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【国際】『韓国「反日主義」の起源』読書メモ

本に書いてある事やブログ主がこの本を読んで考えた事

2022/02/22

『韓国「反日主義」の起源』雑記9 - 朝鮮ファンタジー歴史ドラマの起源

デイリー新潮の『鈴置高史 半島を読む』シリーズの最新記事『誰が大統領になっても韓国は「内紛の時代」へ 「レミング」が生む李朝への先祖返り』に書いてあった事のメモ。

ブログ主はドラマ自体殆ど観ないので、観たことはありませんが、李氏朝鮮時代を扱った歴史ドラマは、かなりこの時代を美化しているようです。

前述の記事によると、こうした歴史観は20世紀末頃に広まったそうで、鈴置氏によると、”韓国人の自省の源だった「李朝の欠陥」という苦々しい記憶も抹消され始め”、”「李朝は近代化に向け歩み始めていたが、日本の植民地化により頓挫した」との歴史観が20世紀末頃から急速に広がった” のだそうです。

そして紹介されているのが、韓国で1996年に出版(日本では1997年に翻訳・出版)された『朝鮮王朝実録』(朴永圭 著)。

200万部売れたそうですが、Amazonの商品説明には ”李成桂が王朝を開き、明治日本に蹂躙されるまで、五百年の正史を一冊に縮約。中国の圧力と新興日本の間で独自の文化を育んだ長寿の王朝を、ディテール豊かに伝える。日韓関係を大陸側から読める必須の史書。” とあります。

確かに、ウリナラファンタジー臭がプンプンしますw

鈴置氏の論考は韓国の党派の争いがテーマですが、この本には、李氏朝鮮時代の欠陥であった党争も、それを「悪」だとしたのは日帝である、と書かれているそうです。その部分だけ孫引きします。

  • 韓国人は党争で朝鮮が滅びたという認識を強要されてきた。日帝強占期に日本により強要された、こうした植民地史観の根本問題は、まさに朋党政治に対する正しい認識が欠如していたことによるものだ。(191ページ)
  • したがって、好ましくないと思われる党争、すなわち朋党政治は、決して植民地史観によって強要されたような「亡国的な権力争い」ではなかったのだ。(191ページ)

 

これを読むと、鈴置氏の言うとおり、「李氏朝鮮時代は欠陥があった」という認識がこの頃迄はあったのが分かります。そして、「その歴史観は日帝が強要」したと、日本人のせいにしていますね。

 

なお、『朝鮮王朝実録』の原書( 한 권으로 읽는 조선왕조실록)は、調べて見ると、改訂増補版(2004年)や改訂版(2017年)も出ているロングセラーのようで、それぞれ10点中9点以上の評価がつき、69件とか87件のレビューもついているようです。

 

ところで、この記事を読んで初めて知ったのですが、韓国では1度だけ議院内閣制(張勉内閣)が採られた時期があったそうです。

以下は、Wikipedia『張勉』からの引用です。

第2共和国における実質的な権力者として国務総理に就任した張勉であるが、与党である民主党内部の新派・旧派による内紛で政権基盤の弱体化が激しく、政局の安定化に失敗した。そして政権による軍部統制の失敗[3] から、就任翌年には朴正煕を中心とする軍人による軍事クーデター(5・16軍事クーデター)が発生し、政権を追われることになった。

 

制度の問題では無いってことですね。

 

  


 

 

 

 

 

2021/12/27

『韓国「反日主義」の起源』雑記8 - 自己保身のための「反日」

今回は『『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)の「第七章 反日イデオロギーの成立」を読んでの覚え書きとブログ主が考えた事をまとめて、取り敢えずこのシリーズを終えようと思います。

 

◆情緒では親日、理性では反日

戦後言論人として活躍した崔禎鎬氏〔〕が1970年代に「幼い頃は幸せだった」という文を書いています。〔p.562〕

子供の時の兵隊ごっこや童話、遠足を思い出しては懐かしいと書き、続けて「しかし、これらは我々の国を踏みにじった日帝のものだ...理性ではそうと分かっているのに、酒の一杯でも入れば、日本の懐かしのメロディに、やるせない感情にのめり込んでいく」という内容です。〔※同姓同名の1933年生まれの言論人で延世大名誉教授がいるので、恐らくこの方だと思います

この章では、他にも、1990年代に初めて来日したのに、日本見物に夢中で「なつかしい」を連発する老人とか、戦後40年も経って来日した時に初めて見る他国なのに郷愁を感じつつ、「支配民族の文化が郷愁のように感じられるなんて」と理性で日本を否定する作家の文が紹介されています。

  

朝鮮半島は、大東亜戦争の終結により、突然、日本から切り離されました。

それまで日本国民として内鮮一体を叫んで日本軍の快進撃に万歳を叫んでいたのに、それが敗戦で崩れ去ったのです。

 

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朝鮮黄海道黄州郡兼二浦での奉祝風景(画報『躍進する日本』1941年1月号)

 

韓国人は、日本統治時代のシステムが優れている事を知っていたので、戦後もそれをそのまま継承し、多くの『親日派』が要職に留まり大韓民国の礎を築きました。〔『韓国「反日主義」の起源』雑記1 - 親日派の国

李承晩が作った「反民族行為処罰法」で対日協力者が取り調べを受けましたが、多くは軽い罪で、1950年春までに全員が釈放され、竜頭蛇尾に終わっています。〔p.68〕 これも、日本統治時代の法治主義がまだ機能していたからでしょう。

1951年に出版された『韓国の人物』、名士録に掲載された人物の経歴には“日帝時代”の輝かしい経歴が掲載されていました。〔p.81〕

国軍も元日本軍兵士を中心に創設され、階級も日本軍や満州軍のものが継承されましたが、光復軍出身者は大半が予備役に回されました。〔p.70〕

韓国では、戦後、例えばフランス人がしたような、対独協力者(コラボラシオン)を断罪するような事は起こらなかったのです。

 

◆保身のための「反日」

よく、同じ日本統治を受けたのに「親日」の台湾と「反日」の韓国として比較されますが、それ以前の国としての歴史や制度も違うし、単純に「これ」という理由は言えませんが、その一つとして、戦勝国と敗戦国(の共犯者)の違いがあると思います。これは『第七章 反日イデオロギーの成立』を読んでブログ主が至った考えで、著者が台湾との比較をしているわけではありません。

台湾は、戦後、国民党により占領され、そのまま「中華民国」となったので、自動的に戦勝国となりましたが、その代わり、白色テロ(体制側からする政治的弾圧)により、知識人などが対日協力者として迫害されました。

しかし、韓国は、現代の国史教科書が教えているような “民族を挙げての激しい抵抗” の末に独立した国でもないし、米国により「第三国」とはされましたが、戦勝国民の地位が与えられたわけではありませんでした。いくら、光復軍が戦争末期に連合国側として参戦したと捏造しようにも、そんな事実はありませんし、現代の韓国人が言うように日本がナチスのような悪の国だとしたら、彼らはユダヤ人ではなくナチスそのものかナチスの協力者でした。

だから、彼らは「日帝36年」の過酷な植民地支配の “被害者” になることで自己を精神的に防御したのです。日本のシステム、例えば朝鮮総督府や、日本軍、日本の軍国主義に「悪」を求めても、結局自分達に降りかかってくるので、日本民族そのものが邪悪とせざるを得なかったのです。

台湾人はこのような “精神的取り繕い” をする必要はありませんでした。中華民国は戦勝国だったからです。

そして、李承晩政権時代から軍政期にかけて「倭色文化」が規制され、教育の場では「邪悪な日本民族」説が教えられ、こうして、「『親日』と『反日』のキメラのような国」〔p.527〕ができあがっていきました。

実体験としての日本統治時代の記憶は封印されたまま、この世代がこの世を去ったり、現役から退いて影響力が無くなると、「日帝は世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法で、我が民族を抑圧、収奪した」(1996年/高校用『国史』)という「public memory(公的な記憶)」が “事実” として定着しました。

 

◆「国体」のない国

この自己保身のための「反日」が国家イデオロギーに発展するのですが、李栄薫博士が洪熒氏とのインタビューでいみじくも言ったように、それしか国をまとめるものがなかったからです。

