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2022/10/03

【植民地近代化論】韓国で100年続く企業は10社(日本に3万社・ドイツに1万社)

『朝鮮日報』の記事です。

 

* * * *

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/09/30/2022093081329.html
日本に3万社・ドイツに1万社ある創業年数100年以上の企業、韓国には10社
022/10/02 17:21

「60年企業」も559社にとどまる韓国…「規制を最小化して長寿企業を育てるべき」

 製造業大国日本とドイツには創業100年を超える企業がそれぞれ3万社、1万社以上もある。逆に韓国で100年以上生き残ってきた企業は、斗山、同和薬品、新韓銀行、京紡などたった10社だ。韓国の中小企業界では「韓国も日本・ドイツのように中小のメーカーが産業基盤だが、実業家が会社を代々受け継ぎつつ責任経営・革新経営を行うことが難しく、100年企業が出づらい構造」だとし「相続・贈与関連の規制を最小化して中小企業の育成に乗り出すべき」と要求している。〔後略

* * * *

 

記事の趣旨が「規制を最小化して長寿企業を育てるべき」にあるので、韓国語の記事のコメント欄は「相続税が高い」事を批判するものばかりでしたが、ブログ主は100年以上続く10社に注目しました。

ここに名前が挙がっている4社の創業年はカッコ内の通りです。

斗山(1896年)、同和薬品(1897年)、新韓銀行(前身の漢城銀行は1897年)、京紡(1919年)

 

もう少し調べて見た所、2018/12/15付け『朝鮮日報』の「【コラム】創業100年企業、韓国7社・日本は1万社」という記事が見つかり、 更に2019.02.07付け『毎日経済』では「100年以上の長寿企業…韓国、銀行を含めて8社に過ぎない〔機械翻訳〕」と増えています。この記事によると、上記4社以外に下記の4社の名前がありました。恐らく残りの2社は2019年以降に創業100年を迎えたのでしょう。

蒙古食品(몽고식품:1905年)、廣長會社/廣藏會社(私設市場経営会社/광장회사:1911年)、寶晉齋(印刷会社/보진재:1912年)盛昌企業(特殊合板製造業/성창기업:1916年)

 

この内、蒙古食品は日本人が創業した山田醤油醸造所が前身で、戦後、韓国人が引き継いだものなので、これが入るなら、サムスン(三星商会は1938年)等、もっと多くの企業がありそうですが、韓国人がソウル大学の前身を京城帝国大学(1924年)だとは頑として認めないように、日本統治時代の社史を隠しているのかもしれません。

いずれにしても、見事に日清戦争(1894~95年)以降に生まれた企業ばかりで、李氏朝鮮時代から続く企業はありません。

残酷に収奪された ”日帝強占期” に朝鮮人資本の企業が生まれた事、それ以前には現代にも続く企業が生まれなかった事をどう思うのでしょうか?

 

おまけ

 

20221003_kimuchi_s

 

創業1100年wwww

 

  


 

 

 

 

2022/09/19

【日韓併合】併合前の朝鮮(大韓帝国)の財政状態

韓国人も、ガチガチの反日で、併合前の朝鮮〔大韓帝国〕は韓流ファンタジー歴史ドラマのようだったと信じている人は別として、ある程度は、未開な社会だった事は分かっています。

朝鮮時代、一握りの両班階級が利権を握り、大半の国民は奴婢という社会で、朝鮮人だけでは社会改革もできず、日本による統治によって多くの奴婢が解放された事は理解している韓国人はそれなりに多いのですが、それでも、日本が武力によって無理矢理朝鮮を飲み込んだとか、李氏朝鮮が滅んだ経緯の理解度はまちまちです。

日本が朝鮮を大陸の大国、即ち、シナ(清)やロシアの脅威を避けるためのバッファー(緩衝地帯)として欲していたのは確かで、その為に李氏朝鮮〔大韓帝国〕の自立を期待したのですが、それができなかったために併合に至りました。

では、それが無かったとしたら、朝鮮は存続できたと現在の韓国人は思っているのでしょうか?

答えはYesです。

韓国人は朝鮮が財政破綻していた事を知らないのです。

 

下の画像は、『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔 基鎬 著)という本からの抜粋ですが、朝鮮は清からの独立以来、歳入と歳出の差額をずっと日本に補填して貰っていたのです。例えば、1907年の歳入は748万円で歳出は約3000万円でした。

 

20220919_heigou01

 

20220919_heigou02

 

ブログ主は韓国人に問いたいと思います。

社会改革も自力ではダメ、財政改革もできないで、朝鮮が独立国家として存続するには朝鮮はどうしたら良かったと思っているのでしょうか?

