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【国際】徴用工問題

2022/09/26

【”徴用工”】韓国語の「徴用」と日本語の「徴用」の意味のずれ

韓国人は「強制徴用」という言葉を使います。

日本人からすると、「馬から落馬する」のような重言〔じゅうごん:同意の語を重ねた言い方〕のように聞こえますが、これには訳があります。

ブログ主は「徴用」自体に強制性の意味があることを知らない現代の韓国人の誤りだと思っていましたが、当時の人も、例えば、企業の募集に応募して働く事を「徴用」と呼んでいたことに、『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔基鎬 著)を久しぶりにパラパラと読み返して気付きました。

 

当たり前のことですが、「徴用」とは、「非常の場合、国家が国民を強制的に集めて、一定の仕事につかせること。」〔新明解国語事典〕で、「徴」の漢字に「強制」のニュアンスがあります。

著者の崔基鎬(チョ・ケイホ)伽耶大学客員教授は1923年(大正12年)生まれで、自身、応募工として働いた経験がおありですが、それを「徴用」と表現しています。

応募者が殺到した手稲鉱山の徴用 P.38/見出し

1939年度から施行された「国民徴用令」によって、朝鮮からの徴用も開始され、〔P.38 →後述

ある土曜日の午後、我ら定年退職者達は、孝昌公園の楼台に腰かけて、戦時中の徴用は、強制連行だったか否かを語り合った。そこで私は、1940(昭和15)年、徴用に応募し、北海道の三菱手稲鉱業所で1年間経験した事を詳細に語り、実態は強制連行ではなく、自発的行為であった事を証言した。〔P.45

 

20220926_chouyou

 

1939年7月8日に公布〔15日施行〕の国民徴用令は朝鮮人も含む全国民が対象でしたが、実際は朝鮮では適用されませんでした。しかし、これと同時に朝鮮では戦時動員が開始されたので、「応募」や「官斡旋」も、「徴用」の一形態くらいに思ってそう呼んでいたのでしょう。

1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[26][32]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[1])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][33]。

Wikipedia:日本統治時代の朝鮮人徴用>労務動員計画

 

朝鮮半島に於ける本来の意味での「徴用」が行われたのは1944年9月から朝鮮と内地間の連絡船が航行できなくなる1945年3月までの約7ヵ月間ですが、上記Wikipediaにも、

動員を受けた元労務者が、実際の形式にかかわらず「徴用された」と回顧する傾向が強く[6]、

と書かれています。

 

試しに、韓国語で徴用を意味する言葉を調べてみたところ、「징용」という言葉で、発音は「チヨン」なので、多分漢字の「徴用」をそのまま朝鮮語読みにしただけでしょう。そして、以下のような例文がありました。

강제적으로 징용당하여 탄광에 끌려가다
強制的に徴用されて炭鉱に引っ張られて行く.

 

以前、金柄憲(キム・ビョンホン)所長が「『徴用』には既に強制の意味がある」と動画で仰っていましたが、漢文の博士である金柄憲所長くらいでないと知らないのでしょう。

韓国語と日本語ではしばしばある事で、同じ単語だからといって、共通の認識があるわけではないのですが、徴用工(朝鮮半島出身労働者)問題を論じる時に、キーワードとなる言葉の定義が違うのでは、話が噛み合わないのも理解できます。

 

 

  


 

 

 

 

2022/09/17

【慰安婦訴訟】韓国地裁、日本への資産開示命令を取り消し。次はどうやって賠償金の原資を見つけるのか?

昨年の1月8日に日本の主権免除が認められず原告勝訴となった慰安婦訴訟で、その賠償金(1億ウォン×12人)の支払いのために日本政府が財産目録の提出を求められていましたが、その請求をソウル中央地裁が取り消した、という報道がありました。〔記事後述

これは、賠償請求そのものが取り消しになった訳ではありません

そもそも、財産目録の提出期限は今年の3月21日で、主権免除を主張して裁判にも参加しなかった日本政府が財産目録など提出するはずはありません。期限は延長されていましたが、それでも日本政府が無視しているので取り消した、という事のようです。

となると、今後は原告側が韓国国内の日本政府の資産を自力で見つけ出して差押えする、という流れになります。

3月21日の期限が来た時に報じられた読売の記事〔後述〕では、「原告側は今後、韓国内の銀行などに日本政府の資産を照会する手続きも含めて対応を検討するという。」と書かれていましたが、首尾良く日本政府の韓国内資産が見つかって差押えたら、次は、所謂”徴用工 ” 裁判のように、この資産の現金化が問題になるわけです。

 

ところで、これで見えてくるのは、”徴用工” 裁判の袋小路というか手詰まり感です。

三菱重工や日本製鉄の場合は韓国国内に資産〔〕があったので原告側は差押えをすることができましたが、その後ろに控えている、約300人とも言われる原告は取り立てる術がありません。

※日本製鉄の韓国内資産であるPNR(韓国「ポスコ」と「日本製鉄」の合弁会社)の株式8万1075株(額面価5000ウォン、合計4億537万5000ウォン)、三菱重工業が韓国に登録した商標権と特許権。

 

現政権が、①韓国政府は肩代わりのようなことはしない、②裁判の結果は尊重する、と言ってしまった手前、出捐するのが誰であれ、基金のようなものを作らないとならなくなってしまったのです。

原告側が、「”戦犯企業” の謝罪が必須で、その企業が必ず出捐しなくてはならない」と主張し続けるならば、永遠に解決しませんが、韓国側が「代位弁済」、つまり、「一時的に基金が立て替えるが、日本企業の債務はそのままなので、基金管理団体が取り立てを迫る」という考えを捨て、単なる「肩代わり」、つまり、「日本企業に迷惑を掛けずに、勝手に韓国内で基金でも何でも作って賠償金を支払う」事にしないと、完全に日韓関係は破綻します。

徴用工裁判はあくまでも「個人の請求権」の問題であり、「司法の判断」〔韓国流『三権分立』〕という位置づけなのに対し、ほぼ政府である基金管理団体が日本企業に賠償を請求したら、日韓基本条約の破棄です。

もちろん、大法院判決を取り消すべきなのですが、尹錫悦大統領にはそこまでの覚悟はないでしょう。

つくづく、バカな国ですねえ。

 

* * * *

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM167SR0W2A910C2000000/
日経:韓国、日本への資産開示命令を取り消し 元慰安婦訴訟で
2022年9月16日 17:54

【ソウル=恩地洋介】日本政府に元慰安婦らへの賠償を命じた2021年1月のソウル中央地裁判決を巡り、同地裁は16日までに、日本政府に対する韓国内資産の開示命令を取り消した。決定は15日付。日本側に決定を通知する書類が送達できないと判断したためで、原告が申請していた資産開示の請求も却下した。

日本政府を相手取った元慰安婦訴訟は昨年1月に確定した。地裁は故人を含む12人の原告に1人当たり1億ウォン(約1千万円)の慰謝料支払いを日本政府に命じたが、日本側は国家は外国の裁判権に服さないとする国際法上の「主権免除の原則」にのっとり、控訴しなかった。

原告側は韓国内にある日本政府の資産を差し押さえるため、日本政府に資産を開示させる請求を地裁に申請。地裁は21年6月に、資産の目録を開示するよう命じた。

 

https://www.yomiuri.co.jp/world/20220321-OYT1T50094/
読売: ソウル中央地裁の資産目録開示命令、日本政府は期限まで応じず…元慰安婦訴訟
2022/03/21 21:02

【ソウル=溝田拓士】韓国のソウル中央地裁が昨年1月に韓国人元慰安婦らへの損害賠償を日本政府に命じた確定判決をめぐり、同地裁が資産目録の開示を命じた期日の21日、日本政府は応じなかった。地裁関係者は「今後の手続きは諸事情を考慮して決定される」と話した。

日本政府は、主権国家が他国の裁判権に服さないとする国際法上の「主権免除」の原則から、裁判そのものを認めていない。地裁は原告側の申請を受けて、昨年6月に開示命令を決定した。

原告側は今後、韓国内の銀行などに日本政府の資産を照会する手続きも含めて対応を検討するという。

 

 

  


 

 

 

 

2022/09/14

【徴用工裁判】「反日」の代償は高い【鄭権鉉論説委員の2018年のコラム】

『朝鮮日報・日本語版』の記事は2週間ほどで消えますが、最新の記事に関連する過去の記事など、時々古い記事を復活させます。

今回ご紹介する記事も2018年12月5日付けで、所謂 ”徴用工” の大法院判決が出た後に書かれたもので、何故か最近復活していました。筆者は前のエントリーでご紹介した鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)論説委員が筆者です。

判決は明らかに司法の権限を越えて、日韓基本条約の破棄を目的としたものですが、それを批判しているコラムです。当時、この手の発言をしている韓国メディアもいたのだ、という意味で記録しておこうと思います。

