2020/06/09に公開の文化人放送局『18 西岡力緊急参戦!【横田滋氏追悼SP】激白!!朝〇新聞の巨悪!!【加藤&阿比留のなんだかなぁ】』(約1h18m)を視聴しました。
6月9日収録
【出演者】
・加藤清隆(政治評論家)
・阿比留瑠比(産経新聞論説委員)
ゲスト
・西岡力(麗澤大学客員教授)
・加藤達也(産経新聞元ソウル支局長)
出演者の口調など、実際にご覧になった方が情報量が増すので、是非多くの方に観て戴きたいのですが、ブログ主のメモとして、また、検索されやすいようにテキスト化しておきます。
なお、『ニュース女子』の拉致問題特集をまとめたのはこちら。更に詳しく時系列をまとめたのがこちらのエントリーです。
併せて、チャンネル桜『【夢を紡いで #119】共に戦ってきた横田滋さんの死、後ろから弾を撃った者達、政権批判に利用する者達-西岡力氏に聞く[桜R2/6/12]』もご覧下さい。
以下、発言要旨。(敬称略)
* * * *
(横田滋さんの葬儀の様子などは省略します)
◆滋さんの戦い/世間、政治家、メディアの無関心
西岡力(以下、西岡):(横田滋さんの葬儀で)早紀江さんに頼まれて私も十数分間思い出を語らせて戴いた。そこで言ったのは、一言で言うと滋さんは戦いの中で倒れられた。23年間の滋さんの戦いは、嘘に対する戦いだった。一つ目は「拉致がないという嘘」との戦い。産経だけは拉致事件と書いていたが他のメディアは拉致疑惑という表現で、朝鮮総連の主張と我々の主張と両論併記だった。そうした中で平成9年(1997年)、実名を出して訴えるという決断を滋さんはした。当時、専門家の意見は実名を出すとめぐみさんの身に危害が加わるという緊迫した状況だったが、世論に訴えるという選択をされた。それを見て他の家族も合流して家族会を作り、それを見ていた私たちも救う会を作った。
拉致被害者家族が国会議員に陳情して回った時、皆、厄介者が来たような応対だったが、安倍晋太郎(安倍総理の父)だけは「それは大変だね」と声を掛けてくれ、当時秘書をしていた安倍晋三に面倒を見るよう指示をして、警察などに付き添って貰った。(【夢を紡いで】より)
それでも小泉訪朝(2002年(平成14年)9月17日 日朝首脳会談)までは、署名活動をしていても殆どの人達が振り向いてくれない、署名用紙を叩き落とす、チラシを踏みつけられる、そういう状態でも、どこにでも出かけていって、滋さんの実直な人柄、早紀江さんの魂を揺さぶるメッセージで徐々に世論を変えていった。
その「拉致がない」という嘘については2002年に金正日が認めて謝罪させた。私は脱北者の知り合いがたくさんいるが、「先生達はすごい。金正日に謝罪をさせるなんて」と言っていた。
しかし、彼はもう一度嘘をついた。「8人死亡。それ以外の拉致被害者はいない」という嘘を。滋さんはそれとずっと戦ってきた。最後の2年間は「めぐみさんに会うための病気との闘い」だった。
加藤清隆(以下、加藤): 私は2002年9月17日、小泉訪朝団の取材で北朝鮮に行った。その前の、拉致問題が一般的になっていない頃、外務省の担当だった。当時週2回の懇談会を行っていたが、外務省のあるアジア局長が「拉致被害者の12人のために日朝国交正常化交渉を犠牲にするわけにはいかない」とはっきり言った。(当時、北京で交渉を行っていた。)それに対して、私と産経の記者以外は誰も文句を言わなかった。(他社の記者は)だれも関心を持たないから、記事にもならなかった。そう言う時代が長く続いた。
西岡: 産経は書いた。(阿比留、加藤に)それで確か出入り禁止になったんですよね。
阿比留瑠比(以下、阿比留): 小泉初訪朝の当日の紙面ですら、朝日新聞は拉致被害者と書かずに「行方不明者の親たち」と書いた。当時、北朝鮮がこの表現を好んで使っていたので、北朝鮮の用語を使った。朝日新聞は「拉致(問題)は国交正常化の障害」とまで書いた。
西岡:そう言う社説を小泉初訪朝の2年前、2000年に書いた。社説ですよ? 横田さんご夫妻は親の代から取っていた朝日をその社説を読んで産経に変えた。
加藤: (1980年1月7日に)産経の阿部さんが歴史的スクープをしたが、他社は一向に後を追わない。その理由は恐らく朝鮮総連の存在だったと思う。「朝鮮総連は怖い」というイメージがあって。
◆歴史的な梶山答弁/北朝鮮に丸め込まれた金丸信
