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【国際】北朝鮮拉致問題

2018/09/25

【北朝鮮拉致】拉致事件実行犯の帰化問題【虎ノ門ニュース】

ブログ主の覚え書きとして。

 

今朝(9月25日)の虎ノ門ニュースで、昭和52年(1977年)に久米裕さんの拉致実行犯の帰化の問題を取り上げていました。ここでは、関連するサイトなどをメモしておきます。

 

20180925_tora8

 

 

平成25年(2013年)のこの件に関する国会質疑(参議院)

該当する議事録は以下の通り。中山恭子議員が言及したもよう。

 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/185/0180/18511200180005a.html

第185回国会 国家安全保障に関する特別委員会 第5号
平成25年11月20日

(以下、該当部分のみ抜粋。)

○中山恭子君 お手元に、米国大統領府の組織図と、それから日本の今回の組織図を配付しております。この組織図を見ましても相当に違いがありまして、アメリカにおける国家安全保障問題担当大統領補佐官というものの権限の強さというものが見て取れるわけでございまして、そういったことについてもいずれ是非御検討いただきたいと思っております。
 北朝鮮による拉致問題についてお伺いいたします。
 十一月十五日、めぐみさんが拉致されてから三十六年が過ぎました。なぜ日本は他国の工作員が日本に侵入するのを防げなかったんだろうか、なぜ日本は北朝鮮の工作員が日本人を拉致することを防げなかったのだろうか、なぜ日本は拉致された日本人被害者を長年の間放置してしまったのだろうか、こういったことを考えますとき、非常に無念な思いが込み上げてまいります。
 五人が戻りましたけれども、五人が戻りましてからはや十一年たちます。当時の状況を思い出しましても、総理はよく御存じでいらっしゃいますが、幾つもの問題を抱えておりました。北朝鮮に残されている被害者の無事を祈らずにはおられません。拉致問題に対する総理の思いをお聞かせください。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今委員が御指摘になったように、一九七七年の十一月にめぐみさんが拉致をされたわけでありまして、その年に久米裕さんが拉致をされ、そして実行犯の一人は逮捕することができたわけでありまして、そしてそれは、その際、家宅捜査等によって乱数表も入手をしていたわけでございます。ただ、それをしっかりと北朝鮮が拉致というオペレーションをやっているんだということを政府全体で認識できなかったところに大きな問題があって、もし認識ができていたのであれば、私は、めぐみさんは今でも日本で幸せに暮らしている可能性はあるのだろうと、こう思うわけであります。
 その上においても、情報を収集すると同時にそれを政府で共有し、言わば能力を合わす形において総合的にそれを分析をして対応していくことが大切だろうと、このように思いますし、安倍政権の間に必ずこの問題を解決をしていくという決意で取り組んでいきたいと思います。

○中山恭子君 済みません、時間が来てしまいましたけれども、四大臣会合の中で是非、この組織ができましたらまず第一にこの問題を四大臣会議の中で取り上げていただいて進めていただきたいと思っております。
 ありがとうございました。

 

特定失踪者問題調査会

荒木和博氏が李秋吉氏のことに言及している。(該当部分のみ引用)

 

http://chosa-kai.jp/140311.html

 久米裕さん拉致の実行犯である李秋吉は北朝鮮に渡った妹さんを人質にされ、昭和48年8月頃に北朝鮮工作 員に包摂(取り込まれること)されたと言われています。それから久米さん拉致まで4年ある訳ですが、おそらくその間そして今日まで、本人の心は穏やかでは なかったでしょう。もちろん今でも拉致実行犯として罪に問うべきと思いますが、彼自身も被害者であることは間違いありません。

 

第183回国会(常会) 質問主意書と答弁書定

第183回国会(常会)で、なぜか有田芳生が2件質問している。探りを入れているのだろうか? URLのみ転記。

質問主意書一覧: http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/183/syuisyo.htm

 

質問第二九号: 日本国内に在住する拉致実行犯に関する質問主意書

 

二 政府認定の拉致被害者である久米裕さんは、昭和五十二年九月十九日に石川県宇出津海岸付近で失踪しました。大山秋吉こと李秋吉氏は外国人登録法違反で検挙され、久米さんを北朝鮮工作員に引き渡したことを自白しました。大山氏の時効はすでに成立しているのですか。この事件では主犯格の朝鮮労働党対外情報調査部幹部工作員だった金世鎬に対して、国外移送略取容疑での逮捕状が発付され、国際手配の手続きがなされています。仮に時効が成立していないならば、大山氏はなぜ検挙されないのですか。その理由を明らかにして下さい。

【政府答弁】

一から三までについて

 お尋ねについては、いずれも現在捜査中の個別具体的な事件における捜査機関の活動内容に関わる事柄であるので、答弁を差し控えたい。

 

 

以下は参考まで。

質問第四号: 北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者に関する質問主意書

 

 

 

 


 

2018/06/26

【北朝鮮拉致】産経新聞・阿比留瑠比論説委員『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』【虎ノ門ニュース(2018/06/26)】

本日(2018/06/26)の虎ノ門ニュースで産経新聞の阿比留瑠比氏が出演し、『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』について話されていました。

これは21日付紙面に掲載されており、web版にも全文が掲載されているので後述しますが、6月18日の参議院決算委員会に於ける立憲民主党の風間直樹議員による安倍総理対する質疑を受けたものです。

まだ議事録は公開されていないようで、記事にも質疑の一部が引用されていますが、動画で確認すると、まず、風間氏が「『日朝平壌宣言』(文書の日付は平成14年〔2002年〕9月17日/全文はこちら)に先立つ秘密交渉に於いて、当時の担当者が、拉致問題が主権の侵害であることを主張していない形跡がある。何故か安否情報の提供のみ要求している。」旨の発言後、当時の官房副長官であった総理の考えを訊いています。

総理は、日朝平壌宣言の作成過程には答えられないが、と前置きし、「我が国の国内に於いて拉致が行われたことは主権侵害と認識。」と発言し、記事に引用されたやり取りに続きます。

 

 

 

 

番組でも阿比留氏が言っていたように、当時の担当者とは外務省の田中均アジア大洋州局長で、自身の都合の悪い部分を廃棄したのではないかと想像されます。

もう少し補足しておくと、それ以前の交渉では、北朝鮮側が拉致ではなく「行方不明者」として調査する意向を示すも、そのような行方不明者は存在しない(98年6月)と発表、99年12月に再び行方不明者の調査で合意するも、2001年12月に交渉が途絶えます。

なお、金正日総書記の長男正男氏が不法入国で一時拘束されるも国外退去処分でみすみす返してしまったのはこの年の5月です。

手詰まり感のある中、事態が大きく進展したのは田中均氏が金正日総書記と近い人物(当時、「ミスターX」と呼ばれた)と極秘交渉を重ねて2002年9月の日朝首脳会談が実現したのは事実ですが、冒頭に書いたように、その交渉過程の記録が一部欠落しているという阿比留氏の発言に繋がります。

 
以下、21日付産経新聞の阿比留氏のコラムで、番組で話したこととほぼ同じ内容です。

 

https://www.sankei.com/premium/news/180621/prm1806210009-n1.html
2018.6.21 01:00

【阿比留瑠比の極言御免】日朝交渉文書欠落を振り返る

 もはや「モリ・カケ依存症」とでも言うべき野党のワンパターンな国会質問の中にあって、18日の参院決算委員会での立憲民主党の風間直樹氏の質問は白眉だった。今後、北朝鮮との交渉で焦点となる可能性が高い部分について、正面から取り上げたのである。少し長いが紹介したい。

