領土問題

  • Banner_takeshima

兵庫県文書問題

  • Banner_hyogo

最新情報

  • 2024/02/26
    ブログを更新しました。
    2018/04/30
    冷やし中華...じゃなかった、Twitterはじめました。

このサイトに関して



当サイトご利用上の注意

  • 2019/04/14現在、コメント欄にURLを書く場合は、「https」や「http」はNGワードに設定しているので、それを外すか、例えば「h ttps」の様に書いて下さい。
    メールアドレスの入力が求められる場合、とりあえずメールアドレスの形をしていれば(@の前は適当でも)OKです。

    コメントは承認無しで掲載されますが、ココログの仕様で投稿されたコメントが画面に反映されるのにはしばらく時間が掛かります。ご了承下さい。



    このブログの趣旨など。コメント欄はゲストブックとしてご利用下さい。


    記事についてご不明な点などはメールでは回答しかねますので、各記事のコメント欄にお願いします。






    ** ツイログ/Twilog **

特設コーナー

  • Banner_wuhanvirus2
















外部サイト(その他)

  • 台湾の名前で東京オリンピック参加を!署名活動


    憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会









管理人ポータル

大師小同窓会関連












  • 画像を提供、あるいはオリジナル写真を貸して下さる方は管理人までご連絡ください。


我が町!大師の情報

  • 大師の歴史・町名の由来

各種ノウハウ集



私家版スクラップブック

  • ブログ主の個人的スクラップブック集です。

    100円ショップの木箱やディスプレイケースなどを利用したドールハウスのまとめページです。

    メンテナンス中のため一時アクセスを制限しています。

友達の輪・お薦めSHOP

  • CHITIのボディデザイン
    魅せるボディデザイン/カラダ作りの本質とは!?
    川崎市在住のインストラクターが近隣のスポーツ施設や公園・ご自宅でのパーソナルトレーニング受け付けます。




    かわさき楽大師

    ファッション・雑貨の店 「+R」

    ヘアーサロンE'(イーダッシュ)


【国際】韓国(歴史問題)

2026/06/22

天安クルミ菓子の考案者は...

noteを更新しました: 天安名物クルミ菓子の元祖は...

 

韓国忠清南道の天安市名物に「クルミ菓子」(ホドゥグァジャ/호두과자)というものがあり、日本で言うと、クルミの形をした人形焼きとかもみじ饅頭のようなもので、中に餡とクルミが入っているそうです。

 

20260621_kurumi01

 

植民地時代に日本人の菓子店で技術を習得した趙貴金氏が妻の沈福順と共に考案した”(←またこのパターンw)事になっていましたが、度々日本人が作った菓子が起源では?という疑問が提起され、とうとう民族問題研究所が調査に乗り出し、当時天安名物のクルミ菓子(くるみ焼き)を考案したのは志村松太郎という人物だと結論づけました。

志村氏は3.1独立運動当時、憲兵だったという余話まで出てきました。

 

2024年に書かれた記事に、過去に天安クルミ菓子の議論を集めていましたが、恐らく1983年に書かれたという下記の記述が真相でしょう。

 

①1983年、雑誌社「根の深い木」が発行した『韓国の発見-忠清南道』には、「広德面のクルミを原料に、植民地時代に日本人がお菓子を作って売り始めた。解放後、彼らの技術を受け継いだ人々が、鶴華クルミ菓子(학화호두과자)、三叉路クルミ菓子(삼거리호두과자)、能水クルミ菓子(능수호두과자)といった工場を設立し、製造を続けた」と記されている。つまり、日本人が始めたクルミ菓子を、解放後に韓国人が引き継いだということだ。この部分の執筆を担当したオ・ヒョンジュ記者は、2年間にわたり資料を集め、証言を聞き取った。しかしその後、「日本人が作ったクルミ菓子説」は姿を消し、「1934年の趙貴金が元祖説」が主流となった

 

1983年頃ではまた戦前を知っていた地元民も多かったでしょうから、嘘はつけなかったのだと思います。

鶴華クルミ菓子店は未だに「1934年創業」を謳っていますが、韓国人に正直さを求めてもしかたが無いかと... 。

 

 

  


 

 

 

2026/06/11

【安重根記念碑】除幕式には韓国の元総理が2人も参列していた → 一悶着ありそう(ワクワク)

前回のエントリーの続きです。

問題の石碑ですが、地元の方が確認してくれて、既に10日には移動させる為の重機も入っていました。ホテルによると12日迄には撤去を完了する予定だそうです。

https://www.sankei.com/article/20260610-SMMKN23ZEFG5NCS3SMY5THMEHU/
産経: 伊藤博文暗殺の安重根記念碑を撤去へ 高知のホテル、抗議受け 事前に内容確認せずと説明
2026/6/10

>同ホテルは「直ちに関係者へ撤去を申し入れ、10~12日で撤去を完了する予定」と説明した。加えて、「今後は敷地内に設置されるすべての工作物や掲示物等について確認体制を見直し、再発防止に努めてまいります」と表明した。

 

この後記事をご紹介しますが、この除幕式には韓国から2人の元首相(国務総理)が出席していたことが分かりました。一人は李明博政権の金滉植(キム・ファンシク)元首相と、もう一人は文在寅政権の李洛淵(イ・ナギョン)元首相です。

つまり、そこまでの賓客を招いて7日に盛大に除幕式をやって、3日後に撤去しますでは、さすがに顔を潰す事になるので、どこか、移転先を探すだろうという予想です。 (韓国領事館とか大使館?)

 

2人とも、「親日」と言えるかどうかは分かりませんが、李洛淵氏は元は『東亜日報』の日本特派員で日本語もペラペラな知日派。金滉植氏も昨年末に『日本人88人の物語』(일본인 88인의 이야기)という本を出版した知日派。この方は元判事で、(韓国の刑法は日本の法律の丸写しなので、)日本で判例を研究する為に日本語を独学で学んだという人。この本で取り上げたのは、聖徳太子から池田勇人首相、京セラの稲盛和夫、大谷翔平という幅広い人選だそうです。

https://www.chosun.com/national/weekend/2025/11/01/GUVJVHJUZFDLFOHSPAVCJMOGZE/
"쇼토쿠 태자부터 오타니까지… 이들을 알면 일본이 보입니다"
"聖徳太子から大谷まで··· 彼らを知れば日本が見えてきます」
2025.11.08.

また、そもそも安重根がテーマの石碑なんて日本人は容認できませんが、敢えて擁護すれば、碑文の「東洋平和」は安重根が獄中で書いた未完の『東洋平和論』に由来すると思われ、この論文は「日本が指導者となり、韓国、中国、日本の対等な同盟を結ぶべき」という内容なので、”抗日” を期待して読んだ韓国人はガッカリする内容です。一方、「三国の皇帝がローマ教皇を訪問して協力を誓い、戴冠する」という構想だそうで、はっきり言って ”中二病” 的というか、”ボクが考えた サイキョウ の平和” みたいな話です。

この石碑は元自民党県議で県日韓親善協会名誉会長の西森潮三(にしもり しおぞう)氏(86)の長年の悲願だったそうですが、少なくとも、「群馬の森」公園に活動家が建てた「朝鮮人犠牲者追悼碑」みたいな反日目的の石碑と一緒にしては気の毒かと。

 

でも、安重根はさすがに、ね... w 人騒がせな爺さんだ。

 

下は『高知新聞』の記事の一部。〔記事全文

 

20260611_kouchi01

 

この部分を読むと、どうも、西森潮三前県議は、韓国側には「安重根の顕彰碑」と説明し、日本側の来賓には単なる「日韓友好」の碑と説明していて、当日まで安重根絡みの石碑だとは知らなかったような気がしますw

 

20260611_kouchi02
石碑には安重根の「あ」の字も無い。

 

以下、『朝鮮日報』の記事を機械翻訳でご紹介します。

 

* * * *

https://www.chosun.com/politics/diplomacy-defense/2026/06/08/JOWBDU7SBFCNBH43SRZFHOYCWQ/
"안중근과 유묵 보존한 일본인 추모" 日고치현에 '동양평화 기념비' 세워
「安重根と遺墨を保存した日本人を追悼」 日本・高知県に『東洋平和記念碑』を建立
2026.06.08.

金黄植・李洛淵 前首相、日議員が出席
日本 高知県=イ·ハウォン 外交安全保障エディター
入力 2026.06.08. 00:44 更新 2026.06.08. 14:02

〔画像省略〕 日本の高知県で6日に行われた「日韓友好 東洋平和」記念碑の除幕式で、キム・ファンシク安重根崇慕会理事長〔※元総理〕やイ・ナギョン前総理などが、日本側の広田はじめ参議院議員や西森潮三前高知県議会議長と手をつなぎ、記念碑の建設を祝っている。 この日の行事は、安重根義士と彼の遺墨を保存してきた高知県出身の日本人を称えるために企画された。 /高知県=イ・ハウォン記者

6日午後、日本の高知県香南市で、安重根義士とその遺墨を保存してきた高知出身の日本人を称える『日韓友好 東洋平和』記念碑の除幕式が開催された。

当日の式典が始まった時点では激しい雨が降り注ぎ、司会を務めた西森潮三前高知県議会議長は「良い日に雨が降ることも祝福だ」と語った。 しかし、キム・ファンシク安重根義士崇慕会理事長(元国務総理)や広田一(ひろた はじめ)日本参議院議員など、日韓両国の主要出席者が記念碑の除幕のためにテントの外に出ると、まるで何事もなかったかのように雨が止んだ。 イ・ナギョン前国務総理、ミン・ナムギュ安重根義士崇慕会副理事長、植田壮一郎(うえた そういちろう)室戸市長、岡崎隆司(おかざき たかし)・黒潮ホテル会長などが出て、記念碑を囲む包装紐を引くと、80人余りの韓日参加者たちは大きな拍手を送った。

日本の宮城県にある大林寺・青雲寺には安義士の追悼碑があり、佐賀県にもかつて安医師の記念碑が建てられたことがあるが、今回のように日韓両国の要人が出席した中で記念碑が建立されたのは初めてである。 このため、この行事には日本側から高知県関係者や県議会の前後任議員など約40名、韓国側からは安重根崇慕会や独立運動家崔在炯追悼会などから約40名が出席した。 日本の元首相1名も参加の意思を示したと伝えられている。〔← 鳩山由紀夫だろw〕

記念碑は、日韓友好増進の趣旨に共感した岡崎会長が提供したホテル敷地に建設された。 イベントを主催した高知日韓近代史研究会は、「安重根裁判に関与した高知出身の裁判官、検察官、弁護士、警察幹部、刑務所幹部、新聞記者が安医師の獄中遺墨を日本に持ち帰り保存し、後に遺族がこれを韓国に寄贈して日韓友好の架け橋となった」と説明した。 安義士の自伝『安応七の歴史』〔※安応七は彼の幼名〕と未完成の遺稿『東洋平和論』を写本して世に知らしめた七条清美(しちじょう きよみ)も高知県出身であると紹介された。

研究会会長の西森前議長は「安重根と高知県出身の人物たちの縁を歴史に位置付けることが重要だと考え、記念碑を建てた」と語った。 広田議員は祝辞とインタビューで「安重根に対する評価は様々だが、彼の人格と毅然とした行動が多くの日本人に感銘を与えたことは明らかだ」と述べ、「東洋平和論の精神のように両国が協力していくことを望む」と語った。 キム・ファンシク理事長は「柳順刑務所で東洋の平和と祖国独立の信念を守り抜いた安医師の意思を後世に伝えてくれた高知県の先人たちと子孫に深く感謝します」と述べ、「この縁が両国の友好と東アジアの平和をつなぐ架け橋となることを期待しています」と語った。

高知県は、木浦で3000人以上の孤児を育てた田内千鶴子(韓国名:ユン・ハクジャ)さんの故郷でもある。 2018年に金理事長が高知県を訪れた際、「ユン・ハクジャ婦人の記念碑に続き、安重根義士に関する記念碑も建ててほしい」と提案したことが、本事業の出発点となった。

しかし、明治維新後の日本の近代化に対する公的な意図で日本国会に銅像が建てられている伊藤博文を狙撃した安義士に対する視線は厳しかった。 研究会は安医師の東洋平和思想と遺墨寄贈の歴史を広め、説得活動を行ったが、当初の計画より1年遅れて記念碑が完成した。 記念碑に貼られる銅板の文言は、近日中に確定し、掲示される予定だ。 全南知事時代に高知県と姉妹提携を結んだ李洛淵前総理は「本日の除幕式は未来の可能性と現在の限界を示す行事であり、希望の種を蒔いたことに意味がある」と語った。 除幕式に続いて開かれた晩餐懇談会は、日韓両国の和合を祈念し、参加者が共に手拍子を打つ日本の伝統儀式「一本締め」で締めくくられた。

 

* * * *

どうなるんだろ、これw

 

