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【国際】韓国(歴史問題)

2024/09/09

『朝鮮同胞に對する内地人反省資録』(1933年)

韓国人ジャーナリストの崔碩栄氏が下記の様なポストをされていました。そこで思い出した本があるのでご紹介します。

 

崔碩栄
@Che_SYoung
満洲国に生まれそこで幼年期を送った伯母から聞いた話🙄
長春には銭湯がいくつがあった
【日本人経営】の銭湯は高くて中国人は行かなかった
【朝鮮人経営】の銭湯に日本人は行かなかった
【中国人経営】の銭湯には日本人も、朝鮮人も行かなかった

活動領域は「民族」ではなく「価格」で決まったと😐
午後9:53 · 2024年9月8日

 

その本が掲題の『朝鮮同胞に対する内地人反省資録』という本です。

 

20240909_naichijin_hansei1933

 

この本の事は『百年歴史』さんのブログで知ったのですが、上の画像にも書いた様に、『朝鮮人の篤行美談集』とセットで1933年に朝鮮憲兵司令部が編纂した物。

事例を挙げて、「朝鮮同胞に対してこういう差別は良くない」と、内地人(日本人)の反省を促す目的の本です。今風に言えば、人権啓発本。

そしてこの本は韓国で、「조센징에게 그러지마!(朝鮮人にそんな事をするのはやめよう!)」というタイトルで翻訳・出版されています。

本の説明を読む限り、「日本人は朝鮮人を差別していた~」という趣旨の本のようです。

「差別があった」事を重視するのか、「差別を無くそうとしていた」事を重視するのかで印象が違いますね。

 

この本に書かれている事例とは、例えば、

洋服屋の事務員の朝鮮人が親戚3名と共に日本人経営の温泉に行き、特級の浴場に入ろうとしたら、「あなたはいいが、他の3人はダメ」と言われて、普通浴場に案内された、

というエピソードがあるそうです。

 

これは、百年歴史さんもブログに書いていらっしゃいますが、朝鮮人だから差別した訳ではありません。

親戚3人の身なりがみすぼらしいとか不潔だったからのようです。

この事を冒頭に挙げた崔さんの視点で言うと、民族ではなく、その人の財力で活動領域が決まった例と言えるのではないでしょうか。

 

* * * *

 

残念ながらこの本の復刻版は日本では出版されていませんが、元々『朝鮮同胞に對する内地人反省資録』は一般向けに出版された本では無く、関係各所に頒布したもののようです。

朝鮮公論 21(6)(243);6月號』に書評が掲載されているので、(閲覧にはログインが必要で、キャプチャが撮れないため、)書き写します。

 

『朝鮮人の篤行美談集』と『內地人反省資錄』
朝鮮憲兵司令部の善舉〔挙〕

朝鮮憲兵司令部では、過般「朝鮮の人の篤行美談集』第一輯〔集〕及び朝鮮同胞に對する内地人反省資録』なる二冊子を編纂し、前者は普〔あまね〕く廣く頒布し、後者はその性質上極く一部の有識者に配布したが、篤行美談集はいふまでもなく、朝鮮人の篤行美談を收錄したもので、涙ぐましきまでの朝鮮人の誠實〔誠実〕振りが、その一人一事に躍動して、實に感動禁じ得ないものが ある。「内地人反省資錄』は、読んで字の如く内地人が、朝鮮人に對して反省すべき、問題が一つ一つ實例を以て示された もので、しかもその一つ一つは、かりに内鮮人が反對の立場 に置かれたとすれば、内地人として到抵捨て置き難き問題ばかりである。この篤行美談集と反省資録とが、憲兵司令部といふ一寸方角違ひから出されたといふことは、この種の問題 にもつと方角の近い方面は大いに恐縮していいと思ふ。現司令官岩佐少将は、朝鮮と朝鮮人には格別理解の深い人と、一 般朝鮮人から深く敬仰されてゐるが、まさに斯〔こ〕の人にして斯の擧ありといふべきである。

 

  


 

 

 

2024/09/05

【ベ・ミン博士】韓国『国史』教科書「近代史」の問題点(2)

前回のエントリーの続きです。

 

3.「近代国家樹立のための努力」

この部分は日清戦争から大韓帝国樹立時期までの部分だ。 旧韓末で最も悲しく情けない感じを与える部分がこの時期だが、すでにクリティカルタイム(開港から日清戦争まで)を虚ろに送った朝鮮が、遅ればせながらそれも「時代遅れのロシア式専制政治」に新たに跳躍しようとする誤った方向の改革を示す最も代表的な例であるためだ。 発題者〔※講演者=金容三記者〕も指摘したように、特に日本へのコメ輸出と関連した教科書の叙述内容は、経済史を意図的に歪曲させて叙述する印象を強く漂わせる。 また、東学農民運動もやはり発題者の見解のように実際より理想化され過剰意味付与された代表的な部分だと考えられる。

 

4.「日本の侵略拡大と国権守護運動」

この部分は大韓帝国樹立以後から韓日併合時期までだ。 事実上、日露戦争での日本の勝利により、韓国の状況はほぼ以前まで競争関係だったすべての緊張関係が解消され、日本が韓国で、発題者が表現したとおり「優越な利益」を安定的に確保する状況になった。 それまでのすべての改革のための機会を無駄にして、今になって朝鮮が取れる選択の余地は極めて制限的になったが、現行の韓国史教科書はこのような状況をありのままに見せるよりは、発題者が指摘した通り「偽ニュース」を根拠に当時の状況を持続的に隠蔽している。 いつまで学生たちがそのような、事実とかけ離れた歴史的認識を土台にした、乙巳条約、韓日併合条約の無効に執着する歴史認識を持続していくよう放置するのか。

その後続く義兵関連教科書の叙述もファクトに記述した叙述というより、東学農民運動や韓日併合条約に関する叙述のように偶像化、英雄化、理想化などの過剰な意味付与で点綴〔※〕された内容になっている。 「日本は強者であり、悪い国であり、朝鮮は弱くて善良な国」という図式的な二分法で、韓国史教科書の叙述は歴史叙述というより自己憐憫の小説に近い内容になってしまう。

 

※点綴(てんてい)とは「点を打ったように,物がほどよく散らばること。また,散らばっている物をほどよく綴り合わせること」で、この言葉自体はポジティブな意味のようですが、ブログ主はこれを読んで、最近読んだ『愛されない共和国』(ブライアン・マイヤーズ著)に書かれていた、”韓国人が書いた歴史書は時系列を無視する”、”歴史を流れでは無く、物語の集まりとして捉える” (←意訳)という事を思い出しました。

以下は ”総括” に当たるのでしょうが、ここでも「不平等条約」に関する見解を述べてらっしゃいます。これを読むと、清による扱いがあまりにも酷かったので、”多少不利な条約だったが、清に比べたら日本は天使” みたいな話なのではないかと思い始めました。

 

経済史の部分で発題者がよく指摘しているように、最も不平等条約は、清と結んだ条約だったことは明白な事実だ。 旧韓末の叙述は、この点だけを見ても明白に反日親中の偏った見方を基にしていることを示している。 さらに、朝鮮および大韓帝国政府の無能な経済および外交政策に対する内容は、清に対する内容よりも徹底的に隠蔽している。 朝鮮は弱く、善良な国という図式は、これでぎりぎりに維持されていく姿が、旧韓末の叙述の本質といえる。

 

発題者がまとめた「現行高校の韓国史教科書の問題点」の部分は、今後現在の教科書をどのように修正していくべきかをよく示している。 発題者が指摘した部分のうち、歴史的事実自体を誤って記述している、すなわち歴史記述における誤りの内容は早急に修正されなければならないだろう。 また、反日親中の偏った叙述の様態は、よりこれに対する批判を十分に公論化させる必要もあると考える。

 

しかし、最も本質的な問題は、発題者が最後に指摘した「朝鮮の滅亡について語らない」韓国史教科書の姿だ。 この件に関しては,私は発表者よりも個人的に最も苛立っている人物の1人だ。 なぜなら、この部分が曖昧に叙述されているため、日帝時代の韓国史叙述で韓国人が日帝によって収奪された歴史という敍事が堅固に機能するためだ。