この国には「右翼」がいない、と著者は言います。それは「右翼」が守るべきもの〔=国体〕がないからです。

日本の治安維持法を真似て作ったとされる韓国の国家保安法にもそれが現れています。

処罰の対象を、治安維持法では、「国体を変革する事を目的として結社を組織したる者(等)」となっていますが、国家保安法では「政府を僭称〔=(身分を越えて)自称する事〕し、変乱を惹起する〔=引き起こす〕目的を持って結社または集団を組織した者(等)」となっているそうです。〔p.538〕

宗教的な価値観とか、君主とか、アイデンティティの中心に据えるものがないのです。クリスマスが法定祝日である韓国ですが、キリスト教徒の国というわけではありません。

国民が戦って独立を勝ち取った国ならその英雄がいます。北朝鮮でさえ、捏造された英雄ですが、抗日パルチザンの英雄・金日成が凱旋帰国しました。が、30年間アメリカにいた李承晩が帰国した時、国民の殆どは「誰それ」状態〔〕、最後は追われるように亡命したので、国民統合の象徴となる人物とは言えません。〔※ p.199 “wholly unknown inside Korea” (韓国内では全く知られていなかった)アメリカ国務省

 

◇ ◇ ◇ ◇
  

正直に言って、韓国の反日はどこから手を付けてよいのか、どこまで歴史を遡って修正したらいいのか分かりませんが、韓国の保守派の方々がやっているように、それぞれが得意分野で慰安婦神話や金九伝説、美しく平和な李氏朝鮮時代という幻想を切り崩していくしかないのでしょう。

 

 

  


 

 

 

 

2021/12/26

『韓国「反日主義」の起源』雑記7 - 朴正煕

公開:2021-12-26 09:58:15  最終更新:2021/12/27 6:05

韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)で最も言及される回数が多いの大統領は朴正煕(1963年~1979年)です。

大統領としての資質や能力の問題ではなく、あくまでも「反日主義の起源」というテーマに沿って語られます。

西岡力教授が度々動画などで仰っていますが、朴正煕大統領は「親日か反日かを問われたら『反日』だ」と、「反日」を公言していたようですが、実際は実に日本的な所があったようです。

 

* * * *

朴正煕は1917年の生まれで、「私は22歳まで日本人だった」と言った台湾の李登輝総統(1922年生まれ)より5年長く、27歳まで日本人として過ごした。新京(満州の首都、現長春)軍官学校を首席で卒業、陸軍士官学校で学び、陸軍大臣表彰まで受けている。

吉田松陰や久坂玄瑞等の維新の志士、2.26事件の青年将校を敬慕していた。趣味は詩吟で、クーデターの決行前、夜ごと「川中島」を吟じていたという。

伝記作家(李祥雨)は、朴正煕を、日本に精神的故郷をおいた人物と評している。
〔以上pp.131~132より要約〕

1962年、革命最高会議議長の資格で訪日した朴正煕は、池田勇人首相主催の晩餐会で、元満州国軍官学校校長の席に歩み寄り、二回も頭を下げた。お酌したと報じられ、長く語りつがれる事件になっている。
〔p.96/朴正煕自身が同窓生達に会えるよう手配を頼んだとの事【李祥雨】〕

* * * *

 

一面、彼は「韓国史観」を形成する必要を説き、民族精神の昂揚に力を尽くした人だそうです。〔p.568/『韓国の近代化のために、わが国民族革命の課題』(朴正煕)〕

李舜臣を祀り、安重根記念館を建て、今も続く日本文化規制の骨骼を作りました。〔映画やレコードの輸入禁止、日本音階の歌を倭色歌謡として取り締まった。これを一部解禁したのが左派の金大中。

【2021/12/27追記】調べた所、「倭色文化」の禁止を始めたのは主に50年代からで李承晩時代のようです。但し、朴正煕時代は禁止曲リストが作られたり、更に強化されたようです。〔『「文化的国境」と「想像された禁止」―50−60年代韓国大衆文化における「倭色」の文化政治―』金 成玟/後述【韓国に於ける倭色文化の規制】参照〕

朴正煕自身は日本の侍映画が好きで、日本に派遣されていた中央情報部要員を通して日本からビデオを取り寄せて見ていたとの事。〔上記論文および『韓国「反日主義」の起源』p.568〕 

 

本には書いてありませんが、サイコパスのような殺人鬼の金九を民族の英雄にしたのも朴正煕です。

今ようやく韓国では、金九が再検証されており、最近は『反日種族主義』の著者のお一人、鄭安基(チョン・アンギ)博士がネットメディアで講義されて、国民も金九の実態を知り始めた所です。

ちなみに、鄭安基博士は2015年、高麗大学で講義中に「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能だった」旨発言して大学を追われた方です。〔記事後述〕

 

この本の著者は、朴正煕の心理について想像してはいませんが、ブログ主にはなんとなく想像できます。

朴正煕は、「日本軍の精神戦力は世界最高水準だ」と評価し、「日本軍の強さは兵士個々人の精神力の中にこそあった」と語っていたそうです。〔p.93〕

彼は軍人であったが故に、日本の「大和魂」とか「武士道」のようなものに憧れ、同じようなものを韓国人に植え付けたかったのではないか?というのがブログ主の想像です。〔もしかしたら、朝鮮戦争での韓国軍兵士のへなちょこぶりに、日本軍との違いを痛感したとか?

そして、「韓国史観」を打ち立てるには、韓国文化から「倭色」を取り除く必要があったのだと思います。しかし、「これを失ったら韓国らしさが無くなる」というものを日本統治以前の朝鮮に求めても、そこには「小中華」があるだけです。結局、抗日の英雄を引っ張り出すしか無かったのだと思います。

 

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韓国保守は、「左派」に対抗するために、国の英雄として李承晩と朴正煕の名前を挙げます。

ブログ主も、朴正煕大統領は優秀な日本軍人だったために現実主義者で、有能な実務家であったと思います。一方、李承晩は、任文桓氏の書いた『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』を読んでも、夢想家であり、実務能力は低かったと感じます。

二人の大統領の反日も、『韓国「反日主義」の起源』の著者によると、李承晩は底が浅い反日だった。李承晩に関しては、例えば日韓のサッカーの試合がある時は、「日本に負けたら玄界灘に身を投げろ」と言明するような幼稚な反日です。一方、朴正煕は信念のある反日と言えるでしょう。

この二人は、左派によって誹謗中傷されるので、保守派はそれに反論するためにしかたがない面もありますが、「無謬性」(誤りの無い事)を追い求めすぎる気がします。

『反日種族主義』を打破するためには、李承晩や朴正煕の「反日」にも目を向ける必要があると思います。

 

最後に、ブログ主は未読ですが、最近日本語訳が出版された『帰属財産研究』の書評に書いてあった事を引用して終わります。

 

* * * *

韓国政府の「でたらめ」な管理体制

 詳細はご一読を乞うのだが、米軍政の場合は「米国式の理想主義に偏りすぎて韓国の実情に合わない非現実的な政策を追求したり、確固たる原則や一貫した方針もなく」管理していた。

 これは大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)の姿勢と重なっている。李承晩は「米国式の自由企業主義に対する確固たる信念を持っていた」うえに、帰属財産の譲渡を受けた際に、アメリカと「帰属財産の引き受けと管理を行う別途の機構を設置することで合意」したのにそれを履行しなかったのだ。

 もちろん、アメリカは痺れを切らして韓国側に抗議する。だがその後も、「でたらめ」で、いわばだらだらとした管理体制が続いていく。

 帰属財産を効果的に活用したのが、日本式の経済構造を積極的に取り入れた朴正煕(パク・チョンヒ)政権であった。だがそれ以前の韓国政府は、自分の政治的イデオロギーに侵されて、本来活かせるはずの産業資産を、活かすことができなかった。それが成立直後から60年代初頭までの韓国政府の失態であったのだ。

* * * *

 

【韓国に於ける倭色文化の規制】

「映画及び演劇検閲に関する脚本に関する件」(1955年)、「映画検閲要項」(1955年)、「外画政策方向提示」( 1 9 5 5 年 ) 、 「 映 画 検 閲 基 準 初 案 」 ( 1 9 5 5年 ) 、 「 外 画 輸 入 に 関 す る 臨 時 措 置 法 案 」(1955年1)、「国産レコードの制作および外国輸入レコードに対するレコード検閲基準」(1955年1)などの「検閲」に関する施行令による反日主義的検閲や、出版物、映画、レコードの輸入統制、密輸によって流通されていた書籍、商品の押収などが実施された。とくに映画に関しては、1958年文教部が「韓国映画作家協会」に送った通告文の13の項目のうち第1項目が倭色に関する内容であることが示しているように、「日本の作品の模作、倭色の映画化、日本語、日本の衣装や風俗の映画化」に対する厳格な禁止が実施された(李 2009:416-424)。