 

 

  


 

 

 

2026/06/10

【安重根】高知のホテルで安重根記念碑→炎上→ホテル、撤去表明

公開:2026-06-10 13:12:57  最終更新:2026/06/10 15:28〔追記〕

 

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20260607000800882
聯合ニュース: 高知県に安重根の記念碑建立 「日韓の和解と協力伝える」
2026.06.07

韓国の独立運動家・安重根(アン・ジュングン)をたたえる記念碑が高知県内に建立され、6日に除幕式が行われた。韓国の社団法人安重根義士崇慕会が7日、伝えた。〔... 〕

日本国内で安重根の記念碑が建立されたのは今回で4カ所目。宮城県の大林寺と青雲寺などに記念碑がある。〔後略〕

 

↓ ↓ ↓ ↓ 

 

https://www.kochinews.co.jp/article/detail/1013734
高知新聞: 撤去へ…香南市のホテル敷地「日韓友好の碑」大騒動 「安重根顕彰碑」と韓国メディアが報道、「テロリスト称賛か」と批難殺到
2026.06.10

主導した元県議の説明不足に波紋

〔... 〕7日に韓国メディアが「安重根をたたえる記念碑」と報じ、日本国内の交流サイト(SNS)が炎上。抗議が殺到したホテル側は撤去する方針を決め、現在は石碑をブルーシートで覆っている。

 安重根は1909年、中国ハルビン駅で伊藤を射殺。旅順の監獄に移され、翌年、処刑された。裁判には裁判官、検察官、弁護士など高知県人6人が関わったとされる。

 建立は元自民党県議で県日韓親善協会名誉会長の西森潮三氏(86)が主導した。〔これ以降有料〕

 

* * * *

4つめの石碑というのが気になっていたら、「X」でまとめて下さってる方がいました。

  • 宮城県栗原市若柳大林町裏219/大林寺(1981)
  • 宮城県栗原市栗駒猿飛来鳥矢ヶ崎14/青雲寺(2000)
  • 佐賀県佐賀市兵庫町若宮若宮1970-2/無量寺(2011)➔※撤去済
  • 高知県香南市野市町東野1630/黒潮ホテル(2026)➔※今回

 

また、ホテルに問い合わせた方が返信メールを「X」に画像でupしている方もいました。

高知黒潮ホテル

このたびは、御不快な思いをおかけし、誠に申し訳ございません。
この度、当ホテル敷地内に設置された記念碑につきまして、ご意見をお寄せいただきありがとうございました。
当ホテルは、記念碑設置に際し、その碑文や内容の詳細について事前に十分な説明を受けておらず、設置後に現物を確認した際に初めて内容を把握いたしました。
その後、皆様から寄せられたご意見やご懸念を真摯に受け止め、関係者との協議を行った結果、当ホテルの管理する敷地内に設置されている以上、施設運営への影響や地域社会との調和を考慮し、当該記念碑を撤去することといたしました。
結果として、多くの皆様にご心配やご不快な思いをおかけしましたことをお詫び申し上げます。また、設置に関する確認が十分ではなかったことについても、施設管理者として重く受け止めております。
今後は同様の事態が生じないよう、敷地内への設置物等に関する確認体制を見直し、再発防止に努めてまいります。
このたびは貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました。

 

* * * *

【追記】朝鮮日報の記事によると、韓国から李洛淵(イ・ナギョン)氏... この方は文在寅政権時の国務総理... と言った大物が除幕式に参加されているので、単に撤去では済まず、移転先を探しそうな気がします。

※機械翻訳ママ(後ほど固有名詞の誤字は修正します)

"안중근과 유묵 보존한 일본인 추모" 日고치현에 '동양평화 기념비' 세워
「安重根と遺墨を保存した日本人を追悼」 日本・高知県に『東洋平和記念碑』を建立
2026.06.08.

>当日の式典が始まった時点では激しい雨が降り注ぎ、司会を務めた西森潮三前高知県議会議長は「良い日に雨が降ることも祝福だ」と語った。 しかし、金黄植安重根義士崇慕会理事長(元国務総理)や広田はじめ日本参議院議員など、日韓両国の主要出席者が記念碑の除幕のためにテントの外に出ると、まるで何事もなかったかのように雨が止んだ。 イ・ナギョン前国務総理、ミン・ナムギュ安重根義士崇慕会副理事長、ウエタ・ソイチロ無濤市長、オカザキ・タカシ・クロシオホテル会長などが出て、記念碑を囲む包装紐を引くと、80人余りの韓日参加者たちは大きな拍手を送った

 

* * * *

宮城県栗原市の大林寺は看守と安重根の友情を顕彰した碑ですが、同市内の青雲寺はどんな理由で建立したのかはわかりません。

佐賀県の無量寺の碑に関しては、『そよかぜ』さんのブログに書かれています。

 

 

  


 

 

 

2026/05/19

【小倉コレクション】日本にある朝鮮の文化財と返還問題

まず、前提条件として、日韓基本条約(1965年)には4つの付属する協定〔※1〕があり、その内の1つである日韓請求権協定の本質は、2国間の債権債務の相殺であり、日本側が朝鮮半島に残した文化財と日本に流出した文化財も含まれています。

※1: ①日韓請求権協定(日韓請求権・経済協力協定)、②日韓漁業協定、③日韓地位協定(在日韓国人の法的地位協定)、④文化財及び文化協力に関する協定

 

基本的に日韓請求権協定で債権債務の相殺を行い、特に文化財については④の、

第二条
日本国政府は、附属書に掲げる文化財を両国政府間で合意する手続に従つてこの協定の効力発生後六箇月以内に大韓民国政府に対して引き渡すものとする。

で終了しています。

その後に返還する文化財はあくまでも、個人や政府の好意に基づくものです。ましてや、個人が正当に持ち出した文化財に関しては、いくら韓国政府が欲しがっても、変換すべき道理はありません。

しかし、韓国政府は、未練たらしく、日本にある朝鮮半島の文化財を「返せ、返せ」としつこく言っていきます。

 

* * * *

以下の記事は韓国政府では無く、日本人が「返還すべき」と言っているだけですが、基本的に韓国政府と同じスタンスなので、記録しておきます。

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/488756
東京新聞: その古代朝鮮の宝、日本の博物館が持っていて大丈夫? 天皇の品が同じ状況に置かれたら黙っていられる?
2026年5月18日 06時00分 有料会員限定記事

〈奪われた文化財 未完の戦後処理〉

 私たちが博物館で鑑賞できる朝鮮半島の文化財の数々。その中に、植民地支配を背景とした不平等な取引や略奪、窃盗など不正な手段で流入したことが疑われる品もあることは、あまり知られていない。韓国側の返還要求に対して、日本政府は慎重な姿勢のままだ。「奪ったものは返す」という道理を妨げるのは何か。(中川紘希)

◆古代朝鮮の王にまつわる品が、なぜか東京国立博物館に

〔画像省略〕東京国立博物館を訪れた「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」の有光健世話人(右)ら=東京都台東区で

 国宝などの逸品を所蔵する日本屈指の国立博物館、東京国立博物館(東博、台東区)。東洋館の5階に上ると、部屋の入り口に展示ケースがある。ライトアップされていたのは三国時代(4〜7世紀)の加那の「冠」。薄い金の板は静かに輝き、荘厳な雰囲気が漂っていた。
 「東博の朝鮮に関する展示の象徴的な存在だ」。市民団体「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」の有光健世話人(75)が指摘する。説明文には「古代朝鮮で、金の冠は王の証(あかし)」とあり、国の重要美術品に認定されていた。
 一方で王の品がなぜ東博にあるのかは解説されていない。有光氏は「本来は韓国政府が管理すべき品ではないか。それが日本にあるという事実は不当行為によって外部に流出した可能性が示唆される」と話した。

◆東博へ寄贈された「小倉コレクション」とは

 展示室に入ると、紀元前の考古資料や三国時代の装飾具や武器、朝鮮時代(1392〜1910年)の美術品などが並んでいた。目立つのは「小倉コレクション保存会寄贈」と書かれた展示品の多さ。リストでは、約200点のうち「冠」を含め約70点がこれに該当した。

〔画像省略〕展示されている「冠」=国立文化財機構所蔵品統合検索システムColBaseから 

小倉コレクションは、植民地期に朝鮮で電気事業により財をなした実業家、小倉武之助(1870〜1964年)が収集した膨大な朝鮮の文化財だ。小倉の死後の1981年、1110点が東博に寄贈された。名品ぞろいで、重要文化財8点や重要美術品31点が含まれた。東博は当時の資料で「朝鮮関係の陳列品はめざましく充実し、質量ともに他に傑出したものとなった」と歓迎した。

 小倉は1964年に所有する文化財の目録を発行した際、「余は一介の門外漢にすぎないが、多年にわたり趣味嗜好(しこう)の赴くまま... 〔以下有料部分〕

 

* * * *

少し補足すると、小倉武之助(おぐら たけのすけ)が収集した美術品や文化財は、その領収書までも保存されているそうで、韓国側からいちゃもんをつけられる筋合いは無いとのこと。

個人所有から国立博物館所蔵に移ってから、韓国側は「返せ、返せ」としつこいのです。

 

 

違法に持ち出した事を証明できないからこそ、道義的な問題の様にして返還を促す反日人士が現れるのでしょう。

 

なお、「小倉コレクション」とは別に「大倉」財閥のコレクションもあり、こちらは「大倉集古館」という私立美術館が収蔵しています。

こちらも時折韓国から ”物欲しげな” 調査団が来ています。

尊大な乞食は相手にするべきではありません。つけあがるだけです。

 

* * * *

https://japan.hani.co.kr/arti/culture/17935.html
ハンギョレ: 日帝略奪遺物‘小倉コレクション’取り戻し 本格化
登録:2014-08-01 21:42 修正:2014-08-02 06:57

へムン僧侶、東京国立博物館に
盗難の疑いがある34点 所蔵中止を申請
回答なき場合は日本裁判所に提訴
「盗難・盗掘品の所蔵は両国にとって不名誉」
‘小倉コレクション’中の一部

 日帝強制占領期間に日本が韓半島から持ち出した文化財の中で、最も重要な遺物に選ばれる‘小倉コレクション’の返還を求める訴訟がまもなく始まると見られる。

 朝鮮王朝儀軌など海外搬出文化財の返還運動を展開しているへムン僧侶(文化財を本来の場所に戻す運動代表)は31日「小倉コレクションを保管している東京国立博物館に1日に文化財所蔵を中止せよという内容の‘調停申請書’を発送したが、20日までに回答がない場合、正式に日本裁判所に提訴の手続きを踏む計画」と明らかにした。 小倉コレクションは日帝強制占領期間に南鮮合同電気会社の社長だった小倉武之助(1896~1964)が1922年から1952年まで韓半島で収集した遺物1100点余りを称する。 この内39点が日本の国家文化財に指定されるほど、水準の高い文化財が含まれている。 これら文化財は小倉の死後‘財団法人 小倉コレクション保存会’が管理していたが、1981年に東京国立博物館に寄贈された。

 この内、へムン僧侶が‘博物館が所蔵を中止して韓国に返還しなければならない’と要求しているのは、盗難あるいは盗掘の疑惑が濃厚な△‘朝鮮大元帥の兜’(写真)等、王室遺物9点△慶州金冠塚(キョンジュ・クムグァンチョン)出土遺物8点△釜山蓮山洞(プサン・ヨンサンドン)伽耶古墳出土遺物4点△慶南昌寧(キョンナム・チャンニョン)出土遺物13点などだ。

 

 その中でも最も関心を集めているのは昨年10月に初めて一般公開された朝鮮大元帥兜、翼善冠(高宗(コジョン)が使ったものと推定)等、王室遺物9点だ。 へムン僧侶は「小倉の自筆手記によれば、これら文化財について‘李太王使用品、李王家伝来品’等と記録されている。 これらの物は当時、宮内部李王職(強制合併以後、朝鮮王朝の事務を受け持った日本宮内庁の所属官庁)で管理していたので、小倉がこれを収集したとすれば盗難品を買い入れたものと見ざるを得ない」と明らかにした。 これら遺物の中には、小倉が1964年に作成した目録で“閔妃(明成王后)が死んだところ(景福宮 乾清宮)から持ってきた」と記述した朱漆十二角床も含まれている。 この他にも「慶州金冠塚出土遺物など、朝鮮総督府が発掘した古墳出土品は全て朝鮮総督府博物館とその後身である国立中央博物館になければならない。結局、小倉が盗掘品を不法に取得したもの」とへムン僧侶は指摘した。

 小倉コレクションは1960年代初めに韓-日国交正常化会談当時、韓国政府が日本に返還を積極的に要求したが、日本側は‘民間所蔵品’という理由で拒否した。 へムン僧侶は「日本最高の博物館である東京国立博物館が盗難・盗掘品を所蔵しているのは、韓-日両国にとって不名誉なこと」とし「博物館が今からでも誠意をもって我々の要求に耳を傾けなければならない」と話した。

東京/文・写真 キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

 

 

  


 

 

 

2026/05/13

【日程残滓】大邱市達城公園のカイヅカイブキは伊藤博文が植えた?