甚だしくは愛国、反共などを叫ぶ自称右派市民の多くも、日帝時代に対する根本的な錯覚と幻想に陥っていることを見ることになる。 朝鮮社会の中で両班集団と政府官吏たちによって受けた真の搾取に対しては知らぬ存ぜぬで一貫する叙述のせいで、彼らは善良な韓国人たちが悪い日本人たちによっていじめられたという単純認識に捕らわれている。 日帝の支配政策は事実上、搾取というよりは同化がその本質だった。 むしろ真の搾取と収奪の関係は、日帝時代の韓国人と日本人の関係だったというよりは、それ以前の19世紀朝鮮社会の中の両班と農民の関係だったと見るのが事実に近い。

 

 

  


 

 

 

【ベ・ミン博士】韓国『国史』教科書「近代史」の問題点(1)

前々回のエントリーでご紹介した韓国の歴史教科書の執筆者... この方は高校の歴史教師ですが、イギリスに留学して学位を取られたようなのでここではベ・ミン博士と表記しました... 博士のブログに韓国の歴史教科書、特に近代史の問題点が書かれていました。

歴史教科書に関するセミナーのようで、『反日種族主義』の執筆者の一人でもある金容三氏の講演内容(現行歴史教科書批判)を要約したもので、ご自身がそれぞれの時代区分をどのように見ているのかを述べているので、非常に参考になります。

長いので2回に分け、ご紹介します。

なお、本文から各章の小見出しを切り出したくらいで文章はほぼそのまま。途中にブログ主のコメントや補足(黒字)を挟んでいます。

 

 

* * * *

https://www.baeminteacher.com/post/%EA%B5%AC%ED%95%9C%EB%A7%90-%EC%97%AD%EC%82%AC-%ED%86%A0%EB%A1%A0
구한말 역사 토론
旧韓末歴史討論会

ここで「旧韓末(구한말)」という言葉について補足説明します。

今まで、あんな短い大韓帝国に「末」も何もないだろうと思っていたのですが、現在の大韓民国に対して「旧韓」、そして「末」は「王朝の末」の事だそうです。一般的には、李氏朝鮮時代末期と大韓帝国の時代を指す言葉です。

 

発題されたキム・ヨンサム大記者〔※〕は東亜出版、天才教育、金星出版社の3ヶ所の教科書を分析対象にして現行の高校韓国史教科書の旧韓末~大韓帝国の時期を分析している。

※韓国では専門分野を持つジャーナリストを「大記者」と敬意を持って呼ぶと、以前、産経新聞の黒田勝弘客員論説委員が何かに書かれていました。黒田さんもこの基準で言ったら「大記者」でしょう。

 

1.「西欧列強の接近と朝鮮の対応」

この部分は開港前の19世紀後半の時期を扱っている。 衛正斥邪〔※〕政策が外交政策の主を成す時期だったが、当時の国内に排他的な両班集団の情勢認識を発題者がよく指摘している。

衛正斥邪(えいせいせきじゃ):朝鮮王朝末期の思想。元来は正学(朱子学)を守り,邪学(仏教や天主教など)を排斥するという内容であったが,欧米列強の侵略に直面して,欧米諸国を夷狄視して排斥し,鎖国を維持しようとする思想へと変化した。 〔大辞林〕

 

興宣大院君〔※〕の外交政策の本質は、国内政治の延長線上にあった。 国際情勢などは政府の役人たちも、地方の儒者たちも知るところではなかったのは、単に旧韓末だけでなく、もしかしたら今現在にも適用されるのではないかという気がする。

※興宣大院君(1820~1898):「大院君」は国王の父の尊称だが、一般には大院君だけでも朝鮮王朝第26代高宗の父を指す。高宗の妻 閔妃と確執。

 

2.「東アジアの変化と近代的改革の推進」

この部分は開港後の日清戦争直前の時期までの内容だが、発題者はここでも教科書の歪曲された内容に対して重要な指摘をしている。 「征韓論」論争を招いた朝鮮と日本の外交関係摩擦の本質は、朝鮮が清の属邦だったという事実にあるのではないかと思う。

しきりに現行、そして既存の韓国史教科書は一貫して民族の自尊心を高めようとする目的なのか分からないが、この明確な旧韓末の大前提を隠してきた。 その結果、学生たちは旧韓末の歴史を歴史的な視点で接近できず、現在の大韓民国国民の視点で接近し、日本、清、ロシア、米国に備えて朝鮮の当時の現実的な状況を認識することに失敗することになる。 この部分だけではないが、韓国史の教科書でこのような現実をありのままに見せる上で無責任に回避する姿は、明らかに是正されなければならないのではないかと思う。

 

江華島条約が不平等条約だったという内容は、特に旧韓末の教科書の中で最も本質的に歪曲された表現ではないかと思う。 江華島条約は、朝鮮が上で述べた清の属国だったことを勘案すれば、むしろ独立国としてさらに平等な地位を初めて保障されるようになった結果をもたらしたのが真実に近い。 真実は不平等条約というより不利な条約だった。 そして、この結果は発題者が正確に指摘したように、朝鮮の外交的無知がその原因だった。

その後続く朝鮮と西欧列強との修交は典型的に清が属国である朝鮮をどのように料理して自身の主導権を持っていこうとしたのかをよく示しているが、これも現行教科書は一切清に不利な内容を表さずに隠蔽している。 現代史(大韓民国史)では、少しでも政府による、特に自由党政府と軍人政府時代の政策によって、民間人が怪我をしたり、死に至ったりした辛い過去を表に出すことができず、焦った韓国史教科書が、なぜ旧韓末に清によって惨めに外交的に引きずられていた過去を表さないよう、これほど努力するのか理解し難い。

隠蔽は非常に選別的に起こる。 日本による損害や被害は実際よりも誇張して表し、清の場合はその逆である。 旧韓末だけでなく、これは韓国史、近現代史全体を貫く一つの叙述原則のようだ。 これを偏向的だと言えなければ、何に対して偏向的だと言えるのか分からない。

 

この、”江華島条約〔※〕が不平等条約では無い” というのは、ベ・ミン博士以外にも仰る韓国人がいます。

※江華島事件: 1875年(明治8),朝鮮の開国を要求して示威中の日本の軍艦雲揚号が,江華島砲台と交戦し,一時占領した事件。この結果,翌76年,釜山ほか二港の開港などを内容とする江華条約(日朝修好条規)が締結された。

 

ブログ主にしてみれば、(日本が幕末に欧米列強と結んだ不平等条約と比較しても、)日本側だけが治外法権を持ったり、勝手に朝鮮で測量できるなど、「平等では無いのだから『不平等』だろ?」と思うのですが... 。

ただ、ベ・ミン博士の説明を借りれば、それまで清の属国であり、外交権を持たないはずの朝鮮が日本と(一応、)対等な国同士という関係で結んだ初めての条約という意味が大きいようです。

江華島条約の第一款、

「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める。 」

実はこの部分に朝鮮は当初抵抗しました。

日本側は「独立国」としたかったそうですが、「自主の国」という表現で独立国と解釈し、朝鮮側は清に気兼ねして、「清の属邦だが自主はある」という解釈で納得しました。

”不利な条件ではあったが、不平等では無い” ... この説明には納得しかねますが、韓国人には矛盾ではないのでしょう。

 

不思議なことに、英国についてはむしろ非常に中立的に述べている。 いや、叙述を非常に大事にしているような姿だ。 これも理解できないのが、19世紀の世界最強大国だった英国の東アジア外交戦略の大きな枠組みを記述せずに、旧韓末の歴史を論じるということから、「めくらが象を触る」ようなものだからだ。 国際関係を正義と不義、善悪の構図よりは、各国がどのような利害関係を持っており、旧韓末の朝鮮はその中でどのような利害関係を追求すべきだったのかをもう少し冷徹に見つめるようにする教科書の内容にならなければならないのではないかと思う。

 

次回に続きます。

 

 

  


 

 

 

2024/08/29

李承晩の1918年の住民登録カード(Registration Card)