 風間氏「(平成14年の小泉純一郎首相の初訪朝)当時の交渉担当者は、2回分の外交交渉記録を外務省に残していないとの国会答弁がある。安倍晋三首相も『彼は交渉記録を一部残していない』と(25年6月の)フェイスブックで批判している。公電が欠落している2回の交渉で、当時の担当者が北朝鮮と何を約束したか知っているか」

 安倍首相「ご指摘の部分は記録が存在していないため、当時の田中均外務省アジア大洋州局長が北朝鮮とどのような交渉を行い、何を約束したかについては、残念ながら承知していない」

 風間氏「国交正常化の際に、日本から1兆円規模の経済協力資金を提供するとの合意が図られ文書も交わされたと耳にしている。抜け落ちた公電にはこの部分が記載されていたと思うが、日朝間にそういう約束はあるのか」

 安倍首相「日朝平壌宣言自体、北朝鮮に行く飛行機の中で見せられた。交渉過程、宣言作成過程については全く承知していない」

 この問題について産経新聞は、10年以上前から何度も書いてきたが、他のマスメディアはなぜか関心が薄いようである。参院決算委翌日の19日の在京各紙を見ても、この部分には一切触れていない。そこで改めておさらいをしたい。

 この件は、田中氏が北京などで北朝鮮側の「ミスターX」らと30回近く非公式折衝を実施したうち、14年8月30日に政府が小泉初訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記と日朝首脳会談を行うまでの間の2回分の交渉記録が外務省内に残されていない-という大問題なのである。

 通例、外交上の重要な会談・交渉内容はすべて記録に残して幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に情報公開される。そうしないと、外交の継続性や成果は無に帰するし、どんな密約が交わされていても分からない。それが欠落しているのだから、看過できる話ではない。

 安倍首相は25年7月の日本記者クラブ主催の党首討論会で、かつて谷内正太郎外務事務次官(現国家安全保障局長)に「すべて(日朝交渉の)記録を見たいから調べてほしい」と依頼したところ、佐々江賢一郎アジア大洋州局長が「2回分がない」と報告してきたと証言した。田中氏本人に確かめると「私は知らない」と答えたことも、同時に明らかにしている。

 これは、ふだん野党が何かに取りつかれたように追及している森友学園への国有地払い下げをめぐる財務省の文書改竄(かいざん)問題や、愛媛県と加計学園とのやりとりの備忘録メモよりも、はるかに重大で深刻な問題である。日本側は把握していない2回分の記録を北朝鮮側が持ち出し、何を要求してくるか分からない。

 その点を野党議員が提起したことに、少し救われる思いがしたが…。

 その後の野党幹部の発言に注目したが、やはり「(財務省の文書改竄は)民主主義の土台を揺るがす前代未聞の不祥事」(社民党の又市征治党首)などと相変わらずで、外務省の文書欠落への言及は見当たらなかった。野党もメディアも根本的にずれている。(論説委員兼政治部編集委員)

 

産経新聞、というか阿比留氏は過去にも度々田中均氏を批判しており、探したら、2013年のコラムがあったので下に引用しておきます。

 

https://www.sankei.com/politics/news/130627/plt1306270074-n1.html
2013.6.27 09:02更新

【阿比留瑠比の極言御免】だから田中均氏は信じられない

 前回、安倍晋三首相による「フェイスブック」での田中均・元外務審議官の対北朝鮮外交への批判とその波紋を取り上げた。その後、田中氏が24日の講演でこれに反論したことについて、拉致被害者の有本恵子さんの父、明弘さんからこんな電話をもらった。

 「メディアが田中氏に語らせるのが悔しい。外交官が自分でちょんぼしておいて反省せず、首相に文句を言う。田中氏は被害者家族と顔を合わせもしない」

 また、民主党の細野豪志幹事長や自民党の小泉進次郎青年局長が首相に自制を求めたことをこう嘆いた。

 「細野氏が言うのは野党だからまだいいねん。だけど、小泉氏が同じことを言うのはいかん。当時のことを何もわかっていない」

 拉致被害者家族の田中氏への不信感は根強い。背景には、田中氏自身の過去の言動の積み重なりがある。平成14年9月17日、当時の小泉純一郎首相の初訪朝前後を振り返ると-。

 田中氏は北朝鮮が伝えてきた不自然な拉致被害者8人の「死亡年月日情報」について、報道されるまで被害者家族に伝えなかった。17日午前中には情報を得たのに、小泉首相にも平壌宣言署名直前の午後5時ごろまで報告しなかった。

 10月に米大統領特使として来日したケリー国務次官補が福田康夫官房長官と安倍副長官を夕食会に招いた際には、勝手に「両氏とも忙しい」と断り自分が面会した。15年5月の日米首脳会談の際は、両首脳が北朝鮮に「対話と圧力」で臨むことで一致したのに、記者団への説明用資料から独断で「圧力」を削除した。

 米国務省幹部からは「サスピシャス・ガイ(怪しいやつ)」と呼ばれ、拉致被害者の家族会と救う会が北朝鮮担当から外すよう求める声明を出したこともある。

 「もう田中氏を相手にしてもしようがない」

 安倍首相は周囲にこう漏らす。ただ、田中氏の24日の講演での首相への反論も論点のすり替えが目立つ。

 例えば14年に帰国した拉致被害者について、田中氏が北朝鮮に戻すべきだと主張したとの首相の指摘を否定し、戻さないと決めた最終判断には「誰も反対していない」と強調した。とはいえ、田中氏が首相官邸内での議論の過程で「いったん北に戻すべきだ」と訴えていたとの当事者、関係者の証言には事欠かない。

 また、田中氏は首相の「日朝交渉記録を一部残していない」との批判に関しては「記録をつけない交渉なんてあり得ない」「記録が作られていないことはない」と反論した。だが、首相は「作られていない」などとは言っていない。なぜか今、一部の資料がない問題を問うているのだ。

 この件は菅義偉官房長官が25日の記者会見で「記録は一部残っていないのか」と問われ、こう明言した。

 「それは当然だ。そういう見解だ」

 結局、メディアや与野党の政治家も加わった今回の論争を通じて浮かび上がったのは、拉致問題に向き合うそれぞれの姿勢ではなかったか。(政治部編集委員)

 

追記することがあるかも知れませんが、一旦ここまでで公開します。

 

なお、番組で紹介されていた『メディアは死んでいた』(阿部雅美著/産経新聞出版)の書評はこちらのエントリーに。(櫻井よしこ氏の書評も掲載してあります。) また、現在、「学園浸透スパイ事件」と併せ、拉致事件を含めた日本・朝鮮半島史については時系列にまとめ中です。

 

 

 

 


 

2018/06/19

【北朝鮮拉致】5分で分かる拉致問題の経緯【ニュース女子(2018/06/18)】

公開: 2018/06/19 12:45  最終更新: 2018/06/19 13:32  

2018/06/18放送のニュース女子の『【ライブ配信 6/18(月)】『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)』では北朝鮮による拉致事件を振り返っていました。

