小山常実(こやま つねみ/@tamatsunemi)氏は各社の歴史や公民の教科書を比較し、この方面で著作もある方ですが、最近のブログエントリー(2025年4月11日)は沖縄の歴史に関するものでした。
このブログと共に、関連情報のリンクをご紹介するのがこのエントリーの目的です。
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筆者(小山氏)によると、中国が仕掛けている思想運動「沖縄独立運動」を日本の歴史教科書が後押しをしており、特に、「本土」と沖縄の祖先が同じであること、琉球語が日本語の方言であることを隠している そうです。
筆者の分析項目は以下の通りです。
➀沖縄・琉球と「本土」の民族としての共通性を記しているか
・具体的には沖縄人が九州からの移住者を主な祖先としているか
・琉球語が日本語の一方言であることを記しているか
➁琉球文化と日本文化との関係
・日本文化からの影響を書かず、三線の影響だけを記していないか
⓷1609年薩摩の侵攻をどのように記しているか
⓸薩摩及び清と琉球との関係……両属とするか、薩摩の従属国とするか
タイトルの「琉球と『本土』の先祖の共通性を説くのは2社のみ」の2社とは自由社(所謂 ”つくる会” )の『新しい歴史教科書』(2024/5/1)と(竹田恒泰氏の)令和書籍『国史教科書』(2024/6/16 )です。
ブログ主はどちらも市販本を持っているのですが、ここでは小山氏のブログから、令和書籍の記述をコピペしてご紹介させていただきます。
【概略】
➀琉球と日本人は同じ先祖、九州から降りてきた。為朝伝説も。
言語学、考古学、DNAから
➁三線は書かれる。しかし、三線→三味線は書かれず。
⓷突然、琉球を支配した、という形ではない。やり取りが書かれる。琉球側のツッパリ
⓸薩摩の従属国
①②③に関してはまず「中世」ー「室町時代」の項に現れます。
※緑字はブログ主の補足。赤字強調もブログ主。
琉球(沖縄県)の沖縄島は北山・中山・南山の三つの勢力に分かれて対立していました〔※「三山時代」1322~1429〕。琉球の人々の由来について興味深い記録があります。琉球王国の正史である『中世世鑑』と、首里王府で書かれた歌謡集『おもろさうし』によると、十二世紀に源為朝が琉球に現れ、その子が琉球王家の始祖・舜天(初代中山王)だというのです。琉球の正史にこのような伝承が書かれていることから、編纂者たちが琉球の成り立ちについてこのように考えていたことがわかります。
琉球人の先祖は大陸や台湾から渡ってきたか、日本本土から渡ってきたかについては議論があります。琉球の言葉と日本語は文法と語順が同じで、漢語とは根本的に異なることから、日本から渡ってきた人たちだという有力な説がありました。また考古学でも九州南部から十世紀前後に移住してきた人と見ています。そして、この論争を決着させたのが核ゲノムDNA解析の結果でした〔※補足後述〕。
琉球大学大学院医学研究科・北里大学・統計数理研究所の共同チームが、平成二十六年(二〇一四)、現在の沖縄に住む人の核ゲノムDNAを解析したところ、遺伝的に沖縄の人々は台湾や大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表しました。言語学、考古学、遺伝子学の三分野で同じ答えが出でいるので、琉球人と日本人は同じ先祖とみてよいでしょう。
琉球三山が統一されたのは十五世紀でした。中山王の尚巴志が永享元年(一四二九)に三山を統一し、琉球王国(琉球国)が成立し、首里城(沖縄県那覇市)を王宮としました。第一尚氏王統です。その後、王の重臣だった金丸が寛正三年(一四六二)にクーデターを起こして王位に就き、第二尚氏王統に移りました。
琉球は明の冊封を受けて、盛んに朝貢貿易を行ったほか、商船を運航して東アジアから東南アジア一帯で中継貿易をしました。琉球は東アジアの海上交通の要衝であり、特に那覇は市場としても機能し、那覇港は国際貿易港として大いに栄えました。そして、周辺諸国との交流により独特の琉球文化を育んでいきました。
琉球では古くから漆工芸が盛んで、中国王朝や幕府、薩摩への献上品として用いられました。また染織では宮古や八重山の上布をはじめ各地で特色があり、同じように献上品とされました。琉球を代表する楽器の三線は、琉歌の伴奏楽器で、その独特の戦慄と音色は今も親しまれています。 (160-161頁)
次に薩摩との関わりについては、「近世」ー「江戸時代」に記述されます。
薩摩藩は、かねてより倭寇対策を名目に薩摩の渡航朱印状をもたない船とは交易しないように琉球に求め、琉球貿易を独占しようとしたのです。しかし、琉球側はこれ黙殺しつづけたため、両者の関係はしだいに悪化していきました。琉球は朝鮮出兵の軍務負担や、日明関係修復の仲介などを求められるも、薩摩と折り合いがつかず、琉球は態度を硬化させていきました。
そのようななか、慶長七年(一六〇二)に、難破した琉球船が仙台藩に漂着する事件が起きました。徳川家康の命令により、翌年、三九名が琉球に送還されました。家康は、難破民の送還を名目に、日明関係の仲介など、琉球に政治的要求を突きつけようとしたものと見られます。
琉球は家康に対して返礼をしませんでした。幕府は薩摩藩を通じて何度も謝恩使を派遣すべきことを伝えましたが、当時の琉球の中枢にいた謝名利山が頑なにこれを拒みました。そして、ついに幕府から薩摩藩に「琉球征服」の命令が下りました。
しかし、琉球は薩摩からの最後通牒も無視しました。そして、慶長十四年(一六〇九)、薩摩藩は琉球に出兵して沖縄諸島以南を薩摩の従属国とし、奄美諸島を薩摩の直轄地としました。それでも琉球はその後も清の冊封を受けつづけ、形式上は清と薩摩の両方に属することになりましたが、清の主権が及ぶことはありませんでした。琉球は幕府に琉球使節を派遣したほか、琉球が清に朝貢して得られた物資と情報は薩摩藩を通じて幕府にもたらされ、琉球が薩摩藩から入手した日本の銀や海産物などは清に輸出されました。 (217頁)
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◆DNA研究
2013年 Ancient Ryukyu: An Archaeological Study of Island Communities(古代琉球:島嶼コミュニティの考古学的研究)
- Richard Pearson 著 〔→ 2023年12月07日 参照〕
2014年09月16日 : Genome-Wide SNP Analysis Reveals Population Structure and Demographic History of the Ryukyu Islanders in the Southern Part of the Japanese Archipelago (ゲノムワイドSNP解析から明らかになった日本列島南部の琉球島民の集団構造と人口動態史 )〔学術雑誌『Molecular Biology and Evolution』〕