加藤達也(以下、加藤達): 私は公安担当を長くやっていたので公安の観点から一言。金丸(信)訪朝の時(1990年/平成2年)、結局丸め込まれて何も言わずに帰ってくるわけだが、この時の公安当局は3件の事件着手を用意していた。これをメッセージにするつもりだったが、当時の官邸からまかりならぬと潰された。この時の断腸の思いをいまだに語るOBがいる。
加藤: 昭和63年(1988年)に梶山静六国家公安委員長の答弁(昭和53年以来の一連の行方不明事犯を「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と、政府が初めて北朝鮮の名前を出した。)も、相当勇気が要ったはず。歴史的な答弁にも関わらず、話題にならなかった。(梶山答弁を報じたのは産経新聞と日経新聞だけ。産経や日経ですら小さなベタ記事で、世間の知るところとはならなかった。)
88年の梶山答弁があり、その年に有本恵子さんから両親の元に手紙が届いたのに金丸訪朝団が行くことになったので、家族会はあちこちに陳情、訪朝団の事務総長の石井一は「分かった」と言ったのに結局何も言わず、戻ってきてから「そんなこと言えるわけないだろ」と言った。(【夢を紡いで】より)
西岡: 加藤達也記者が言っていた事件の1つは知っている。朝鮮総連の当時の副議長の安商宅という人物で、田口八重子さんの拉致にも絡んだものだった。(『文藝春秋』が1998年に「朝鮮総連元幹部元幹部の外国人登録法違反ーー故金丸氏捜査に圧力」という記事を書き、『産経新聞』が2001年12月16日に同じ件を取りあげる。西岡力著「横田めぐみさんたちを取り戻すのは今しかない」より)
「救う回・福岡」のサイトより(西岡力氏)
ここでも名前は出てこないのですが、私は敢えて名前を出しています。2002年の参議院の外交委員会に参考人として呼ばれた時も名前を出したんですが、このXというのは安商宅という人です。朝鮮総連の副議長で東海商事という朝鮮総連が持っていた貿易会社の会長をやっていた人です。
土地ブローカーみたいなことをやっていて、帝国ホテルに部屋を持っていて、お金で土地ころがしみたいなことをやってバブルの時大変もうけていたんです。平壌に安商宅通りというのがあります。当時50億円とも30億円ともいわれる巨額の献金をしたことが喜ばれて、通りの名前が安商宅通りに変わった。しかしその時の彼の税金はゼロだったと言われている人です。国賓待遇を受けるというのも多額の献金のことです。
加藤: 金丸・田辺の訪朝の際、北朝鮮は金丸さんのことを事前に徹底的にに調べ上げた。彼と(社会党の)田辺誠を引き離して金日成と長時間の会談で丸め込んだ。
西岡: その時の話を曽我ひとみさんがしている。テレビで日本の政治家が来たというのを知り、自分を助けに来てくれたと思った。しかし何も起きなかったと。助けるも何も、こちら(日本側)から(拉致のことを)話題に出さなかった。
加藤:それどころか、その後の日朝国交正常化交渉でも議題になってない。
西岡: (国交正常化交渉で)田口八重子さんのことを1回だけ口に出した。そうしたら北朝鮮側が席を立ってしまったので、外務省の北東アジア課の幹部が秘密裏に訪朝して、次は言わないから来てくれと言った。
加藤: 滋さんが亡くなって、安倍さんは何もしていないとかゴチャゴチャ言うけれど、安倍さんが頑張ったから5人が帰ってきたし、帰った後も、日本政府の公式見解は「5人を戻せ」だったのに、それを阻止したのは当時の安倍官房副長官。
◆帰国した5人の拉致被害者を北に返そうとした人々
阿比留: 訪朝した時、昼休みの際に安倍さんが盗聴されていることを前提にして小泉首相に「拉致被害者を返さないのなら、このまま席を立って帰りましょう」と言ったら、金正日が態度を変えて謝罪した。
それと、5人が帰国した後、当時の福田康夫官房長官や田中均アジア局長などは「拉致被害者を早く返せ」と言っていた。それを官邸内で戦って彼等を「政府の意思で」日本に留めたのが安倍さん。「政府の意思で」というのは、被害者本人達は自分の口から希望は言えない。そこで、安倍さんが戦って日本政府の意思で彼等を残すという結論を出した。
***
加藤: 先程の続きから。
西岡: 福田康夫官房長官と田中均局長は5人を帰そうとした。しかし、5人は秘密裏に安倍さんと中山恭子さんだけに日本に残りたいと言っていた。北朝鮮にいる家族に危害が加わるといけないので、それは公開しなかった。そうしたら朝日新聞が「逆拉致」と書いた。
加藤: えっ!?