現在、拉致問題については「学園浸透スパイ事件」と共にこちらのエントリーに時系列にまとめつつありますが、拉致問題だけの流れを把握するためにこのエントリーではブログ主の補足も加えつつ、テキストでまとめておきます。

 

『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)

①「米朝首脳会談」
②「拉致問題、解決の足を引っ張ったのは誰なのか?」
③「政界の忘れてはいけない問題」

MC:上念司(経済評論家)
西川史子(医師)
筆坂秀世(政治評論家)
藤井厳喜(国際問題アナリスト)
ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)
須田慎一郎(経済ジャーナリスト)
井上和彦(軍事ジャーナリスト)
阿比留瑠比(産経新聞社政治部編集委員)
杉原杏璃(タレント)
吉木りさ(タレント)
眞鍋由佳
五十嵐麻里恵

ツイッターにupされた動画はこちら: https://twitter.com/chidiremen11/status/1008733411928727552

 

 

 

 

 

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1978年、日本海沿岸から相次いでカップルが姿を消した。(但し、後に判明するが、1963年に能登半島沖で遭難したとされる寺越武志さんが、それから24年後に北朝鮮で生存していることが判明。「北朝鮮に救助された」と本人は言っている。)

 

1980年1月7日、産経新聞(当時はサンケイ新聞)の阿部雅美記者による記事が初めて「外国情報機関の関与」を疑う記事が掲載されるも、当時は虚報とされていた。そのため、この記事を目にしたのは産経の読者のみ。国民の多くは知らされなかった。

 

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個々の事件は地方紙には掲載されていたが、行方不明者に失踪する動機も見当たらず、ゴム製の猿ぐつわなど、遺留品が国産のものとは思えない粗悪な製品であった。

 

1987年の大韓航空機爆破事件により、拉致被害者の存在が浮かび上がったにも関わらず、救出しようという機運は生まれなかった。

 

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当初は、韓国による自作自演説も流れていた。最もこの説を主張したのが社会党。

 

1988年、国会で梶山静六国家公安委員長による、初めて「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」という貴重な答弁があった。

 

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この答弁を引き出したのが共産党の橋本敦参議院議員。

元共産党幹部の筆坂秀世(政治評論家)によると、80年代頃は北朝鮮や朝鮮総連と共産党は断絶していた。それは、金日成思想を日本の共産党にも押しつけようとしことに反発してのものだった。

なお、橋下議員の秘書であった兵本氏は拉致問題に奔走。その後の家族会の設立に阿部記者や朝日放送プロデューサーの石高健次らと共に一役買った。

 

梶山答弁を報じたのは産経新聞と日経新聞だけ。産経や日経ですら小さなベタ記事で、世間の知るところとはならなかった。

 

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その後、1997年に産経新聞が横田めぐみさん拉致事件を実名で報道するが、行方不明になってから既に20年が経過していた。

 

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梶山答弁と同年の1988年、ヨーロッパで拉致された石岡亨さんからの手紙が家族の元に届く。

 

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家族は藁にもすがるつもりで北朝鮮との繋がりがある土井たか子氏に陳情するも、けんもほろろに「拉致など無い」と言われる。「拉致問題は政府の陰謀」との発言も。

 

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のちに、2002年の小泉総理大臣訪朝で金正日が拉致を認め、実態が明らかになると「私も騙されていた」と発言。しかし、その後も拉致創作説の論文を党のホームページに掲載していた。

 

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更に、1989年、韓国政府に逮捕されていた政治犯の釈放を求める嘆願書を、土井たか子氏、菅直人氏等が中心となって当時の盧泰愚大統領に提出。

 

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この政治犯とはもっぱら在日朝鮮人の韓国留学生による「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であったが、この中に1980年に原敕晁(はらただあき)さんを拉致した辛光洙(シンガンス)容疑者も含まれていた。

辛光洙容疑者は元々「立山富蔵」と名乗っていた在日朝鮮人で、1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕→死刑判決→無期懲役に減刑→1989年7月 日本の議員により釈放嘆願→1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放、北朝鮮に送還。

辛光洙は国戻って英雄と称えられる。

 

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のちにこのことを当時の安倍晋三官房副長官は「極めて間抜け」と評する。

 

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2001年、金正男氏が密入国で入国管理局に拘束されるも...

 

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超法規的措置により、送還してしまい、みすみす、外交カードを逃してしまった。

 

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この措置に反対する議員も少なくなかったが、ここまで見てきて分かるように、社会党だけでなく永田町には親北の議員が跋扈していた。

阿比留瑠衣氏談: 社会党はほんとにひどかった。(拉致問題に関しては)警察の捜査を邪魔しようともした。しかし社会党だけでなく、自民党にも親北の議員、野中広務や河野洋平など、が大勢いた。

 

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拉致問題が大きく進展するのは2002年の小泉総理大臣訪朝による初の日朝首脳会談。

 

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金正日総書記が拉致を認めるも、特殊機関の一部が暴走してやったこととした。

 

2002年10月15日、拉致被害者5人が帰国。この中には政府が認定していない曽我ひとみさん(特定失踪者)も含まれていた。

 

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この時の申し合わせは「一時帰国」。政府は返さなかったが、一部マスコミは北朝鮮に返すべきと批判。

番組では取り上げなかったが、2004年5月に小泉首相が再訪朝。これにより、地村さん、蓮池さんご夫妻の子供が帰国、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんも日本へ。

 

未だに12名の被害者が帰らず。拉致の可能性を排除できない事案は883名に上る。

 

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拉致問題を語る時、当時の日本の社会情勢も知らないと理解できません。

慰安婦問題などなかった頃ですが、民主化が遅れた韓国や地上の楽園とまで言われた北朝鮮に対する日本人の意識、それを形成したのは知識人や岩波、朝日といったマスコミや言論界です。また、北朝鮮との国交正常化に前のめりになっていた外務省、etc. そうしたことは前述の時系列記事にまとめ中ですが、今回のニュース女子のVTRは大まかな流れがよく分かる良企画だと思います。

 

 

 

 


 

2018/06/17

【北朝鮮拉致】拉致と認定されない拉致 寺越武志さんのケース

「拉致被害者」と言うと、一般には12件17人の認定被害者の方を思い浮かべますが、政府から公式に認定されていない「特定失踪者」と呼ばれている方々がいます。

特定失踪者問題調査会によると、全国の約470人を拉致の疑いを排除できない「特定失踪者」としています。

しかし、拉致であることが判明しているのに、このどちらにも含まれていない方もいます。

その一人が寺越武志さんです。

 

 

 

 

「メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)にも、寺越さんのことは第4章に「不自然」(P.136~)と題されて書かれています。

 

 

寺越さんは63年に石川県志賀町(しかまち)の高浜漁港から叔父さん2人と能登半島沖に出漁中に行方不明になりました。漁船だけ発見され、家族も海で亡くなったものとして葬儀も済ませたところ、24年後に北朝鮮から叔父さんの手紙が届き、武志さんも生存して北朝鮮で生活していることが判明しました。

この本に書かれていることのいくつは、改めて「ああ、そういうことがあったな」と思い出すことも多く、寺越さんの事件もその一つだったはずですが、たまたま5月に読売新聞に『北の息子と「最後」の対面』というタイトルで久しぶりにこの事件を思い出していました。

 

読売新聞は6月12日の米朝首脳会談の日程が決まった後に、見開き2頁で『基礎からわかる拉致問題』の特集を組んでいましたが、それより1週間前に寺越さんとお母さんの再会を記事にしていました。