元『朝鮮日報』記者の朴鍾仁(パク・ジョンイン)氏の新着動画より、『[박종인의 땅의 역사] 256. 대구 달성공원 가짜 향나무의 비밀』(大邱達城公園の偽のイブキの秘密)。

 

20260512_ibuki01

 

上の画像が問題のカイヅカイブキ(貝塚伊吹)ですが、これは、あるブログが「伊藤博文が植えた」と書いた事でろくに検証もされずに既成事実化されてしまったものだそうです。

1909年1月に大韓帝国最後の皇帝となった純宗が朝鮮を巡幸し、その時に伊藤が植えた... という事になっています。

根拠らしきものはあるにはあります。河井朝男という人が書いた『大邱物語』という大邱市にまつわるエピソードを集めた本にそのように書かれているそうですが、これ以外に記念の植樹をしたという記録は一切無いのだそうです。

調べてはいませんが、当時の新聞記事にも出てこないのでしょう。

 

20260512_ibuki012
▲朴鍾仁氏の動画よりキャプチャして作成

 

 

実は、朴鍾仁氏の動画の内容(説明)は、既に2018年に『聯合ニュース』が記事にしたものとほぼ同じでした。 〔記事後述〕

 

ここで言いたいのは、朴鍾仁氏が記事の内容をパクったとかいう事ではありません。

実はその記事は何故かweb上から消えているのです。

恐らく、「伊藤博文が植えたカイヅカイブキというのは信憑性がない」という検証記事は都合が悪かったのでしょう。

以下、way back machine(魚拓)に保存されている記事を機械翻訳でご紹介します。

 

* * * *

https://web.archive.org/web/20180708053456/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2018/07/08/0200000000AKR20180708022100005.HTML
"가이즈카향나무는 향나무 일종…일본 특산종 아냐"
「貝塚息吹はヒノキの一種…日本の特産種ではない」
2018/07/08 11:57

キム・ジョンウォン啓明大学教授、『精神文化研究』に論文掲載
「達城公園のイブキ、伊藤が植えた木だという主張も虚構」

ガイヅカイブキは、朝鮮統監府初代統監を務めた伊藤博文が1909年1月、大邱の達城公園で大韓帝国皇帝純宗と共に記念植樹を行った後、日本帝国が各地に植えた日本特産種として知られている。

現在も一部の市民団体は、こうした話を根拠に、達城公園や国会などに残っているガイヅカイブキを除去すべきだと主張している。

啓明大学のキム・ジョンウォン教授と、同大学院で博士課程を修了したイ・ジョンア氏は、韓国学中央研究院が発行する学術誌『精神文化研究』の最新号に掲載された論文「日本植民地時代のカイヅカイブキの実体」の中で、カイヅカイブキに関する俗説のほとんどが虚構であると明らかにした。

論文の筆頭著者であるキム教授は、まずカイヅカイブキの語源と特徴を検証した。日本ではカイヅカイブキを「貝塚伊吹」と呼ぶが、これは横浜近郊の貝塚遺跡や同名の姓に由来する名称であるとキム教授は説明した。

同教授は「貝塚伊吹は、北米とヨーロッパに支店を置く横浜の種苗商の目録に1928年に初めて登場する」とし、「それ以前には貝塚伊吹という樹木名は存在せず、開花期に日本でイブキが造園樹として積極的に利用されるようになったことで生まれた商品であると推定される」と主張した。

その上で、「日本統治時代の朝鮮半島の植物資源に関する数多くの記録には、カイヅカイブキは登場しない」とし、「韓国でカイヅカイブキが造園樹として広く知られるようになったのは、1970年代半ば以降である」と強調した。

キム教授は、生物学的特徴という観点からも、カイヅカイブキを日本の特産種と断定するのは難しいと補足した。

同教授は「イブキには針葉と鱗葉という2種類の葉の形があるが、カイヅカイブキは針葉がほとんどなく、鱗葉でできた豊かな炎のような形の個体を選別して商品化したものだ」とし、「貝塚伊吹は単なる商品〔※園芸品種〕に過ぎず、本質的にはイブキそのものである」と力説した。

カイヅカイブキは単にヒノキの一種であり、ヒノキにまつわる歴史は、日本よりも韓国の方が悠久であるというのがキム教授の見解だ。

彼は、達城公園にあるカイヅカイブキが1909年に伊藤博文が植樹した木だという主張の穴も分析した。

伊藤博文がガイヅカヒノキを植えたという話は、河井朝雄が1930年に著した『大邱物語』に伝えられている。ところが、当時達城公園の経営と美化を担当した三輪如鉄〔※みわ にょてつ〕が1911年に出版した『朝鮮大邱一班』には、この逸話はない。

これについてキム教授は、「記念植樹日とされる1月12日は厳寒期であり、根が傷ついた状態で新しい場所に移植された木は、厳しい寒さにさらされれば必然的に枯れてしまう」とし、「仮に伊藤博文が木を植えたとしても、1911年には存在していなかった可能性が高い」と強調した。

続いて「『大邱物語』の原典には『当日、達城公園へ御行幸され、陛下ご自身が記念樹を植樹され、伊藤公の記念植樹もあったが、今日その痕跡を見出す術がない』という文章があるにもかかわらず、翻訳書には省略されていた」とし、「2000年代以降、個人のブログで誤った内容が初めて紹介された後、あたかも事実であるかのように広まった」と説明した。

金教授は結論として、「現存する達城のカイヅカイブキの古木2本は、純宗と伊藤の記念植樹とは何ら関連性を見出すことができない」とし、「さらに、記念植樹が行われたとされる時期である1909年には、カイヅカイブキという植物は存在すらしていなかった」と批判した。

同教授は「史跡復元に伴う老木の除去や移植には、対象植物に対する厳格な生態社会学的考証が必要だ」とし、「閉鎖的な排他主義の便乗を排除することは、史跡復元における極めて重要な課題だ」と提言した。

 

* * * *

植物名は適切な翻訳をするのが難しいのですが、「가이즈카 향나무」を機械翻訳すると「カイヅカヒノキ」になります。貝塚伊吹は「ヒノキ科ビャクシン属イブキ(=柏槙:ビャクシン)の栽培品種の1つ」なのですが、ここでは「カイヅカイブキ」としました。

柏槙またはカイヅカイブキは本来高木ですが、特にカイヅカイブキは剪定して住居のフェンス代わり(目隠し)によく使われます。

葉を刈り込むことで様々な形に作りやすいからか、日本統治時代には学校のシンボルツリーとして植えられ、これが戦後... と言うか、この記事が出た頃によく「日程残滓」として、切るの切らないのと話題になっていました。

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/06/07/2019060780057.html
朝鮮日報: 学校のシンボル「カイヅカイブキ」は親日残滓、一斉伐採の危機 /済州
019/06/07 11:01

韓国全土で「教育系親日残滓(ざんし)清算」作業が行われる中、各地の学校で混乱が起こっている。左翼系の市民団体「民族問題研究所」が編集した「親日人名辞典」に基づき、全国教職員労働組合(全教組)や複数の市民団体が「親日派が作った校歌を変更せよ」「記念碑を撤去せよ」などと各学校に要求し、左翼系の教育監(教育委員会に相当する教育庁のトップ)がこのような動きを後押ししているからだ。ある学校では日本産のカイヅカイブキ(貝塚伊吹)が学校を象徴する木になっているが、これも現地の教育庁は「日程残滓」として撤去しようとしている。... 

 

仮にこれが本当に純宗と伊藤博文が記念に植えた木だとしたら、同様に議論になっていたでしょうが、2018年のこの聯合ニュースの記事で収まったのだと思います。

しかし、記事は削除された... 。

せっかく良識的な記事が出ても定説が覆されない... これが韓国です。

 

なお、この事は『My Identity』さんもブログにお書きになっています。

대구신사 大邱神社 1913
2021. 3. 16. 

>* 木の年齢を測定した結果、それぞれ150年、180年ほどで、当時の純宗の年齢30代と伊藤博文の年齢60代が一致するそうです。 (当時は記念植樹を行う際に植樹者の年齢と木の年齢を合わせるそうです) しかし、その時は年間で最も寒い1月であり、ヒノキはそのような寒い天候で新たに植樹するとほぼ100%死ぬという科学的根拠があるため、これらの木が特にそうであるとは断定できず、年間で最も寒い1月の小寒の厳寒に健康も良くなかった純宗と高齢の伊藤博文が凍りついて硬い地面で植樹を行ったということ自体が常識的には納得しがたいです。

​>このような確認されていない説を根拠に、単に日本に対する憎悪に基づいて達成公園周辺に植えられたガイズカの香木をすべて伐採しようという、いわゆる歴史専門家の専門家たちの信じられない新聞寄稿やブログの文章を見ると、嘆かずにはいられません。 まさにこのような考え方のために、大邱市内の大きな歴史的価値を持つべき多くの近代的な建物が無理やり撤去され、壊されてしまいました。

 

  


 

 

 

2026/05/11

【韓国の歴史認識】東学党の乱 132周年記念式典での李在明大統領のスピーチ

「東学党の乱」... 現在では日本の辞書は「甲午農民戦争」と表記している様ですが、『大辞林』の説明ではこのようになっています。

  • 朝鮮で1894年(甲午の年)東学の信徒が主導した農民戦争。地方官の悪政に反対した全羅道の農民の蜂起に始まる。朝鮮王朝政府は鎮圧のため清(しん)に出兵を求め,清に対抗して日本も出兵,日清戦争の契機となった。東学党の乱。
  • 東学とは、朝鮮王朝末期,崔済愚(さいせいぐ)が創始した新興宗教団体。西学(キリスト教)に対し,固有の民間信仰をもとに儒仏道三教を折衷したもの。東学党。

 

実態については後述することにして、韓国の左派(現与党)は以前からこれを「抗日闘争」と位置づけ、これに参加した人達を独立有功者とし、その子孫に特典(独立功労者礼遇法)を与えるという法案を2023年に提出し、これを数にものを言わせて議決してしまいました。 〔※『中央日報』、『朝鮮日報』記事後述

単に反日扇動だけでなく、このような「独立有功者」を認定する制度や組織を作ることは、仲間に仕事を与え、自分達の支持者に ”飴” を与えるバラマキ政策の一つだと思われますが、この国はいつまで過去に生きているのでしょうか... ?

なお、李朝の官軍に捕らえられた反乱軍の首魁、全琫準を、井上馨日本公使はその人間性を買って、処刑しないように李王家に要請していましたが、井上が不在の時に処刑されてしまいました。

 

https://www.yna.co.kr/view/AKR20260511068300001
聯合ニュース(韓国語): 李대통령 "동학농민혁명, 韓 민주주의의 위대한 첫 발걸음"
李大統領「東学農民革命、韓国民主主義の偉大な第一歩」
2026年5月11日

李在明大統領は11日、「国民が国家の根本であり主人であることを悟らせた東学農民革命は、韓国民主主義の偉大な第一歩だ」と述べた。... さらに「独立運動と4·19革命、5·18民主化運動を経て『ろうそく革命』と『光の革命』へと絶え間なく受け継がれてきたその精神は、今日の大韓民国を世界が注目する模範的な民主主義国家へと花開かせた根源である」と意味付けた。... 