韓国では併合期に韓国人の国籍が日本だったかどうかで未だ喧(かまびす)しいのですが、李承晩は1918年にアメリカで住民登録カード(正しくは「第一次世界大戦徴集カード」との事)の国籍欄に「Japan」と記入しています。

韓国人は「李承晩は『無国籍』を貫いた(キリッ」と言うのですが、アメリカでは日本人(コリア系日本人)と見なされていただけの話でしょう。

 

李承晩が自分で記入した住民登録カードが見つかったのは2013年です。

韓国人は衝撃を受けたようですが、それは前述の李承晩の定説と相反するからです。

李承晩にとっては日本国籍と書くのは不本意だったかもしれませんが、アメリカの当局は事務的に処理しただけでしょう。

 

* * * *

https://www.headlinejeju.co.kr/news/articleView.html?idxno=191188

ヘッドライン済州(헤드라인제주)

이승만 美체류시절 자필 국적표기 충격..."내 국적은 일본"
李承晩、米国滞在中に自筆の国籍表記に衝撃···「私の国籍は日本」
2013.10.05

初代大統領の李承晩(イ·スンマン)が米国滞在時代に国籍を日本と表記した文書が公開され、関心を集めている。
米国国家記録院と古文書保管サイト「エンシストリードットコム」(Ancestry.com)が公開した資料によると、1918年、李承晩元大統領の徴集書類に国籍が日本になっている。 このカードは李承晩(イ·スンマン)元大統領が直接筆記体で作成したもので、当時44歳だった彼は旧暦の誕生日(3月26日)とともに職業は「韓国学校校長」(Korean School Principal)、住所は「ハワイ」となっている。 今回発見された古文書の中には、1933年に李元大統領のニューヨーク入港記録をはじめ、連邦文書60件が発見された。 写真は李承晩の「第一次世界大戦徴集カード」。〔中略〕

これと関連してニューヨーク韓国日報は、この書類は「第1次世界大戦徴集カード(U.S. World War I Draft Registration Cards)」で、李承晩元大統領の「英語名」(Syngman Rhee)、「生年」(1875年)などと一致する連邦文書60件が発見されたと伝えた。〔後略〕

 

20240829_registrationcard

 

2018年と言えば、3.1独立運動も臨時政府もできる前です。少し前のエントリーで書いたとおり、1919年には独立の機運〔※〕が高まり、臨時政府が乱立しました。ソウル(漢城)には「漢城臨時政府」ができ、最終的には「上海臨時政府」と合併して李承晩が初代大統領となります。国号は「大韓民国」。李承晩はその後も漢城臨時政府の大統領と称していたそうですが、その1年前なので大韓民国はありません。強いて言えば「大韓帝国」なのですが、仮にそう書きたかったとしても、恐らくアメリカの当局はそれでは受け付けなかったでしょう。

李承晩は1897年、培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄され、1904年に特赦で釈放されるとすぐに渡米します。その時は大韓帝国です。韓国語のWikipediaによると、”1904年8月9日に釈放された李承晩は、その後、ミン・ヨンファン(閔泳煥)に会い、彼の密書を所持して米国大統領に会うために11月に渡米することにした。... 1904年11月4日、済物浦港〔※現 仁川港からアメリカに出国した。” とあります。

ということは、海外を転々としている間に国が無くなり、本人の意識では「無国籍」のつもりだったのでしょう。

 

ちなみに、「李承晩記念館(이승만기념관)」のサイトには「最後まで無国籍者の身分を維持した独立運動家」と題して以下の様な説明があります。

 

* * * *

李承晩は独立運動のために外国に出て、米国に帰るたびにいつも出入国に苦労した。 韓国が日本に強制併合され、李承晩も他の独立運動家のように無国籍者になったからだ。

1932年11月、上海臨時政府の金九主席は李承晩に全権大使としてジュネーブに行くことを懇願した。 李承晩は快楽して米国に行こうとしたが、再入国ビザが出なかった。 米国務省には、李承晩(イ·スンマン)を快く思わない官吏が多かったからだ。

李承晩は以前にもこのようなことでプリンストン大学の師匠だったウッドロウ·ウィルソンを訪ねたことがあった。 国務省の高官らが再入国の許可をしてくれないと言って取り持つことを頼むためだった。 ウィルソンはイ·スンマンに「簡単な方法がある」と言った。 米国市民権を申請せよということだった。 李承晩(イ·スンマン)は、「それは話にならない」と一言の下で断った。

李承晩(イ·スンマン)はウィルソン大統領が勧めても、米国国籍を最後まで得られなかった。

「大韓民国が独立すれば大韓民国の国民になるから」という言葉が彼の理由だった。

当時、徐載弼(ソ·ジェピル)、安昌浩(アン·チャンホ)、金九(キム·グ)、金性洙(キム·ソンス)ら独立運動家たちがみな米国籍、中国籍、ソ連国籍、日本国籍で暮らしていた時、李承晩はいつも無国籍者だった。 特に、共産、社会主義系列の独立運動家が中国籍、ソ連国籍を取得した点と大きく対比される。

李承晩の日記 中 - 1933年8月8日

「領事館に行くと、領事は食事に行っていなかった。 私は待っていた。領事が入ってくると、副領事と一緒に私のパスポートを見て、私が韓国人〔※한국인なのに日本のパスポートを拒否し、米国市民でもないのに米国のパスポートを発給された事実に非常に興味を持っているようだった。彼らは私のパスポートが多くの不便をもたらすので、外交ビザを発給してくれると言った…」(後略、英文略)

※原文は英語なので、Koreanと書いていると思われる。

フランチェスカ「大統領の健康」より

「米国務省はうんざりのあまり、私たちに米国市民権を発給してもらうように言った。 しかし、夫の答えは一様だった。 「朝鮮が独立しますので、お待ちください。その度に、私は夫の信念と、誰も犯すことのできない特有の威厳にいつも圧倒されていた。 この堂々とした無国籍者の夫と私がこれによって経験した苦難は、大韓民国建国の時まで続いた」

* * * *

 

李承晩に対してはアメリカは特別な配慮... 対日外交に利用できると思ったのかも知れませんが... アメリカのパスポートが発給されたようです。

ところで、李承晩の日記に気になる箇所があります。

「私がKoreanなのに日本のパスポートを拒否し... 」

つまり、日本に併合された韓国人は、本来は日本のパスポートを取るのが常識だと、少なくともアメリカではそう思われていたと本人も自覚していたのではないでしょうか。

 

 

  


 

 

 

 

2024/08/28

韓国人「歴史(集団的記憶)とは概念的な虚像であり、物質的実態で補完するものである」←それって捏造じゃんw

前回のエントリーで ”韓国では証拠に基づいた「事実」ではなく、観念によって「事実」が作られる” と書きましたが、それに関連したエントリーになります。

崔鍾徳(チェ・ジョンドク)元国立文化財研究所長という方が、『世界日報』(韓国語版)に興味深いコラムを書いています。

ブログ主にとって ”興味深い” というのは、韓国人の理論とか思考方法を探るのに良い記事という意味です。

 

* * * *

https://www.segye.com/newsView/20240826512842
[최종덕의우리건축톺아보기] 우리는 왜 조선궁궐을 복원하는가
[崔鐘悳の韓国建築を振り返る] 僕たちはなぜ朝鮮宮殿を復元するのか
入力2024.08.26 午後 11:14

  • 景福宮復元はソウルの根源復元
  • 国家発展に対する自信の表れ
  • 日帝に歪曲された歴史を正す
  • この時代の韓国人の正当な権利

朝鮮の宮殿は文禄·慶長の役と日本による植民地時代、日本によって徹底的に破壊された

解放後、韓国は植民地経済の収奪と韓国戦争の被害で過去を振り返ることができなかったが、1970年代以降、国の財政に息抜きができ、日帝によって歪んだ過去の建築環境、特に宮殿を復元しなければならないという共感が形成され、その出発点が1983年の昌慶宮復元だった。 1990年から始まった景福宮復元は、旧朝鮮総督府庁舎の撤去、光化門と月台〔※門や宮殿の前に延びる石畳/謁見場所の復元などを終え、依然として現在進行形だ。 光復節がある8月に、私たちはなぜ朝鮮宮殿を復元するのかを探ってみる。

