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【国際】韓国・反日種族主義

2021/11/10

【韓国・書籍】韓国「反日主義」の起源(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)

西尾幹二先生は、「歴史は、過去の事実を知る事ではない。事実について、過去の人がどう考えていたかを知る事である。」と言いました。

この本(『韓国「反日主義」の起源』)は、まさにそれを実践した本です。

 

その当時、実際に韓国人()は、日本人による統治で変わっていく世の中をどのように見ていたのか、何を感じていたのかを膨大な文献から拾い上げ、整理し、韓国人の目に映った社会を提示してくれます。〔※時代によっては大韓帝国国民であったり、朝鮮系日本人であったりしますが、ここでは簡単に「韓国人」と表記します。

7章で構成されていますが、各章の末には詳しい注釈が10数頁から20頁くらい付き、更にその引用文献が巻末に70頁に渡りリストされています。歴史の証言者は韓国人のみならず、日本人や中国人、欧米人と多岐に渡ります。

ジャンルは小説にまで及びますが、小説はフィクションではあっても、その当時の世相が分かります。例えば、小説に登場する日本人がどのように描かれるかでも、その時代の韓国人の日本人像が分かります。

韓国の通念的認識によると「日帝は世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法で、我が民族を抑圧、収奪した」(1996年/高校用『国史』/恐らく『韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』2000年)となっていますが、1970年代を舞台にした小説では、「道行く女性は大半、淑子、明子、英子だ」というくだりがあるそうで、これだけでも、韓国人は「日本的なもの」を戦後もしばらく受け入れていた事が想像できます。

 

このように、韓国人の「public memory」(公共の物として広く共有される歴史的記憶)が如何に誤ったものであるかを論破するだけなら、情報の多寡は別として類書はたくさんあります。

しかし、著者はそれだけに留まらず、韓国人が何故「反日イデオロギー」を纏う必要があったのか、何故歴史を捏造するのか、何故起源を主張するのか、そういった心理や反日国家になる過程を緻密に考察していきます。

ブログ主はこの本を読んで、長年モヤモヤとしていた疑問の回答を得たように思いました。

 

この本についてはもう少し書き留めて起きたい事があるので、エントリーを分けて書いていこうと思っています。

 

 

  


 

 

 

 

2021/09/06

台湾の中学校の歴史教科書と韓国の大学生のレベル(柳錫春・元延世大学教授のコラムより)

このブログでも度々取りあげている、「慰安婦は売春の一種」発言で大学から停職処分を受けた柳錫春(リュ・ソクチュン)元教授のコラムを読んで、如何に韓国の学生に歴史を教える事が困難なのか、如何に論理的に考えさせる事が困難なのか、その苦労が分かりました。

そのコラムを紹介する前に、台湾の中学校の歴史教科書を見てみましょう。

これは、韓国のコミュニティサイト『Ilbe(イルベ)』のある記事を翻訳した『カイカイ反応通信』の記事『韓国人「台湾は日本統治時代をどう教えているのか…中学校の歴史教科書を見てみよう」』で見つけました。〔イルベの記事も元ネタはこちらのブログ:http://egloos.zum.com/chiculture/v/4113361〕

 

Taiwan_textbook01

 

中国語が分からなくても大体内容は理解できると思いますが、日本統治時代の経済発展について説明しています。日本人なら理解できますが、台湾に対して行った事と朝鮮半島に対して行った政策は殆ど同じです。

尤も、台湾は李登輝総統のような方がいたから、このように事実を教える事ができるようになったとは思いますが。更に、戦後の国民党の統治が「白色テロ」と呼ばれる暗黒の時代で、日本統治時代の良さを理解できたという事もあるでしょう。

なお、元ネタのブログでは、さんざん台湾の教科書を紹介した後に、「日本は中国や韓国と違う方法で台湾を統治したようです」と結論づけていて、ガックリときました。

同じだっちゅうに!w

 

柳教授のコラムを読むと、台湾では中学生でも簡単に理解できる事を、韓国では大学生ですら混乱してしまう、というのが分かります。

以下、機械翻訳ママです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

http://www.newdaily.co.kr/site/data/html/2021/09/05/2021090500066.html
[류석춘 칼럼] 김병헌의 '빨간 수요일'… 그리고 '발전사회학'
【コラム】キム·ビョンホンの「赤い水曜日」 そして「発展社会学」
2021-09-06

2019年9月17日、定年を1年残した筆者は、延世(ヨンセ)大学の講義室で受講生たちと熱い討論をした。 この講義は、大韓民国が発展したと認めるなら、その理由が何なのかを明らかにしようという「発展社会学」の講義だった。 この10年間、筆者は同じ方式で講義をしてきた。

いつものように講義の始まりは「大韓民国の発展における日本の植民地時期の役割をどのように評価すべきか」というテーマを取り扱った。 植民地時代を「収奪」の時代に近づけると、建国後に行われた韓国の飛躍的発展過程を完全に理解し難いという筆者の見解を先に伝えた。

この問題提起を学生に受け入れさせるためには、次のような質問をおおむね続けなければならない。 「1961年の5.16以降に行われた高度成長は、朴正熙(パク·チョンヒ)政権の役割のために可能だったのでしょうか」という質問に対し、学生たちは大部分違うと反応する。 そして原論的なそれで本当はやらない話をする。 国民が共に熱心に努力したからだ」と。

筆者の質問が続く。 「国民が熱心に働かなかった時期がありましたか」 「北朝鮮が貧しいのは北朝鮮住民が一生懸命働いていないからですか?」「後進国の国民も熱心に努力しなくて後進国になったのか?」このくだりに来ると学生たちの抵抗がかなり弱まる。

質問は続く。 「それなら朴正熙(パク·チョンヒ)政権の前段階である李承晩(イ·スンマン)政権の役割が大韓民国の発展に寄与した側面はないでしょうか」と再び学生たちは否定的だ。 親日派が建てた国なのに、韓国戦争がすべてを破壊したのに、戦争後は援助経済がすべてだったのに、不正腐敗が蔓延していたのになどの理由を取り上げ、絶対に違うと反応する。

ここで李承晩(イ·スンマン)政府の役割に対する論議に飛び込まないことが重要だ。 なぜならまだ学生達が心の準備ができていないからだ。 代わりに次の質問に移る。 「では、皆さんは朴正熙(パク·チョンヒ)でも認めず、李承晩(イ·スンマン)でもないというのだから、結局、その前の段階の日本が植民支配時代に発展の種がまかれたと考えるのか」という部分で、学生の大半は当惑しているという反応だ。

しかし筆者は質問を続ける。 発展が空から落ちたものでなければ、発展の歴史的ルーツがなければならないが、朴正熙でもなく李承晩でもないなんて、植民地の時期にならざるを得ないのではないでしょうか。 「まさか皆さんは国を移譲した旧韓末が大韓民国の発展の起源だと思いますか?」

「旧韓末から35年、植民地支配で搾取され、米軍政3年パスし、李承晩(イ·スンマン)12年も否定し、突然朴正熙18年とつながり、発展を遂げたんですか?」「それも私でもないなら、大韓民国の発展は根も葉もなく突然現れた朴正熙という人物の個人的なカリスマのおかげだと見るべきでしょうか。”

生徒たちの黙り込みが続く。 今まで生徒たちに伝わった現代史教育にはこのような質問が全く投げかけられなかった。 このような質問に露出して初めて、学生たちの脳には植民地時期と李承晩時期を再評価する必要があると考える空間が設けられる。 だからといって、ここで論争が終わるわけではない。 論争は次の段階でさらに激化する。

 

2.「反日種族主義」

植民地時代についての説明も大きな障害物と出会う。 「植民地時代は収奪と近代化が共存する時期」という筆者の主張は始まりから抵抗にぶつかる。 学生たちは、「収奪は当たり前だが、近代化というとんでもない話だ」と一蹴する。 「西欧を勉強して作った日本の近代システムが韓国に強圧的に移植されるきっかけが植民地だった」という筆者の説明は、だから日本に感謝すべきかという学生たちの皮肉につながる。

「政治的には朝鮮が日本の植民地になって差別を受けたのは事実だが、同時に社会·文化的には朝鮮が自ら抜け出せなかった伝統社会のくびきを日本がはがしたのではないか」という筆者の反問に学生たちは戸惑うこともある。 しかし、日本がそうしたのは私たちのためではなく、日本のためであるだけという主張に移る。 「日本のためのものではあるが、結果的に韓国の近代化に役立たなかったのか」という筆者の対応は結果論という非難を甘受しなければならない。

「学校、工場、監獄のように時間を管理する'監視と処罰'システムが他でもない近代」というフーコを動員し、筆者は「日本が朝鮮を近代に訓育した」と説明を続ける。 他の国の植民地経験とも比較しながら「植民地は全地球的に近代が広がる過程とも見ることができる」と付け加えた。

学生たちはそれなら植民地の独立闘争が「反近代闘争」なのかと反問する。 これに対して筆者は「植民地の独立闘争は政治的独立のためのものであり、社会·文化的に近代から独立して伝統に回帰しようという闘争ではない」と付け加えた。

「植民地住民を代弁する国会議員がおらず、軍隊にも行けずに税金だけを負担する矛盾を解決するために政治的独立が必要なのは確かだ。 しかし班常、庶얼と遷出、そして男女(男女)という身分の区別をなくし、すべての人を対象に普通教育を行う時代が植民地とともに来たが、それを再び伝統に戻そうとするのは不合理なことではないか」と再び筆者が言い返す。

学生たちはそのように次元を分けて分析的に接近すれば、植民地という差別の総体的な性格を薄める問題が生じると対応する。 総体的に接近する学生たちの立場で最大の障害は、他の何よりも経済的次元の問題を議論することから登場する。 「コメを奪い、土地を収奪し、徴用で労働を搾取し、慰安婦を強制的に連れていったなど、私たちが知っている歴史が事実に基づかない"反日種族主義"的思考の産物だという最近の研究成果を紹介」すれば、最初は全く信じようとしない。

しかし、李ヨンフン、金ナクニョン、チョン·アンギ、李ウヨン、チュ·イクジョンなどの学者たちが主導した植民地近代化論の研究成果を説明し、また彼らの論文と本を直接読まれると、学生たちは相当な衝撃を受ける。 その一方で、少しずつその妥当性を受け入れている。 彼らの論理と資料がそれだけしっかりしているからだ。 「日本と造船が単一市場に縛られて発生した人的·物的交換の結果、コメが輸出され、土地が取引され、契約によって労働者が海外に進出した」ことを学生たちが初めて悟るようになる。

◇ ◇ ◇ ◇

 

コラムはこの後、金柄憲(キム・ビョンホン)博士の『赤い水曜日』を紹介して、この本がもっと早く出ていたら...みたいな話になるのですが、ここでは省略します。〔機械翻訳をコピペするだけなので、次のエントリーでご紹介します。〕

 

これを読むと、韓国人に論理的に思考させる事が如何に難しいかがよく分かります。

結論が重要で、そこに至る経緯を考えない、努力をしないというのは様々な分野に於いてブログ主が韓国社会に感じる点ですが、そういう訓練を受けてないのでしょう。

更に、歴史的事象を「善・悪」の判断を付けて論じる風土もあるでしょう。

ブログ主は、慰安婦問題に関しては、固定観念を崩せる可能性があると思っています。しかし、韓国人がこの思考方法を変えない限りは、日韓関係など良くならないと思っています。