 

下がその記事です。

 

20180523_yomiuri_terakoshi

 

この記事にも書かれていますが、武志さんは「北朝鮮船に救助された」と語っており、家族は当然この不自然さに気づいていますが、拉致と言ってしまうと武志さんの身に危害が加えられることを恐れ、家族会にも加わらずにいます。

ブログ主がこの事件を知ったのはいつだか忘れてしまいましたが、時々、寺越さんとお母様との再会は新聞記事になっている記憶があるので、多分その記事の一つででしょう。

 

なお、「メディアは死んでいた」で知りましたが、2001年に寺越さんは本を出版されているそうで、邦題を『人情の海』というものだそうです。

ネットに公開されているというので調べて見たところ、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏のブログにダウンロードできるようにPDF掲示されていました。

ブログ主は読んでいませんが、当然のことながら、金日成を礼賛する内容で、阿部雅美氏も「一読はお勧めしない」と書いています。

 

荒木和博BLOG: 2005年5月8日 『人情の海』

 

なお、寺越さん同様、拉致であることが判明していて認定されていない被害者には、74年6月に埼玉県上福岡市〔現・ふじみ野市〕から拉致された高敬美ちゃん(読売記事では6歳/本では7歳)と3歳の弟、剛ちゃん幼児がいます。

この2人のケースが認定されないのは日本国籍ではないためで、日本人の母親は殺害されたとみられているそうです。

 

 

 

 


 

2018/06/16

【書籍】「メディアは死んでいた」(阿部雅美著)読了【北朝鮮拉致】

公開: 2018/06/16 20:25  最終更新: 2018/06/17 9:26(櫻井よしこ氏の書評追加)  

掲題の本、「メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)を読了したので、覚え書きとして書評のようなものを記しておきます。

この本のことは以前ご紹介した「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた」(iIRONNA)というweb記事で知ったのですが、40年前に各地で発生していたアベック蒸発事件を追って初めて産経新聞(当時はサンケイ新聞)で拉致疑惑を記事にし、その後、横田めぐみさん拉致疑惑を初報した著者が取材の経過やメディアの拉致報道を再検証し、当時の社会情勢、政界の動き、世間の反応などをまとめたものです。(リンク先はブログ記事。web記事のリンクが貼ってあります。)

 

 

 

 

著者は、警視庁を担当していた時にふと耳にした「日本海の方で変なことが起きている」という言葉から、富山(78年8月)、福井県小浜市(78年7月)、鹿児島(78年8月)の3件のアベックが行方不明になった事件(富山は未遂)を地方紙から見つけ出し、点を線にする取材が始まるのですが、取材の過程はまるで刑事ドラマを見ているかのようです。

この、「点を線に」というのは読者も同じで、この本に出てくるエピソード、例えば、原敕晁(はらただあき)さんを拉致した工作員、辛光洙の逮捕、大韓航空機爆破事件で実行犯が日本人により日本人化教育を受けたという告白、横田めぐみさんの実名報道、有本恵子さんの拉致に加担したよど号ハイジャック犯の妻の供述、etc.と大きな動きがある時はメディアも連日報道するので関心を持ちますが、それが過ぎると世間の関心も薄れてしまいました。この本は、その隙間を、報道に現れていないエピソードで埋めてくれるものです。

 

そのエピソードの一つが、タイトルの元になった「梶山答弁」(1988年3月26日)。

政府が初めて北朝鮮の拉致に言及したのに、ほとんどのメディアが黙殺するか、扱っても小さなベタ記事のみでした。

前の記事にも書きましたが、この答弁を引き出したのが共産党の橋本敦参議院議員で、阿部記者のスクープに興味を持って独自に調査を始めた兵本達吉氏は橋下議員の秘書。

後に、拉致被害者の「家族会」が発足しますが、この会の設立は兵本氏、阿部記者、そして朝日放送の石高健次プロデューサーがお膳立てしたとのことです。

 

ここで、なぜ共産党が?と思われるかも知れません。

徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』(張明秀著)を読んで、共産党と総連が距離を置いていた時期があると知りましたが、この本では、当時の共産党と朝鮮労働党の関係について、個人崇拝を巡る対立やラングーン爆弾テロを巡る論争があり、83年以降断絶状態が続いていた、という説明があります。

この間、北朝鮮と密接な関係にあったのは田辺・土井体制の社会党です。

しかし、98年以降、関係を修復したらしく、機関誌『赤旗』での拉致に関する論調に変化が現れます。兵本氏が定年間近で党を除名されるのもこの頃です。

 

ところで、たまたま検索したら、言論テレビに兵本達吉氏が出演されている回の動画を見つけました。(会員でなくても視聴可能) 

 

20160318_hyomoto01

 

12分頃から、拉致問題に興味を持った経緯や除名された理由をを語っていらっしゃいます。

 

【言論テレビ】 Vol.96 一般公開 『共産党の微笑作戦に騙されるな』
2016.03.18 50分

https://www.genron.tv/ch/hanada/archives/live?id=274

兵本達吉氏プロフィール
評論家、元日本共産党党員

昭和13(1938)年、奈良市生まれ。京都大学在学中、日本共産党入党。53年、中央委員会勤務員となり、党国会議員秘書に。ロッキード事件やリクルート事件、北朝鮮による日本人拉致事件の真相解明に努めたが、平成10(1998)年、党を除名された。著書に『日本共産党の戦後秘史』。

※ プロフィールは放送日2016.03.18時点の情報です

 

限られた時間なので途中で話が遮られてしまっていますが、共産党と朝鮮労働党は元々友党であったので、徐々に北の仕業だということとが濃厚になっていくにつれ、兵本氏の活動が党内で問題視されるようになったとのことです。

しかし、共産党の議員が国会で質問したくらいなのですから、この間に共産党と朝鮮労働党との関係に変化があったのでしょう。

著者は皮肉を込めて、「拉致問題で終始ぶれずにいたのは社会党だけ」と書いています。

 

この本に書かれていたエピソードを一つ。

91年に有本恵子さんのご家族が実名での記者会見を決意し、そのことをメディアに予告しました。実名を出して世間に訴えることで輿論を喚起したかったからです。

メディア側の窓口にはNHKがなっていましたが、直前に、NHK記者がある人物(本にはもう少し情報あり。左翼系活動家に近い人物。)を紹介し、その人物から、水面下で交渉中なので実名は出さないよう説得されます。その際、NHK記者も同席していました。

その結果、会見はインパクトの無いものになり、話題とはなりませんでした。そして、その人物からはいつの間にか音信が途絶えてしまったとのこと。

NHKの記者は何が目的だったのでしょうか。

このことから、有本さんのご家族に「NHK不信」が生まれたそうです。

 

【追記】現在、「学園浸透スパイ事件」と併せ、拉致事件について時系列にまとめています。

 

【追記】産経新聞に掲載されていた櫻井よしこ氏の書評を追記します。

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2018/06/09

【学園浸透スパイ事件とその時代】 もう一つの日本・朝鮮半島史【北朝鮮による拉致問題】

公開: 2018/06/09 23:21  最終更新: 2018/06/21 11:49(拉致関連の出来事追記中)  

このエントリーは北による対南工作である「学園浸透スパイ事件」と北による「日本人拉致事件」に係る出来事を時系列に並べたものである。

     