朝鮮宮殿、特に景福宮を復元することは、ソウルの根源を復元することだ。〔中略〕

日帝によって毀損されたまま残された空き地と彼らがあちこちに建てた施設物だけが宮殿の庭を占めているならば、そこを訪れる人々の目には500年以上の朝鮮の歴史よりは36年日本による植民地時代の過去だけが目立って見えるだろう。 朝鮮の歴史的な雰囲気を感じるためには、それにふさわしい昔の建築物が必要であり、そのために宮殿の姿を見せる主要殿閣の復元が必要だ。

宮殿の復元は韓国人のアイデンティティを高めるものだ。 過去は私たちのアイデンティティに欠かせない要素だ。 昨日の私を知らなければ今日の私を知ることができない。 昔のものは私たちの記憶をよみがえらせ、私たちが誰なのかを教えてくれる。 個人レベルで私たちは各自の記憶を通じて自身が経験した過去を思い出すが、国家レベルでは国民が共に持つ「集団記憶」が国家の過去を規定する。 国家は多様な世代の数多くの個人で構成されているにも関わらず「集団記憶」が示す通り過去を眺めるためだ。 記憶は現在の時点で過去を眺めることなので、過去と現在が共にする。 記憶は過去と現在をつなぐ紐であり、社会の連続性と私たちのアイデンティティに必須だ。 個人の記憶が直接経験で形成される「実状」であることとは異なり、国民の「集団記憶」は先の世代から学んだ「概念的な虚像」であり、物質的実体で補完する必要がある。 この時、最も有効な手段が集団記憶と関連付けられる文化遺産だ。 宮殿の復元は韓国人の「集団記憶」を呼び起こす物質的な実体を作ることだ。 日帝が朝鮮宮殿を毀損したのは朝鮮人の「集団記憶」の物質的実体をなくし、朝鮮人のアイデンティティを抹殺しようとしたためだ。〔中略〕

宮殿の復元は韓国人の自尊心を回復する過程だ。 朝鮮が滅亡してから1世紀が過ぎたが、我々は依然として宮殿に畏敬の念を抱いている。 1970年代以降、経済成長で不動産開発への圧力が高まった時も、宮殿は例外だった。 日帝が昌慶宮に動物園と植物園を設置し、その名前まで「昌慶院」に格下げしたことを私たちは宮殿の尊厳性を傷つけたことであり、それはすなわち韓国人の自尊心を踏みにじったことだと考えた。 金泳三(キム·ヨンサム)元大統領は、彼の回顧録で「野党議員だった時代、日本の国会議員が自分の家に総督府の建物を背景に撮った写真をかけておいたのを目撃し、相当な侮蔑感と恥辱を感じた」と話した。 昌慶院を昌慶宮に復元し、旧朝鮮総督府庁舎を撤去して景福宮本来の姿を取り戻したことは、まさに傷ついた韓国人の自尊心を回復することだ。

傷ついた皮膚に傷痕が残るように、日本に蹂躙された過去もまた、韓国社会に深い傷痕として残った。 強盗に暴行されて壊れた顔を整形手術で治癒するように、日帝によって歪曲された過去を正し、今日の観点で望ましい過去を作っていくことは、現在を生きていく私たちの責務だ。 毎時代、歴史家が歴史を新しく書くように、私たちはこの時代の価値観と未来に対するビジョンで望ましい過去を創造する権利がある。 なかったことをもっともらしく操作するのではなく、数多くの過去の痕跡のうち、現在と未来のために望ましいことを今後明らかにするだけだ。 朝鮮宮殿を踏みにじった36年の日本帝国主義の痕跡を取り除き、500年以上花を咲かせた朝鮮宮殿を復元することは、この時代を生きる韓国人の正当な権利だ。

* * * *

 

日帝は朝鮮を ”暴行” したらしいw (どんだけ弱っちいキャラが好きなんだよ... )

それは兎も角、この人の考えでは、「李氏朝鮮が韓国人のアイデンティティ」だそうで、独立以来、李氏朝鮮に戻っていきつつあるのも頷けます。ブログ主が近代化されていない韓国人を揶揄して ”後朝鮮人” と呼ぶのはこの為です。

 

更に太字にした部分は韓国人の歴史認識を知るのに重要です。

  • 個人レベルで私たちは各自の記憶を通じて自身が経験した過去を思い出すが、国家レベルでは国民が共に持つ「集団記憶」が国家の過去を規定する。
  • 国家は多様な世代の数多くの個人で構成されているにも関わらず「集団記憶」が示す通り過去を眺めるためだ。
  • 個人の記憶が直接経験で形成される「実状」であることとは異なり、国民の「集団記憶」は先の世代から学んだ「概念的な虚像」であり、物質的実体で補完する必要がある。

 

個人レベルの記憶が当てにならないのはその通りですが、オーラル・ヒストリー(口伝えの記録)も多数集めたり、その時代を振り返った回想録や小説... 特に風俗小説は、フィクションとは言え、当時の雰囲気とあまりにもかけ離れていたらリアリティが無くなるので、当時の人々の振る舞いや考え方などを表しているはずで、韓国の場合は、日本統治時代を知っている人の口が長いこと塞がれていたために途絶えた記憶を再現するのに役に立つはずです。2014年に「日帝時代は良かった」と言った老人が殺されたのも有名な話です。

 

韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著)で著者が使っていたのは「public memory」(公共の記憶:公共の物として広く共有される歴史的記憶)という言葉でしたが、このコラムの筆者は「集団(的)記憶」と呼んでいます。そしてそれは実体験からくるものではなく「概念的な虚像」とも言っています。

そう。”李氏朝鮮時代は華やかで美しく、人々は幸せに暮らしていた” という虚像が彼らにとって ”正しい歴史” であり、「物質的実態で補完」(ex. 美化した宮殿の復元)をして ”これが事実だ!” となるのです。

記事には「昌慶宮」という宮殿に言及していますが、それでは、日韓併合の8年前(1902年)の昌慶宮はどんなだったかと言うと... 。

 

これです ↓ ↓ ↓

 

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この場所は、純宗〔最後の大韓帝国皇帝〕即位後、朝鮮総督府が頼まれて動物園と植物園を作り、市民に公開しました。 殿閣は整備して博物館にしました。 民に対する王室の啓蒙活動だったのです。

 

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記事では日帝が王宮を蹂躙した痕跡を無くして元通りにする様な事が書かれていますが、見栄えのする洋風建築は残しています。例えば昌慶苑の植物園。

 

↓ ↓ ↓ 

 

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この、「集団的記憶」や「公共の記憶」、即ち「みんながそう思っているのだから事実」というのは、李栄薫(イ・ヨンフン)博士が言う『一致した意見が真実になる国』と同じです。

 

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▲崔碩栄 著 『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』より

 

 

  


 

 

 

 

2024/08/26

【愛されない共和国】反米・反日左翼を生み出したのは保守政権【ブライアン・マイヤーズ 著】

以前のエントリーの続きです。ここであらためて『愛されない共和国』(『사랑받지 못하는 공화국』)の著者、ブライアン・マイヤーズ(Brian Reynolds Myers)教授のプロフィールをご紹介します。

英語版Wikipediaの情報によると、教授は1963年生まれ。2001年から韓国に移住して大学で教鞭(高麗大学→東西大学国際学)を執っていますが、それ以前の80年代初頭~90年代前半に西ドイツに留学して北朝鮮文学を中心とした韓国学で博士号を取得。時折東ドイツを訪問し、朝鮮学校で英語を教えた経験もあるそうです。日本でドイツ語を教えていた事もあるとの事。

他の英語のサイトも幾つか見ましたが、恐らく左派系のサイトなのでしょう、”極右” のようなレッテルも貼られているようです。

本のタイトル、『愛されない共和国』とは韓国の事で、建国年を人前で言えない韓国人、国家よりも民族を愛する韓国人の事を意味し、半分ほど読んだ限りではこの本で一貫して指摘しているのは「国家意識の欠如」です。

今回のブログエントリーの範囲は以下の目次(韓国語からの機械翻訳)の赤字の部分ですが、ここではブログ主の興味ある部分のみピックアップしてご紹介します。

 