 

少し補足すると、4.19革命とは、李承晩が亡命せざるを得なくなった不正選挙(副大統領選挙)が発覚したことをきっかけに起こった暴動。5.18民主化運動とは所謂「光州事件」(1980年)で、多くの韓国人は左翼勢力(南朝鮮労働党など)による暴動だと信じていますが、政府によって「民主化運動」と位置づけられ、これに公に異を唱える者は罰金や禁固刑の対象になります。ろうそく革命とは、朴槿恵大統領をでっち上げの罪状で弾劾した事。これにより、文在寅政権が誕生しました。

笑ってしまうのは、『光の革命』とは、尹錫悦大統領が非常戒厳を出したことで弾劾され、それによって李在明政権が生まれた事を言うようです。

 

* * * *

東学党の乱に関しては、ブログ主の説明の代わりに、Xの「ナユタ」さんという方の投稿を機械翻訳でご紹介します。

プライバシー情報にはブログ主は関心はありませんが、この方の背景をご紹介することが信憑性にも繋がるので、簡単に説明すると、日本人女性とご結婚なさって現在は(10年ほど前?に)日本に帰化し、日々、Xで韓国の歪んだ歴史認識を正す投稿をされています。

以下、ナユタさんの投稿です。〔原文は韓国語〕

 

* * * *

李在明が「民主主義の偉大な第一歩」と称する朝鮮時代の東学農民運動の真実

5月11日の東学農民運動記念日を「民主主義の偉大な第一歩」と位置づけ、政治的シンボルとして活用している李在明。

しかし、歴史的事実を見ると、この運動を「民衆の正義の革命」や「民主主義の起源」として美化することは、かなりの歪曲である。東学農民運動は朝鮮後期の社会の矛盾を露呈した事件ではあるが、同時に暴力、略奪、迷信、強制動員という暗い側面を数多く内包した民乱(内乱)であった。

韓国で独立運動家として知られている黄玹※号は梅泉〕が東学農民運動の実相を記録した『梧下記聞』(国家登録文化財)を確認してみると、黄玹は東学を「妖術」あるいは疑似宗教的な性格を持つ宗教として描写し、「東学でなければ生き残れない」といった調子で民心を扇動したと記している。

東学農民軍は集団で村を回り、金持ちの家を略奪し、女性を強姦する行為で地域社会から大きな非難を受けた。さらには、両班の家の妻や娘を強制的に連れ去り、結婚させた事例まで伝えられている。これは単なる「蜂起」ではなく、統制の取れていない暴力集団の振る舞いへと発展したことを示している。

東学軍は、東学の信徒ではないという理由で拷問したり、強制的に入信を強要したりした。生き残るために偽って信者だと主張しなければならず、経典の内容を暗記してこそ疑いを免れることができたという記録も残っている。

一部の東学軍は一般の民衆を強制的に引き入れ、戦闘の先鋒に立たせたり、お守りや呪文で銃弾を防げるという迷信を信じ込ませたりした。これは農民を保護するどころか、宗教的狂気と集団的狂乱へと追い込んだ。

韓国で教科書やドラマを通じて接する東学農民運動は、「反封建・反外勢の民衆革命」というイメージが支配的である。全琫準は「緑豆将軍」として英雄化され、国家記念日まで指定され、有功者礼遇法、特別法、さらには一部地域での遺族手当まで推進されている。しかし、こうした政策は運動の否定的な側面をほとんど排除したまま、「正義の農民蜂起」という単一の物語だけを強調している。

東学の「人乃天」思想は人間の平等を強調したと評価されているが、当時の運動は平等な民主主義を目指したものではなく、既存の秩序に対する怒りと宗教的熱狂が入り混じった混沌とした蜂起であった。既得権益層の放蕩や官吏による収奪という社会的背景は確かに存在したが、その解決方法が略奪や強制、迷信に依存していたという点は、決して美化できない部分である。

運動が拡大すると、朝鮮政府は清国に援軍を要請し、これを牽制した日本軍が介入したことで日清戦争へと発展した。その後、第2次蜂起と牛禁峙の戦い 〔※우금치 전투(1894年11月)〕での敗北により、運動は崩壊した。

黄玹の記録によると、清軍は略奪や強制徴発で民衆に被害を与えたが、日本軍は軍律が厳格で物資を自給自足したため、民家への被害を相対的に軽減したという。結局、この運動が結果として外勢の介入を招き、朝鮮の主権をさらに弱体化させたという事実は否定しがたい。

東学農民運動は、極度の社会混乱の中で農民たちの抵抗、宗教的結束、暴力と略奪、外勢の介入が絡み合った複合的な事件である。これを「民主主義の偉大な第一歩」と断定することは、歴史的事実を政治的に利用する行為である。

歴史は複雑だ。その複雑性を認めず、「民主主義の偉大な第一歩」というスローガンで単純化する李在明をはじめとする韓国の政治家たちが叫ぶ「東学農民運動=民主主義」という枠組みは、都合の良い政治的道具に過ぎず、歴史的真実とは程遠いものである。

午前11:54 · 2026年5月11日

 

* * * *

赤字にした部分は黄玹の『梅泉野録』では以下の様な記述だそうです。原文と日本語訳をご紹介します。

이 전쟁에서 왜인은 모든 군수물자를 다 자기 나라에서 수송해 왔는데, 땔감과 석탄까지 도 그러하였다. 저들은 이르는 곳마다 물을 사서 마셨고, 군령이 매우 엄하여 우리 백성들 이 군대가 와 있다는 것을 의식하지 못할 정도였다. 그래서 모두들 기꺼이 그들을 위하여 향도(嚮導, 길잡이)가 되었던 것이다. 청국군은 음행과 약탈을 자행하고 날마다 징발하기 를 일삼아 관민이 모두 곤란을 당하여 그들을 원수 보듯 하였다. 평양이 포위되었을 때 문 을 열고 왜를 인도한 자도 있었고, 청국군이 패하여 도망가 숨어 있으면 성 안의 백성들이 그 숨은 곳을 가리켜 주어 벗어날 수 있는 자가 드물었다.

この戦争において、日本軍はすべての軍需物資を自国から輸送してきたが、薪や石炭に至るまでそうであった。彼らは行く先々で水を買って飲み、軍令が非常に厳しかったため、我々の民は軍隊が来ていることさえ意識できないほどであった。そのため、皆進んで彼らのために案内役を務めたのである。清国軍は淫行や略奪を横行させ、毎日のように徴発を繰り返したため、官民ともに苦難を強いられ、彼らを仇敵のように見なした。平壌が包囲された際、門を開けて倭を案内した者もいたし、清国軍が敗れて逃げ隠れしていると、城内の民衆がその隠れ場所を教え、逃れることができた者は稀であった。

 

* * * *

以下は、2023年の『中央日報』の記事で、歴史問題では反日的な韓国メディアでも、「東学党の乱を抗日闘争と呼ぶのは無理がある」という趣旨の記事なので記録しておきます。

 

https://www.joongang.co.kr/article/25196626
동학이 항일투쟁이라고?
2023.10.03 

https://japanese.joins.com/JArticle/309710?sectcode=120&servcode=100
【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(1)
2023.10.03 15:56

左右を見回すという意味の「左顧右眄」が必要な時がある。政界が歴史的事件を評価する場合だ。野党は独立運動家の洪範図(ホン・ボムド)論争が収まる前に今度は東学を取り出した。国会常任委員会小委員会で強行処理された東学法改正案は直線的でとても洗練されているとはいえない。1894年東学農民蜂起(東学党の乱)参加者を「独立有功者」として待遇して「玄孫」まで教育・就職・医療の恩恵を付与しようというものだ。「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開したから」独立有功者、130年前のことなので玄孫だとした。家系図をひっくり返して高祖父の行跡を調べないといけないかもしれない。

文化体育観光部傘下「東学委員会」に登録された人は東学運動参加者3745人、遺族は1万3000人余りだ。はるか昔のことで先代の証言と口伝を収集してもっと登録するよう求めた。遺族が数万人増えるかもしれない。東学軍の足跡が韓国の随所に散在しているからだ。当時参戦したオ・ジヨンの陳述によると、公州牛金峙(コンジュ・ウグムチ)の戦い(1894年10月)で2万人余りが戦死した(『東学史』)。任実(イムシル)に居住していた黄玹(ファン・ヒョン)は最も激しい戦いとして蟾津江(ソンジンカン)の戦いを挙げた(『梧下記聞』)。康津(カンジン)と長興(チャンフン)地域の1余万の東学軍は大邱(テグ)まで進撃し、その帰り道で蟾津江で待ち伏せした官軍と日本軍の攻撃を受けた。銃に撃たれて溺死した死体が蟾津江を血の海にしたと黄玹は書いている。羅州(ナジュ)の戦いでは「官軍が農民軍2万人余りの首を切った」とした。

一体農民軍の戦死者はどの程度だろうか。『天道教創建史』は20万人以上、朴殷植(パク・ウンシク)は『韓国痛史』で30万人、オ・ジヨンは30万~40万人と推算した。京畿道(キョンギド)南地域の成人男性のほぼ10%に該当する規模だ。農民軍の相手は主に官軍、守城軍、民堡軍(両班の士族)だった。古阜(コブ)蜂起、茂長(モジャン)起包、井邑(チョンウプ)黄土峴の戦いと全州(チョンジュ)城陥落まで官軍および郷土軍と戦った。日本軍が介入したのは日清戦争勃発により朝鮮摂政官の袁世凱が清国で逃げてからだ。牙山(アサン)湾の海戦(同年6月)、平壌(ピョンヤン)城の戦い(8月)で清軍を大破した日本軍は甲午内閣の要請を受けて東学軍に視線を転じた。牛金峙、清州(チョンジュ)、蟾津江の戦いで農民軍の主力が日本軍とぶつかった背景だ。

2代目教祖崔時亨(チェ・シヒョン)が詠んだ『龍潭遺詞』にこのような一節がある。「犬のような外敵の輩をはね除けて」「大報壇に誓って洋夷の怨みを晴らしてみせよう」(「安心歌」)。1894年春の白山(ペクサン)決議文には人間尊重、聖軍秩序、倭洋と権貴の逐滅を宣言し、全琫準(チョン・ボンジュン)が作成した傑出した文書『茂長布告文』も教祖伸寃〔教祖・崔済愚(チェ・ジェウ)の無実の罪を晴らすこと)、貪官汚吏清算、斥倭洋の順で大義を明らかにした。外勢をはね除けて正しい国を作るという強い民族主義の源流と解釈するのはよいが、「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開」したという意図的な強調は本末転倒に該当する。学界でそのように警戒した運動圏的な歴史編集だ。牛金峙の戦いで農民軍は3000の官軍と2000の日本軍連合部隊と戦ったがそれが抗日闘争なのか。

 

【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(2)

独立有功者になるには農民軍の胸中に「抗日闘争」という旗印が翻っていなくてはならない。竹槍と鍬(くわ)を持って武装(南接)と報恩(北接)集会に自主的に集まった農民軍の内面に独立と抗日があっただろうか。火縄銃を持って日本軍のガットリング機関銃の前に突進した意気は何だったのだろうか。「座れば竹山、立てば白山」の1万人余りの農民軍の脳裏にはまず除暴救民が刻印されていた。支配層の収奪から家族生計を救おうとしていた民衆だった。それを遮る外勢はもちろん、外勢を呼び入れた朝廷も敵だった。「輔国安民(国を正して民を安らかにする)」はそのため登場した。死を恐れず突進した力は内面の声、すなわち東学の教理だった。

東学は彼らにハンウル様(神様)の声を聞かせ、侍天主すれば永生不滅だという信頼を植え付けた。彼らは東学教徒だった。東学は西学(キリスト教)に対抗した学問であり、天道を人民のものにした民衆宗教だった。ハンウル様が霊符と先約を与えた。形状は太極であり弓弓だった。霊符を受けて呪文を唱えれば病気が治り、天の心に達する。弓弓村は民間が渇望する楽園で、万事が調和をなす(造化定)理想郷だ。日本軍に突進する農民軍は「弓弓」というお守りを胸に付けていれば弾丸が避けていくと信じていた。

ハンウル様が自分の胸中に降りてくれば支配層の宗教が自分の宗教になった。四民平等に目を開き、皆が神だという「事人如天」の思想が芽生えた。東学は朝鮮最初の「宗教改革」だった。まるで欧州中世のルターが「信仰のみ(solafide)」という悟りで宗教改革をスタートさせた過程と似ている。創教者の崔済愚がルターなら、海月(へウォル)崔時亨は改新教理を伝播したカルヴァンで、全琫準は農民戦争を指揮したミュンツァーだった。独立有功者云々の論理は東学の歴史的地平を民族主義の小さな道に格下げする発想だ。

東学法改正案を発議した議員の地方区が井邑というが、井邑黄土峴の戦い(4月)には清軍も日本軍もいなかった。1907年旧式軍隊解散前後の義兵運動こそ独立抗争の宝庫だ。彼らのほとんどが山野で死んだので記録がない。これは郷村野史までひっくり返す価値はある。

 

宋虎根(ソン・ホグン)/中央日報本社コラムニスト・翰林(ハンリム)大学陶軒(トホン)学術院院長・碩座教授

 

***

https://www.chosunonline.com/svc/view.html?contid=2023092280103&no=1
朝鮮日報: 1894年東学農民運動参加者のやしゃご1万3000人を特別待遇、共に民主党が単独議決
2023/09/22

「独立有功者礼遇」 小委で単独議決

韓国の進歩(革新)系最大野党「共に民主党」が、3745人に達する第2次東学農民運動(1894年)参加者を独立有功者として礼遇し、この人々の孫の孫に当たる代(ひ孫の子ども。やしゃご)にまで各種の恩恵を提供する法律案(東学法改正案)を9月19日に国会常任委の小委員会で強行処理した。保守系与党「国民の力」は、有功者の叙勲を扱うものなのだから法案は文化体育観光(文体)委ではなく国家報勲部(省に相当。以下同じ。報勲部)所管の政務委員会で取り扱うべきだとして退場した。報勲部は翌20日、「有功体系を崩し、過度の特別待遇を与えるポピュリズム法案」だとして反発した。「こうやって壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)の有功者も独立有功者だというのか」と非難の声が強まると、民主党の洪翼杓(ホン・イクピョ)文体委員長は同日の文体委全体会議で「両党が合意して初めて全体会議に上程して処理したい」とブレーキをかけた。

