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沖縄(歴史)

2019/04/06

【沖縄】沖縄メディアの歪んだ歴史観「社説:廃琉置県140年 植民地主義から脱却せよ」

沖縄の二大新聞の一つ、琉球新報の4月4日付社説です。

沖縄県民や子供達が、新聞や学校の教師からどのような歴史観を刷り込まされているかよく分かるので、ご紹介します。

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-898326.html
<社説>廃琉置県140年 植民地主義から脱却せよ

 140年前の琉球の人々が今の沖縄を見たら何と言うだろうか。当時から連綿と続く植民地支配のにおいをかぎ取るに違いない。

 明治政府は1879年4月4日、琉球藩を廃し、沖縄県を置く旨を全国に布告した。「琉球処分」(琉球併合)といわれる廃琉置県である。これに先立ち政府は先鋭の武装警官や兵士ら約600人で首里城を包囲し、武力で威圧した上、尚泰王や官員らを城から追い出し占拠した。

 「処分」の直接の理由は、中国との外交禁止と裁判権の移管を琉球が拒否したことだったが、政府は最初から併合を狙っていた。琉球の士族らは激しく抵抗する。抵抗運動は瞬く間に全県へ拡大するが、政府が派遣した松田道之処分官は集会の全面禁止を命じ、警察を使って運動を弾圧する。多くの役人を逮捕し、棒で殴るなどして拷問した。

 「琉球処分」は井上馨大蔵大輔(現在の事務次官級)による1872年の建議書がきっかけとなった。琉球国王を「酋長」と蔑称で呼び、軍事の観点から琉球を「要塞」と位置付け「皇国の規模拡張」を狙う内容だった。琉球併合後、内務大臣の山県有朋は沖縄を日本帝国の南門とし「国防の要」として、日本海軍の国防戦略で最も重要な軍備対象の一つに位置付ける。

 琉球王国の約500年の歴史に終止符を打った廃琉置県の布告から140年がたった。沖縄は何が変わり何が変わらないのか。

 その間、沖縄は本土決戦に備える時間稼ぎのための「捨て石」作戦により、12万人余の県民が犠牲になった沖縄戦を体験した。その後、米国の統治下で広大な米軍基地が築かれ、反共防衛の「要石」にされる。日本復帰後も米軍基地は維持され、全国の約7割を占める米軍専用施設(面積)を背負わされている。尖閣諸島の有事などに備え、自衛隊配備の強化も進んでいる。

 こう見ると、琉球併合後の沖縄は、日米の軍事的なとりでにされ続けている点では変わらない。基地被害に苦しむ住民の意思を無視し、抵抗を抑え付け、沖縄を国防の道具のように扱う様もそうだ。それはもはや植民地主義と言うほかない。廃琉置県の布告は、それによる支配の始まりと言うこともできる。

 米軍新基地建設に向けた辺野古の埋め立てはその象徴である。沖縄の人々は知事選や国政選挙、県民投票などで何度も反対の民意を示してきた。にもかかわらず土砂の投入を強行し続ける政府の対応は「琉球処分」と重なる。

 しかし沖縄の人々は県民投票を実施したように、自分たちの大事なことは自分たちで決めるという自己決定権を主張するようになった。それは言い換えれば植民地主義の拒否だ。沖縄の民意に沿って辺野古新基地建設を断念する。それが日本政府や本土の人々にとって沖縄への植民地主義と決別する第一歩になる。

2019年4月4日 06:01

 

見事なまでの「被害者意識」に満ちあふれた歴史観です。

ブログ主も沖縄に関心を持ってから知ったのですが、米軍の沖縄上陸があった3月くらいから終戦の8月まで、沖縄メディアはこういった県民の被害者意識を煽る反日キャンペーンを繰り広げるのだそうです。

手法は「被害者ビジネス」と同じ。劣等感や被差別意識を植え付けて、「差別だ-」と言わせるのです。

 

「琉球処分」については次項に書きますが、このエントリーで書きたいことをある意味象徴している画像をご紹介します。

 

NHK

 

これは、1月24日に放送されたNHK『人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!』の一場面。

沖縄県設置のことを言っているのですが、その前に「琉球藩」となっていることを無視していますね。

廃藩置県によって「薩摩」や「長州」といった藩も消滅したわけですが、これをいちいち「○○滅亡」などと言うでしょうか?

これには学校で習う日本史のトリックがあり、日本人の多くが沖縄はずっと独立国だったという印象を刷り込まされていて、NHKもそれに加担しているのです。

 

なお、この番組は歌手のISSAさんのルーツを探ったものですが、ここに書いてある「踊奉行」とは大陸からの冊封使を迎えるための芸能を司る役職だそうです。沖縄では有名な「組踊り」というものがありますが、これは江戸時代に踊奉行・玉城朝薫(たまぐすく-ちょうくん)が「江戸上り」の際、江戸で見た歌舞伎や能をアレンジして作り出したものだそうです。〔『沖縄はいつから日本なのか-学校が教えない日本の中の沖縄史』(ハート出版/仲村覚著)より〕

 

「琉球処分」とは

『琉球処分』は「処分」という言葉の響きで、明治政府が琉球に対してひどいことをしたかのような印象操作に利用されていますが、シナ(清)との冊封関係あった琉球の、その関係を断つプロセスでした。

明治4年(1871)7月に廃藩置県が行われますが、琉球に関しては、1872年(明治5年)の琉球藩設置~1879年(明治12年)の廃藩・沖縄県設置の処置が行われ、これを『琉球処分』と呼びます。

 

記事では「先鋭の武装警官や兵士ら約600人で首里城を包囲し、武力で威圧した上、尚泰王や官員らを城から追い出し占拠した」と表現していますが、無血開城でした。これに反対したのはシナからの帰化人の「親清派」の士族で、清国に密入国し救援を要請しますが、清にそのような力はありません。