 

 

  


 

 

 

2021/05/12

【韓国】臨清閣と民族精気【2017年8月15日の文在寅大統領の演説】

韓国の捏造された歴史により日本統治時代を悪とする代表的な例は「慰安婦」や「徴用工」などが有名ですが、韓国メディアの報道を見ていると、これ以外にもしばしば反日を煽動する記事を目にします。

その一つのキーワードは「民族精気」(민족정기:ミンチョクチョンギ)です。

例えば、2017年8月15日の「光復節」の文在寅大統領の演説にはこのような一節がありました。(訳は『The New Stance』より借用)

 

尊敬する独立有功者の遺家族の皆さん、

慶尚北道安東に「臨清閣」という由緒ある家があります。
臨清閣は日帝による強制占領期に全財産を処分し満州へと亡命し、新興武官学校を建て、武装独立運動の土台を作った石洲・李相龍(イ・サンリョン)先生の本家です。9人もの独立闘士を輩出した独立運動の産室であり、韓国のノブレス・オブリージュを象徴する空間です。
彼に対する報復で日帝はその家を貫通するように鐡道を敷きました。99の部屋を持つ大邸宅であった臨清閣は今も半分になったままの姿です。
李相龍先生の孫息子、孫娘は解放後の韓国では孤児院で暮らしもしました。臨清閣の姿がまさしく、私たちが振り返るべき大韓民国の現実です。
日帝と親日の残滓をきちんと清算できずに民族の精気を正せませんでした。

 

ここで話題になっている「臨清閣」は下の建造物で、すぐ脇に鉄道が走っており、駅(安東駅-既に廃駅)は画像の手前に1kmほど進んだ所にあります。

 

20210512_minzokuseiki01

 

この路線は「中央線」と呼び、鉄道の高速化を目的に安東駅を西に移転するのに伴い、「日本人が壊した臨清閣を元の姿に復元して、民族精気を立て直す」というのが、引用した演説の趣旨です。

この「民族精気」は韓国人でも上手く説明ができないそうですが、風水と結びついたナショナリズムで、「感情」に属するもののようです。

日本人が壊した民族精気を立て直すために過去に韓国政府が具体的にやったことが、「鉄杭」撤去(日帝が『地脈(龍脈)』を断ち切るために打ち込んだ鉄杭の撤去)とか、「朝鮮総督府」の建物の破壊です。〔共に金泳三(キム・ヨンサム)政権時〕

「鉄杭神話」は『反日種族主義』にも書かれています。

民間の迷信は日本にも「~は縁起が悪い」という類いのものがあるので、龍脈だの風水だのはいいのですが、これを韓国は政府レベルで “日帝の悪行” と結びつけ、大統領が演説で言及したり、韓国メディアが未だにそれを煽る記事を書くのは問題があり、これを韓国人が容易く信じてしまうとしたら非常に未開です。〔Wikipedia『日帝風水謀略説』〕

最近も、韓国の『毎日新聞』が5月3日付けで『[単独]安東臨清閣前の鉄路撤去現場に「日帝鉄杭」?』という記事を書きました。(原文:[단독] 안동 임청각 앞 철로 철거현장에 '일제 쇠말뚝'?→カイカイ反応通信:独立運動家の聖地から日帝鉄杭発見?=韓国の反応

 

さて、問題の「臨清閣」ですが、文在寅の演説の後、朝鮮日報の週刊誌『週間朝鮮』がその誤解を解く記事(2017.10.02)を書いています。

『일제는 고의로 임청각을 훼손했나?』(機械翻訳:日帝は故意に臨清閣を毀損したのか?)というもので、長い記事なので、先に簡単に結論を書いておきます。

記事を読んでも土地勘がないのでピンと来ないのですが、要するに、先(1931年)に慶北線の終点である安東駅があり、その約10年後(1942年)に中央線と繋げるためには、当時はこの川沿いの路線が現実的であった、ということです。

 

鉄道絡みで似たような話を紹介すると、京釜線の廃トンネルの入り口に刻まれている「嶽神驚奔」(山の神が驚いて逃げた)という文字は、当時、駐韓公使であった「林権助」の言葉ですが、これを「日帝強制占領期間に韓国人の信仰と文化をばかにした歴史」だと報じる記事が最近ありました。

実際に、迷信深い朝鮮人をなだめすかしてなんとか工事を完成させた京釜鉄道の人が林権助の所に来て、記念に何か字を書いて下さいと頼むので書いたのが「嶽神驚奔」だそうです。〔岩井尊人『林権助述 わが七十年を語る(1935)』の第44話「京釜鉄道が『嶽神驚奔』させる話」

ただそれだけの話なのですが、韓国メディアは悪意を持ってねじ曲げた記事にするわけです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

記事の内、解説部分だけ引用して翻訳します。

http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2017/09/04/2017090401583.html

 

20210512_minzokuseiki03

 

しかし、1942年の中央線開通より約10年前に入った安東(アンドン)駅の位置と近隣地域の等高線が表示された地形図を確認してみると、中央線の線路は嶺南(ヨンナム)山を背にして洛東江(ナクトンガン=川)沿いの臨清閣(イムチョンガク)経由が不可避だったという指摘だ。 いわゆる「民族精気毀損論」を主張する人は「国道5号線が敷かれたコースに沿って安東南後面から安東大橋を渡り、北後面を通れば栄州に接近する移動距離を減らすことができた」と主張するが、この場合、当時この一帯で最も大きな町であり慶尚北道線鉄道の終点である安東駅を経由できないという致命的弱点がある。

安東に初めて鉄馬が入ってきたのは、中央線開通10年前の1931年、慶北線の占村(チョムチョン)~安東(アンドン)区間の開通と共にだ。 安東は朝鮮時代まで「安東大都護府」と呼ばれ、権門世族が多く住んだ大きな村であった。 朝鮮総督府は1913年にすでに京釜線の鉄路が通過する慶尚北道·金泉から尚州~占村(ムンチョン(聞慶)~醴泉~安東をつなぐ鉄道を開設する計画を立てていた。 「朝鮮鉄道」という私鉄会社は鉄道敷設免許を取得し、朝鮮総督府が1913年にすでに告示した路線に従って118キロの慶北線線路を敷いた。 安東邑城の南門の外に「慶北安東駅」という名の鉄道駅を開設した。 安東大都護府があった今の安東市内のウンブ公園(旧安東郡庁跡)から直線で300mほど離れたところに位置した鉄道駅だった。 あえて'安東駅'の前に'慶北'という名前を付けたのは'満鉄'(南満州鉄道株式会社)がすでに運営中だった'安東駅'(今の中国丹東駅)があったからだ。

問題になる中央線の鉄路が臨清閣(イムチョンガク)の前を通るようになったのは、安東に鉄道が敷かれてから10年余り経った1942年のことだ。 後日、満鉄総裁を務めた朝鮮総督府鉄道局長の大村卓一氏が立案した「朝鮮鉄道12ヵ年計画」に基づいて、京釜線·京義線に続く「第2韓半島縦貫鉄道計画」を立てながらだ。 こうした計画により1935年慶尚北道慶州から永川~義城~安東~栄州~堤川~原州~楊平を経て清凉里(チョンニャンニ、東京城域)に至る路線が確定した。 翌年の1936年に着工した中央線は、1942年に「京慶線」という名で開通した。 京城と慶州をつなぐという意味だ。

当時、中央線の鉄路を開設する時は、1937年の日中戦争の勃発で物資が不足していた時だ。 既存の線路を最大限利用しながら需要を確保することが不可避だった。 慶北北部最大の都市であり、当時までも慶北線の終点だった安東駅経由は当たり前だった。 現在は中央線·慶北線·嶺東線の3つの鉄路が交差する栄州駅が慶北北部鉄道交通の中心だが、当時は安東駅が鉄道交通の要地だった。 慶北線の終点が安東駅から栄州(ヨンジュ)駅に変更されたのは、朴正煕大統領時代の1966年、慶北線と嶺東線を栄州から直結させてからだ。 現在、栄州にある韓国鉄道公社慶北本部の前身である鉄道局は、1964年まで安東駅にあった。

すでに開設された安東駅を基点に鉄道が栄州に北上する場合、洛東江の堤防に沿って遡るが、安東の裏山である嶺南山の渓谷に沿って栄州に接近することは避けられない。 河川の堤防上に鉄道を敷設することは、日帝時代によく使われた方法だ。 鉄道開設と土地収用による民家被害を最小限に抑えることができ、鉄道開設とともに河川堤防を補強して夏の洪水に備えることができる様々な長所がある。 京釜線も密陽江(ミルヤンガン)と洛東江(ナクトンガン)堤防に沿って釜山に向かう。 ソウルでも京ウォン線(現·京義中央線に編入)の鉄路が漢陽(ハンヤン)都城を避けて漢江と中浪川(チュンランチョン)の堤防道に沿って北上することが確認できる。 さらに安東は、朝鮮時代の1605年、乙巳(ウルサ)年の大洪水時に安東邑城が崩れ、邑城門が流されるほど洪水に脆弱だった。 安東が洪水被害から解放されたのは、1976年の安東ダムの築造後だ。

急回転が難しい鉄道の特性上、安東駅から90度に方向を曲がって栄州に北上するためには、民家が密集している安東邑城を通らなければならない。 利害関係が複雑に絡んでいる都心のど真ん中に線路を開設するのは、今も頭の痛いことだ。 安東邑城の昔の地図を確認してみると、中央線の線路は民家被害を最小化するため、安東邑城南門の外の安東駅から東門の外に出た臨清閣の前を通る路線を確定したことが確認できる。 安東駅と林青閣はわずか1キロしか離れていないため、線路が避けるにはほど近い。

中央線敷設の際、安東駅を経由して洛東江(ナクトンガン)を横断する洛東江鉄橋が架けられたのも安東駅の重要性を傍証している。 安東洛東江(アンドン·ナクトンガン)鉄橋は、中央線敷設時の1938年に竣工した。 1934年に竣工した安東橋(人道橋)と並んで建設された。 日本による植民地時代 鉄道敷設の際、陸上工事に比べて費用が多くかかり、空気が長くかかる橋梁敷設を避けようとしたことは珍しくなかった。 湖南(ホナム)線を敷設する際、大田(テジョン)を分岐点に決めた理由は、錦江(クムガン)橋梁建設にかかる建設費用の増加と工期の遅延を防ぐためだった。 大田から分岐する場合、既存の京釜線の橋梁をそのまま活用することができた。 橋梁を架けたということは、それだけ重要度が大きかったという証拠だ。

民族の精気を断ち切るために、臨清閣の前に線路を敷いたということは、時期的にも合致しない。 1913年6月、臨清閣の堂主だった李相龍が臨清閣を日本人の岡間房次郎に売り渡したことは、2015年に初めて発見された売買契約書により確認された。 日本人の手に渡った臨清閣は、売られてから2ヵ月後、別の故·李氏一家に再び買収されたが、すでに李相龍先生の手を離れた状態だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下、記事の該当部分(原文)を引用

'나의 문화유산답사기'에 소개

유홍준 교수의 지적처럼, 임청각은 조선시대 민간 주택의 규모 상한선인 99칸 주택이다. 일제 때 집 앞으로 중앙선 단선철로가 개설되면서 99칸의 가옥 중 30칸 정도를 철로 개설을 위해 수용당해 지금은 70칸 정도만 남아 있다. 이 같은 역사적 사실에 임청각이 상하이임시정부 초대 국무령을 지낸 석주 이상룡(李相龍·1858~1932) 선생의 생가란 점과 맞물려 "일제가 민족정기 훼손을 위해 고의적으로 집 앞으로 철길을 냈다"는 설이 마치 정설처럼 돼버렸다. 문재인 대통령이 8·15 경축사에서 언급한 "그에 대한 보복으로 일제는 그 집을 관통하도록 철도를 놓았다"는 말에는 이런 시각이 고스란히 배어 있다.