     

  • 徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』(張明秀著)を読みながら日付を拾ってメモをしていたものを時系列に並べたもので、基本的には文中の記述。(ページ番号(P.xx)は本書の頁)
  • 「学園浸透スパイ団事件」そのものの概略はこちら
  • 敬称略。必要に応じて肩書を記す。
  • 現在、『メディアは死んでいた』を参考に、北朝鮮による拉致事件も追記中。(青字で追記
  • 関連するブログ記事は  _blog_entry  にリンク
  • その他の出典については、頁末に。

 

 

 

 

朝鮮戦争

1950年(昭和25年)6月25日 朝鮮戦争勃発(~53年7月休戦)

  • 大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。朝鮮動乱。

1950年9月~1958年10月 〔日本国内〕第1次~第4次北朝鮮スパイ事件

  • 激動する朝鮮半島情勢を背景に、在日米軍に関する情報収集や、日本の警察予備隊、保安隊に関する情報収集を目的とする。「本庄浜事件」・「一宮事件」(1964年7月)、「寝屋川事件」(同年10月)

 

北朝鮮帰国事業にマスコミが果たした役割

1959年(昭和34年) 〔社会党〕朝鮮問題対策特別委員会を設置 帰国事業の推進を図る。日本共産党主導の団体・「日朝協会」は帰国事業が始まる直前に北を訪問した見聞録を発表。北を賛美したものであった。

1959年(昭和34年)12月14日 北朝鮮帰国事業開始…社会党が中心的役割。元々は金日成が外交政策として掲げたスローガンに過ぎなかったが、日本政府も朝鮮人に帰って欲しかったためあっさり実現してしまう。(~1984年)

在日朝鮮人はそもそも38度線より南出身者が多かったので元々北に対する郷愁はない。 そのため、帰国事業を推進する国際赤十字委員会は本当に帰国の意思があるかどうか確認しようとした。しかし北朝鮮政府が反対。北の主張に加担したのは雑誌『世界』(岩波書店)で、59年6月号では 朝鮮労働党機関誌『労働新聞』59年3月17日の社説まで転載して北の立場を支援した。結局は本人への意思確認が必要と言うことになったが、北と総連は「共和国は地上の楽園」キャンペーンを行う。それを支援したのも『世界』(P.211)で、60年6月号では帰国協力会の代表委員だった自民党の岩本信行代議士が、それまでの帰国者1万6千人の北での暮らしぶりを訪ねた報告を掲載する。60年は他のマスコミ各社も北朝鮮の現地取材をしたが、どれも同じように北の豊かさを喧伝するものだった (P.212)

岩本が北は極楽と嘘を言ったのは在日同胞を帰国させることが日本政府の意思だったためで、貧困・犯罪の温床である在日朝鮮人を厄介払いしたかった。(P.213)

 

1960年(昭和35年)~ 日本に侵入していた北朝鮮スパイの摘発相次ぐ…「浜坂事件」(60年)、「寝屋川事件」(64年)、「東大阪事件」(68年)、「湯川事件」(75年)、「水橋事件」(80年)

1963年(昭和38年)5月 寺越武志さん、能登半島沖に出漁中に行方不明 …24年後に北朝鮮から叔父さんの手紙が届き、武志さんも生存して北朝鮮で生活していることが判明。→ _blog_entry

 

1964年(昭和39年) 〔徐勝〕東京教育大学入学 韓学同(民団系)に加盟…62、3年頃高校生の徐勝に近づきオルグしたのは芥川賞作家の李恢成(りかいせい/イ・フェソン)。彼は学生時代から68年まで総連の活動家であった。(P.44~46)

 

1965年(昭和40年)6月22日 日韓基本条約 …韓国を朝鮮半島唯一の合法政府と認める。

  • 北は日本が南だけと結ぶこの条約は南北分断を固定化するものと反対。日韓基本条約後、韓国政府は在日同胞の留学生を大々的に受け入れるようになる。

韓学同は総連に牛耳られていたので反対したが、総連は急にその反対運動をやめる。(P.48
)韓学同を表向き穏健な組織にして、北側の工作員を送り込むため 。

 

1967年(昭和43年)8月 〔徐勝〕工作船にて第一次入北、間諜教育を受ける …1ヵ月後の9月10日に工作船で帰国。(P.59)

 

1968年(昭和44年)1月21日 〔北朝鮮〕青瓦台襲撃未遂事件 …北朝鮮特殊部隊により発生した韓国大統領府襲撃未遂事件

 

1968年(昭和44年)4月 〔徐勝〕留学生としてソウル大学へ

1969年(昭和44年)12月10日  〔北朝鮮〕大韓航空機YS-11ハイジャック事件

1970年(昭和45年)3月31日~4月5日 〔日本・北朝鮮〕よど号ハイジャック事件…犯人等が北朝鮮に亡命

1970年(昭和45年)8月15日  〔韓国〕朴正熙大統領、光復節の演説で初めて北朝鮮政権の存在を認める。同時に北朝鮮の対韓武力行使と戦争挑発行為の即時放棄を前提に、南北間の人為的障害を除去する方策を採る用意があることを表明(8・15宣言)

1970年(昭和45年)8月30日 〔徐勝〕弟俊植を連れて工作船再入北 

1971年(昭和46年)4月 大阪経済法科大学設立 …帰化した在日朝鮮人により設立 副学長は学園浸透スパイ事件を工作した指導員の筆頭に挙げられていた。

 

1971年(昭和46年) 〔韓国〕4月27日行われる選挙に向けて朴大統領の三戦を阻止しようと学生運動高まる。(P.62)

 

学園浸透スパイ事件

1971年(昭和46年)3月6日 〔徐勝〕再び韓国に渡航。逮捕

1971年(昭和46年)4月20日 学園浸透スパイ事件で逮捕

  • 【4月20日付毎日新聞夕刊】韓国陸軍保安司令部は、二十日、北朝鮮の指令を受けて政府転覆を画策していた51人の大規模なスパイ団グループを検挙した、と発表した。(中略)朴(正煕)大統領の三選阻止運動を進めていたとしている。(『わが朝鮮総連の罪と罰』より)

1971年(昭和46年)4月27日 〔韓国〕朴正煕、金大中を破り大統領三選

1971年(昭和46年)5月29日 〔徐勝〕反共法(61年施行)と国家保安法で起訴

1971年(昭和46年)7月19日 〔徐勝〕第一審 …焼けただれた顔で現れたため李恢成がガスバーナーによる拷問と言いふらす。(P.207) しかし、そもそも拷問だと言い始めたのは産経新聞(P.208) 71、2年頃の新聞は激しく徐兄弟の問題を騒ぎ立てた。

1971年(昭和46年)10月 『救う会』発足(代表:東海林務牧師) …指導者の一人に東大教授・和田春樹氏(ロシア革命史)。度々集会で講演。金正日を度々称賛(岩波書店『世界』にて)、山田昭次等。実際の仕切り役は長兄善雄だというが、長兄の存在は徹底的に隠されている。

