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2020/08/22

『「もしも75年前にSNSがあったら」という企画で実在の日記をツイート形式にしたら朝鮮人の悪行がバレたでござる』の巻

公開:2020-08-22 11:01:24  最終更新:2020/08/25 9:00

多分、消されそうだから記録として。

NHK広島が終戦間際からの実際の日記を元に、その人物のTwitterアカウントを作って時系列にツイートを流したところ、その発言が「朝鮮人に対する差別を助長する」と毎日新聞が噛みついております。

日記の日付が例えば8月21日なら、8月21日にツイートするというように、75年の時差を越えて、リアルタイムに今広島でなにが起こっているのか、日記の主は何を感じたのかを知ることができるというもの。

特に問題になっているのはシュン君という中学生の一連のツイートですが、タイムラインで読んでみると、切羽詰まった状況で、様々な人間が心に余裕がなくなっていたり、そんな中で思わぬ親切を受けたり...

 

毎日の記事は以下の通り。

 


https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/280000c
ひろしまタイムラインに“差別扇動”批判 NHK原爆企画 「朝鮮人」ツイート巡り
会員限定有料記事 毎日新聞2020年8月21日 22時00分(最終更新 8月22日 09時02分)

 「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、NHK広島放送局が今年3月からツイッターで展開している「1945ひろしまタイムライン」。実在の3人の日記を基に、架空の広島市民3人のアカウントが原爆投下当日の様子を“実況”するなど話題を呼び、計41万超のフォロワーがついている。8月15日の「終戦」以降もツイートは続いているが、ここに来て「朝鮮人」をめぐる記述について「差別を扇動している」という批判が広がっている。何が問題なのか。【野村房代/統合デジタル取材センター】

 批判が集まっているのは中学1年生の少年「シュン」のアカウント。8月20日に次のような投稿があった。

 <朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!

 <「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」 圧倒的な威力と迫力。 怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩(たた)き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!

 <あまりのやるせなさに、涙が止まらない。 負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!

 これに対し、ツイッター上では「その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない」「(漫画の)『はだしのゲン』にも同様の場面はあるが、全編を通して朝鮮人への差別や弾圧、それに対する怒りを描写している」といった批判が相次いでいる。

 6月16日にも次のような投稿がある。

 <朝鮮人の奴(やつ)らは「この戦争…   【これ以降は有料会員のみ】

 

検索して見つかったツイートの幾つかをキャプチャしました。

 

「シュン君」アカウントのプロフィール画面

20200822_nhk_hiroshima01

 

ツイート

20200822_nhk_hiroshima02

 

ツイート

20200822_nhk_hiroshima03

 

 

意見(批判)に対するNHKの見解

 


https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/434538.html

8月20日のシュンのツイートについて

8月20日に発信したツイートについて、お問い合わせなどいただきましたが、「1945ひろしまタイムライン」は、被爆75年を機に、戦争・原爆の悲惨さや戦後の厳しい現実を、若い世代の方々にSNSを通じて知ってもらうために始めたNHK広島放送局の企画です。

3つのツイッターアカウントで、1945年の広島を生きた3人の日々を毎日発信しています。①中学1年生の「シュン」、②26歳主婦の「やすこ」、③32歳新聞記者の「一郎」。当時、広島で暮らしていた実在するお三方の日記や手記、本人や関係者への取材にもとづき、発信しています。「シュン」「一郎」は2020年3月から、「やすこ」は5月から発信を始めています。

8月20日のシュンが発信した、「大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる」と関連のツイートは、シュンのモデルとなった男性が、広島の自宅から両親の故郷である埼玉県に移動する途中に体験したことを伝えています。

当時中学1年生だった男性にとって、道中の壮絶な経験が敗戦を実感する大きな契機になったことに加えて、若い世代の方々にも当時の混乱した状況を実感をもって受け止めてもらいたいと、手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました。

また、6月16日に発信した「既に大人たちが大きな穴を掘り進めている。 話す言葉によるとどうやら朝鮮人のようだ」と関連のツイートも、男性が学徒動員でトンネル掘りに従事したときの経験を紹介しました。こちらも手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました。

その後、圧力に屈したのか、文面が下記のように変わっていました。

down_arrow

2020年08月24日(月)
6月16日・8月20日のツイートについて


 6月16日、および8月20日にシュンが発信したツイートについて、多くの方々から、さまざまなご意見をいただきました。一連のツイートは、被爆された方々の手記やインタビュー取材に基づいて掲載しましたが、「差別を助長しているのではないか」というご批判も多数いただきました。戦争の時代に中学1年生が見聞きしたことを、十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分だったと考えています。

 また、手記を提供してくれた方が、1945年当時に抱いた思いを、現在も持っているかのような誤解を生み、プロジェクトに参加している高校生など関係者のみなさんにも、ご迷惑をおかけしたことをおわびいたします。

 「1945ひろしまタイムライン」は、戦後75年がたち、戦争や原爆の記憶が薄れつつあるなか、若い世代に関心を持ってもらうため、身近なメディアであるSNSと放送を連動させた企画として発足したプロジェクトです。被爆された広島の人々の日記や手記を元にし、SNSで発信することによって、当時の混乱した状況を追体験し、戦争や原爆について、リアリティをもって考えていただく取り組みです。

 「1945ひろしまタイムライン」のツイートはすべて、NHK広島放送局の責任で行っています。今後は、被爆体験の継承というプロジェクト本来の目的を的確に果たしていくため、必要に応じて注釈をつける、出典を明らかにするなどの対応を取り、配慮に欠けたり、誤解が生じたりすることがないように努めます。

 

なお、終戦直後、日本にいた「第三国人」がどういう振る舞いだったのかは、以下のような記録があります。

 

20200822_nhk_hiroshima04

 

【追記】「はだしのゲン」より

20200822_nhk_hadashinogen

 

漫画にも描かれている通り、これはある程度常識。

別に、このエントリーを書いて、あらためて在日韓国人・朝鮮人に対する憎悪を煽るつもりもありません。ただ、反日メディアは自虐史観は煽るくせに、都合の悪い事実を覆い隠そうとするから、多くの人がSNSなどで事実を突きつけるのだと思います。

 

  


 

 

 

 

【樋口隆一名誉教授が語る祖父樋口季一郎】「命のビザ」軍人の人道/占守島の戦い

ポツダム宣言受諾後も日本軍は、北海道を、日本を、死守するために戦っていたのをご存知ですか? ユダヤ人に「命のビザ」を発給したのは杉原千畝だけではないことをご存知ですか?

戦後ほとんど語られない樋口季一郎(ひぐちきいちろう)について、孫である樋口隆一明大名誉教授が語っておられるのを最近続けて目にしたので、ここに覚え書きとして記します。

 

動画

 

読売新聞(2020/08/19)『戦後75年 終わらぬ夏(番外編)』より

西洋音楽史の研究者として著名な樋口隆一・明治学院大学名誉教授が、祖父で陸軍中将だった樋口季一郎氏の生涯を追っている。隆一氏はユダヤ人難民救済や占守島の防衛戦など、今の時代からだこそ振り返る意義があると語った。(編集委員 三好範英)

 

樋口季一郎:1888年(明治21年)、現在の兵庫県南あわじ市生まれ。陸軍幼年学校、士官学校、大学校を卒業。シベリア出兵でウラジオストクなどに赴任。在ポーランド日本公使館付武官などを経て1937年ハルビン特務機関長。42年北部軍司令官、44年第5方面軍司令官。70年死去。

 

◆満州経由

祖父は軍人時代は世界各地に赴き、戦後は一切公職に就かず1970年に死去しました。戦後の一般的な意識では軍人と人道主義は結びつきませんが、祖父が満州国のハルビン特務機関長時代、ユダヤ人難民を救出したことは少しずつ知られるようになりました。

<1938年(昭和13年)3月、満州(現中国東北部)北西部のソ連国境のオトポール駅に、ナチスドイツなど欧州での弾圧を逃れ、シベリア鉄道などでやってきたユダヤ人難民が満州入国を求め押し寄せた。酷寒の地に留め置かれたユダヤ人たちは、人道的に悲惨な状況に置かれた>

ハルビンのユダヤ人有力者から助けを請われた祖父はビザ発給を満州国外交部に対して求めました。

特務機関は諜報や謀略活動を担う陸軍の組織で、ハルビン特務機関は満州国で大きな権力を持っていました。祖父の働きかけの結果、一説には2万人ともいわれるユダヤ人が、主に満州国から大連や上海、そして米国などに逃れることができました。

祖父はシベリア出兵(1918~22年/大正7~11年)で、ウラジオストクやハバロフスクに特務機関員として派遣され、対ソ連の諜報活動に従事しました。その後、ポーランド駐在武官も務めました。当時、欧州でユダヤ人がどういう境遇にいるかよく分かっていました。

また、祖父は「戦前の欧州では差別意識もあり、アジア人に家を貸すのはユダヤ人だった。彼等が困っている時に助けるのは当然だ」とも話していました。

 

◆ナチスドイツ

オトポールの件に先立ち、祖父はハルビンで開かれた「第1回極東ユダヤ人大会」で、ユダヤ国家の建設に賛成するなどユダヤ人に理解を示すあいさつを行っています。すでに日独防共協定(36年)を結んでいたドイツは抗議してきました。しかし、当時の陸軍は祖父の行動を不問に付しました。

<陸軍の中にはユダヤ人の経済力を利用し、対米関係悪化を避けるためにも、ユダヤ人と友好的な関係を保つべきだとの考えが合った。国内には反ユダヤ主義を広める動きもあったが、終戦に至るまで日本政府はドイツのような差別政策をとらなかった。>