西岡: それで蓮池薫さんが怒って記者会見をして話すと言ったが、中山恭子さんが「私たちを悪者にしとけばいいのよ」となだめて、記者会見はしたが、そのことは言わなかった。蓮池薫さんはそれまでブルーリボンと北朝鮮労働党のバッジをしていたが、その時北のバッジを外した。
彼等は日本に帰る前、「おまえらは日本ではテロリストと思われている」と脅されていたので、日本が守るという姿勢を示さずに福田康夫や田中均の路線だったら、彼等はきっと来てに帰っていた。我々は彼等は洗脳されていないと信じていた。だから、彼等が日本に到着してタラップを降りる時、下で「お帰りなさい」というプラカードを掲げた。中山恭子さん達と相談して「こっちが故郷だ」という作戦だった。
安倍さんの何よりの功績は第一次安倍内閣の時に「拉致対策本部」を作ったこと、拉致担当大臣を設けたこと。我々は外務省の外に拉致だけを担当する部署を作って欲しいと要望していた。当時は田中均さんがいたので、外務省とは敵対関係だったので。それが拉致問題に取り組んできた40年を30年と10年に分ける。30年間何もやってこなかったからこれだけ長く掛かっている。何もやった来なかった人間が私や安倍さんを批判する資格があるのかと強く言いたい。
加藤: 私は外務省担当だったが、外務省は田中均だけではなく事務次官以下、北朝鮮側に立ったことしか言わなかった。社会党だか社民党だかの議員も一緒になって異口同音に「(被害者を)北に返せ」と言っていた。
阿比留: 小泉訪朝前だったが、辻元清美さんはインターネット番組で「9人、10人のことで北朝鮮に文句を言うのはフェアじゃない」等とおよそ人の心が無いようなことを言っていた。河野洋平さんも外務大臣当時、「拉致ごときで国交正常化が止まったら国益を損ねる」という趣旨のことを言っていた。
古川貞二郎官房副長官も「拉致被害者が帰ってきたらラッキーだが、それが目的ではない」ということを記者会見で言っていた。みんなどうかしてた。
▼拉致被害者の帰国について、当時の古川貞二郎官房副長官は小泉訪朝5日前の記者会見でこう述べていた。「そういうことがあればハッピーだが、それよりまず国交正常化に対する扉を開くことに大きな意義がある」。(【産経抄】2018.6.9 05:04)
加藤: 河野洋平さんが外務大臣の時に外務省の入り口で家族会の方が大臣に会わせろと押し問答をしてたことがあった。在室していることが分かっているのに留守だと秘書官が言っていた。つまり、河野洋平だけでなく、外務省全体が日朝国交正常化ありきで拉致被害者のことなどどうでもいいと思っていた。
◆拉致実行犯の辛光洙(シンガンス)を釈放しろと署名する間抜けな国会議員達
加藤達: 明確に覚えていて腹が立ってしょうが無いのは辛光洙(シンガンス)問題。平成12年(2000年)に韓国で刑期を終え、北朝鮮に送還するというのにあたり、日本の国会議員の一部が送還を促進する署名運動までやっていた。
阿比留: 辛光洙死刑囚は曽我ひとみさんに「自分が横田めぐみさんを拉致した」と言っている。これが正しいかは分からないが、そう言っている人物に対して、菅直人とか村山富市、江田五月とかみんな助命釈放嘆願書に署名している。安倍副長官が「極めて間抜けな議員」と国会で答弁したら、委員会の委員長に謝罪させられた。
加藤達: 最近では福島瑞穂先生が横田滋逝去の報にSNSで余計なことを書いて炎上していた。(ブログ主註:お悔やみの言葉)
加藤: おまえらにそんなことを言われる筋合いはないと言いたい。
阿比留: 社会党は拉致問題は公安と産経新聞のデマだと言っていた。
加藤: 自民党も同じことを言っているような議員はたくさんいた。その総帥が金丸さんだったかも知れない。社会党はどうでもいいが、与党の自民党がそんなだったから何も動かなかった。
◆安倍晋三の後ろから石を投げた人々
阿比留: 小渕政権の時、当時の野中広務官房長官と鈴木宗男官房副長官が雑談しているのをたまたま聞いたが、「北朝鮮問題で跳びはねている安倍晋三はけしからんですね」と言っていた。また、小泉訪朝の後、官邸のエレベーターに乗っていたら朝日の女性記者が拉致議連を見て「あの『ならず者』」と言っていた。彼等は本当におかしい。
