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【国際】韓国(歴史問題)

2024/05/12

【朴鍾仁記者コラム】巷間流布される閔妃と大院君の写真は偽物(2)大院君の写真を検証する

前回の続きです。このエントリーでは大院君の写真を扱います。

 

* * * *

※機械翻訳による誤字などは極力修正しますが、日本語としてやや不自然でも意味が分かれば機械翻訳ママ。

 

20240512_binhi03

 

撮影者はスミソニアン学者

「マゴジャを着た大院君」と「シースルーを着た女」の撮影者はピエール·ルイ·ジョイ(Pierre Louis Jouy)という米国人だ。 壬午軍乱の1年後の1883年5月、初代駐韓米国公使プートとともに朝鮮に来た。 ジョイは米国スミソニアン博物館所属の鳥類学者だ。 朝鮮から人類学的研究と標本収集のために入国した。(Peter Juhl、「朝鮮に来た最初のスミソニアン、ピエール·ルイ·ジョイの生と作業(The Life and Work of Pierre Louis Jouy, The Smithsonian's First Man in Korea)」、王立アジア学会韓国支部学会誌95集、2021)

1891年度スミソニアン年次報告書にジョイの研究成果が載っている。 429ページから488ページまで、彼が撮影したり収集した写真、収集した器物の写真と説明が挿入されている。 434ページと435ページの間に人物写真が載っている。 ここに上の<写真⑤>が載っている。 「図版10(Plate X)」番号がついたこの写真説明はこうだ。 「朝鮮の女官(Korean Serving Woman in The Palace):夏の服装。 頭には宮廷女性特有の装飾がある。 上着はいつも白で、スカートは青だ。 王族だけが赤い服を着ることができる」そして写真出典は「ピエール·ルイ·ジョイ撮影(From a photograph by Jouy)」。この報告書に載せられた写真の中で8枚に「ジョイ撮影」という説明が付いている。

ところが、この<写真⑤>と清のマゴザを着た大院君の写真<写真④>は背景と照明が同じだ。 これもまた、撮影者がジョイという意味だ。 この大院君の写真は、米ハーバード大学博物館に所蔵されている。 「清国」の服飾をしたこの写真は朝鮮民俗学報告書であるスミソニアン報告書には抜けている。

※単なる「朝鮮の民俗」写真という事らしい。

 

大院君?正体不明の男!

大院君は1882年8月27日、清の軍によって天津に拉致された。 1885年10月5日に帰国した大院君は、直ちに高宗によって雲峴宮に幽閉され、外部との接触が禁止された。 ジョイは1883年5月、朝鮮に来た。 同年11月、釜山に行って税関で働きながら慶尚道地域の植物と鳥類を研究した。 1886年夏、元山に向かった標本採集踏査を除いては慶尚道を離れたことがない。 同年11月、ジョイは米国に帰国して帰ってこなかった。

大院君の中国滞在時期とジョイの活動時期を比較すると、ジョイと大院君が会う機会はなかった。 このため、大院君の撮影は不可能だった。 1900年、韓国学研究組織である「王立アジア学会」がソウルに設立された。 フォーク、ベルナドゥ、ローウェルのように、ジョーイと同時代に朝鮮を訪れた人々とは違って、ジョーイは94回発行された同学会の学会誌に一度も登場しなかった。(以上、Juhl、前論文)大院君のように「言及価値の高い人物」をジョイが会って撮影したとすれば、どんな形式であれこの学会誌に記録されていなければ正常だ。

 

20240512_binhi05

 

1882年9月、清の天津で撮影した大院君の写真<写真⑥>と比べると明らかだ。 大院君の幽閉を決めた直後、清政府が記録次元で撮影した写真だ。 日付と場所まで確定した「本当の大院君」の写真だ。 厚い下唇を除けば、目元と鼻筋、耳の位置、耳の形がすべて違う。 1880年夏に制作した61歳記念肖像画<写真⑦>と天津の写真は、これらの要素が似ている反面、マゴジャを着た男と肖像画の中の大院君は同一人物とは見難い。

画像省略〕<写真⑦>大院君61歳記念肖像画(1880年)。 /ソウル歴史博物館

その上、マゴジャを着た社内写真は日本企業が写真葉書で作って販売したが、タイトルは「大院君」ではなく「朝鮮風俗、朝鮮人服装(CUSTOMS OF KOREAN)」だ。<写真⑧>英単語のスペルが間違っているのはよくあることだった。 このようなすべての否定的な脈絡と関係なく、ジョイがマゴジャを着た大院君を撮影した可能性もある。 しかし、すべての歴史的情況を見れば、違う可能性がはるかに大きい。

画像は④で紹介した物〕<写真⑧>マゴザを着た男の写真で、日本のメーカーが制作した写真葉書。 「朝鮮風俗、朝鮮人服装」となっている。 /イドンス提供

 

 

  


 

 

 

 

【朴鍾仁記者コラム】巷間流布される閔妃と大院君の写真は偽物(1)閔妃の写真を検証する

以前、単なる強盗犯の処刑写真が抗日運動家として殉国烈士追悼塔に刻まれている事を検証した『朝鮮日報』の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者が、巷間、閔妃と大院君の写真として出回っているものは偽物だというコラムをお書きになりました。

上記記事でもご紹介した通り、朝鮮末期や大韓帝国時代、多くの外国人が写真を撮ったり購入したものが、いい加減なキャプションを付けられ、更には後世の韓国人学者がろくに検証しないままそれを使用する事が多々あるようです。

 

直接、歴史認識に関わるものではないのですが、その緻密な検証に敬意を表して、なるべく省略せずにご紹介したいと思います。

 

* * * *

※機械翻訳による誤字などは極力修正しますが、日本語としてやや不自然でも意味が分かれば機械翻訳ママ。

https://www.chosun.com/national/weekend/2024/05/11/MDYUY3QQUNC7THH7QMMWMEO2OE/
‘합성사진’ 속 여자가 왕비요, 마고자 차림 남자가 대원군이라는데…[박종인 기자의 ‘흔적’]
「合成写真」の中の女性が王妃で、マゴジャ姿の男性が大院君だというが···[朴鍾仁記者の『痕跡』]
2024.05.11.