하지만 1942년 중앙선 개통보다 10여년 앞서 들어선 안동역의 위치와 인근 지역의 등고선이 표시된 지형도를 확인해 보면 중앙선 철길은 영남산을 등지고 낙동강가에 있는 임청각 경유가 불가피했다는 지적이다. 소위 '민족정기 훼손론'을 주장하는 사람들은 "5번 국도가 놓여진 코스를 따라 안동 남후면에서 안동대교를 건너 북후면을 지나면 영주로 접근하는 이동거리를 줄일 수 있었다"고 주장하지만, 이 경우 당시 이 일대에서 가장 큰 고을이자 경북선 철도의 종점인 안동역을 경유하지 못하는 치명적 약점이 있다.

안동에 처음 철마(鐵馬)가 들어온 것은 중앙선 개통 10여년 전인 1931년 경북선 점촌(문경)~안동 구간 개통과 함께다. 안동은 조선 때만 해도 '안동대도호부(大都護府)'로 불리며 권문세족들이 많이 살던 큰 고을이었다. 조선총독부는 1913년 이미 경부선 철로가 지나가는 경북 김천에서 상주~점촌(문경)~예천~안동을 연결하는 철로를 개설할 계획을 세워두고 있었다. '조선철도(조철)'라는 사설철도(私鐵)회사는 철도부설 면허를 획득해, 조선총독부가 1913년 이미 고시한 노선에 따라 118㎞의 경북선 철로를 놓았다. 안동읍성(邑城)의 남문 밖에 '경북안동역'이란 이름의 철도역을 개설했다. 안동대도호부가 있던 지금의 안동 시내 웅부공원(옛 안동군청 터)에서 직선으로 300m가량 떨어진 곳에 자리한 철도역이었다. 굳이 '안동역' 앞에 '경북'이란 이름을 붙인 것은 '만철(滿鐵·남만주철도주식회사)'이 이미 운영 중이던 '안동역'(지금의 중국 단둥역)이 있었기 때문이다.

문제가 되는 중앙선 철로가 임청각 앞을 지나게 된 것은 안동에 철도가 들어온 지 10여년이 지난 1942년이다. 후일 만철 총재를 지낸 조선총독부 철도국장 오무라 다쿠이치(大村卓一)가 입안한 '조선철도 12개년 계획'에 따라 경부선·경의선에 이은 제2 한반도 종관(縱貫)철도 계획을 세우면서다. 이 같은 계획에 따라 1935년 경북 경주에서 영천~의성~안동~영주~제천~원주~양평을 거쳐 청량리(동경성역)에 이르는 노선이 확정됐다. 이듬해인 1936년 착공한 중앙선은 1942년 '경경선(京慶線)'이란 이름으로 개통됐다. 경성과 경주를 잇는다는 뜻이다.

당시 중앙선 철로를 개설할 때는 1937년 중일전쟁 발발로 물자가 부족할 때다. 기존 철로를 최대한 이용하면서 수요를 확보하는 것이 불가피했다. 경북 북부 최대 도시이자, 당시만 해도 경북선의 종점이었던 안동역 경유는 당연했다. 지금은 중앙선·경북선·영동선 등 3개 철로가 교차하는 영주역이 경북 북부 철도교통의 중심이지만, 당시만 해도 안동역이 철도 교통 요지였다. 경북선의 종점이 안동역에서 영주역으로 변경된 것은 박정희 대통령 때인 1966년 경북선과 영동선을 영주에서 직결시키면서다. 지금 영주에 있는 한국철도공사 경북본부의 전신인 철도국은 1964년까지만 해도 안동역에 있었다.


이미 개설된 안동역을 기점으로 철길이 영주로 북상할 경우 낙동강 제방을 따라 거슬러 올라가다가 안동 뒷산인 영남산 계곡을 따라 영주로 접근하는 것이 불가피하다. 하천 제방 위에 철길을 부설하는 것은 일제 때 흔히 쓴 방법이다. 철로개설과 토지수용에 따른 민가 피해를 최소화할 수 있고, 철도개설과 함께 하천 제방을 보강해 여름철 홍수에 대비할 수 있는 여러 장점이 있다. 경부선도 밀양강과 낙동강 제방을 따라 부산으로 간다. 서울에서도 경원선(현 경의중앙선에 편입) 철로가 한양도성을 피해 한강과 중랑천 제방길을 따라 북상하는 것을 확인할 수 있다. 게다가 안동은 조선시대 때인 1605년 을사년 대홍수 때 안동읍성이 무너져내리고 읍성문이 떠내려갈 정도로 홍수에 취약했다. 안동이 홍수피해로부터 해방된 것은 1976년 안동댐 축조 후다.

급회전이 힘든 철도의 특성상 안동역에서 90도로 방향을 꺾어 영주로 북상하려면 민가가 밀집한 안동읍성을 지나가야 한다. 이해관계가 복잡하게 얽힌 도심 한복판으로 철로를 개설하는 것은 지금도 골치 아픈 부분이다. 안동읍성의 옛 지도를 확인해 보면 중앙선 철길은 민가 피해를 최소화하기 위해 안동읍성 남문 밖 안동역에서 동문 밖으로 난 임청각 앞으로 지나가는 노선을 확정했음을 확인할 수 있다. 안동역과 임청각은 불과 1㎞ 거리로 철로가 피해가기에 지나치게 가깝다.

중앙선 부설 시 안동역을 경유해 낙동강을 가로지르는 낙동강철교가 놓인 것도 안동역의 중요성을 방증한다. 안동 낙동강철교는 중앙선 부설 때인 1938년 준공됐다. 앞서 1934년 준공된 안동교(인도교)와 나란히 놓였다. 일제강점기 철도 부설 때 육상공사에 비해 비용이 많이 들고 공기가 오래 걸리는 교량 부설을 피하려 한 일은 흔했다. 호남선을 부설할 때 대전을 분기점으로 정한 까닭은 금강교량 건설에 드는 건설비용 증가와 공기지연을 막기 위해서였다. 대전서 분기할 경우 기존 경부선 교량을 그대로 활용할 수 있었다. 교량을 놓았다는 것은 그만큼 중요도가 컸다는 방증이다.

민족정기를 끊으려 임청각 앞으로 철길을 놓았다는 것은 시기적으로도 부합하지 않는다. 임청각 당주(堂主)였던 이상룡 선생이 1913년 6월 임청각을 일본인 오카마 후사지로(小鎌房次郞)에게 매도한 것은 2015년 처음 발견된 매매계약서를 통해 확인됐다. 일본인 손에 넘어간 임청각은 팔린 지 두 달 만에 다른 고성 이씨 일가에 재인수됐지만 이미 이상룡 선생의 손을 떠난 상태였다.

이상룡 선생이 만주에서 신흥무관학교를 세운 것은 1911년, 임시정부 초대 국무령을 지낸 것은 1925년부터 1926년까지다. 중앙선 노선계획을 확정한 1935년보다 3년 전인 1932년 이상룡 선생은 이미 사망한 터였다. 게다가 중앙선 착공 당시는 1932년 이봉창·윤봉길 의사의 잇단 의거 이후 일제가 불온한 조선인으로 부른 소위 '불령선인(不逞鮮人)'에 대한 대대적인 단속이 이뤄지면서 독립운동은 사실상 와해상태에 있었다.

민족정기 훼손 주장이 맞다면 왜 일제가 뒤늦게서야 민족정기를 끊으려 나섰는지가 먼저 규명돼야 한다. 중앙선이 개설된 1930~1940년대는 세상물정에 어두운 유림(儒林)을 중심으로 철도에 대해 막연한 거부감을 보였던 구(舊)한말과 달리 철도의 중요성에 이미 눈뜬 시기다. 한때 번성했던 상주, 공주, 청주 등 대고을이 간선철도 노선에서 비껴가면서 몰락한 반면, 허허벌판이었던 대전은 경부선과 호남선 철도가 들어오면서 충남도청까지 옮겨올 정도로 급부상했다. 전국 각지에서 지역 유지들과 일본인 거류민을 중심으로 철도개설 청원이 오히려 활발했을 때다.

결국 중앙선 부설과 함게 임청각 일부가 수용돼 헐린 것은 사실이지만, 그 이유가 민족정기를 끊으려 했는지는 단정할 수 없다. 다만 여러 정황을 따져봤을 때 당시 상황에서 중앙선을 부설하면서 안동역에서 1㎞ 떨어진 낙동강변의 임청각을 경유하는 것은 불가피했다. 오히려 안동 관내를 통과하는 중앙선 철길 옆에 남아 있는 법흥동 칠층전탑, 안동역 주차장의 운흥동 오층전탑과 같이 철도부설에 따른 문화유산 파괴를 최소화하려는 흔적들이 여럿 있다. 임청각을 민족정기 훼손과 연관해 보는 것은 일제 때 벌어진 모든 일을 선악(善惡) 구도 속에서 바라보는 과도한 피해망상에 다름 아니다.

 

 

  


 

 

 

2021/01/23

【創氏改名】朝鮮人の名前と戸籍制度/朝鮮人に人間らしい名前を付けるように指導したのは朝鮮総督府

このエントリーは、前回のエントリー(『【湿TV動画】創氏改名の真実/창씨개명의 진실』)でご紹介した京都大学の『朝鮮人の名前とその歴史』という講義資料を読んで理解したことを纏めることが目的です。

最初に結論から書くと、以下のようになります。

 

朝鮮総督府は統治時代に日本の「イエ」の概念を朝鮮に導入し、それまであった戸籍を日本式に改めました。改名は規則の範囲内で自由(許可制)でしたが、日本風の名前は禁止しました。(1911年10月26日付け朝鮮総督府令 第124号『朝鮮人ノ性名改称ニ関スル件』/前回エントリー参照)

しかし、朝鮮人(当時は朝鮮系日本人)が日本風の名前を欲し、これを許可したのが1939年に官報で公示された創氏改名の「改名」です。同時に「創氏」(家族姓)をつけることを義務化しました。この2つの届出が1940年2月11日~8月10日の6ヵ月間と、同時に行われたので誤解されているわけです。(過去のエントリー『「創氏改名」について多くの日本人も勘違いしていること』参照)

この間、朝鮮人の名前については、様々な改革が行われました。併合以前との最も大きな違いは、奴婢も姓名を持てるようにし、戸籍から「身分」の記載を削除し、人間らしい名前をつけるように指導したことです。

  

以下、時系列に見ていきます。

 

1897年 光武改革による戸籍の作成(光武戸籍・新式戸籍)

光武(광무/1897年 - 1907年)というのは朝鮮の元号で、光武元年10月に国号を大韓帝国に改称します。(cf. 1895年(明治28)4月、下関条約→清に朝鮮の独立を認めさせ大韓帝国が成立。)