 

李承晩学堂も、これを視聴者に問うたらいいのです。

バカでも李氏朝鮮が亡びたことは分かるでしょう。

 

 

  


 

 

 

 

2022/09/17

【日本統治時代】1943年にソウルを走った電気バス

ブログ主が時々動画をご紹介する『百年歴史』さんのブログより記事画像と一部テキスト〔→機械翻訳〕をお借りしました。

 

19430715_evbus01

https://m.blog.naver.com/kantertube/222415003333
毎日新報1943年7月15日付
電気バス登場、まず4台を15日から運転

15日からソウル通りに電気自動車が走る。 京城電気では燃料と資材節約を図り、3年前にすでに大阪中島製作所に電気自動車10台を注文していたが、そのうち4台が最近完成して到着し、まず15日から大同線(大化亭~東小門間)に朝夕の通勤混雑時間に運転することになった。〔以下略

 

画像の記事内には無いようですが、百年歴史さんのブログによると、内地、つまり日本本土では既に1930年に名古屋に導入され、各都市で走っているそうで、朝鮮でも平壌には既に導入されているとの事です。

定員は35名。 一度充電すれば時速60キロなら1時間、普通速度時速35キロなら2時間は走ることができるのだそうです。

 

こういうのはそれなりに史料や情報があるだろうと思って検索してみたところ、個人の方のブログなので直接リンクは貼りませんが、『戦前の電気バスについて②名古屋市』(http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-1cc9.html)という詳しいブログがありました。

電動バスの歴史』〔著者:森本雅之(東海大学)〕という論文によると、「東邦電力株式会社(現在の中部電力)は、深夜の余剰電力利用のため、電力を蓄電池に貯めて、その蓄電池で自動車の運転することを計画した。」のだそうです。

 

日本統治時代、従来の身分制度から解放される一方、前近代的な資本主義社会から近代的な資本主義社会に放り込まれた朝鮮人〔朝鮮系日本人〕は、それ以前とは違った苦労があったことでしょう。

形式的には機会は平等になった一方、個人の能力が物を言うようになり、また、新たなことを始めるためには財力も必要で、現在と同様の競争社会がそこにあります。万人が満足する社会など不可能なので、不満を持っていた人も多かったでしょう。

ブログ主が常々書いているように、「日本統治時代に『庶民階級』が初めて生まれ、彼らは現代とさほど変わらぬ生活をしていた」という認識を多くの現代韓国人が持たない限り、日本に対する憎悪は無くならないと思いますが、昨今の「국퐁(グクポン)」と呼ばれる、肥大化した民族優越主義により、益々難しくなったでしょう。

ブログ主は(数年のスパンで変化があるというレベルでは)半ば諦めてはいますが、百年歴史さんのような方の努力が報われて欲しいと思っています。

 

 

  


 

 

 

 

2022/09/13

【鮮満鉄道】釜山-奉天(現・瀋陽)間を結ぶ特急列車「ひかり」の命名者は朝鮮人

現代韓国人の反日の原因の一つは、紛れもなく「日本統治時代に我々の祖先は塗炭の苦しみを味わった」という歴史観でしょう。

日本統治時代のことは全てこのフレームで語られる為、例えば「湖南平野の干拓事業」シリーズでご紹介した、日本人農場経営者が小作人の為に無料の診療所を開設したという話も、”効率よく収奪するため” という理由になってしまいます。

”異民族に国を奪われた” という屈辱は分かりますが、そもそも、独立しても国家財政は莫大な赤字で常に日本が赤字補填をしており、高宗(大韓帝国皇帝)が自分の身分や生活の保全と引き換えに日本に国を売り渡したのが実態でした。

ブログ主などは、経済学者が多い『李承晩学堂』が、併合以前の財政状態を説明すれば、『一心会』〔政治結社〕が希望していたような ”対等な立場での合邦” など話にならず、”併合やむなし” というのが理解されると思うのですが、李承晩学堂の先生方は併合には批判的なので、そこには触れないのでしょう。

  

日本との関わりの中で初めて「国家」や「民族」という概念が芽生えたのは皮肉な事ですが、知識人の中にも反発した者もいれば、素早く順応した者もいます。

また、現代とは異なり、一般庶民が情報や知識が十分にあったとは言えない時代に、彼らが「天下国家」を論じていたのか?と言うのは甚だ疑問です。

余談ですが、この「庶民」という言葉、韓国語もそのまま「서민(ソミン)」ですが、『キムチわさび』氏によると、微妙にニュアンスが異なるそうです。〔動画:日本の庶民と韓国の庶民/삶의 주인〕 日本語では別にネガティブなニュアンスはないどころか、江戸時代には「庶民文化」が華開いたりもしましたが、韓国語ではまさしく「下々(しもじも)」。「経済的に貧しい階層」というニュアンスなのだそうです。

恐らく、朝鮮には長らく日本の様な「庶民階級」が無かった為と、日本統治時代に生まれた庶民階層の人々の存在や生活を知らないからでしょう。

韓国人の日本統治時代に対する誤解は、”ほとんどの祖先は日本に抵抗していた”、”日帝に媚びた「親日派」は一部” という先入観だと思います。後者は単に新しい社会に適応しただけなのに。

 

* * * *

前置きが長くなりましたが、下は、釜山・奉天間の特急列車の名称を公募して13668通の中から「ひかり」に決定したという記事です。

  