第1章 この本を書いた理由 5
第2章 歴史を整理しようとする韓国人 14
第3章 アメリカを信じすぎないように警告する 22
第4章 解放期に関する修正主義の神話を修正する 25
第5章 北朝鮮と第1共和国 43
第6章 北朝鮮と4・19 54
第7章 朴正煕の国家主義について 59
第8章 5-18に対する慎重な一言 67
第9章 全斗煥時代への思い出 70
第10章 北朝鮮学研究者への変身 74
第11章 民主主義といえばアメリカ人は投票箱、韓国人はデモを思い浮かべる 79 
第12章 国家より民族を優先した金泳三 88
第13章 金大中統治下の韓国への招待 93
第14章 ヤンキーの故郷 101
第15章 天安艦と延坪島 108
第16章 北朝鮮の3代世襲 115
第17章 文在寅候補の敗北 120
第18章 「独裁者の娘」 124
第19章 保守が見守る南北連合構築 132
第20章 結論 148

 

大統領で言うと、李承晩~朴正熙~全斗煥~盧泰愚の範囲ですが、盧泰愚大統領を軍事政権と括るのは誤りだと著者は言います。

それは、それ迄の政権と異なり北朝鮮との融和政策を急激に進めたこと。

大韓航空機爆破事件(1987年11月29日)から100日も経っていない時期に北朝鮮関連の禁止図書の解禁を行い、”南北関係を改善しようと必死だった盧次期大統領は、就任式まで待つことができず、1988年1月にすでに南北会談の開催を求めた” からです。〔pp.79-80〕

***

韓国には「86世代」または「運動圏」と呼ばれる人達がいます。「80年代の民主化運動に参加した60年代生まれ」という意味で、更にその運動の中心となった人達が運動圏で、政治のみならず、司法、労働、教育、メディアなどで主流になっていった世代です。日本の「60/70年安保闘争」に加わった人達や「全共闘」世代とも共通点はありますが、韓国の方がより社会への浸透度が高い様に思えます。また、70年安保闘争の世代と比較しても10歳以上若いので、当分権力を握り続ける事でしょう。

 

マイヤーズ教授によると、この世代を生み出したのが李承晩~朴正熙政権との事。

以下の引用は機械翻訳である事ご了承ください。

 

〔...〕 問題は相反する感情を同時に抱いている韓国人が依然として多いということにある。 韓米同盟を支持しながらも、核兵器を積んでおく北朝鮮に同調したり、南北連合を擁護しながらも、一種の保険をかけるように米軍が残っていることを望む中道左翼は、いわゆる従北勢力よりも韓国の安保に大きな問題になるかもしれない。 しかし、遡ってみると、そのルーツは自由民主主義の価値よりも民族主義を前面に押し出した保守政権から始まった

朝鮮戦争は、北朝鮮に対する韓国人の敵対感を高め、大韓民国に対する支持を強化した。 もし李承晩大統領がその時からでも国家精神涵養に本格的に乗り出したなら、その後の歴史の流れは非常に変わったかもしれない。 残念なことに、彼は代わりに自分を個人崇拝の対象にした。 彼の顔が描かれた1000ウォン札が戦争中に既に発行された。 休戦後、ソウルのあちこちに胸像や銅像が建てられ、1955年からはさらに彼の誕生日は全国民を総動員する大祝祭の日になった。〔...〕 南山の日本神社敷地跡に李承晩銅像を建てることを決めたことは、彼が依然として民族主義英雄として崇められることを望んでいたことをよく示している。 〔pp.48-49〕

 

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維新政権〔※朴正熙政権に「全体主義」というレッテルを貼ることについては議論の余地はないが、実は私は「国家主義」というレッテルもそれほど明確ではないと思う。 もちろん、国家主義を国家が経済や社会に積極的に介入すべきだという主張を理念として規定するなら、朴正熙が国家主義者だったとも言える。 彼が著述と演説で国家に対する忠誠心を弱めてきた儒教的家族主義の伝統をよく批判したこともまた確かだ。 にもかかわらず、第3共和国は教育と宣伝で李承晩政府が犯したのと同じ基本的な過ちを犯したと考える、すなわち、北朝鮮が絶えず転覆させようとする大韓民国を守るのに最も適した方法が民族主義を煽ることだと考えたという点だ。 そのため、日本との関係正常化のために努力している中でも、全国各地に李舜臣将軍の銅像を建て、建国大統領の李承晩の名誉を回復させる代わりに、独立運動家の金九(キム・グ)を民族の指導者として掲げた。 〔p.63〕

このすべての宣伝が、経済的には日本と緊密に協力し、軍事的には米国に依存する国家である大韓民国の正統性を傷つけ、米国と日本に堂々と対抗しようとする北朝鮮の魅力をさらに輝かせることは、子どもでも予想できる。 もちろん、政府は金日成政権を絶えず誹謗したが、一つの民族主義国家がさらに民族主義的な同族国史をけなすことは、大変難しいことだ。 〔p.65〕

結局、若年層を対象にした宣伝は、金日成を豚に、人民軍を猿に描写するなど、北朝鮮の同族性を否定する方向に努力を傾けるしかなかった。自認できる結果として、賢い子どもたちが高校に進学する前に、幼稚な反北朝鮮宣伝にうんざりし、反米、反日感情と国家に対する反感だけを抱いたまま大学に入った
〔p.65〕

朴政権が強化した集団主義精神も、不本意ながら運動圏に大きく役立った。 いわゆる主体思想派活動家だった閔庚宇(ミン・ギョンウ)学者は転向後に出した本「86世代民主主義」(2021)で次のように書いた:「運動圏は朴正熙と戦ったように見えるが、内面から流れる根の感情は朴正熙と同じように民族的、憂国的だったようだ。」(ちなみにここで憂国とは、共和国への愛ではなく、5000年前の祖国への愛を指す)。 〔p.65〕

主体思想派の ”ゴッドファーザー” だった北朝鮮人権運動家の金永煥(キム・ヨンファン)も同様の主張をし、維新時代に主体性という価値が持続的に強調されたことが彼を金日成の主体思想に脆弱にさせたと記憶した。〔p.65〕

* * * *

 

ここで韓国人を少し弁護すると...

著者も書いていますが、確かに1945年以降、南朝鮮~韓国に駐留した米軍人は素行が悪かったようです。そして、韓国人女性を慰み者にしている米軍を見て、あの韓国人がその屈辱を簡単に忘れるとは思いません。

著者は「韓国とは違ってNATO国家の政権は反米感情を常に落ち着かせようと努力した。」と書いていますが、NATO加盟国の国民と韓国国民に対する態度は同じだったのか疑問があります。そこには人種差別があったのではないか?... と。

また、アメリカ人の著者にとって米国史は1776年7月4日の独立宣言あるいはその前の独立戦争から始まるのだと思いますが、韓国人にとって、半万年はオーバーだとしても、”民族” の歴史をそう簡単に切り離せるものではないでしょう。

そして、韓国人が「国家意識」を持ったのはおそらく日本統治時代です。民族意識もこの時初めて芽生えたのかも知れませんが、その日本統治時代の記憶から、「国家主義」に帝国主義や軍国主義的な嫌悪感を抱くのではないかと想像します。それは、各種のコメント欄を見ても、日本の保守をすぐに軍国主義と結びつける傾向がある事に感じ取ります。

 

著者は第7章をこのように結んでいます。

私が保守にこのような話をすると、彼らは非常に不快に思い、すぐに話題を変えようとする。 左派だけが反米伝統を持っていると信じたいようだ。 しかし、現在の韓国の国家精神の不足を理解するには、軍事政権の民族主義から理解しなければならない。

 

この辺りはブログ主が ”我が意を得たり” と思う所です。慰安婦像の撤去運動をしている方に反日のルーツを指摘しても無視されますが... w

 

  


 

 

 

 

2024/08/24

【東海?】京都国際学園の校歌について(情報整理)【トンデモ歴史観?】

まず最初に、京都国際学園の野球部に対しては優勝を祝福したいと思います。

その上で、少し情報を整理しておきます。

 

◆大韓民国よりも歴史が古い学校

開学は1947年。まだ大韓民国が建国される前なので、「京都朝鮮中学」という名でスタートし、1958年に「京都韓国学園」と改称。更に2005年に「京都国際学園」に改称し、一条校の指定を受けています。〔同校の「沿革」より

つまり、朝鮮総連系の朝鮮学校で無い事、校歌がいつ作られたのかは分かりませんが、朝鮮語で作詞されたなら日本海を「東海」と呼ぶのは自然であった事は理解します。

ちなみに、作詞は辺洛河氏、作曲は金瓊燦氏です。

 

20240824_kyoutokokusai03

 

 

◆「東海」→「東の海」という誤魔化しは学校側ではなくNHKらしい...