これによって行われたのが「光武改革」で、戸籍の改革も行われました。(この改革を持ってして「朝鮮は自力で近代化できた」という主張もあるが、実態はどうだったのかはリンク先のイザベラ・バードの批評を参照)

光武戸籍は図-3のようなもので、男系の先祖が記載されており、女性(妻)の名前はありません

『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(崔吉城著/ハート出版)によると、崔教授の母上は1898年(明治31年)生まれで、亡くなった時に戸籍を取り寄せたら、名前が無かったそうです。生前は「宅号」(出身地名+宅)で呼ばれていたと書かれており、上記を裏付けます。

 

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図-1

 

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図-2

「幼名」とは:(Wikipedia『朝鮮人の人名/伝統的愛称』より引用

子どもの死亡率が高かった庶民の間では、死の使いに気付かれることなく長生きすることを願って、子供にはしばしば幼名(ko:아명、兒名 )が与えられた[20]。これらの愛称はしばしば侮蔑的であり、今日では子供にはあまり使われない[21]。
結婚すると、女性は大抵は幼名を失い、出身の町を示す「テッコ」(택호、宅号)によって呼ばれた[20]。

 

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図-3:韓国・国立中央博物館より

図-3の解説引用:1897年(光武1年)11月に作成した江原道旌善郡臨渓面三里下臨渓洞第3戸、李元在の戸籍表である。旌善郡印が押されている。
 朝鮮時代に作成された、家族事項を記して申告する書類である戸口単子と事なり、甲午改革以後新たに作成された戸籍表であることが特徴である。
 戸主李元在は55歳、本貫は全州、職銜は幼学、生業は農業で、正月20日卯の時に出生したと記している。
 四祖(父・祖父・曾祖父・外祖父)をみてみると、父は容聖、祖父は柳、曾祖父は洙天、外祖父は全鎬で、本貫は旌善である。妻沈氏は45歳で、2月19日生まれである。子供はなく、この戸は夫婦2人だけで構成されていた。あわせて、二間の藁屋を持っていると記されている。

 

1909年、民籍法制定。日本の戸籍制度導入。

これにより、女性にも名前がつけられ奴婢も本貫(男系血族の祖先発祥の地名)と姓を持つことになります。戸籍に身分を記載することも廃止しました。図-4で「民籍編製への抵抗」とありますが、これはおそらく両班が抵抗したのでしょう。以下は、Wikipedia『韓国併合/身分解放』より引用)

 

統監府は1909年、新たに戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった奴婢、白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた[38]。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府はこれを削除したのである。これにより、身分開放された賤民の子弟も学校に通えるようになった[38]。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された[39]。

 

また、1915年(大正4年)の官通牒240号では女性の名前のガイドラインが公布されます。

 

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図-4

 

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図-5

 

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図-6

 

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図-7

 

1911年(明治44年)日本風の名前の禁止(前回のエントリーより)

併合するやいなや日本風の名前を付ける者が現れたため、改名を許可制とし、日本風の名前を禁止します。

 

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図-8

 

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図-9

 

1925年(大正14年)朝鮮語固有語彙による命名の制限

 

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図-10

 

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図-11

 

「創氏改名」を話題にしたあるYouTubeのコメント欄で以下のようなコメントを見つけました。(機械翻訳ママ)身分の低い者の名前がどうだったのか想像できます。日本で在日朝鮮人の家族の元に生まれた李明博元大統領の父親の名前「ドクスェ」(덕쇠)がどんな語感なのか、ブログ主は韓国語が分からないのですが、惨めな名前だったのでしょう。韓国語のWikipediaによると1939年に「忠雨」と改名しています。

 

立場を変えてみよう。私が日帝だったら、あの未開の朝鮮人が私たちの偉大な日本人の名前を書くことを許さなかっただろう。したがって、創氏改名を非人道主義的とはいえない…。ところで日本が来る前は名前は両班(ヤンバン)だけ独占し、ほとんどの人は名前がなかった…ケトンイ、牛のフンイと呼ばれた…李明博(イ・ミョンバク)父の名がドクスェだったので、胸の痛い話だね。。。後で名前を変えたんだけどこれを戸籍洗濯したんだ…

 

1939年(昭和14年) 創氏改名

「イエ」の家族姓を義務化し、同時に、日本風の名前も許可しました。届出の実施は1940年2月11日~8月10日。(下記画像はWikimediaより直接表示)

 

Gazette of Government-General of Korea, 1939-11-10, page 1
図-12

 

 

  


 

 

 

 

2021/01/09

【湿TV動画】創氏改名の真実/창씨개명의 진실

韓国人Youtuber「湿TV」さんの新しい動画を観て、以前のエントリー『「創氏改名」について多くの日本人も勘違いしていること』で解説した『創氏改名』についてもう少し書いてみます。調べたら面白い記事が見つかったので。

 

 

『創氏改名』は1939年11月10日付けの官報で公布され、1940年に実施されました。

韓国では、女性は父親の姓を結婚しても名乗りますから、家族姓(氏/家族で共通した苗字)のようなものは無いわけで、動画では最初に「氏」と「姓」について説明しています。

『創氏改名』は実は「創氏」と「改名」の別々の制度であり、日本式の家族を単位とした戸籍制度を導入するにあたり、家族の「氏」(苗字)を付けること=創氏=を義務づけ、日本風の改名を許可(自由意志)したものなのですが、この2つの届出が1940年2月11日~8月10日の6ヵ月間と、同じ期間に行ったので誤解されています。(と言うよりも、誤解しやすいところにつけこんで、『創氏』と『改名』がセットだと、「反日」に利用されているのだと思います。)

そして、前述のエントリーでも説明したとおり、『氏設定ニ就テ御注意』という告知には、新たな「氏」を作るつもりがなければ、戸主の姓(夫の姓)を「氏」として戸籍に登録されるという説明されていました。(Wikimediaには丁寧に韓国語の対訳まで掲載されています。)

韓国では、日帝=悪というストーリーで、『創氏改名』はセットで強制されたものとされています。民族文化の抹殺だというロジックだからです。

そこで、動画に紹介されたブログには「創氏改名感謝状」なるものが登場します。

動画に出てくるブログはこちら(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=dseco&logNo=140019987572)ですが、創氏改名の感謝状として掲載されている表彰状は軍隊への寄付にに対するものだったり、国民学校の生徒の皆勤賞だったり...。創氏改名とは全く関係ありません。現代の韓国人が漢字が読めないとしても適当すぎますw 金田クンもビックリしてることでしょう。

 

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◇ ◇ ◇ ◇

 

さて、冒頭で言った面白い記事ですが、2003.12.19付け朝鮮日報の『日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼 1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"』(【機械翻訳】日本帝国の創氏改名強要文書発見 1940年6月、「全世帯申請するよう督励」)という記事で、以下に翻訳した内容をご紹介します。(翻訳ママ。原文は後述)

 

https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2003/12/19/2003121970022.html
日本帝国の創氏改名強要文書発見
1940年6月、「全世帯申請するよう督励」
朝鮮日報 入力2003.12.1905:54

日帝が「創氏改名」を強要したという事実を示す資料が、日本人研究者によって大田の政府記録保存所で発見された。

京都大学の水野直樹教授(韓国近代史専攻)は18日、政府記録保存所で、日帝時代に釜山地方裁判所長が管内の機関長に対し、創氏申請率が低調だとし、住民全員の創氏申請を督励した事実が盛り込まれた行政文書を見つけた、と毎日新聞電子版が報じた

水野教授が発見したこの文書は、釜山地方裁判所長が1940年6月12日付で管内の市町村長宛てに送った例規文書で、設定督に励関する件」というタイトルが付けられている。

朝鮮人の創氏申請期間は1940年2月11日から8月10日までだが、申請受付から4カ月が過ぎても、全世帯の10%のみ申請し、一部地域には3%以下の地域もあることを指摘、7月20日までに全世帯が創氏申請を終えるよう督励する内容が盛り込まれている

水野教授は「当時、朝鮮総督府は"創氏改名は強制ではない"と繰り返し強調したが、申請率が低いことから申請率を上げるため圧力をかけ、これを批判する人を逮捕するなど異議を申し立てることは許さなかった。 創氏改名を強要した実態がわかる資料」と述べた。

日帝が民族抹殺政策の一環として推進した朝鮮人の創氏改名は、申請後3ヵ月が過ぎても創氏を申請した世帯は全体の7.6%である32万世帯に過ぎなかったが、その後申請率が上がり、最終的に全世帯の80%である320万世帯が申請を終えたことになっている。

韓国近代史を研究する宮田節子早稲田大学講師は「この文書は創氏改名が強制的に行われたことを示している。 朝鮮総督が強く希望すれば、地方の責任者が成果を上げるために競争する構図がよく表れている。 当時、朝鮮総督府は自らが「やや行き過ぎだ」ということを認めてはいたが、あくまでも「(行き過ぎたものは)末端に過ぎない」と述べたが、その意味からも貴重な発見といえる」と評価した。

最近、日本では6月に麻生太郎自民党政調会長(現総務庁長官)が「創氏改名は朝鮮人たちが願って行ったもの」と妄言をした後、各種右翼雑誌が麻生の妄言を擁護する記事を相次いで出している。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

前述のように「創氏」(家族の苗字の届出)は義務なので、期間内に申請するように督励したのですが、それを「創氏改名」を督励→強制したとすり替えて研究結果が発表され、毎日新聞がそのまま報じたようです。

記事中に出てくる「氏設定督に励関する件」という通達は後ほどご紹介します。

そして、記事に名前が出てくる2人の教授をググってみた所、Wikipediaにエントリーがあり、一部抜粋すると...

 

水野直樹

「日本の植民地支配を肯定的に評価しようとする日本学界の流れに対抗し植民地近代化論を批判してきた」として、韓国の全南大学校から後廣賞を受賞した[1]。八木晃介、上田正昭らと共に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人も務めている[2]。

宮田節子

日本の朝鮮植民地を批判する立場で、自由主義史観研究会批判、新しい歴史教科書をつくる会批判[1]、日韓併合の不当を主張する「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」[2] などのアピールや声明に名を連ねてきた。

 

(´・ω・`)・・・

 

公正を期するために書くと、確かに、組織単位(学校など)で、改姓を推進した例があるようで、動画の中にも幾つか「創氏改名は強制では無い」という新聞記事が出てきますが、このような記事を朝鮮総督府が出させたのはそのせいもあるかもしれません。

 

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画像は動画よりキャプチャ

 

「創氏」は、特に「改名」しなければ、自動的に戸主の「姓」が家族姓となったのですが、2つの申請受付期間が同じだったこともあり、「日本風に改名しない」家族の場合も、期間中にその意思を示さないとならなかったのかと思います。届出がない場合、本当に戸主の姓を家族姓にしていいのかどうか確認ができません。

なお、上記記事中の水野教授の資料(論文ではなく、プレゼン資料のような体裁のPDF『朝鮮人の名前とその歴史』)も京都大学のサイトに見つかりました。表紙の日付が2005年12月9日・16日となっているので、この内容の講義を2003年以来、毎年行っているのかも知れません。

 

◆『氏設定督励ニ関スル件』とは?