19330329_railway01
▲1933年(昭和8年)3月9日付け『朝鮮日報』〔六衛府氏のツイートより拝借〕

 

これは、公募する事が決まった記事(1933年1月27日付け)もありますが、朝鮮半島のみで公募したもので、「ひかり」と書いて応募した366人の中から抽選で全羅北道金堤邑龍洞里に住む羅柄淳という方が当選したという記事です。

恐らくハガキか何かで応募し、その理由も、「①新●〔最?〕特急の速き●〔事?〕光の如し、②暗き鮮満交通界に光の光明を与ふる意味に依る」と書いているので、「庶民」の中では上澄みの知識人なのかも知れませんが、一般庶民が新特急の愛称の公募に応募するという、現代と変わらぬ社会がそこにはあったのです。

* * * *

 

【参考】

乗りものニュース:【乗りもの豆知識】戦前にも存在した「ひかり」と「のぞみ」のペア
>東海道新幹線といえば「ひかり」と「のぞみ」。この有名な列車の“ペア”が、現在の中国東北部にあった旧南満洲鉄道(満鉄)と朝鮮半島の旧朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)でも走っていたことをご存じでしょうか。

 

産経:海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり
「日本がつくった」と、なぜ言わない?! (10)鉄道と水道の密接な関係
現在、東海道・山陽新幹線を走る「のぞみ」「ひかり」は戦前、朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)-南満州鉄道(満鉄)をつなぐ国際長距離急行列車の愛称だった。
『時刻表でたどる特急・急行史』(JTB発行)に掲載されている昭和17(1942)年10月の時刻表を見ると、「のぞみ」は、関釜連絡船(下関-釜山)が着く釜山(桟橋)を午前8時に出発、鮮鉄・京釜線の大邱、大田などを経て午後4時45分に京城(現韓国・ソウル)到着。京義線に入って、平壌着が夜の9時43分。満州との国境・鴨緑江を渡って終着の新京(現中国・長春)は翌日昼の1時50分着となっている。
一方の「ひかり」は、昼夜逆の運行で、釜山を夜の7時45分出発、新京着は翌日深夜の11時6分(終着駅はハルビン)。鮮鉄部分(釜山-新義州)が約950キロメートル、満鉄部分(安東-新京)が約580キロメートル、計約1530キロメートルをいずれも一昼夜と少しで結んだ。どちらも1、2、3等車、食堂車、寝台車などを備えた豪華編成列車。さらに昼間走る特急として「あかつき」があり、釜山-京城間を約7時間で走った。

 
個人の方のブログ(大変詳しい解説です)
https://yonezawakoji.com/train_hikari-and-nozomi/
ひかりとのぞみー朝鮮・満州を走った国際列車

 

 

  


 

 

 

 

2022/08/20

【百年歴史ch】創氏改名と金属供出

百年歴史さんの最新動画のご紹介です。〔動画のフレームが表示されにくい場合はこちらから:창씨개명 거부자에 대한 불이익 총정리(Japanese Subtitle)

 

 

1時間以上の長い動画ですが、日本人なら前半だけ観れば十分でしょう。理由は後述します。

今回のテーマは「創氏改名」ですが、たまたま扱った古い記事に「金属供出」に関するものがあり、それで知ったのですが、政府は、”無理矢理供出させた” のではなく、国民から金属を ”買い取っていた” のでした。

金属供出と言えば、寺の鐘や銅像などが供出によって失われた事が有名で、庶民も家庭の金属を供出した事は知っていましたが、日本人のブログ主には「お国のために」率先して差し出す人々がいるのは当然と漠然と思っていたのですが、認可された事を示す腕章をつけた業者が家庭を回って買い取っていたのです。

 

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▲金属供出の話題は37:19~

 

動画にもありますが、金属が金になるとなると、盗みや転売業者が横行したそうなので、腕章は後から考えたものかも知れません。

韓国ではこの金属供出も、”官警が銃剣で脅して奪い取っていった” と信じられているそうで、韓国人は、日本人を貶める為には、ありとあらゆる嘘をつくのだなあと、改めて感心(?)しましたw

尤も、我々日本人は、戦時中の苦労話を聞いても、「しかたがない」で片付けられますが、当時の国民意識の芽生えた朝鮮人はそういう感情だったとしても、現代の韓国人に信じろと言っても無理でしょう。

* * * *

 

創氏改名についても簡単に触れておきます。

この動画は韓国人を啓蒙する為のものなので、まず、韓国人の誤解を理解しないとなりません。

”強制的に名前を変えさせられた” という嘘はもちろんですが、”朝鮮名のままだと「非国民」と呼ばれて、学校にも入学させて貰えなかった”、”生徒が改名しないと学校が潰された”、”就職できなかった” と、要するに ”日本名でないと不利益があった” とされています。韓国語でネットで調べると根拠もなくそう書かれており、テレビでも著名人がまことしやかに語っているので、韓国人はそういうものだと信じ込んでいます。