気になったのは校歌の字幕と共に表示された「日本語訳は学校から提出されたものです」という断り書き。

 

20240824_kyoutokokusai02

 

果たしてそうなのだろうか?と思っていた所、韓国の『毎日経済』(2021-03-24)に、NHKが訳したという韓国語の記事がありました。この年の春の選抜が京都国際学園の甲子園初出場でした。

https://www.asahi.com/articles/ASP1Y72C2P1YPLZB002.html
朝日新聞:京都国際 初の甲子園
2021年1月30日

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https://www.mk.co.kr/news/world/9802062
"동해바다 건너~" 한글 교가, 日전역에 울려 퍼졌다
「東海、渡って~」ハングルの校歌、日本全域に響き渡った
2021-03-24

>甲子園の伝統に従って、1回が終わった後、両校の校歌が鳴り響き、試合が終わった後、京都国際高校の校歌が再び演奏された。 京都国際高校の校歌は「東海を渡って山都の地は聖なる先祖の昔の夢の場所」などで始まるが、NHKは「東海」を「東の海」と訳して字幕を出したNHKは「日本語翻訳は学校が提出したもの」と別途字幕で説明したが、学校側は校歌音源だけを提出し、日本語翻訳を提出しなかったと明らかにした

 

恐らく、学校も了解済みだとは思うのですが、少なくとも、学校側が単独で誤魔化そうとしたわけではなさそうです。実は、「東海」だけでなく、「韓日の」という部分も原文では「韓国(한국)の」なのに誤訳で誤魔化しています。それ以外の部分は意訳というか、校歌風の文語調に訳しているだけです。

 

◆敢えて批判するなら「トンデモ歴史観」

原文は以下の通りで、なるべく直訳すると次の様な日本語になります。

동해 바다 건너서
야마도 땅은
거룩한 우리 조상
옛적 꿈자리
아침 저녁 몸과 덕
닦는 우리의
정다운 보금자리
한국의 학원

東海 渡って
ヤマトの地は
神聖な私たちの祖先
むかしの夢の場所
朝夕の体と徳
磨く私たちの
仲睦まじい塾
韓国の塾


ここで、日韓の歴史認識問題に関心がある人は気づくはずです。

韓国人学者でも今は少数派となりましたが、好太王碑(広開土王碑)の碑文を曲解して、「百済や新羅が海を渡って倭に攻め入った」という解釈をする韓国人がいます。

本来は、「391年以来、倭が海を渡って百済や新羅を破り、臣民とした」なのですが、1972年、在日朝鮮人の学者の李進熙が日本にある好太王(広開土王)碑文の拓本が改竄されたものだと主張し、2006年に中国人学者が改竄されていない事を証明するまで、韓国側や在日コリアンは上記の様に逆に解釈していたわけです。〔下記記事参照〕

 

20060414_yomiuri_koutaiouhi

 

逆に言えば、在日朝鮮人が「日本人が改竄した」と言っていたという事は、正しく解釈したら韓国側に都合が悪い歴史だと知っていた事になります。

 

恐らく、校歌はその時代(2006年以前)に書かれたものだと思います。

京都国際学園に入学した生徒が校歌を学ぶ際にこの歪曲された歴史観を覚え込まされる方が問題です。京都国際学園の生徒さんには是非これを知ってほしいと思います。

 

◆韓国側もこの歴史観に気づいた?

以下は『スポーツソウル』の記事です。機械翻訳ママでご紹介しますが、この辺りが平均的な韓国人の歴史観です。

https://www.sportsseoul.com/news/read/1456075
동해 건너 ‘대한의 민족’ 부르짖던 교토국제고 日 여름 고시엔 정상 우뚝 “야구는 역시 기본” 증명
東海を渡って「大韓の民族」を叫んだ京都国際高校、夏の甲子園の頂上にそびえ立つ「野球はやはり基本」証明
2024-08-23

>このような場所で「東海を渡って大和の地は神聖な先祖の昔の夢の場所」として始まる韓国語の校歌を優勝チームの資格で歌うのは一度も見たことのない風景だ。 諸説(說)があるが、日本古代統一王国と呼ばれる大和政権は、百済や伽耶など韓半島の人々が日本に移住し、先進文化を伝播して建設した国家だという史料もある。 日本の明仁王が「旧桓武王の生母が百済武寧王の子孫だと続日本紀に記録されており、韓国と縁を感じる」と言ったことが韓日両国で大きな話題になった。

 

あの ”タマネギ男” ことチョ・グクも気づいたようです。

재일한국계 민족학교 교토국제고 학생 및 야구부 선수의 다수는 일본인이다. 그렇지만 학생들은 의미심장한 한국어 교가를 부른다. 이 학교는 1947년 재일 조선인들이 세운 학교로 오랜 동안 정식 학교 인가를 받지 못했다. 결승 진출 소식에 뭉클하다. '뉴라이트'들은 언급할 가치가 없고, 쿨한 자칭 '탈민족 좌파 국제주의자'들도 이 감정을 이해하지 못하거나 폄훼할 것이다. 교토국제고 필 우승!

機械翻訳:在日韓国系民族学校京都国際高校の学生や野球部の選手の多くは日本人だ。 しかし、学生たちは意味深長な韓国語の校歌を歌う。 この学校は1947年に在日朝鮮人たちが建てた学校で、長い間正式な学校認可を受けることができなかった。 決勝進出の知らせに胸が熱くなる。 「ニューライト」たちは言及する価値がなく、クールな自称「脱民族左派国際主義者」たちもこの感情を理解できなかったり卑下したりするだろう。 京都国際高校必優勝!

 

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最後に、『月刊朝鮮』の記事をご紹介して終わります。日本人も韓国人も、この記者のような冷静な見方をして欲しいと思います。

 

http://monthly.chosun.com/client/mdaily/daily_view.asp?idx=20104&Newsnumb=20240820104
교토국제고의 고시엔대회 우승,한일이 손잡는 미래 보여줘
'한국계 민족학교'의 성취라기보다, 한국인이 일본 사회에 녹아들고 일본 사회가 그들을 받아들인 결과

京都国際高の甲子園大会優勝、韓日が手を握る未来を見せてくれ
「韓国系民族学校」の成就というより、韓国人が日本社会に溶け込み、日本社会が彼らを受け入れた結果

2024.08.23

배진영(ペ・ジンヨン)記者

京都国際高校が日本の甲子園大会で優勝した。 京都国際高は8月23日、兵庫県西宮市の甲子園球場で行われた東京関東第一高と全国高校野球選手権大会(別名甲子園)の決勝で、延長10回勝負の末、2対1で勝利した。

記者のようなスポーツ門外漢も甲子園大会が日本で野球をする青少年たちがどれほど羨望する「夢の舞台」なのかは知っている。 甲子園大会優勝って、本当にすごい!

京都国際高校は広く知られているように、1947年に在日韓国人が建てた「京都朝鮮学校」が母胎となった学校だ。 「東海 渡ってヤマトの地は神聖な私たちの先祖の昔の夢の場所」で始まるこの学校の校歌は、そのようなアイデンティティ(正体性)をよく示している。

京都国際高校の活躍と優勝を報道した国内マスコミの報道は一様に「韓国系」「在日韓国系民族高等学校」という修飾語と共にこの学校の校歌の歌詞を紹介する。 まるで京都国際高校が、はるかな古代に海を渡って日本列島に進出し、大和原野を征服した祖先の偉業を再現していると隠喩したり、漫画「南伐」シーズン2を連想させるような感じがその根底にあると言えば、言い過ぎかな?