『氏設定督励ニ関スル件』の文面は上記PDFファイル(P.98―以下にキャプチャ)で読めますが、はっきりと、「7月20日までに全戸数の届出を完了するよう~」と書いてはありますが、「改名」については書かれていません。

にもかかわらず、水野教授はこれを持ってして、「創氏改名」を強要した証拠だと言ったわけです。

 

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◆本当は、朝鮮人は日本名を名乗りたかった

上記PDFには他にもこんな記述を見つけました。(P.72)

 

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日韓併合(1910年)するやいなや、日本風の名前に改名する者がいた、という『毎日申報』1910年9月9日の記事です。

すると、(P.73)

 

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1911年10月26日付け朝鮮総督府令 第124号『朝鮮人ノ性名改称ニ関スル件』では、姓名改称を許可制にし、日本人風の姓名を禁止しています。(「運用で」とあるのは、受付の際に担当者が紛らわしい名前を却下したのでしょう。)

ということは、

改名を強制する迄もなく、
日本風に改名したい人が大勢いたということでは?

 

次のページ(P.74)にはその理由が書いてあり、「日本人と朝鮮人の差別化」とか「朝鮮在住日本人の優位性・優越感」だと水野教授は位置づけています。

 

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日韓2000年の真実』によると、内地(日本国内)で、勝手に日本名を名乗った詐欺事件などもあり、満州事変(1931年、つまり創氏改名以前)の頃、満州には100万人ほどの朝鮮人がいたそうですが、禁止されていたにも関わらず、ちゃっかり日本名に改名していたそうです。

そこで、日本人と紛らわしい名前を1940年まで禁止したのですが、動画でも湿TVさんが仰っていたように、日本風の名前を禁止したら「差別だー」、許可したら「民族文化の抹殺だー」。

まあ、左翼なんてこんなものです。

 

◆時系列

最後に、時系列を纏めておきます。

1910.08.29 併合
1910.09.09 『朝鮮申報』朝鮮人(朝鮮系日本人)が勝手に日本名を名乗っているという記事
1911.10.26 朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」: ①改名を許可制にし、②日本風の名前を付けることを禁じる。(②は1940年まで続く)
1939.11.10 『官報』政令第19号(創氏)、第20号(改名)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 届出期間

 

下は英語風に説明。

1910.08.29 annexation
1910.09.09 『朝鮮申報』Some Koreans changed their names to Japanese style names.
1911.10.26 government ordinance No.124(朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」): The government(朝鮮総督府/조선총독부)prohibited Koreans from changing their names to Japanese style.
1939.11.10 government ordinance No.19(創氏)、No.20(改名): The government ordered Korean to create a family name (no.19) and allowed them Japanese style names (no.20).
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 application period

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下は記事原文です。

 

日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼
1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"
조선일보
입력 2003.12.19 05:54

일제가 ‘창씨개명(創氏改名)’을 강요했다는 사실을 보여주는 자료가 일본인 연구자에 의해 대전의 정부기록보존소에서 발견됐다.

미즈노 나오키(水野直樹) 교토대학 교수(한국근대사 전공)는 지난 8월 정부기록보존소에서 일제시대 부산의 지방재판소장(일본인)이 관내 기관장들에게 창씨(創氏) 신청률이 저조하다면서 주민 전원의 창씨 신청을 독려한 사실이 담긴 행정문서를 찾아냈다고 18일 마이니치(每日)신문 인터넷판이 보도했다.

미즈노 교수가 찾아낸 이 문서는 부산지방재판소장이 1940년 6월 12일자로 관내의 시·정·촌(市·町·村)장 앞으로 보낸 예규(例規)문서로, ‘씨설정독려(氏設定督勵) 관한 건’이라는 제목이 붙어있다.

이 문서에는 조선인들의 창씨 신청기간이 1940년 2월 11일~8월 10일까지이지만, 신청 접수 후 4개월이 지나도록 전체 가구의 10%만 신청하고, 일부 지역에는 3%이하의 지역도 있다는 점을 지적하면서 7월20일까지 모든 가구가 창씨 신청을 마치도록 독려하는 내용이 담겨있다.

미즈노 교수는 “당시 조선총독부는 ‘창씨개명은 강제가 아니다’라고 거듭 강조했지만, 신청률이 저조하자 신청률을 높이기 위해 압력을 가했고, 이를 비판하는 사람들을 체포하는 등 이의를 제기하는 것을 허용하지 않았다. 창씨개명을 강요한 실태를 알 수 있는 자료”라고 말했다.

일제가 민족말살 정책의 일환으로 추진한 조선인들의 창씨개명은 신청 후 3개월이 지나도록 창씨를 신청한 가구는 전체의 7.6%인 32만 가구에 불과했으나 그후 신청률이 점점 높아져 최종적으로 전체 가구의 80%인 320만가구가 신청을 마친 것으로 돼 있다.

한국근대사를 연구하는 미야타 세쓰코(宮田節子) 와세다대학 강사는 “이 문서는 창씨개명이 강제적으로 이뤄졌다는 것을 드러내는 것을 보여주고 있다. 조선총독이 강하게 희망하면 지방 책임자들이 성과를 올리기 위해 경쟁하는 구도가 잘 드러나 있다. 당시 조선총독부는 스스로가 ‘다소 지나치다’는 것을 인정하기는 했지만 어디까지나 ‘(지나친 것은) 말단에 불과하다’고 했는데, 그런 의미에서도 귀중한 발견이라고 할 수 있다”고 평가했다.

최근 일본에선 지난 6월 아소 다로(麻生太郞) 당시 자민당 정조회장(현 총무청 장관)이 “창씨 개명은 조선인들이 원해서 실시한 것”이라는 망언을 한 이후 각종 우익잡지들이 아소의 망언을 옹호하는 기사들을 쏟아내고 있다.

 

 

  


 

 

 

 

2020/12/15

【韓国・反日種族主義】日帝はご先祖様が自由に使っていた山地を国有化し「はげ山」に勝手に植林した!【植民地収奪論】

5ch(5チャンネル)で面白い記事を見つけたので、覚え書きとして。

記事は朝鮮日報の雑誌「月刊『山』」の記事で、雑誌自体は登山愛好家のための情報誌らしいのですが、特集記事として、登山のメッカ智異山(チリさん 지리산)国立公園はかつてははげ山だったのを、日本統治時代、国有林化して植林をしたということが書かれています。

しかし、面白いのは雑誌社の電話取材に応じた大学教授で、「ご先祖様がはげ山にしてしまったのは生活のためであり、これを現在の尺度で批判するな」、「日帝が植林したのは、植民地収奪の手段であり、その証拠に木材や生産した炭で金儲けしていたではないか」という、いかにも反日種族主義的韓国人らしいアクロバティックな日帝批判をしています。

 

以下、記事(和訳)の引用、その後若干の補足をします。

 

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http://san.chosun.com/site/data/html_dir/2020/11/24/2020112401633.html
朝鮮日報(韓国語)[フォーカス] 100年前地理、700m以下低地帯は禿山
2020.12.10

「母なる山」智異山(チリサン)の100年前の姿を調べた論文が発表された。11月16日、国立公園論文公募展で最優秀賞を受賞した<日帝強制占領期間、文献を中心にした智異山国立公園の時代的状況考察>だ。

論文の著者はパク・ソクコン国立順天(スンチョン)大学山林資源・造園学部教授で、日帝強制占領期間、植物学者、中井猛之進と帝国大学演習林関係者が記録した智異山関連文献4冊を翻訳して当時の状況を分析した。同論文によれば、100年前の智異山の姿は今の植生と全く違っていたという。

 

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박석곤 교수(パク・ソクコン教授)
전공/학위(専攻学位):
조경수목, 환경생태/ 이학박사(造園樹木、環境生態理学博士)

 

不明瞭な政局が続いた朝鮮末期、山林管理がまともになされず、地域住民が堆肥や燃料、農機具材料などを得るために山林伐採を継続したからだ。東京帝国大学演習林報告書には1925年当時、智異山一帯の約70%が一時的あるいは永久的無立木地(木が殆どない山林)で、樹林を形成する場所は28%だったとある。

植物群落もやはり現在とははっきりと異なっていた。朝鮮総督府と九州帝国大学がそれぞれ1915年と1934年に作成した植生分布図と2018年国立公園公団精密植生図を比較するとアカマツ林は18.18%から7.29%に急減し、モンゴリナラ群落は11.87%から41.78%に急増したことが分かった。これは長く智異山圏が保存され、自然な森の遷移過程が進んだものと解釈される。

一方、当時記述された文献は「日帝強制占領期間、日本帝国大学が智異山に研究目的で演習林(現在の学術林)を設置し、造林事業を進めながら地域住民の焼き畑と山林伐採を禁止して山林保護に寄与した」と記述した。

 

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日帝強制占領期間、徳坪(トクピョン)峰一帯の焼き畑の村。資料国立公園公団

 

しかし、パク・ソクコン教授は本紙との通話で断片的に解釈すれば日本帝国大学が智異山保全に尽くしたように見えるが、歴史的真実はそうではない」と一蹴した。

当時、智異山に演習林を設置した大学のうち九州帝国大学と京都帝国大学は関連学科の農学部がないのに演習林を設置した。これは明確に研究目的より経済的利益を創出するために演習林を設置したという意味です。実際に地域住民に演習林で伐採した木や生産した炭を販売した記録もある。つまり演習林は植民地収奪の手段だったという事だ。」

パク教授は付け加えて「今の定規で当時の地域住民たちの山林利用を判断してはならない」として「当時のご先祖に低地産地は保存対象でなく唯一の生計の手段だった。日本人たちは植民地支配層の認識で彼らをあたかも未開な環境破壊犯のように追い立てた」と話した。

演習林設置によって智異山で暮らしてきたご先祖は生活の基盤を失うことになった。私はこのご先祖と今の国立公園内部や近隣で暮らす地域住民が重なるとみている。過去の歴史を教訓にして地域民を管理対象でなく国立公園保全のための協力者として参加できるよう政府が出て助けるべきだと思う。」

 

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京都大学百年史編集委員会編『【部局史編 2】第12章: 農学部附属演習林』(PDF)によると、農学部が設置されたのは1923年(大正12年)で、その14年前の1909年(明治42年)に、帝国大学の基本財産及び維持管理、そして林学に関する研究・教育の場として台湾総督府より山林の移管を受けて演習林を設置、1912年(大正元年)に朝鮮演習林、1915年(大正4年)の樺太演習林等を経てのものです。

つまり、農学部設置前ではありましたが、その準備期間とも言える状態で実績もあり、経済目的と演習を両立させるものです。また、当然の事ながら、育苗などは国費で行われていますし、はげ山からのスタートですから収益化するまでコストが掛かる。営林には間伐も欠かせず、炭作りはそれを有効利用するものです。

これに対して、パク教授は「明確に(・・・)研究目的より経済的利益を創出するため」と妄想で批判しています。

実に反日韓国人らしい妄想です。

 

「(はげ山にしたご先祖様を)未開な環境破壊犯のように追い立てた」と言っていますが、未開なのは朝鮮末期の社会システムに他ありません。

朝鮮では、古来より山野は「無主公山」と呼ばれ、地元住民による一種の入会権が認められていたため無断開墾は罪となら”なかったのだそうです。(Wikipedia『火田民』より/火田は日本で言う焼き畑)

「一種の入会権」とは書かれていますが、日本の「入会(いりあい)」とは、資源を保全しながら共同利用するためのルールがあります。しかし、そうしたルールがない日本統治以前の朝鮮では、住民は山で自由に薪用の木を切ったり、土地を持たない農民は勝手に焼き畑をして農地を作って生活していました。その結果が、前掲の写真の光景となります。