明国やその後の清との交易上、独立国のような体裁を繕っていたという特殊事情の故の既得権益勢力の抵抗でした。

明治4年11月27日には宮古島の船が台湾に漂着し、原住民に54名が殺害されるという「台湾事件」(「宮古島島民遭難事件」)が起きましたが、清は琉球の日本統治を認めつつ、台湾の領有権を所有していないいう理由で賠償金の支払いは拒否。日本政府が明治7年に台湾に陸軍を派遣すると、台湾の領土権を認めて日本の条件を呑みました。

 

こうしてみると、沖縄メディアの歴史観とは琉球時代の親清派、あるいはシナの目線なのだと分かります。

 

ついでに、以前(『【歴史戦】読売新聞「ドイツ製の古地図に『日本海』」、ドイツでの報道は?』)も触れましたが、もう少し、沖縄(琉球)の歴史を遡って見てみたいと思います。

 

「琉球王国450年の歴史」のトリック

沖縄史観では前述の社説に書かれていることに加えて「1609年の薩摩による琉球進攻」も時々言われることがありますが、徳川幕府により天下統一がなされたのは大坂冬の陣(1614年冬/慶長19年11月)、夏の陣(1615年夏/慶長20年5月)を経てからであり、薩摩の実効支配は琉球が幕藩体制に組み込まれたに過ぎません。

また、このことを強調すると、実は1609年以降は薩摩の支配の元、シナ〔明(1368~1644)、清(1616~1912)〕との交易を行うために表面上は独立国の体裁を保っていただけというのが分かってしまい、「琉球王国450年の歴史」(1429~1879=琉球処分)に疑問符がつくので都合が悪いかもしれません。

薩摩は琉球に在番奉行所を設置し、1611年の「掟十五条」により、薩摩の許可無くして交易はできないことを従わせました。

幕府による禁教令も琉球まで届いており、八重山ではキリシタン弾圧事件(「八重山キリシタン事件」※)も起きているのですから、琉球は中央集権体制の元にありました。

 

※ 琉球は第一尚氏王統により1429年に統一国家が形成され、1470年に第二尚氏がこれを引き継いで海洋貿易国家として繁栄したが、1609年、薩摩藩による琉球侵攻を受けて実質的に同藩の支配下に置かれ、宮古諸島・八重山諸島もその支配領域にあった。

一方、本土では1603年(慶長8年)に江戸幕府が成立した。当初、幕府は貿易振興のためにキリスト教を黙認したが、1612年(慶長17年)には幕府直轄領に、1613年(慶長18年)には全国に禁教令を出した。

(Wikipedia『八重山キリシタン事件』の「事件の背景」の項より引用)

 

ちなみに1609年の出来事は、ブログ主の手元にある日本史の要点まとめ参考書では「島津家久の琉球遠征→琉球服属」と表現されています。島津家久(1576~1638)は薩摩藩初代藩主です。

 

ただ、確かに、琉球が日本史に出てくるのは、前述の琉球処分くらいであることは事実です。

しかし、それは日本史の教科書から琉球に関することが抹殺されているために、日本の開国前の歴史において琉球を含めて日本に起きていたことを日本人が学ばされていないだけです。

 

阿片戦争(1840~42)以降、清が列強により半植民地化されていきますが、琉球にはそれ以前から英国船が度々訪れており、日本(江戸幕府)に開国を迫る列強は沖縄を拠点としていました。つまり、現代と同様、琉球は防衛の最前線だったのです。

 

1837年にアメリカとの間に「モリソン号事件」が起こります。これも日本史の授業では暗記すべき出来事の一つですが、モリソン号が最初に寄港したのは琉球です。こうした琉球に関わる事実を教科書に載せないから、突然、明治政府が琉球を併合したような印象を与えられているに過ぎません。

 

阿片戦争の少し前から、1854年の日米和親条約までの教科書レベルの歴史に抜け落ちている琉球史を加えると、ざっと以下のような流れになります。

 

1825年 異国船打払令

  • フェートン号事件以降、英国船の来航が多く、異国船打払令へ
    cf.
     1816年 〔英・琉〕イギリス軍艦アルセステ号、ライラ号来琉
     1819年 〔英・琉〕イギリス商船ブラザーズ号来琉
  • フェートン号事件とは、1808年、英軍艦フェートン号がオランダ国旗を揚げて長崎港に侵入し、オランダ商館員から食糧や薪水を奪った事件。(ナポレオン戦争の英蘭の対立が関係)

1827年 〔英・琉〕ブロッサム号来琉

  • ブロッサム号は当時無人島だが既に153年前に下田藩の管理下にあった小笠原諸島にも来航し、イギリス領と宣言するが、イギリス政府は認めず。

1832年 〔英・琉〕イギリス東インド会社のロード・アマースト号来琉

  • 宣教師ギュッツラフがキリスト教の布教を目的に日本への入国を試みるが実現せず、その後、那覇に寄港。
  • 日本人の漂流民3名(音吉、岩吉、久吉)を引き取り、彼等から日本語を学ぶ。
  • 薩摩の帆船3艘を目撃と記録。

1837年 〔米・琉〕モリソン号那覇に寄港

  • ギュッツラフはモリソン号に移乗。日本に向かう。

1837年 〔米〕モリソン号事件

  • 日本の漂流民7名を伴い、通商を求めて来航→異国船打払令に基づき砲撃、退去させた事件

1840年 〔英・琉〕イギリス海軍輸送船インディアン・オーク号遭難

  • 阿片戦争に参加するため移動中の輸送船が台風に遭遇し、漂流。沖縄中部の北谷(ちゃたん)沖で座礁、沈没。→北谷村民は乗員67名を救出してもてなし、帰国に対して船を提供。→「サマリア人」と評される。