祖父の名はイスラエルの団体「ユダヤ民族基金」(Jewish National Fund)の「ゴールデンブック」に感謝の印として記されています。イスラエル建国70周年の一昨年、エルサレムに行き、祖父が支援したビザ発給で生き延びたユダヤ人の子孫から、「あなたのおじいさんがいなければ、私はここには存在しない」と感謝されました。

 

 

ユダヤ人難民救済では、外交官の杉原千畝(すぎはらちうね)氏(1900~86年)がリトアニアのカウナス領事代理時代、ユダヤ人難民に2000件以上の日本の通貨ビザを発給し命を救ったことが有名です。祖父が杉原氏に比べ知られていないのは、軍人を否定的に考える戦後の風潮もあったと思います。

現在、当時の日本とナチスドイツを同一視した主張をする国もあります。祖父のように人道主義に基づき行動する軍人がいたこと、日本政府はナチスの人種思想に同調しなかったことを伝えるのは意味があると思います。

 

◆ベルリンの壁

もう一つ祖父の軍人としての人生で欠かすことができないのが、千島列島東北端の占守島の戦い(※)指揮を執ったことです。

※ 「占守島」(しゅむしゅとう/しむしゅとう) 広辞苑では「しゅむしゅとう」が見出し語

 

Kuriles Shumshu占守島

 

<日本のポツダム宣言受諾(45年8月14日)後もソ連は、樺太や千島での侵攻を続けた。18日未明、ソ連軍は占守島(※しゅむしゅとう/しむしゅとう)への上陸を開始したため、第5方面軍司令官として札幌で指揮を執っていた樋口季一郎は「自衛戦争」として反撃を命令し、ソ連軍に自軍を上回る損害を与えた。>

祖父は長くソ連に関わってきましたから、「紳士ではない恐るべき横紙破り(※)」のソ連の性格をよく分かっていました。

※ よこがみやぶり[5] 【横紙破(り)】
〔上の立場にある人などが〕なんでもかんでも〔= 時には不合理な事や慣行に反する事まで〕自分の考え通りに しようとすること。また、そのような人。
〔日本紙の繊維が横には すっきり破れないことから言うとする説があるが、疑わしい〕
新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013

実際、ソ連の独裁者スターリンは、南樺太を拠点に北海道の半分を占領する意図を持っていました。トルーマン米大統領はスターリンに北海道占領を認めないと伝えましたが、日本軍の抵抗がなければ既成事実化を図ったことは十分に考えられます。

1961年に「ベルリンの壁」が築かれた時のことですが、当時神奈川県にあった祖父の家に遊びに行くと、中学3年生の私に、ベルリンはどこにあるか書いてみろ、と言いました。祖父はベルリンは東ドイツ領内の離れ小島のようで、そこが分団都市になったと説明してくれました。

もし、占守島で抗戦していなかったら、東京もベルリンと同じように半分ソ連に占領されていただろう、と孫に伝えたかったのだと思います。

私の母は終戦時19歳でしたが、祖父母と共に札幌に住んでいて、ソ連が進攻してきたときの自決用に青酸カリを渡されたと言います。北海道民の多くが終戦時、ソ連の北海道進攻の噂があったことを覚えていると思います。

当時、南樺太や千島列島には40万人、北海道には350万人の住民がいました。占守島や南樺太で戦死した将校や、犠牲になった民間人のことは決して忘れてはならないと思います。

 

◆玉砕に悔い

祖父は戦争についてはほとんど話しませんでした。家族に対しても秘密厳守というかつての情報将校の習い性もあっただろうし、人間は本当に悲惨な体験は話さないものです。

祖父にはやはり指揮を執ったアリューシャン列島のアッツ島の戦い(1943年/昭和18年)を玉砕に終わらせ、約2600人の将兵を死なせた悔いがいつまでもありました。

私が大学4年生の時、他界しますが、毎朝起きるとアッツ島を描いた絵の前で、戦死した部下の冥福を祈っていました。幼い時から遊びに行くたびにその姿を見て、子供心に痛々しく感じていました。

一昨年、祖父について札幌で講演する機会がありました。講演後、80歳を過ぎた男性が、「戦争が終わった後の戦闘で死んだ父親は無駄死にしたと言われてきた。そうではなかったのですね」と泣きながら話しかけてきました。その人の父親は樺太で戦死したということでした。

老人の涙を目の当たりにして、祖父のことを後世に伝えねばという強い思いにとらわれています。

 

(記事の文字部分を書き写し)

 

 

  


 

 

 

 

2019/09/23

『明治維新を導いた影武者』(原題:메이지유신을 이끈 카게무샤/バクサンフ〔박상후〕著)の書評を読んで

前回のエントリーでご紹介した本について調べていて、興味深いブログをみつけました。

ブログというのは正しくないかも知れませんが、「THE 3rd WAY」という複数の執筆者が書いているサイトです。

以下、この本について評している記事を機械翻訳(Google翻訳)でご紹介します。本の内容は概ね日本に対して好意的であると思われますが、ブログの筆者は何点か日本に対して不正確な知識を持っているようです。

 


[新刊]明治維新を導いた影武者
2019.09.080人文/美術> 、
¶脚本:バクサンフ

- 文明開化、殖産興業、富国強兵経大国に跳躍した秘訣があっても、明治昭和社に凝縮

- 人間力人間力を中心に韓国にはまったく紹介されていないエピソードを暗黙的ながらも簡単に手を出して

- 明治維新の滋養分がされた、日本の力とすることができる永続永續性の企業文化を見つけることも

 

日本という国と日本人という人は一体どんなアイデンティティを持っており、私たちは日本に対してどのくらい知っているか。これまで私たちは、日本であれば、ただ36年の間に植民地倍の痛みだけ抱かせた元凶としてのみ認識して、ほぼ知ろうもしていないのが現実である。

北東アジアの韓・中・日3カ国の中で唯一、国際舞台で、先進国の待遇を受けた日本は、アジアで最も早く近代化に成功した国が、韓国人は民族主義でもない種族主義の井戸にまだとどまって、日本であれば、無条件白眼視している。

かつて文明開化、殖産興業、富国強兵と近代化の3つのステップを経て、21世紀の大国でぐんと立った日本の秘訣はあっても、明治昭和社に凝縮されている。鎖国状態とはいえ、外国の文物を受け入れるために怠らず、朝鮮とは異なり、朱子学のくびきを脱し以降明治から国力が爆発することができようにした栄養を蓄積した江戸時代、そして明治維新という事実の無血革命を導いた薩長同盟とこれを助けた土佐藩坂本龍馬の交渉力、当面の権力闘争で株式を占めるのではなく薩長同盟で成し遂げた明治の産業革命と国家のアップグレードに寄与した社賢人たちのストーリーは、今日の日本を作った根幹である。

明治維新を導いた影武者(膜厚の人物)。

この過程で、日本には数多くの偉人たちがあふれ出た。<明治維新を導いた影武者>は、このような人物たちの力、いわゆる人間力人間力を中心に、これまで韓国では全く紹介されていないエピソードを暗黙的ながらも簡単に扱っている。

中国局部孫中山を後援して辛亥革命をプロデュース(演出)した梅屋ショキチ、レーニンの10月革命とツァーリ体制からの独立を念願した少数民族の蜂起を背後から操った明石モトジロ、ベトナムの独立を助けた松下ミツヒロ、日本に亡命したアジアの革命家、思想家を物的心理的にサポートし、メンターの役割をした日本政界の巨木大隈重信の逸話などを深く描写した。

これと共に日清日淸、仕事で日露戦争で日本がどのように勝利し、東アジアの覇権を掴んたのかと、その場合の影武者の役割を忠実に実行していたスパイを照明した。よく謀略(謀略)といえば韓国では中傷の意味だけで通じるが、日本では諜報の意味もある。

中国とロシアに勝つために地域研究に没頭して、現地の政治経済はもちろん、認め人情、文化文化までディテールに把握膨大な分量の情報を生産した日本帝国スパイたちの情熱は、日本版ジオポリティックスGeopoliticsの根幹を成したこの本では、この部分も詳しく説明している。

日本の精神文化でありながらよく軍国主義の武器として認識されている武士道についても、その淵源はもちろん、戦争でどのように発現ドェトヌンジド説明した。関ヶ原の戦いで薩摩の武士が主君島津義弘のために命をかけて後退にを開いステが頭戦法と、武士道の原発しがくレガ平和な時期である江戸時代に書かれた事情、国際連盟事務次長がされたニットベビーや組ブッシュも武士道を日本の精神世界に紹介した話を紹介する。

また、日本軍の南京大虐殺だけ覚えている人には非常に不慣れですが、このような武士道の精神が敵国の敗軍の将の優遇は、戦争捕虜に対する人道的待遇でつながった厳然たる歴史的事実も紹介した。

タイトルは<明治維新を導いた影武者>が時代を必ず明治のみに限定せずに、明治維新の滋養分がされた全体の日本に対処するため、日本の力ともいえる永続永續性の例を企業文化を見つけることもある。千年や企業がまだ残っていてシニ歳と呼ばれる老舗が日本にはなぜ、他の先進国よりも比較できないほど多くの地図扱った。

日本が中国を侵略するとき三光(三光)として焦土化戦術を駆使した日本史では戦乱が発生しても、これ無事の戦争であっただけで一般人は比較的穏やかに生業に従事することができた。農工業に従事している人には被害がないことを確認勝ったほうが、これ完全に受け入れて自分のものとすることができるというものである。このような歴史的背景に支えられ、日本の起業家は、ものづくりだろうとしている職人精神社会と国家に貢献するという事業報国事業報國の態度であるした関連する企業家たちの感動的なエピソードも紹介した。

この本では、日本文化の力も深く扱った。ジャポニズムの源流となった浮世絵の対価葛飾北斎のストーリーと浮世絵がどのように壊れて、アニメにまで発展し、世界で日本文化を代表するアイコンがドェトヌンジド述べた。