 この法案は、第2次東学農民運動に参加した人々が建国勲章・建国褒章・大統領表彰など叙勲を受けた場合、自動的に独立有功者に登録するよう定めている。法案が本会議を通過したら、有功者の子孫は教育・就職・医療分野で政府の支援を受けることになる。文化体育観光部(文体部)傘下の「東学農民革命参与者名誉回復委員会(東学委員会)」によると、今年6月現在で、第2次東学農民運動参加者として登録されている人物は3745人、遺族は「やしゃご」まで該当し、その数は1万2962人に達する。文体部関係者は「遺族の数は2005年から登録している人員全体で、一部は既に他界しているので、実際はこれより減っているだろう」と語った。

 

20260511_tougaku

 

  


 

 

 

2026/05/04

尹致昊日記(1945年10月15日、10月20日)

朝鮮の知識人尹致昊の日記を韓国人ブロガーの『百年歴史』さんに送っていただいた(日本語にも訳してくださった!)ので、転載します。

これは、まだ大韓民国が生まれる前、共産主義者と自由主義経済の考えを持つ者が対立(※後者は日本統治時代の資産家が多かった)し、前者を中心として「親日派」(※つまり、後者も含まれる)を処断せよという風潮の中で、尹致昊が書いたもの。彼はこの内容を李承晩と米軍政庁に送ったとされているが、事実確認はされていない模様です。

特に10月20日の日記の最後の段落は、未来も予測していたように感じます。

彼はこれを書いた2ヶ月後に脳溢血で亡くなりました。

 

* * * *

※日記の原文は英語で、それを韓国語に翻訳した本からの引用。日本語訳は百年歴史さんの翻訳ママ。

 

ある老人の瞑想録 1① — 1945年10月15日

聞くところによると、朝鮮人が民主政府の運営について取り沙汰しているとのことですが、私にはまるで6歳の子供が自動車の運転や飛行機の操縦について論じているかのように聞こえます。イギリスとアメリカだけが、この世界で民主主義に成功した国です。立派な市民としての道徳心を備えているドイツ人や、論理的で知的なフランス人でさえ、イギリス人が定立した民主主義の標準型に到達することはできませんでした。南アメリカにある数多くの共和国の中に、真の民主主義国家だと指し示せる国があるでしょうか。「今」の朝鮮は、中国や満州よりも民主主義の準備ができていません。

朝鮮人の中には共産主義を望む人々がいます。非常に哀惜の念に堪えません。高度な政治力と実用的な知恵を持つイギリスが徐々に社会主義政策を導入していくのならいざ知らず、社会主義のA, B, C, Dも知らない朝鮮が、どうしてあえて共産主義国家の経営を望めるでしょうか。それはさておき、この二ヶ月間、北緯38度線以北では、朝鮮人の共産主義者たちが後見人の助けを借りて、共産主義が朝鮮で勝利を収めた場合に受けるであろう「苦い味」について、我々が予見していた通りの見本を見せてくれました。略奪と強奪、そして虐殺を事とする共産主義が標榜する「優しく慈悲深い態度」と、抑圧し弾圧し虐待する日本帝国主義の間で、すなわち悪魔と深淵(深淵)の間で、どのような選択の余地があるというのでしょうか。

それゆえ、現在と来たるべき未来のために朝鮮に必要なものは、慈愛に満ちた温情主義です。強い手と利他的な献身によって立ち上がる有力者が必要です。民主主義の形式とスローガンだけを掲げて国民を煽動する群れや、共産主義の残虐で不合理な理念から、教育も受けられず訓練もされていない朝鮮人を守ってくれる有力者のことです。我々朝鮮人は、典型的な民主主義や急進的な共産主義を受け入れる政治的な準備ができていません。私たちは放縦を自由と、強奪を共産主義と誤解するという深刻な危機に直面しています。

朝鮮に樹立される新政府がいかなる形態を採ろうとも、朝鮮人は固有の伝統と慣習を守らねばならず、必要であれば、いつでもどこでも一段階ずつ新しい慣習を導入すべきです。

 

① 解放直後、尹致昊は「ある老人の瞑想録」という英文書簡を作成し、米軍政と李承晩に送った。彼は1945年10月15日に作成した書簡において、韓国人はまだ民主主義を運営していく能力がないという点と、韓国が共産主義化されてはならないという点を強調し、韓国人を指導する有力者が必要だと力説した。ここで言う有力者が、具体的に李承晩を指しているのかは定かではない。彼はまた1945年10月20日に作成した書簡において、日政時代において韓国人は好むと好まざるとにかかわらず「日本人」であらざるを得なかったと主張し、親日派に対する赦免を訴えた。「ある老人の瞑想録」は、尹致昊が解放を迎えた後も、日政時代に抱いていた見解をそのまま固守していたという事実を確認できる貴重な資料である。尹致昊の従孫娘である翻訳文学者の尹慶南(ユン・ギョンナム)先生の翻訳文(尹慶南訳、『(国訳) 佐翁 尹致昊 書簡集』、湖山文化、1995)を主に参考にした。

 

 

ある老人の瞑想録 2 — 1945年10月20日

親日派という 非難を受けて追放された人の中には、有能で有用な人々が少なくありません。さて、果たして誰が独善的な誹謗者なのでしょうか。まさに、そうした連中の大部分が1945年8月15日の正午まで、学校、教会、工場、政府、大企業、百貨店、結婚式、葬儀など、あらゆる公の席で宮城遥拝を行い、皇国臣民ノ誓詞を唱え、天皇陛下万歳を叫んでいました。彼らの大部分が創氏改名をしていました。なぜ彼らは親日派と同じ行動をとったのでしょうか。彼らはただ、そうせざるを得なかったのです。さもなければ監獄に行かねばならなかったからです。ならば、誰が他人に真っ先に石を投げられるというのでしょうか。それには二つの理由があります。(1) 自らの不名誉な過去を隠すために朝鮮人を欺くためです。(2) 政党や個人の懐を満たすために、不安と恐怖に包まれている人々から金を巻き上げるためです。

誰かに親일파(親日派)という汚名を着せることは、実にお話にならないほど理不尽なことです。日本に併合されていた(1911年¹から1945年まで)34年間、朝鮮の地位はどうだったでしょうか。独立した王国でしたか。いいえ。朝鮮は日本の一部であり、アメリカなどの世界列強もそのように認識していました。すなわち、朝鮮人は好むと好まざるとにかかわらず日本人でした。ならば、日本の臣民として「朝鮮で生きるしかなかった」我々にとって、日本政権の命令や要求に応じること以外に、どのような代案があったでしょうか。我々の息子を戦場へ送り、娘を工場へ送らねばならなかったのに、どうやって軍国主義者たちの命令や要求を拒むことができたでしょうか。したがって、誰かが日本の臣民として行ったことをもって非難するのは、言語道断です。

いわゆる親日派が平和に暮らせるように、また「自由は即ち無法であり、共産主義は即ち強奪である」と信じている(そしてそのように行動する)「愛国者」の恐喝や脅迫から安全でいられるように、高度な政治行為かつ普遍的正義として、一般赦免(大赦)が断行されるべきです。追放された朝鮮人の中の多数は、多方面にわたって従前の「十長(現場監督)²」たちから効率性と規律を学んできました。各地域の状況や朝鮮人大衆の要求に対する彼らの知識と才能は、朝鮮の新政府指導者たちにとって大いに有用なはずです。

ところが、あたかも自分たちの力と勇猛さによって日本軍国主義から朝鮮を救い出しでもしたかのように、どこへ行っても威張り散らしている自称「救世主」たちの姿というのは、実に滑稽なものです。彼らは愚鈍であるか、恥を知らないか——おそらくはその両方でしょうが——、朝鮮の自由が「月の中に住んでいる人の自由」ほどもなかったということを知らないようです。

いわゆるその「解放」とは、単に連合軍の勝利の一部分として我々にもたらされたものに過ぎません。もし日本が降伏していなかったなら、虚勢と自慢に満ちた「愛国者」たちは、誰かが大きな杖で日本を追い出すまで、宮城遥拝を続け、皇国臣民ノ誓詞を唱え続けていたでしょう。明らかなことは、この虚勢と自慢に満ちた「愛国者」たちが日本を追い出したのではないという点です。もし何らかの異変によって日本が再び朝鮮を奪還したならば、この虚勢と自慢に満ちた「愛国者」が日本を追い出すことができるでしょうか。この法螺吹きたちは、寓話に出てくる愚かなハエのように、言い換えれば、走る馬車の上に止まっていながら「この馬車は自分の力で転がっているのだ」と叫ぶハエのように言いふらしているだけなのです。

我々は解放が「贈り物」として与えられたものであることを率直に認め、その幸運をありがたく思うべきです。失った宝石を取り戻したかのような恩恵を授かったからには、謙虚な心で二度とそれを失わないよう最善を尽くさねばなりません。些細な個人的野心や党派的な陰謀、地域間の憎悪などはすべて葬り去り、苦痛を味わっている我が国の公益のために、皆で協力すべきです。我が国の地政学的な状況から察するに、民衆の無知と党派間の不和の中では、我々朝鮮の未来を楽観することはできません。我々は分裂せず、団結せねばなりません。

 

¹ 1910年を勘違いしたようである。

² 各界各層の日本人エリートたちを意味するものと思われる。

 

* * * *

以下は韓国語原文

한 노인의 명상록 1① — 1945년 10월 15일

듣자하니 조선인이 민주 정부 운영에 관해 거론한다는데, 내게는 마치 여섯 살 난 어린아이가 자동차 운전이나 비행기 조종에 관해 거론하는 것처럼 들립니다. 영국과 미국만이 이 세상에서 민주주의로 성공한 나라입니다. 훌륭한 시민으로서의 도덕심을 갖추고 있는 독일인이나 논리적이고 지적인 프랑스인조차도 영국인이 정립한 민주주의의 표준형에 도달하지는 못했습니다. 남아메리카에 있는 수많은 공화국 중에 진정한 민주주의 국가라고 지목할 수 있는 나라가 있습니까? '지금' 조선은 중국이나 만주보다도 민주주의가 덜 준비되어 있습니다.

조선인 가운데는 공산주의를 원하는 이들이 있습니다. 매우 애석한 일이 아닐 수 없습니다. 고도의 정치력과 실용적인 지혜를 가진 영국이 서서히 사회주의 정책을 도입해간다면 모를까, 사회주의의 A, B, C, D도 모르는 조선이 어찌 감히 공산주의 국가의 경영을 바랄 수 있겠습니까? 그건 그렇고, 지난 두 달 동안 북위 38도선 이북에서는 조선인 공산주의자들이 후견인의 도움에 힘입어서, 공산주의가 조선에서 승리를 거둘 경우에는 따끔한 맛을 보게 될 거라고 우리가 예견했던 바 그대로의 본보기를 보여주었습니다. 약탈과 강탈과 학살을 일삼는 공산주의가 표방하는 부드럽고 자비로운 태도와 억압하고 탄압하고 학대하는 일본 제국주의 사이에서, 즉 악마와 심연(深淵) 사이에서 어떤 선택의 여지가 있을까요?

그러므로 현재와 다가올 미래를 위해 조선에 필요한 것은 자애로운 온정주의입니다. 굳센 손과 이타적인 헌신으로 일어설 유력자가 필요합니다. 민주주의의 형식과 구호만을 내세우며 국민을 선동하는 무리와 공산주의의 잔학하고 불합리한 이념으로부터, 교육도 받지 못했고 훈련도 안 되어 있는 조선인을 지켜줄 유력자 말입니다. 우리 조선인은 전형적인 민주주의나 급진적인 공산주의를 받아들일 정치적인 준비가 되어 있지 않습니다. 우리는 방종을 자유로, 강탈을 공산주의로 오해하는 심각한 위기에 처해 있습니다.

조선에 수립될 새 정부가 어떤 형태를 띠든 간에 조선인은 고유의 전통과 관습을 지켜야 하며, 필요하다면 언제 어디서나 한 단계씩 새로운 관습을 도입해야 합니다.