※マゴジャ〔마고자〕:チョゴリの上に重かさねて着る襟えりのない防寒用の上着

高宗妃の閔氏は問題的人物だ。 彼女を「明成皇后」と呼ぶと「民族的」と言い、「閔妃」と呼ぶと「親日的」と言う。 王妃の閔氏は尊敬され、憎悪の対象でもあった。 1882年に壬午軍乱〔※1〕を起こした往十里〔※地名の下級軍人たちは「一人だけを選んで処置し、残りの閔氏を皆殺す(區處一人盡殺諸閔)」と宣言した。(朴柱大「羅岩収録」3冊、162.宣恵清分謡)この「一人」が王妃の閔氏だ。

列強を利用して日本から逃れようとしたという肯定的な評価もある。 王妃は1895年、日本人に暗殺された〔※2。 今、彼女は反日民族主義を象徴する人物になった。 ミュージカル「明成皇后」(1995)で「私は朝鮮の国母だ!」と叫ぶ姿はこれをよく表している。

※1 壬午軍乱(1882):大院君による煽動で旧軍の不満兵士が起こした反乱。

※2 実行は日本人壮士(浪人)と朝鮮の訓練隊(近代的な軍隊を整備する為に日本が指導していた軍隊)の共同。特に訓練隊の禹範善は日本に亡命後、閔妃殺害の実行犯である事を話しており、刺客に暗殺される。

ところが、壬午軍という軍人たちがあんなことを言った場所は、興宣大院君が住む雲峴宮だ。 大院君は1873年、高宗が親政を宣言し、自宅に幽閉された状態だった〔※癸酉(きゆう)政変。 大院君に会った軍人たちがこのように付け加える。 「旦那様のことは全然心配しないでください。 新しい世界を作り、大監〔※だんげん/高位の官名〕とともに太平を享受できるだろう(大監勿慮勿慮 作:新世界の與後、大監共太平)」大院君は彼らを励まし、軍人は宮殿と漢城に住む閔氏を殺し、家に火をつけた。

※ここまでで、外戚として権力振るっていた閔氏一族および閔妃と高宗の父である大院君に確執があった事が分かる。

 

20240512_binhi01

 

写真の真実を求めて

さあ、これから写真の話だ。 数年前まで、上記の<写真②>が王妃の閔氏の写真だとし、国史教科書に載っていた。 かんざしを挿した形式と服飾が王室の女性だという考証が出てきて、この写真はしばらく王妃のミン氏の写真に確定した。 しかし、王妃である可能性がないという主張が力を得て、この写真は教科書から削除された。 ところがまだ市中にはこの写真が「明成皇后写真」として流通している。 一度事実だからといって固まったら、破ることは容易ではない。 また、「写真⑤」が王妃閔妃であるという主張が提起されもした。

ところが、このような主張は激しい学界論争の末、王妃ではないという方向に結論が出て行方をくらました。 しかし、一般大衆の多くは依然としてこれらの写真を「明成皇后写真」として受け入れている。

 

最初の写真、合成写真が王妃の写真?

イタリアの外交官カルロ・ロゼッティ〔〕が書いた「コレア·コレアニ」(1904)という本がある。 翻訳本も出ている。 この翻訳本272ページに<写真③>が載っている。 写真の説明は「宮中服色を備えた宮廷女人」だ。

※Carlo Rossetti:1902年11月から翌年5月まで約7カ月間韓国に滞在した第3代イタリア領事

ところが277ページには「妓生の衣服一着」という説明と共に<写真①>が載っている。 この<写真①>と<写真②>を合成すると王妃ミン氏の写真という<写真③>が出てくる。

<写真②>中のござの前にある足がぎこちなく宙に浮いている。 背景は右のカーテン、左の色とりどりの服、後ろの本棚も配置は<写真①>と同じだ。 「明成皇后写真なのに日本人が華麗な背景を消して女官のように見せた」と主張し、この写真を日本人の代表的な歪曲事例に挙げる人もいる。 無理強いだ。

1900年、朝鮮政府が代表団を派遣したパリ万国博覧会に駐韓フランス公使館が「ソウルの記念品(Souvenir de Seoul)」という小冊子を出品した。 ここに背景のない<写真②>が載っている。 タイトルは「宮廷の女(Dame du Palais)」だ。 モデルが王妃なら、高宗が「宮廷の女(女官)」という説明を許可したはずがない。

 

20240512_binhi02

Wikisource:Souvenir de Séoul, Corée

1900年のパリ博覧会の冊子に掲載された「女官」の写真

この背景のない写真が「朝鮮の王妃」あるいは「女官」という交錯した説明と共に西欧メディアに載せられた。 朝鮮に対する関心が急増する時点で、朝鮮に関する記事を書きながら「商業的に流通していた写真」を記事の脈絡に合うように挿入したのだ。

 

※イ・テジン大先生が ”発見” した写真のようです。⤵

 

2枚目の写真、「シースルー」が王妃?

