に収容された民間人を対象に調査を実施した米国の分析によると、2番目の要因、すなわち米軍に捕まった場合、残忍な方法で殺害されるという恐怖が最も重要な要因だったと見る。 これは満州戦で戦った旧日本軍兵士の証言とも一致する。 多くの日本兵が沖縄戦以前に参戦した中国戦線で「日本軍による住民虐殺、強姦、略奪が当然視されたため」米軍も同じ方式で行動すると見た。 自分たちが犯したことなので、他人もそうだと思ったのだ。
「真実」は集団自決現場で生存した人々によって明らかになった。 自決に失敗した生存者たちは米軍に向き合ったが、日本軍が注入した恐ろしいことは起きなかった。 戦後、日本社会では「鉄の嵐」当時、9万4000人の強制集団自決について多くの論争があった。 ある人は「沖縄の天皇に対する忠誠心」と言い、ある人は「米軍に対する抵抗」と分析したが、女性主義者の考えは違った。
女性主義者たちは、集団自決をした家族としなかった家族の違いは何かと質問した。 集団自決をしていない家族は、たいてい家の中に父親や兄など男性構成員がいなかった。 「保護者である父親」がいる家は自決した。 男性たちは国家の脅迫によってであれ、米軍の「恐ろしい虐殺から家族を守るためであれ」たいてい家族を殺し、自分も自決した。
沖縄戦での強制的な集団自決は、国の内部の違い、国民の範疇の任意性に対する明確な事例だが、依然として信じられないほど「人間本性」に疑問を残す。 しかし、私のこのような考えは私が生きている韓国社会に直面できなかった「我が国」に対する防御心理だった。
今月21日、尹錫悦大統領は「海兵隊蔡上等兵殉職捜査外圧疑惑特検法案」(チェ上等兵特検法)に対して拒否権を行使した。 数十年前、一部の日本国民(沖縄人)に強要された集団自決で作動した国家主義論理と韓国政府が災難に対処する態度は何が違うのか?
国家が国民を、男性が家族を保護するというイデオロギーは、以前のようではない。 それほど期待がないとしても、現政権のチェ上等兵事件への対応は理解し難い。 もはや各自図生さえ許さず、国民が国民を生かす行為も阻止するということか。
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