百年歴史さんは、まず、「創氏改名」とはどういうものかから説明します。

「創氏」とは、家族の氏(ファミリー・ネーム)を付けるという義務なので、韓国で誤解されているように、”子供は拒否した” のような事はあり得ません。「創氏」と「改名」の申請時期が同じだったので誤解されますが、日本式の名前である必要は無く、申請をしなければ、自動的に戸主〔=父親〕の姓が「氏」となっただけです。仮に日本式名前に改名しても、戸籍には朝鮮式の名前も残っていたので、金さんや山田さんに嫁いだ朴さんは家族姓としては金さん・山田さんに変わりますが、朴の姓も戸籍には書かれています。

 

もう一つ、この動画で「婿養子」が可能になった事に気付きました。

朝鮮では、跡取り息子がいない時には、親戚から同じ姓の男子を養子にするそうですが、娘と結婚した男性がその家族姓を名乗れば済むようになりました。

以前も書きましたが、朝鮮人は併合するやいなや、日本式の名前を勝手に名乗る者が続出し、朝鮮総督府は1911年に「日本人と紛らわしい名前は禁止」しています。しかし、特に満州では、中国人に見下されないように日本名を勝手に名乗っていたそうで、これを正式に許可したのが「改名」でした。

 

朝鮮では80%が日本式に改名しましたが、台湾では僅か2%でした。

これは、朝鮮半島では申請制だったのが、台湾では許可制で、しかも、

「国語(日本語)常用の家庭」、さらに「皇国民として資源涵養(かんよう)に努むるの念厚く且(かつ)公共的精神に富める者」

といった条件がありました。〔日本李登輝友の会・愛知県支部:朝鮮、8割の「創氏改名」 台湾、数%の「改姓名」  喜多 由浩(産経新聞文化部編集委員)

 

基本的には日本政府は「朝鮮人や台湾人に日本名を名乗らせたくなかった」のですが、いずれにせよ、台湾のケースを見れば、”日本名でないと不利益があった” のは誤解であると分かるでしょう。

 

百年歴史さんがお作りになる動画は毎回そうですが、解説のみならず、反証可能性も追及する事が素晴らしいと思います。

前半の解説でも十分だと思ってしまいますが、実際に「朝鮮人が日本式に改名しなくても不利益を被らなかった」事を、創氏改名の申請期間終了後の新聞や官報で、朝鮮名のままの方達が学校に合格していたり、ラジオ局のアナウンサーに合格、創氏改名を強要したとされている警察官や朝鮮総督府の役人が朝鮮名のままであった事、etc. で、これでもかと検証します。

動画の後半はほとんどこの検証に費やされているので、日本人なら前半だけでも十分です。

是非、動画に対する「高評価」(イイネボタン)もお願い致します。

 

 

  


 

 

 

 

2022/08/07

【韓国】在日コリアンの日本国籍を認めなかったのは李承晩政権/臨時政府に固執した李承晩

ここに、1949年10月7日に、在日韓国人の法的地位について韓国政府〔駐日韓国大使〕がマッカーサー宛に送った見解があります。〔出典:コリアタブーを解く(西岡力 著)

これを読むと、「大韓民国国民は、一時なりとも日本国民になった事は無い」旨の発言があり、在日韓国人は有無を言わせず韓国国民とされました。日本政府が国籍を剥奪したのではないのです。

 

19491007_korea01

 
今回、これをブログに掲載したのは、「日本政府が在日韓国人・朝鮮人の日本国籍を剥奪した」というあるコメントを読んだからです。

* * * *

 

韓国ではしばしば1919年(臨時政府樹立)か1948年かで建国年が論争になります。

もちろん大韓民国の成立は1948年で、初代大統領は李承晩ですが、韓国の左派は1919年に固執します。つまり、その時点で正式な政府があったのだから、日本の支配は不当である、という歴史観です。但し、日本統治不法論は右派にとっても魅力的な歴史観。

そして、右派は、大韓民国は1948年に成立した「自由民主主義」の国であり、李承晩の建国精神はこれだと言います。

 

しかし、この1949年のメッセージを読むと、李承晩政権自身が1919年の臨時政府に固執しています。彼の頭の中は1919年で止まっていたのです。

李承晩そのものが大韓民国の矛盾ではないでしょうか。

ブログ主は、歴史は「善・悪」の角度をつけて見るべきでは無いと思うので、李承晩という人間に矛盾があっても、それを受け入れ、或いは、客観的に分析すべきだと思うのですが、韓国保守の李承晩信奉者は彼を無謬の人と見ます。

そもそも、李承晩が「自由民主主義」の世界を実現したでしょうか?