1971年(昭和46年)10月22日 死刑判決 …俊植は懲役15年、翌年無期懲役、懲役7年に減刑→上告は棄却され刑が確定。

  • 71年10月の第一審では対南工作を認めているがその後前言を撤回し、純粋な思想犯を演じ始める。事実関係を否認して無実を主張。著者によると、救援運動がそうさせた。総連はKCIAのでっちあげと主張、日本のマスコミもそれに同調していた。
  • 韓国では「転向書」を書けば刑期を満了せずに釈放されるが兄弟は書かないどころか、獄中から世界のマスコミを通じて政府批判を続ける。
  • 〔朝日新聞〕徐兄弟逮捕時にソウル特派員だった猪狩という記者は一貫して「この事件は韓国政府のでっち上げ」という前提での記事を書き続ける。この記者は80年に北に招かれて1ヵ月滞在し、北を称賛する記事を何本も書く。
  • 〔朝日新聞〕71年9月27日 金日成との会見記を紙面に掲載。その後も度々会見記を掲載。

『救う会』の指導者等の「北朝鮮、韓国、日本」に関する論理は、「北朝鮮を生んだ朝鮮戦争はアメリカの帝国主義に対する民族抵抗」→「戦後も日本を支配している軍国主義者と韓国政府はつるんで南北を分断している」→「だから、日本人としては韓国政府を批判する義務がある」(P.123) ところが、後の93年に「金日成こそがソ連帝国主義の傀儡として朝鮮戦争を起こして民族を分断した」という機密文書をロシアが公開し、その要旨が朝日新聞(6月28日付)に掲載されるが、その解説を和田春樹が書いている。さすがに、事実を渋々認めるような内容であった。(P124)

 

『地上の楽園』の本当の姿を伝えた赤旗の記者、隠す朝日や岩波

1970年代初め 北朝鮮・総連との癒着が更に強化

  • それまでは日本社会党と日本共産党の統一戦線的な団体「日朝協会」とが中心だったが、北が金日成への貢ぎ物を強要したために共産党と総連が仲違いする。これで総連は社会党を取り込む。
  • 当時の共産党と朝鮮労働党の関係は、個人崇拝を巡る対立やラングーン爆弾テロを巡る論争があり、83年以降断絶状態が続いていた。(「メディアは死んでいた」)

1971年(昭和46年) 朝日新聞・宮田記者、北朝鮮の招待で2ヵ月滞在

  • 滞在して見聞きしたこととして朝日新聞夕刊に12回に渡って『チュチェの国 北朝鮮』を連載し、北朝鮮を礼賛。
  • 日本共産党の機関誌『赤旗』の特派員として72年から平壌に駐在した萩原遼氏は、日本で耳にした話と実態とのギャップに衝撃を受ける。

1972年(昭和47年)2月、10月、80年5月、83年4月と日本の国会は徐兄弟救援の訴えと要望書を韓国政府に提出。76年1月31日には衆議院予算委員会理事会で全員一致で「死刑執行の中止」を求める決定。これに尽力したのは社会党の安宅常彦議員。(P.182)

1972年(昭和47年)10月6日 金日成・安江良介(1972~88『世界』編集長)との会見

1972年(昭和47年)11月 『韓国からの通信』が岩波書店『世界』に連載開始 …筆者はT・K生なる匿名の人物。

  • 著者はT・K生を安江良介ではないかと疑うが、後に池明観という人物が自分であると名乗り出る。報道したのは朝日新聞(2003年7月26日)
  • 安江編集長と北朝鮮の深い関係は→ _blog_entry

 

1972年(昭和47年)は激動の年であった。

1972

 

韓国民主化運動という名のスパイ行為

1973年(昭和48年)8月8日 金大中事件 …東京でKCIAに拉致

1973年(昭和48年) 辛光洙(シンガンス)秘密工作船で北朝鮮から日本上陸 …坂本という日本名で日本人になりすます。(元々在日コリアンで「立山富蔵」と名乗っていた)→原敕晁(はらただあき)さん拉致事件

1973年(昭和48年)4月8日 〔北朝鮮〕4・8教示 …金日成「総連の全ての事業は祖国統一の実現に従属するものである」(P.92)

1974年(昭和49年)6月 在日朝鮮人の2児拉致、母親は殺害 …日本国籍ではないため2児については拉致認定はされていない。

1974年(昭和49年)8月15日 〔韓国〕朴正煕暗殺未遂事件 …夫人暗殺。犯人は在日韓国人二世の文世光(むん・せがん)。(P.82)

1974年(昭和49年)8月17日 〔ソウル地検〕犯人の自供内容を発表 …文は大阪生野西支部(総連)にオルグされ、69年に民団系の青年組織・韓青(在日韓国青年同盟)の幹部活動家だった(72年に辞表を提出)

  • 韓青は総連が民団内部に作ったフラクション(※)であった。しかし、韓青の指導者のひとりであり「朴政権打倒」を掲げる在日韓国人組織・韓民党(韓国民主化統一国民会議)は総連との関係を否定する。(P.83)
    ※フラクション: 小部分の意味だが、革新政党が他の大衆団体の内部に設ける党員組織。フラク。

1974年(昭和49年)10月 〔北朝鮮〕金正日、クーデターで父の弟・金英桂を蹴落として北の全権を掌握 →77年1月、総連に宛てた指示書

【当時の日本のマスメディアの半島報道】(『メディアは死んでいた』(阿部雅美著)より引用)韓国に対しては、自由主義、民主主義という価値基準に照らして軍事独裁、圧制と批判し、その打倒を掲げた民主化運動へのシンパシーに満ちていた。(中略)一方で、同じ価値規準に照らせば、言論の自由も結社の字湯もない北朝鮮に関しては、その独裁体制を問題にすることはなかった。完全にダブルスタンダードだった。75年にベトナム戦争でサイゴン(ブログ主註:現ホーチミン)が陥落して米国が負けると、この傾向に拍車が掛かった。⇒日本国内、特に言論界や知識人層による「親北、反南」という世論形成;

 

北による日本の政界工作と雑誌『世界』/日本人拉致活動

1976年(昭和51年)11月11日 〔北朝鮮〕金正日、総連に宛てた指示書 …内容は、日本にいる韓国マスコミ特派員の買収、保守系の大物政治家を1、2名工作、小田実(作家・政治運動家)のような人物を2,3名獲得すること。(P.184)

1977年(昭和52年) 『見果てぬ夢』(李恢成著) …対南工作事件を題材にした小説。北野工作員が韓国に潜入する描写は驚くほど徐勝の裁判での証言に一致する。(P.55)=徐勝の工作活動を把握していたという著者の推論の根拠

1977年(昭和52年)頃より北朝鮮による日本人拉致容疑事案が頻発する。

Abduction

1977年(昭和52年)9月19日 能登半島で久米裕さんをだまして拉致…(宇出津事件)

1977年(昭和52年)10月21日 鳥取県米子市で松本恵子さん拉致

1977年(昭和52年)11月15日 新潟市で横田めぐみさん拉致

1978年(昭和53年) 〔岩波書店〕『世界』5月号 『徐兄弟獄中からの手紙』 …社会党土井たか子がこの記事を国会で取り上げ、日本政府の韓国への強硬な態度を迫る。

  • 土井たか子は衆議院外務委員会で、78年5月10日、26日、6月14日、80年2月14日、5月15日、82年4月21日、84年4月25日と、園田、大来、桜内、安部の歴代外務大臣に執拗なまで徐兄弟の問題を質問。78年5月10日には雑誌『世界』5月号の『徐兄弟・獄中からの手紙』を振りかざして救出を迫る。(P.183)

