現実問題としては、戦後、旧日本領・台湾に中華民国政権が亡命し、そのままの状態なのですが、法的には、台湾は中華民国に返還された訳ではありません。
その辺の話をチャンネル桜の『台湾チャンネル』で、ヴォーヒース〔※番組ではボーヒース( Voorhees)〕陸軍次官のメモを通して解説していたので、覚え書きとしてエントリーします。
1945年(昭和20年)9月2日、ミズーリ号で重光葵(しげみつ まもる)外相が降伏文書に署名〔ポツダム宣言受諾〕します。
1945年(昭和20年)10月25日、台湾に上陸した中華民国国民政府及び連合国の代表である陳儀と、台湾総督 兼 第10方面軍司令官 兼 台湾軍管区司令官の安藤利吉が降伏文書に調印します。中華民国政府はこれを「光復」(失われた物を取り返す事)と呼んでいます。
これに遡ること1943年(昭和18年)11月27日、「カイロ宣言」が表明されます。
ルーズベルト・チャーチル・蔣介石がカイロで会談し、発表した宣言で、日本が侵略によって得た領土の剝奪・返還、朝鮮の独立など降伏後の領土処理案を示したものです。この内容は「ポツダム宣言」(1945年7月26日)に引き継がれます。
>〔「カイロ宣言」該当部分現代語訳〕>「この同盟の目的は、日本国の太平洋における一切の島嶼を剥奪せねばならないということである。これら島嶼は日本国が1914年の第一次世界大戦開始よりも後に奪取し又は占領したものである。また、満洲、台湾及び澎湖島のとおり日本国が清国人から盗取した一切の地域を、中華民国に返還することにある。」
>〔「ポツダム宣言」該当部分日本語訳〕八 カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また、日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定されなければならない。
ここまでを読むと、カイロ宣言で「台湾を(清国の後継である)中華民国に取り返す」とし、それを引き継いだ「ポツダム宣言」を日本が受諾したので、台湾は中華民国に帰属する... と考えがちですが、マッカーサーは、「領土に関しては講和条約で決定される」という立場でした。
それが今回ご紹介するTracy S. Voorheesの備忘録(1949年12月14日)なのですが、その間、1949年12月1日に中華人民共和国建国、内戦に敗北した中華民国政府は、1949年12月7日に台湾へ移転(亡命)します。
この時点で2つの「中国」が存在 する事になります。
ヴォーヒース陸軍次官がマッカーサー元帥とこの件について話したのは、番組によると2週間程前との事で、12月1日前後の様です。
ヴォーヒース陸軍次官はその内容を覚え書きにし、ジョンソン国防長官に提出しました。その日付が1949年12月14日です。
そこには以下の様な内容が書かれています。
平和条約締結までは、台湾は法的に日本の領土である。ポツダム宣言では、四つの主要島嶼以外の日本領は、条約締結まで連合国各国の管理下に置かれることが合意された。この計画に基づき、台湾は中国に割譲された。この割当は他の割当と同様、将来の所有権に沿うことを前提としたものであることは、合意文書には明記されていないものの、一般的に理解されていた。しかし平和条約が締結されるまでは、中華民国政府は連合国を代表する単なる管理者に過ぎない。
動画のキャスター(永山英樹氏)によると、第二次世界大戦後に中国国民党と共産党の間の内戦が激化した中でも、トルーマン政権は内戦への不介入の姿勢を維持します。
しかし、朝鮮戦争が勃発(1950年6月25日)したことにより、米国は中共の南下を危惧し、介入の方針に転じます。
1951年9月4日、サンフランシスコ講和会議が開かれますが、「中国」として招待する国をどちらにするかで揉め〔中華民国(米) vs. 中華人民共和国(英・ソ)〕、「中国」の招待は見送られた中で、サンフランシスコ講和条約が締結 〔発効:1952年4月28日〕 されます。
ここで初めて、「台湾(フォルモサ)・澎湖諸島(ペスカドレス)の権利、権限及び請求権の放棄」が決定し、サンフランシスコ講和条約の発効の同日(1952年4月28日)、日本国と中華民国との間の平和条約(日華条約)が調印されます。 〔→ 1972年9月29日の日中共同声明の合意により無効〕
> 第二条
日本国は、千九百五十一年九月八日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される。
それ故、現状はともかく、日本は台湾を放棄しただけであり、このマッカーサーの意見が法的には正しい、というのが、「台湾の帰属未定」論を主張する人達の根拠です。
* * * *
【ヴォーヒース陸軍次官備忘録】
番組を参考にして調べたところ、ヴォーヒース陸軍次官の備忘録とそれを文字起こししたサイト(MacArthur's Memorandum)が見つかりました。
これがヴォーヒース陸軍次官の備忘録です。
国防長官宛覚書
14 December 1949
件名:台湾
マッカーサー将軍の台湾に関する見解を以下に要約する:
台湾が侵略者の手に落ちることは、わが沿岸諸島の防衛にとって致命的である。共産主義者からの奪還は、ごくわずかな労力で可能である。
平和条約締結までは、台湾は法的に日本の領土である。ポツダム宣言では、四つの主要島嶼以外の日本領は、条約締結まで連合国各国の管理下に置くことが合意された。
この計画に基づき、台湾は中国に割り当てられた。
合意文書には明記されていないものの、この割り当ては他の地域と同様、将来の所有権に沿うことを前提としたものであると一般に理解されていた。しかし平和条約が締結されるまで、中国国民政府は連合国を代表する単なる管理者に過ぎない。その管理者として、一定の義務を負っている。