しかし、そのような「民族主義的」な見方が妥当なのかは疑問だ。 まず、京都国際高校はもはや韓国系学校ではない。 むしろ日本人学生数が多い「韓日共学」学校と見るのが正しい。 同校は在日韓国人の生徒数の減少を克服するため、学校の門戸を開放したためだ。 同校が1999年に野球部を創設したのも、生徒数を増やそうという苦肉の策だった。

京都国際高の野球選手選抜基準は「第一が賢さ、第二が根性、第三が誠実」という。 初期は晩年下位チームだったが、京都国際高はこのような精神を土台に成長した末、2020年代に入って着実に甲子園に進出し、新興野球名門として位置づけられた。 今大会決勝で惜敗した関東第一高の米沢貴光監督は、敗北後「残念だ」という言葉を何度も繰り返しながら「京都国際高の守備と強い精神力に押されて敗れた」と話した。

在日韓国人たちが作った学校として出発した京都国際高校の甲子園大会制覇は確かに快挙だ。 ただ、それを「東海 渡って~」で始まる韓国語の校歌を歌う「韓国系民族学校」の成就と見ることには同意し難い。

むしろ、今回の京都国際高校の優勝は、前世紀以来100年余りにわたって日本に渡った韓国人とその子孫たちがあらゆる困難の末に日本社会に成功的に溶け込み、日本社会が彼らを受け入れた結果の一つだと見るのが正しいだろう。 もちろん初期に在日韓国人が「朝鮮人」として軽蔑と差別を受け、まだ京都国際高校の韓国語の校歌に嫌韓感情を表わす日本人がいないわけではないがだ。

それでも「韓日共学学校」である京都国際高校の甲子園制覇は、韓国人と日本人が手を取り合えば想像以上の美しい結実を結ぶことができるということをよく示している。

韓国にも日本にも両国間の葛藤を助長することで食べていく者がいる。 しかし、京都国際高校の優勝は、そのような者たちの時代は終わりつつあることを、韓日がともに手を取り合えば、いくらでももっと素敵な明日を作っていけるということをよく示している。 それで「韓日協力を象徴する京都国際学院は今回の大会優勝で韓日両国国民に胸の奥に残る輝く感動をプレゼントした」というパク·チョルヒ駐日韓国大使の言葉がより一層胸に響く。

*追記) ちなみに、もし釜山の日系学校が母体となった国際高校が、亡国と解放と光復の月である8月に韓国高校野球大会で優勝していたら、彼らが日本語の校歌を歌っていたら、大韓民国社会は彼らを容認しただろうか?

 

 

  


 

 

 

2024/08/23

大韓民国が法統を引き継いだのは上海臨時政府では無かった

韓国の保守系ネットメディア『ペン&マイク』の元主筆の鄭奎載(정규재/チョン・ギュジェ)氏がFacebookに8月17日付で投稿されていた事をメモしておきます。

鄭氏によると、李承晩国会議長が1948年の国会開会式で述べた祝辞は以下の様なものであったそうです。

「〔... 〕この民国は己未年3月1日、韓国の13道の代表がソウルに集まって国民大会を開き、大韓独立民主国であることを世界に公布し、臨時政府を建設して民主主義の基礎を立てたのです。 〔... 〕今日ここで開かれる国会は、つまり国民大会の継承であり、この国会で建設される、つまり己未年にソウルで樹立される民国臨時政府の継承だから〔... 〕。」

 

現在の大韓民国憲法前文は以下の様に始まります。

「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し... 」

 

◆元々は「漢城臨時政府」を意味していた

現行憲法前文でいう臨時政府とは上海に設立された臨時政府なのですが、前述の李承晩の演説にある「韓国の13道の代表がソウルに集まって建設した臨時政府」は別の物、つまり、1948年に成立した大韓民国が法統を受け継いだのは漢城(元ソウル)にあった臨時政府=「漢城臨時政府」だということを意味します。

実は、臨時政府というものは乱立しました。

Wikipedia「大韓民国臨時政府」には以下の様な説明があります。

三・一独立運動後、独立運動の継続と拡大のため、内外各地で政府樹立の計画が進められていた。
当時、上海には多くの朝鮮人独立運動家が集結していたが、彼らは臨時議政院を設立し、李承晩を首班とする閣僚を選出、臨時憲章を制定し、1919年4月、大韓民国臨時政府の樹立を宣言した。同じころ、朝鮮半島では天道教系の大韓民間政府朝鮮民国臨時政府、ほとんど実体を持たない平安道の新韓民国京城の臨時政府シベリアに大韓国民議会など独立派の組織が樹立されたが、やがて上海の臨時政府に統合されていく[11]。1937年8月、南京において、韓国国民党(金九)・韓国独立党(洪震)・朝鮮革命党(池青天)などの韓国独立運動団体が合流して、臨時政府の基盤となる韓国光復運動団体聯合会が設立された。[2]

 

李承晩が言った「漢城臨時政府」とは「京城(現ソウル)の臨時政府」の事。鄭奎載氏はこれを指摘したのです。

李承晩はアメリカでロビー活動をしている時にはこの漢城臨時政府の大統領を名乗っていました。

 

◆1987年の憲法改正で上海臨時政府にすり替え

大韓民国憲法前文の韓国語版Wikipediaによると、1948年制定の大韓民国憲法前文は「3.1運動で大韓民国を建国し」となっていました。それが、1987年の改正で「3.1運動で建国された大韓民国臨時政府」と修正されていたのです。どちらも国際社会に認められる正式な政府では無いとは言え、李承晩の意図とは違うものになっていました。

 

鄭奎載氏はFBでこう仰っています。

私はいわゆる法統論争を馬鹿にしている。 安っぽい両班たちの系図論争、一種の「重箱の隅論争」と変わらないと思う。大韓民国以前の韓民族の法統的な淵源は、強いて言えば大韓帝国であり、朝鮮である。 これ以上、何の根と法統が必要なのか。 国民国家は、自らが成立させた政治共同体に対する集団の意志にすぎない。 血筋とは言えない。

35年の植民地と3年の軍政期を経て、大韓民国を成立させたこと自体が大きな歴史革命だ。 植民地の経験は、ひどく立ち遅れていた朝鮮が秩序整然と近代化に便乗する訓育過程であり 近代的秩序と社会構造が生成され移植される苦しい過程だったのだ。

そのような過程があったからこそ、大韓民国は近代化、産業化の驚くべき成果を成し遂げた。 もしそうでなければ、何が大韓民国を現在のような進歩的発展国家にするというのか。

日帝との本格的な軍事的葛藤と血を流す闘争を経なかったことが残念で残念な部分なのか。 私は、韓国戦争3年を前近代と決別する熾烈な内部革命の過程だったと考える。

 

鄭氏のこのような認識は ”日帝支配を正当化” する、所謂 ”ニューライト” の理論だと左派から批判されます。もちろん、保守を自認する韓国人からも。

北朝鮮が、嘘でも ”抗日パルチザンの英雄が建国した正統な国家” を自認しているので、大多数の 韓国人は自分達も ”正統性” が欲しい のです。現在の大韓民国が成立する過程に ”日帝による近代化” があってはならないのです。

 

最後に、ブログ主がこのように整理する手助けをしてくれた論文と該当箇所をご紹介します。

 

* * * *

https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/25681
『韓国臨時政府憲法文書における国家構想』( 國分典子 著/名古屋大学/2018-04-16)

Ⅲ.臨時政府の統合と臨時政府憲法文書における統治形態の変化

以上が、これまでのこの分野の研究である程度明らかになっている各地の臨時政府である。これらのうち上海の大韓民国臨時政府が呼びかけて、最終的には、統合臨時政府が成立し、臨時議政院によって 1919 年 9 月 11 日に全58 条からなる「大韓民国臨時憲法」(第 1 次改憲と呼ばれる 27))が制定された。