1978年(昭和53年)6月 都内で働いていた田口八重子さん拉致、神戸市内の田中実さん拉致

1978年(昭和53年)7月7日 福井で地村保志さんと浜本富貴恵さん拉致

1978年(昭和53年)7月31日 新潟で蓮池薫さんと奧土祐木子さん拉致

1978年(昭和53年)8月12日 鹿児島で市川修一さんと増元るみ子さん拉致

1978年(昭和53年)8月12日 佐渡島で曽我ひとみさん、ミヨシさん拉致

1978年(昭和53年)8月15日 富山でアベック拉致未遂

1979年(昭和54年)10月 〔韓国〕朴正煕大統領暗殺事件

1980年(昭和55年)1月7日 〔産経新聞〕「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ(阿部雅美記者)

  • 初めて「外国情報機関の関与」を指摘。しかし、「20年前 13歳少女拉致」 北朝鮮亡命工作員証言》の記事が産経新聞一面に掲載されたのは、それから17年後の97年2月3日。
1980年(昭和55年)3月 国会で公明党議員がアベック失踪を質問…警察庁は関連性否定

1980年(昭和55年) 〔岩波書店〕『世界』4月号 …朝日宮田記者による徐兄弟の母のインタビュー記事を掲載。

1980年(昭和55年)5月11日 徐兄弟救出の運動の一環として開かれたパネルディスカッション …和田春樹らとともにパネラーとして前田康博毎日新聞記者参加。(P.206)

 

「地上の楽園」の嘘

1980年(昭和55年)5月18日~27日 〔韓国〕光州事件 …5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、民主化を求めて光州市を中心として起きた民衆の蜂起。多数の死傷者を出した。

  • 総連は南に送り込んでいた学生スパイを通じて事前に動きを察知しており、予め日本の左翼系映画人をソウルに派遣しており、事件後、日本で講演をし、南のネガティブキャンペーンに利用した。(『わが朝鮮総連の罪と罰』P.171~)
1980年(昭和55年)5月 欧州に留学中の石岡亨さん、松本薫さん拉致 

1980年(昭和55年)6月17日 原敕晁(はらただあき)さん拉致事件(辛光洙事件) …宮崎市の海岸に誘い出され、北朝鮮の工作員辛光洙らに拉致されたとされる。/北朝鮮の発表では1986年に病死とされている。

  • 辛光洙容疑者: 1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕→死刑判決→無期懲役に減刑→1989年7月 日本の議員により釈放嘆願→1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放、北朝鮮に送還。

1981年(昭和56年)2月25日 〔韓国〕全斗煥 大統領に就任

1981年(昭和56年) 〔社会党〕「在日韓国人政治犯を支援する国会議員懇談会」発足 …会長稲葉誠一、副会長野坂浩賢)名簿には土井たか子、山花貞夫等の名も。

1982年(昭和57年) 〔北朝鮮〕帰国事業で63年に北朝鮮に帰国した朴安復(ぱく・あんぼく)氏消息不明に …帰国、平壌中央放送局でアナウンサー局長を務めていた。→「人間狩り(マグジャビ)→妹の春仙さんに総連から「85年8月21日にスパイ容疑で銃殺された」との知らせ→『北朝鮮よ、銃殺した兄を返せ!』(1994/06)→93年7月2日 『徐君兄弟を守る学友の会』から北を批判するのをやめるよう電話 『救う会』による帰国者救済の妨害(P.108)

1983年(昭和58年)7月 欧州に留学中の有本恵子さん拉致

1983年(昭和58年)10月9日 〔韓国・北朝鮮〕ラングーン爆弾事件 …全斗煥大統領暗殺未遂

1984年(昭和59年)2月 『凍土の共和国』(亜紀書房)出版 …元朝鮮総連幹部が明らかにした北朝鮮の真の姿→産経や読売は帰還事業の協力を辞めるが、朝日新聞は最後まで協力を続ける。

 

社会党と北朝鮮との密接な関係

1984年(昭和59年)12月20日 社会党中央執行委員会では韓国政府を承認する決定

  • それに先立つ14日に外交委員会と朝鮮問題対策特別委員会との合同会議。ここで、北一辺倒の姿勢から韓国との交流へ議論するも、山花貞夫氏(当時外交委員会事務局長)は「日米韓の軍事的結びつきの強化になるような交流には反対と発言している。(韓国は全斗煥大統領時代) 

1985年(昭和60年)2月 〔韓国〕辛光洙工作員をを逮捕…原さん拉致が明らかに

1985年(昭和60年)5月23日 社会党・田辺誠が7名の代表団と共に北朝鮮を訪問 …金日成との会談。

  • 2月の韓国大統領選挙について話題にし、金日成は韓国の「自主化」が大事と述べている。(月刊社会党に報告記事) 自主化とはアメリカと手を切ることを意味する。

1986年(昭和61年)9月15日 〔北朝鮮・総連〕金正日から「マルスム」(お言葉=指示) …「総連が組織として自立するように」指示

  • これにより総連の企業活動が活発になる。(『わが朝鮮総連の罪と罰』P.184~)→パチンコ、焼肉屋、「地上げ屋」

1987年(昭和62年)1月 寺越さんの叔父から家族へ手紙が届く …「北朝鮮で暮らしている」

1987年(昭和62年)7月 〔社会党〕田辺誠を団長とする「日朝友好親善の船」 …約300人の訪朝団で、毎年組織している(P.197)

1987年(昭和62年)9月24~28日 〔社会党〕土井たか子、北朝鮮を訪問 …金日成と会談。

  • この少し前に週刊文春で8月24日・31日号の2週に渡って土井たか子とパチンコ業界・総連との癒着に関する記事が掲載される。

1987年(昭和62年)11月 竹下登第74代内閣総理大臣就任 (~1989年6月3日に内閣総辞職)

1987年(昭和62年)11月29日 〔韓国・北朝鮮〕大韓航空機爆破事件 …大韓航空の旅客機が、偽造パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって、飛行中に爆破されたテロ事件。

  • 犯人の一人「蜂谷真由美」こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)は後(89年1月15日)に日本から拉致された「李 恩恵(リ・ウネ)」(田口八重子さんと見られる)に日本語を習ったと告白。原敕晁さんと結婚したといわれている
  • 女の身柄は12月15日に韓国へ引き渡された 容疑を否認し続けた。北は「南朝鮮政府の自作自演」と主張したが、それに同調したのは社会党で、機関誌『社会新報』でも大々的に宣伝。土井たか子も「この事件は北にはメリットがない」と主張(P.188)
  • 著者によると、日本共産党から見放された総連が社会党に必死にしがみついているのが朝鮮総連の資料に現れているという(P.187)
  • 『韓国からの通信』がこの事件に触れ、「密室で仕組まれた発表をどうして信じられよう」、「(この事件は)韓日米が協力したようにも見える」と陰謀論を唱えている。

1988年(昭和63年)3月 『韓国からの通信』 突然終了

  • 『韓国からの通信』は韓国国内でもメディアに注目されており、著者だけでなく、韓国でもK・T生探しが行われていた。韓国の新聞『中央日報』の東京特派員・崔喆周(ちぇ・ちょるじゅ)記者が調査を始め、実際に安江社長にインタビューを行い、韓国の雑誌『月刊中央』に崔氏が書いた記事によるとKCIAも調査に乗り出していた。

 