なお、「外交条約にまで口出しできる司法権を持つ裁判所は、経済協力開発機構(OECD)加盟国にはほかにないと聞いた。 」と婉曲的に書いていますが、文在寅が言っていた「三権分立だから司法の決定に口出しできない」は、それでは、行政権を持つ政府が仮に憲法違反の政策を行っても司法は口出しできない事になり、完全に三権分立を曲解している事を筆者は分かっているはずです。〔尤も、この判決は、政府の意を汲んだものであり、司法の暴走というのは違うのですが。

 

この記事の韓国版のコメント欄もざっと読んでみました。

ブログ主がよく「私が『韓国人は~』という時には、十把一絡げではなく、九把一絡げくらいの意味」と書きますが、残りの一把がそこにいました。

 

* * * *

https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2018/12/04/2018120403069.html
[태평로] '反日의 대가'는 비싸다
2018.12.05

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/05/2018120580029.html
記事入力 : 2018/12/05 11:01
【コラム】「反日の代償」は高い

 事故や災害で被害が予想されるのにもかかわらず、「大したことないだろう」と思っているうちに惨事となる現象の原因を、社会心理学者たちは「正常性バイアス」(Normalcy bias)という言葉で説明する。過去に何度も経験した時の記憶にとらわれ、より大きな危機に直面しても、自分にとって大したことない状況だと認識しようとする心理的傾向は「経験の逆機能」の1つだ。日本に対する文在寅(ムン・ジェイン)政権の対応はこれに当たるのではないかと強い疑問と不安を抱いてしまう。

 10月30日の徴用被害者(徴用工)に対する韓国大法院(最高裁判決)は極めて「大韓民国の裁判所らしい」判決だ。外交条約にまで口出しできる司法権を持つ裁判所は、経済協力開発機構(OECD)加盟国にはほかにないと聞いた。約50年間にわたり維持してきた合意や約束を覆せば相手が反発して関係が悪化するだろう、ということは誰もが知る事実ではなかったのか。ところが、韓国外交部(省に相当)は「日本側の過度な反応を遺憾に思う」と言い返した。ほおを殴っておきながら、殴られた人が腹を立てるのを非難するのと同じだ。

 韓日関係が悪化すると、これまで例外なく代償を支払ってきた。代表的なケースとしては韓日漁業協定がよく挙げられる。金泳三(キム・ヨンサム)大統領退任1カ月前だった1998年1月23日、アジア通貨危機や政権交代期に乗じて、日本政府は協定破棄を一方的に通知してきた。続く金大中(キム・デジュン)政権は「無協定状態」を避けるため、日本が要求する通り独島(日本名:竹島)周辺の「共同水域」を譲歩するしかなかった。これらは、金泳三大統領の「日本の性根をたたき直してやる」といった発言など、度を超えた対日強硬外交が生んだ惨事だという話が伝説のように言い伝えられている。

 金大中政権は韓日友好ムードを生み出したが、日本人を誘拐した辛光洙(シン・グァンス)元北朝鮮工作員を日本側の要請を無視して北朝鮮に送還すると、日本政府は在日韓国人系銀行設立拒否や情報共有拒否で対抗した。その後も日本側は通貨スワップ中止など金融制裁という切り札を随時使用してきた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代には、同大統領が「外交戦争も辞さない」と宣言するや、在日韓国人に対する税務査察強化・留学生研修支援中止といった措置が新たに取られた。

今、日本の世論は、もはやこれ以上悪化しようがないというほど悪化している。徴用被害者判決に続き、慰安婦問題解決のために発足した「和解・癒やし財団」まで解散となり、最悪の韓日関係は奈落に沈んでいる。日本側では「韓国は国家としての体をなしていない」というは極端な発言が飛び出し、韓国と顔を合わせるのが嫌だと言って韓日議員連盟を脱退した議員もいる。安保・軍事情報を断とうという声があるかと思えば、ビザ免除措置廃止などの措置を取ろうという動きもある。目に見えない規制や支援中止は既に始まっている。

 明白なのは、時間が経つにつれて悪化しているという事実だ。「歴史問題疲労症候群」や「中国傾斜論」などの失望が度重なり、韓国から離れようというムードの中、日本の方から先に各協定の廃棄に動くと言い出してもおかしくない状況になっている。韓国政府の外交責任者たちは「日本はあってもいいが、なくても大した不便はない国」くらいに思って扱っている。

 大法院初の判決後、沈黙を守ってきた文在寅(ムン・ジェイン)大統領は1日、初めて韓日関係の「未来志向」を強調しつつ、「歴史問題は別」とクギを刺した。李洛淵(イ・ナギョン)首相は「関係部処(省庁)や専門家と協議して対応策を打ち出す」と言ったが、1カ月たってもなしのつぶてだ。「韓日関係なんていつもそんなものだ」「米国が両国間の調整に乗り出してくれるだろう」。韓国外交部の官僚たちの本音を聞いてみると、これまでのパターン通り時間が経てば解決するだろうという「正常性バイアス」にとらわれている。国際舞台でこれまで韓国支持の立場をとってきた日本が態度を変えた時、韓国に本来の外交力がどれだけあるのか、すぐに明らかになるだろう。

鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)論説委員

 

 

  


 

 

 

 

2022/09/06

【”徴用工”問題】官民協議会解散。一旦、韓国企業が出捐した基金で賠償金を支払う方向へ?

韓国政府(外交部)が自称 ”強制動員被害者” の賠償問題解決の為に作った官民協議会が終了することになりました。

元々、この協議会には決定権もなく、しかも、”被害者” 側も参加していたので、政府が望んでいる「日本企業資産の現金化阻止」の方向で話が纏まるわけもなく、政府が大法院に「意見書」〔「現金化のGOサインを出すのを待って欲しい」という内容〕を出した事で原告側が反発し、協議会に参加しなくなっていたのです。

そこで、どうやら、「代位弁済」と「基金案」の折衷案のような解決方法が見えてきました。

もちろん、『被害者第一主義』を掲げているので、”被害者”、つまり原告側が同意しないと採用されないのですが、その案とは、「資産を差し押さえたまま、第三者〔=韓国政府ではない、財団のような組織〕が一旦肩代わりして ”被害者” に賠償し、その第三者に日本企業資産の所有権を移した上で、政府が日本政府を通じて日本企業に謝罪と賠償金の支払いを請求する」というもののようです。

但し、これは、『ハンギョレ』〔記事後述〕が有力な案と言っているだけで、韓国政府が発表したものではありません。しかし、韓国政府がリークして書かせた、原告側と日本側に対する ”観測気球” のような記事だと思います。

 

ところで、ここで当然、その「第三者とは?」、「原資は?」という疑問が湧いてくると思いますが、実は既にあるのです。

後述する記事にも言及されており、詳しくは、2021年6月24日付け『シンシアリーのブログ』〔韓国の「強制動員被害者支援財団」、事前に約束された寄付金がぜんぜん集まらない・・出捐したのはポスコ1社だけ〕に書かれていますが、2014年に行政安全部という政府機関の傘下に財団を作り、日本の恩恵を受けた韓国企業が資金を出捐して基金を作りました。

しかし、ブログ記事のタイトルが示すように、参加したのはPOSCO(浦項製鉄)1社だけ。金額は60億ウォンです。

とは言え、60億ウォン(約6億円)あれば、賠償金の相場は一人1千万円なので、単純計算で60人までは賄えます。

もちろん、日本側としては、依然として日本企業の資産が差押えられたままだし、そもそも、2018年の大法院判決が「不法な日帝占領期に受けた精神的苦痛に対して謝罪と賠償をしろ!」という内容なので、今回浮上した案に同意はできません。

特に問題は、記事の最後の段落に書かれた事です。

この場合、日本側の加害戦犯企業が原告側に債務があるという事実を認めなければならない。これまで日本政府と加害企業側は、強制動員賠償問題は1965年韓日請求権協定により消滅したと主張してきた。日本側の態度変化なしには、この案も適用するのは容易ではない

 

韓国政府、というか韓国人がやりたいことは、日本政府に「併合は不当な占拠であった」事を認めさせたいので、日本政府をなんとか騙して言質を取ろうとするはずです。鈴置高史氏がよく言う ”罠” ですね。

日本政府はこれに気を付けて、「韓国国内で集めた基金で自称 ”被害者” 様を救済する」という解決方法へ導く事が重要です。

  

以下、ハンギョレの記事です。

 

* * * *

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/44485.html
強制動員被害補償に向けての官民協議会、活動終了…これといった解決策見いだせず
登録:2022-09-06 06:29 修正:2022-09-06 07:24

発足から2カ月間で4回開かれる…政府、「意思疎通続ける」 
賠償履行の主体、方法、財源など集中的に議論 
被害者側「政府予算で賠償判決を履行してはならない」

 日帝強占期(日本による植民地時代)の強制動員被害者に対する賠償問題の解決策作りのため、7月4日に発足した官民協議会が5日、4回目の会議を最後に活動を終えた。韓国政府はこれまで議論された内容をもとに、最高裁(大法院)の賠償判決の履行に向けた案をまとめる方針だが、日本側の態度変化なしには被害者側の要求を充足させることは難しいとみられる。