脚注より
1 0 「倭色一掃に韓国青年会 300 人動員」『朝鮮日報』1946 年 8 月 29 日。
1 1 「倭色の一掃」『京鄕新聞』1949 年 10 月 17 日。
1 2 「倭色を一掃しよう」『東亜日報』1949 年 3 月 10 日、「家庭のものは返還。倭色レコードの過度な押収」「『朝鮮日報』1952 年 9 月 5 日。
1 3 「倭色をなくそう」『東亜日報』1948 年 10 月 14 日。

* * * *

 

以下、記事を機械翻訳ママ。

https://m.khan.co.kr/national/national-general/article/201509221614201
정안기 교수 강의 녹취록 보니...“식민지배기 덕에 60년대 경제성장 가능”
チョン·アンギ教授の講義録を見ると…「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能」
キム·ジウォン記者
2015.09.22 16:14 入力

「その時代、すべてが親日派だった」「慰安婦はお金を稼ぐために日本に残ったもの」などの発言で物議をかもした高麗(コリョ)大学の鄭安基(チョン·アンギ)研究教授(関連記事|9月19日付)が授業中、このほかにも「日本は数回謝罪したが、韓国が認めなかったもの」「当時、1905年の密約を通じて国際社会が朝鮮が日本の植民地であることを認めたため、責任を要求することはできない」などの発言を追加したという。

【画像】22日午後、高麗大学校の政経大の裏門に貼られた「鄭安基教授糾弾大字報」を読んでいる学生たち

京郷新聞が匿名の高麗大学の学生から入手した今月15日の<東アジア経済史>講義の録取録全文内容によると、鄭教授は授業時間に親日、慰安婦関連問題に関する発言以外にも授業全般で問題の余地のある発言を多数繰り返していたことが明らかになった。

この録音内容によると、チョン教授は15日の授業でソウル大のイ·ヨンフン教授のコラムを配った後、「第2次世界大戦前までは帝国主義の時代だった。 誰が先に植民地化させるかがまさに当時の'万国公法'だった」とし「もし日本がここ(韓国)を植民地化しなかったとすれば、当時の韓国の状況を見ると、絶対に自ら国家を守ることはできなかっただろう」という意見を提示した。

続いて「70年が過ぎてしまった過去の問題が今日の東アジア関係の障害になってはならない。 歴史解釈の問題は学者に任せておけばよく、それが外交政治に問題になってはならない」とし「歴代の多くの日本首相が謝罪したが、韓国社会が(引き続き)認めていないため、日本社会も憤らざるを得ない」と述べた。

チョン教授の発言に対し、当時授業を受けていたある学生は「ドイツは周辺国に謝罪をとても長くしたと聞いているが、ドイツの事例を参考にするなら、日本ももっと努力すべきではないか」と質問した。

これについてチョン教授は「ドイツは(支配期間が)短かったが、韓国の場合、3~40年を超える強占期を経て、誰(責任者)を指名することはできない状況」とし「また1905年の密約を通じて国際社会で当時韓国が日本の植民地ということをすべて認めた状態なので、責任を要求できない状況」と答弁した。

当時、講義の末尾でチョン教授は「植民地時代はある脈絡で見れば近代文明を積極的に吸収、体化できる一つの社会的能力の培養基として新しく解釈することができる」とし「そんな(植民地期)過程を経たからこそ60年代の韓国経済が飛躍的成長することができた」と述べた。

チョン·アンギ教授の講義録を見ると…「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能」

これを受け、高麗(コリョ)大学総学生会、政経大学学生会、各学部学生会などは22日午後、高麗大学の民主広場で鄭教授の発言を糾弾し、解任を要求する記者会見を行った。

同日の記者会見で、高麗大学の学生たちは、鄭教授の公開謝罪と解任を主張し、もし学校が即時措置を取らない場合、授業拒否に入ることを明らかにした。

高麗大平和蝶のカン·ミンス代表(22)は「慰安所被害おばあさんたちにとってそこでの生活は"地獄"だった」とし「もし教授の言うようにそこでの生活が"暮らしが楽だった"なら90歳を超えたおばあさんたちが24年間慰安婦問題解決のために努める必要もない」と述べた。

高麗大経済学科のパク·ヒソン学生会長(20)は「歴史は単純に過去の事実ではなく、後世から借りてもらったものであり、誇らしく後世に引き継がねばならない」とし「植民支配によって国民が受けた被害、日本による植民地時代を歪曲してはならない」と述べた。

高麗大側はこの日、「該当学科のレベルで教授らで構成された対策委を設置し、事案を解決するための調査を進めている」と明らかにした。

 

  


 

 

 

2021/12/25

『韓国「反日主義」の起源』雑記6 - 李承晩

このところ、『『韓国「反日主義」の起源』雑記』としてシリーズでブログを書いていますが、『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)を読んで、覚え書きなどを書き留めるだけでなく、この本を読んでブログ主が考えた事も書いています。

ブログ主のみならず、多くの日本人は、「どうして異常なまで韓国人は反日なのだろう?」と不思議に思います。これは、ある日突然反日になったわけでなく、様々な要因があるのですが、やはり、建国以来の反日教育に一番の問題があると思います。そして、それを始めたのは李承晩です。

この本では、歴代大統領の反日政策にはあまり触れていないのですが、制度として「反日」を行った大統領として朴正煕を挙げています。〔これに関しては別のエントリーに書くつもりです。

李承晩に至っては始めから「反日」として片付けていて、李承晩政権時代については、国民は「親日派」〔日本統治時代に単に日本人として生きた人々も含む〕であったという検証がなされています。

ただ、李承晩が反日である事と、当時の人々が「親日派」である事は矛盾しません。なぜなら、教育が影響してくるのは、ひと世代以上後の国民だからです。

では、李承晩の時代、どのような教育がなされたのか、というと、松木國俊(まつき くにとし)氏が様々な媒体で同様の事を書いているので、それを引用すると以下のようになります。

 

「日本は李朝を亡ぼし、朝鮮を植民地化して残虐な支配を行った」「上海に亡命した独立運動家が『大韓民国臨時政府(臨政)』を立ち上げ、『光復軍』を組織して朝鮮解放に貢献した」「その臨政を引き継いだのが李承晩政権である」

 このように自己政権を正当化したうえで、「朝鮮戦争で同族同士が殺し合うことになったのも、すべて南北分断をもたらした日本統治に原因がある」ことにしたのだ。彼は日本時代の真実を語る者を「政治犯」として徹底的に弾圧し、強烈な反日教育で国民に日本への憎悪を植え付けた。

 その後の歴代政権も、国民の反日感情を利用してきた。今や統治時代の真実を知る者はごく少数となり、反日感情が自家中毒して、日本の立場を考慮するだけで「売国奴」となる国になってしまったのだ。

〔『【目を覚ませ韓国】初代大統領・李承晩に歴史ねじ曲げた大罪 反日強制、自己政権を正当化』より〕

 

このように松木氏が書かれる根拠となるものを探して見つけたのが、『李承晩政権の反日政策 : 韓国における日本文化の受容と拒絶・1945年8月15日から現在まで (2) 』(中村 均)という論文で、pp.19~23に李承晩政権時代に日本に関して教科書にどのようなことが書かれていたのかが述べられています。〔PDFのURLはこちら

P.23からまとめを引用すると、以下のようになります。

①日本は過去に侵略者として韓民族を虐待した。

②日本はこざかしく伸びている国である。

③日本は自由世界の信義を守らない国である。

④日本人は自己の利害のためには、どんな悪辣な手段も辞さない、残忍な国民である。

 

恐らく、現代の韓国人が日本に抱いている認識と変わらないでしょう。韓国人は、建国以来、このような教育を受けてきたのです。

 

* * * *

 

ところで、李承晩と言えば、『反日種族主義』を著した「李承晩学堂」が思い出されます。

この本を読んだ方なら同様の事を感じたかと思いますが、李承晩に関しては歯切れが悪いというか、むしろ李承晩の反日を擁護しています。

読んでいない方のために、ここでは、PHPの『web Voice』から、統一日報主筆の洪熒(ホン・ヒョン)氏と李栄薫(イ・ヨンフン)博士の対談の一部を引用します。

 