また、日本近現代の文豪たちと日本を知るためには、必ず知っておくべき作品について概括的な説明も漏らさなかった。「l love you」を「月が美しいですね」に翻訳する必要と主張した日本のシェイクスピア夏目漱石と日本の第1世代のノムン学者二葉亭四迷、日本近代詩壇の両巨頭も、このバーンズこの島崎藤村、丘の上の雲で有名な巨匠小説家司馬遼太郎、中国と韓国史を素材に、複数の名作を発表した井上靖も必ず知っておくべきポイントだけを選び出し述べた。

<明治維新を導いた影武者>は総430余ページに様々なカラー写真まで添えられた、日本を客観的かつリアルに理解できる本である。日本のすべてのものを偏見なく、歴史的事実のみ眺めることができる。日本語や日本史に興味のある読者のために紹介した人物や歴史に関連する名句名句は日本語表記を併記した本文だけでは理解しにくい部分があることを考慮して補足説明も忠実につけた。

筆者の拙著は9月3日印刷に入り、9月6日出荷され、9月9日に、各書店に配布される予定である。韓国人によく知られていない、日本の常識と知識を選び出し、ボトル入り込めことが筆者の考えだが、いろいろな面で不足している点も明らかにあるだろう。強豪再現客栈の冷たい叱責と激励を同時に望む。

 

これに関して、ブログ主は日本語で反論のコメントを書きました。

以下、ブログ主が書いたコメントのコピペです。

 

펜앤드마이크TVでこの本のことを知り、いろいろと調べているうちにこちらのサイトに辿り着きました。
私は韓国語が分からないので、動画も、字幕を日本語に自動翻訳させて観たため、理解は不十分かもしれません。
また、こちらのサイトも、Google翻訳を使って、日本語で読みました。そのため、正確には理解できていないかもしれません。
まず、このサイトに書かれている文に対して、2点、反論致します。
「三光作戦」は、焼光(焼き尽くす)、殺光(殺し尽くす)、搶光(奪い尽くす)という意味ですが、これは、日中戦争の時に中国が名付けたもので、日本人にはこのような発想はありません。
また、「南京大虐殺」も中国のプロパガンダです。

この記事で取り扱っている本「『메이지유신을 이끈 카게무샤」は読めませんが、ネットブックショップの「yes24」の書評をGoogle翻訳で読みました。
以下、ユーザーレビューを引用します。
일본이 자체적인 근대화를 달성한 아시아 유일의 국가로서 제한적인 개방으로 권력을 유지할려고 했던 에도 막부가 여러명의 메이지 시대의 인물들의 등장으로 인하여 서양 문물을 적극적으로 받아들인 결과가 메이지 개혁으로 일본의 남반구인 류큐왕조와 최북단인 아이누 왕국이 정복되어 현재 일본영토가 달성되는 계기가 된다. 일본에서 유명인 중에 히무라 켄신, 사이토 하지메, 시시오 미코토, 유키시로 에니시 등 바람의 검심의 시대적 배경이 바로 그러하다.

もし、この読者が正しく本の内容を理解しているとしたら、この著者は琉球(現在の沖縄)民族、アイヌ民族について、大きな誤解をしています。
琉球は戦国時代の終わり(17世紀初頭)に薩摩藩の支配下に置かれましたが。薩摩藩が中国との貿易のメリットを考えて明朝、清朝との冊封体制を存続させていただけであり、封建体制に組み込まれていました、
アイヌ王国など存在していません。アイヌは5つほどの小規模の集団(英語で言う「band」レベル)で分かれて住んでおり、言葉も異なり、「国」として統一されたことは一度もありません。彼等は非常に原始的な生活をしており、消滅の危機に瀕していたのを、明治政府に懇願して保護政策を受けました。

この本の目次を観たところ、興味深い選択で、全体としては、おそらく、日本に対して読者に好印象を与えるものでしょう。しかし、こうした一部の事実誤認は許容できません。

 

以上、コピペ終わり。

なお、ブログ主が書いたコメントは現時点では承認待ちで公開されていません。

daishi1002019.9.23 AM 04:52
댓글은 검토를 기다리는 중입니다.(機械翻訳:コメントは検討を待っています。)

著者が出演した動画(https://youtu.be/cPRxE2nEO_s)にも「daishi100」のハンドルネームで反論しました。宜しければ、「イイネ」で支持して戴ければ幸いです。

念のため書いておきますが、本の著者、バクサンフ〔박상후〕氏は「知日派」で、日本による韓国のホワイト国除外も日本に理があるとして動画で発信されています。

 

 

  


 

 

 

2019/09/14

アムステルダム市長がインドネシアの植民地経営を反省したかのような欺瞞

Twitterのタイムラインを眺めていたら、評論家の加藤清隆氏のこんなツイートが。

 


https://twitter.com/jda1BekUDve1ccx/status/1172490405079683074
アムステルダム市長が「本当に悪いのは、侵略に権力を振るっていた西欧人の方。日本は戦いに敗れたが、東亜の解放は実現した」と言っているそうだ。発言の真偽は確かめようもないが、もし事実ならありがたいことだ。これは「歴史修正主義」ではない。「歴史の真実」だ。
午後9:41 · 2019年9月13日

 

そこで、ブログ主はこのソースを調べて見たら、どうやら、アムステルダムの通りにオランダの植民地支配と戦った指導者達の名前をつけるという決定したらしく、しかし、インドネシアのメディア『ジャカルタ・ポスト(The Jakarta Post)』に、この決定を痛烈に批判する記事(意訳「何故、アムステルダムは反植民地主義のリーダーとしてスカルノを無視するのか」)を見つけました。(記事後述)

簡単にその批判の内容を書くと、人選に問題があるというのです。例えばスカルノ元大統領が入っていません。更には、これはむしろ、「旧態依然とした植民地支配の枠組みを維持するもの」とまで言って批判しています。

 

加藤氏は「もし事実なら」と書かれているので、断定しているわけではありません。が、このような有名人がツイートすると、「イイネ」ボタンが押され、どんどん拡散されていきます。

ブログ主がジャカルタ・ポストの記事を示して、これは手放しで礼賛してはいけないとリプライで警告しても、恐らくほとんど読まれないでしょうから、ここ(拙ブログ)に記録しておくことにします。

 

ジャカルタ・ポストの記事は「Histori Bersama」という、2016年9月20日にロッテルダムで設立された機関の創設者であるMarjolein van Pagee氏(女性)が寄稿したものです。

「bersama」という言葉はインドネシア語らしく、調べたところ「一緒(に)」という名詞(副詞)のようで、「オランダとインドネシアとの間で共通の歴史認識を」という趣旨の活動を、双方の資料の翻訳をして紹介するといったことを通して行っているようです。

ここまで書けば、もうお分かりだと思いますが、オランダ側とインドネシア側の歴史観が一致しているはずがありません。

市長が謝罪の言葉を述べたとしても、通りの名前の人選を見れば、オランダの歴史観にとって都合のよい名前だそうで、心から反省しているのか、眉に唾を付ける方が良さそうです。

 

ブログ主は『反日種族主義』が話題になった頃から気になっていたことがあります。

「日本=悪」というドグマ(教条)が崩れることによって、アイデンティティが崩壊するのは韓国だけではありません。連合国も同じなのです。

反日の牙城である韓国にイ・ヨンフン教授が空けた一穴は、連合国側にとって許しがたいものではないでしょうか。

『反日種族主義』や李承晩学堂の行っている活動が世界でどれほど注目されているかは知りませんが、場合によっては、イ教授は韓国の「反日種族主義者」以上の大きな敵を作ってしまう可能性があります。

 

何故、アムステルダムは反植民地主義のリーダーとしてスカルノを無視するのか

まず、この記事から、アムステルダムが27の通りの名前に植民地支配に抵抗した男女の名前をつけることを決定したと言うことが分かります。そして、その内の10人の名前はオランダの史観に立った人選だと批判しています。

脚注を読むと、Pagee氏はもっと長いオランダ語の記事をoneworld.nlというサイトにも寄稿したそうです。

 


https://www.thejakartapost.com/academia/2019/09/04/how-amsterdam-ignores-sukarno-as-anticolonial-leader.html
How Amsterdam ignores Sukarno as anticolonial leader

Marjolein van Pagee
Founder of the Histori Bersama Foundation

Recently the city of Amsterdam proudly announced that 27 streets in the new neighborhood in IJburg would be named after men and women who fought colonial rule. Two-thirds of these streets will be named after people who fought against the Dutch colonizer in Suriname and the Caribbean, one-third will be named after individuals from Indonesia, officially the “Dutch East Indies” during colonial times. A closer look reveals that the selection of the 10 Indonesian names illustrate the Dutch colonial mindset, which, due to the lack of Indonesian representation, keeps old power structures intact.

Strikingly the selection of Indonesian names is by no means in proportion to the actual size of this former colony. The Dutch East Indies was the largest region ever colonized by the Netherlands for such a long period, and from where the largest profits came. The fact that most of the street names are Surinamese and Caribbean gives the false impression that these were the Netherlands’ most important colonies, while it is more a matter of a lack of Indonesian representation.

That lack of representation becomes clear from observations that the Indonesian founding father Sukarno, the republic’s first president, is not honored with a street name. How is it possible that the most anticolonial and anti-imperialist Indonesian president has been ignored?

The name selection appears to be based on a recommendation from the Royal Institute of Linguistics, Geology and Ethnology (KITLV), which nominated 22 Indonesian names. Subsequently, its director Gert Oostindie highlighted 10 of his personal preferences. Sukarno was skipped on his advice, as can be seen in the final selection of the municipality.

The municipal Public Space Naming Committee largely followed Oostindie’s recommendation of Indonesian names, adopting seven names from his “top 10”. Only three were not selected – Sutan Sjahrir, Muhammad Hatta and Poetiray - and two names not highlighted by Oostindie were chosen anyway (Pattimura and Diponegoro).