但し、「統合」といっても各地の臨時政府の足並みはあまり揃っていなかったようである。ロシアにあった大韓国民議会は 4 月 29 日に大韓民国臨時政府を「臨時承認」したものの、政府・議会をどこにおくかで統合交渉は困難に直面した。最終的には、国民議会から議員の 5 分の 4 が上海の臨時議政院に編入するという条件で国民議会は解散した 28)。一方、上海の大韓民国臨時政府が出した臨時憲章宣布文で、「臨時政府国務総理」とされていた李承晩は、上海臨時政府の呼びかけに答えず、漢城政府の大統領を自任していた。前述のように、「漢城政府」は 4 月 23 日に「ソウルで韓国 13 道の代表 25 人の名義により、国民大会の形式を借りて発表した臨時政府」であったが、組織的な実体があいまいな「ビラ政府」に過ぎなかったらしい。しかし、漢城政府の文書がアメリカの李承晩に渡り、かれがみずから漢城政府大統領を自任して外交・宣伝活動に乗り出し、漢城政府の「法統」を主張するようになった結果、李承晩との交渉過程で、大韓民国臨時政府は大統領制への変更を受け入れることになったのであった 29)

* * * *

 

アメリカで大統領制を見ていた李承晩は韓国でもそれに拘り、議員内閣制で決まっていた新政府を鶴の一声でひっくり返すのですが、臨時政府の時代から拘っていたのですね。

 

  


 

 

 

 

2024/08/20

朝鮮/大韓帝国期の女性の名前考

前回のエントリーで朝鮮の女性は名前が無い(明らかでない)... 少なくとも族譜(男系中心の家系図)のような記録上には名前が記録されないというのを見ました。

これに対しては「名前はあったが記録されていないだけ」という反論が可能です。

しかし、実際には「幼名」... これは悪鬼のようなものに目を付けられない為にわざと汚い名前や酷い名前を付け、早婚の朝鮮では結婚すると「宅号」(テッコ:出身地名+”宅”)で呼ばれた為、まともな名前を付ける必要が無かったようです。

cf. Wikipedia:朝鮮人の人名#伝統的愛称

子どもの死亡率が高かった庶民の間では、死の使いに気付かれることなく長生きすることを願って、子供にはしばしば幼名(아명、兒名 )が与えられた[23]。これらの愛称はしばしば侮蔑的な名前や汚い名前が付けられたが、美しい名前や宝物のような名前をつけると真っ先にあの世に連れ去られてしまうので、無事に大人になることを願って悪霊も避けるような名前をつけたものであり、今日では子供にはあまり使われない[24]。
結婚すると、女性は大抵は幼名を失い、出身の町を示す「テッコ」(택호、宅号)によって呼ばれた[23]。

 

この、幼名にあまり良くない名前を付けるという習慣は日本にもあり、牛若丸のような「~丸」がそうです。

 

朝鮮女性が生涯を通じて「呼び名」はあったとは言えますが、まともな名前は無かった... 必要なかったと言えます。

現代の様な出生届もない時代なので、呼び名さえあれば十分だったのでしょう。

故 崔吉城教授(1940年生)の母(1898年生)も生前は宅号で呼ばれており、死去後、戸籍を取り寄せたら名前がなかったと本に書いていました。

崔教授は、「本来○○であるはずの母の名前が戸籍に記載されていない」という書き方はしていないので、母親が名前を呼ばれることはなかったのでしょう。

 

20240820_name

 

併合前の韓国統監府時代の1909年に「民籍法」を発布し、戸籍の整備に取りかかります。これが朝鮮(大韓帝国)で初めての近代戸籍「隆熙戸籍」で、この民籍法によって女性の名前を戸籍に記載することや奴婢も姓名を持つことが奨励されるのですが、実物を見ると、「妻」の欄にフルネームではなく単に「黄氏」と書いてあるものもあります。

1931年生まれで『あんなにあった酸葉をだれがみんな食べたのか』の著者名は朴婉緒(パク・ワンソ)なので、 この年代の方は小学校に入学する必要上、名前を持つ必要が出てきたのかもしれません。

 

誤解していただきたくはないのですが、1900年前後生まれの女性に名前が無いことを馬鹿にしているのでは無く、それで不便は無かったと言いたいだけです。そして、普通の(公式な)名前を持つ必要に迫られたのは民籍法が制定された以降で、その理由の一つとしては、女子も学校に通う様になったからでは無いか?... 即ち、日本統治によるものではないかと推論しています。

 

ちなみに、日本では戸籍代わりの「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)というものがあり、例えば、東京都清瀬市に残る安永3年(1774)4月の宗門人別改帳には女性の名前も記載されています。しかし、男性が伊之助とか新五郎とか漢字で書かれているのに比べ、女性はまつ、たつ、さき、とめ...などの平仮名二文字が多いようです。

ブログ主や同級生の祖母はだいたい明治末~大正生まれなのですが、思い出しても、トメとかイノとかスズみたいな、言ってみれば安易な名前です。子供の将来に願いを込めて漢字を選ぶなどという習慣ができたのはそれ以降でしょう。

朝鮮で「創氏改名」(1940年)を行った時、どうせ改名するなら良い名前を付けようと、姓名判断が大流行したので、日本国内でも遅くともこの頃の話だと思います。

 

 

  


 

 

 

 

2024/08/16

【安重根】「安重根の母親の『手紙』は日本人僧侶の捏造だった」【キムチわさび動画】

掲題の内容は以前にもご紹介したのですが、『キムチわさび』さんが動画で取り上げていたので今回、改めて取り上げます。

 

韓国では、安重根の母、趙瑪利亜(チョ・マリア)が獄中の安重根に手紙を送り、その手紙には「上訴などせずに、大義の為に死になさい」という趣旨の内容が書かれていたというのが定説になっています。また、死刑となる息子の為に手縫いの寿衣(死装束)を贈った事にもなっています。

しかし、どちらも嘘です。

事実は以下の通りです。

  • 安重根の兄弟が獄中の安重根に面会した事が3回あり、安重根に伝えた内容も報道されているが、そこには手紙など出てこない。
  • 手紙が創作されたのは『わが心の安重根』(斎藤泰彦 著/1994)
  • 上記本が2002年に韓国語に翻訳された際、原文にはない内容が追加された。→ これが一般に知られている「手紙」の内容。
  • 寿衣は56ウォンで購入した既製品。

更に朝鮮日報〔詳細は別途〕の記事によると、

  • 斎藤泰彦氏は安重根と看守の千葉十七の友情を記念する石碑がある宮城県の大林寺の住職で、安重根研究の都珍淳(도진순/ド・ジンスン)教授が2010年5月22日に大林寺で斎藤氏と会い真相を聞いた所、一部に創作があったことを認めた。
  • 斎藤泰彦氏は元朝日新聞記者である。
    ※宮城県図書館の『わが心の安重根』のデータには「1935年宮城県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。駒沢大学大学院人文研修士課程修了。朝日新聞記者を経て、90年より宮城県若柳町の曹洞宗大林寺住職。」と書かれている。

事が分かっています。

 

大林寺は韓国人観光客にとって一種の「安重根の聖地」になっていたようで、以前は道路に大きな案内板があったのですが、2019年9月、自民党の和田正宗議員の尽力で変更されました。

 

201909_anjukon

 

 

ただ、ブログ主がここで問題にしたいのは、2019年には既に「手紙は『わが心の安重根』に出てくるだけ」だと指摘する人がいて、2023年2月にド・ジンスン教授が『안중근의 어머니 조마리아의 <편지>와 <전언>, 조작과 실체』(安重根の母親チョ・マリアの<手紙>と<伝言>、創作と実体)という論文を発表し、朝鮮日報がこれを記事にしたにもかかわらず、拡散されないでいる事です。

恐らく、これからも、ミュージカルでは母の手紙が読まれ、母の手縫いの寿衣をまとった安重根が処刑されるシーンが演じられるのでしょう。

 

いくら韓国の学者が慰安婦や徴用工の真実を本に書こうと、水曜集会の近くで慰安婦の実態を叫ぼうと、無かったことにされているのと同じ事です。

一般の韓国国民には罪はないのですが、メディアが報じない為に新事実が伝わらないのです。

結局、彼らが欲しているのは ”英雄安重根の感動的なエピソード” であり、”悪辣な日帝に拉致された少女の物語” だからだと思います。

 

次回、『朝鮮日報』の記事をご紹介します。

 

 

  


 

 

 

 

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