* * * *

https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/7075
李承晩大統領は反日の政治家ではなかった! ベストセラー『反日種族主義』著者が語る日韓の歴史
2019年11月22日 公開

李栄薫(ソウル大学元教授)&洪ヒョン(『統一日報』主幹)

【洪】『反日種族主義』は韓国人に厳しい本です。しかし必要な本です。たとえば李承晩大統領を文明史の次元で評価し、紹介した本は、私の知るかぎり日本では本書が初めてです。日本でも李承晩と韓国の精神史に対する議論が起きるのではないか、と予想します。

【李】本書のエピローグに李承晩大統領の話が詳しく出ていますが、日本語版の序文では、李承晩大統領について簡略に書きました。

多くの日本の方々が、李承晩を「反日民族主義者」と思っています。「李承晩は反日主義者なのに、なぜ李承晩学堂が『反日種族主義』を批判する本を出したのか」という点が理解し難いだろうと思い、李承晩を評価する理由を書きました。要約すると以下のとおりです。

まず、韓国は1945年8月の解放、建国後も国民の大半が文盲で、人口の3分の2が小農社会の構成員でした。国民を一つの政治的統合体へと秩序をもって統合しなければならない時代状況だったため、国家主義や民族主義のイデオロギーが不可欠でした。

次に、李承晩大統領は「日本は韓半島に残してきた財産を取り戻すために戦後、再び韓国へ来るはずだ」と考えました。そこで急いで海軍を育成し、海軍が困難なら商船でもいいので数多く建造せよ、と語ったほど、日本を警戒していました。

日本が1956年、ソ連と国交を回復し、在日韓国人を北韓へ送還するのを見て、李大統領の日本への不信はますます強まります。

そうした状況で米国は、日本をアジア防衛の軍事拠点とし、経済的復興を積極的に支援しました。韓国に対しては、日本と仲良くしながら農産物や水産物を日本に輸出し、工業製品を輸入する経済的関係を保つよう要求しました。

そこで李承晩大統領としては、韓国が軍事・経済的に再び日本に従属させられる危険性があるため、米国の政策に反旗を翻しながら、経済的に日本から独立した国民国家の経済を追求するため、日本との摩擦や軋轢を意図的に大きくするしかなかった。当時の内外の政治的状況のなかで政策の合理性を理解すべきだと思います。

しかし、李承晩は基本的に自由主義者であり、自由通商主義者です。将来の韓国が日本と協力し、自由通商の時代を開く未来を否定したわけでは決してありません。

* * * *

 

これを読むと、国民の統合のためには「反日」は不可欠だったと、「反日」自体を擁護しています。また、李承晩の想像や妄想を事実であるかのように書いています。

ただ、国民の統合の為に「何か」が必要であった事は理解できます。「反共」というイデオロギーだけでは国はまとまらないからです。朝鮮半島は、解放以来、東西冷戦の縮図のような状態で、共産主義者や社会主義者と李承晩の勢力とが対立していたのです。共産主義者を内包したまま「反共」イデオロギーで国民がまとまるはずがありません。

『反日種族主義』という本の批判の対象は、文在寅に代表されるような、民主化勢力を標榜する「左派」なのです。著者達が戦っているのは、「1948年に建国された大韓民国を正当な国とは見なさない勢力」です。韓国は、建国を、「1948年か1919年(臨時政府の樹立年)か」で未だに争うような国です。したがって、悲しいかな、保守派は李承晩は否定できないのです。

尤も、李承晩学堂の先生方は、李承晩が獄中で書いた『独立精神』を尊重しています。念のため書いておきますが、この『独立』とは、日本からの独立ではありません。投獄された理由は、1897年に高宗退位要求の檄文散布に加わった罪です。〔Wikipedia『李承晩』〕

彼は改革派ではあったのです。

 

いずれにしても、現代韓国の保守派論客というのは、李承晩を否定しない人達です。

彼の思想と反日主義は分けて考えたら良いのではないかと思うのですが、それが韓国人保守派の限界なのかもしれません。現在、慰安婦像撤去を求めて活動している方々も、竹島の占拠は正当性があると言い、名前は書きませんが、その中のお一人は、竹島に上陸した時の写真をFBに載せていたりします。〔誤解されないように書いておきますが、ブログ主はこれらの人々を、「それはそれ、これはこれ」の是々非々の精神で評価し、尊敬しています。

本当の意味での「親日派」の韓国人が韓国保守に抱く不満はここにあります。

「保守は『反日』を左派のせいだと言うが、右派だって反日では無いか」とは、よく見る意見です。

 

 

  


 

 

 

2021/12/22

『韓国「反日主義」の起源』雑記5-茶道に見る韓国の『パクリ』・『起源』主張

韓国では、韓国の「草庵茶(초암차/チョアンチャ)」が日本の「佗茶」(草庵の茶)の起源と言われているそうです。

後述する記事にありますが、金時習(김시습/1435年~1493年/号は「梅月堂」)という文人が朝鮮時代になって途絶えた高麗時代の抹茶道を復活させ、日本から来た使節に伝えたのが日本の佗茶の始まりと主張しています。

まずはその記事を機械翻訳したものをご紹介します。

 

* * * *

http://news.bbsi.co.kr/news/articleView.html?idxno=3053449
‘매월당 김시습 초암차법 재발견’...천태종 삼룡사 학술대회
「梅月堂・金時習草庵茶法再発見」···。天台宗三龍寺学術大会
入力 2021.12.17 17:15 修正 2021.12.17 21:48

修行者たちの禅茶「草庵茶」(초암차)を日本に伝えた梅月堂(매월당)・金時習(김시습)の「草庵茶法」を伝承、研究するための動きが活発に起きています。

チョンテジョン(天台宗)ソウルのサムリョン寺は、今日(17日)、チグァンジョン(智観殿)で「梅月堂 金時習草庵茶法の再発見」をテーマに学術大会を開きました。

大会では中国の五百羅漢に上った禅師を源流とする禅茶文化を、梅月堂が500年ぶりに復元し、日本にまで影響を及ぼした「草庵茶」の地位をめぐり、活発な議論が交わされました。

特に松かさで火をおこしてお茶を沸かす方式の「チョアム茶」ならではの独特な伝統儀礼を再現して注目されました。

<ムウォン僧侶/三龍寺住職>
「たとえコロナ19で難しい時期ではありますが、私たちが願う功徳がこれからの韓国のお茶文化、さらには世界のお茶文化をワンランクアップグレードさせるきっかけになればと思います。"

<チェ·オクジャ/社団法人伝統礼儀振興会理事長>
「(梅月堂金時習が)昔の文献を見ると松ぼっくりで水を沸かしたのです。 松ぼっくりで再現してみて、 とても感動したんです。 火花はあまり強くもなく、長く燃え続けたからだ」。」

最初の漢文小説『金烏神話』の著者としてよく知られている金時習は、朝鮮初期、世祖の王位簒奪に憤慨して出発した放浪の旅で「草庵茶法」を研究し、朝鮮時代から姿を消した高麗の抹茶道を伝承しました。

また、慶州の龍蔵寺に滞在しながら日本国王使節団に「草庵茶法」を伝え、日本でも大々的に伝わり、韓茶文化が隆盛するきっかけとなりました

* * * *

 

上述したように金時習の生没年は1435年~1493年と、確かに村田珠光と時代が被っているのですが、佗茶とは、室町時代の豪華絢爛な書院茶に対し、村田珠光(1423~1502)が創始し、武野紹鴎(1502~1555)を経て千利休(1522~1591)が完成させた和敬清寂、つまり質素を旨とする草庵式の茶の事です。

つまり、茶道自体は日本の方が古いのです。これのどこに金時習が関わっているのでしょうか。あるいは、それを証明する史料はあるのでしょうか? ちなみに、韓国語のWikipediaの『金時習』の項には「草庵茶」に関する記述はありません。

しかも、ニュース映像で見てみましたが、茶杓で茶入れから抹茶を茶碗に入れ、釜から柄杓で湯を汲んで茶筅で茶を点てるという日本の茶道にそっくりなものでした。

以下は動画のキャプチャです。

 