 外交部当局者は同日の会議後、記者団に「この2カ月間、月に2回の割合で計4回の協議会を行っており、参加しなかった被害者側とも個別に接触して、意見に耳を傾けてきた」とし、「様々な方法で被害者と支援団体などと意思疎通を続けていくが、協議会の形では今日が最後になる」と述べた。

 同日の会議では、原告(被害者)側の立場を再度確認し、最高裁の賠償判決の履行案やその主体、日本側の謝罪問題などを集中的に話し合ったという。特に参加者たちは「政府が直接国家予算を使って賠償判決を履行することは望ましくもなく、適切でもない」という点で意見の一致をみたという。

 外交部当局者は「最高裁判決の履行の主体と関連し、基金や財団などを新設するか、すでに活動している既存組織を活用する方法などが議論された」とし、「財源問題は(韓日請求権協定の恩恵を受けた)国内企業と日本企業、被告企業(加害戦犯企業)、経済団体など様々な変数をめぐって議論が交わされた」と述べた。

 主な争点である賠償判決の履行方式については、いわゆる「併存的債務引受」(既存の債務者の債務を免除しない状態で、第三者が債務を引き受け、既存の債務者と同じ内容の債務を負担する方式)が有力視されているという。例えば、2014年に設立された日帝強制動員被害者支援財団が一定の形で作られた基金を活用し、加害戦犯企業の債務を代わりに返済した後、求償権を請求する方式だ。

 ただし、この場合、日本側の加害戦犯企業が原告側に債務があるという事実を認めなければならない。これまで日本政府と加害企業側は、強制動員賠償問題は1965年韓日請求権協定により消滅したと主張してきた。日本側の態度変化なしには、この案も適用するのは容易ではないという意味だ。

https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/1057610.html
韓国語原文入力:2022-09-05 20:48

 

 

  


 

 

 

2022/09/03

【徴用工問題】日本で35年間稼いだ金が現在の価値で40~70億ウォン(4~7億円)

日本統治時代に日本で稼いだ現金を朝鮮に持って帰り、大金なので銀行に預けたところ、存命中に引き出すことができず、息子がなんとか引き出したいとしているが、銀行が「現金保管証」が真偽不明として支払いを渋っている、という記事がありました。

為替レートや利息、物価上昇等を勘案すると、現代の価値で100億ウォン(約10億円)というのが話題になっていますが、元金は1万2220円 で、35年間かけて貯めた金額です。

元慰安婦の文玉珠(ムン・オクチュ)氏が慰安婦として働き、3年ほどで貯めた預金額が25,245円で、いかに慰安婦が高給取りだったのかが分かりますが、彼女は「1000円もあれば大邱(テグ)に小さな家が買える」と語っていたので、1万2220円でも現在価値にして数億円といったところでしょうか。記事によると、40~70億ウォンの価値だそうですが、まあ、妥当な数字だと思います。

35年間というと、新卒で入社したサラリーマンが定年退職まで勤め上げた年数とほぼ同じです。

楽な仕事ではなかったでしょうが、日本に来た労働者がいかに大金を稼いでいたかが分かります。

これが奴隷労働?

以下、朝鮮日報の記事の機械翻訳です。

 

* * * *

多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ

https://www.chosun.com/national/national_general/2022/09/03/7HLA27TO3VDEJKTUC46342U74A/
할아버지가 日서 막노동으로 벌어온 돈…100억 됐는데 못 받는 사연
祖父が日本で労働して稼いだお金…100億になったのに受け取れない理由。

入力 2022.09.0313:03
キム·ギュジョン氏が保管した「100億価値」の現金保管証/聯合ニュース

1940年代、朝興(チョフン)銀行(現新韓銀行)に預けた金を3代も受け取れずにいる家族の事情が伝えられた。 この家族は現在価値100億ウォンと推定される現金保管証を所有しているが、真偽可否が確認されないという理由で支給を拒絶されたという。

3日、連合ニュースによると、慶尚北道醴泉郡(キョンサンブクド·イェチョングン)の金ギュジョン氏(79)は、父親が朝興銀行に残した巨額の金を数十年が経っても引き出せずにいる。

事情は日本による植民地時代にさかのぼる。 キム·ギュジョン氏の父親の故キム·ジュシク氏は14才だった1910年、日本に渡り肉体労働生活を始めた。 彼は1945年に解放されると、苦労しながら一銭ずつ貯めておいた日本円を持って帰国した。

キム·ジュシク氏は翌年、朝興銀行醴泉郡支店に1万2220円を預け「現金保管証」を受け取ったという。 この保管証には「1946年3月5日、朝興銀行豊川支店のパク·ジョンソン支店長が醴泉郡普門面美湖洞に住むキム·ジュシク氏の日本ウォン1万2220円を受け取って保管することを証明する」「他人が所有権を侵害することはできない」という字句が書かれている。 金氏のサインと朝興銀行の職印も証書に含まれた。

キム·ジュシク氏は、韓国戦争後、朝興(チョフン)銀行を訪れ、預けた金を引き出そうとした。 しかし、銀行は戦争で残った資料が多くなく、システムが不備だという理由で出金日を延ばしたという。 その後、朴正熙(パク·チョンヒ)政権の時は、経済開発のための外貨資金が必要で円の出金が難しく、このような国内事情で金ジュシク氏は金を返してもらえなかったという。 結局、キム·ジュシク氏は他の地域で稼いだ金を最後まで一銭も受け取れず、1969年に花瓶で亡くなった。

倉庫の中に眠っていたキム·ジュシク氏の現金保管証は1982年に発見された。 彼の息子のキム·ギュジョン氏は母親に事情を伝え聞き、父親の恨みを晴らすために乗り出した。

金ギュジョン氏は1980年代初めに訪問した朝興銀行のある国庫担当代理官に「ウリィ銀行のものが正しい」とし「100億ウォン以上を払わなければならないが、(巨額を)引き出すためには財務部の許可を受けなければならない」という話を聞いたと主張した。 20日後、キム·ギュジョン氏は金融当局に問い合わせたが、以前とは異なる回答が返ってきた。 「現金保管証の真偽を確認できない」という内容だったという。

現在、高齢になったキム·ギュジョン氏に代わって、彼の末娘A氏が乗り出している。 A氏は最近、金融監督院と06年に朝興銀行と合併した新韓銀行などに苦情を出したという。 1946年の1万2220円の現在価値は40億~70億ウォンと推定される。 為替レート、物価上昇、貨幣改革などを考慮して評価した価値だ。 これに76年間積み立てられた銀行利子まで合わせれば、返してもらう金額は100億ウォンを超えるものと推算される。

新韓銀行側は困惑しているという立場だ。 新韓銀行の関係者は同日、朝鮮ドットコムに「『現金保管証』は現在銀行で使われている様式ではなく、過去の資料にも残っている記録を見つけることができなかった」とし「真偽を確認することができず困っている」と話した。

* * * *

 

【追記】コメント欄は、銀行の不誠実さを批判するものが多く、また、そんなに稼げたはずがないというコメントもありましたが、中にはこういうコメントもありました。

キム·ジヒョン
2022.09.03 15:19:49
強制徴用されたと学んで大きくなったのに、それでは一銭も受け取れないのが正しいのではないですか。 あのお金を返せば強制徴用が嘘になってしまいませんか。 強制徴用ではなく、ただの海外就職になっちゃうんですが
共感 44
非共感 2

 

  


 

 

 

 

2022/08/27

【徴用工像】「像のモデルは日本人」と言った李宇衍博士の名誉毀損民事訴訟

現在、『反日種族主義』の共著者の一人、李宇衍(イ・ウヨン)博士に対する、徴用工像の作者夫婦〔=慰安婦像の作者〕の民事訴訟が進んでいます。

同様の訴訟は李宇衍博士以外に対してもなされ、既に刑事裁判では全ての原告が勝訴しているので、嫌がらせのための訴訟〔スラップ訴訟:SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)〕です。

殆ど結果は見えていますが、被告側は、「像のモデルは日本人」と信じる証拠、原告側はそうでない証拠を出して争うことになり、作者がこの像を造った当時〔〕に、日本人労働者〔下図〕以外の痩せ細った朝鮮人労働者のイメージが存在していたのかどうかが問題になります。

※2016年8月に京都のマンガン記念館(私有地)に徴用工像が置かれているので、それ以前ということになる。→ブログエントリー

 

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▲京都の徴用工像

 

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▲1926年9月9日、日本の旭川新聞に掲載された
「北海道土木工事現場で虐待を受けた人々」というタイトル
の記事に出てきた日本の労働者の写真。

  

上記の写真は「強制労役に動員されるわが民族」との説明とともに2014年まで小6教科書に掲載されていましたが、李宇衍博士や金柄憲所長の尽力で削除されました。〔但し、配布済みの教科書には白い紙を貼るよう指導されただけ。

それ以外は、釜山市の国立日帝強制動員歴史館に少なくとも2019年まで「日帝の労働力収奪」と題して展示されていました。〔産経(2019/3/19):韓国の小6教科書、無関係写真を「徴用工」写真と掲載、(2019/5/14):「強制徴用労働者」として展示 釜山近代歴史館 訂正した小6教科書と同一の誤り