これもまた時代背景を考えれば無条件に批判はできませんが、「反共」の名の下で反政府勢力を弾圧しすぎたのが、現在に至る左右の対立の一因になっています。

  

例えば、李承晩(&朴正煕)信奉者は、李承晩のやった反日は良い反日で、左派がやった反日は悪い反日と、左派だけを批判します。

朴正煕大統領も、抗日の義士を祭り上げて、反日民族主義史観を強化しました。本人は、日本のチャンバラ映画等が好きで、こっそり日本から取り寄せて観ていたにもかかわらず、日本文化を排除しました。

保守が拠り所とするこの2人の大統領は激しく同じ民族である北と対峙しました。が、民族主義に抗ったようで、国内をまとめるために民族主義を利用するという矛盾。

李承晩信奉者は、竹島も、李承晩大統領が奪い取った正式な領土だと主張します。

『反日種族主義』を批判していながら、李承晩は無条件に万歳(マンセー)するのが韓国保守です。

 

人間なんて矛盾した生き物です。

そこに「善・悪」の評価を加えずに客観的に見る事が大事だと思います。

しかし、韓国の場合はまずストーリーがあって、それに合った史料だけを採用するからおかしくなるのです。

結局、韓国の保守(右)も進歩(左)も「陣営の戦い」をしているだけです。

しかし、一方で、保守派の一部〔これが李承晩信奉者が多い〕とは、慰安婦問題や徴用工問題では日本の保守派と意見や利害が一致します。

どんなグループに属しているか、ではなく、どんな事を言っているか、で判断し、協力すべき所は協力すべきだと思っています。

 

 

  


 

 

 

2022/07/07

【韓国赤十字】サハリン残留韓国人の帰国支援を日本赤十字に要請

ソ連には、日本統治時代の朝鮮から樺太(サハリン)に移住した朝鮮人とその子孫が住んでいます。

彼らは、戦後、ソ連によって労働力として留め置かれたもので、また、反共の韓国政府の政策によって帰国ができませんでした。

そこで、後述の記事にもあるように、日本政府は人道的な見地から〔実際は、韓国に対する弱腰な態度から〕日本赤十字を通じて帰国や生活改善の援助を行っていましたが、既にその事業も終了し、韓国政府に引き継いでいます。

従って、もはや日本が支援する事などありえないのですが、何故今更この問題が韓国側から出てきたのか、という事は考えておく必要があるように思います。

日本統治時代に移住した朝鮮人は新天地を求めただけですが、これも、日本の左翼弁護士らによって「強制連行」とされているからです。

現在の尹錫悦政権は、韓国国内では左派から「親日派」とレッテルを貼られ、所謂 ”徴用工” 裁判の賠償金のために差し押さえた日本企業の資産の現金化を阻止しようとしています。

これ〔現金化〕をしたら1965年の日韓基本条約を完全に壊す、という事が分かっているかどうかは知りませんが、少なくとも日本から制裁を受け、日韓関係を更に悪化させる事くらいは分かっているからです。

おそらく、唐突とも思える時期にサハリン残留韓国人の問題を市民団体が持ち出したのは、「強制連行」や「強制労働」で韓国世論に訴えるためではないかと思われます。つまり、尹錫悦政権への牽制のように思えます。

ついでに言えば、「大韓赤十字を通じて日赤に要請」とあるので、韓国の赤十字〔のトップ〕も左派に乗っ取られていることも分かります。

日本政府や日赤も相手にすることはないでしょうが、覚え書きとして記事を書き留めておきます。

サハリン残留韓国人については、Wikipediaの『在樺コリアン』や、彼らの帰還に尽力した韓日の夫婦の人生を追ったノンフィクション『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年』〔特にレビューに詳しい説明があり〕が参考になると思います。

 

* * * *

https://www.yna.co.kr/view/AKR20220705120700371
사할린 한인, 日 정부에 "영주귀국 지원 계속해달라"
サハリン韓国人、日本政府に「永住帰国支援を続けてほしい」
送稿時間2022-07-05 15:56

「支援範囲の拡大·未払い賃金で基金造成」なども建議

(ソウル=聯合ニュース)サハリン在住韓国人たちは、日本植民地時代に強制徴用された被害者の子孫の韓国永住帰国に対する日本政府の支援を求めた。

サハリン韓国人協会とサハリン韓国人離散家族協会は、サハリン韓国人代表者会議で採択した決議文を最近、大韓赤十字を通じて日本赤十字に渡したと5日、明らかにした。

1992年に始まったサハリン韓国人の故国永住帰国事業は、日本政府が「人道的支援事業」という名前で赤十字社を前面に出して予算などを支援し、韓国政府が住宅を提供するなどの方式で進められた。

日本赤十字社は2016年永住帰国支援から手を引き、以後韓国政府が引き続き事業を続けている。

在米韓国人団体は決議文で、日本が永住帰国事業を持続すべきだと促した。 1945年8月15日以前、サハリンに移住したり、生まれた人たちが対象の永住帰国支援範囲も拡大し、出生年度などと関係なく母国移住を希望すれば全面許可してほしいと要請した。

「サハリン韓国人支援韓日赤十字社共同事業体」に韓国人団体代表者参加と現地に残った強制徴用1世のための持続的な支援も主張した。

徴用されたサハリン韓国人の郵便預金など未払い賃金を現在の貨幣価値に換算して韓国人特別基金に造成すること、強制徴用1世の永住帰国または一時母国訪問時の同伴者同行、1世残留者のための老人ホーム建設なども要求した。