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更に突っこめば、立て膝座りではなく、正座をしています。

 

日本の茶道と異常なほど酷似したものが、朝鮮半島にはあるというのです。いや、現代の草庵茶が金時習の草庵茶を復活させたというなら、「あった」と主張しているわけです。

〔下の動画で、点前を最初から観る事ができます。〕

 

 

韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著)によると、1980年代半ばまで、韓国茶道は「和敬清寂」を茶の心として掲げていたそうですが、これは千利休の言葉です。

抹茶自体は中国から伝わったものなので、嘗て朝鮮にもあったとしてもおかしくはないのですが、李氏朝鮮時代に仏教弾圧と共に茶の文化はほぼ無くなり、朝鮮の人々は、釜の底に焦げ着いた飯に水を注いで熱したもの(スンニョン)を茶代わりに飲み、それ以外には麦茶とかトウモロコシのヒゲ茶のような、謂わば代用茶みたいなものを飲んでいました。

 

なお、「韓国 茶道」とGoogleの検索窓に入力すると、「水筒」とか「ポット」といった単語がサジェスト(suggest/示唆)されますが、よく見る水筒茶道は「茶礼(다례/タレ)という、煎茶のようなものを飲む茶道のようです。

 

20211222_korean_tea_ceremony01
https://youtu.be/PMKpO3uQ3_0 よりキャプチャ

 

一応、水筒ではなく、土瓶(笑)で湯を入れる手前もあるようです。

20211222_korean_tea_ceremony02
https://youtu.be/5AmYjztNe4A よりキャプチャ

 

もちろん、もてなしの心が重要なので、家庭などで盆略点前のような形で茶を点てるなら、ポットでも鉄瓶でもいいのですが、伝統的な点前として人前で披露するのに、水筒はないだろwと思います。

 

Wikipedia『茶礼』の脚注〔7〕にある「東アジアの茶道と茶の湯」(中国社会科学院日本研究所 張建立)という論文には、以下のように書かれています。

 

朝鮮の茶道に関して、今のところ、これといった研究はなく、資料集的には参考になるのは、金明培『韓国の茶道文化』(ぺりかん社 1983年)だけである。
金明培氏は、茶道が日本独特の文化であるという説に反対し、さらに「茶や茶種、飲茶の風習が中国から伝来したといって、茶道の成立も中国が先であったと断定することはないのである」と指摘した上で、新羅の花郎が喫茶用の櫻筒を製作したことをもって、茶道の創立は韓国が先だと主張している(『韓国の茶道文化』50頁)。しかし金氏がその論を立証するために使用した史料は、同時代のものではなく、すべて 11世紀以降の史料に載せられた伝説で、どこまで信憑性があるのか判断しがたいものである。また、たとえそのすべてが真実だと認めたとしても、喫茶用の櫻筒を製作したということだけを根拠に、最初に茶道が創立されたのは韓国だというのは、どうも無理があるように思われる。

張建立氏プロフィール:1970年中国内蒙古に生まれる。1993年内蒙古大学外国語学院日本語学部卒業。1996年南開大学日本研究院修士課程修了。日本思想史を専攻。同年4月茶道研修のため来日。1999年裏千家学園茶道科卒業。2000年同研究科卒業後、今日庵より茶名宗建を授与される。2003年3月立命館大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士号取得。川嶋将生先生に師事し、日本文化史を専攻〔『茶道と茶の湯―日本茶文化試論』 単行本 – 2004/2/1より〕

 

ブログ主には、ここまで厚顔無恥になれる韓国人が理解できません。

 

  


 

 

 

『韓国「反日主義」の起源』雑記4-『檀君神話』

前回の続きとして、『韓国・パクリ文化の起源』について書こうと思っていましたが、前回ご紹介した動画にあったあるシーンから、韓国人が言う『半万年の歴史』について書く事にします。

 

動画の7:30頃には面白いシーンが出てきます。本を読んでいる女性が映り、次のようなナレーション(英語)が入ります。「あの淑女が読んでいる本をちょっと覗いてみましょうか。」 そして、漢文で書かれた本がクローズアップされて、「あぁ、たった4千年に過ぎない朝鮮の歴史ですね。」と続きます。

読んでいる本が何かは分かりませんが、「4千年の歴史」というのは『檀君神話』によるものだと思います。韓国や北朝鮮には、檀君が即位したとされる紀元前2333年を元年とする「檀君紀元」があり、今から4350年程前になりますが、それを切り上げて約5000年とし、「半万年」と言うのです。宗主国も「白髪三千丈」の世界ですからね。

 

ひたすら中華だけを文明として崇拝し、自らを小中華と称した彼らは、元々は箕子朝鮮を国の始まりとしていました。前195年頃の成立とされています。

箕子とは、殷の貴族。名は胥余(しょよ)。伝説では、紂王(ちゅうおう)の暴虐を諫めたが用いられず、殷が滅ぶと朝鮮に入り、朝鮮王として人民教化に尽くしたとされる伝説の王です。

つまり、国として中華の直系である事が重要でした。

檀君に関する記述は13世紀の『三国遺事』にしか遡れません。しかも、自前の伝承では無く、「魏書云」(魏書に曰く)と、中国史書を引用する形で始まります。しかし、その史書が何だかは分かりません。

檀君神話も文字にして500字程度の短いもので、日本の記紀に比肩するものではありません。

その概略は、「天界の支配者・桓因が降臨して、人間に化身した熊と交わって檀君王倹をもうけた」という内容で、「檀君が初めて『朝鮮』と称し、その国は1500年続いた」とし、最後に「周の虎王が、箕子を朝鮮の支配者として使わすと、檀君は隠遁して1908歳まで生きた」で終わります。

国生みの神話も無ければ、箕子との繋がりもありません。

この檀君信仰が始まったのも、中国から独立した大韓帝国の時代だそうです。

同時代の朝鮮史家・今西龍(1875年8月15日 - 1932年5月20日)が、「明治27年、朝鮮は日本の援助の下に清国から独立し、(中略)朝鮮人間には支那人たる箕子を開国始祖としての尊崇は急激に衰へ、之に反して檀君を朝鮮国民の祖として崇拝するの風、俄(にわか)に熾(さか)んとなれり。日本人が天照皇太神を仰ぎ奉るものに比擬して、朝鮮人は檀君を仰がんとせり」と『朝鮮古史』に「檀君考」として書いています。〔『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著)p.343〕

日本には神話の神々を祀る神社は古くからあちこちにありますが、韓国にはありません。

全羅道の人、羅喆(らてつ)が檀君教を興したのも1904年です。〔同書、同頁〕

 

前回書いたように、牽強付会(こじつけ)により、日本を象(かたど)って、嘗てあった(かもしれない)文化を再構築する作業は、日本と関わるようになってから急激に進みます。

そこまでならまだ良いのですが、ご存知の通り、「古代韓国の文化は本家では失われたが、日本に伝わって発展した」というロジックを使って、日本の文化や伝統の「起源」を主張するからタチが悪いのです。

次回は、「パクリ文化」の一つ、『茶道』について書きます。

 

 

  


 

 

 

2021/12/21

『韓国「反日主義」の起源』雑記3-韓国伝統文化は近代に創られた(青磁を復活させたのは日本人)

このエントリーは、『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)を読んで、覚え書きなどを書き留めるものです。

今回は、今日「韓国的」とされる文化が、日本統治時代に創られたという事がテーマです。

 

まずは、以前もご紹介した動画ですが、朝鮮総督府鉄道局制作の観光PR動画(1939年)を再掲します。韓国人の百年歴史さん(백년역사CenturyHistory)が日本語字幕を付けてupしてくださったものです。

 

 

韓国語版と英語版の動画もupして下さっていますが、韓国語版のコメント欄にこのような簡潔なコメントがありました。

Sik
1 年前
우리가 배우는 조선의 이미지가 여기 담겨있네
機械翻訳:我々が学ぶ朝鮮のイメージがここに込められている。

 

それに対して、百年歴史さんは「정확한 지적이시네요(正確な指摘ですね)」と返していました。

 

韓国に多少関心のある方は、上記動画に出てくる「朝鮮」が、実際の李氏朝鮮末期の「朝鮮」とは大きく異なる事が分かると思います。まず、このように清潔ではありませんでした。

ここで見られる「朝鮮」は日本統治時代に復元されたり美化された「朝鮮」なのです。

 