台湾が脅威に晒された場合、連合国はこれを防衛する義務を負う。この防衛は米軍を派遣する必要なく、ポツダム協定に基づく宣言によって実現可能である。すなわち、台湾侵攻の試みは戦争行為とみなすこと、同様に国民党政府自身が台湾を拠点として中国本土への攻撃を仕掛けることも戦争行為とみなすことを宣言すればよい。
我々は和平交渉において、ヤルタ協定以降情勢が大きく変化したため、台湾を割譲する義務は生じないことを主張できる。
*** 原文 ***
MEMORANDUM FOR THE SECRETARY OF DEFENSE
Subject: Formosa
The following summarizes General MacArthur's views about Formosa:
It would be fatal to our littoral island defense for Formosa to fall into predatory hands. It can be denied to the Communists with very little effort.
Formosa remains legally a part of Japan until a treaty of peace. At Potsdam it was agreed that Japanese areas other than the four main islands should be assigned respectively to certain of the Allied for control until a treaty could be made.
Under this plan Formosa was assigned to China.
While it was understood generally, although not written in the agreement, that such assignment -- like others -- was made in the expectation that it would be in accordance with future ownership, until there is a treaty of peace the Nationalist Government of China is merely a custodian representing the Allies. As such custodian, it has certain obligations.
If Formosa is threatened, it is the duty of the Allied to defend it. Such a defense could be made without the necessity of committing U.S. troops, merely by a declaration under the Potsdam Agreement that the U.S. would treat any attempt to invade Formosa as an act of war, and similarly that it would be treated as an act of war for the Nationalist Government itself to use Formosa as a base to launch an attack against China.
We could contend in the peace negotiations that conditions have so changed since the Yalta Agreement that it would not be obligatory to give Formosa to the Nationalist Government of China, but that it should be set up as an independent self-governing nation. Formosans are now neither truly Japanese nor Chinese but a distinct race of their own.
If necessary a large part of the $75,000,000 recently appropriated to be used in connection with Chinese matters should be employed for the protection of Formosa.
It would be fatal to split the U.S. line of littoral bases by letting the Communists put an air force on Formosa thereby threatening both Clark Field in the Philippines and our fields on Okinawa. However, placing U.S. Forces on Formosa is not favored.
Tracy S. Voorhees
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永山英樹氏ブログ

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