以後、<写真⑤>が若い頃の明成皇后写真という主張が出てきた。 「マゴジャを着た興宣大院君の写真」<写真④>と背景が同じなので、大院君と王妃の閔氏を同じ日に同じ場所で撮影したという主張だ。

 

20240512_binhi03
▲※右の大院君の画像④は記事では⑧として紹介されているもの。
④は絵葉書ではない写真。

 

1882年に軍乱を起こした軍人たちは「王妃を殺して大院君と太平を享受する」と主張した。 軍乱後、大院君は宮殿に入り、王妃の閔氏を亡くしたと公式発表し、権力を振るった。 そうするうちに2ヶ月も経たないうちに忠清道の荘湖院に隠れていた王妃が還宮し、大院君は清の軍事によって清に拉致された。 その後、大院君と王妃の閔氏は事あるごとに政敵として対立した。 そのような2人が同一空間で同時に記念写真を撮ったという主張は話にならない。

しかも、この女性の写真はスカートが「シースルー」だ。 スカートの中のズボンが見える。 当時、王室の写真は外交手段として使われたりした。 100%ソンボク(盛服)姿で撮影した。 格式のない服装は許されなかった。 したがって、王妃閔妃の写真として流通している写真は、すべて一般人をモデルに撮影した写真だ。 現存する王妃閔妃の写真は「ない」が正解だ。

 

一旦ここまで。次回に続きます

 

 

  


 

 

 

 

2024/05/06

【韓国の起源主張を論破する】海苔巻き(노리마키)とキムパ(김밥) 【note+】

ブログをほぼ同じような機能を持つ『note+』というサービスがあります。

ブログと使い勝手もたいして変わらないので、練習がてら記事を何本か書いていますが、ブログにするまでも無い事、既にブログに書いたり「X」に書いたりした内容のまとめ等に使って行こうと思っています。

 

今回は、以前もブログに書いた事があるのですが、韓国人による海苔巻きの起源主張を、なるべく韓国語のサイトをソースにして論破する記事をnote+に投稿してみました。

2024年5月6日付け『【韓国の起源主張を論破する】海苔巻き(노리마키)とキムパ(김밥)

 

 

  


 

 

 

 

2024/04/30

【韓国の国宝】日本のせいにすれば署名が集まる/국보1호는 왜 없어졌을까?【キムチわさび動画】

『キムチわさび』さんの新作動画です。

 

内容は、以前ご紹介した朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者のコラムと全く一緒で、おそらくこれが元ネタでしょう。

「韓国の南大門を国宝第1号にしたのは、”文禄慶長の役で加藤清正がソウルを攻略した時に通った門だから” という、尤もらしい話が韓国では伝わっているが嘘である」という内容で、コラムは以前当ブログでもご紹介しました。

 

この ”怪談” はソウル大学大学院の留学生である日本人が書いた修士論文を根拠にしていますが、時系列が合わず、事実ではない事を朴鍾仁記者は解説しています。

前回、朴鍾仁記者のコラムをご紹介した時は配慮して伏せ字にしましたが、この論文を書いた学生は太田秀春教授です。こんな、一学生が書いた ”与太論文” の誤謬に気づけないソウル大学国史学科の教授も教授ですが、このレベルの論文に飛びつく韓国歴史学会もレベルが低いのです。

日本統治時代、関野貞(せきのただし/1868~1935)が朝鮮の文化財を調査し、その時代と時代に対する代表性から、「甲、乙、丙」とランク付けをしました。

朴鍾仁記者のコラムから関野貞の報告書を引用します。

南大門が甲である理由はこうだった。開国から壬辰倭乱の時である宣祖までの約200年の期間は、明の影響を受けながらも独自の発展があった時代である。実質的に韓国的な木造建築が始まった時期である。この時代の木造建築が多少残っているが、最も古い建築物は開城の南大門と京城の南大門がある」(関野、前掲論文pp25,26)。

 

「国宝第1号、2号、...」の順番に重要度は考慮されたとは思いますが、加藤清正云々が理由では無く、純粋にその価値が考慮されただけでしょうし、その後新たに国宝指定すべきものが見つかれば、単純に連番で番号を付けただけでしょう。

ともあれ、韓国人は、「日帝め、けしからん!」と、国宝の番号を無くしてしまいました。

勝手にしろという感想しかありません。

 

 

  


 

 

 

2024/04/28

【ハングル抹殺】日本統治時代の科目『朝鮮語』

前回のエントリーで「第三次朝鮮教育令」(1938年・・・ハングルが随意科目へ→実質的に廃止)について書きましたが、以前ご紹介したパク・ワンソ(朴婉緒/박완서)という1931年生まれの作家の自伝的小説によると、8歳で小学校に入学した時は既に「ハングル(朝鮮語)」の授業は無かったそうで、彼女は幼い頃に母にハングルを教えてもらったので読めたそうですが、周囲の同級生は読めなかったそうです。彼女と友達は一時期、図書館に行って本を読む事に熱中しますが、読む本は日本語に翻訳された外国文学(「ああ、無情」や「小公子」)でした。

 

下は『百年歴史』さんのブログ〔※後述ブログ1〕からお借りした画像ですが、やや高学年向けの『朝鮮語読本』だそうです。

伝染病をテーマにした文章ですが、『理科』の教科書ではない事に注意して下さい。 

20240428_hangul01

 

他のページを見ても、朝鮮語〔=国漢文(漢字ハングル交じり文)〕で書いてあるというだけで、コンテンツは、現代の我々が『国語』の教科書と聞いて想像するような現代小説や古典文学ではなく、ハングルの歴史や朝鮮の風習等、各章毎に様々なテーマについて、朝鮮語で書かれた文章が集められた形式です。

確かに、朝鮮語の語彙は増やせるでしょうが、章のテーマによっては、上の様にほぼ日本語の語彙です。例えば「天然痘」という単語がありますが、この本を音読する場合はこれを「천연두(チェネントゥ)」などと朝鮮語読みするのでしょうか。もし、『理科(科学)』の時間に同じ内容を学ぶとしたら、「てんねんとう」という単語を覚える必要があったでしょう。

 