韓国政府にもロシア政府と二重国籍許容協定を締結し、永住帰国が始まった1992年9月29日以前に第1世代の両親が死亡した人々と、子供たちと別れたくなくてサハリンに残って死亡した第1世代の子孫たちも慰労金支援対象に含めてほしいと要求した。

韓国国籍のない強制徴用被害者のロシア現地子孫にも慰労金を支給し、1世残留者のための生計支援と老人ホーム建設にも乗り出すことを要請した。

サハリン駐韓人協会によると、約3万人の韓国人がサハリンに住んでいる。 同胞1世は500人余り、2世は5000人余り、両親が生存した2世は1500人余りと推算される。

 

 

  


 

 

 

2022/07/01

【湖南平野の碧骨堤】『朝鮮雑記』に見る19世紀末の朝鮮の土木技術

このところ、湖南平野に於ける日本統治時代の治水事業について関心を持っており、前回のエントリーでは1920年代の防潮堤工事について書きました。

今回の話題は湖南平野に限定した事ではありませんが、『朝鮮雑記』(1894年/本間九介著)に「堤防」という文を見つけたのでご紹介します。〔この本については後述

(朝鮮人が川べりを避けて耕作するのは)堤防の技術が未発達だからである。」、「ああ、彼の国の人は(中略)人間の工夫をもって天然の悪地勢を変えられる事を知らないのである。

と、これを読むと、土手を築くという土木技術すら当時の朝鮮では無かったことが分かります。

あるいは、耕作地を増やすために、堤防を造るという発想が無かったり、意欲が無かったのかもしれません。

 

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◆碧骨堤(ピョッコルチェ)

湖南平野の中心にある金堤市の万頃平野(マンギョンピョンヤ)には、「碧骨堤」という百済時代(330年)に造られた水門の遺構があります。

既に4世紀には人口の貯水池があったというわけで、近くには「農耕文化博物館」があり、古代から高度な治水技術があり、この地域が古くから農業が盛んであった事を展示しています。

こちらの観光スポットを案内するサイトでは、以下のように説明されています。

その後も790年(統一新羅)、1415年(朝鮮時代)にも大規模な修築が行われています。その規模の大きさは、朝鮮時代の修築の際、全国から集められた人夫が碧骨堤に到着し、草鞋についた土をはらった場所が山となったところが、現在の草鞋山(チョヘサン)であるという言い伝えから伺い知ることができます。

碧骨堤の維持・修築がどれほど巨大な国家規模の事業であったかを推し量ることができます。1420年に暴風のため流失、1925年の日本支配期には灌漑用水路として改造したため破損、現在に至っています。

 

日本人によって破損とありますが、

1420年に流出してから1925年までの500年間、いったい何やってたの...?

 

李氏朝鮮時代は、だいたい日本の「室町時代~明治半ば」と考えれば分かりやすいです。

その前の高麗時代末に地方の武人である李成桂がクーデターを起こして即位したのが1392年。室町幕府も1392年から。日本では1467年の応仁の乱以降、戦国時代となります。日清戦争〔下関条約〕によって清から独立し、大韓帝国と称したのが1897年(明治30年)です。

李氏朝鮮の500年間は技術が停滞どころか衰退していった時代です。

しかし、この「湖南平野」シリーズで見てきたように、博物館などでは日本統治時代の治水事業を隠しているためあたかも、古代から高度な治水技術を維持していたかのように勘違いさせる仕組みになっています。

 

◆『朝鮮雑記』について

この本は、本間九介(ペンネーム「如囚居士」)という人物が1894年4月から6月にかけて『二六新報』という日刊新聞に連載した朝鮮事情という連載記事を、連載終了後、書籍化したものです。

現代語訳されて『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』として出版されていますが、オリジナルは国立国会図書館のアーカイブスで読むことができます。〔ダウンロードも可能〕

本間九助は、ここでは新聞社の特派員のようなことをしていますが、「大アジア主義」〔欧米列強のアジア侵略に対抗するため、アジア諸国民は団結すべきであるという考え方〕的な考えの人で、東学党の首魁(頭)に会ったり〔但し、首魁というのは勘違いらしい〕、朝鮮を旅行中もそういう事を説いていたのが伺え、「朝鮮人は気概が無い」といったことを嘆いています。

6月30日付けのエントリーの「竹槍歌」の説明で書いたように、東学党が単純な抗日ではないのですが、この中から李容九のような親日派が現れ、日韓併合を要求する政治結社「一進会」にも繋がっています。

この「東学党の首魁に会う」という題のコラムでは、相手から、「日本人は、壬辰倭乱〔秀吉の朝鮮出兵のこと〕で我々を恨んでいませんか?」と聞かれたので、九助は「もしや、この国の人は自分達が勝ったと勘違いしているのかも知れない」と思い、「いや、壬辰の役では日本が大勝したのですが」と答えると、相手は反論して、「あなたの国では歴史を正しく伝えてないのではないか?」と問い返されます。