西岡: 野中さんが主導して河野外務大臣の時に北に米支援をしたが、我々は自民党本部前で座り込みをして抗議した。そうしたら、野中さんは「自民党本部の前でいくら吠えても帰ってこない」と、「吠える」という言い方で我々を動物扱いした。
阿比留: その時のことかは分からないが、野中さんは被害者家族が自民党の前にいたり、入ろうとしていた時に警察に電話をかけて「あいつらを排除しろ」と言ってきたと佐々淳行さんから聞いたことがある。「人道派」なんて言ってる人達の正体はそんなもの。
加藤: 思い出したのが石破(茂)さん。
西岡: 拉致議連が一度解散して若手で拉致議連をもう一度作った時の初代会長が石破さん。帰国した5人のことではあまり役に立ってくれず、また、我々が経済制裁が必要だと言ったら「ミサイルが飛んでくる」と事実上制裁に反対されていた。
阿比留: 石破さんが会長になる時、中川昭一さんから電話が掛かってきて「北朝鮮寄りと言われる経世会(竹下派)の石破さんが受けてくれた」と喜んでいた。ところが、その後、小泉内閣で防衛庁長官に抜擢された後は拉致問題に関わろうとしなかった。
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◆今後の見通し、何をすべきか
西岡: 我々は安倍総理と、先に圧力をかけて交渉するという戦略で一致している。その圧力は国連の安保理制裁で完成した。その結果北朝鮮は30億ドル弱の輸出収入があったのが今は3億ドル未満。外貨が底を突いてきた中でコロナウィルスがあり、セルフ制裁(中国との国境封鎖)をやったので相当苦しくなっている。
阿比留: あと一歩まで来ていると思う。金正恩にとって一番怖いのがトランプ大統領。状況を打開するには日本と上手くやるしかないという所に安倍さんは持って行った。
加藤達: 現場にもう少し権限を下ろした方がいいと思う。拉致問題対策本部や内閣調査室の匿名の派遣官も含めて、積極的に海外に出て継続的に下交渉をしている。その中で時々“エラー”が起きる。どういうことかというと、○百万出したら情報を持っている人間と会えるなどという場合、いちいち東京の本部に決済を求めなくてはならないが、躊躇してチャンスを逃している。
加藤: 今、拉致問題のトップは官房副長官ですか?
阿比留: 名目上はそうだが、拉致問題対策本部は総理と直結しているようなもの。多方面でありとあらゆるチャンネルを使って動いている。例えばNSC(国家安全保障局長)の北村滋さんとか。
加藤: 外務省も昔よりはましになった。秋葉剛男クンが事務次官やっているし。
阿比留: 秋葉さんは小泉訪朝の時に条約課長として同行した方なので詳しい。
西岡: 秋葉さんはワシントンの公使で、我々が訪米した時に各所にアポを取ってくれたり親身になってくれた。安倍さんが任命した人だからこの問題をなんとかしなくてはと思ってくれているに違いない。
加藤達: (産経の拉致特集記事の話題で)拉致の認定基準は、政府はけっこう厳格。警察は正確な根拠を漏らさないが、①本人の意思に反して連れ去られ、北朝鮮にいるとことが間違いない、②物理的証拠があること。例えば船で連れ去られる時は海岸に接岸する時に陸側と無線で連絡し合っているが、この電波に特徴がある。こうしたことを補足していること。こうした証拠を積み重ねてようやく認定に至る。
西岡: 警察当局に「ヤマ」と呼ばれる無線傍受機関があり、彼等が使っている無線機を入手して工作船の電波をキャッチしていた。これをKB(コリアン・ボート)情報と呼び、これが各県警に伝えて海岸の警備を指令していた。このことは警察は公式には認めていないが、産経新聞が2002年以前にスクープした。
お願いしたいのは、拉致・特定失踪者についてのこうした情報を整理して安倍総理のところに上げておいて欲しい。そうすれば、例えば30人帰ってくる場合にこれが全てと言えるのか、総理が判断できる。
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◆拉致被害者・家族の敵だった福田康夫、田中均
加藤: 横田滋さん早紀江さんについて、お人柄などを。