1840~42年 〔英・清〕阿片戦争→南京条約

1842年(天保13) 薪水給与令

  • 阿片戦争の情報を得て、異国船打払令を改め、異国船の来航に際して薪水や食料を給与し、対外的緊張緩和をはかった。

1844年4月28日~5月6日 〔仏・琉〕 フランス軍艦アルクメール号来琉

  • 6月18日、本国の薩摩に飛船(とびぶね)→同日、野本市朗江戸へ→6月28日、島津斉興(しまづなりおき)等に報告→老中阿部正弘に内申→10月20日、幕府からの内命で薩摩は総勢75名の兵を琉球に送る。
  • 仏人宣教師フォルカードを残す→2年間琉球に滞在し、琉仏辞典を著す。
  • 以降、1846年、1855年と3度の来琉

1844年8月 〔薩摩〕 『琉球秘策』

  • 儒学者、五代秀堯(尭)(五代友厚の父)が執筆した、琉球をどう守るかということが書かれた書。
  • 「琉球の処分は」という言葉で始まる。

1846年 〔英・琉〕スターリング号来琉

  • 福州にある琉球館に通商を求めるも拒否された事による。

1844年10月24日 〔仏・清〕黄埔(こうほ)条約(清仏修好通商条約)

  • 天津条約や望厦(ぼうか)条約(1844年の清と米の条約)を踏襲したもの。前年に英が結んだ虎門寨(こもんさい)追加条約とともに、中国の半植民地化をより促進した不平等条約。

1846年5月 〔仏・琉〕フランス軍艦サビーヌ号来琉(2回目)、翌月クレオパトール号来琉

  • セシーユ提督はこの時、琉球駐在の薩摩役人に言及し、薩摩の支配下にあることを見抜いている。
  • ヨーロッパとの貿易のメリットを説き、薩摩の支配から脱却することを勧告。→琉球は交渉を引き延ばし、条約締結には至らずセシーユ提督は去る。

1844年 〔蘭〕オランダ国王ウィルヘルム二世の開国勧告→幕府拒否

1846年 〔米〕ビッドル浦賀来航、通商を要求したが、浦賀奉行の拒否にあって退去。

1851年 ジョン万次郎(中浜万次郎)帰国(琉球上陸)→1853年 鹿児島到着

1853年5月26日 〔米・琉〕ペリー来琉 →1854年「琉米修好通商条約」締結

1853年7月8日(嘉永6年6月3日) ペリー浦賀来航

  • 軍艦4隻を率いてフィルモア大統領の親書を幕府に提出→翌年江戸湾に再航。

1854年3月31日 日米和親条約

  • 最恵国待遇(片務的)など、不平等条約安政五箇国条約

 

上記年表には書いていませんが、薩摩や長州などはこの時期、独自に西洋列強と交易したり戦争したりしていたのですから、薩摩の勢力下にあった琉球の出来事もその歴史の一部なのです。

 

「沖縄はいつから日本であったか」-政府見解

これは以前のエントリー『【沖縄】「沖縄はいつから日本であったか?」 曖昧な政府見解を正した山田宏参議院議員の国会質疑』で書いたことですが、この時に正された政府見解についてもう少し補足します。

下記は、2017年(平成29年)6月5日の山田宏議員の質問に対する安倍総理の答弁を抜粋したものです。

 

○山田宏君 国際法上だけじゃなくて歴史上ですね、向こうは歴史的にやっているわけですから、歴史上明らかだと、こういうふうにやっぱりきちっとこれを補充すべきだと思うんですが。
 これ、第一次安倍内閣のときの閣議決定されたのが、明治以降ははっきりしているが、その前ははっきりしないというやつですから、総理、今の外務大臣の答弁を受けて、きちっと充実をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょう。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいま外務大臣から答弁をさせていただいたとおり、沖縄については、寺島外務卿が、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方である旨述べていたことが確認されています。いずれにせよ、沖縄は長年にわたり我が国の領土であり、沖縄が我が国領土であることは国際法上何ら疑いもないところであります。
 また、繰り返しになりますが、寺島外務卿が述べたのは、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方であるということでございます。

 

この質疑は、『沖縄はいつから日本なのか-学校が教えない日本の中の沖縄史』(ハート出版)の著者である仲村覚氏が山田議員に渡した史料を元にしたもので、それは仲村氏が外務省のサイトにあったものをダウンロードしたものだそうです。

これがどういったキーワードで検索すればいいのか分からないのですが、その内容を前述の本を参考にして書くと、明治12年の沖縄県設置後に清からの抗議を受けてやりとりした記録で、同年8月2日に、寺島卿は「琉球は嘉吉元年(1441年)より島津に属し、日本は数百年琉球の統治権を行使した」旨の回答をしたそうです。

更に清国から抗議を受けると、新外務卿・井上馨が宍戸璣(たまき)駐清公使に命じて再度回答を送り、「清国が琉球の主権主張の根拠とする朝貢冊封は虚文空名に属するもの」、「日本が琉球を領有する根拠は、将軍足利義政がこれを島津忠国に与えたときより確定している」と答えています。

  

  

  


 

 

 

2018/11/29

【沖縄】シナとの冊封体制と渡来人「久米三十六姓」

このブログでは時々「孔子廟裁判」のことを取り上げてきました。

この裁判は久米三十六姓と呼ばれる人達の孔子廟の土地を那覇市(当時、翁長雄志市長)が無償で貸していることに対して、賃借料を請求することを求めたもので、被告は那覇市ですが、久米崇聖会(くめそうせいかい:シナから渡ってきた三十六姓の子孫のための団体)は補助参加人となっています。(裁判について詳しくはこちら

この久米崇聖会に代表されるシナからの渡来人の存在は、沖縄のシナ化や、中国や一部の人間が目論む沖縄独立運動に関わるので、ここでまとめておこうと思います。

 

 

 