まるで、現代の韓国人と日本人の会話のようで面白く、印象に残っています。

 

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2022/06/27

【湖南平野の治水事業】金堤の干拓事業と広活面干拓地【東津農業株式会社】

下の画像は韓国の国立文化財研究院(국립문화재연구원)の文化遺産研究知識ポータル(문화유산 연구지식포털)というサイト全体を機械翻訳にかけ、一部を切り取ったものです。

 

20220627_bouchoutei01
URL:https://portal.nrich.go.kr/kor/originalUsrView.do?menuIdx=1046&info_idx=8765

 

『일제강점기 전라북도 농촌 수탈의 痕跡 』(日帝強占期 全羅北道 農村 収奪の 痕跡』という、怨念に満ちたタイトルのレポートですが、この表紙に使われている写真が下の画像です。

 

20220627_bouchoutei02
▲東津農業株式会社 防潮堤最終締切作業 昭和2年(1927年)4月5日干潮時の状況

 

この画像だけではどの場所かは分かりませんが、「동진농업주식회사」(東津農業株式会社)をキーワードにして検索すると、韓国学中央研究院(한국학중앙연구원)の『광활면 간척지』(広活面干拓地)というサイトが見つかりました。

広活面〔廣活面/「面」は行政区分〕というのは全羅北道金堤市の地名で、下に現在の広活面の地図を示しましたが、当時は直接東津江や黄海〔韓国では西海〕に面していたようです。〔全羅北道金堤市広活面(전라북도 김제시 광활면)

 

20220627_bouchoutei03
▲Google Mapより

 

下は、『日帝強占期全羅北道農村収奪の痕跡』からキャプチャしたものですが、ここで言う防潮堤とは、盛り土で造った土手で、下の画像を見ると、干潟に土手を造って海と区切る事から始めたようです。左右どちら側が農地になったのか分かりませんが、この後、土を入れ替えて土壌改良が必要そうです。

 

20220627_bouchoutei05

 

韓国学中央研究院の説明は記述に悪意はありますが、情報量が豊富なので、このサイトの説明部分を機械翻訳してご紹介します。〔緑字はブログ主の補足。なお、地名などの固有名詞は誤訳があるかも知れません。

 

* * * *

http://gimje.grandculture.net/gimje/toc/GC02600498

広活面干拓地

[定義]

1923年、東進農業株式会社が全羅北道金堤市広活面地域で3年間築造して農地を造成した干拓事業。

[開設]

全羅北道金堤市広活面は金堤市中心地から約15kmの距離に位置した亀の形をした地域だ。 東側の金堤市聖徳面、北側の金堤市真峰面と境界を形成し、南西側には東津江に始まる西海と隣接した干拓地として傾斜がほとんどない平野地帯だ。 また、地方道702号線が万頃と竹山を連結し、農漁村道路が地方道を中心に四方に連結されており、交通が便利な地域だ。

[歴史的背景]

全羅北道金堤市広活面は本来金堤市真鳳面地域で東津江下流の干潟だった。 1923年10月、日本人財閥阿部房一郎〔恐らく、阿部房次郎が正しいが自己資本100万円と日本政府補助金100万円など200万円で東津農業株式会社を創設し防潮堤を積み始め、3年後に10kmの堤防を竣工した。 しかし、海水が出入りしていたここを農作業できる田んぼにするまでには、更に9年がかかった。

[経過]

潮が出入りしていた干潟に防潮堤を積み、各地から移住民を集めて集団農場体制の人為的な村を作った。 1924年当時、金堤郡真鳳面隠波里学堂から東津江河口に沿って巨田に至る10kmの防潮堤が築造され、夢里面積1.01㎢に達する農耕地が造成された。 日本による植民地時代時に作って当時史上最大規模だった広活面干拓事業には全国各地で生計が漠然とした人々が自発的または半強制的に動員された。 広活面の広い野原は、チョ·ジョンレの大河小説『アリラン』の舞台でもある。

[結果]

工事が終わった後、干潟は農作業をする土地になり、干拓事業に参加した外地の人々の大部分はその「干潟」に小作人として居座った。 彼らは初期に収穫量の70%を小作料として払わなければならず、奈落一粒を目を通すだけで追い出される逼迫を受けた。 彼らは干拓地で忍苦の人生を生きる自分たちを指して「干潟に住む庶民たち」と呼んだ。 その言葉の中には当時日本による植民地時代小作農たちの民衆的人生の哀歓が込められていた。 以後、干拓事業で築造した堤防が1952年台風で流失し、翌年の1953年に政府の緊急措置で新堤防が構築された。

* * * *

 

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2022/06/26

【湖南平野の治水事業】東津江(ドンジンカン)と雲巌堤【東津水利組合】

全羅北道・湖南平野の治水事業の歴史を調べていくと、悉く日本統治時代の歴史が隠されていることが分かります。

この地域は、併合以前から日本人が土地を買い集めて農場経営を行っている事から、以前から農業地帯ではあったのですが、二つの課題があったようです。一つは灌漑、もう一つは干拓です。