百年歴史さんは過去のエントリーと最新のエントリーで、学校の授業から『朝鮮語』が無くなっていく合理的な理由を説明されています。

  1. 2021. 6. 24. 조선어 교육의 실태, 한일합방기, 조선총독부는 조선어 사용을 금지했을까?(총정리)/4. 朝鮮語教育の実態、韓日併合期、朝鮮総督府は朝鮮語の使用を禁止したのだろうか?(総まとめ)
  2. 2024. 4. 26. 일제시대 학교의 조선어수업시간/日帝時代の学校の朝鮮語授業時間

 

彼がブログで仰りたい事は、

  1. (教材に使える)朝鮮語のコンテンツが少なかった。
  2. 朝鮮語は(学校に於いては/進学するには)役に立たない教科だった。

と言う事です。2は、朝鮮語の授業は、あくまでも学校/進学準備に於いては、ですが、無駄な時間だったのです。特に上級の学校に進学する場合、日本人の生徒と張り合う為には朝鮮語で取られた時間はハンデにもなりました。

【追記】1945年の朝鮮の通知表を幾つか見たところ、6学年の期間で1年か2年、朝鮮語の成績が付いていたので、全く無くなった訳ではなく、基礎的な事は教えていたようです。

  

◆試験科目から『朝鮮語』が排除されたわけ

日本統治時代から「受験地獄」〔시험지옥(試験地獄)〕という言葉があったそうで、「일제 강점기 시험지옥」(日帝強占期 試験地獄)で検索すると、幾つかの記事が見つかります。下記の記事によると、当時あった事件は、「試験に落ちた子が自殺した」とか、「試験の前日、重圧に耐えきれず家出し、発狂した状態で発見された」、「試験中にいきなりナイフで手を切って、答案用紙に『この試験に不合格なら自殺する』いいう血書を書いた」とか... 相当、受験のストレスがあったようです。科挙の国だからでしょうか。

 

下の記事は、全鮮の中学校長が「入試科目を国語(日本語)と算数のみに縮小すべき」という決議をしたという内容です。

 

20240428_hangul02
▲毎日新聞 1925/11/27

 

上述のKBSの記事から引用します。

入学難が社会問題に飛び火すると、総督府もこれ以上手を拱いているわけにはいかなかった。 1934年12月、総督府は入学難解消のための「画期的」措置を断行した。 「入試準備教育撤廃」という名前の措置で総督府は初等学校で中等学校入試教育を禁止し、中等学校入試科目を国語と算術2科目に制限し、初等学校校長が作成した所見表内申書?を中心に学生を選抜させた。 しかし、競争率が10:1を超える試験を控えて、学校で入試教育をしないからといって受験生が入試準備をしないわけでもなく、試験科目を縮小したからといって競争が減るわけでもなかった。 結局、総督府の「入試準備教育撤廃」措置は、世間の嘲笑を買うだけで、全く実効を上げることができなかった。

自分達では近代化できなかったくせに生意気な事を書いてますw が、総督府も受験準備の負担を減らそうとしたのでしょう。この頃から、一部の学校を除き、試験科目から『朝鮮語』が消えます。

 

百年歴史さんのブログ1には様々な中学の試験問題(新聞記事)が掲載されていますが、朝鮮語は漢文とセットになっていて、問題の形式は、「次の漢字(漢語)の意味を朝鮮語で書け」とか、「朝鮮文を純漢文に翻訳しろ」というもので、日本で言えば、『漢文』の試験問題のようです。

我々が、試験科目に漢文が必須だったら、かなりの負担でしょう。

 

もちろん「皇民化」... 即ち、日本人として育てる為の目的があった事を排するつもりはありませんが、上記のような合理的な側面もあったのだと思います。

 

 

  


 

 

 

 

2024/04/27

【ハングル抹殺】日本統治時代の『朝鮮語辞典』/朝鮮語学会事件

韓国人ブロガーの『百年歴史』さんのYouTubeからご紹介します。

YouTubeには「コミュニティ」と言って、ブログのように記事を書ける機能があり、その投稿の機械翻訳です。

 

* * * *

朝鮮語使用禁止に関する真実

最初の画像:最近影印本〔※写真撮影原本として印刷した復刻本をとして出版された文世栄の朝鮮語辞典
2番目の画像: 文世栄(ムン・セヨン)の朝鮮語辞典初版本出版のニュースを知らせる1938年7月20日毎日新報記事
3番目の画像:朝鮮総督府30年史に掲載された朝鮮総督府の朝鮮語辞典出版のニュース(1940年)

 

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▲2枚目の画像(1938年)をお借りしました。

 

文世栄先生の朝鮮語辞典は

1938年初版本発行
1940年の語彙を追加した修正増補発行
1942年修正増補の裁判本を発行
1944年、修正増補の3版本を発行しました。

当時の出版は朝鮮総督府の許可の下で公開的に行われ、新聞紙上に広告がされました。
文世栄先生の朝鮮語辞典は1920年代に出版された朝鮮総督府の朝鮮語辞典を根幹としていました。

* * * *

 

下記は百年歴史さんのブログ(2024. 3. 18. 付け)ですが、注文していた1938年版の影印本を入手したという報告です。

 

ところで、コメント欄〔別の投稿の物〕にどなたが ”ハングルの弾圧” について質問して、それに対して百年歴史さんが答えているコメントも有益な情報なので、機械翻訳でご紹介します。所謂「朝鮮語学会事件」です。学会のメンバーが逮捕されたのは治安維持法によるものですが、韓国ではこれが ”朝鮮語やハングル弾圧” の証拠とされています。

 

* * * *

質問された内容について、関連論文を根拠に申し上げますと、

発端は国防服を着ていないパク・ビョンファ〔※박병화〕を不審尋問した末に家宅捜索につながったが、この過程で彼の甥パク・ヨンオク〔※박영옥〕の日記帳で「国語を使って先生に処罰を受けた。」というフレーズが見つかります。