 

沖縄(琉球)とシナ(明)との交流が書物に現れるのは1372年だそうです。

この時代は、室町幕府第3代将軍足利義満(在職1368~1394)の時代。シナでは明(1368~1644)が興ってさほど経っていない頃で、琉球の察渡王(さつとおう)が明の光武帝に入貢した記録が残っているそうです。

琉球が薩摩の支配下に置かれたのが1609年なので、シナとの冊封関係は既に2百年以上続いていますが、朝貢貿易の関係にあったからとは言え、と言うか、だからこそ、シナの領土の根拠とはなりません。

 

明は建国以来、鎖国政策を採っており、冊封国にシナ人を在留させて貿易の政務を担当させていますが、琉球では久米という地がその在留地となっていました。

更に、明が滅んで清(1616~1912)が興った時に満州人(女真族)の支配を嫌ってシナから琉球に渡ってきた三十六姓の部族が現在も久米三十六姓と呼ばれる人達の祖先(【※1】)だそうで、この一族の子孫には仲井真弘多(なかいまひろかず)、稲嶺恵一(いなみねけいいち)元沖縄県知事がいます。

 

従って、長らく久米は、さながらシナの租界地のようで、19世紀まで中国語(ここでは取り敢えずそう呼んでおきます…【※2】)が話されており、明治期の琉球処分(廃藩置県)の頃は、日本の支配下に置かれることを嫌って清に逃げたり(「脱清人」)、挙兵を求めて清に渡ったりしたそうです。

また、日清戦争の時は清の勝利を願って祈っていたとのことです。

 

【※1】この説明は『沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著/WAC出版)の説明を参照しましたが、前述の孔子廟裁判のエントリーでは、徳永弁護士が明の時代に貿易のために官僚組織としてきた人達と説明しています。

なお、Wikipediaの『久米三十六姓』の項には、「久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)は、1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)の職能集団、及びその後三百年間にわたり閩から渡来した者や首里・那覇士族から迎え入れた人々の総称。」と書かれており、どちらも間違いではないようです。

いずれにしても、徳永弁護士が説明したように、「彼等は“文明の国からやって来たプライド”を持ち、沖縄の土着の人達と交わろうとしなかった」というのは19世紀まで中国語を話していたという惠氏の本と一致します。

 

【※2】長崎純心大学の石井望准教授のブログでは、久米三十六姓の出身地の福建人は非シナ人(石井教授は「非チャイナ人」と表記)であると説明しています。

 

 

ブログに掲載されているのは『そうだったのか 沖縄!』(仲村覚著/示現舎)の1ページで、この章の見出しは「尖閣を案内した福建三十六姓はチャイナ人ではなかった」となっています。

彼等は琉球に渡るにあたり、シナの戸籍を離脱しており、法的には琉球国人であり、シナ人ではないこと、漢字文化圏ではあるが非チャイナ語圏であることが書かれており、興味深いです。

日清戦争後、日本が台湾を統治するときに、“中国語”を学んだ日本人の話す言葉が台湾では全く通じなかったということを本で読んだことがありますが、台湾語もまた福建方言の系統です。

 

ここまででも分かるように、シナからの渡来人は官僚として特権階級であり、一方、平民は過酷な年貢を課せられ(【※3】)、また、本土のような寺子屋もなかったので、平民は読み書きもままならず農奴として苦しめられていました。庶民が学校に行けるようになったのは、沖縄県の設置以降です。

 

【※3】琉球において強力な中央集権体制が敷かれたのは1477年に即位した尚真(しょうしん)王からで、この時代に文官による専制政治体制が確立されました。

尚真は石垣、宮古、奄美五島を武力で併合。(←薩摩による支配を侵略だと言うが、このことには触れないのが沖縄の歴史) 離島住民には人頭税の他、本島の3倍の重税を課していました。

 

惠氏の著書では、いかにシナからの移民が特権を有していたかを物語る別のエピソードも紹介されています。

尚真王の時代から北京への官費留学生(=官生/かんしょう)は久米村の住民からとされていましたが、尚温王(在位:1795 - 1802)が官生の4人の内2人を首里士族から選ぼうとしたところ、久米村民が暴動を起こしたそうです。尚温王は19歳で早世しますが、毒殺説もあるとのことです。

 

* * * *

 

おそらく、ブログ主が知らないだけで歴史的には立派な渡来人もいたとは思いますが、孔子廟裁判に見られるように、数百年に渡る特権階級が今でも続いていることを考えると、前述の「孔子廟裁判」が単に市の公費問題に留まらないというのがお分かりだと思います。

 

【関連記事】 【沖縄】玉城デニー沖縄の李氏朝鮮化-首里城祭の三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)-

 

 

 

参考図書

  • 『沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著/WAC BUNKO 226/ 新書 – 2015/9/17
  • 『そうだったのか「沖縄!」 』: 仲村覚 (著, 監修, 編集, その他), 仲村俊子 (著), 石井望 (著), 江崎孝 (著) /示現舎 (2015/5/9)
  • 『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』: 仲村 覚 (著) /ハート出版 (2018/4/18)

 

 

 

 

 


 

2018/11/28

【沖縄】「沖縄はいつから日本であったか?」 曖昧な政府見解を正した山田宏参議院議員の国会質疑

公開: 2018/11/28 11:46  最終更新: 2018/11/29 7:32  

これは前回のエントリーでご紹介した本、『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』(仲村 覚 (著) /ハート出版)で知ったことですが、驚くことに、政府は2017年まで、沖縄が数百年も前から日本の一部であったことを明言できていませんでした。

「沖縄はいつから日本であったか?」を問う質問主意書に対し、極めて曖昧な回答しかしていなかったのです。

これに危機感を持った仲村氏が何人かの政治家に訴えたところ、自民党の山田宏参議院議員が理解を示して、国会で質してくれたそうです。

以下に、国会議事録から該当の部分を抜き出して提示します。

 