干拓については別のエントリーで取りあげる予定ですが、湖南平野を流れて黄海に注ぐ二大河川が東津江(ドンジンカン)と万頃江(萬頃江/マンギョンガン)で、河口付近は海抜が低く、日本統治時代に防潮堤を築いて潮の侵入を防ぎ、農地を拡張しています。

 

20220626_konanheiya01

 

20220623_zenrahokudo_map

 

東津江の河口は扶安郡に属し、万項江は金堤と群山の間を流れて黄海に注ぎ、その間に挟まれた金堤の平野部は特に金堤平野と呼ばれて湖南平野の中心に位置しています。

金堤平野や万項平野の灌漑工事を行ったのは1925年8月19日に結成された東津水利組合で、独立後、東進土地改良組合(1962.01.21)や農業基盤公社東進支社(2000.01.01)等、合併や改称が幾度となく行われ、現在は韓国農漁村公社東津支社(2008.12.29)となっていますが、その歴史には日本統治時代の事業は殆ど触れられていなかったり、独立後の組織の名称で語られています。

 

20220626_toushinsuiri01

 

東津水利組合が行った治水事業の一つに、蟾津江(ソムジンガン)の上流に造られた「雲巖堤(雲岩堤)」があります。「堤」と言っても、コンクリート製のアーチ式ダム〔長さ613m、高さ33m〕です。

 

20220626_ungan01
▲工事中の雲巖堤

 

雲巖堤は1925年3月着工、1928年12月に竣工しました。玉井貯水池とも呼ばれ、灌漑用のダムですが、発電施設も備える多目的ダムです。貯水量は6900万トンで、当時の朝鮮では最大規模の貯水量を誇りました。蟾津江は南に向かって流れる川ですが、貯水池の水は東津江にも流され、金堤平野を潤しました。

1940年頃には更に水量を増やすため、蟾津堤の建設事業を開始しますが、戦争によって頓挫。蟾津ダムの着工は独立後の1961年を待つことになります。

雲巖堤は拡張された玉井湖の底に沈み、新たに4億3000万トンの有効貯水量を有するダムが1965年に完成しました。

※これも日本工営の日本人技師により建設されました。〔『電力土木の歴史ー各河川水力開発の変遷(その10)』1991年/稲松敏夫/P.10(P.238)〕

 

【参考】韓国民族文化大百科事典『운암제(雲巖堤)

 

なお、韓国農漁村公社(한국농어촌공사)のサイトに雲巖堤の事が書かれていたので、その一部を機械翻訳でご紹介します。

 

* * * *

https://www.ekr.or.kr/Kkrpub/webzine/2021/02/section1-4.html
国内最大規模の貯水池築造
雲巖堤

韓国農漁村公社の113年の歴史を振り返る。 今月は国内最大の貯水池だった雲岩堤についての話だ。

かつて全羅北道の穀倉地帯は日照りが頻繁な地域でした。

特に1907年から3年間は深刻な日照りが続きました。地域住民は生計の基盤を失い、飢えに命を落としたりもしました。

1925年8月19日、私たちは日照りを乗り越えるために大きな挑戦を始めました。〔おめーらがやったんじゃないだろw

1億2,000万ウォンという当時最大規模の工事費を投入し、全羅北道地域に農業用水を供給する貯水池を作り始めました。

2年が経って1927年、国内最大規模で完工した雲岩祭は全羅北道穀倉地帯の乳腺として韓国国民の食べ物と大切な生命を守ってくれました。

雲巖堤は全羅北道の穀倉地帯である井邑、扶安、金堤など3郡の乳腺で1925年8月19日、東津水利組合設立直後に着工し、2年後の1927年12月に竣工した。 万頃平野を灌漑する農業用水源として、蟾津江本流と秋嶺川が合流する地点から2.4km下流に築造した雲岩堤は竣工当時はもちろん1950年代までも国内で一番規模が大きい貯水池だった。 雲岩堤の築造に投入された工事費も1億2,000万ウォンで、当時最大規模だった。 このように技術と資金が極めて不足している日本による植民地時代に←日本の技術と資金でやったのですが、何か?雲岩堤のような大規模農業用水の貯留を主な目的としたダムが築造されたのは、この地域に頻繁に発生する深刻な日照りのためだった。

雲巖堤は当時としては類例のない大規模多目的ダムであり、外形上美観を備えたアーチ型ダムでもあった。 国内で初めてテンターゲート式の洪水吐〔水を放出する装置〕を備え、水をすぐ下流に流すのではなく、山を越えて他の水系に灌漑水を導水しなければならなかった。 このために取水塔から4kmのトンネルを開けて用水を東津川に流入させ、用水が東津川に流れ込む部分に雲岩発電所を設置して電気を生産した。 そして、ここから再び6kmのトンネルを開けた後、用水が落下する地点に七宝発電所を作った。

* * * *

 

このダム建設もまた「収奪のため」になるのでしょうか。

 

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