The KITLV’s long list also immediately shows the old Dutch, colonial spelling. Are the experts unaware that Indonesia has long replaced “oe” with “u” and “tj” with “c”? Spelling sometimes differs per person but Sukarno, for example, had indicated that he preferred the “u” in his name. When using “oe” it shows the clinging onto the colonial era and reveals the Eurocentric view of the initiative.

The KITLV recommendation illustrates the Dutch problematic relationship with the colonial past. Oostindie chose the first Indonesian vice president Hatta over Sukarno, though neither made the final selection. Unlike the Dutch criminalization of Sukarno, Hatta was generally praised for his moderate attitude and his willingness to negotiate with the Netherlands.

In December 1949, just after Hatta became prime minister of what was then the United States of Indonesia, he signed the transfer of sovereignty in Amsterdam. This agreement forced Indonesia, in exchange for independence, to take over the debts of the colony worth 4.5 billion guilders (US$2.5 billion). Thanks to Hatta, the Netherlands received nearly 4 billion guilders from Indonesia up to 1956, money used to finance the Dutch postwar reconstruction.

 

The Netherlands received nearly 4 billion guilders from Indonesia up to 1956, money used to finance the Dutch postwar reconstruction.

 

The same can be said about the politician Sjahrir, selected by the KITLV. Under his name it is written that: “He was an acceptable discussion partner for the Netherlands when he negotiated the Linggadjati Agreement ( 1946 ).”

One controversial political figure to be honored with a street name is the communist Tan Malaka. For the Netherlands this is a safe choice as the struggle and suppression of Indonesian communist groups is portrayed as an internal struggle, of Indonesians against Indonesians, as if the Netherlands has nothing to do with that.

In the accompanying letter of the recommendations, Oostindie apologizes for the unequal gender ratio of his advice. Yet, Indonesian history clearly shows that the anticolonial resistance produced numerous female fighters too, such as the Acehnese Cut Nyak Dhien.

Equally striking is that the most anticolonial writer in Indonesia, Pramoedya Ananta Toer, did not make the final selection. Ignoring the real anticolonial figures is exactly the problem of these white Dutch attempts to “do something” with the Netherlands’ enormous colonial debt.

Whereas political right-wing groups mostly act defensively when the colonial past is brought up, the dominant idea among leftists is that something must be done to deal with past Dutch human rights violations.

From the city of Rotterdam, the same KITLV received 248,000 euro ($271,221) in research money to examine the city’s history of slavery. Oostindie is also one of the project leaders of the national research project of “Independence, decolonization, violence and war in Indonesia, 1945-1950”, which costs the Dutch taxpayer 4.1 million euro.

The criticism of the latter project has been largely ignored. Worse, such expensive studies would never have existed if non-white activists had not put the topics on the agenda for decades. Now they have to watch from the sidelines how the white elite conducts research and receives lots of money.

What these predominantly white, “left” attempts share is that they are half-hearted and therefore support falsification of history. Ignoring Sukarno continues earlier Dutch propaganda that always depicted him as an extremist, a womanizer, even a fascist who collaborated with the Japanese.

If Amsterdam Mayor Femke Halsema really wanted to make an anticolonial gesture, why did she ask a white man like Oostindie for advice? Amsterdam newspaper Parool reported that the National Institute of Dutch Slavery organized a panel discussion last May with representatives from a number of grassroots organizations that apparently agreed to the list. If Indonesian representatives were involved they would never have agreed to sideline Sukarno.

For example, why didn’t they consult Jeffry Pondaag, an Indonesian living in the Netherlands, who chairs the KUKB (Committee of Dutch Honorary Debt)foundation, the only one in our country who represents Indonesian war victims and which has successfully sued the Dutch state for years? Or why didn’t they ask Michael van Zeijl and Christa Soeters — both members of the former Dutch East Indies diaspora — who have initiated discussions about the above street names under the title De Grauwe Eeuw (the gray century)?

Or why didn’t officials contact the Indonesian journalist Joss Wibisono, who lives in Amsterdam and previously questioned why the Netherlands still has no Sukarno Street?

By not honoring Sukarno with a street name, the white Dutch leftists show the true colonial face of the Netherlands, maintaining old colonial power structures. Perhaps the municipality can correct this historical mistake by renaming the entire neighborhood. The “Sukarno district” seems a proper statement to me.

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Dutch historian. The original, longer Dutch version of this article was published on oneworld.nl.

Disclaimer: The opinions expressed in this article are those of the author and do not reflect the official stance of The Jakarta Post.

 

 

  


 

 

 

2019/05/27

【書籍】『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)/ワイマール共和国に関する補足

公開: 2019-05-27 10:17:18  最終更新: 2019/06/01 9:10  

以前、当ブログで掲題の本についててエントリーしましたが、最近、この本が「林原チャンネル」さんのご厚意でAmazonで販売されることを知ったので、もう少し追記しておこうと思います。

 

 

 

※Amazonでの価格〔定価+210円)について

この本は、自費出版された在庫を林原チャンネルさんが代行してAmazonの流通ルートに載せたようなので、定価に210円を上乗せして販売されています。

ブログ主は、この本が“ある場”に直接「持ち込み」されていた為、定価で購入しましたが、その時はISBNコードがありませんでいた。通常の流通ルートに載せるにはコードの取得(有料)が必要で、更に通販では送料がかかります。「+諸経費210円」の上乗せは純然たる経費と思われます。

※Amazonでの在庫について

Amazonの倉庫へは少量ずつ納品しているようで、1回目と2回目の納品分はほぼ“瞬殺”でした。Amazonの倉庫にある在庫が一時的になくなると「売り切れ」になりますが、納品され次第在庫が復活されるので、Twitterをされている方は林原チャンネルさんをフォローしているといいかと思います。

 

著者のモルデカイ・モーゼ氏の略歴を本書からご紹介します。(括弧内はブログ主註

 

1907年(和暦に直すと明治40年)ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家。ロシア革命(1917年/大正6年)では指導的役割を果たした。

レーニン(1870~1924)没落後、ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール(1919年~33年/※1)体制下のドイツに亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」(1912年発表)を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約(1939年/※2)が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年、米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディール(※3)派のブレーントラストとして活躍。

1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

 

下は“岩波”の事典の説明ですが、ご参考迄。

※1 📖 広辞苑 ワイマール‐きょうわこく【ワイマール共和国】
ドイツ帝国崩壊後の1919年に生まれた、ワイマール憲法に基づく連邦制の共和国。厳しい対外・社会・経済情勢のもと、左右両極から攻撃を受けて次第に不安定化し、33年ナチスの政権掌握で消滅。

※2 📖 広辞苑 どくソ‐ふかしん‐じょうやく【独ソ不可侵条約】 ‥デウ‥
1939年8月23日、ドイツ・ソ連間に締結された期限10年の不可侵条約。付属秘密議定書で東ヨーロッパにおける両国の勢力範囲を画定し、これに従って両国は同年9月ポーランドを分割した。41年6月ドイツ軍のソ連侵入によって破棄。

※3 📖 広辞苑 ニュー‐ディール【New Deal】
アメリカで、1929年に始まった恐慌に対処するため、33年以降F.ルーズヴェルト大統領が実施した一連の経済・社会政策。失業者救済の大規模な公共事業や産業界への統制により経済復興を図り、のちには社会保障制度や労働者保護の制度改革を進めるなど、連邦政府権力を強め政府資金による資本主義経済の安定を目指した。代表的な立法や機関として全国産業復興法・TVA・ワグナー法・社会保障法などがある。

 

氏の父親の人生も合わせると、二代に渡り、コミンテルンの創設、日中戦争(支那事変)下の抗日支援、GHQ占領下のWGIP実施と、現代の日本に蔓延る左翼思想の元凶となったものに間接、直接的に関わっていたのです。だからこそ本のタイトルにあるように、「懺悔」、「日本人に謝りたい」となったのでしょう。

 

ところで、『証言でつづる日本国憲法の成立経緯』を著した西修先生が、起草に関わった人物にインタビューをしたときに、「いまだにあの憲法を使っているのか」と驚かれたと言われたそうで、このエピソードはあちこちで語られているので一人歩きしているような気がします。

有本香氏など、この発言を好意的(「もういい加減変えればいいのに」というニュアンス)に受け取っているようですが、ブログ主は、そのように受け取るのは間違いではないかと思うのです。

それほど、当時のGHQの内、憲法起草に関わったニューディーラー達は、日本の皇室、左翼用語で言うと「天皇制」ですが、これを最大の敵と見なしていたことはこの本(『あるユダヤ人の懺悔』)から間違いないのです。そして、それを破壊するための工作(11宮家の臣籍降下)もしっかりしていました。だから、未だ(インタビュー当時)に日本国憲法の呪縛、GHQの呪縛と言ってもいいでしょうが、これに日本人が囚われているのを知ったら、内心はほくそ笑んだに違いありません。「ここまで、仕込んだ毒が効いているとは!」と。

彼等は根っからの共産主義者なのですから。

 

* * * *

 

この本では、彼等ニューディーラーの、日本の皇室に対する誤解について懺悔しています。しかし、日本国憲法に込められた「ユダヤ人の理想」というのは、ややオブラートに包んだ言い方だと思っています。

彼等はアメリカ人なのですから、いくら日本の憲法が彼らにとって理想的であろうと、何の恩恵も受けません。むしろ、彼等の同胞がワイマール共和国で挫折したことを日本でやるために、即ち、共産主義化のために地雷を仕込んだのでしょう。彼等は壮大な実験を試みたのです。

それは、現在、何かにつけて「日本国憲法」が足枷になっていることからも分かります。

天皇陛下の即位の儀式ですら、「憲法違反」がちらつかされ、一連の行事全てを国事行為としてできません。

こうなると、新しくこの本の帯に書かれた田中秀道先生の言葉の意味が分かるでしょう。なぜ、左翼がこの本を抹殺しなくてはならなかったのか。

 