冒頭に出てくる寺は「仏国寺」といい、「石窟庵」とともに世界文化遺産に登録されています。

 

20211221_bukkokuji01
動画よりキャプチャ

 

Sekkutsuan02_bukkokuji_before
1914年の仏国寺(Wikipediaより)

 

2:00辺りから「石窟庵」が紹介されますが、これは1909年、雨宿りの為に洞窟に入った郵便配達夫が偶然に見つけたもので、発見当時は崩れた状態だったのを日本人が修復しました。

つまり、当時の朝鮮人は、文化財的な見地は全く持ち合わせておらず、こうした史跡もほったらかしだったのです。

 

当時は最先端の技術であるコンクリートで修復しましたが、韓国では日帝が嫉妬して毀損したと教えています。

 

20211221_sekkutsuan01
動画よりキャプチャ

 

Sekkutsuan01_before
発見当時の石窟庵(Wikipediaより)

 

Sekkutsuan01_after
修復直後の石窟庵

 

『韓国「反日主義」の起源』によると、有名な高麗青磁も遙か昔に技術が途絶えていたので、優品のほとんどは出土品で、その価値が認識されるようになったのは、日本で朝鮮陶磁熱が高まった後だそうで、陶磁に見識があった実業家の富田儀作が私財をなげうって復活させたものだそうです。〔同書、P.449/富田儀作で検索した所、有田町歴史民俗資料館の館報〔PDF〕が見つかりました。(該当ページ画像)〕

 

高麗時代は仏教が国教でしたが、李氏朝鮮時代になると「崇儒廃仏」(儒教を崇拝し、仏教を廃する)で、仏像はうち捨てられ、また、労働を卑しいものとしたため様々な技術が失われました。

 

朝鮮の歴史や遺物などを整理したのは日本人です。

例えば、朝鮮総督府は15年の歳月を掛けて、37巻、2万4千ページもの『朝鮮史』を編纂しました。また、朝鮮全土の古建築や遺構、石碑や石像を調査して『朝鮮古跡図譜』15冊にまとめました。その他にも、1万3千人もの人物の事跡を収録した『朝鮮人名辞書』を編纂し、民俗学や朝鮮語学も日本人により研究されて書物にまとめられました。

李氏朝鮮時代は、礼楽法度、衣冠文物、あらゆる事を中華に従い、大国に事大する小中華の国でした。

しかし、江華島条約によってシナからのくびきを解かれ、嘗てあった朝鮮的な伝統文化を取り戻したのが日本統治時代だったのです。

但し、その伝統は既に途絶え、どのようなものであったかを裏付ける史料はほとんどありません。そこで、朝鮮人は、日本を象(かたど)って、嘗てあった(かもしれない)文化を再構築し始めます。「古代韓国の文化は本家では失われたが、日本に伝わって発展した」というロジックです。

これが現代韓国の「パクリ」文化に繋がります。

次回に続きます。

 

 

  


 

 

 

2021/12/14

【韓国】「朝鮮人には愛国心はなく民族的本能だけがある」

興味深いコラムを見つけたので、ご紹介します。

日本でも有名な、イザベラ・バードの(1831/10/15~1904/10/07)『朝鮮紀行』を読んだ韓国『毎日経済』のノ・ウォンミン(노원명)という韓国人記者のコラムです。

Wikipediaによると、彼女は、1878年に日本の東北や北海道を訪れ、その紀行文は『日本奥地紀行』として出版され、朝鮮を訪れたのは1894年~(3年間に4回)で、日清戦争(1894~95年)の頃の朝鮮を見ている事になります。なお、韓国では彼女の事を結婚後の姓でビショップ夫人と呼ぶのが一般的のようです。

 

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https://www.mk.co.kr/news/politics/view/2021/12/1130727/

"조선인에겐 애국심은 없고 민족적 본능만 있다" [노원명 칼럼]
「朝鮮人には愛国心はなく民族的本能だけがある」 [ノ·ウォンミョンコラム]

ノ·ウォンミョン記者
入力 : 2021.12 09:19:01

19世紀イギリスの旅行家イザベラ·ビショップは1894年から1897年まで4回にわたって韓国に長期滞在した経験をもとに「朝鮮とその隣国」という有名な旅行記を残した。 本は韓国近現代史の専攻者によって隅々まで分析されており、一般人の中にも読んだ人が少なくない。 私は最近になって読んだが、旅行紀的な楽しみよりも、120年前の朝鮮人と極東の情勢に対する著者の冷静な評価が実感された。

ビショップは当時アジアで唯一「文明国」扱いを受けた日本に対して全般的に友好的だ。 それは、韓国人読者を多少不快にさせる恐れがある。 例えば次のようなところだ 「中国宗主権の陰の下で、朝鮮の両班(ヤンバン、貴族階級)たちは貴族的な生活の雰囲気で強圧と独裁の無限な機会を享受してきた。朝鮮の農民は和洋の教育を通じて自分たちが最終収奪対象というのが必然的な運命ではないという点や市民権、法の前での平等権、財産を保護できる権限を与えられたという点を少しずつ悟っている。

今、韓国で市民権、法治主義、私的財産権のような近代性の基本価値を韓国に移植した主体が日本だと主張すれば、「植民地近代化論者」というレッテルがすぐに付いてくる。 「土着倭寇」と言われるかもしれない。 私は今の自分の話ではなく、日清戦争を前後して朝鮮を4回深く観察したイギリス人の主張を伝えるのだ。

ビショップの主張は続く。 「(日清戦争後3年間)中国との従属関係が終わり、日本が勝利したことで中国の軍事力は決して崩れないという朝鮮の信頼は崩れ、政治的に腐敗した(中国と朝鮮の)二つの体制の同盟は断絶した。 両班と庶民の区分は、奴婢制度とともに、少なくとも文書上では廃止された。 野蛮な処罰と拷問も廃止され、便利な貨幣が現金に代わり、向上した教育制度が実施され、訓練された軍隊と警察が創設された。

どうだろう、帝国主義援助国出身の旅行家が、日本の帝国的野心を無視してとんでもない賞賛を並べたのか。 あるいはそうかもしれない。 しかし、日清戦争以前に朝鮮が清の属国であったこと、日清戦争後の下関講和条約によってこの従属関係が公式に終了したということは客観的事実だ。 韓国の歴史教科書は、この事実を正しく教えない。 教科書は、朝鮮の体制矛盾には目を向けず、その結果、朝鮮を実際よりも美化している

韓半島で「独立」という言葉が大衆的に使われ始めたのは、ビショップが旅行記を書いた頃だった。 1896年に独立協会が結成され,間もなく独立新聞が発刊された. 中国の使臣を迎接していた「永殷門」が現在の独立門に変わったのも1897年のことだ。 この時の独立はもちろん、中国からの独立を意味する。 本来、独立した者は独立という言葉を使う必要がない。 日清戦争以前の朝鮮は、独立した国ではなかった〕のである

※ブログ主註:江華島事件をきっかけに結ばれた日朝修好条規(江華島条約/1876年)では、第1条に「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める。 」と書かれているが、日本側が「独立国」と明記するよう主張したのに対し、清国の属邦を自認する朝鮮は応じなかった。

ビショップは日清戦争後、日露が角逐する韓半島情勢に対してこのように助言している。 「朝鮮は独力で支えられず、そうした困難な状況が解決されなければ、朝鮮は日本やロシアの保護下に入らなければならない」。ご存知のように、実際にそのようになった。 ビショップの次の文章が特に私の胸を打つ。 「どのように使うか分からない独立性という贈り物を朝鮮は日本からもらった 朝鮮は数百年独立状態だったが、ある日突然、日本に侵奪されたのではなかった。 朝鮮の独立は非常に短く、それは日本が日清戦争で勝ったために与えられた贈り物だった。」 ビショップはそのように見ている。

独立という贈り物をどうすることもできず、右往左往する朝鮮の朝廷の様子を、ビショップでは次のように記述している。 「(俄館播遷で親露派が勢力を得た状況で)宮内府と王の側近は再び最も醜い方法で売官買職を始めた。 この悪習は誰も牽制しないが,最も悪辣な慣習だった. 膨大な官職を握っている王は公金を私費で流用し、自分の身辺が安全で日本の干渉もなくなると、自分の王朝の過去の弊習に復帰した。