① 해방 직후 윤치호는 「한 노인의 명상록」이라는 영문 서한을 작성해 미군정과 이승만에게 보냈다. 그는 1945년 10월 15일에 작성한 서한에서 한국인은 아직 민주주의를 운영해 나갈 능력이 없다는 점과 한국이 공산주의화되어서는 안 된다는 점을 강조하고, 한국인을 지도할 유력자가 필요하다고 역설했다. 여기서 말하는 유력자가 구체적으로 이승만을 가리키는 것이지는 확실치 않다. 그는 또 1945년 10월 20일에 작성한 서한에서 일제 치하에서 한국인은 좋든 싫든 '일본인'일 수밖에 없었다고 주장하면서 친일파에 대한 사면을 호소했다. 「한 노인의 명상록」은 윤치호가 해방을 맞이한 후에도 일제 시기에 갖고 있던 견해를 그대로 고수했다는 사실을 확인할 수 있는 귀중한 자료다. 윤치호의 종손녀인 번역문학가 윤경남 선생님의 번역문(윤경남 옮김, 『(국역) 좌옹 윤치호 서한집』, 호산문화, 1995)을 대부분 참고했다.

 

 

한 노인의 명상록 2 — 1945년 10월 20일

1. 친일파라는 비난을 받고 추방당한 사람 중에는 유능하고 유용한 이들이 적지 않습니다. 자, 과연 누가 독선적인 비방자일까요? 바로 그런 친구의 대부분이 1945년 8월 15일 정오까지안 해도 학교, 교회, 공장, 정부, 큰 사업체, 백화점, 결혼식, 장례식 등 모든 공식석상에서 궁성요배를 하고, 황국신민서사를 되뇌고, 천황 만세를 외쳤습니다. 그들 대부분이 창씨개명을 했습니다. 어째서 그들은 친일파와 똑같은 행동을 했을까요? 그들은 다만 그렇게 해야만 했던 것입니다. 아니면 감옥에 가야만 했으니까요. 그렇다면 누가 남들에게 제일 먼저 돌을 던지는 것일까요? 두 가지 이유가 있습니다. (1) 불미스러운 자기들의 과거를 감추고자 조선인을 속이기 위해서입니다. (2) 정당과 개인의 주머니를 채우고자 근심과 공포감에 싸여 있는 사람들에게서 돈을 뜯어내기 위해서입니다.

누군가에게 친일파라고 오명을 씌우는 것은 정말이지 터무니없는 일입니다. 일본에 병합됐던(1911년¹부터 1945년까지) 34년 동안 조선의 위상은 어땠습니까? 독립적인 왕국이었나요? 아니요. 조선은 일본의 일부였고, 미국 등 세계열강도 그렇게 알고 있었습니다. 즉 조선인은 좋든 싫든 일본인이었습니다. 그렇다면 일본의 신민으로서 '조선에서 살아야만 했던' 우리들에게 일본 정권의 명령과 요구에 응하는 것 외에 어떤 대안이 있었겠습니까? 우리의 아들을 전쟁터에 보내고 딸을 공장에 보내야만 했는데, 무슨 수로 군국주의자들의 명령과 요구를 거역할 수 있었겠습니까? 그러므로 누군가가 일본의 신민으로서 한 일을 가지고 비난하는 것은 어불성설입니다.

이른바 친일파가 평화롭게 살 수 있도록, 또 자유는 곧 무법이며 공산주의는 곧 강탈이라고 믿는 (그리고 그렇게 행동하는) '애국자'의 공갈 협박으로부터 안전할 수 있도록, 고도의 정치 행위이자 보편적 정의로서 일반 사면이 단행되어야 합니다. 추방된 조선인 가운데 다수는 다방면에 걸쳐서 종전의 십장들²로부터 효율성과 규율을 배워왔습니다. 각 지역의 상황과 조선인 대중의 요구에 대한 그들의 지식과 재능은 조선의 새 정부 지도자들에게 크게 유용할 것입니다.

2. 그런데 마치 자기들의 힘과 용맹성을 가지고 일본 군국주의로부터 조선을 구해내기라도 한 것처럼 어딜 가나 으스대며 다니는, 자칭 구세주의 꼴이란 참으로 가관입니다. 그들은 아둔하거나 수치심이 없는 — 아마도 그 둘 다인 — 사람들인지라, 조선의 자유는 달 속에 살고 있는 사람의 자유만큼도 되지 않았다는 것을 모르는 모양입니다.

이른바 그 '해방'이란, 단지 연합군 승리의 한 부분으로 우리에게 온 것뿐입니다. 만일 일본이 항복하지 않았더라면, 허세와 자만에 찬 '애국자'들은 어떤 사람이 큰 지팡이로 일본을 내쫓을 때까지 계속해서 궁성요배를 하고 황국신민서사를 읊었을 것입니다. 분명한 것은, 이 허세와 자만에 찬 '애국자'들이 일본을 몰아낸 것은 아니라는 점입니다. 만일 어떤 이변에 의해서 일본이 다시 조선을 탈환한다면, 이 허세와 자만에 찬 '애국자'가 일본을 몰아낼 수 있을까요? 이 허풍쟁이들은 우화에 나오는 어리석은 파리처럼, 다시 말해서 달리는 마차 위에 내려앉아 있으면서 '이 마차는 내 힘으로 굴러가고 있다'라고 외치는 파리처럼 이야기하고 다니는 것뿐입니다.

우리는 해방이 선물로 주어진 것임을 솔직히 시인하고, 그 행운을 고맙게 여겨야 합니다. 잃었던 보석을 되찾은 듯한 은혜를 입은 만큼, 겸허한 마음으로 다시는 그것을 잃지 않도록 최선을 다해야 합니다. 사소한 개인적 야심과 당파적인 음모와 지역 간의 증오심이랑 모두 묻어두고, 고통을 겪고 있는 우리나라의 공익을 위해 다 함께 협력해야 합니다. 우리나라의 지정학적 상황으로 미루어볼 때, 민중의 무지와 당파 간의 불화 속에서는 우리 조선의 미래를 낙관할 수가 없습니다. 우리는 분열되지 말고 단결해야 합니다.

¹ 1910년을 착각한 모양이다.

² 각계각층의 일본인 엘리트들을 의미하는 것으로 보인다.

 

 

 

  


 

 

 

2026/04/24

【日帝陰謀論】華川ダムの名前の謎

韓国のメディアはしばしば日本を悪魔化する手法として、併合期に日本人がやった事の動機を捏造します。

今回は、1944年に完成した華川ダムの堤の名称に巡る日帝陰謀論みたいな話をご紹介します。

華川ダムを建設したのは鹿島建設らしく、『鹿島建設百三十年史 上』によると、主目的は漢江の洪水調節を兼ねた、首都圏への電力供給だそうです。

記事は後回しにして、内容は、「地元住民は『大鵬堤』という名称を要望したのに、日帝は わざと 『鵬』(朋+鳥)ではなく、『䳟』(明+鳥)という見慣れない漢字を使った!」というもの。

どちらも伝説上の鳥を表すそうですが、そもそも住民から「大鵬堤」と命名して欲しいという要望があったのか?、本当に悪意を持って漢字を変えたのか?... この辺りの記録が見つからないので、実際のところはよく分かりません。

 

20260424_hanakawa01

 

* * * *

※機械翻訳。「明+鳥」の漢字は環境依存文字らしいので「■」に置き換えます。

https://n.news.naver.com/mnews/article/087/0001188787?sid=110
[강원포럼]화천의 물 위에 숨겨진 이름, ‘대붕’과 ‘대명’ 사이
江原日報:[江原フォーラム]華川の湖面に隠された名、「大鵬」と「大■」の間
2026年04月23日

江原道華川にある人工湖は、かつて「華川貯水池」と呼ばれていたが、今日では朝鮮戦争での大勝利を称える名前として、自然と「破虜湖(パロホ)」と呼ばれるようになった。しかし、この湖が最初に形成された時期、すなわち日本植民地時代に華川ダムが建設されていた当時は、全く異なる名前が使われていた。人々の間では「大鵬堤」と呼ばれていたが、実際にはダムの銘板には「大■堤」という少々聞き慣れない文字が刻まれていた。同じ施設なのに、なぜ二つの名前が存在したのだろうか。

「大鵬」は、中国の古典『荘子』「逍遥遊」に登場する想像上の巨大な鳥である。この鳥は北海から南海まで飛び立ち、万里を飛翔する存在として、古くから「大いなる志」や「大国の飛翔」を象徴してきた。漢字文化圏において、このイメージは単なる動物ではなく、世界を包括する思想的な比喩として機能してきた。もし「大鵬堤」という名称が公式に使用されていたなら、それは単なる貯水池やダムを超え、「巨大な国家事業」あるいは「文明的な飛躍」を象徴する名称として読み取ることができただろう。

ところが、実際の銘板には「鵬」ではなく、「■」という聞き慣れない文字が記されていた。「■」は辞書でも容易に見つからない希少な文字であり、大きな鳥を意味する点では「鵬」と通じるが、古典的な象徴性ははるかに希薄である。この選択は偶然というより、意図的な調整と見られる。つまり、「大鵬」が持つ壮大なイメージは取り入れつつ、それが内包する哲学的・文明史的な重みは、ある程度取り除こうとする試みであったのだ。

ここには当時の植民権力の言語戦略が垣間見える。「大鵬」は『荘子』に由来する中国的な世界観と深く結びついた象徴である。日本帝国が朝鮮を支配していた状況下で、そのような象徴をそのまま借用することは、文化的文脈において負担となった可能性がある。したがって、意味は維持しつつも直接的な連想を避けられる異体字を選択することで、名称の威信は維持しつつ、その解釈の方向性を統制しようとしたものと見ることができる。

もう一つ注目すべき点は、「大鵬堤」という名称が民間で自然に使用されていたという事実である。「■」という文字は一般人には馴染みが薄く読みづらい反面、「鵬」は比較的広く知られていたためである。結局、人々は理解可能な言語で名称を再構成し、その結果、口語では「大鵬」、文字では「大■」という二重構造が形成された。これは、支配権力が設定した公式名称と生活の中の言語が互いに異なる働きをする典型的な事例と言える。

華川ダムとその湖の名前は、単なる地理的表記ではない。その中には、巨大な土木事業を通じて自然を再編し、その上に新たな秩序を与えようとした時代の意図が込められている。そして、「大鵬」と「大明」という二つの文字の間の隙間には、象徴を借用しつつも、それを完全に露わにしようとはしなかった、微妙な権力の計算が潜んでいる。

今日、私たちが「パロ湖」という名前でこの空間を呼ぶとき、その下には、かつて「空へ舞い上がる巨大な鳥」を夢見た名前と、それをさりげなく隠そうとしたもう一つの名前が幾重にも重なっていることを覚えておく必要がある。今、華川には「パロ湖」がある。

イ・ムホン記者 trustme@kwnews.co.kr

* * * *

 

補足の為に『朝鮮日報』の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者の記事から、以下を引用します。タイトルからも分かる様に、堤防の名前は本題ではありません。

https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/24/2016082400056.html
[박종인의 땅의 歷史] 고단한 삶은 끝나고… 사람들은 호숫가를 걸으며 안식한다
【パク・ジョンインの土地の歴史】疲れた人生が終わり··· 人々は湖畔を歩きながら安らぐ
2016.08.24. 

パロ湖は、1944年に日本総督府が首都圏の軍需工場への電力供給を目的として発電所を建設した際にできた人工湖である。もともとパロ湖という名前ではなかった。大鵬湖と呼ばれていた。その後7年後の1951年、湖の名前はパロ湖に変更された。大鵬湖という名前はすぐに忘れ去られた。

1987年4月、湖の北側で平和のダム建設が始まった。湖の水が引いた。華川ダムの脇で一つの石碑が発見された。そこにはこう記されていた。「大■堤 昭和19年10月 竣工」。大鵬が住む湖ではなく、聞いたことも見たこともない「■」が住む堤防だと?悪辣な日本統治時代の策略に、華川は騒然となった。果たしてそうだろうか。「■」は南方の世界に棲む伝説の鳥だ。水に感応する神鳥である。鳳凰よりも明鳥の方が湖の名前にふさわしく、「悪辣」「策略」「蛮行」といった言葉は似つかわしくない表現だ。

 

もう一つ、1987年に発見された石碑の状態です。「昭和」の文字を削り取ったり、故意に毀損した形跡がありますが、恐らく光復(解放)後に行った事でしょう。

 

20260424_hanakawa02

 

整理すると、

  • 人造湖なのだから、昔から湖の名前など無かったはず。
  • 1944年10月に完成した華川ダムの畔には当初「大■堤」と刻まれた石碑が建てられたが、恐らく、光復後に石碑を傷つけ、ダムの中に捨てた。なぜなら、1987年4月にダム工事の為に貯水量を減らした時に石碑が発見されたから。(石碑があった事も忘れ去られていた。)
  • 1951年、破虜(パロ)湖と命名。
    cf.  Wikipediaによると、1955年、李承晩大統領(当時)がダム湖を訪れた際、「虜」(異民族、蛮族)を「破」したという意味で「破虜湖」に命名。
  • 一方、「大鵬湖」の名前も伝えられてきた。

 