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この本を後の日本人が読めば、日本国憲法がユダヤ人の理想が込められた「お花畑」などではなく、日本を破壊するための「毒薬」であることがバレてしまうからです。

ついでに、帯に書かれた馬渕睦夫先生の言葉も画像で提示します。(帯の画像はブログ主がAmazonの画像からキャプチャしたもの)

 

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* * * *

 

この本に書かれていることの内、理解しにくいのは、ユダヤ思想やタルムードにに言及した部分かと思います。これはブログ主のことでもあります。

 

📖 広辞苑 タルムード【Talmud】
(ヘブライ語で、学習・研究の意)ユダヤ教でモーセの律法に対して、十数世紀にわたって口伝された習慣律をラビ達が集大成したもの。本文であるミシュナー(Mishnah)、その注釈であるゲマラ(Gemara)の2部から成り、広くユダヤ民族の社会生活を物語る。エルサレム(またはパレスチナ)‐タルムード(5世紀)とバビロニア‐タルムード(6~8世紀)とがある。

 

もう一つ、この本が書かれた当時(1979年頃=昭和54年頃)の日本と比較されるワイマール共和国については詳しい説明がないので、「似ている」と言われても、今一つピンと来ないかと思います。

そこで、ここでは少しワイマール共和国について補足しておこうと思います。

まず、その時代と著者の年齢との関係を簡単に書いておきます。

少し、著者のドイツでの生活を細かく見ていくと、1924年は17歳、この頃にドイツに亡命しています。略歴に書いてあるように、この当時はワイマール共和国時代のドイツで、ヒトラーが首相になるのが1933年1月30日なので26歳、ご存知のように、この頃からユダヤ人の迫害が激しくなります。そして独ソ不可侵条約が締結された1939年頃にドイツを脱出しますが、32歳くらいの計算になります。

 

ユダヤ人に対するキリスト教徒の偏見は根が深いものがあります。

例えば、ゲットー(ghetto/ユダヤ人強制収容所)というのはナチス・ドイツを連想させる言葉ですが、16世紀の頃からユダヤ人の隔離区域の意味として使われてきました。ドイツだけではなくヨーロッパの各地にあったもので、元々ghettoがイタリア語ということからもドイツだけの話ではないことが分かります。ドイツでは15世紀の終わり頃からゲットーが存在します。しかし、このように居住の制限があったことで、ユダヤ人は都市型となり、高い教育を受ける割合も高かったのです。ワイマール共和国でユダヤ人が解放されると、弁護士や医者に占めるユダヤ人が増えます。(1913年のフランクフルト市で前者が62.5%、後者が36%)

 

下の画像は1628年のフランクフルトのゲットーです。

 

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ピンクで塗った弧状の細い通りがありますが、その内側(左側)に面しているのは城壁です。ゲットーはその外側、つまり、通りの右側にびっしりと建っている家です。この画像(オリジナルはWikimedia『Frankfurt-Judengasse-1628-MkII.png』)を拡大してみると、通りの名前が「Juden gaß」と見えます。Juden=ユダヤ人、gaßはgaße(ガッセ)の略で、gaße=小路、つまり「ユダヤ小路」とか「ユダヤ横町」みたいなニュアンスです。

拡大画像を見ると、細い道を挟んで目の前は城壁、ゲットーの裏側は木が植えられて視界を遮断しているようです。

 

ちなみに1905年からワイマール時代にかけてドイツ人のノーベル賞受賞者は40名で、その内11名はユダヤ系だそうです。

ドイツ帝国が崩壊してワイマール共和国が成立した1919年は第一次大戦の戦後処理であるベルサイユ条約(1919年6月)が調印されました。つまり、ドイツ経済が重い賠償金で窮迫した時代なのです。そして、20年に復興大臣に就任するヴァルター・ラーテナウはユダヤの大実業家でした。彼は1922年に外務大臣に就任し、同年4月、ソ連とラパッロ条約(ラバロ条約)という通商友好条約を結びます。しかし、これはソ連にあるドイツの資産を放棄するもので、これが右翼を刺激し、6月に暗殺されます。

また、第一次世界大戦後、オーストリアやドイツ国内にソ連やポーランドからの東方ユダヤ人が大量に流入します。

 

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ドイツに以前から住んでいたユダヤ人はドイツ人と同化していましたが、東方ユダヤ人は異教徒であり、明らかに異形の人々でした。彼等はシオニスト達に刺激を与えます。

ワイマール憲法が成立したのは1919年です。この本、『あるユダヤ人の懺悔』に書かれているように、国民主権、男女同権、労働者の権利の保障など、理想に走りすぎてドイツの現実に即したものではありませんでいた。

ワイマール共和国でのユダヤ人の閣僚は決して多くはなかったそうですが、ドイツ人の間にユダヤに牛耳られているという感情が芽生え、それは反ユダヤに向かいます。

善悪は別として、ヒトラーが出現する前にこうした背景がありました。

ヒトラーは23年にミュンヘン一揆に失敗し、投獄されます。この時に獄中で書かれたのが『我が闘争』で、25年にナチス党の禁止が解除されると党を再建します。28年の選挙では12議席の弱小政党だったナチスは30年の選挙では一挙に107議席を獲得して第2党になり、32年には議席を減らすも、翌33年に首相の座につき、ここからユダヤ人への迫害が激化します。この間、29年の大恐慌もありました。

25年から33年というと、著者は18歳~26歳、そして39年、32歳の時に亡命したわけです。

彼のような移住してきたユダヤ人と違って、ドイツに同化していたユダヤ人にとってはドイツが祖国という意識が強く、若者は脱出させますが、老人はこうした状況でもドイツに留まった結果、ホロコーストの悲劇(悲劇という言葉では表しきれませんが...)に遭ったのです。


こうして見ると、ユダヤ人が優秀な故に第一次世界大戦後のドイツの再建を委ねられ、元々、不当な扱いをされていたので、その解放は当然の権利でしたが、一方、様々な社会的要件が重なり、ヒトラーのような狂人が出現してしまったのです。

 

 

* * * *

 

なお、支那事変で日本が戦ったのは蒋介石率いる国民党ですが、蒋介石が共産党と第二次国共合作を始めるの36年の西安事件(蒋介石の監禁事件)以降で、蒋介石のバックにはアメリカのみならず、イギリス系の財閥も暗躍し、ドイツは軍事顧問となっていました。ここから日本は泥沼の日中戦争に嵌まっていきます。著者は39年に上海に亡命し、阿片貿易で財をなしたサッスーン財閥の顧問となっています。サッスーンは蒋介石と組んで幣制改革(35年)でボロもうけしています。おそらく、著者は上海でも日中戦争に何らかの形で関わっているはずです。

 

サッスーン照会に関しては以下の動画が参考になるかと思います。

 

ノンフィクション作家・河添恵子#7-1★アメリカ左派と中国の密接な繋がり / キーマンは陳香梅とキッシンジャー

ノンフィクション作家・河添恵子#7-2★客家人・サスーン・蒋介石の時代〜20世紀の中国とアメリカ〜

 

 

  


 

 

 

2019/05/19

【GHQ焚書】No.1 支那事変(日中戦争)/通州事件

チャンネル桜の番組で「GHQ焚書図書開封」という番組があります。

これは、戦後、GHQ(占領軍)により焚書された図書を集め、そこから西尾幹二氏が選んだ本を解説していくと言う番組です。

焚書とは刊行物を焼き捨てること、つまり、発禁のようなものですが、この場合は、昭和8~20年頃に刊行された本の中から日本人に読ませたくない本を選び出し、流通機構や公的機関から消した行為を言います。但し、図書館や家庭に所蔵されている本までは手を付けなかったので、探せば古書店などで見つかることもあり、チャンネル桜で集めたそうです。

この動画が放送されたのは10年ほど前ですが、現在、週に1度くらいのペースで再upされており、ブログ主は時々目に付いたときに視聴したり、過去の動画をランダムに観ています。たまたま今、中国の近代史を調べているため再度視聴したので、覚え書きとして記録しておこうと思います。

 

 

GHQ焚書図書開封 第1回

第1回:占領直後の日本人の平静さの底にあった不服従に彼らは恐怖を感じていた 出演:西尾幹二 平成19年2月1日 初回放送

  • 『米英挑戦の真相』 編者:大東亜戦争調査会(昭和18年) … ABCD包囲網に関する分析の件を紹介
  • 【参考図書】『閉ざされた言語空間: 占領軍の検閱と戦後日本』(江藤淳 著) … 戦後、検閲された信書や雑誌などの記事を調査したもの
  • 【参考図書】『GHQ検閲官』(甲斐弦 著)…検閲官をされていた方の本

GHQ焚書図書開封 第2回

第2回:一兵士の体験した南京陥落 出演:西尾幹二 平成19年2月15日 初回放送

  • 【復刻版】征野千里 (呉PASS復刻選書3) 単行本(ソフトカバー) – 2014 谷口勝 (著) … 支那事変に出征した兵士の手記

 

第1回はイントロダクションですが、焚書とは何かというだけでなく、「焚書によってGHQは何をやろうとしていたのか」、「日本人はその当時、どのようなことを考えていたのか」、「日本人は戦後、何故これほどまでに従順になったのか」といった西尾氏の考察が語られます。

併せて江藤淳氏の本を紹介し、当時の「検閲」についても語られますが、GHQの徹底ぶりには驚かされます。

戦争に関する記述のみならず、GHQやマッカーサーを非難するものも褒めているものもダメ、という規準があり、これを検察官にチェックさせるのです。

検閲官は日本人から募集した者で、当然、日本語と英語ができるインテリが行いました。彼等は割り当てられた手紙や雑誌・新聞記事を読み、ガイドラインに沿ったものを見つけると英訳して報告します。問題なしとしたものも別の検閲官にチェックさせ、そこに検閲すべきものがあったら、最初にチェックした検察官は首にしました。彼等の殆どがその後口をつぐんできましたが、甲斐弦氏がその時の経験を手記にしました。