- 琉球大学プレスリリース〔PDF〕: ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動における取材について
- 琉球新報: 現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」
>琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は台湾や大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表した。
【補足】台湾の原住民は「オーストロネシア語族」のルーツと判明している。
※ かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾諸語との類縁性が証明され、オーストロネシア語族と呼ぶようになった。
2021年11月11日 Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages 〔『Nature』〕
宮古島市にある「南嶺の長墓遺跡」の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが、マックス・プランク人類史科学研究所(ドイツ)や県内研究者などの学際的チームの研究で分かった。従来、先史時代の先島の人々は台湾やフィリピンなどの南方に由来するとされてきた(南方説)が、北側の沖縄諸島から来たことを示す研究成果。先史時代の先島は奄美・沖縄諸島と接点がないとされてきた説も覆す。英科学誌ネイチャーに掲載され、日本時間11日に発表された。
同研究所のマーク・ハドソン氏が長墓遺跡で発掘した先史時代(先島では約4千~千年前)と近世(17~19世紀)の人骨を分析した。近世の人骨は現代沖縄人とほぼ同じ約20%の縄文DNAを持つが、先史時代は100%だった。先史時代の宮古島では縄文文化を示す土器などは確認されていないが、縄文ゲノムが存在したことは大きな発見だとしている。
今回の学際的研究では日本語や韓国語、モンゴル語などの「トランスユーラシア言語」の起源は新石器時代の中国・西遼河地域の農耕民までさかのぼり、農耕民の移動により言語と農耕が拡散したことを示した。
また、言語学や考古学の観点を合わせると、中世(グスク時代、11~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住してきたことが推定できるという。
共同研究者の高宮広土鹿児島大教授は「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と解説した。
研究に協力した宮古島市教育委員会の久貝弥嗣氏は「DNAを使って人の移動を分析したのは貴重。通説は南との関係性が考えられていたので、インパクトがある。DNAと遺跡から出ている資料をリンクさせて研究する必要がある」と話した。
研究チームは先史時代の八重山の人々がどこから来たのかは今後の分析が必要だとしている。久貝氏は「宮古、八重山、沖縄の人骨などの資料を総合的に調べていけば、琉球列島全体の人の移動が見えてくるのではないか」と話した。
2023年07月20日 Demographic history of Ryukyu islanders at the southern part of the Japanese Archipelago inferred from whole-genome resequencing data(全ゲノム配列解析データから推定された日本列島の南部に位置する琉球列島の人々の集団史)
琉球大学: 全ゲノム配列解析により見えてきた沖縄島と宮古諸島の集団の形成過程
>琉球大学医学部先端医学研究センターの小金渕佳江特命助教(現・東京大学大学院理学系研究科)、琉球大学大学院医学研究科の松波雅俊助教、今村美菜子准教授、前田士郎教授、石田肇名誉教授、木村亮介教授の研究チームによる研究成果が、人類遺伝学の学術雑誌「Journal of Human Genetics」誌に掲載されました。
>本州日本から琉球列島への移住がグスク時代〔※グスク=城/12世紀末~/三山時代も含まれる〕にあったと想定されるが、沖縄と宮古の祖先集団で本州日本からの移住率が異なる可能性が示唆された。
2023年12月07日 PLOS Genetics:Exploring the genetic diversity of the Japanese population: Insights from a large-scale whole genome sequencing analysis (日本人の遺伝的多様性を探る: 大規模全ゲノムシーケンス解析からの知見)
産経:日本人2段階で「下戸」に 1万人ゲノム解析し判明
2023/12/8
>日本人約1万人のゲノム(全遺伝情報)を解析した結果、酒に弱い「下戸」となる遺伝子変異がある人の割合が、約2万年前と約7500年前の2段階で増えたことが分かったと、国立国際医療研究センターなどのチームが7日付の国際科学誌「プロスジェネティクス」に発表した。はっきりした理由は不明という。
※ 記事中には言及がないが、表に「沖縄に住む人の祖先では九州から移動した時期に減少」とある。〔つまり、沖縄の人は酒に強いらしい〕
- この論文の中で、先行する2013年の論文に言及している。
lthough the Ryukyu Islands are separated from Kyushu Island by a significant distance, the agricultural culture known as the Gusuku period began 800 years ago, and it is believed that this agriculture was introduced by migrants from the mainland [5].
【和訳】琉球諸島は九州本島からかなり離れていますが、グスク時代と呼ばれる農耕文化は800年前に始まり、この農業は本土からの移住者によって導入されたと考えられています
脚注 5:Pearson R. Ancient Ryukyu An Archaeological Study of Island Communities: University of Hawai’i Press; 2013.
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次回エントリーは、『【沖縄】琉球人は本土からやって来た (2)考古学・言語学による分析』を予定しています。

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