(この時、当然国語は日本語だったので、刑事は国語(日本語)を使ったとして処罰を受けたというのがおかしいと思い、当時の国語教師であるチョン・テジン〔※정태진/丁泰鎮〕を調べることになります。 1942年になると、1938年の教育令改正後、ほとんどの学校で朝鮮語科目が随意科目に変更されてから教科課程から消え、チョン・テジンは国語(日本語)教師だったが、日本語を使ったとしてパク・ヨンオクを処罰したというのは何か釈然としません。)

続いて論文の内容によりますと、チョン・テジンを調査する過程で、彼が身を置く朝鮮語学会にまで調査が拡大しましたが、この時、イ・グクロ〔※이극로〕の机から、満州にいるユン・セボク〔※윤세복〕が檀君聖歌の作曲を斡旋してくれることを頼む手紙が見つかります。

事がこの辺になると、この件を思想事件として捏造することになるのですが、ここに一番大きな功績を立てた刑事たちがいわゆる「人間白丁」〔?※사람백정〕と呼ばれたアン・ジョンムク〔※안정묵〕とキム某〔※김 모〕という朝鮮人刑事たちでした。

総合的に、朝鮮語学会の朝鮮語辞典もまた総督府の出版許可を一部得た状態で、総督府の通訳官タナカ(田中徳太郞)の参与の下で進められていたので、いわゆる朝鮮語学会事件というのは朝鮮語を弾圧するためのものではなく、朝鮮語学会という団体の下で思想犯、要注意人物が集まってある種の陰謀を企てて発覚したものと捏造されたものです。

独立運動関連の判決文サイトでイ・グクロなどの判決文を検索してみれば、より正確な内容を確認することができます。

* * * *

 

文中「1938年の教育令改正」とありますが、これは転換点で、それ以前の朝鮮語教科書などを提示しても、「しかし、1938年以降は弾圧されたのではないか」という反論の根拠となります。

第三次朝鮮教育令」(1938年)の重要点は日本語常用生徒(主に日本人)と非日本語常用生徒(朝鮮人)の学校を一本化した事ですが、Wikipediaには「ハングル文字を使った授業の実質的な廃止」と書かれています。

 

従って、それ以降も朝鮮語辞典が発行された事や、以前ご紹介したハングル電報は、その疑問に再反論する証拠となります。

 

* * * *

【参考】キムチわさび動画:朝鮮語の本当の歴史/한글 사용을 금지했다고?

ここでは、文世栄の朝鮮語辞典(1938年)の後に設立された朝鮮語学会が辞書を製作しており、1940年3月の段階で出版許可を得ていた事、途中、資金難で遅れた事が語られます。この遅れを韓国では朝鮮総督府の妨害だと教えられているそうです。

 

  


 

 

 

 

2024/04/23

【殉国烈士追悼塔「義兵処刑像」】産経コラム『勇気ある歴史の検証』

以前のエントリー『【朝鮮日報】なぜ雑犯の処刑写真が殉国烈士追悼塔「義兵処刑像」にすり替わったのか?』でご紹介した朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者の記事を読んだ産経新聞の黒田勝弘記者がコラムをお書きになりました。

1日経ったのでそのコラムをこのエントリーの後半にご紹介しますが、このエントリーのテーマは別の話です。

 

ブログ主にとって、朴鍾仁記者は多くの有益な情報をもたらして下さるので、時々、お礼の意味で動画に『Thanks』(寄付)をしています。今回は「義兵処刑像」のコラムのお礼に、最新の動画にThanksを贈り、「産経新聞で朴鍾仁先生のコラムが紹介されていました」と、簡単に報告したのです。 (後から考えたら、もっと目立たない過去の動画にコメントを書けば良かった。)

すると、私のコメントに、「親日派の称号を得たねw」、「日本に帰化するお考えは?」等という返信がありました。

もちろん、私に対してではなく、朴鍾仁記者に対して向けられたものです。

その証拠に、その2つのコメントの下には、別の方が、「なんだこの2人は? 事実を知らせてくれて、それが日本に有利に解釈されたら親日なのか?」という批判のコメントを書いていました。

2人が、普段から朴鍾仁記者の動画の視聴者かどうかは分かりませんが、以前も似たような事があったので、その心理が何となく分かりました。

朴鍾仁記者の動画のコメント欄には通常、「この事実をもっと多くの人に知って欲しい」とか「韓国の歴史教科書は正さなければならない」という趣旨のコメントが多いのです。

しかし、それは韓国内限定の話で、強盗犯を独立の英雄としてレリーフにしているという「恥ずかしい事」を日本人に知られてしまったのは恥辱なのです。

つまり、私のコメントで、「朴鍾仁記者のコラムで韓国人が恥を掻かされた」事を知り、怒っているのだと思います。

以前も似たような事があったと書きましたが、私がコメント(日本語の原文とそれを機械翻訳した韓国語)を書くと、不快感を示された事がありました。朴鍾仁氏の動画は場合によっては(韓国人の視点では)「日本に利する」ものや、「朝鮮が未開だった」という内容になる為、日本人が見ている事が不快のようです。

 

韓国人と日本人が(解釈は別として)歴史的事実を共有するのは難しいと思うのはこういう点です。

 

* * * *

 

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『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』(伊藤侯爵と共に朝鮮にて)原本/ハーグ密使事件/宣教師のプロパガンダ

『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』(伊藤侯爵と共に朝鮮にてという本があります。Amazonの商品ページの説明を引用すると、

米国心理学会の第2代会長であるイェール大学教授(哲学・心理学)のジョージ・トランブル・ラッド博士(George Trumbull Ladd、1842-1921)が、伊藤博文初代統監と共に1907年、日韓併合前の朝鮮を訪問し、当時の実情をありありと記録した貴重な一次資料

で、博士は大韓帝国皇帝の高宗にも謁見しています。

この本は左右対訳本の形式なので、原文を確認しながら読む事ができますが、読者レビューによると、全文が訳されている訳では無いようです。

たまたま、この本について「X」でやりとりしていて、米国の国立図書館に該当するのでしょうか、『Internet Archive』というサイトに全ページが画像(PDF)で公開されているのを知ったので、リンクをご紹介する事にします。