となりますが、ここで疑問が湧きます。

「鵬」と「■」では読み方が違います。朝鮮語では何と発音するのか分かりませんが、日本語なら「ホウ」と「メイ」です。

「大■堤」と石碑に書かれているのを「大鵬堤」と誤読したのか、「大メイ堤」が気に食わないので「大ホウ堤」と呼び変えて伝えていく内に「大メイ堤」の名前は忘れ去られたのか... 。

いずれにしても、「■」の漢字を使った理由(動機)を、「悪辣な日帝」というイメージから妄想しているだけとしか思えません。

 

 

  


 

 

 

2026/03/26

【日韓歴史問題】韓国人は何を恐れているのか? 金柄憲氏の拘束が示す事

「慰安婦法廃止国民行動」の金柄憲(キム・ビョンホン)氏が、慰安婦に対する名誉毀損や児童福祉法違反等の容疑で拘束されました。児童福祉法違反というのは、慰安婦像を設置した高校の前で集会を開き、「売春婦になる進路指導をしているのか!?」など書かれた横断幕を広げた事が理由の様のようです。

今回ご紹介するのは、韓国の保守系ネットメディア『ペン&マイク』のコラムで、金柄憲氏の拘束を批判するのみならず、韓国人の一番痛い所を突く内容です。

かなり長い文章ですが、こういう歴史認識の韓国人もいるという事でご紹介します。

 

* * * *

※日本語として多少不自然でも理解に問題が無ければ機械翻訳ママ。緑字はブログ主の補足。人名などの固有名詞の誤字は後ほど修正します。

[チュ・ドンシク コラム] 「慰安婦法反対」の金柄憲を拘束せざるを得なかった理由
チュ・ドンシク 客員コラムニスト

2026.03.25 12:47

「慰安婦法廃止国民行動」の金柄憲代表が拘束された。ソウル中央地裁のイ・ジヨン令状専任部長判事が、情報通信網法上の名誉毀損などの容疑で起訴されたキム代表に対し、拘束令状の実質審査を行った後、「逃亡の恐れがある」として拘束令状を発付した。キム代表は、左派が主導してきた慰安婦への賠償要求などについて、「慰安婦の経歴を持つ哀れな老人たちを前面に立てて、国民と国際社会を欺いた、恐るべき稀代の詐欺劇」と批判し、校庭に慰安婦少女像を建てた学校の前で、少女像の撤去を求める集会を開いたこともあった。金代表のこうした活動に対し、李在明大統領は去る1~2月、ソーシャルメディアを通じて「愚かな名誉毀損」だと強く批判した。

金代表の拘束を見て、昔のことを思い出した。現在、李承晩学堂の校長である李栄薫(イ・ヨンフン)元ソウル大教授にまつわる記憶だ。李栄薫校長がいわゆる植民地近代化論で韓国社会に波紋を広げ始めた頃のことだろう。李校長の講演会場に、独立運動家の子孫という老人たちが押し寄せ、暴れ回ったことがあった。テレビのニュースでその場面を見た記憶がある。その老人たちは李校長の襟首をつかむなどして講演会場を混乱させ、行事がまともに進行できなかったようだ。具体的に確認しようと検索してみると、なぜか数年前に李校長がMBCの記者の頬を叩いた記事ばかりが出てくる。

とにかく、当時李栄薫校長に暴挙を働いていた老人たちを見て、奇妙な感覚を抱いた。彼らがあのように振る舞う動機は何なのか、どのような心理からあのような行動をとるのか、不可解に思えたのだ。何となく分かるような、分からないような気がしたが、この疑問はすぐには解決されず、脳裏に埋もれてしまった。そうしてチョン・グァンジェ、チェ・ドクヒョ、イ・ウヨン、ファン・ウィオン〔※1〕同志らと共に「反日銅像真実究明対策委員会」を結成し、正義連の水曜集会に対抗する対抗集会を行う経験が積み重なる中で、考えを整理することができた。慰安婦少女像反対運動が本格化し、少女像の彫刻家夫婦から告訴されたり、私もペク・ウンジョンの詐欺放送を告訴したり(この訴訟戦では私はすべて勝利した。この頃はまだ司法部の常識が健在だったようだ)といった紆余曲折があった。この過程で私が作り出し使い始めた「反日精神病」という表現は、最近かなり広まっているようだ。最近では、柳錫春(リュ・ソクチュン)教授の『李承晩、時を駆ける指導者』、そしてチョン・グァンジェ先生の『神話となった朝鮮』のブックコンサート〔※2〕に行き、参加者たちのやり取りを聞いたことも参考になった。

※1 ファン・ウィオン(黄意元)氏は、朴槿恵大統領弾劾に利用されたタブレット端末の真実を暴いた事がきっかけで告訴され、数年間の法廷闘争を経て、昨年末に抗議の自死。

※2 韓国では出版記念パーティの事をブックコンサートと呼ぶ。

本来、名誉毀損の容疑は有罪判決が下ったとしても、身柄を拘束されることは稀だ。発言などの証拠が明確だからである。さらに、キム代表はいわば確信犯だ。自身の行動が正しいという明確な信念を持って実践したキム代表が逃亡する恐れがあるなどという、荒唐無稽な拘束理由である。一言で言えば、彼らは恐れているのだ。歴史の真実が明らかになることを。大韓民国の現代史は、巨大な虚偽、巨大な欺瞞劇の上に構築されたものではないか。そして、その虚偽と欺瞞の城塞は、ますます高くなり、複雑になっていった。ささやかに始まった虚偽と架空の仮説を守ろうとするうちに、ますます巨大な虚偽の事実と荒唐無稽な論理の塔が築かれたのではないか、そう思うようになった。

金柄憲代表を拘束する名分となった慰安婦問題だけでもそうだ。韓国における従軍慰安婦に関する物語は、日本の憲兵や巡査が純潔な朝鮮人の10代の少女を「処女狩り」の形で連れ去り、強姦し、強制的に日本軍の性奴隷生活を送らせたというものだ。しかし、このような小説(?)は、当時の朝鮮の新聞などには全く報道されていない。その代わり、数多く目につくのは「慰安婦募集」を知らせる新聞広告である。

当時は、わざわざ10代の少女を連れ去る必要すらないほど、多くの朝鮮の女性が売春業に従事していた。慰安婦募集広告は、これらの女性を対象としたものだった。金銭を支払えば容易に動員できる職業女性たちを差し置いて、公権力を動員して若い処女たちを狩り出すというのは、全く常識的ではない推論である。実際にそのようなことが行われた場合、多大な反発などの後遺症が必然的に生じる。当然、その騒動や反発が当時のメディアで報道されないというのは、あり得ない話だ。

何よりも、当時の日本帝国は市場経済が定着した先進国であった。市場経済は、強固な法治秩序なしには機能しない。朝鮮半島全域に近代的な治安秩序と行政体系、市場機能が息づいている中で、同じ空間において公権力が乗り出して処女狩りをするというのか? このような論理構造を持つ人々が知識人のふりをしている現実は情けない。近代国家を構成するシステムがそれぞれ別々に動くのではなく、緊密に相互に関連して機能する有機体であることを全く理解していないためだ。処女狩り説を最初に提起した日本人の吉田誠司の主張を最初に報じた朝日新聞も、報道が虚偽であったことを認め、公式に謝罪した。

巨大な虚構の構造物の一つとして、柳寛順(ユ・グァンスン)の話も外すことはできない。3.1節が近づくと、あちこちで「国のために捧げる命が一つしかないという事実が、私の唯一の悲しみです」という彼女の発言が広められる。ユ・グァンスンが西大門刑務所で獄死する直前に残した遺言だというが、その出典を確かめるのは到底難しい。公式記録でなくとも、せめて誰かユ・グァンスンの死を目撃した人の名前くらいは記載されていなければならないのではないか。ただ黙って信じろと言いたいのか?

さらに荒唐無稽な事実がある。ユ・グァンスンが西大門刑務所で死んでいないという点〔※後述〕だ。西大門刑務所の受刑者管理カードには、ユ・グァンスンが大正10年(1921年)1月2日に満期出所したと記録されている。このカードには、ユ・グァンスンが釈放された後に帰った場所まで明記されている。天安郡東面龍頭里418番地、従兄の柳京錫の家へ行ったというのだ(眞明行/チン・ミョンヘン、『素顔の独立運動史』、212ページ)。「日本人の記録をどうして信じられるのか」と反論する人もいるだろうが、日本の記録文化は正確で几帳面であると定評がある。何より、柳寛順が殉国したという噂は、日本の記録よりも信頼性がはるかに低い噂、すなわち出所も分からない虚構の産物である。

では、柳寛順はいつ、どこで亡くなったのだろうか?それは分からない。とんでもない話だ。あの有名な「朝鮮のジャンヌ・ダルク」の死が知られていないはずがないだろう。彼女が亡くなった時、朝鮮半島は騒然とならなかったのだろうか?申し訳ないが、そのようなことはなかった。柳寛順は日帝統治時代、全く知られていない人物であり、彼女が絶世の愛国少女として知られるようになったのは、解放後に梨花女子大学の関係者やキリスト教関係者の必要性に基づいたものだと見るべきだろう。

絶世の愛国者、金九(キム・グ)はどうだろうか。彼の自伝『白凡日誌』が李光洙による潤色と加筆を経たことは広く知られているが、本の末尾に収録され多くの人を感動させた「私の願い」は、そもそも李光洙の創作であるというのが定説だ。そもそもその文章自体が、金九の人生や哲学などとは完全にかけ離れた内容である。しかし、これくらいなら愛嬌として許せる範囲だろう。金九の最も深刻な問題は、彼がこの国の歴史において持つ地位である。現在、金九の地位は、ほぼこの国の国父と呼べるほどだ。しかし、金九が建国過程で果たした役割を見ると、彼のこのような地位は徹底的な捏造と誇張の結果だと見なすべきだ。金九の地位は、李承晩のそれを無理やり移し替えたものである。持ち主が変わったのだ。

一部の若い世代が金九を蔑んで呼ぶ呼称が「キルグ」だ。Kill、すなわち殺人を独立運動の核心的な手段として用いたという皮肉である。過激な表現だと言うこともできるが、金九の運動方式がテロリズムであるという事実は否定しがたい。そのテロの対象が日本人ではなく、主に同じ朝鮮人の独立運動家であったという点も問題だ。金九の名を世に知らしめたチハポ事件についても、金九は自分が殺害した日本人・土田譲亮が日本陸軍中尉だと主張したが、実際には朝鮮で薬材類を販売していた商人であったというのが定説である。

解放直後の1945年12月中旬頃、ソウル鍾路の料理店「国日館」で起きたハプニングも有名だ。韓民党の指導者である金聖洙と宋鎭祐が、金九、金奎植ら臨時政府の要人を歓迎するために設けたこの席で、臨時政府側の趙素昂らが「国内に残って日帝に協力した連中は皆、親日派だ」と攻撃すると、宋鎭祐が「君たちが上海や重慶でどう過ごしていたか、知らないと思っているのか」と反論したのである。概して、人間の集団が互いに誹謗中傷する場合、その内容は正確なことが多い。逆に、人間の集団が互いに称賛し合う場合、それは大抵、信じるに値しないと見なすべきである。これが人間社会の原理である。国日館事件から間もない1945年12月30日、宋鎭祐が暗殺される。金九がこの暗殺においてどのような役割を果たしたかについては、噂ばかりが飛び交うだけで、はっきりとした証拠はない。金九が「行動する良心、いや怨心」で有名だという事実が、その心証を強めるに過ぎない。

しかし、金九の行動において最も深刻なのは、大韓民国の建国に対する露骨な反対である。1948年4月、金九は国連が決議した「可能な地域(南韓)のみの単独選挙」に反対し、平壌での統一政府樹立に向けた南北指導者会談を提案した。こうして実現したのが南北連席会議である。しかし、この会議は金日成に利用されるだけで終わった。金九はこの会議への出席以降、5.10総選挙も拒否し、北朝鮮の立場に同調するスタンスへと転じた。金九は当時、駐韓中華民国公使の劉馭万との対話の中で、「北朝鮮はすでに強力な軍隊を保有しており、戦争になれば韓国は到底太刀打ちできない」と発言した。それにとどまらず、金九が韓国国内で軍事政変を試みたという疑惑もある。金九を殺害した安斗熙は金九の追随者であったが、金九のこうした動きに憤り、暗殺を決行したと自身の回顧録で明かしている。

朝鮮は自らの力で近代化の作業を遂行できず、日本帝国の力を借りなければならなかった。この過程が朝鮮人の内面に深い傷として残ったのは事実である。しかし、植民地時代の朝鮮人の大部分は、その傷を傷として認識できなかった。彼らは日帝の支配を現実として受け入れ、さらには積極的に歓迎した。太平洋戦争当時、日本軍の戦勝報が伝えられるたびに朝鮮人たちが街頭に飛び出して歓呼したのは、決して強制の結果ではなかった。当時の朝鮮人にとって、日本帝国は初めて経験する近代国家そのものであり、朝鮮人たちはその国家の国民であるというアイデンティティと帰属意識、誇りをはっきりと実感していたと見るべきである。太平洋戦争末期に多くの朝鮮青年が日本陸軍特別志願兵として志願参戦したのは、そのアイデンティティと帰属意識、誇りの結果である。