西岡: 滋さんは非常に温厚な方だが、顔を赤くして怒って記者会見をしたことが2回ある。2002年の小泉訪朝の日、外務省の施設に呼ばれて、外務副大臣から「おたくの娘さんは亡くなっている」と断定された。ところが次の日、安倍晋三さんが来て、確認はしてないということが分かった。そして、その日の夕方横田家は息子さん達も含めて、外務省に行き、訪朝団に随行して「めぐみさんの娘」と称する女の子に会った外務省の幹部と面談したら、確認はしていないと言う。娘はめぐみさんのラケットという持ってきたが、その写真すら撮っていなかった。確認もしていないのに亡くなったと断定した外務省に滋さんは怒った。
2度目は2回目の小泉訪朝で北朝鮮が出してきた「遺骨」からめぐみさんの物ではない2人の人物のDNAが検出された時。(めぐみさんの「ヘソの緒」で鑑定ができた)その遺骨にも遺族はいるはずなのにと、あまりにも人の命を軽視している北朝鮮に怒った。
2002年の時そばにいた議員は安倍晋三さんとか中川昭一さん、西村真悟さん、古屋圭司さん、山谷えり子さん。こういった人達が必死に動いていて当時何もしていなかった人達が今、「1ミリも動いていない」というのを聞くと腹が立つ。
加藤: 私は2002年9月17,18日と小泉訪朝に同行したが、18日に田中均アジア局長が淡々と死亡者名を読み上げた。その後、質疑も何もせずに解散したが、あまりにも冷たかった。
阿比留: 飯倉公館で福田康夫官房長官が報告をした際にある被害者家族が激怒したら、「あなたのところのお子さんは生きているのだからいいでしょ」と言った。オフレコだったので今初めて言うが、有本恵子さんはよど号の犯人が拉致したので「北朝鮮の拉致事件ではない」と最初言っていた。本当に信じられないことをたくさん、たくさん見てきた。
小泉さんの記者会見は当時は会社でテレビを見ていたが、意気軒昂としていて、NHKの記者もそれを持ち上げるような質問をしていたが、(死亡者と生存者の明暗が分かれて)日本中が涙している時にこれかよと思った。それで、専用機が羽田について安倍さんに電話をして、小泉さんは高揚してたけど、日本の空気は違いますよと伝えたら「分かってる」と言った。分かっているのは安倍さんだけだったと思う。
加藤: 小泉さんの脳天気な会見、福田官房長官の冷たいあしらい方。この2人に違和感を覚えていたなか、安倍さんが救いだった。
阿比留: 小泉初訪朝の直前、ある時安倍さんが私に、うめくように「小泉さんは拉致のらの字も分かっていない」と言った。小泉さんが批判をされると、「何でみんな俺を褒めないんだ。褒めるのは社民党と共産党くらいだ」と怒鳴ってた。当時、安倍さんを除いて、拉致問題を分かっておらず、家族会や救う回を舐めてたと思う。
◆隙あらば「日朝国交正常化」に誘導しようとする人々
加藤達: これから心配していることがある。運動を生涯を掛けて引っ張って来た滋さんが亡くなったことが悪い意味でエポックメイキングになっていまうこと。これで国交正常化の方に持って行こうとする人達が必ず現れてくる。
電子版のある週刊誌の記事に非常に誘導的な記事が出ている。それは滋さんが「朝鮮学校にお金を出さないのはおかしい」という発言をしていたとか、「国交正常化を進めるべき」、「孫娘にもっと会いたかった」など、枝葉の話を持ってきて安倍さんを批判する記事。こういうことに注意したい。
西岡: 私もそれは読んだ。非常に誘導的なインタビューをしたのだろう。(ブログ主註:文春オンライン『「もう一度ウンギョンさんに会いたい…」横田滋さん“本当の願い”を封じたのは誰か』五味 洋治)
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◆横田さんを利用し、デマを流した有田芳生
西岡: モンゴルで横田さんが孫娘に面会したことがあったが、北朝鮮の統制の効かないところで会うことが条件だったからで、北朝鮮はそれを飲んだ。孫娘は「どうして平壌に来てくれなかったのか?」と言った。横でウンギョンさんのお父さんがビデオを回したので、早紀江さんはこれを北の指導者は見るはずだと思い、「平壌に行かなかったのは、日本中があなたのお母さんは生きていると信じているから」と伝えたところ、娘はショックを受けていた。彼女はめぐみさんと夫が離婚したあと亡くなったと聞かされていたが、葬式にも出ていない。