 

 

 

第193回国会 決算委員会 第10号 平成二十九年六月五日(月曜日)

(前略)

○山田宏君 気象庁が検討してくれということであります。千七百キロも離れているんだから、中国はもっと離れている。だから、やはり気象庁がよく検討して、なるべくここをやって、NHKが毎日これを報道してくれれば、次は石垣、八重山です、その後は尖閣諸島の明日の天気は曇り後晴れですと、毎日これやれば、国民は、ああ尖閣諸島はやっぱり我が国の領土だよねと、ずっと関心を持ち続けるわけです。そのためには、気象庁、検討していただきたいと思います。
 この問題をずっとやっていると時間がなくなっちゃうので、次です。ちょっと次のパネルです。
 尖閣諸島だけではなくて、今、中国は、沖縄もこれは日本の領土じゃないと言い始めている。まあ何とかもたけだけしいというのはこのことなんだけれども、そのことについて公安調査庁は、今年、そして去年、おととしか、内外情勢の回顧と展望の中に、琉球帰属未定論というものを中国が提起しているということで、すごい危機感があるということを書いております。
 しかし、我が国はどういう態度かというと、これまでは、政府の公式の答弁は、皆さんのところにお配りしておりますように、平成十八年十一月十日の第一次安倍内閣の閣議決定で、沖縄はいつから日本の一部かという質問に対して、沖縄については、いつから日本の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置のときには日本国の一部であったことは確かであると、これが今の我が国政府の確定的な答弁なんです。しかし、向こうは、明のときから琉球は我が国の領土だと中国は言っているわけです。我が国の場合は、明治のときからはそうだけれども、その前は分からぬと、こう言っているわけです。こんなことでは勝負になりませんね、これでは。
 少し、この答弁、余りにも簡潔に書き過ぎているから、もう少しきちっと日本の古くからの領土だということを、かつて明治のときに大きな問題になったときに、寺島外務卿が、徹底的に日本の領土だと、縄文時代から領土だというふうに主張しているわけですから、その路線に沿ってこの答弁を少し充実させてほしいと思うんですけれども、外務大臣、どうでしょう。

○国務大臣(岸田文雄君) まず、基本的な立場として、沖縄が我が国の領土であることは国際法上確定しており、何ら疑いもないところである、これをまずしっかり確認しておきます。
 その上で、いつからなのかという点については、明治初期に寺島外務卿が当時の日本政府を代表して在京清国公使に宛てた明治十一年十一月二十一日付けの文書において、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方であり、現に我が国内務省の管轄である旨述べていたこと、これについて外務省としても確認をいたしました。
 いずれにしましても、沖縄については長年にわたり我が国の領土であり、沖縄が我が国領土であることは国際法上何ら疑いのないところである、このように考えております。

○山田宏君 国際法上だけじゃなくて歴史上ですね、向こうは歴史的にやっているわけですから、歴史上明らかだと、こういうふうにやっぱりきちっとこれを補充すべきだと思うんですが。
 これ、第一次安倍内閣のときの閣議決定されたのが、明治以降ははっきりしているが、その前ははっきりしないというやつですから、総理、今の外務大臣の答弁を受けて、きちっと充実をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょう。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいま外務大臣から答弁をさせていただいたとおり、沖縄については、寺島外務卿が、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方である旨述べていたことが確認されています。いずれにせよ、沖縄は長年にわたり我が国の領土であり、沖縄が我が国領土であることは国際法上何ら疑いもないところであります。
 また、繰り返しになりますが、寺島外務卿が述べたのは、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方であるということでございます。

○山田宏君 ありがとうございました。(以下略)

* * * *

 

実はブログ主はこの山田議員の質疑をリアルタイムで観ていたのですが、省略した部分では、日本でも尖閣諸島の天気予報をすべき、ということを求めており、これはよく覚えていますが、沖縄の日本帰属に関する部分は聞き流してしまったようです。

「日本でも」というのは、中国が自国領土として尖閣諸島の天気予報をテレビで流しているからです。

 

上記質疑の中で、「平成18年(2006年)11月10日の閣議決定」について言及されていますが、これは鈴木宗男議員の質問主意書(書面による質疑)に対する回答(閣議決定されたもの)で、その時の回答は「いつから日本の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置のときには日本国の一部であったことは確か」といった、なんともあやふやな回答だったことが分かります。

しかし、山田議員の質疑により、「数百年前から我が国所属の一地方である」ということを明言したのでした。

 

岸田文雄外務大臣、安倍晋三首相の回答に出てくる寺島外務卿が清国公使に宛てた文書とは仲村覚氏が山田議員に要請するときに持参したものです。(詳細は次々章に)

 

「廃藩置県」は「琉球を清との関係から断ち切る」ことで完了した

ここで、岸田外相が「国際法上確定」と言っていますが、これはいわゆる「琉球処分」(1879/明治12年)のことです。

歴史の授業ではおそらく端折っていると思いますが、以下のプロセスを通じて、琉球と清の冊封体制を断ち切る交渉が日清間で行われます。

 

  • 「日清修好条規」(1871年9月13日/明治4/73年発効)
  • 「宮古島島民遭難事件」(1871年11月/明治4)
     …宮古島の漁師が台湾に流れ着き、原住民に殺害される
  • 「廃藩置県」(1872年10月16日/明治4年)=琉球の鹿児島県編入
  • 「琉球王・尚 泰を琉球藩王とする」(1872年10月16日/明治5)
     …この時点ではまだ「琉球藩」が残っていた。(廃藩置県未完了)
  • 「台湾出兵(征台の役)」(1874年5月6日-12月3日/明治7年)
     …「宮古島島民遭難事件」に対して行ったもの
  • 「琉球処分」(1879年/明治12年)=沖縄県設置
     …廃藩置県完了