1945年の解放は、朝鮮人にとって計り知れない衝撃であった。この衝撃は、1910年の日韓併合当時よりも大きかったとしても、決して小さくなかったと思われる。この時、朝鮮人にとって最も切実な要求として迫ってきたものは何だったのだろうか。それは、自分たちが敗者ではなく、勝者の側に分類されなければならないということだった。太平洋戦争で日本帝国の一員として戦った過去を消し去ることだった。生存と機会の側面からもそうだったが、より本質的なのは歴史的な正当性の問題であった。政治は誰が正しいかを区別するゲームであり、戦争はその政治の延長線上にあるからだ。朝鮮人たちは必死に勝者の側に立つよう努めた。その後、朝鮮半島では植民地時代の自らの過去を美化し、覆す巨大な闘争が展開される

大韓民国の至る所で今もなお生み出され続けている反日ナラティブを見ると、恐ろしいほどだ。植民地時代、これほど多くの朝鮮人が日本帝国に積極的に抵抗していたというのか?もしそうだったなら、朝鮮総督府は現実的に統治そのものが不可能だったはずだ。テレビの自然番組で、次のような会話が交わされているのを耳にしたこともある。「ここで日本人がたくさん人を殺したそうだよ。」あの深い山中で日本人が朝鮮人をたくさん殺したという現実性が想像できないが、こうした「噂」は今も無限に生産され、蓄積されて現実を再構成している。日本統治時代に成人期を過ごした方々が日本に対して強い敵対感を示すことは稀だが、日本統治時代に生まれてもいなかったり、せいぜい無邪気な子供だった人々が、全身で日本による弾圧を受けた経験を吐露することがある。こうした叙事は絶えず生成され続けている。独立後の「独立運動」というものが、こうしたことを意味しているのかもしれない。その根底にあるのは、巨大な恐怖である。

かつて李栄薫先生の講演会場に押しかけ、襟首をつかんでイベントを妨害した人々の心理を支配していたのも、そのような恐怖ではなかっただろうか。自分たちの過去を否定されるという、いや、その過去が白日のもとに晒されるかもしれないという恐怖だと私は考える。キム・ビョンホン代表の拘束は、その恐怖の発作に他ならない。問題は、このような欺瞞と虚偽を維持するためには、ますます無理を重ねざるを得なくなるという点だ。虚偽を覆い隠すためには、より巨大な虚偽の虚構が必要だからだ。しかし、いつまでこの虚偽の城を築き続けられるだろうか?いつまでこの城は崩れずに持ちこたえるだろうか?この城が崩れた時、何が起こるだろうか?

彼らが恐れている理由、その恐怖の根源について語ってみようか?自分たちが敗北した陣営の一員、すなわち日本帝国の一員であったという事実が恐ろしいのだ。この嫌疑から自由な朝鮮人はほとんどおらず、現在の大韓民国国民の大部分が、あの朝鮮人の子孫であるという事実こそが、この欺瞞と虚偽を維持させる最も強力なエネルギーなのだろう。そして、この反日という精神病を政治闘争の最も強力な材料とする平壌政権と中国の要求が、ここに結びついていると確信する。

チュ・ドンシク 地域平等市民連帯代表(元「国民の力」光州西区甲党協委員長)

 

* * * *

戦後生まれの日本人は大なり小なり「自虐史観」を植え付けられているとは思うのですが、それ故に、歴史の真実を知ることは、そこからの脱却となり、喜びを感じることができます。

一方、韓国人は、真実の歴史を知れば知るほど惨めになるのですから、耳を塞ぎたくなるのは確かでしょう。

つまり、真実を解明する積極性が無いのです。

そして、真実を知った韓国人が増えても、プライドの高さ故に、それが主流の説になるかどうか... ブログ主は無理だと思います。

自分自身に嘘をつき続けるだろうという意味です。

 

ところで、柳寛順(ユ・グァンスン)については、確かに、受刑者カードの「出獄年月日」に大正10年1月3日と記されており、獄中死したという定説から、李垠(イ・ウン)殿下・李方子妃ご成婚(1920年(大正9年)4月28日)による ”恩赦予定日” だとブログ主は思って、過去のブログにもその様に書いていました。

 

▼受刑者記録カード裏面とその記載内容 

19200928_01
20240302_31dokuritu01

 

しかし、진명행(眞明行)氏の著書では、実際に出獄し、その後亡くなったと書かれているそうです。

いずれにしても、当時は誰からも注目されない存在で、解放後にヒロインに祭り上げられた女性であることは事実です。墓すら見つかっていないのですから。

 

 

  


 

 

 

2026/03/02

日本が朝鮮(大韓帝国)を併合してもしなくとも、朝鮮は消滅していた

noteを更新しました: 日本が朝鮮(大韓帝国)を併合してもしなくとも、朝鮮は消滅していた

 

韓国人が言う「旧韓末」... 即ち、李朝末期~大韓帝国時代の朝鮮は財政破綻の寸前でした。そのため、様々な債権(利権)を外国資本に切り売りする、謂わば「筍(タケノコ)生活」だったのです。

 

日本が併合してもしなくとも、李朝は滅亡する運命でした。

後朝鮮人は「○○烈士」とか「○○義士」とかで勝手にオナニーをしていてください。

 

 

  


 

 

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

同窓会・同窓生便り 我が町 【cocolog】 cocologの楽しみ方 【cocolog】 新システム対応 【cocolog】FC2拍手ボタンを記事に貼る方法 【cocolog】Request URI too Largeエラー 【cocolog】webページの活用 【cocolog】アクセス解析・SEO 【cocolog】カテゴリの管理 【cocolog】ココログにfaviconを設置する方法 【cocolog】マイフォトの活用 【cocolog】今更きけないココログ 【cocolog】画像の管理 【cocolog】知っていると便利なHTMLテクニック 【IT】 パソコン・インターネット一般 【IT】win10 【IT】win8/win8.1 【IT】 Excel条件付き書式 【IT】 Excel/Word一般 【IT】Excel/Wordでお絵かき 【IT】Excel/Wordで画像の背景を透過させる 【IT】@niftyマイキャビ 【IT】フリーソフト 【IT】CANONプリンタ MG7130 なんちゃってドールハウス1 なんちゃってドールハウス2 ┗ 【HowTo】塗料・塗装道具 ┗【HowTo】クリヤーボンドの希釈 ┗【HowTo】クリヤー系ボンドの違い ┗【HowTo】ボンド水 ┗ 【HowTo】テーブルの作り方 ┗ 【HowTo】レンガ壁の作り方 ┗ 【HowTo】椅子の作り方 ┗ 【HowTo】畳の作り方 ┗【HowTo】100均フォトフレームで壁掛けドールハウスを作る ┗【HowTo】100均フォトフレームで飾り台を作る ┗【HowTo】template Maker ┗【HowTo】ミニチュア製作に役立つWord/Exceのテクニック ┗【HowTo】筆の洗浄 ┗【HowTo】資材・塗料の整理 ┗ 【テーマ別】『大草原の小さな家』シリーズ ┗【テーマ別】『ローラの小さな家』を作る ┗【テーマ別】ハロウィン ┗【テーマ別】クリスマス ┗【テーマ別】クラインガルテン ┗【テーマ別】八百屋(greengrocer) ┗【テーマ別】公園のカフェ ┗【テーマ別】朝食・モーニングセット ┗【テーマ別】木骨の家/ビアハウス ┗【テーマ別】パン屋 ┗【テーマ別】田舎のパン屋(1) ┗【テーマ別】正月 ┗【テーマ別】節分 ┗【テーマ別】端午の節句 ┗【テーマ別】夏の風物詩 ┗【テーマ別】中秋の名月 ┗ 【道具】ノコギリ・カッティングガイド ┗【道具】おもちゃの機織り機 ┗【道具】デジタルスケール ┗【道具】パイプカッター ┗【道具】ピンバイス、ミニドリル ┗【道具】ヘッドルーペ ┗【道具】リューター ┗【道具】粘土工作の道具 ┗【道具】粘土用ニス ┗【道具】撮影ボックス ┗【素材】スイーツデコソース ┗【素材】スチレンペーパー、スチレンボード ┗【素材】ダイソー樹脂風粘土、その他粘土 ┗【素材】デコモール ┗【素材】ドールハウスでよく使う木材 ┗【素材】フローラルテープ ┗【素材】ミラーシート ┗【素材】モデナペースト ┗【素材】レジン ┗ 【ドールハウス関連書籍レビュー】 ┗ 【分野別】家具 ┗ 【分野別】キッチン用品 ┗ 【分野別】食器・容器 ┗ 【分野別】ソーイング・手芸 ┗ 【分野別】本・雑誌 ┗ 【分野別】 庭・ガーデン ┗ 【分野別】ガーデン小物・ファニチャー ┗ 【分野別】植木鉢・コンテナ ┗ 【分野別】植物 ┗ 【分野別】おせち料理・和食 ┗ 【分野別】洋食・中華 ┗ 【分野別】和菓子 ┗ 【分野別】洋菓子・パン ┗ 【分野別】飲み物 ┗ 【分野別】野菜・果物 ┗ 【分野別】その他食品 100円ショップで見つけたもの 【プチ工作】100均アイテムリメイク 【プチ工作】牛乳パック・日本酒パックで簡単カルトナージュ 【プチ工作】未分類 外国語の学習 【生活】大掃除・中掃除・小掃除 【生活】地デジの対策 【生活】災害/東北関東大震災関連 【生活】金融・投資・税金 【生活】豆知識・その他覚書 【野鳥観察】バードフィーダー(鳥の餌台) ガーデニングっぽい何か (´-`).。oO(ブログ主のつぶやき) 【マスコミ・メディア】 【毎日新聞】チャイナウォッチ 【国内政治】 テロ等準備罪 【国内政治】 加計学園問題 【国内政治】 加計学園問題(愛媛県文書) 【国内政治】 加計学園問題(文科省メモ) 【国内政治】森友問題 【国内政治】IR 【国内政治】外国人労働者 【国内政治】一般 【国内政治】選挙 北海道(アイヌ問題) 北海道(一般) 沖縄・裁判(その他裁判) 沖縄・裁判(孔子廟裁判) 沖縄(ハンセン病問題) 沖縄(一般) 沖縄(基地問題) 沖縄(歴史) 沖縄(首里城火災) 【国内】あいちトリエンナーレ 【国内】兵庫県庁 【国内】教科書問題 【国内】東京オリンピック 【国内】統一教会 【国内】在日韓国・朝鮮人 【国内】その他国内問題 【歴史戦】一般 【歴史戦】弥助&トーマス・ロックリー問題 【歴史戦】領土問題一般 【歴史戦】領土問題(北方領土) 【歴史戦】領土問題(尖閣諸島) 【歴史戦】領土問題(竹島・日本海・対馬) 国連の実態 【国際】『韓国「反日主義」の起源』読書メモ 【国際】レーダー照射事件 【国際】北朝鮮・総連・朝鮮学校 【国際】北朝鮮一般 【国際】北朝鮮拉致問題 【国際】徴用工問題 【国際】徴用工問題(佐渡金山) 【国際】徴用工問題(軍艦島) 【国際】慰安婦問題(挺対協・正義連) 【国際】朝鮮人陸軍特別志願兵 【国際】韓国・反日種族主義 【国際】韓国・輸出管理 【国際】韓国・関東大震災 【国際】韓国・韓紙 【国際】韓国一般 【国際】韓国人ブログ・YouTube 【国際】韓国(歴史問題) 【国際】韓国(歴史問題)3.1独立運動 【国際】韓国(歴史問題)李舜臣 【国際】韓国(現代) 【国際】韓国(金正恩のリムジン密輸) 学園浸透スパイ事件とその時代 【国際】中国 【国際】台湾(一般) 【国際】台湾人日本兵戦後補償請求訴訟 【国際】その他 憲法9条・改憲 皇室制度 【政治】未分類 武漢肺炎・新型コロナウイルス 【社会問題】 龍田小・中のAmazon欲しい物事件 【社会問題】熱海土石流 【社会問題】その他 【電力・エネルギー問題】 test temp スポーツ 住まい・インテリア 文化・芸術 旅行・地域 映画・テレビ 書籍・雑誌

counter since 2018/12/25

  • Flag Counter

    FLAG Counterのロゴをクリックすると、更に詳しい分析結果が表示されます。
    ココログのアクセス解析よりは少ない数字になるようです。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

sponsored link


ドールハウス工作おすすめ参考図書

カテゴリー

無料ブログはココログ