下はブログ主が見つけたテキスト版です。〔Gutenbergという、日本の『青空文庫』のようなサイト

 

◆ハーグ密使事件

ところで、1907年と言えば、「ハーグ密使事件」(6月)が起きた年です。

敢えて韓国人の視点に立って書けば、前年に日本が統監府(初代統監:伊藤博文)を設置し、大韓帝国への干渉を強めた時期で、高宗には金銭的な支援をして ”手なずけ” ていたと思いきや、裏切ってオランダのハーグに密使を送ります。日本の支配の不当性を訴えさせるためです。

実はこれを企画したのは米国人宣教師のホーマー・ハルバートで、費用は米国人実業家コールブランが出しました。この金が高宗に渡ったかどうかは不明ですが、この直後、ハルバートは逃げます。 〔詳細は以前のエントリーにて〕

明治の外交官 小松緑が著した『明治外交秘話』には以下の様に書かれています。

 

20240423_hague01
20240423_hague02

 

ハーグ密使事件から1ヵ月後、日本からの報復を恐れた大臣達は、高宗を説得して退位させ、息子の純宗が帝位に就きます。

 

◆宣教師による反日プロパガンダ

『1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO』にはこのハーグ密使事件についても書かれており、ハルバートにも度々言及していますが、彼がデマの ”日本人の朝鮮人に対する残虐行為” を喧伝して、統監府から尋問を受けた事も書かれています。

前述の原本(PDF)でいうと、pp.461-462辺り(実際の本のページはpp.374〜375)、『WRONGS: REAL AND FANCIED』(現実のものと架空のもの)という章で、下記の様に始まる文章です。

Of the killing of Koreans, unprovoked and without the excuse of self-defence, by Japanese, there have been at no time any considerable number of cases. ...

以下はDeepleによる機械翻訳ママ:(後ほど修正します)

日本人による韓国人への深刻でいわれのない襲撃は、間違いなく相当数あった。最も忍耐強く率直な調査の結果であっても、その数を明らかにすることは不可能である。他に理由がないとすれば、韓国人の誇張と嘘の習慣が、裏付けのない原住民の証言をほとんどすべて信用できないものにしているからである。外国人からの正義の要求から同胞をかばうため、あるいは朝鮮人に対する暴行で外国人を冤罪で告発した場合に賠償を強制するために、役人が嘘をつくというこのような経験は、日本人に限ったことではない。これは韓国のすべての司法手続きに共通する経験である[85]。

 

Among the more serious unproved charges against Japanese[375] officials was that of torturing Korean prisoners by Japanese gendarmes at the time of the so-called “cleansing” of the Palace. ...

以下はDeepleによる機械翻訳ママ:(後ほど修正します)

日本[375]の役人に対するより深刻な立証されていない告発の中には、いわゆる「宮中浄化」の際に日本の憲兵が朝鮮人捕虜を拷問したというものがある。ハルバート氏はこの告発を公表し,「多数の目撃者」の権威に基づいて,拷問の正確な性格,すなわち,頭を圧迫するように設計された一種の鉄の器具による拷問を明記した。直ちに伊藤侯爵はこの問題を取り上げ、ハルバート氏に使者を送り、この問題を徹底的に調査することを切に希望し、この告発が証明された場合には、犯人たちを厳しく罰する意向を表明した。この要請は、当然のことながら、証人の保護を約束することを意味し、ハルバート氏は証拠を提供することに同意した。ハルバート氏は証拠を提出することに同意したが、それができないと、まず証人が名乗り出るのを恐れているという言い訳がなされた。約束した証拠を提出するようさらに迫られると、鉄のヘッドラックの話は完全に放棄され、その代わりに、ある宦官が警察に逮捕され、殴られたという容疑が代用された。しかしこれは、日本の影響下で犯罪者に対する拷問が法的に廃止された後も、朝鮮の司法手続きの慣例に従って許されているにすぎない。にもかかわらず、この明らかに虚偽の告発は、その後、同じ権威によるパンフレットに、朝鮮における日本人の暴挙のもう一つの例として掲載された[86]。

 

朝鮮人には、何事でも誇張したり、でっち上げる習性がある為、事実に裏付けされていない彼等の証言は信用できない... 、賠償金を請求する為、官吏が嘘をつくという体験は朝鮮のあらゆる訴訟手続きにおいて一般的な現象... にも関わらず、ハルバートは ”日本人が鉄製の器具を使って拷問をしている” 等と言うデマを流していた、という内容です。

こういう事をやっていたハルバートはハーグ密使事件のお膳立てをして逃亡するわけです。

 

早くから朝鮮に入っていた宣教師達は、その主目的が布教であれ、本国に情報を送る役目を果たしており、朝鮮の権益に目を付けていた外国にとっての情報源でした。また、彼等にとっては日本(統監府)は活動の妨げをする邪魔者でもありました。

その後起こる日中戦争でも分かる様に、反日プロパガンダには宣教師も関わっていたのです。

 

 

  


 

 

 

 

2024/04/20

【蔚山椿(五色八重散椿)】韓国人が勘違いしたのは... 確かにイルボンのせいでしたw

前回のエントリーでご紹介しましたが、「加藤清正が蔚山(ウルサン)から持ち帰った五色の椿」は事実では無さそうなものの、調べてみると、これがまことしやかに伝えられている... 例えば椿の園芸書などにこの逸話が紹介されていたのは本当でした。

とは言え、前回書いた様に、これが史実なのか?と問われれば、数ある「清正公伝説」の一つに過ぎず、現代人が事実関係を吟味せずに行動に移す直情的且つ短絡さはブログ主の理解を超えています。