森林の「収奪論」については『反日種族主義との闘争』において李宇衍(イ・ウヨン)博士が「15 事実と逆である林野収奪論」で反論していますが、土地の所有権が明確ではなかった朝鮮時代は投資をせずに消費のみ行うため、資源を枯渇させてしまいました。

朝鮮総督府が真っ先にやったことは土地調査事業(1910~1919年)で、土地を測量し、私有地と公有地(国有地)とを分け、私有地の境界を明確にしました。上記本によると、これと並行して、山林の復興と林野調査事業も行っています。(明確では無いものの)林野の所有地らしき者を「固有林の縁故者」と呼び、事実上の所有者として扱い、彼らの権利を保護しました。そして、縁故者のいない林を国有林としたのです。

そこに国費を投じて(投資)、収益を上げるのは当たり前のことではありませんか。

おそらく、ここで問題となるのは小作人でもなく、土地を持たない「火田民」でしょう。朝鮮総督府は火田民対策を行い、解放した農耕地に移住させるという政策を行いますが、特に江原道(現在の38度線をまたいで日本海側に広がっていた道で、現在は北と南に江原道がある。北朝鮮側には観光で有名な金剛山がある。)には最後まで火田民が残り、韓国語のWikipedia『火田民』によると、1968年の「火田整理法」でようやく火田整理が終結したそうです。

このパク教授は、全体的には成功した土地改良事業を「断片的」とし、本来断片的である、「ルールが明確化されたことによる不自由」や「救済が遅れた人々」を持ってして否定をするという、いかにも「反日種族主義的韓国人」らしい批判をしているのです。

  

 

  


 

 

 

2020/11/08

【韓国】庚戌国恥(日韓併合)を象徴する写真「景福宮に掲げられた日章旗」の嘘

韓国では様々な捏造写真を使って反日教育が行われています。

国共内戦(中国の内戦)の写真を日本軍の蛮行の証拠としたり、最近では日本人労働者の写真を「朝鮮半島出身強制徴用労働者」として教科書に掲載したり...

こういうものは日本人の目に留まり、それなりに反論できますが、目立たない小さな捏造もあることが「湿TV」さんのこちらの動画(경복궁의일장기【景福宮に日章旗】)で解説されています。

 

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このYouTubeチャンネルの管理者は日本に在住している韓国人で、所謂「old comer」(在日○世)ではなく、new comerと呼ばれる、最近いらした方で、韓国語で韓国の反日病を批判する動画を発信しています。最近の動画は日本語の字幕をつけているので、日本人視聴者も増えたようですが、韓国人の方のコメントを読むと、真実を知っているのに、それを語り合う仲間がいない韓国人の避難場所のような印象を受けます。まるで、「王様の耳はロバの耳」(言いたいことを井戸に向かって叫ぶという寓話)というイソップ童話の井戸のようなものです。

 

問題の写真(景福宮に掲げられた日章旗)の詳しい解説は動画に譲りますが、1910年の「庚戌国恥」(日韓併合の恥辱)を象徴するものとして頻繁に使われるというこの写真は、実は1915年の「朝鮮物産共進会」の時のもので、併合後、主がいなくなって公園化された景福宮(王宮)を会場とした博覧会の一コマです。要するに、イベントだから日章旗を掲げているに過ぎないわけです。

それを、「併合すると真っ先に王宮に日章旗を掲げて我々に屈辱を与えた」という趣旨のプロパガンダに使っているとは知りませんでした。

 

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朝鮮物産共進会のポスター

 

ところで、「朝鮮物産共進会」は博覧会と書きましたが、「1915年朝鮮物産共進会の構成と内容」(李泰文)という論文(PDFファイル)に詳しく解説されいるように、主目的は併合後5年経っての統治の成果を内外に知らしめる為だとは思いますが、その内容を見ると、映画や朝鮮の伝統公演を含むショーがあったり、記念飛行(動画で解説されていますが、今で言うとブルーインパルスによる飛行ショーのようなもの)、宝探しゲームや福引きがあったりと、娯楽の部分も大きかったようで、前述の論文によると、来場者の内訳は以下の通りで、多くの朝鮮人(この時点では「朝鮮系日本人」)が見物に訪れています。

 

朝鮮物産共進会の入場客数

内地人 昼 206,039人 夜  93,502人
朝鮮人 昼 472,503人 夜 254,651人
支那人 昼  3,326人 夜  1,333人
外国人 昼  1,705人 夜   938人
無料者 昼  88,953人 夜  41,214人

総計 1,164,383名

 

なお、話が前後しますが、景福宮は秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で王が逃げ出した為、朝鮮人によって略奪・放火により焼失したものが、19世紀に再建されました。

 

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百年歴史さんという韓国人Youtuberがコミュニティページにこの博覧会を訪れた朝鮮人の感想を掲載して日本語訳も追加して下さいました。1915年11月の『朝鮮徽報』に掲載された文だそうですが、その一部をご紹介します。

- 咸鏡南道霊興郡虎島面長は、市政5年間、朝鮮の発展状況を共進会を通じて自ら目撃できたと述べ、驚きを禁じえなかったと話している。 殖産、工業その他の改良を要する分野が非常に多いが、我々は漁具の改良と湿田の排水方法を講じて韓電に改良することが急務と考えられ、自らこれを実行するとして現在計画中だという。

- 함남 영흥군 호도면장은 시정 5년 동안 조선의 발전상황을 공진회를 통해 친히 목격할 수 있었다며 이에 놀라지 않을 수 없었다고 하였다. 식산, 공업 기타 개량을 요하는 분야가 매우 많지만, 우리는 어구 개량과 습전의 배수방법을 강구해 한전으로 개량하는 것이 급선무라고 생각되며 스스로 이를 실행하겠다며 현재 계획 중이라고 한다.


- 医療器具と模型を見て、医術の進歩に驚かざるを得なかった。 これを韓医学の鍼灸術と比べてみると、天と地の差が感じられる。 従来の医術が浅薄だったために夭折した青年の中で、もしこれを早く知っていればよかったとため息をついた者もいる。

- 의료기구와 모형을 보고 의술의 진보에 놀라지 않을 수 없었다. 이것을 한의학의 침구술과 비교해 보면 하늘과 땅 차이를 느끼게 된다. 종래의 의술이 천박했기 때문에 요절한 청년 가운데 만약 이것을 일찍이 알았더라면 좋았을 것이라고 하면서 탄식한 자도 있다.

- 京城の衛生設備が完了しているのを見て驚いた。 至るところでその清潔さに感動したと言う者が少なくなかった。

- 경성의 위생 설비가 완료되어 있는 것을 보고 놀랐다. 이르는 곳마다 그 청결함에 감동했다고 말하는 자가 적지 않았다.

- 京城の朝鮮婦人が人々の視線を気にせず道を歩き、それぞれ業務に従事している状況を見て、これが文明の収入であり、新教育の結果だと実感した者がいるという。

- 경성의 조선 부인이 사람들의 시선에 아랑곳하지 않고 길을 걷고, 각기 업무에 종사하는 상황을 보고 이것이 문명의 수입이며 신교육의 결과라고 실감한 자가 있다고 한다.

- 朝鮮開国以来、これほど多くの人が集まったのは初めてだろう。 昔は一人でソウルに行くとたびたび強盗やその他の讒訴にあうなど、不意の災難に遭い、ソウル行きを恐れていた。 しかし、今は可能なところごとに警察機関が普及し、単身で旅行してもいかなる危険もないだけでなく、平和な宿泊を提供しており、共進会観覧者に対する警察の保護もきちんと行われ感謝を感じる。

- 조선 개국 이래 이처럼 많은 사람이 모인 것은 처음일 것이다. 예전에는 혼자 서울에 가면 왕왕 강도나 기타 참소를 당하는 등 불의의 재앙을 입곤하여 서울 가기를 두려워하였다. 그러나 지금은 가는 곳마다 경찰기관이 보급되어 단신으로 여행해도 어떠한 위험도 없을 뿐만 아니라 평안한 숙박을 제공하고 있고, 공진회 관람자에 대한 경찰의 보호가 잘 이루어져 감사함을 느낀다.

- 工業伝習所の製作品を見て、朝鮮人も実力を磨けば、そのような技術が得られるということに気づき感嘆した。

- 공업전습소 제작품을 보고 조선인도 실력을 연마하면 그러한 기술을 얻을 수 있다는 것을 깨닫고 감탄했다.

 

以前のエントリーで「3.1独立運動の真実」について書きましたが、韓国では憲法に建国の精神として謳われているこの独立運動は1919年に起こりました。朝鮮人は本当に朝鮮時代に戻りたかったのでしょうか?

 

 

  


 

 

 

2020/10/07

【韓国】韓国人も目を向け始めた「陸軍特別志願兵制度」

ブログ主の覚え書きです。

2020年02月25日に『忠誠と反逆』(サブタイトル:大韓民国創軍・建国と護国の主役、日本軍陸軍特別志願兵)という本が「趙甲済ドットコム」より出版されました。著者は『反日種族主義』にも執筆している鄭安基(정안기/チョン・アンギ)博士です。『反日種族主義』では「陸軍特別志願兵、彼らは誰なのか」という章を執筆し、最新刊の『反日種族主義との闘争』では、左記の論文に対する批判への反論を「陸軍特別志願兵の内と外」という章で展開しています。

この鄭博士の研究は徐々に保守系YouTuberによって注目され、語られ始めているとのことです。ブログ主がこれに注目するのは、慰安婦や徴用工のような、反日日本人や韓国人によって嘘を嘘で塗り固めた“定説”ができあがってしまったものと異なり、韓国社会が目を背けていたものであり、逆に反日日本人/韓国人の盲点ではないかと思うからです。“日本軍兵士が銃剣を突きつけて拉致した”という元慰安婦の証言の証言だけで成り立っている慰安婦問題と異なり、狭き門に朝鮮の若者が殺到したという事実は消せないからです。

常識的に考えて、朝鮮戦争で韓国国軍を率いることができたのは、帝国軍人として近代的な軍隊に従軍した韓国人です。しかし、韓国政府、特に文在寅大統領は、独立軍や光復軍どころか、北に行き南進の功績者となった金元鳳を韓国国軍のルーツだと称える演説をしたことがあります(6月6日『顕忠日』にて)。強盗か、せいぜいゲリラ戦のようなことしかしていなかった彼らが国軍のルールであるわけはないのですが、その「精神性」を重要視しているようです。(韓国にとっての敵国が日本だという事がこういうところにも表れています。)

ところで、ブログ主が韓国人のコメント(動画など)を見ていて気になるのは、比較的「親日」というか「反日種族主義から目覚めた人」でも、日本と朝鮮の関係を「支配者」と「被支配者」という観点で捉えていることです。確かにそれは事実ですが、朝鮮半島は日本の一部となり、そこに住む人々は(身分上、)「日本国民」であったとはなかなか考えられないようです。

鄭先生によると、朝鮮人が朝鮮人という「民族意識」が芽生えたのは、日本の統治によってとのことです。恐らくそうでしょう。しかし、朝鮮人は朝鮮人であると同時に「皇国臣民」になったのだと鄭先生は言います。

 

以下、何点かメモを記しておきます。

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【本の紹介】(ネット書店「KYOBO」より機械翻訳ママ)