 

一方、同じく国立日帝強制動員歴史館には、恐らく、自称被害者やその家族から、”強制徴用被害” の証拠として提出されたものだと思いますが、壁面に写真が多数飾られており、その1枚はこんな感じですw 〔ブログエントリー:釜山の「国立日帝強制動員歴史館」に展示された「強制徴用被害者」の写真が笑顔だと話題に

 

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なお、徴用工像に関しては、慰安婦像のようには設置が進まず、釜山の日本総領事館前に建てようとして揉め、結局、国立日帝強制動員歴史館に移動させたはずです。2017年にも、ソウル市の龍山駅前に建てようとして許可が下りず、その後は設置されたようですが、この像にモデルが日本人である決定的な証拠があります。

下図は、2017年8月12日付けの記事に添えられた画像ですが、像を取り囲む4本の柱のようなものに日本人の写真が使われています。〔左から2番目と3番目。2番目は旭川新聞の画像。3番目は昭和36年に日本人の写真家が撮影した筑豊炭田の採掘者

 

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▲「龍山駅広場に設置される予定の労働者像(民主労総提供)©News1」
として掲載された画像/大きな画像はこちら

 

その後、像の周りの写真が差し替えられたのかどうかは分かりませんが、調べた所、この像の前は反日集会のに定番スポットになっているらしく、批判的な人もいるようです。2021年9月29日には、手に持っているつるはしが切り落とされる事件もありました。〔聯合ニュース(2022/03/19)韓国語:龍山駅強制徴用労働者傷害の50代控訴審も懲役刑

以下、この記事の機械翻訳をご紹介して終わります。

 

* * * *

https://n.news.naver.com/article/421/0002887651
일제강점기 '인간창고' 용산역에 국내 첫 강제징용 노동자상
日本による植民地時代「人間倉庫」龍山駅に国内初の強制徴用労働者像
2017.08.12.

ソウル除幕式…政府が許可されていない状態で進行

(ソウル=ニュース1)クォン·ヘジョン記者=日本による植民地時代時代、強制的に日本に連れて行かれ亡くなった朝鮮人の痛みを賛えるための「強制徴用労働者像」が12日、ソウル龍山駅広場に建てられた。 国内に徴用労働者像が建てられたのは今回が初めてだ。

韓国労働組合総連盟と全国民主労働組合総連盟など強制徴用労働者像建設推進委員会はこの日、龍山区龍山駅広場で「強制徴用労働者像ソウル除幕式」を開き労働者像を公開した。

この日公開された労働者像は日本軍慰安婦被害者を賛える平和の少女像作家キム·ウンソン、キム·ソギョン夫妻が作った。 2m余りの労働者像は強制徴用された人々がそうだったように、肋骨が現れるほどやせ細った体をしていた。 片手には鉱山で必要なつるはしを持っており、もう一方の手は日光を遮っている姿だ。 少女像と同様、肩には自由と平和を象徴する鳥が一羽座っている。 また、労働者像の周囲には強制徴用された人々の写真などが刻まれている4つの柱がある。

キム·ウンソン、キム·ソギョン作家は労働者像について「強制徴用された朝鮮人が死ぬことになれば(日本は)墓を別に作らず森に捨てるように埋めておき、その上に杭を打ち込んだという」とし、「時間が経てば墓の形と杭がなくなるが、この点に着目して杭と墓の形状の上に労働者像を作った」と説明した。

労働者像を取り囲んでいる4本の柱に対しては「龍山駅というところで日帝が強制徴用で引きずった歴史の記録が柱に含まれている」とし、「過去龍山駅の風景と強制労役した労働者の写真、夫を強制徴用で失った女性などが刻まれている」と伝えた。

この日除幕式を訪れた強制徴用被害者のキム·ハンスさん(100)は、「冷たい日本政府は、なぜ今までも当時の若者を強制的に労働させ、苦労させたことに対して、きちんと謝罪しないのか、一言も言及しないのか」とし、「大韓民国政府はなぜ日本にまともに聞けずにじっとしているのか、(強制徴用された人々が)死んでなくなるまで待っているのか、情けない」と吐露した。

この日の除幕式を通じて韓国労働組合総連盟のキム·ジュヨン委員長は「龍山駅は日本による植民地時代時期にいわゆる『人間倉庫』と呼ばれたところで、日帝によって強制動員された朝鮮人を奴隷のように受け入れたところであり、数多くの朝鮮人が帰ってこられない道を離れた残酷な歴史の現場」と話した。

続けて「労働者像建設は『歴史の忘れた者に未来はない』という言葉のように、ますます希薄になっていく歴史を私たちの手で正すための努力」とし、「戦犯国日帝の実体を広く知らせ、今からでも日本政府の公式認定と謝罪を引き出すためであり、二度とこのような悲劇的歴史が繰り返されないようにするため」と強調した。

一方、二大労総は3月から労働者像を立てようとしたが、朴槿恵政府の反対で実行に移すことができなかった。 政権が変わり労働者像建設に対する期待感は高まったが、除幕式が進行されたこの日までも政府の許可は出なかった。

これに対してチェ·ジョンジン民主労総委員長職務代行は「国民の支持と激励が絶えず各界極層の代表者が強制徴用労働者像建設推進委に共にしている状況でも、現在文在寅政府は国家敷地である龍山駅広場に労働者像建設を積極的に協力していない」と指摘した。

続けて「残念ながら私たちは政府当局の協力なしに強制徴用労働者像を建設することになった」とし、「文在寅時代の痛い歴史を記憶しようとする労働者の小さな実践に今からでも日本の植民地政府が積極的に乗り出すことを繰り返し促す」と強調した。

 

  


 

 

 

【”徴用工”問題/現金化】26日に日韓局長級協議開催、いつもの、”誠意”大将軍 vs. 一貫砲

昨日(8月26日)、日本で日韓のアジア大洋州局・局長級協議が行われました。

外務省の令和4年8月26日付け報道発表を引用します。

8月26日、船越健裕外務省アジア大洋州局長は、訪日中の李相烈(イ・サンヨル)韓国外交部アジア太平洋局長との間で、日韓局長協議を実施しました。

両局長は、旧朝鮮半島出身労働者問題を含む両国間の懸案や課題について議論を行いました。先方より、旧朝鮮半島出身労働者問題に関する韓国側の考え方について説明があり、これに対し、当方より、日韓関係を健全な関係に戻すべく、日本側の一貫した立場に基づき韓国側に責任を持って対応するよう求めました。その上で、外交当局間の意思疎通を継続していくことで一致しました。

 

『遺憾砲』ならぬ『一貫砲』で撃沈。

 

局長級協議、この場合はアジア大洋州局ですが、アジア大洋州をカバーする実務者のトップなので、「船越健裕外務省アジア大洋州局長」で検索すれば、韓国のみならず北朝鮮のミサイル問題等で米国の局長クラスとも電話などで協議しており、毎月のように、報道発表と大差ない短いニュースが報道されます。

韓国では、さも進展があったかのように大袈裟に報じられているようですが、この協議で重大な意思決定が発表される事はありません。

どちらからの要請とは書いていませんが、恐らく韓国側でしょう。

韓国外交部は大法院に対し、”外交努力をしているから〔現金化の〕最終判断を待って欲しい” と言った趣旨の「意見書」を出した手前、アリバイとして協議しなくてはなりませんから。

 

ちなみに、韓国側の報道〔『京郷新聞』〕もタイトルは『強制動員問題、韓日局長級協議…韓国「誠意ある呼応」要求に日本は「一貫した立場に従って対応」』〔原文:강제동원 문제 한·일 국장급 협의..한국 "성의있는 호응" 촉구에 일본은 "일관된 입장 따라 대응"〕となっています。

以下、一部引用します。

外交部はこの日、報道資料を通じて「イ局長は韓日関係改善および強制徴用問題と関連した韓国側の努力を説明しながら、同問題解決のために日本側が誠意ある呼応を示す必要があることを再度強調した」と明らかにした。 政府が強調している「誠意ある呼応」とは、代位弁済など日本企業の直接賠償を排除した方法で賠償判決問題を解決する代わりに、日本側は強制動員に対して謝罪を表明するなどの措置を出すことを意味するものと分析される。 しかし外交部は報道資料で「船越局長は日本政府の立場を説明した」と伝えたことで、日本側の明確な返事を聞くことができなかったことを示唆した。

 

こちらも相変わらず、「”誠意”(征夷)大将軍」です。

 

何度も書いているように、これに関しては、勝手に韓国の司法が暴走し、政府がアタフタしているという、完全に韓国の「国内問題」です。

なお、この件を担当している大法院判事が任期満了で9月4日に退任することが決まっており、三菱重工側の再抗告に対する判断はそれ以前に出されるものと思われます。

wktkしながら待ちましょう。

 

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2022/08/18

【佐渡金山】地元佐渡で世界文化遺産登録を邪魔する日本人達(3)

過去の2つのエントリー〔(1)(2)〕で、今年4月に発足した「佐渡の朝鮮人労働者の足跡を記憶する会」について調べた事を書きました。

この会は、1991年から細々と続いていた「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会」〔5月に解散〕の後継組織のようです。