できれば、”清正公の椿” の元ネタ... 例えば江戸時代の戯作本などを見つけたいと思っていたのですが、それは見つけられなかったので、今回は蔚山市の人々の ”椿奪回” 物語の詳細をご紹介したいと思います。

  

* * * *

※今回ご紹介する資料は『国立国会図書館デジタルコレクション』で公開されていますが、ログインが必要、つまりユーザー登録をしないと閲覧できません。

まず、『つばきの栽培の仕方 (実用百科選書) 』(1968年)。要するに園芸書ですが、様々な椿の品種や各地の有名な椿を紹介しており、椿寺として有名な地蔵院の五色八重散椿の立て看板について言及しています。それには以下の様に書かれていたそうです。

「この椿はもと朝鮮の蔚山城にあった、文禄の役に加藤清正が持って帰って豊臣秀吉に献じたものであるが、秀吉が北野大茶の湯を催すに当たって、当院を茶席の一荘とした因縁からここに移し替えたものである。」

※この木は当時樹齢400年との事だが、83年に枯死し、現在の椿はその2代目。蔚山に贈られた椿が「孫(3代目)」と言われるのはこの為。  

 

この立て札と同じ物かどうかは不明ですが、これを90年頃に偶々この寺を訪れた韓国人が見つけました。

以下は、『野田経済』7月号(野田経済研究所 編/1992年07月)という雑誌の『椿、祖父の地に帰る』(崔龍基 - 日本学研究所理事・法学博士)と題された寄稿文から引用します。

三年前のこと、蔚山市に居住する一人の芸術家〔※韓国芸術総連合会蔚山支部長の崔鍾斗氏〕が京都を旅したときに偶然にも地蔵院を参観した際、「五色八重散椿」の事を知った。寺の案内所によると〔省略:前述の立て看板の内容... と記されていた。

崔氏はこの椿にまつわる悲しい由来を知り、なんとかして一株でも先祖の地に逆移植できないものかと考えた。... 地蔵院の大河内存無住持に直訴してみたが、体よく断られてしまった。韓国に戻った崔氏は椿のことが忘れられなかった。韓国の要路〔※重要な地位の人にこの事実を打ち明けた。たまたま朴三中僧正の知るところとなり、朴僧正が動き出した。誰あらん朴僧正とは「耳塚の土」を韓国に奉還させたその人である。今度も朴僧正が乗り出して京都の仏教界を説得し、大河内住持の理解と協力を得ることによって、椿三株を分けて貰う事になったのである。

この後、地蔵院から譲り受けた3株を3箇所に植えた話があり、〕 つらつら思うに、四百年前に奪い去られた椿の「孫」が韓日両国の善意と友好の結晶となって「祖父の地」に還ってくるということは、なんと素晴らしい事であろうか。〔中略移植された椿が元気に根付いて ... 参観する韓国の人をして、日本人の温かい心を感じ取るようにしてくれることを祈るばかりである。 

 

この文章を読んで分かる様にこの筆者は、日韓友好の美談として語っています。

 

ところで、この話題を「X」でしたところ、愛知県の、織田有楽斎(おだ うらくさい※)にゆかりのある庭園「有楽苑」に、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石鉢があると教えて頂きました。これも加藤清正が豊臣秀吉に献上し、秀吉が織田有楽斎に譲った... という逸話があるそうです。

これ、パターン化しているようですね。

※おだ‐うらくさい【織田有楽斎】
安土桃山・江戸初期の武将。織田信長の弟。名は長益。大坂冬の陣に豊臣方にくみしたが、のち堺・京都などに隠棲、茶人として知られた。(1547~1621) 広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

 

20240420_urakuen

 

ブログ主は加藤清正と言えば「虎退治」くらいしか知りませんでしたが、地元で愛されるのは数々の土木工事を行った名君だからだそうで、没後にも様々な伝説が生まれたようです。

清正公が植えた(馬を繋いだ?)イチョウとか、清正公が汗疹を治したといわれる温泉とか、清正公が腰かけた石とか... 。中には河童伝説と結びついたものもありました。

おそらくは、江戸時代に書かれた『清正記』や『続撰清正記』のような伝記や歌舞伎の人気演目になり、庶民に親しまれている内に様々なエピソードが創られていったのでしょう。李舜臣が名将となったのも江戸時代の読本(よみほん=文芸書の総称)によるもので、日本統治時代にこれが朝鮮に逆輸入されました。

* * * *

 

今回分かったのは、そもそも蔚山城に椿があったのかどうかも眉唾 な話という事です。

日本のたわいも無い伝承に踊らされた蔚山市の人々は気の毒でもあり、滑稽でもあります。

教訓としては、「清正公が朝鮮から持ち帰った○○」などとうっかり謳っているものがあるなら気を付けましょう。取り返しに来ますよw

 

文禄慶長の役(韓国では「壬辰倭乱」)を舐めたらいけません。あれは韓国人の被害者意識の着火剤みたいなものなのです。

日本大使館前で加藤清正の虎退治に抗議した人もいるそうですからw

 

 

 

  


 

 

 

2024/04/19

【蔚山椿(五色八重散椿)】ウリ達が勘違いしたのはイルボンのせいだ!

以前のエントリーで、韓国の蔚山市に、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で加藤清正に略奪されて取り返した椿があるが、それに疑問を呈す学者がいて、真贋論争?になっているという中央日報の記事をご紹介しました。

どうやら、略奪した椿を返せと京都の地蔵院に迫ったようで、分けて貰った椿を「蔚山椿」とし、「蔚山は椿文化の発祥地」と誇っていたようですが... 。

そもそも、地蔵院の言い伝えでは、秀吉が北野大茶会(1587年10月1日)を記念してこの寺に献木したそうで、「文禄慶長の役」の最初の文禄の役(1592~93年)は茶会より後、つまり時系列が合わないのです(笑)。

もう一度、地蔵院公式Facebookの説明を再掲します。

  

20240228_tsubaki01

 

今回ご紹介する韓国メディアの記事は、「京都の地蔵院から持ち込まれた椿の苗木が「蔚山椿」の子孫という根拠はない」というものですが、自分達の勘違いを日本人のせいにしている様なのですw

以下、『ファイナンシャルニュース』(파이낸셜뉴스)の記事の機械翻訳です。

  

* * * *

https://www.fnnews.com/news/202404161123094551
기원설 논란 '울산 동백'... 그냥 일본산 동백나무였다
起源説をめぐる議論、「蔚山椿」··· ただの日本産ツバキだった
入力2024.04.16.