「黒い歴史の生きている幽霊、これら6・25の真の英雄だった!」

趙甲済ドットコムは、朝鮮戦争勃発70周年を迎え、「6・25の真の英雄」である「日本軍陸軍特別志願兵」たちの活躍を扱った「忠誠と反逆」(592ページ、2万2000ウォン、趙甲済ドットコム)を発行した。サブタイトルは、「大韓民国創軍・建國(創軍・建国)と護國(護国)の主役、日本軍陸軍特別志願兵」である。

日本軍陸軍特別志願兵は、1938〜1943年の間に合計志願者80万人のうち1万8000人余りが選抜(競争率45.4対1)されて、日本軍兵士に訓練を受けて入隊した。これら中日(日中)戦争とアジア太平洋戦争を経て専門的な軍事知識と豊富な実戦経験を積んだ。透徹した国家観、軍人管、死生観を内面化した。1946年以来、これら複数の軍事学校を経て、大韓民国陸軍将校に任官した。これら米軍定期的に、建国期、6・25戦争期大韓民国の自由と人権を守るために抜群の軍事的力量を発揮した。ので、これら1950〜1960年代陸軍参謀総長、合同参謀議長、内閣伴う(首相)にまで常勝疾走することができた。

それにも陸軍特別志願兵出身者は、解放後、深い沈黙と厳しい忍從(人種)の歳月を耐えなければならいた。大韓民国はこれら親日派、民族反逆者、親日反民族行為育っ罵倒して攻撃した。「黒い歴史の幽霊たち」として扱われた。韓国社会は彼らの血と汗と涙がスミと青い夢を見た今の陸軍士官学校校正どこかこれらの痕跡を残してくれたり、記憶してくれなかった。

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韓国ネットメディア「メディアウォッチ」の記事『韓国軍のアイデンティティを直視する勇気、ありますか?』新刊『忠誠と反逆』
原題:“한국군의 정체성을 직시할 용기, 있습니까?” 신간 ‘충성과 반역’ より一部引用。機械翻訳ママ

 

3.朝鮮人がさらに歓呼した陸軍特別志願兵制度…なぜ?

3.1万歳運動の後から施行された総督府の文化政策によるところもあるが、朝鮮の企業家やジャーナリストなどの社会指導層を中心に植民地支配国からの参政権獲得の試みが続いた。 そのような努力に支えられ、ついに1938年、日本陸軍省は朝鮮人の皇民化と兵力の資源化を目的として勅令第95号「陸軍特別支援兵令」を公布する。 陸軍特別志願兵制は、38年以前まで日本国戸籍法と兵役法の適用から排除してきた帝国臣民(朝鮮人)に対して兵役を付与する日本植民地初の軍事動員だった。

植民地の母国である日本政府のこのような決定は、窮極的に朝鮮を一つの国家体制に収れんするための試みであり、韓半島の人々を日本内の人々との差別をなくし、一つの国民というアイデンティティに持っていくためのものだった。 さらに参政権を付与することで朝鮮の自治権を認め、韓半島人に権利と義務を持つ近代的市民権者の資格を付与することでもあった。

このように施行された陸軍特別志願兵制は、道知事、総督府、朝鮮軍司令部が実施する3度にわたる厳格な選抜選考を経なければならなかった。 もちろん、その選抜選考で行く前も、豪州や親権者の同意と、富潤や邑·面長など、地域有志の身元保証が絶対的だった。 このように身元保証を受けて1938年から43年まで6年間志願した17歳以上の男性男性の数は80万3,317人だった。 全員普通学校以上を卒業した身長160センチ以上の丈夫な朝鮮青年たちだった。 特異なのはこれら支援者は最終的に選抜されて入営した後も家計経済力にこれといった影響がない「普通以上の生計を営む」中農層以上の子弟が大部分だったという点だ。

これら中農層は、前近代の両班(ヤンバン、貴族階級)出身の上流層と違って出世志向性が強い前近代の庶民出身で、日帝時代の家計経済力が大きくなり、近代教育にも力を入れてきたより躍動的な階層だった。 その子息、中でも次男が大勢支援したという点は、長者中心社会で次男の自我実現と成功への欲望が積極的に介入していることが分かる。 特にこれら志願者の72%は韓国出身で、日本による産業化が積極的に進められた北朝鮮とは異なり、韓国地域は郷村社会の時代錯誤的な反相差別、地主制による社会的矛盾、1939年に三男を襲った大韓髪の衝撃が大きく作用したことが分かる。 このため、身分上昇と出世志向的な中農層の子弟にとって、陸軍特別志願兵制度は郷村社会の旧習として残っている身分差別と社会的矛盾からの脱出であり、立身揚命の近道として作用した。 それだけに、浪人も辞さない男たちが続出したという。

このようにして6年間選抜された志願兵は、最終的な入営者が1万7,136人で、年平均45.9倍の熾烈な競争と選抜過程を経て2.13%だけが合格した。 最終的に選ばれた若い兵士たちは「皇国臣民の道場」と呼ばれる陸軍特別志願者訓練所に入所し、午前6時から午後10時まで学科教育、精神教育、内務生活に続く日本軍の兵営生活そのまま訓練所生活を送った。 彼らはこの過程を通じて近代社会に適応するための時間、身体、言語の規律化とともにいわゆる「軍隊式デモクラシー」を経験したという。 すなわち、生徒たちの個性、人格、自意識を否定し「軍隊式平等」を具現する人間性改造の火ぶたであり、またとない文化的衝撃の場が陸軍特別訓練所であり、その過程を通じて彼らは軍隊的規律と秩序、そして精神を体得しながら「帝国の尖兵」として生まれ変わった。

1939年5月、一期生から日中戦争に参戦した。 彼らの参戦は、滅私奉軍の尚武精神で充満した朝鮮人の軍事的資質と潜在力を見極める歴史的舞台に飛び込むことを意味した。 太平洋戦争が本格的に拡大し始めた1943年、朝鮮人陸軍特別志願兵たちは釜山港を離れ、5,000kmも離れた遠いパプアニューギニアをはじめとする南洋戦線とインドネシア、ビルマまで投入され、過酷な自然環境と連合軍という敵の粘り強い追撃、そして凄絶な生存闘争の中で理性だけでは抑制できない欲望、恐怖、狂気などの「悪魔化」を彷彿させる徹底した人間性破壊を経験しなければならなかった。 陸軍特別志願兵はこのように日中戦争とアジア太平洋戦争を経て、専門的な軍事技術と豊富な実戦経験を積み、透徹した国家観と死生観、軍人精神を内面化するに至った。 そして太平洋戦争が日本の敗戦で終わった中、生還者1万1,000人は1946年に米軍政で実施された軍事英語学校を皮切りに、正規軍事学校及び多様な将校養成システムを通じて大韓民国の初級将校として生まれ変わるに至った。

著者はこれらについて「『命令に対する絶対的服従、任務完遂の強い責任感と忠誠心』で武装した戦士集団」と評価する。 白善ヨプ(ペク·ソンヨプ)将軍もまた、「忍耐心が強く鍛えられた彼らは思想的に全く不安がなく、戦闘地位も抜群の能力を発揮した」軍事専門家だと評価した。 被植民地時代、彼らが帝国の軍人として体得した知識、経験、理念は、その後の大韓民国建国を支持し、新生大韓民国を転覆しようとする左翼勢力打倒の物理的土台であり、資産だった。

陸軍特別志願兵出身の存在感は、建国時期の左翼勢力の反乱鎮圧、そして1950年6月25日に勃発した韓国戦争期を通じてさらに大きく浮上している。 彼らは6.25戦争前の時期にわたって第一線部隊長としてスターリンが主導する南侵祈りを初戦に阻止・粉砕する軍事的力量を発揮する。 その代表的な人物が、まさに国軍第6師団第7連隊長のイム·ブテク中佐だ。 イム·ブテク中佐の7連隊は、北槐郡第2軍団の鋭鋒を春川(チュンチョン)鳳儀山(ボンウィサン)と昭陽江(ソヤンガン)一帯で撃破、退却させることで、漢江と洛東江(ナクトンガン)防御線を構築する時間と米軍および国連軍参戦のための絶体絶命の3日間を確保するのに決定的な貢献をした。

もう一人の志願兵出身者であるソン·ヨチャン将軍は、首都師団長として1950年の洛東江(ナクトンガン)戦線の機械·安康(アンガン)戦闘、1952年の首都高地·狙撃稜線の高地争奪戦、1953年の6.25戦争最後の一戦だった金城南東地区戦闘で、中国共産軍の7.13攻勢を粉砕するなど不屈の闘魂を発揮した。

梨花嶺の不死身、咸秉善将軍、第6師団第7連隊第1大隊長として鴨緑江の川辺の楚山までたどり着いた。 中国共産軍の包囲作戦を突破し、部下たちを率いて必死の脱出を敢行した金ヨンベ将軍、慶尚北道日月山(キョンサンプクト·イルウォルサン)戦闘の英雄朴ノギュ将軍、金星(クムソン)地区白岩山(ペクアムサン)戦闘の英雄朴ギョンウォン将軍ら、韓国戦争は、陸軍特別志願兵出身の指揮官が、なぜ祖国の干城であるかを確認する場でもあった。

 

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以下、関連動画を追記予定。

【動画】「백년역사CenturyHistory」チャンネルより

 

 

  


 

 

 

2020/09/26

【韓国】1939年の朝鮮総督府が作成した観光PR動画/YouTubeの検閲【 백년역사CenturyHistoryさんの動画】

ブログ主の覚え書きとして、最近見た動画と考えた事をメモしておきます。

下の動画は日本が朝鮮を併合(1910年)して約30年後に公開された観光PR動画らしいです。英語のナレーションが付いているので、海外に向けて広報するのが目的だったと思われます。

 

機械翻訳: [1939年] 日本がこの時期に光った朝鮮を世界に紹介する映像、朝鮮総督府鉄道局制作、朝鮮観光広報映像、南満州鉄道を利用した観光コースの一つとして朝鮮を紹介。

原題: [1939년] 일본이 때 빼고 광 낸 조선을 세계에 소개하는 영상, 조선총독부 철도국 제작, 조선 관광홍보 영상, 남만주 철도를 이용한 관광 코스의 하나로 조선을 소개.