 

第2回は支那事変に従軍した一兵士の手記ですが、西尾氏がこれを選んだのは、その観察眼の鋭さ。自分の感情を交えずに見たものをあまねく描写する姿勢のようで、確かに朗読される文章は無駄がなく、様々なものを見ている視野の広さを感じます。

西尾氏が説明しているとおり、この文章を読めば(朗読された部分を聞けば)、“南京大虐殺”などデマだということが分かります。

 

下は、この作業を通じて出された西尾氏の本で、途中の巻までは文庫版もあるので、ハードカバーと文庫本、それぞれ1巻のみ提示しました。

 

 

「支那事変」とは1937年(昭和12)7月7日の盧溝橋事件を契機とする日中間の戦争で、現在の歴史の教科書では「日中戦争」と呼ばれますが、元々は「北支事変」と呼ばれ、戦局が拡大して戦火が上海に飛び火した9月2日に「支那事変」と名称が変わります。(※参考図書2)

上にも書いたように、盧溝橋付近で演習中の日本軍が銃撃を受けたことがきっかけで...と一般には説明されるのですが、実際はそれ以前から日本に対するシナ人による挑発がずっと続けられたことが原因でした。また、後にこの銃撃は劉少奇が自分の工作だと自慢話として語っているので共産党の仕業なのですが、中国の公式見解では「日本軍の攻撃」となっているそうです。(※参考図書2-P.117)

下はブログ主の手元にある『支那事変写真帳』(※参考図書4)からスキャンしたものです。

 

Shinajihen

 

 

また、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日に起きたのが有名な『通州事件』です。

とても言葉で描写することができないような虐殺が行われた事件で、下はその日の戦局日誌と写真です。のちに、目撃者(佐々木テンさん)が語ったことによると、誤って中国人を襲わないように、日本人の家の前にチョークで印を付けていたそうなので事前に計画を立ててのことでした。(参考動画1/『通州事件 目撃者の証言』藤岡 信勝 著)

佐々木さんという方は当時中国人と結婚して通州に住んでいたそうで、中国人のふりをしていたので殺されずに済んだそうです。

 

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【キャプション】(現代の漢字に直しています)

七月二十九日、北平(北京)東郊の冀東自治政府の所在地通州の場外に二十九軍の敗残兵が現れ、砲撃を開始すると共に冀東政府に属する保安隊二大隊か之に合流して我が守備隊に迫り、城内に侵入した。之等(これら)の不逞兵士は暴行の限りを尽くし在留邦人三百数十名中二百余名を虐殺した。この惨劇は第二の尼港事件)とも称すべきもので、鬼畜にも等しき彼等の暴虐は痛憤に耐えぬ。写真は反乱部隊に射撃された冀東政府警団幹部教習所の弾痕。(東京日日新聞撮影)

※にこう‐じけん【尼港事件】 ‥カウ‥
シベリア出兵中の1920年(大正9)3~5月、ロシアのパルチザン(遊撃隊)によってニコライエフスク港にあった日本守備隊および居留民約700名が殺された事件。これを理由に日本は北樺太の保障占領を敢行。

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

 

この後、12月13日に南京を攻略し、城内に入場するのですが、これが例の“南京大虐殺”というデマの「南京」です。

念のために書いておくと、中国の「城」というのは城壁に囲まれた街です。

20万人しか人口がないのに30万人殺した、とか、真冬なのに中国や本多勝一などが証拠写真と出した写真が夏服であるとか、デマだということは既に様々な証拠がありますが、『支那事変写真帳』で日誌を読むと、12月7日付で「この日から南京への直接攻撃が回され、郊外紫金山付近に激戦が展開されている」という記述、9日付で「場外の敵は殆ど掃討された」と書かれています。この4日後に場内に入城し、14日に入城式が行われ、23日には移動して杭州を占領しているので、シナ人が通州事件でやったような猟奇的な殺戮を行っている暇などないはずです。

上の動画で紹介された『征野千里』でも、無数のシナ人捕虜を前にどう対処すべきかと持て余している様子が記述されていますが、仮に殺害したとしてもその遺体の処理には相当手間取るはずなのに、ろくに遺骨も出てこないのですから。

 

また、『世界記憶遺産』(現在の日本語の名称は『世界の記憶』※)に“南京大虐殺”の資料が11点あるそうですが、中国はこれを公開していません。

 

※『世界の記憶

英語では『Memory of the World』、従って「遺産」という文字は入っておらず、現在では日本語もそれに倣っています。

本来の目的は資料を登録して誰でもアクセスできる環境にすることで、また、日本が強く働きかけて、“南京大虐殺”や“慰安婦強制連行”のような別の当事者国(この場合は日本)がある場合、相手方の意見も聞くというシステムが採択されたので、一方的な主張だけでは登録されないようになりました。

なお、ユネスコの審査ではそもそも歴史家は入っておらず、歴史的に正しいかどうかという検証はなされません。

 

 

参考図書・関連動画

  1. アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する(馬渕睦夫著)
  2. 今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史(黄文雄著)
  3. 世界の歴史〈20〉中国の近代 (河出文庫/市古 宙三 著) … 元々手元にあったもので1990年の古い本だが、社会的背景などの説明が詳しく分かりやすい。但し、日本に対しては「侵略」史観。
  4. 支那事変写真帳(東光社 編)… 同じものは国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧可能。

 

 

 

 

  1. 【日いづる国より】藤岡信勝、封印されてきた「通州事件」の真実[桜H29/4/21]
    https://youtu.be/XVFyHga9NNg
    司会:中山恭子(参議院議員・日本のこころ代表)
    ゲスト:藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
     
  2. 1/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7] (続きは 2/33/3 に)
    https://youtu.be/P4-pV7Iy6AM
    パネリスト:
     阿羅健一(近現代史研究家)
     江崎道朗(評論家)
     藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
     水間政憲(ジャーナリスト)
    司会:水島総

 

 


 

 

 

2019/05/05

【書籍・動画】『近衛文麿 野望と挫折』(林千勝著/ワック)

今回も前回エントリー『【書籍・動画】日米開戦 陸軍の勝算(林千勝著/祥伝社新書)』に続き、未読の本ですが、関連動画を覚え書きとしてメモ。

 

1. 近衛は自殺したのではない!近衛の野望と挫折

2. 林千勝先生講演「日本の勝算と敗北 - 現代への教訓 – 近衛文麿の野望と挫折 」
以下の3本の動画からなる再生リスト

 

 

動画1と2は連続しているわけではないのですが、前回ご紹介した『日米開戦 陸軍の勝算』とこのエントリーの『近衛文麿 野望と挫折』との連続性が語られているのでリストしました。

2はレジュメを使った講義形式ですが、レジュメがなくても理解できる動画かと思います。

 

参考までに産経に掲載されたこの本と林氏の近著『日米戦争を策謀したのは誰だ!』の書評を下に引用しますが、後者は第31代米大統領フーバーの回顧録『裏切られた自由』を読み解く形で進められます。これが日米開戦に至るアメリカ側の動きで、前者(『近衛文麿 野望と挫折』)は日本側の動きを近衛とその周辺に蠢く人物等に焦点を当てた本。

これだけでも様々な魑魅魍魎が蠢いているわけで、昨今、某インターネット番組(はっきり言えば「虎ノ門ニュース」ですが)で「コミンテルン」(=第三インターナショナル)や「、ソ連のスパイ」だけに矮小化したり、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトを単なる「デュープス」(dupes:だまされやすい人、お先棒)呼ばわりするのはいかがなものかと思います。(おそらく、ライトな視聴者向けに共産主義の恐ろしさを強調しているのだとは思いますが。)

戦争や革命はイデオロギーだけで起こるものではなく、イデオロギーはその手段の一つだと思います。戦争や革命も然り。それによって何かを得られるから戦争を起こすと考えた方がいいのではないでしょうか。

そして、その目的は何か、に目を向けるべきだと思います。

尤も、イデオロギーと目的が一致していたり、イデオロギーが主の場合もあり、また、個々人の心に潜む偏見やレイシズム。人間の行動原理は様々な要素があり、それらが複雑に絡み合い、一部の利害が一致すれば協力したり、相反すれば反目し合う。それだけに魑魅魍魎なのでしょう。

 

最近流行りの『ヴェノナ文書』も、解明されたとしても、世界の歴史観を覆すことはできないとブログ主は考えます。それは、真相を暴きたいと思う人間より、真相を隠したい人間の方がずっと力や資金力があるからです。

それは、広島長崎への原爆投下や東京などの非戦闘員を狙った無差別爆撃がどれほど非人道的なのかは明らかなのに、アメリカ人の多くが一向に贖罪意識を持たないのと同様。フーバー大統領はアメリカでは人気のない大統領なのだそうですが、アカデミズムやメディアはそうした勢力に握られているからです。

しかし、せめて日本人自身は歴史を学び直し、戦後、不必要に植え付けられた贖罪意識を払拭して精神的な武装をする必要があると思います。

 

【参考】書評

 

https://www.sankei.com/life/news/180225/lif1802250013-n1.html
2018.2.25 14:00
【書評】己の名誉、栄光追求で一貫 『近衛文麿 野望と挫折』林千勝著

 近衛文麿という著しく日本的な政治人間の活写が鮮やかである。彼は昭和12年6月から14年1月までと、15年7月から16年10月までの間、国政の頂点にあって運命的な役割を果たした。この間にまず「国民政府を対手とせず」と表明して日支事変を泥沼化し、次に「日独伊三国同盟」により米英と敵対する側に立ち、さらに「日ソ中立条約」で背後を固めた。16年7月には南部仏印進駐を強行して石油の全面禁輸を招来し、日米戦争を不可避にしたところで政権を投げ出した。