 

これは国際法的に琉球(沖縄)を日本の帰属とする処理でした。

この辺りを学校でどう習ったのかは、もう忘却の彼方ですが、沖縄県の設置をもって「廃藩置県の完了」と教えるべきなのです。

この間、明治政府は清の李鴻章等と協議を重ねるわけですが、仲村氏が見つけた外交文書とはその間のやりとりを記したものです。

 

また、「琉球処分」の「処分」という言葉尻を捉えて、ネガティブに聞こえるせいか、これを利用して、いかにも、“日本が無理矢理琉球を取った”かのように喧伝する人達がいます。

しかし、「処分」とは、「罰する」や「余分(不要)なものを始末する」という意味以外にも、「(法律上)具体的事実や行為についての行政権・司法権の発動として法律上の効果を発揮させる行為」の意味もあります。

例えば、この当時の言葉として「秩禄処分」(ちつろくしょぶん)というものがあります。

これは、華族・士族に支給されていた封建的な秩禄(家禄と賞典禄)を廃止するために、規則を定めて整理し、最終的には公債(金禄公債)を公布するという処理を行ったことです。

 

ちつろく‐しょぶん【秩禄処分】
広義には、明治政府の華族・士族への家禄支給の廃止政策。版籍奉還以降段階を踏んで進められたが、狭義には、その最後の段階である1876年(明治9)の金禄公債交付をいう。

広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店

 

つまり、「対処」とか、整理するための一連の「プロセス」を表す言葉が「処分」であると思われます。


 

仲村覚氏論文:ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」

この寄稿文は、村本某という芸人が“沖縄は中国から奪ったもの”とテレビ番組(朝まで生テレビ)で発言したことを受けて書かれたものですが、その中で山田議員に持ち込んだ明治期の外交文書について言及しています。

 

https://ironna.jp/article/8864?p=1

(一部引用)

山田氏に要請するとき、筆者は重要な資料を持参した。それは明治12(1879)年の外交文書だ。実は、政府のあいまいな歴史認識を覆す資料が政府内部に存在していたのである。外務省のHPからダウンロードして入手した、カタカナ漢字交じり、もしくは漢語で書かれている文書の概要は次のようになる。(…)

明治12年の外交文書にあるように、江戸時代の沖縄は薩摩の統治が隅々にまでおよび、江戸幕府の幕藩体制下にあった。

 

石井望准教授のブログ

沖縄(琉球国)が明や清との間に冊封関係(朝貢貿易を行っていた)ことは事実ですが、薩摩は在番奉行を設置し実行支配をしていました。幕府の禁教令も八重山まで届いていたそうで、日本の封建体制下に組み込まれていました。

そもそも、沖縄の人の祖先は縄文人ですし、沖縄の方言は日本語の古語をよく残しているなど、古くから日本の一部であったことを示す証拠はいくらでもあるのですが、ここでは長崎純心大学の石井望准教授のブログ記事をいくつかご紹介します。

 

 

* * * *

 

仲村氏のiRONNAへの論文でも書かれていますが、さすがに“日本は沖縄を中国から奪った”とは思わなくても、日本人のどれほどが「沖縄はいつから日本なのか」という問いに自信を持って答えられるでしょうか。

かく言うブログ主も、沖縄関係のネット番組などからこのことを考える前は答えられなかったと思います。(と言うより、そのことを考えたこともなかった、と言うほうが正しいのですが。)

しかし、あらためて沖縄の歴史を調べると、歴史、少なくとも教科書レベルでは“消されている”事実が多いことに気づきました。

これはまた別の機会に書こうと思います。

 

 

 

 


 

2018/11/26

【沖縄の歴史】沖縄ではいつから日の丸がタブーとなったのか

前回のエントリーで沖縄において「国旗掲揚」を求める運動を進めていた沖縄教職員組合が左翼思想に染まり、解散に追い込まれて「沖教祖」が結成されたのが1971年(昭和46年)と書きました。

今回は、この「国旗掲揚」について、もう少し詳しく見てみることにします。

国旗を巡る問題は「祖国復帰運動」を象徴するものであり、前回、祖国復帰運動は形を変えた安保闘争と書きましたが、日付(「年」)に注目して見てみると、それがよく分かるかと思います。

 

 

 

 

敗戦後、日本は国旗掲揚は禁じられていましたが、本土では1949年1月にGHQから国旗の掲揚が認められました。(参考:Wikipedia『連合国軍占領下の日本』)

しかし、米軍統治下の沖縄ではそれが認められず、1952年(昭和27年)には、当時の沖縄教職員組合の屋良朝苗(やら ちょうびょう)会長の名前で琉球政府行政主席(現在の県知事に該当)に「国旗掲揚に就いての請願書」を提出しています。

既に、家庭など、政治的な目的を持たない場で国旗を揚げることは許可されていましたが、教育現場においても認めて欲しいという思いを綴ったもので、沖縄返還協定批准貫徹実行委員会の仲村俊子さんが、後に、初めて日の丸が届いた時の喜びを述懐しています。

 

しかし、喜屋武真栄(きゃん しんえい)氏が組合長になった後、「日の丸に賛成か反対か」というアンケートが届き、仲村さんの学校では賛成が多かったところ、やり直しを命じられた辺りからおかしいと感じたそうです。

Wikipediaで喜屋武氏の経歴を見ると、1968年(昭和43年)に組合長に就任されているので、やはり70年安保闘争と呼応していることが分かります。

 

時々、チャンネル桜の『沖縄の声』でキャスターのお一人、ボギー・テドコンさんが仰ることがあります。

それは、沖縄では、「日の丸の白は白骨の白、赤は血染めの赤」と教えられている、ということです。

また、沖縄では教科書の『君が代』の上にこれを貼って隠しなさいとプリントを配られることが少なくないようです。

ブログ主が時々Twitterでやり取りをする沖縄の高校生がいるのですが、彼(彼女?)は、テレビで何かのスポーツ大会を観ている時に流れてきた『君が代』を聴き、親御さんに「これ何?」と質問したと言っていました。