今回は、その後見つけた記事〔後述〕を元に、この会を、称光寺〔新潟県佐渡市宿根木〕の林道夫住職を中心に少し俯瞰して見てみたいと思います。

まずは概略です。

 

約30年前〔1991年前後〕に、嘗て佐渡に出稼ぎに来ていた朝鮮半島出身労働者に同情して調査をし、韓国まで行き聞き取り調査をした方がいます。それが称光寺の林道夫住職です。

但し、彼の調査は、「朝鮮人=弱者」という先入観が根底にあり、公平な研究者として佐渡にいた朝鮮人の全体像を把握するものではなく、元労働者に何とか戦後補償を受けさせられないかという思いからのものでした。

小杉邦男・元佐渡市議会議員も当時、その活動に携わっていた一人です。

彼らは、元労働者が日本政府相手に訴訟を起こす事を望みましたが、林道夫住職の言い方を借りると ”韓国政府から横槍が入って” 実現しませんでした。〔当時は盧泰愚政権

恐らく、この当時の韓国の政治家や官僚は日本統治時代の労働者の実態や日韓交渉の内容も理解していて、労働者の補償は既に韓国政府の問題だと分かっていたのだと思います。日本から貰った金は『漢江の奇跡』に使ってしまい、未払金等の補償はしていなかったので、佐渡金山の元労働者が騒ぐのは得策ではないと思ったのでしょう。〔1932年生まれで日本語世代の盧泰愚大統領は、慰安婦問題も韓国で片付けると言っていた。単なる戦時売春婦に過ぎない事を知ってたからだと思います。

結局、彼の調査はそれで終わり、30年の年月が経ちます。

しかし、佐渡金山を世界文化遺産に登録する機運が高まり、これを阻止したい人達が、再び彼の研究に着目し、彼を語り部として持ち上げ、勉強会のようなものを開催。これが韓国左翼メディアの『ハンギョレ』の目にも留まったという事です。

林道夫住職の調査自体はバイアスがかかっており、研究としては既に何の価値もありませんが、活動家は彼を語り部として最大限利用しようとしている、そんな感じがします。

 

* * * *

韓国『KBS』のニュース動画のキャプチャに登場する人物を特定して下さった方がいます。〔@ETakaquさんの2022/08/17付けツイート より画像拝借〕

 

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林道夫住職は現在75歳か76歳くらいで、となると、1946年〔昭和21年〕頃の生まれ。既に戦後世代です。

彼の父親、林道明氏は地元の名士であり、調べれば分かる事なのでソースは示しませんが、元は愛媛県の寺の出身で、民俗学者の宮本常一とも親交があり小木町に民族博物館を造ることに尽力した学者肌の方です。

道夫氏は東京の大学に進学し、そこで在日朝鮮人に出会います。二十歳と仮定すると、1966年(昭和41年)頃でしょうか。

もとより林さんが過去の歴史に関心を持つようになったのは、大学時代の朝鮮人との出会いがきっかけ。とある飲み屋に偶然居合わせた朝鮮人が戦時中の暮らしを語ってくれたそうだ。〔朝鮮新報ー記事後述

「大学を卒業して佐渡に戻った後、相川町の教会に朝鮮人が礼拝に来ているという話を耳にした。それから本格的に調査に乗り出した」。牧師のつてをたどり、戦後、佐渡に残った朝鮮人一人ひとりと交流をつなげていったという。〔同上

 

従って、林道夫住職の佐渡での朝鮮人労働者研究は1970年前後に始まっています。

最初は地元佐渡での情報収集だったでしょうが、転機は1991年に訪れました。

この名簿〔=朝鮮人煙草配給名簿〕を確認した本間さんは1991年8月、在日朝鮮人問題に関心の高かった佐渡島にある寺「称光寺」の住職、林道夫さん(75)に写本を渡した。〔ハンギョレー記事後述

林さんは〕在日朝鮮人のチャン・ミョンスさんたちと共に1991年11月に韓国に渡り、現地調査を行った」と述べた。〔同上

 

彼をこれほど迄に突き動かした原動力が何なのかは分かりません。

贖罪意識? 彼自身が東京で感じた疎外感のようなものから来る在日朝鮮人への同情心? 或いは、「日本は兄貴分」だと発言した江藤征士郎議員のような、一見、理解を示しているような ”上から目線” 〔※〕? 

※『反日種族主義』の著者の李栄薫教授は、所謂 ”良心的日本人” は、「朝鮮人(韓国人)は劣っているので、日本人が助けてやらなくてはならない」という差別意識が根底にあると考察しています。

いずれにしても、彼の調査の目的は元朝鮮人労働者の救済が主たるもののようで、純粋な研究とは言えません。但し、所謂反日活動家とも違うような気がします。

結局、訴訟には至りませんでしたが、その後も追悼行事などは行っていたようで、資料も埃を被っていたところ、今年4月に「佐渡の朝鮮人労働者の足跡を記憶する会」が発足し、彼の研究内容を共有する勉強会のようなものを開いている、というのが実態のようです。

林道夫住職自身は、恐らく善意から出発したのであり、問題は、彼の研究をイデオロギーのために利用しようとしている人々にあるように思えます。

 

以下、長いのですが、『朝鮮新報』(朝鮮総連の機関紙)と『ハンギョレ』の記事を資料として保存しておきます。〔緑字はブログ主の補足

  

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https://chosonsinbo.com/jp/2022/03/25-68/
佐渡は語る―朝鮮人強制労働に目を(下)/地元民らの声
2022.03.28 (08:36)

戦時中、1200人を超える朝鮮人が労働を強いられた佐渡鉱山。日本政府が世界文化遺産登録への動きを進めるなか、この地での朝鮮人強制労働の実態を探るべく佐渡を訪ねた。そこに漂う空気感は、近頃盛んに報道される政府や行政の「意欲」と一線を画すものだった。

今からおよそ30年前。佐渡での朝鮮人強制労働が国際的な注目を浴びていないころ、現地では日本人有志らを中心に朝鮮人元労働者に関する調査が進められていた。

先陣を切っていたのが「コリアン強制連行等新潟県調査会」だ。中心に、林道夫さんがいた。 〔←「強制連行」という言葉から、東京で出会った朝鮮人に何を吹き込まれたのかは大凡想像がつく。

林さんは、「称光寺」(佐渡市小木町)の住職であり、佐渡での朝鮮人元労働者を調査してきた代表的存在。1991年、佐渡鉱山「相愛寮」のタバコ配給台帳(「上」参照)をもとに生存者の追跡調査のため南朝鮮へ足を運び、以降、朝鮮人元労働者との交流を深めながら歴史を世に知らせるための活動を行ってきた。

当時のようすを記録した映像「佐渡鉱山朝鮮人強制連行追跡調査」(1991年制作)には、林さんのインタビューに答えながら証言する2人の元労働者の姿が残っている。

記者が佐渡を訪れた時、偶然にも林さんに会う機会が設けられた。体調が悪いにも関わらず、急な来客を温かく迎え入れてくれた。

「『韓国』で取材をする間、何度か一緒に酒を飲んだ元労働者もいた。はじめは『よくしてくれた日本人もいた』とこちらを意識して話すんだけど、打ち解けていくうちにだんだん本音が出てくるんだよ」。

林さんは当時をこう懐古した。「町中で日本人に酒をかけられた」「言葉が通じなくてばかにされた」「今でも日本を許せない」…。元労働者との出会い、そしてかれらの過酷な労働や生活実態に触れ、林さんはより精力的に活動を進めていったという。

元慰安婦の聞き取り調査をした李栄薫教授が仰ってたが、話し手は徐々に相手(聞き手)がどんな事を聞きたがっているのか察し、相手が聞きたい事に合わせて話すようになっていくという。

 

もとより林さんが過去の歴史に関心を持つようになったのは、大学時代の朝鮮人との出会いがきっかけ。とある飲み屋に偶然居合わせた朝鮮人が戦時中の暮らしを語ってくれたそうだ。

「大学を卒業して佐渡に戻った後、相川町の教会に朝鮮人が礼拝に来ているという話を耳にした。それから本格的に調査に乗り出した」。牧師のつてをたどり、戦後、佐渡に残った朝鮮人一人ひとりと交流をつなげていったという。

戦時中、朝鮮人労働者のうちキリスト教徒らは、鉱山近くの相川教会へ礼拝に行っていた。林さんによると「普段は差別されるけれど、牧師たちはまともに話を聞いてくれたから、熱心なクリスチャンでなくとも礼拝に行く朝鮮人はいた」そうだ。皇国史観や軍国主義がのさばっていた戦時中、それと対立する思想や信仰は弾圧の対象として「不敬罪」や「治安維持法」に問われることがしばしばあった。佐渡においては鉱山労働に動員されることもあったという。朝鮮人にとって、ある意味「身近な存在」という認識があったのかもしれない。