 誰も望まない米国との戦争に日本を突入させたのは近衛政権だったと言っても過言ではない。近衛のブレーンとして政権中枢に浸透した尾崎秀実、風見章ら共産主義者たちが日支事変を泥沼化して日本を疲弊させた後、日米を戦わせて日本を敗戦革命に追い込み、その上で世界の共産化を進めるという世界戦略で動いていたことは明らかである。

 近衛は徹底した利己主義者で、共産主義者、右翼国粋主義者、軍人・官僚、メディアなど、使えるものは何でも利用して自らの声望を追求したのだったが、結局は尾崎、風見らの世界革命戦略に利用される結果になった。

 日米開戦後、近衛は一転して早期終戦を唱え、敗戦後はマッカーサーにいち早く接近して戦後政治の主導権を取ろうとしたが挫折した。一見変わり身が早く見える彼の行動は「己の名誉と栄光を求める」という意思で一貫しているとする著者の分析は正しい。

 19世紀から20世紀への世界的転換期を踏み誤って焦土と化した日本は、その後の冷戦期においては不動の日米同盟を基軸に奇跡の復興発展を果たした。そして20世紀から21世紀へ転換する最終局面にある今、近衛文麿の悲劇をたどり直す本書の試みは、近衛ブレーンの末裔(まつえい)たちがいまなお執拗(しつよう)に流し続ける反日・反米プロパガンダに対する解毒剤として有意義である。

 そして、いま日本の舵(かじ)を取っている政権が、自由主義と民主主義、太平洋国家という地勢的特性に立って揺るぎない日米同盟を築いていることに安堵(あんど)を覚える。(WAC・2300円+税)

 評・葛西敬之(JR東海名誉会長)

 

https://www.sankei.com/life/news/190223/lif1902230025-n1.html
【編集者のおすすめ】『日米戦争を策謀したのは誰だ!』林千勝著
2019.2.23
 □『日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは-』

■魑魅魍魎たちの戦いの象徴

 林千勝さんの前著『近衛文麿 野望と挫折』は、JR東海名誉会長の葛西敬之さんによる書評(産経新聞、平成30年2月25日)でも取り上げられました。本書は、それに続く、渾身(こんしん)のノンフィクション作品です。歴史上初というと大げさかもしれませんが、国際金融資本(ロックフェラーなど)の闇に切り込んだという点で、ちょっと類書のない意欲作ともいえます。

 日本を戦争に追い込もうとするロックフェラーやルーズベルト。スパイを使って彼らを巧みに操り、ほくそ笑むスターリン(コミンテルン)。そうはさせまいと、米国が直接攻撃を受けない限り、戦争には参戦しないという「不干渉主義」の立場から敢然と抵抗するフーバー。

 彼は、ヒトラーとスターリンとが戦い、共に自滅するのがベターだと判断していました。しかし、彼には「孤立主義者」のレッテルが貼られます。そして、「己の名誉と栄光を求める」ことのみに躍起となっていた近衛文麿の下には、尾崎秀実(ほつみ)や風見章、牛場友彦など、怪しげな政治家や知識人が集まり、日本を日米戦争に引きずり込もうとしていきます。サブタイトルにスターリンは入っていませんが、彼の動きは詳述されています。

 そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちによる「平和」「戦争」との戦いを象徴するものが「日米戦争」だったのです。「偽りの歴史」を百年一日のごとく繰り返す、ありきたりの「歴史書」では感得できない「歴史の真実」を本書で味読してください。
(ワック・1800円+税)

 ワック「歴史通・書籍」 編集長 仙頭寿顕

 

 

【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]

林千勝氏も出演されている討論番組。

 

【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]
2018/08/11 に公開

パネリスト:  
岩田温(政治学者・大和大学政治経済学部専任講師)  
上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)  
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)  
髙山正之(コラムニスト)  
田中英道(東北大学名誉教授)  
西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)  
林千勝(戦史研究家)  
宮崎正弘(作家・評論家)

司会:水島総

 

 


 

 

 

2019/05/02

【書籍・動画】日米開戦 陸軍の勝算(林千勝著/祥伝社新書)

掲題の本、『日米開戦 陸軍の勝算』(林千勝著/祥伝社新書)を読もうと思っているので、著者が解説している動画を覚え書きとしてメモ。

書店に買いに行ったところ、大型書店2店回っても在庫がなかったので、しかたなくネット書店で注文し、今日届く予定、つまり未読なので、書評は書けないのですが、動画のURLなどを記して一旦このエントリーを公開することにします。

  

 

 

この本を簡単に紹介すると、大東亜戦争について、巷間よく言われる、

 

「陸軍の暴走により日本は無謀な戦争をした」

 

というのは嘘で、実は、陸軍は戦争やむなしとなったときのために戦略(腹案)は立てており、海軍もその情報は共有していたのに、その通りに戦わなかった、ということのようです。

タイトルになっている秋丸機関とはその戦略を立てた機関で、そのポイントの一つは「ヨーロッパを重視している米国との戦争は極力避けるべし」というもの。

しかし、我々が既に知っているように、初っ端からその計画は壊れました。

 

山本五十六連合艦隊司令長官が真珠湾攻撃に固執したからです。

 

 

上の3冊は互いに関係しており、著者の林氏によれば、『近衛文麿 野望と挫折』(ワック)の中に『日米開戦 陸軍の勝算』の要約が書かれているそうです。

ブログ主はまだ『日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは』を読みかけなので、上記2冊に取りかかれるのはもう少し先になりそうですが、読んでいる最中にも多の2冊は参照したくなりそうだと思って入手したのでした。

 

* * * *

 

この動画の②で『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著/中公文庫)に書かれた「総力戦研究所」に言及されます(23:50あたり~)が、それで、ブログ主はこの本を“読んだ”ことを思い出しました。

動画をご覧になれば分かりますが、林氏に対し、この『昭和16年~』を引き合いに出して反論する方が多いそうです。

 

そこで本棚から引っ張り出して見たら、途中で読むのをやめていたことを思い出しました。(半分ほどのところに文庫本カバーの「折り返し」を挟んでいて、その後を読んだ形跡がありませんでした。) 後述しますが、この本はタイトルで結論を言っているので、読まなくてもいいやと思ったのでしょう。

 

「総力戦研究所」とは、ご説明すると、以下のような組織です。

 

霞が関の各省を中心に、丸の内や大手町の民間企業、それから日銀からも一人、新聞記者(同盟通信、現在の共同通信)も一人、三十人ほどの若手エリートを集め「模擬内閣」を作らせて閣議を行った。データは自分の役所や会社から集めた。そして、彼等が昭和16年夏に出した戦争の経過は実際とほぼ同じだった。この研究成果は東条英機陸将も聴いている。

 

要するに、『昭和16年夏の敗戦』というタイトルでも分かるように、既に敗戦は分かりきったことであるのに、日本が「無謀な戦争」に突入したのだ、という結論をもって書かれた本なのです。

また、この本は小説仕立てになっていて、登場人物に直接話法で語らせています。従って、非常に読みやすいのですが、一方、著者の思うとおりに登場人物に語らせているわけで、読者にミスリードさせるものとなっています。

 

林氏が言うには、この研究機関の主目的は教育と訓練であり、この研究は単なる物量比較しかしていないそうです。また、ほぼ同時進行的に戦略を練っていた秋丸機関とは異なり、インドやインド洋には全く目を向けていません。

動画の中で『昭和16年~』から引用して紹介される、報告を聞き終わっての東条の発言も何かに記録されたものではありません。(但し、後に研究生が記憶を呼び起こし、総合させたものは一致していると書いています。)

 

東条の発言(小説での台詞)を以下、引用します。

 

諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。

日露戦争で我が大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。

あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利に繋がっていく。

従って、君たちの考えていることは、机上の空論とは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。

なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということでありますッ。

 

研究生達の記憶を信じ、実際に東条英機がほぼこの通りのことを言ったとしても、秋丸機関の作成した案の存在を知らずにそのまま受け取れば、総力戦研究所の出した結論を無視して無謀な戦争に突入した証拠と取れるし、「やむにやまれず」戦争に突入するとしたら、この研究成果を参考にしつつも更なる戦略を練るのが軍人であるという発言にも取れるでしょう。

 

 

 

上にご紹介したもう一冊の『大東亜戦争の真実―東條英機宣誓供述書』 (東條 由布子著・渡部昇一解説/WAC BUNKO) は、この動画で言及されるので覚え書きとしてリンクを貼ったのですが、秋丸機関の研究報告に基づく戦略が本来の作戦であったということが、この宣誓供述書にもはっきりと書かれているとのことです。

 

 

 


 

 

 

2019/03/15

【書籍】『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)

公開: 2019-03-15 22:24:56  最終更新: 2019/05/27 10:49  

掲題は最近入手した本のタイトルですが、ある意味衝撃を受けたので、ご紹介します。

まずはその中の一節を。

 

日本人の知らない「ロシア革命」の実像

日本ではほとんど知られていないが、当時欧米の新聞論調はロシア革命とはいわず、「ロシア・クーデター」と呼んでいるのである。つまり、クーデターは革命とちがって首がすげ替えられただけのものである。ユダヤ権力がツァー権力にとってかえられただけのものである。それはフランス革命に次ぐユダヤ人の反撃プログラムの第二弾だったのだ

 

 

 

 

もし、馬渕睦夫元駐ウクライナ大使の著書の読者だったり、ネット番組の視聴者だったりする方だったら、馬渕大使がよく仰っていることと同じだと気づかれたかと思います。

 

この本はあるユダヤ人(後述)が書いた本なのですが、前書きに書かれた日付を見て驚きました。

1979年11月3日なのです。

 

以下、目次の一部もご紹介します。

 

Jew01

 

Jew02

Jew03

 

5章の最初の方なんて、かなり興味を引かれませんか?