 

前のエントリーにも書いたように、反基地活動に代表される現在の沖縄のイデオロギー闘争は70年安保闘争に根があります。

言い換えれば、彼等の頭の中は昭和40年代半ばで止まっているのです。

 

* * * *

 

ところで、NHK BS1では時々、前回(1964年)の東京オリンピックの聖火リレーの映像を流すミニ番組を見かけました。

「聖火リレー1964再現プロジェクト」と題しているようで、サイトもあり、そこで県別に作成された番組を観ることができるのですが、第1回、つまり、聖火リレーのスタート地は沖縄でした。

 

 

せいぜい2分足らずの動画なので是非ご覧下さい。沖縄が日の丸で溢れています。(動画のキャプチャとともにテキスト化したものをエントリー末に掲載しました。)

 

* * * *

 

下は『沖縄の声』キャスター、江崎孝氏のブログ『狼魔人日記』です。

 

 

1986年頃の「日の丸」・「君が代」にまつわる“事件”が紹介されていますが、この頃はすっかり、生徒が洗脳されていることが分かります。

 

* * * *

 

下は、今年、沖縄に天皇皇后両陛下が行幸された際の奉迎パレードの映像です。

 

【特番】祝!3.27 天皇皇后両陛下奉迎提灯大パレード ~主催「天皇皇后両陛下奉迎沖縄県実行委員会」~ [桜H30/3/31]

 

4000人以上の参加者が提灯と日章旗を手にしています。

 

参考図書

  • 『そうだったのか「沖縄!」 』: 仲村覚 (著, 監修, 編集, その他), 仲村俊子 (著), 石井望 (著), 江崎孝 (著) /示現舎 (2015/5/9)
  • 『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』: 仲村 覚 (著) /ハート出版 (2018/4/18)
 

 

このの2冊は内容は被っているところはありますが、同じテーマでも、どちらかにしかない情報もあり、甲乙付けがたいものがあります。

敢えて特色を挙げれば、『そうだったのか「沖縄!」 』の方は石井望・長崎純心大学人文学部准教授の執筆部分(シナから渡来した久米村の住人に関する考察や尖閣諸島)、『沖縄はいつから日本なのか』は幕末の沖縄史が詳しいことでしょうか。

 

 

1964年の聖火リレー in 沖縄

下は、(NHKのサイトが消されたときのために)ナレーションを書き取ったものですが、この中で、「日の丸の掲揚が特別に許可され」というナレーションが出てきます。

 

* * * *

 

1964年9月7日正午、聖火は、台風のため1日遅れて翁穴は空港に到着しました。聖火リレーは拍手と歓声に包まれて、12時40分スタート。

 

Olympic_torch_relay01
 

当時の実況:「聖火は沖縄本島を横断し、沿道はどこも熱狂的な歓迎風景を見せ、聖火はこの中を奥武山(おおのやま)競技場に着くことになっております。」

 

Olympic_torch_relay02
 

初日、聖火は奥武山公園の競技場で一夜を明かします。
4万人の観衆が見守る中、聖火台に点火されました

 

Olympic_torch_relay03
 

翌日、聖火は沖縄本島南部を経由し、島の東側を北上して名護市に向かいました。

 

Olympic_torch_relay04
 

名護市嘉陽地区に作られた聖火台。
住民手作りの聖火台は今も記念碑とともに残されています。

 

Olympic_torch_relay06
 

日の丸の掲揚が特別に許可され、県民が振る小旗が沿道を埋め尽くしました。

 

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9日、聖火は沖縄本島の西側を南下し、那覇市に向かいました。

 

Olympic_torch_relay08

 

 

 

 


 

2018/11/23

【沖縄】誤った歴史観について考えさせられた東京大学大学院准教授の論文

最近、沖縄や尖閣の歴史を本や動画、webサイトなどで学んでいるのですが、それらの資料は「沖縄で教師や学者によって押しつけられている歪んだ歴史観」を正すというスタンスで作られて(書かれて)います。

「沖縄で」と書きましたが、本土の人間の間でも「沖縄(琉球)史」を知らないのに、あるいは、無知な故か、同じような歴史観を刷り込まれている場合が多々あります。

これから少しずつ、学んだことを自分で咀嚼してからご紹介して行こうと思っているのですが、今回はそのイントロダクションのようなものです。

 

 

 

 

先に述べた「歪んだ歴史観」とは、「沖縄(琉球)は被害者」というストーリーです。

当然「加害者」がいるわけですが、それは「日本」になります。現代ではそれに「米軍」も加わっていますが、それも、「日本(政府)が重い基地負担を沖縄に強いている」からで、最も悪いのはやはり「日本」。

 

歴史を遡ると、例えば、1609年に薩摩の支配下に置かれたことも被害者の視点で描かれているようです。

江戸時代は1603年に幕府を江戸に開いた時から、と学校で習うとは言え、まだ戦国時代の“延長戦”のような1609年に、薩摩に“侵略”されたことを被害者意識を持った歴史として描くのは異常なことに思えます。(喩えは悪いですが、豊臣秀吉を恨む韓国人のような...)