 

この動画のup主さん「백년역사CenturyHistory」(「백년역사」は「百年(の)歴史」という意味のようです)は、韓国人向けに日本統治時代の正しい歴史を啓蒙する動画をupされているのですが、日本語が堪能で、一部の動画は日本語字幕を付けてくれています。

この方の動画が素晴らしいのは、丹念に資料(証拠)を探して、編集も上手で、見る者(韓国人)を十分に納得させることです。ちなみにナレーションはプロのような感じですが、本人ではないとのこと。

 

この手の動画をわざわざ観に来る韓国人は、既に「反日種族主義」の洗脳から解けている人が多く、コメントを読むと、それを再確認する為に動画を観ているような印象を受けます。

それでも、日本人向けに作られた動画(コメント欄が日本人のコメントで埋まっている)よりは、韓国人の感想や意見を知ることができるので、ブログ主はなるべく多く機械翻訳で読んでいます。

 

ただ、動画主さんの落ち度ではありませんが、YouTubeの検閲が特に厳しいのが困りもの。上記の動画でも、ブログ主が書いたコメントを含めて、日本語・韓国語を問わず、コメントがごっそりと削除されてしまいました。(この件は後述)

以下のコメントはブログ主が書いたものです。但し、今は削除されてありません。

 

◇ ◇ ◇

こんにちは。CenturyHistory様の趣旨は一貫していますね。朝鮮(半島)は日本統治時代、「日本の一部」だったと。

現代の日本人は、しばしば、日本統治時代を「植民地化」ではなく、「併合」だということに固執します。「植民地」には「搾取・収奪」というイメージがつきまとうからですが、CenturyHistory様が仰るように、当時の日本は、朝鮮半島を日本の一部と考え、文化財を日本の一地方の文化と考えたように、そこに住む人々(=朝鮮人)も日本国民と考えたのです。その行き過ぎた例が「神社への参拝」かも知れませんが、この点で、反日種族主義者が主張する「日本人による朝鮮の近代化は日本の利益のためであり、朝鮮人の幸福のためではない」というのは完全に誤りです。(朝鮮の人達も日本国民だったのですから)

映像の中で韓国の文化が残されていることに驚かれている方々がいらっしゃいますが、それは、日本人は「地方の文化」を大切にするので、当然のことです。もし、韓国の方々が日本にいらっしゃれば、地方の様々な文化が保存されていることに気付かれるでしょう。日本では明治維新以前から「民俗学」というものもありました。

よく勘違いされますが、沖縄(琉球)は古くから日本です。(沖縄の方言は日本語であり、中世の単語が残っている) 昨年、首里城が焼失しましたが、戦後、荒廃した首里城を沖縄県が取り壊そうとしているのを、国宝に指定(1929年)して、それを阻止したのは本土の研究者です。

◇ ◇ ◇

 

これを書いた背景には、韓国では「日帝が朝鮮の文化財を破壊し、朝鮮文化を抹殺した」という誤解があり、この方の動画を観た韓国人が、「それが嘘だとよく分かるね」といったコメントを多く書いているからです。

その誤解(捏造)の一例を挙げると、仏国寺の石窟庵という、洞窟の中に刻まれた石仏群があります。この動画ではありませんが、過去の動画で議論になっていました。韓国では、「あまりの素晴らしさに嫉妬して日本人がコンクリートで塗り固めて毀損した」というのが定説になっているようです。

 

Sekkutsuan01_before
発見当時の石窟庵(Wikipediaより)

 

Sekkutsuan01_after
修復直後の石窟庵

 

当時の技術ではコンクリートでの修復が最善の方法でした。仏国寺の建物も復元前はほぼ廃墟になっているのを日本人が復元しています。

 

Sekkutsuan02_bukkokuji_before
再建前の仏国寺(Wikipediaより)

 

李氏朝鮮時代は儒教が国教となり仏教は棄てられたという事実を踏まえれば、こうした有様になっていたのはある意味当然なのですが、韓国人にとっては、動画で(ビジュアル的に)知ることは新鮮で「目から鱗」なのでしょう。

このような動画に書き込まれた韓国人のコメントを見ると、日本統治下の朝鮮を、「植民地主義時代の欧米の植民地と同様のもの(収奪を目的とした統治)か、それ以上にひどい扱い」という先入観があり、これを払拭するには、まず、「朝鮮人は日本国民であった」ことを理解しないとならないのだと感じます。

と言うのは、この理解なしには、いくら日本統治時代にインフラ整備がなされ、近代化されたことを説いても、「日本の利益のためにやったこと」と反論され、そこで議論が終了してしまうからです。

上の写真のようなbefore/afterの写真を見て、自分で論理的に考えて気付く人もいるのですが、動画主さんが「石窟庵は日本統治時代には『日本の文化財』になったのです。自分達の文化財を自分で壊すのはおかしいでしょう?」という調子で小まめにコメントを返しているのを見て、日本人が考える以上に洗脳が強固なのだと感じます。

その洗脳を解くには、ビジュアル的な資料とともに根気強く論理的に説明する必要があり、それは主に韓国人自身によらないと、日本人では「何が分からないのか分からない」から難しいのでしょう。

 

YouTubeのコメント欄の検閲について

日韓の歴史問題をテーマとした動画では、YouTubeの検閲は顕著です。

なるべくセンシティブな単語は避けるようにして、内容も問題なさそうなのに、投稿した途端に消えたり、しばらくしてから消されることがしばしばあります。

後者は動画の管理者が消しているのかと思った時期もあったのですが、そうでもないようです。以下に、今回、この動画で目撃したことを書き留めておきます。

コメントを投稿してから1日ほど経って、一部(字句レベル)修正して保存しようとしたら、エラーが発生して消えてしまいました。その時に、総コメント数が一気に減ったのに気付いたので、ざっとコメント欄を見たら、直前まであった他の方の日本語のコメントもほとんど消えていました。

その後、動画主さんとコメント欄でやりとりして分かったのですが、2日ほど前にも韓国語のコメントが幾つも消えたそうで、当初はコメントを書いた人が自ら消したのかと思ってガッカリしていたそうです。

動画主さんが消したのではないと確信が持てるのは、ブログ主が書いたコメントに対する動画主の返信が即座に削除されるのを見たからです。返信コメントはメールでも通知されるのですが、コメント欄にはそのコメントが無いのです。そして動画主さんも、「書いても消える」と嘆くように書いていました。

今回はあまりに大勢が同時に被害に遭ったので、皆、おかしいと気付き、YouTubeによって消されたのだと共通認識をしました。

 

ところで、こうしたことがあるため、ブログ主はコメントを投稿する(=[コメント]ボタンを押す)前に、書いたコメントをコピーして保存しておきます。そして、コメントを書き込んだ時は、すぐに「並び替え」を「新しい順」で更新して、総コメント数のカウンターが増えるかどうか確認します。増えていればOKですが、増えていない時は投稿したコメントは検閲に遭ったと理解します。従って、書き込む前/後のコメント数はよく確認する必要があります。

場合によっては、保存したコメントを再度記入欄に貼り付けてから、問題がありそうな単語の一部を伏せ字にすると投稿できる場合もあります。

しばらくして消えるのは、もしかしたら、誰かが組織的にコメントを通報している可能性もあります。(コメントの右側にある「・・・」を縦にしたようなものをクリックすると「報告」できるようになっています。)

 

 

  


 

 

 

2020/09/24

【韓国】韓国人学者の直言「日本は資産10兆円を譲った」【文藝春秋】

『文藝春秋』9月号に『李大根/徴用工に日本が保証する理由はない〈韓国人学者の直言「日本は資産10兆円を譲った」〉』(聞き手・黒田勝弘)という李大根(イ・テグン)教授のインタビュー記事が掲載されました。

李教授はニューライト(新保守運動)安秉直(アン・ビンジョク)教授とともに落星台経済研究所を創設した方で、落星台経済研究所には『反日種族主義』の「徴用工(朝鮮半島出身労働者)」の項を担当された李宇衍(イ・ウヨン)氏が研究員として所属しています。

 

この記事は一部、web上でも『遂に現金化へ…「徴用工に日本が補償する道理はない」韓国人学者の直言』というタイトルで公開されており、全文を読みたければ、記事単体でも購入することができます。

以下は目次で、無料で読めるのは「日本は韓国を「収奪」したか?」の途中までです。

  • 協定内容を歪曲している
  • 日本が朝鮮に残した52億ドル
  • 韓国急成長を支えた帰属財産
  • 日本は韓国を「収奪」したか?
  • 没収した財産を韓国に与えた
  • スターリンは帰属財産を残した
  • 植林と教育に尽力した日本人
  • 政治に翻弄される日韓の歴史

 

李教授は韓国の一般的な歴史学者とは異なった主張をしており、2018年の所謂「徴用工裁判」の大法院判決も批判しています。2015年には敗戦時に日本人が朝鮮半島に残した「帰属財産」に関する総合的な研究書である『帰属財産研究』という本を上梓されています。

ブログ主が先日読んだ『反日への最後通告』(池萬元著)でもこの本について言及し、内容を要約していますが、終戦後、株式会社級の大部分は朝鮮人の元従業員などに安価で売り飛ばされたもので、今日の韓国の大企業はほぼ元は日本企業です。

 

 

上記本からごく一部をご紹介すると、

「昭和麒麟ビール」は当時の朝鮮人管理人に払い下げられ、現・斗山グループの「OBビール」に、「サッポロビール」は明成皇后(=閔妃)の姻戚に売り渡されて「朝鮮ビール」(→ハイトビール)に。「鮮京織物株式会社」は工場の生産管理責任者が譲り受けて「SKグループ」の母体へ...。

従って、もし、大法院判決で言うように、“不当な”日本統治時代に朝鮮人を働かせた新日鉄住金のような企業が「戦犯企業」なら、これらの企業も戦犯企業ではないでしょうか。

 

李 「帰属財産」は、終戦後に韓国に進駐し軍政を敷いた米国当局が定めた用語ですが、その後、韓国では反日思想の影響を受け、「敵産」と呼ばれています。終戦時、日本人は政府(総督府)や軍関連など公的な資産だけではなく、民間企業や家屋などの個人資産を含め、莫大な帰属財産を韓国に残したまま帰国させられました。統計資料によると当時の朝鮮半島全体での資産のうち、およそ80~85%が日本人の資産だったとされています。

黒田 日本製鉄だって朝鮮半島に莫大な資産を残しています。先生の本を読んで、日本製鉄からすれば、「われわれが韓国に置いてきた資産で補償すればいいじゃないか」という考え方もありうるのではないかと感じました。それにPOSCOだって70年代に新日鐵の協力で誕生した企業ですしね。過去の補償問題など韓国側で処理すればいいのであって、なぜ今さら日本に要求するのかおかしいと思うでしょう。

李 おっしゃる通りです。いまになって日本企業の財産を差し押さえて、それでもって徴用工に補償するというのは筋が通らない、とする主張は十分に理解できます。終戦後に接収された日本企業は2300社を超え、日本人が朝鮮半島に残した資産総額は米軍当局などの試算では当時の通貨で52億ドルです。工業化が進んでいた北朝鮮に29億ドル、南朝鮮(韓国)は23億ドルという内訳です。

 

記事のタイトルにある「日本は資産10兆円を譲った」の10兆円は「帰属財産」の額を現在の価値に換算したものです。

文在寅やその周辺の従属左派は、しきりに「積弊清算」をいい、李承晩大統領の時代に「親日派」を完全に精算しなかったことで李承晩を親日派呼ばわりし、また、財閥を親日派政権との癒着で成長したと批判しますが、本当に積弊清算をするつもりなら、現在の韓国経済の基盤はほとんど捨てないとなりません。「NO JAPAN」を叫びながら、捨てるものはせいぜいジェットストリームのボールペンとか、安価なユニクロの服の不買程度です。

web上でよく韓国人は「日帝時代のものは朝鮮戦争で破壊されたから、戦後の韓国経済には寄与していない」というようなことを嘯(うそぶ)いていますが、たとえ、建造物などが物理的に壊れたとしても、技術やノウハウといったソフトウェアは残ったはずです。こうしたものは金額には換算できません。

 

ブログ主は話の種にこの記事を購入してみましたが、有料部分に、李教授の『帰属財産研究』はメディアに完全に無視されたそうです。著者の写真も撮影してインタビューもしたのに、その記事はボツになっていたとのことです。

 

 

  


 

 

 

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