 

 

また、目次の「ユダヤ人」を「共産主義者」と置き換えたら、最近よく聞く話だというのが分かるかと思います。これを「ユダヤ人」(=ナショナリストではなくグローバリストのユダヤ人)とはっきり言っている方は少ないのですが。

「グローバリズム」や「ディープステート」という言葉は直接には出てきませんが、そういったことが書かれているのが分かるかと思います。

 

それが40年も前に、しかも、ユダヤ人自身の手によって書かれていたとは驚きです。

ブログ主など、前書きを読まずに目次だけ眺めたときに、最近のブームに乗って、山本七平(イザヤ・ベンダサン)のようにユダヤ人のフリをした日本人が書いたのかと思ったほどです。

 

ところで、このエントリーを書くために検索したところ、Amazonのマケプレで古書が売られていることを知りましたが、価格を見てビックリ。絶版で、元々それほど出回らなかったのかも知れませんが。

【2019/05/27追記】この本に付いての補足記事を書きました。→ブログエントリー:【書籍】『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)/ワイマール共和国に関する補足

 

 

 

【2019/05/26追記】林原チャンネルがAmazonを通じて販売することになったそうです。(右側の商品リンク/新書サイズ) 但し、最初の50冊は即完売とのことで、その後も、入荷しては瞬殺だそうですので、ツイッターをされている方は林原チャンネルのアカウントをフォローしてチェックして下さい。

 

著者はモルデカイ・モーゼというユダヤ人で、訳者は久保田政男、元々の出版元は日新報道というところですが、ブログ主が入手した本は沢口企画となっています。

聞き慣れない出版社と思われるかも知れませんが、自費出版なのだそうです。

これは本の袖に書いてあって知ったのですが、著者も翻訳者も既に鬼籍に入り、日新報道も2017年に倒産し絶版になったのを、このまま眠らせておくのはもったいないと思ったから、ということだそうです。(下の画像の下半分の黒い部分は帯です。)

 

Jew04_frontcover

 

2019/05/26追記:前述のように、今後はAmazonで入手でき、上にAmazonの商品リンクを貼りましたが、以下の文章も残しておきます。

この本を入手する方法は後でネットで調べれば分かるだろうと高をくくっていたので、購入したときに確認しなかったのですが、もう少し調べて、分かったら追記します。

【追記】復刻版はISBN番号をとっていないそうで、通常の販売ルートには載っていないようです。

 

Jew05_mail02

 

以下は本の裏表紙に書かれている説明文ですが、初版の帯に書かれていたものだそうです。

 

ユダヤの長老が明かす戦後病理の現像

「ユダヤ人は信じられないほど頭が悪かったのだ」とモーゼ翁は告白する。東京裁判、日本国憲法、その他戦後日本に持ち込んだ改革の全てはユダヤ的思考と民族的悲願の所産だった。マルクス主義もユダヤ民族解放事業のための虚構論理だったのだ....ユダヤ民族の真の理想は戦前の君民共治の中にこそ体現されていたという、日本人の蘇生を心から願うユダヤの一長老の懺悔を聞こう。

 

 

* * * *

 

最後に、ご参考までに林原チャンネルの馬渕睦夫大使の動画一覧(再生リスト)のURLを貼っておきます。田中秀道先生の再生リストも挙げたのは、この本の著者が書いたことと田中先生の仰ることとが相通じるところがあるからです。

 

 

 

 

 


 

2019/03/05

「日本人とは何か?」2 グレートジャーニー

昔、『グレートジャーニー』というドキュメンタリー番組がありました。

下はWikipediaからの引用ですが、医師であり探検家の関野吉晴氏が人類の起源を遡って旅をするというもので、ブログ主も観ていました。

 

人類の足跡である南アメリカ・チリナバリーノ島からタンザニアまで(北ルート)のおよそ5万キロを逆ルートから遡って行く旅の行程(1993年12月 - 2002年2月)を、探検家・関野吉晴が人力で挑み、その姿を追った作品(全8回)。

Wikipedia『グレートジャーニー』より

 

これを思い出したのは、最近、チャンネル桜の『チャンネル北海道』で『日本人の定義とは?「我ら兄弟!日本列島民族」』という回を観たからです。

 

 

 

 

ブログ主がこのところ拘っている「アイヌ」問題とも関係はあるのですが、単純に壮大なロマンとして楽しみました。

ブログ主の遺伝学の知識は中学生あたりで止まっているので咀嚼しかねる部分もありますが、この番組を観つつ調べたサイトなどのURLも貼っておくことにします。

 

【ch北海道】日本人の定義とは?「我ら兄弟!日本列島民族」[H31/2/26]

キャスター:門間ユウジ(キャスター)
若狭 亮子(キャスター)

 

結論から書いてしまうと、下の絵になります。

 

20190226_ch_hokkaido01

 

東へ、東へと向かうグレートジャーニーの途中で、北ルートと南ルートの二手に分かれた我々の祖先が東の果ての日本に辿り着くという話です。

 

ミトコンドリアDNAのハブログループ系統図によると、(ここでいきなり脱落しかけた )日本人は大きく分けた分類のD系統に属し、人類の起源のかなり早い段階でこの系統は枝分かれした、ということが下の図で分かります。

【追記】ご指摘を戴きました。「ミトコンドリアDNAハプログループ」のところは正しくは「Y染色体DNAハプログループ」が正しいのだそうです。

 

20190226_ch_hokkaido02

 

20190226_ch_hokkaido05

 

そして、我々日本人に特徴的な「ハプログループD1b」(D2系DNAとも言われる)は約7万年前に東アフリカのトゥルカナ湖東北部に住んでいた男性に由来します。(リンク先はWikipedia)

ここで、約7万年前に突然変異(YAPという痕跡)が起こりますが、これを持つ男性が東に移動するのが日本に辿り着くグレートジャーニーの始まりです。

 

20190226_ch_hokkaido03

 

20190226_ch_hokkaido04

 

南ルート(海経由)は約4万年前、北ルート(山ルート)はそれに遅れて約2万年前に日本に辿り着きます。

 

この旅のルート上の所々にD2系DNAの痕跡がある人々がいるそうですが、アジアに限れば、日本人だけが持つ特徴なのだ、というのが下のグラフです。

 

20190226_ch_hokkaido06

 

 

20190226_ch_hokkaido07

 

 

このように書くと、「アイヌかどうか判定するのにDNA検査しろ」という短絡的な意見が出るのですが、それが意味がないことを示す、先日、小野寺まさる氏がツイッターに上げて下さった画像とコメントをご紹介します。(ありゃ、タイトルの日本語が変だ...まあ、意味は分かるかと。  正しくは「昭和26年に平取町二風谷(北海道最大のアイヌ集落)で行った血統調査の結果」です。)

 

 

20190226_ch_hokkaido08_onodera

 

明治時代、北海道最大のアイヌ集落は平取の二風谷だ。ここで昭和26年に血統調査が行われたが、結果は衝撃的。純血が1割以下…それも科学的根拠の無い自己申告数でだ。更に4割弱が和人。中には朝鮮人もおり、多分アイヌや不明なども多数。更に70年が経過し「血でアイヌを定義」など無理な話なのだ。

 

DNA分析の話をするのは、日本人の起源やアイヌの起源(=いつ頃アイヌが成立したのか)の話、即ち「アイヌ先住民説を否定」をしている訳で、「アイヌ判定」とは次元が違う話です。

また、「アイヌ」の定義を政府もアイヌ協会もきちんと答えられない以上、判定のしようもなく、現在いらっしゃる「アイヌ系の日本人」ですら、(明治初期くらいを規準としても)既に何分の一かしかアイヌ系と言えない現在、上の表よりも更に混血が進んでいるわけです。

 

また、「アイヌかどうか」という議論は、アイヌ協会や北海道が独自に行っている様々なアイヌ利権を前提としたものです。

アイヌ文化の継承ということなら、本来、「アイヌ」、あるいはアイヌ系の方々だけでなくても良いわけで、例えば、日本の伝統文化を"青い目の人”(←喩えです)が学んだり、継承していても何ら問題がないのと同じことです。

アイヌ協会が「アイヌ文化継承」を「事業」として、いわゆる「アイヌ」だけにしか認めない、というおかしな事をやっているから話がややこしくなっていますが、そもそも、「文化の継承」と「アイヌ利権」は別なものであり、「アイヌ利権」があるのがおかしい、というスタンスで議論すべきなのです。

 

ブログ主がこの「アイヌ利権」のことを知ったのは何年か前でしたが、それは北海道内の問題、北海道が解決すべき問題だと考えていました。

しかし、政府が成立を急ぐ「アイヌ新法」は、「アイヌとは」という定義もせずに、全国展開しようとする悪法です。また、「先住民族と法律に明記」という恐ろしいことまで目論んでいます。

この愚かな行為をなんとしても阻止しなくてはなりません。

 

参考資料

前述のWikipedia『ハプログループD1b (Y染色体)』の項にある「概略」に書かれている下記の説明から見つけた論文をメモしておきます。

 

ハプログループD1b(D-M64.1)は、日本列島で観察される。日本人の約32%[4]~39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1bは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]。

 

ここに出てくる田嶋敦先生の名前で検索したところ、当ブログの以前のエントリー『日本人とは何か? 最新のDNA解析から見た「アイヌ、琉球人、本土日本人」とは』で参照した論文に行き着きました。日本語の表題は「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」というもので、発表は平成24年(2012年)なので、更に上記の研究を発展させたものだと思われます。

 

以下は、その記者会見を広報する東京大学のwebサイトです。

 

 

 

 

 


 

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