ブログ主の住んでいる川崎は戦国時代の特筆する歴史がないので実感として分からないのですが、戦国武将がいた地方の方は他国から侵略されたり、他国を支配した時代に対して未だにそういう感覚はあるのでしょうか?(福島県や長野県は元は別の『国』だから~とか、幕末の、例えば会津などはよく言われますが。)

 

* * * *

 

以下に書くことは長崎純心大学の石井望准教授のブログを読んで知ったことです。(そのブログエントリーは後ほどご紹介します。)

そのエントリーでは阿古智子東京大学大学院准教授の論文(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57941)を取り上げています。

論文のタイトルは「日本のエリート学生が『中国の論理」に染まっていたことへの危機感(副題:行き過ぎた政治タブー化の副作用)』というもので、これを読んで2つの点に驚かされました。(gendai  ismediaの記事はしばらくすると読めなくなるので、冒頭を少し長めに引用します。)

最初に書いておきますが、ブログ主は筆者(阿古准教授)の語るテーマそのものがおかしいと言いたいわけではなく、この中に出てくる筆者の「沖縄に関する認識」がおかしいのです。

 

まず、リード部分。

 

日本の若者は民主主義の価値を認識していない? このままでは日本の存在感は薄れていく? 東京大学大学院准教授の阿古智子氏は、最近そうしたことを痛感する出来事がいくつかあったという。日中のエリート学生の討論会と、自身の息子が通う小学校の教育から見えてきたこととは――。

 

本文。

 

■日中エリート学生の討論会で

筆者は普段、大学で現代中国や中国語について教えており、学生団体のアドバイザーも務めている。

先日、コメンテーターとして学生団体の討論会に招かれた。参加していたのは、日本、中国ともに国を代表するようなエリート学生ばかりで、日中学生の混合チームが、流暢に英語でプレゼンテーションした。

私がコメントを頼まれたのは、文化の多様性(cultural diversity)の分科会だった。

はじめに、「文化とは、アイデンティティの一形態であり、共有された社会実践の知でもあります。多様性とは、維持するものでもあり、促進するものでもあります。マジョリティとマイノリティの間の対立をどう解決するか、互いにどのように譲歩すべきか。グローバル化は抗えない趨勢であり、異なる価値観やアイデンティティを受け入れる戦略が必要です」と、学生たちは素晴らしい問題意識を示した。

その後、「日本では言葉遣いがおかしいなどとして、飲食店などで働く外国人を差別する人が増えており、中国のファーストフードチェーンでは、イスラム教徒のためにハラルフードを入れる容器を別に準備したが、イスラム教徒でない人にメリットのないことでコストを増やすのかと反対の声が高まりやめてしまった」と、差別やマイノリティ軽視の事例が紹介された。

そして学生たちは、「誰をも傷つけず、全体に福利厚生を行き渡らせることは難しい。各民族にとって、何が決して譲歩できない、必ず抑えるべき基本的関心事項であるのかを考え、それぞれの文化を実践する権利を保障する必要がある」と説いた。

沖縄と中国の少数民族地区を比較

ここまでは、筆者の頭にもスムーズに話が入ってきたのだが、この後、首をかしげる展開になった。

学生たちは、事例として沖縄と中国の少数民族を取り上げたのだが、「高い同質性を求める日本社会は、沖縄の人たちを独立した民族として認めず、彼らの独自の言葉も文化も尊重せず、日本の国民として同化する政策を行ってきた。それに対して、中国の少数民族は集団的権利を認められており、その独自の言葉、宗教、文化は尊重され、教育や福祉において優遇政策がうまくいっている」と説明したのだ

そして最後に「日本は民族間の境界を曖昧にするが、中国ははっきりさせる。民族の分類が明確になれば、民族アイデンティティを喪失することはない」と結論付けた。

 

まず、この“エリート学生達”の認識に驚かされます。

それと、筆者が何のためらいもなく沖縄の少数民族と書いていることです。(括弧をつけていればまだ分かるのですが。)

これはこの後の文章の伏線になってます。

 

この論文のテーマからも分かるように、この後、筆者はそれに対して批判していく訳ですが、それは以下のように続きます。

 

江戸時代に琉球が幕藩体制に巻き込まれていった経緯や、明治期の学校教育の普及の方法などを見れば、日本が近代国家を形成する中で沖縄を「同化」したと捉えることができるのだろう。

沖縄戦の悲劇や基地問題など、沖縄の多大な犠牲や負担の下に現在の日本が成り立っていることも事実だ。

しかし、過去と現在、未来のさまざまな文化的要素が交錯する中で、アイデンティティは複雑に形成される。そして、仮にも民主主義を採用している現在の日本において、一方的な「同化」など不可能だ。

 

「しかし」以下の文とそれに続く「極端に単純化されたロジック」という章は学生達の論理を批判しているのですが、その前に書かれていることは、彼等の思考過程を想像するという形を取っていますが、筆者の歴史観でしょう。

これが驚いたことの2つ目。

 

これに対する反駁は石井望准教授がブログの中で行っているので、そちらをお読み下さい。

 

二〇一八年一〇月一四日 
琉球史について學生に反駁できてないことへの危機感

http://senkaku.blog.jp/2018101477859471.html?ref=popular_article&id=5907804-1293497

 

石井氏は阿古氏の歴史観部分だけを引用していらっしゃいますが、学生達の認識もブログ主には驚きだったので、ここではそれも含めてご紹介しました。

 

石井氏が仰っているように、論文の筆者は、中央集権体制下に各地に存在した『国々』の一つでしかない琉球を独立国家のように捉えているようですが、これはいわゆる「沖縄サヨク」が展開する沖縄論です。筆者のイデオロギーはよく分かりませんが、少なくとも、ステレオタイプの沖縄観をお持ちのようです。

 

ここでブログ主が言いたいことは、イデオロギーによるものでないとしたら、東京大学大学院准教授という教養のある方でもこんなレベルだということ。

尤も、他国(ここでは「≈他県」という意味)の歴史など、普通はそれほど詳しくなく、「ステレオタイプ」で見ていることはよくあります。

しかし、沖縄の歴史に関しては日本人はもう少し正確に学び、理論武装する必要があると感じています。

それは日本の安全保障にも関わる問題だからです。

 

 

 

 


 

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