相川教会の野村穂輔牧師(当時)の回顧録『御霊によって歩きなさい』(1993年、福音宜教会)には、朝鮮人に関わるひとつの逸話が記されている。

1944年、とある朝鮮人青年が雇用期間を不当に延期されたため逃亡を試みたいという相談を持ちかけた。野村牧師は返答する。「契約を守らない会社は不当であるが、あなたはクリスチャンであり脱走することはやるべきことではない(中略)ここは神を信じて忍耐してください」。

しかし青年は顔を真っ赤にして帰ってしまい、それ以降教会に姿を現わさなかった―。 朝鮮人達は現実的な助けを求めていたのに、教会など何の役に立たないと思って去って行ったのだろう。それに、たかだか40年前かそこらは両班に牛馬のようにこき使われていた朝鮮人に、仕事や雇用主に対する忠誠心を求めるのが無理なのかも知れない。

林さんは言う。

「植民地だった朝鮮に働く場所はなかったから、若者は日本に行けば稼げるという誘いに応えるしかなった。そりゃ甘い話をすべて信じていたわけではないだろう。でも稼ぐためには日本に行くしかなかったんだな」

〔画像省略〕1995年、生存者を招いての新潟県庁への訪問(小杉邦男さん提供) この当時から、小杉邦男議員が関わっていた事が分かる。

家族のため異国に身を投じたが、異常な労働条件に耐えられず逃亡する人も少なくなかった。 〔西岡力教授も言っているように、朝鮮人はとにかくよく逃げた。別の見方をしたら、逃げる事ができたと言うのは、韓国人が言っているような監視も「鉄条網」も無かった。

「賃金も中間管理者(日本人)が全部管理していたから、朝鮮人はお金すら十分に使えなかった。逃亡する時なんかは何人かで少額を出し合って、漁師の船をチャーターして新潟などへ逃げたそうだ。『帰るに帰れない』という人もいた」

長年、朝鮮人元労働者たちの胸の内に耳を傾けてきた林さん。時には「日本人の顔も見たくない」と弾かれることもあったが、歩みを止めることなく調査し続け、かれらとの交流を深めた。そうして1992年には南朝鮮の生存者を佐渡に招き調査報告会を開催。95年11月にも生存者とともに戦後補償問題の解決のため新潟県、厚生省(当時)を訪問。同12月には相川町長との面会を実現させた。面会では相川町長が「ご迷惑をおかけしました」と、朝鮮人元労働者らに謝罪の意を示した。

林さんをはじめ、佐渡の有志らによるたゆまぬ活動があり、現地の日本市民団体らは今でも年に一度「追悼の会」を催し、佐渡鉱山労働者に思いを馳せる場を設けている。現地では歴史とまっすぐに向き合い、日本の戦争責任問題を問うていた。
これから

「佐渡の人は、世界文化遺産登録に関していたって冷静な立場です。むしろ私の周りは否定的な意見が多いと思います」。佐渡教会の荒井眞理牧師(佐渡市議会議員)はこう話す。佐渡教会の荒井牧師、そして三村修牧師は、林さんとともに朝鮮人元労働者の調査を続けてきた。日本政府や行政が世界文化遺産登録への取り組みを進める一方で地元民は「さほど登録にこだわってはいない」と、両者の温度差を指摘していた。

 

90年代、林さんらは調査を通じ、佐渡での鉱山労働に従事した10人以上の生存者を探し出した。かれらの証言を通して明らかになった当時の労働実態は、映像や資料として今も残されている。

そのことを踏まえ、荒井さんは「林さんが積み上げてきた調査を反故にはできない」と語り、歴史否定へと舵を切った日本政府の動きを危惧した。90年代以降は活動が停滞し、約30年前の資料はいま埃をかぶった状態。一刻も早く整理すべきだと荒井さんは語気を強める。当事者の多くが世を去ったいまこそ林さんの調査内容が必要とされているからだ。

佐渡の有志らはいま、林さんらの意志を継ぎ、歴史の風化に待ったをかける活動を始めようとしている。

なんとしても世界文化遺産の登録にこぎつけようとする日本政府の悪巧は、社会の対立を次々と生んでいる。自らにとって不利な歴史を直視しないまま鉱山の「普遍的価値」を見いだそうとする姿勢は、世界の反感を買い、社会の排他的風潮をより加速させる。

江戸時代は無宿人(住む家のない人)を、戦時中は朝鮮人を強制的に労働に従事させた佐渡鉱山の背景を鑑み、地元住民は「世界遺産にふさわしいのか」と疑問を呈している。

地元はもとより世界が歓迎する遺産とはなにか。歴史の「影」を認めずしてその本質を見いだすことができるとは到底言えないだろう。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/d67038b94477179539d2b6118dd06f6772bec279
「佐渡鉱山は朝鮮人の墓…目撃した死者だけでも4人」強制動員生存者の追加証言を確認

8/16(火) 10:39配信

ハンギョレ新聞
「飯は5分で…いつも腹をすかせていた」 「自分が死を確認した人だけでも4人」 「3交代はしんどくて逃げ出したかった」 佐渡の市民ら「歴史を蘇らせる」 朝鮮人400人の煙草配給名簿を糸口に 生存者を捜しに訪韓し、証言を集める
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佐渡鉱山周辺には80年あまり前の朝鮮人労働者の生活の痕跡がまだ残っている。写真は鉱山裏の空き地の石積み。朝鮮人労働者の食堂跡だ。案内板一つなくひっそりとしている=佐渡/キム・ソヨン特派員

 新潟までは東京駅から上越新幹線で2時間。新潟からさらに快速船に乗って北西に1時間行くと佐渡島に着く。済州島の半分の大きさ(854.5平方キロメートル)のこの島は、日本では沖縄に次ぐ大きさをもつ島だ。先月23日に本紙の取材陣が訪れた佐渡島の両津港には「祝世界遺産推薦決定、佐渡島の金山」という大きな横断幕がかかっていた。

 この島にある相川金山(佐渡金山)は、江戸時代(1603~1867年)に日本最大の金の生産地として名をはせた。太平洋戦争(1941~1945)が始まると金山の機能は変化する。金だけでなく軍事物資として必要な銅、亜鉛、鉛などが集中的に採掘されはじめたのだ。人手不足を埋めるために、植民地だった朝鮮から1500人あまりの朝鮮人労働者が、三菱鉱業が経営する佐渡鉱山に動員された

 鉱山周辺には、80年あまり前の朝鮮人労働者の生活の痕跡が残っている。鉱山の裏の空き地に石積みがある。朝鮮人労働者が毎日食事していた食堂の跡だ。今は案内板一つなく物寂しい姿で放置されている。さらに奥に入っていくと、今は別の建物が建てられているが、かつては朝鮮人労働者にたばこを配給したり、彼らが望む送金などの郵便業務を処理していた場所がある。〔←朝鮮人坑夫は、実家に送金していた事実が分かる。戦後、慌てて朝鮮に帰った朝鮮人労働者の未払金は最後の1ヵ月分の給料と、会社が行っていた強制貯金(=会計的には企業に対する貸付金)の残額程度だった。

 日帝強占期当時、この建物で働いていた富田毅さん(故人)が、地元郷土史家の本間寅雄さんに、自分が保管していた「朝鮮人煙草配給名簿」を渡したのは1980年代末~1990年代初めと推定される。1944年から1945年にかけて、会社側が鉱夫たちにたばこを支給する過程で作ったこの名簿には、400人あまりの朝鮮人の名前(日本式と韓国式が混ざっている)、生年月日、移動状況などが記されていた。富田さんは、郵便関連の記録は敗戦直後に全て焼却したが、「煙草名簿」については特に指示がなかったため保管していた。名簿の原本は現在、佐渡博物館が保管している。

 この名簿を確認した本間さんは1991年8月、在日朝鮮人問題に関心の高かった佐渡島にある寺「称光寺」の住職、林道夫さん(75)に写本を渡した。忘れられた地域史を蘇らせ、日本の歴史的責任を悟らせようとする小さな歴史の歯車が回り始めたのだ。林さんは本紙の取材陣に「名簿の実体を明らかにし、過去の佐渡鉱山で何があったのかを知るためには、生存者を捜し出して証言を聞く必要があった。在日朝鮮人のチャン・ミョンスさんたちと共に1991年11月に韓国に渡り、現地調査を行った」と述べた。煙草名簿と共に、「忠清南道の人々の性格が比較的穏やかで鉱山労働に適している」と記された当時の朝鮮人募集担当者の手記も発見された。彼らはとりあえず「忠清南道論山(ノンサン)」に行き先を定めた。

 地域新聞「大田日報」が彼らの訪韓目的を大々的に報道し、イム・ドッキュ元国会議員から様々な面で支援が得られた。その結果、キム・ジュヒョンさん(当時65)とチョン・ビョンホさん(75)ら生存被害者たちと出会えた。彼らの証言は映像と記録として残っている。これまでは残っている生存者の証言は、鉱山から逃走し、その後日本に定着したイム・テホさん(1919年生まれ)の口述が唯一だったが、本紙はさらに5人の証言を確保することができた。