※ブログ主註:俄館播遷(露館播遷)=李氏朝鮮の第26代王・高宗がロシア公使館に逃亡し、朝鮮王朝が主権を事実上放棄・喪失した事件。

ビショップは、朝鮮人の非衛生、無礼さに対して嫌悪感を表す時が少なくないが、基本的にその潜在力を認め、次第に嫌悪から愛情に見方が変わっていく。 しかし、彼女の観察は時には短刀のように冷酷かつ正確だ。 「朝鮮の人々には本当の意味としての愛国心はないが、強い民族的本能がある」。 近代的国民主義ではなく原始種族主義に基づいた排他的性格のことであろう。

私はこの点で、現代韓国人は果たして違うのかと考えてみる。 韓国人に種族的本能以外に愛国心というものがあったことがあるのかという疑問だ。 韓国現代の歴史教科書は、民族意識は過剰だが、大韓民国という国家の偉大性、固有性については曖昧だ。 大韓民国が朝鮮と植民地を克服した全く新しい体制、真の意味で韓半島に入った最初の国民国家という事実に背を向ける。 そのため愛国心は発現しにくく、民族にも及ばない種族主義が幅を利かせている


偏狭、慣例、自負心、気取った、労働を軽蔑する誤った偽善、利己的個人主義、寛大な公共精神と社会的信頼の破壊、2000年の慣習と伝統による精神的·肉体的奴隷根性、偏狭な知識、浅い道徳心···」ビショップは朝鮮の立ち遅れた教育制度が育てる人間型の特徴を大まかに要約した。 この120年間の奮闘を通じて、韓国人はこの中で多くの欠点を克服した。 韓国人はもはや労働を軽蔑することもなく、奴隷根性に縛られてもいない。 --ところで偏狭さはどうか。 利益の範囲が家族の枠を超えない利己的個人主義は変わったのか。 公共精神と社会的信頼は拡張されたのか

世の中の変化の速度は日増しに速くなっている。 その中でも、ゆっくり変わるものもあれば、なかなか変わらないものもある。 私は遅れて読んだビショップの『旅行記』を通じて、120年間で何が変わり、何があまり変わっていないのかを推し量ってみた。 そして、あまり変わらなかったことで、ちょっと背筋が寒くなった

[ノ·ウォンミョンオピニオン部長]

* * * *

 

この記者のように冷静に自国民を分析できる人には、現在の韓国は生きにくい社会だろうなあと思います。

ところで、一つ、ブログ主が指摘したい事があります。

朝鮮人(韓国人)が集団で「愛国心」を持った時期があった事を、この記者は忘れています。いや、知らないのかも。

それは、大東亜戦争の時です。

朝鮮人という民族の枠を越えて、日本人として戦勝報道に歓喜し、真の皇国臣民になろうとしていました。破竹の勢いで勝ち進む...少なくとも、国民がそう信じていた自国に貢献しようとして、兵役を求め、志願兵の募集に殺到しました。

 

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朝鮮黄海道黄州郡兼二浦での奉祝風景(画報『躍進する日本』1941年1月号)

 

韓国「反日主義」の起源』を読むと、日本の勝利の暁には、もし、朝鮮人が戦争に参加していないと、肩身が狭いという気持ちもあったように思われます。また、軍人になる事は立身出世でもあったので、そうした野心も抱いたのかも知れません。

尤も、事大主義の彼らは、日本の敗戦と同時に、敗戦国民の汚名から必死に逃れようとする訳ですが...

 

 

 

  


 

 

 

 

2021/11/20

『韓国「反日主義」の起源』雑記2-抗日の歴史の嘘

前回に引き続き、『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)に関し、覚え書きなどを書き留めます。

多少歴史に詳しい方は、既に、併合が強引なものでは無かったこと、3.1独立運動が騒擾程度で大したことがなかったこと、臨時政府は名ばかりで機能していなかったこと等は知っているかと思います。

従って、今回は「第二章 本当に反日したのか」の要約や補足の代わりに、韓国で最近出版された本をご紹介します。

 

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この本のタイトルは、『조선 레지스탕스의 두 얼굴』(機械翻訳:朝鮮レジスタンスの二つの顔)といい、著者は진명행(眞明行)氏です。ペンネームらしく、銀行員の方だそうです。

タイトルからも想像できるように、韓国の誇張・歪曲された「抵抗の歴史」や「抗日の英雄」の真実を検証した本のようで、メディアが取りあげないにもかかわらず、現在、ある大手書店では売上6位に付けているそうです。

この本は、日本語の翻訳版の出版も予定されているとのことです。

 

表紙にはどちらかというと日本人には馴染みの薄い顔が並んでいますが、それについては後述するとして、この本がどのような内容かを、ネット書店の商品ページに掲載された、本書からの引用文の一部を転載して紹介します。

 

* * * *

「歴史の悠久さ」とは、私たちが単一民族という純血主義に対する錯覚、神話的想像力に過ぎない虚構を無理やり歴史の領域まで引き入れて、5,000年という長い淵源を捏造した無知の産物に過ぎない。 資源も金もなく無一文で建国した国で掲げるのは「精神」という観念的エネルギーだっただろう。
--- p.5

自国史中心の歴史は必然的に「ウリ」()を浮上させ、「ナム」(他人)を削る叙述になるしかない。 特に、日本に対する公然たる被害意識は、1920年代以降消滅してしまった武装独立運動闘争に対する貧弱な戦果を膨らませ、歪曲することを正当化する名分を与えた。 いまだに多くの人が青山里戦闘で日本軍3,000人を射殺し、鳳梧洞戦闘で大勝を収めており、金九は上海臨時政府を象徴する独歩的な存在として記憶している。 そして、その記憶は不変であり神聖なため、本当に事実なのか誰も疑わない。 この神聖不可侵をもとに、映画、マスコミ、放送、本、文化のすべての領域で広範囲な歪曲が行われている時、ある限りでは、日帝時代の生活ぶりや慰安婦に対する異なる意見の相違があったという理由で、講壇から胸ぐらをつかまれたまま引きずり降ろされ、そのまま罷免される浅薄な国家水準の断面を見せている。
--- p.8

* * * *

 

「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」とは、1920年6月に現在の中国吉林省の山間部で起きた朝鮮独立軍と日本軍の戦闘で、青山里戦闘(1920年10月)と共に、洪範図(홍범도/ホン・ボムド)が指揮したと言われます。表紙の一番奥の人物です。韓国人にとってはこの2つの戦闘は「二大勝利」とされているそうですが、その戦果は誇張されたものです。

金九(김구/キム・グ)は表紙の左端の人物で、朴正煕大統領は彼を英雄として祭り上げたのですが、実際は、単なる殺人鬼です。

表紙には描かれていませんが、日本人にとって、この本で取り扱う最大のビッグ・ネームと言えば、安重根でしょう。彼については二章を使って虚像を暴いており、そのタイトル(機械翻訳ママ)は、「13.日本中心の東洋秩序を追求した天皇主義者安重根」、「14. ファッション反日とマーケティングに彩られた安重根の精神」となっています。日本人にとっては既に分かっていることですが、これが韓国人にとってどれほど衝撃的な事実かは、想像がつくでしょう。

つまり、この本は、韓国にとっての伝説の英雄の虚像を暴く本なのです。

韓国で実質的に発禁処分となった『親日派のための弁明』の著者、金完燮(キム・ワンソプ)氏はその続編の『親日派のための弁明2』と併せて、抗日活動家の欺瞞を暴いていましたが、こうした本が無事に出版できると言うことは、ようやく時代が彼に追いついて来たとも言えるのかも知れません。

読者のレビューを読んでみましたが、一次資料が日本のものであっても、きちんと検証しているので納得しているようです。(韓国人は一般に、日本の史料なら「捏造」、第三国人の意見なら「親日」とか日本の「ロビー活動」だと反応する人が多い。)

 

最後に表紙の人物を紹介して終わりとします。

一番手前は金元鳳(김원봉/きんがんほう・キム・ウォンボン)で、文在寅大統領は、金元鳳を「韓国軍のルーツ」として尊敬しているそうです。その後ろは左から、前述の金九(김구/キム・グ)、同じく洪範図(홍범도/ホン・ボムド)、昭和天皇が皇太子時代に暗殺未遂を起こした李奉昌 (이봉창/イ・ボンチャン)、 右端は曺奉岩(조봉암/チョ・ボンアム)です。