敢えて言うが、現職で議員をしているある人(有田芳生)が横田さんからお孫さんと会った時の写真を預かったと言って、自分の選挙の直前に週刊誌に公開した。横田さんたちも写真を持っているが、お孫さんから公開しないでと言われているので、有田芳生の言ったことは嘘。有田芳生は横田さんが安倍さんに不満があるから私に預けたと嘘をついている。
◆北朝鮮を「利権」としか見ない経世会、国交正常化促進議員連盟
阿比留: 石破さんも今はすっかり北朝鮮の融和派で、北朝鮮との国交正常化促進議員連盟に顔を出したり、平壌に支援事務所を作れと言ったりしている。安倍総理が頑張っていても、背後から石を投げたり足を引っ張る人が後を絶たない。日本の世論が分裂しているかのように言う人が多くて困っている。
加藤: 私は竹下派(経世会)の担当だったので何となく雰囲気は分かる。あそこの派閥はハッキリ言って北朝鮮を「利権」だと思っている。だから、「援助をしましょう」という話ばかり出て、拉致被害者の話などしなかった。
だから、経世会の金丸さんが狙われたし、北に招く時も朝鮮総連を使って徹底的に金丸さんを調査した。そこで、田辺誠と話して金日成に会わせ、談話記録も取らせないので北が好き勝手なことを流す。丸め込まれたというか利用された。
阿比留: 利権ということでは、小泉訪朝の後に大手ゼネコン5者くらいが北朝鮮を訪問しようとしたことがあった。北の良質な砂利などが目当てだったが、産経新聞が先んじて報じたせいか、結局訪朝は潰れた。
西岡: トランプ大統領がシンガポールで金正恩と会った直後に、日朝国交促進議連がすぐに動き始めた。もし次に安倍さんが会うとなると多額のODA資金が動く可能性がある。朝鮮総連も促進議連に近づき、国会会館で促進議連の総会があり、その講師は朝鮮総連の新聞の平壌支局長が石破茂さんを含んだ40名の国会議員の前で「拉致は解決した」と堂々と講演した。もう一人の講師は田中均さんで、東京と平壌に連絡事務所を作れって、拉致問題と国交正常化交渉を平行でやればいいと話した。それが前回の自民党総裁選の石破さんの公約になった。
◆外交文書を隠した田中均
加藤: 阿比留さんが昔田中均さんのことで書かれた記事について。田中均さんがミスターXという人物と秘密交渉したきたが、外務省の交渉記録が2回分無くなっている。もし破棄したのなら重罪だ。
阿比留: 日朝交渉の最後の詰めの部分、最後の2回分が欠落している。最後の詰めはおそらく「お金」(の話)だと思われる。私がこの記事を書いたが他所(の社)はどこも追わなかった。当時、高村正彦さんが外務大臣だったが、私の記事を否定できずに誤魔化した。それを第2次安倍政権のときに安倍さんが何かに書いた。
西岡: 田中均さんが批判したから、安倍さんが「外交官失格だ」と書いた。
阿比留: 安倍さんがそういうことを書いても、毎日新聞の倉重とかは「どっちもどっちだからもうこの話は止めよう」なんてコラムを書いた。
今、政府の公文書を大事にしろと言っている人達が、重要な外交文書が欠落していることを不問にしろと言っている。
田中均さんは産経の取材を受けないというのが鉄則だが、電話で直接話を聞いたことがある。本人は「知らない。外務省に聞いてくれ」と言ってたが、知らないわけない。
西岡: 2002年に平壌に高官としていた亡命者が今、ソウルに何人もいる。少なくとも4人くらいは、小泉訪朝の後、100億ドル来ると聞いていた。その100億ドルは現金ではなくプロジェクトだから、プロジェクトを作れ(計画しろ)と命令が下った。
それが今我々の手足を縛っている。安倍総理がもし北と会ったら、向こうはその100億ドルをくれと言うはず。その記録が(こちらに)無い状態で安倍さんは外交をしなくてはならないというのは国益を非常に損なうことだ。
この消えた外交文書についてはブログエントリー『【北朝鮮拉致】産経新聞・阿比留瑠比論説委員『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』【虎ノ門ニュース(2018/06/26)】』にも書いています。
加藤: ここで時間になってしまった...(〆の言葉)
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