 1943年、17歳の時に佐渡鉱山に連れて行かれたキム・ジュヒョンさんは「佐渡に行く1年前から面(地方行政単位)の関係者と募集担当者が『一家から1人は行かなければならないという命令がある』と話して回っていた」と証言した。「母が泣いて大変だった。末の息子を送り出すというのだから泣かないはずがない。お前が行かなければお前の兄を捕まえると言うから仕方なく行ったんだ」。キムさんは坑内で、岩に穴を開けるためにパイプをつなぐ仕事をした。「24時間3交代勤務だった。苦しくて逃げ出したかったが、逃げて捕まった人がボコボコに殴られるのを見てあきらめた」

 チョン・ビョンホさんも1943年、27歳の時に同じ村の10人あまりの住民と共に動員された。彼は坑内で岩にダイナマイト爆破用の穴を開ける仕事をした。毎日が恐怖だった。「坑道の仕事が肺に良くないことは知っていた。坑道に入るたびに死が待っているという気がした。一番怖かったのは、地下に下りる時、急に携帯用の明かりが消えて真っ暗になった時だ」。チョンさんは1944年に、落石に当たって3カ月も入院しなければならなかった。解放後、チョンさんは故郷に帰った。故郷を出る時に3歳だった娘は死んでいた。妻は家を出て行方が分からなかった。

 1995年12月1日、佐渡島で意義深い場が設けられた。「『戦後50年』佐渡鉱山で働いた韓国人を迎え証言を聴くつどい」が開催されたのだ。佐渡の市民が1991年から臨時組織として運営していた「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会(つなぐ会。今年5月解散」が正式発足後に主催した行事だった。韓国の調査過程で出会った生存者のうち、尹鐘光(ユン・ジョングァン)さん(当時73歳)、ノ・ビョングさん(72)、遺族のキム・スンピョンさん(46)が招かれた。 〔尹鐘光(洸)氏は厚生年金加入記録の人物

 当時の証言資料によれば、ユンさんは「佐渡鉱山に再び来られるとは夢にも思わなかった。その時、共に働いていた韓国人の同僚たちはほとんど死んでしまった。私がこのように来られたのは奇跡」と感無量な気持ちを表わした。19歳だった1941年に佐渡に動員されたユンさんは「面で割り当てがあると言うので、両親と妻を残して佐渡に連れてこられた」と話した。坑内で岩に穴を開けた時に散らばった石を集める作業などをしていたユンさんは「自由ではない生活だった」と証言した。同氏は「飯は5分で食べなければならず、いつも腹をすかせていた。寝ることすら統制された」とし、「労賃もどうなるのかよく分からなかった。休暇を取るのも難しい雰囲気だった」と強調した。 〔不満があったのは理解できるが、「奴隷労働」?

 ノ・ビョングさんは17歳だった1941年、佐渡に動員された。ノさんは、若い朝鮮人が事故で死ぬのを見守らなければならないのがとてもつらかったと訴えた。同氏は「1942年、第3坑道にいた朝鮮人がダイナマイトの爆風で携帯用の明かりが消え、前が見えなくて転落死した。遺体が運ばれてゆくのを見た。私が死を確認した人だけでも4人いた」と述べた。

 佐渡鉱山で生き残った朝鮮人たちは強制動員と苛酷な労働を証言しているが、日本政府は「佐渡島の金山」のユネスコ世界遺産への登録を申請した際、その期間を江戸時代(1603~1867年)で完全に区切った。不都合な歴史に目をつむる態度だ。2015年に登録された軍艦島(端島)などの遺産を説明する東京の産業遺産情報センターでは「朝鮮人と日本人の労働者の間に差別はなかった」という資料を堂々と掲げている。

 1995年からつなぐ会に参加していた元佐渡市議会議員の小杉邦男さん(84)は「日本政府が朝鮮人に対する差別がなかったと言うのは真実ではない」と語った。「幼い頃、朝鮮人のことを『半島人』と呼んでいた。日本人より下だという差別的な言葉が日常で平気で使われていた」。 〔「半島人」という言葉は、戦争と共に広まったと『韓国「反日主義」の起源』で読んだ。それまでは「朝鮮人」だったのが、「九州人」とか「道民」のような、日本の一地方という認識に変わった為で、朝鮮人もそう自称した。つまり、日本国民として認識が芽生えた証拠。

同氏はまた「佐渡鉱山でも、難しい坑内の仕事は朝鮮人によって全面的に担われていた。これが差別でなくて何なのか」と強調した。実際に、三菱鉱業佐渡鉱業所が作成した「半島労務管理ニ付テ」(1943年)という資料によれば、事故の危険が高く、労働条件が劣悪な坑内労働には473人の朝鮮人、146人の日本人が投入されていた。約76%が朝鮮人だったのだ。 〔当時は既に、日本の若い男は戦争に取られていたはず。

 つなぐ会を率いた林さんも「佐渡から無事に故郷に帰った朝鮮人たちも、肺病などの後遺症に苦しみ、ほとんどは早くに亡くなっている。現地調査で、当事者だけでなく家族の苦しみが続いているのを目撃した」と話した。そして「過去の歴史的事実をありのままに見なければならない。逃げてはいけない。戦争責任問題は人間の尊厳を取り戻すためにも、私たち日本人が追及され続けねばならない大きな課題だ」と強調した。

佐渡(新潟県)/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 

 

  


 

 

 

 

2022/08/17

【佐渡金山】地元佐渡で世界文化遺産登録を邪魔する日本人達(2)

前回のエントリーで名前が出た元市会議員の小杉邦男氏と称光寺住職の林道夫氏のインタビューがあります。

最初に申し上げておくと、これを報じているのは、元しばき隊の野間易通氏の系譜のCRACという団体です。

『安田浩一ウェブマガジン』というサイトに小杉氏のインタビューが掲載されており、そこに林道夫氏のインタビュー動画がリンクされているのですが、小杉氏は以下のように語っています。

 

* * * *

https://www.targma.jp/yasuda/2022/03/22/post1792/

「近代遺産をオミット(除外)して江戸時代の技術に限定してみたり、強制連行、強制労働の歴史を無視したり。それでは世界遺産としての価値がなくなってしまう。目的が独り歩きするのはおかしい。やはり、戦時の政策の誤りも含めて明記し、人類共通の財産とすべきです」

* * * *

  

前回のエントリーで書きましたが、江戸時代に限定して世界文化遺産登録を目指すのは、明治以降は西洋の技術が導入されたから、佐渡金山の固有性が失われるからです。

 

林道夫氏はどんな事を語っているのでしょうか? 彼の言う「強制労働」とは?

 

* * * *

CRACtube:#NoHateTV Vol.159 - ㊗️世界遺産推薦決定 佐渡金山の真実
2022/02/23にライブ配信

https://youtu.be/8DofRsL3foQ?t=844

14:04~20:56 を整えて書き取り

まだ二十歳になる前に、ただ日本に興味があってさ、日本に行きゃなんとか飯食えるんじゃないかと、食うに困って日本に行きゃ働けるんじゃないかと来た人とか、いろんなケースがある。

韓国に行って佐渡金山で働いてた人達と接触して、戦後補償は国家間で話が付いているけど、個人の補償はどうなってるのか?という話になって、僕らは、彼らの話を聞いて戦後補償の問題に繋げたかった。

騙されて連れて来られて、戦争が終わったら早く帰れって、何も補償されないで着の身着のまま朝鮮に返されたって話してたから。

訴訟しようってところまで行ったけど、地元(韓国政府)の方で横槍が入ってダメだという事になった。これ以上問題を広げないでくれって。

〔インタビュワー:騙されて連れて来られたというのは?〕

植民地化されてた韓国で、農家の次男・三男は働く場所が無い訳よ。そこで、日本に行けば何とかなると思っているところに、相川から人が行って、「相川金山で働けばいい暮らしができる、家族も呼ぶ事ができる」って言われたから来たわけよ。

〔インタビュワー:実際、いい暮らしはできたのか?〕

できるわけない。奴隷生活みたいなもの。だって、日本語も話せないで来るわけだから。鉱山管理者から言われた事をやるしか無い。飯も自由に食えない、買い物したくたって、買い物もできない。宿泊するところだって何から何まで金山の管理者の言うとおりにするしかない。自分達が思ってたような生活なんてできなかった。

〔インタビュワー:奴隷労働というような待遇だったのか?〕

そう言う。朝から晩まで鉱山労働で。ご飯もろくに...配給生活でしょ? ろくな食い物も無かったって話だよ。酒を飲みに行けば怒られるし、その金も無い。全部管理されてて。

(日本政府は)自由意思で来たって言い方しかしてないけどね、そりゃ、そうだ。形はそうですよ。「金山で働きますか?」、「うん、働かせて下さい」、それで来たんだよ。「これこれの条件で来て下さい」って、韓国行って募集したわけだからね。

〔インタビュワー:金山の仕事はそんなに過酷だったのか?〕

そりゃ、鉱山労働で過酷で無いところなんてあるわけない。

* * * *

 

元朝鮮半島労働者の主張を代弁していると見なせば、彼らの言い分はこうです。

①言葉が不自由で苦労した。②騙された〔思ったほど楽な仕事では無かった〕。③待遇が悪かった〔腹一杯食べられなかった、酒が自由に飲めなかった〕。

「強制連行」はさすがに使いにくいので、韓国人の活動家もだいたいこれと同じような論理を使います。

一方、農家の次男・三男で、朝鮮では食べていけないので、日本に行けば何とかなると思って、自分の意思で応募した。

これのどこが「奴隷労働」なのでしょう?