恐らく、文在寅やその周辺の人達の思想に繋がるような人物が表紙に選ばれたのでしょう。

 

 

  


 

 

 

 

2021/11/19

『韓国「反日主義」の起源』雑記1 - 親日派の国

韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)に関し、既に簡単なレビューのようなものは書いているので、この本を読んで、考えた事や覚え書きなどを少しずつ書き留めようと思っています。

 

この本は下記のような章立てになっており、今回は「第一章 反日する親日派の国」に関連して。

第一章 反日する親日派の国
第二章 本当に反日したのか
第三章 日本の支配の特質 
第四章 文明の断絶
第五章 日本をかたどった国 
第六章「侵略」と「建国」の混淆
第七章 反日イデオロギーの成立

 

親日派と言うとやや語弊があるかもしれませんが、ここでは、日本統治時代に日本の高等教育を受け、行政や司法など、朝鮮半島の運営に携わっていた指導的な人々です。単に日本のシステムを受け入れて日本統治時代を過ごした人達も含まれるでしょう。

敗戦後、日本人が去ると、彼らは役職が繰り上がったり、また、他の親日派が穴埋めをして、日本のシステムがそのまま継承されます。

日本の法律も60年頃まで「移入」されます。

この章では、大法院長や大検察総長、法務部長官、国防部長官、陸軍参謀総長、内務部長官、等の歴代リストを提示し、「日帝系」(=親日派)に印が付けて、ほぼ日帝系で占められている、としています。

著者は、もし、韓国の「公共の記憶(public memory)」のように、「日帝は世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法で、我が民族を抑圧、収奪した」(1996年/高校用『国史』のであれば、その協力者も断罪されてたはずだとし、では何故、親日派が変わらぬ地位に居続けられたのか?と考えます。

様々な反証を行い、この章を次の言葉で締めくくります。

「国民は、日本の統治を、それ程悪いとは思っていなかったのである。」

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

ところで、『反日種族主義』の著者である李栄薫(イ・ヨンフン)博士が運営する『李承晩TV』で、これに関連した動画がありました。『득세한 친일파는 없다 - 정부요인과 내각』(機械翻訳:勢力を得た親日派はない-政府要人と内閣)という動画です。

いつものように、自動生成される字幕を機械翻訳した日本語字幕で観たので、細かい所までは分かりませんが、副大統領や国会議長、要するに内閣の要人のリストを提示し、独立運動家がいかに多いかと言う事を解説しています。

ご存知の通り、李承晩は韓国では何故か「親日派」とされています。これは、「反共産主義者」に対して左派が付けたレッテルなのですが、この動画では、「大韓民国は親日派によって造られた国ではない」と、この『韓国「反日主義」の起源』とは逆の証明をしようとしているようです。(動画では、2005年以降に編纂される「親日人名辞典」に当時の閣僚も加えられている事を批判したいようです。)

 

但し、『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』を読むと分かるのですが、李承晩がかなり人事に介入しており、著者の任文桓氏や官僚達は、李承晩が持ち込む前近代的なものに抗おうとしています。従って、臨時政府の関係者が要職に就いていた事も、「親日派」が実務を担っていた事も事実なのでしょう。

任文桓氏は、朝鮮総督府時代、日本人に比べて昇進が遅い事に不満を感じていたり、日本統治時代の全てを肯定している人ではないのですが、李承晩に「君は金にきれいな人だと言われているね」と聞かれて、「日本時代に役人をした人は、皆、金にはきれいです」(P.383)と答えたり、人事の問題に関して、「日本時代の役人は、なんでこうも義理に弱く、人情にもろいのだろう」(P.389)と自嘲的に嘆いたりしています。

彼は、朝鮮人である事は忘れていないと本には書いているのですが、16歳で日本に来て学生生活を送り、東京帝国大学を28歳で卒業するまで日本で生活したので中身はほぼ日本人になっていたのではないでしょうか。

 

少し補足を加えておくと、上記のエピソードは朝鮮戦争中の1950年頃のもので、ソウルは既に奪還した後です。(休戦は53年7月)

李承晩は、最初は民族主義的・保守政党である「韓民党」(韓国民主党)に支えられていましたが、徐々にその溝が深くなります。韓民党員は、3年間(=大統領任期)だけ、独立志士であるこの老人を奉れば、礼を尽くすのには十分だと考えていた所、この頃(任期の半分ほど)から、李承晩は再選を目指し、徐々に韓民党員を排除し始め、国会議員が選ぶ大統領を、国民の直接選挙に変える作業に着手します。任氏によれば、彼が再び役人として呼ばれたのは、韓民党よりは親日派の方がマシだと思ったようです。

李承晩自身は反日の人ですが、国民生活から具体的に日本的なものを排除するのは、朴正煕の時代からです。〔第7章〕

 

ブログ主は考えます。もし、李承晩TVの先生方が『反日種族主義』の打破をしたいのであれば、「大韓民国が『日本』を継承した国であり、そもそもは反日の国ではなかった」という事を認めた方がいいのではないかと。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

最後に、李承晩TVの動画に付けられたコメントをご紹介します。

あまり動画の内容とは関係ないようですが、良い内容だったので。

機械翻訳ママなので、多少変な日本語ですが、理解に難くはないでしょう。(数字は共感数)

 

* * * *

김종엽
2 か月前
저희 부모님은 1910~1920년대 출생인데 한번도 일본이나 일본인을 욕하거나 탓한적이 없었음.
특히 아버님은 사소한일로 친척이나 타인에게 두고두고 욕을 잘하신 분이셨습니다.
만약 일본때문에 억울하거나 피해 본적이 조금이라도 있었다면 평생동안 일본을 욕했을것인데 생전에 일본을 한번도 욕한적이 없는걸 보면 당대를 살았던 분들의 판단이 맞다고 생각합니다..
13

私の両親は1910~1920年代生まれなのに一度も日本人や日本人の悪口を言ったことがなかった。
特にお父さんはささいなことで親戚や他人に対してずっとよく悪口を言う方でした.
もし日本のせいで悔しかったり、被害を受けたりしたことが少しでもあったら一生日本を悪口を言ったと思いますが、生前に日本を一度も悪口を言ったことがないのを見ると当代を生きていた方々の判断は正しいと思います。

Джонги Чої
2 か月前
저의 양친께서는 1930년대에 한지륙에서 출생하셨는데, 일본제국 시대에 대한 평가는 님의 게시글과 비슷합니다. 아버님께서는 조부모님 덕분에 5년제 중학교까지 다니셨는데, 그 당시 일본인 교사들의 언행에 대한 칭찬은 대단하십니다.

가을에, "낙엽이 계속 떨어질 터인데, 학교 마당을 왜 굳이 매일매일 청소해야 하느냐?"는 질문에 일본인 교사의 훈계는 "깨끗한 마당에 떨어진 낙엽은 지저분한 마당에 떨어진 낙엽보다 아름답게 보이기 때문이다."
6

私の両親は1930年代に一支陸で生まれましたが、日本帝国時代についての評価は、 様の掲示板と似ています。 お父さんは祖父母のおかげで5年制の中学校まで通ったのに、その当時日本人教師たちの言行に対する褒め言葉はすごいです。

秋に「落ち葉が落ち続けるはずなのに、なぜ学校の庭を毎日掃除しなければならないのか」という質問に日本人教師の訓戒は「きれいな庭に落ちた落ち葉は汚い庭に落ちた落ち葉より美しく見えるからだ。」

 
김종엽
2 か月前
@Джонги Чої 저도 국민학교 다닐때 선생님들이 일제때 사범대 다니신 분들인데, 같은 말씀들을 하셨지요.. "일본사람 반만 따라가면 나라가 좋아진다"
청결하고 정직하고 법을 지킬줄아는 일본의 시민들을 군국주의자들과 싸잡아서 비난할 필요는 없지요.
7

@Джонги Чої 私も国民学校に通っていた頃、先生たちが日本の植民地時代教育学部に通っていた方ですが、同じことをおっしゃいましたよね。 「日本人の半分だけついて行けば国が良くなる」
清潔で正直で法を守れる日本の市民たちを軍国主義者たちとひっくるめて非難する必要はないでしょう。

 

声を大にしては言えなかったのでしょうが、孫や子に、あるいは生徒に、日本統治時代を語っていた人達もいたのです。

 

 

  


 

 

 

 

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