  • 蔚山歴史研究所、「蔚山椿」起源説の考証結果発表
    1992年、日本の京都地蔵院から持ち帰った椿の苗木、「蔚山椿」の子孫に根拠がない
  • 文禄·慶長の役の時、加藤清正が蔚山から搬出したという話も根拠を見出せず
  • 蔚山市「蔚山椿」の名称使用を控えるか、または慎重に行うこと

 

▲〔画像省略〕1992年に京都の地蔵院から蔚山に持ち帰った後、「蔚山椿〔〕」と呼ばれてきた日本の「五色八重山春」が蔚山市役所広場の花壇に咲いている。 「五色八重山春」は、様々な色が幾重にも花びらとして咲き、一枚ずつ散る〔

※韓国語では「椿」は「동백(トンベ)」で、漢字に直すと「冬柏」ですが、ここでは「椿」に統一。
※前回は気付かなかったのですが、椿は一般に花全体がポロッと落ちるので武士は嫌います。首が落ちるのを連想するからです。


「文禄·慶長の役の時に日本に持ち出された蔚山の椿という話の根拠が見つかりません。」

蔚山市は起源説に関する論難が続いている「蔚山椿」の正確な歴史的背景などを研究検討したこのような内容の蔚山歴史研究所考証結果を16日発表した。

現在「蔚山椿」と呼ばれる椿は日本で「五色八重山春」〔※오색팔중산춘〕と呼ばれている。 さまざまな色が幾重にも重なった花びらで咲き、一枚ずつ落ちる椿という意味の日本式漢字の名前だ。

※日本での園芸品種名は「五色八重散」椿(ごしきやえちり)

1992年、蔚山のある放送局報道局長が日本京都の小さな寺である地蔵院から椿の幼い苗木を蔚山に持ってきて植えた。 当時、地蔵院の山門の横には京都市が製作した案内板があったが、ここの椿について「豊臣秀吉が寄進したと伝えられている」という説明があった。 寄進という言葉は、寺院や神社などに金品を寄付、奉納するという意味だ。

以後、蔚山では地蔵院の案内板の説明に壬辰倭乱の時に蔚山倭城を築造して駐屯した加藤清正が豊臣秀吉に進上するために珍しい椿を全て掘り出して搬出したという日本国内の話が加わり「蔚山椿」は実際に存在し、地蔵院から持ってきた椿がその子孫だという話で固まった。

その後、この椿は「蔚山椿」と呼ばれ、蔚山中区の「区花」となった。 根拠はなかったが「蔚山に自生した珍しい椿品種で歴史性がある」という指定理由を付け加えた。 また、蔚山のある茶道会では、花が咲く春になると蔚山市庁の庭に植えられたこの椿に茶礼までしている。

▲〔画像省略〕蔚山市庁広場に植えられている「蔚山椿」

 

20240419_tsubaki01
▲「蔚山椿」の植樹経緯が書かれた案内板。

※案内版の説明

蔚山椿

植樹の経緯
蔚山が原産地で、文禄·慶長の役の時に蔚山を占領した倭将加藤清正が日本に持ち帰って豊臣秀吉に捧げられ、京都地蔵院(別名:椿寺)で育てられた3世として、1992年5月27日、日本の京都地蔵院(椿寺)から帰国して植えられた。

特性
一本から色とりどりの八重の花が咲き、散る時は花が花びらがついたまま落ちずに複数の花びらに分かれて一枚一枚散り、3月下旬から4月まで開花する椿の優秀な品種である(五色八重山椿)。


▲〔画像省略〕「蔚山椿」と呼ばれてきた日本の「五色八重山春」蔚山市庁広場の花壇。 写真=崔首相記者

 

しかし、蔚山市は同日、資料を出し、日本から持ってきた椿と蔚山は関連性がないことを明確にした。

蔚山市は「蔚山歴史研究所(ハン・サムゴン所長)の研究の結果、現在日本の地蔵院で育てているいわゆる『蔚山椿』と呼ばれる『五色八重山春』と関連して明確な歴史的史料と学問的根拠が明らかになったことは見当たらない」と説明した。

特に蔚山に持ってきた椿である「五色八重山春」を「蔚山椿」という名称で呼ぶこともまた止揚する必要があるという蔚山歴史研究所の意見も共に付け加えた。 日本「五色八重山春」の蔚山起源説は確認できない話に過ぎないという意味だ。 むしろ観光客を狙った日本現地人たちが作り出した話だという一部の主張がむしろ説得力を得ているわけだ

市の関係者は「蔚山椿関連の名称使用により一層慎重を期する」とし「今回の研究結果を地域の各機関および団体に共有した」と話した。

* * * *

 

”加藤清正が戦利品として持ち帰って秀吉に献上した椿” というのは、逸話としては面白いので、そういう ”噂” はあったかもしれませんが、”史実” として日本で信じられていたとは思えないのですが... 。

恐らく地蔵院さんは、取り返しに来た蔚山市の人達に、「加藤清正云々なんてあり得ないよ」と説明したのでしょうが、聞く耳を持たなかったのでしょう。

 

(笑)

 

【追記】

※以前は確かに、地蔵院の椿の前に清正伝説が書かれていたようです。→続き

 

  


 

 

 

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