 

日本統治時代に朝鮮で陸軍特別志願兵を募集しましたが、これも、応募する者は長男以外の農家の出身が多かったといいます。満州軍官学校募集に血書志願して、それが新聞記事にもなった朴正煕大統領も貧しい農家の5男2女の末子です。

身分制度の名残が残る朝鮮半島では、尊敬されている軍人は、立身出世の手段でした。〔→ブログエントリー:【朝鮮人日本兵】朝鮮人陸軍特別志願兵の真実 3.陸軍特別志願兵【鄭安基博士】

 

「日本に行けばなんとかなる」と言うのは、西岡力教授も仰っていますが、その通りで、取り敢えず日本に来てから、よりよい仕事を求めて脱走する朝鮮人が多かったのです。

現在の北朝鮮は資源もあり、そこに重化学工業が発達していたので、日本に来る労働者は南部朝鮮〔現在の韓国〕出身者が主でした。

そして、農村地帯の南朝鮮では必然的に農家の次男・三男が多く、彼らは鉱山の仕事は怖いし嫌だったのです。

しかし、それに見合う賃金は支払われたし、朝鮮にいたら ”食っていけない” 人達が、食と住居は与えられたのは事実です。

 

佐渡金山を巡る『歴史戦』を征するためには、彼らの「強制労働(奴隷労働)」の矛盾を切り崩すのがポイントだと思います。

 

  


 

 

 

 

【佐渡金山】地元佐渡で世界文化遺産登録を邪魔する日本人達(1)

前々回のエントリーでご紹介した『ハンギョレ』の記事に、荒井眞理氏という佐渡市議会議員の名前が出てきました。

彼女について調べて行く内に、今年4月に発足した「佐渡の朝鮮人労働者の足跡を記憶する会」という団体の存在が分かり、「相川キリスト教会」が一つの拠点になっている事が分かりました。荒井眞理議員も、自身のHPによると「日本キリスト教団 佐渡教会牧師」です。

まずは、『新潟日報』の記事をご紹介します。

 

* * * *

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/59314
佐渡金山の朝鮮人労働者、市民ら学ぶ
島内で集会
2022/5/8 11:00 (最終更新: 2022/5/8 12:18)

市民らが参加した佐渡金山の朝鮮人労働者について考える集会=7日、佐渡市

 佐渡金山で働いていた朝鮮半島出身者について考える集会が7日、新潟県佐渡市の相川キリスト教会で開かれた。約30年前に訪韓し、佐渡金山の元労働者らに話を聞いた市民が当時を振り返った。

 市民らでつくる「佐渡の朝鮮人労働者の足跡を記憶する会」が主催した。世界遺産登録を目指す「佐渡島(さど)の金山」を巡っては、戦時中の朝鮮人労働者の問題で日韓政府の主張が対立している。会は4月に発足。集会には約20人が参加…

残り242文字(全文:451文字)

* * * *

 

ここで、心に留めておく事としては、30年前から朝鮮人の強制労働という前提で活動している人達が佐渡にいる、という事です。

佐渡金山の歴史を繙(ひもとく)く上で、『佐渡県史』や『相川町史』も一次資料が引用されていて重要な資料ではあるのですが、この執筆陣の中に朴慶植の『朝鮮人強制連行の歴史』(1965年)に影響を受けた筆者が紛れ込んでいて、強制連行や強制労働を描写した記述がなされています。

この路線で30年前から活動していた研究者や活動家が、佐渡金山が世界文化遺産登録をされるかも知れないという事になって、再び活動し始めた、というのがこの会なのだと思います。恐らく、久々にスポットライトを浴びて、今ははしゃいでいるのではないでしょうか。〔→ブログエントリー:【佐渡金山】『戦後日本における朝鮮人戦時労働研究史』(勝岡寛次氏報告)2.「朝鮮人強制連行の歴史」が佐渡金山史や相川史に与えた影響

これで、尹鐘洸氏の厚生年金加入記録の照会の日付が27年前〔平成7年=1995年〕という理由も分かりました。

 

20220815_sado01

 

1995年当時なら、一般労働者の未払金等の補償〔清算〕はなされていませんでした。70年代、朴正煕政権で元軍人の一部に補償をしただけだったので。聞き取り調査をした当時に彼らが求めていた「補償」の範囲は不明ですが、天引き貯金は独身者なら現代価値で百万円の単位であった人もいたので不満は分かります。

このエントリーの続編で、「裁判を起こそうとしたが、韓国政府から横槍が入った」と書きましたが、当時の政府は日韓請求権協定で解決済みだと知ってしたのでしょう。
   

この教会での集会の様子は韓国『KBS』で報道されていました。〔動画:사도광산 강제동원, 일본 정부 외면했지만 주민들이 기록 보존 / KBS 2022.08.14.〕 日本のNHKに当たるような公共放送局で、NHKが、一部の映像にヤラセ疑惑がある軍艦島のドキュメンタリ『緑なき島』を使わせているのもこの局です。ニュース番組は「ニュース9」と言うらしく、これもNHKと似ていますねw

以下はニュース動画の文字起こしの機械翻訳です。

 

* * * *

https://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=5532599
日本政府は強制動員に背を向けたが、住民が記録保存…「過酷すぎる」
강제동원, 日 정부는 외면했지만 주민이 기록 보존…“너무 가혹”
入力2022.08.14(21:15)
修正2022.08.15(07:45)
ニュース9

[アンカー]

日本による植民地時代朝鮮人強制動員現場の佐渡鉱山は、日本政府が強制動員期間を除いて世界遺産登録を推進した場所です。

ところが歴史に背を向けようとする日本政府とは異なり、これを直接調査し追慕する人々がいました。現地の住民たちです。

彼らをユンジン記者が会ってみました。

 

20220814_kbs01
▲相川キリスト教会(KBSニュース動画よりキャプチャ)

 

【レポート】

朝鮮人強制動員の痛い歴史を秘めている佐渡島。

掘り出した鉱物を選別していた選鉱場は、日本の有名漫画映画の背景になるほど有名なところです。

しかし、強制動員時期に運営された施設であるため、日本の世界文化遺産登録申請の対象から外されています。

佐渡鉱山に動員された朝鮮人は1200から1500人ほど、日本政府と地方自治体の無関心の中で、彼らの痕跡は急速に消えています。

ここは朝鮮人強制徴用労働者117人が泊まったと知られた寮の跡です。

このように茂みだけが生い茂ったまま放置されています。

共同炊事場も形が分かりにくいです。

正確な位置でも知られているのは島の住民たちの調査のおかげです。

「(第2寮まではかなり遠いですね。) はい、あちらの前まではそうですね」

約30年前、朝鮮人名簿が発見されると、住民たちは私費で韓国まで被害者を探し回りました

小杉邦夫/佐渡住民:「たばこ配給名簿から韓国から来た人がいることがわかりました。 労働環境が大変だったということを人々に聞いてから、これは調査する必要があると思いました」

 

20220814_kbs02

 

林道夫/佐渡住民:「私たちが実際に働いていた(朝鮮人)鉱山労働者の話を聞くまで、彼らの事情はどこにも残っておらず、誰も調査していません。」

 

20220814_kbs03

 

1940年から2年間、佐渡鉱山で働いていた朝鮮人1000人余りのうち10人が死亡し、148人は島を脱出しました。

韓国政府が認めた被害者140人余りのうち半分が肺疾患などの後遺症に苦しめられました。

住民たちは4月「使徒朝鮮人労働者を記憶する会」を作り、被害者たちの証言を共有しました。

 

20220814_kbs05

 

荒井眞理/佐渡市議会議員:「(被害者)証言は非常に重要なので、9月に開かれる市議会でも『証言に耳を傾けよう』と改めて強調するつもりです。」

 

20220814_kbs04

 

日本政府は来年、世界文化遺産の審査に再び挑戦する計画ですが、強制動員の歴史を含める可能性はなさそうです。

佐渡島でKBSニュースのユンジンです。

* * * *

 

調べたところ、小杉邦男氏は元市会議員、林道夫氏は称光寺(時宗)の住職のようです。この2人に関しては次回もう少し詳しく見る事にします。

なお、記事には「(世界遺産には)強制動員の歴史を含める可能性はない」と書かれており、ブログ主も何故「江戸期」に限定するのか、正確な理由は分からなかったのですが、8月16日の『虎ノ門ニュース』の西岡力教授の解説で分かりました。

明治以降は外国の技術が導入された為、佐渡金山をユニーク〔独特〕なものたらしめるのは、江戸時代の日本独自の技術だからだそうで、決して、”強制動員” で攻撃されるのを避けるためではありません。

 

 

  


 

 

 

 

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