1988年(昭和63年)2月 弟、俊植の釈放を訴える嘆願書 (P.70)

1988年(昭和63年) 俊植の釈放

 

「梶山答弁」…初めて政府が北朝鮮の拉致関与に言及、しかし、メディアは黙殺

1988年(昭和63年)年3月26日 梶山答弁 …(梶山静六国家公安委員長)昭和53年以来の一連の行方不明事犯を「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と、政府が初めて北朝鮮の名前を出す。(答弁を引き出したのは共産党橋本敦参議院議員)

  • 橋下議員の秘書、兵本達吉は1月15日の金賢姫の会見で「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けた」という一言から拉致事件に興味を持ち、アベック連続蒸発事件を知り、新潟、福井、鹿児島へ出向いて調査。その後、共産党は北朝鮮との関係を突然修復、兵本氏は党を除名されながらも、拉致被害者支援の活動を続ける。
  • 朝日放送プロデューサーの石高健次が韓国情報機関から「13歳の少女拉致」の情報を入手。96年に雑誌「現代コリア」に情報を掲載した。それが兵本さんに伝わって具体的に消息になり、97年の産経記事「20年前、13歳少女拉致」(阿部雅美記者)に繋がる。

1988年(昭和63年)7月 〔韓国〕7・7宣言 …盧泰愚大統領が北朝鮮と融和を図る

1988年(昭和63年)9月 石岡亨さんから実家に手紙 …「松本さん、有本さんと平壌にいる」

1988年(昭和63年)9月 〔韓国〕ソウル五輪開幕 …北朝鮮は不参加

1989年(平成元年)7月 韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出される。当時の日本国内での政治犯釈放要求運動の対象はもっぱら、「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であったが、この中に辛光洙(シンガンス)も含まれていた

  • 金正日が北朝鮮による日本人拉致実行を認めた2002年9月以降、同年10月19日に当時官房副長官であった安倍晋三が土井たか子・菅直人を名指しで「極めてマヌケな議員」と評するなど、署名した国会議員は保守政治家や日本共産党から激しく批判された。

1989年(平成元年)7月23日 第15回参院選 …社会党は大躍進し、「おたかさん(土井たか子)ブーム」と呼ばれる。

 

徐勝特赦

1990年(平成2年)2月28日 徐勝特赦 …(P.66)同年5月17日に日本帰国 8月27日に渡米(P.224)。その間、歓迎集会が東京(7月1日)、京都〔7月8日〕に開かれる。ネルソンマンデラと会見するなどして韓国政府批判を続ける。

 

==== 「学園浸透スパイ事件」はここまで ====

 

1990年代の日本の政界

1990年(平成2年)9月 〔自民党・社会党〕金丸・田辺訪朝団 

  • 89年の3月30日の衆議院予算委員会で村山富市議員が総理大臣・竹下登に質疑し、日本政府として初めて「自覚と反省」をこめた北朝鮮への戦後責任を認める答弁を引き出す。これが金丸訪朝の引き金になったと言う。(自社の完全なデキレース) 当日、田辺ら社会党議員団が北朝鮮を訪問し報告。三党共同宣言(自・社・さきがけ)

1991年(平成3年)1月 日朝国交正常化交渉開始

1991年(平成3年)4月 毎日新聞取材団が金日成主席と会談…拉致問題には触れず

1991年(平成3年)5月 警察当局が「李恩恵」を田口八重子さんと断定

1992年(平成4年)3月 朝日新聞取材団が金日成主席と会談…「李恩恵」問題を巡って

1992年(平成4年)11月 日朝国交正常化交渉中断…拉致問題には触れず

1993年(平成5年)2月 〔社会党〕山花貞夫委員長、韓国訪問の意向を示す …朝鮮問題対策特別委員会→社会党日朝委員会に改称。

1993年(平成5年)4月21日 〔北朝鮮・総連〕日朝委員会初会合 …総連からの参加者。金日成が示した「金民族の団結の10大原則」を配布。

1993年(平成5年)4月 〔社会党・北朝鮮・韓国〕「アジアの平和と女性の役割」が主催するシンポジウム …社会党と【慰安婦問題】 → _blog_entry 

  • 土井たか子を始めとする社会党の女性議員の呼びかけで開かれたもので、“従軍慰安婦”の補償が主な議題。
  • 北朝鮮から最高人民会議(国会に相当)副議長らが訪日した。5月には討論会参加者の土井たか子社会党元委員長らが金正日氏に「感謝の書簡」を送付。【慰安婦問題】を利用した世界的な反日活動に日本政界が支援。
  • 韓国からも出席者が参加。→このシンポジウムは南(韓国)の切り崩しに社会党が加担したものと見ることができる。

1993年(平成5年)5月 〔北朝鮮〕準中距離弾道ミサイル「ノドン」を日本海に発射

1993年(平成5年)11月7日 帰国者遺族証言集会 …「人間狩り」(マグジャビ)の犠牲となった在日同胞の集会。

1993年(平成5年)8月9日 細川内閣発足 …(~1994年4月28日)山花貞夫を始め社会党幹部入閣、土井たか子元委員長は衆議院議長に就任。

  • 1955年(昭和30年)の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて下野。 非自民・非共産8党派の連立政権であるこの内閣の発足により、社会党は与党第1党ではあったが、1990年のおたかさん(土井たか子)ブームも去り、総選挙で一人負けの状態(他党は共産党が1議席を減らした他は、自民党も含めて全党が現状維持か議席増)だったため、与党第1党にもかかわらず首相を出すことができなかったが、一方で無視できるほど力は小さくないという、連立与党内でも微妙な立場となった。

1993年(平成5年)9月 〔社会党〕山花貞夫委員長訪韓

1994年(平成6年) 〔社会党〕村山富市委員長(93年9月就任)、羽田連立与党から離脱

1994年(平成6年)5月~ 〔朝日〕朝鮮学校の生徒へのいじめに関するキャンペーン開始

1994年(平成6年)6月30日 村山政権(自社さ政権)発足 …(~1995年8月8日) 自民党は村山委員長を首班とする自社連立政権樹立を決定 

1994年(平成6年)7月8日 〔北朝鮮〕金日成死去

1994年(平成6年)8月21日 日本教員主体思想研究会 第18回全国集会(新潟) …主体思想を理想としている団体。スローガンは日朝友好連帯運動の前進を目指して。(P.198)

1995年(平成7年)3月 連立3与党訪朝団 …渡辺美智雄団長→6月、北朝鮮に米支援開始

 

横田めぐみさん拉致報道

1997年(平成9年)2月3日 〔産経新聞〕横田めぐみさん拉致を実名で報道 …国会でも取り上げられる。

1997年(平成9年)2月7日 西村真悟衆議院議員の質問主意書に対し政府が「6件9名」」の拉致被害者を認める答弁書 

1997年(平成9年)3月 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)発足 

1997年(平成9年)5月 警察庁がめぐみさんを含む7件10人を拉致認定する国会答弁 

1997年(平成9年)11月 与党代表団(森喜朗団長)が訪朝/北朝鮮が「行方不明者」として拉致問題調査の意向を表明

1998年(平成10年)2月 〔韓国〕金大中大統領が就任 →北朝鮮に対し「太陽政策」

1998年(平成10年)4月 有識者による「救う会」発足

1998年(平成10年)6月 〔北朝鮮〕北朝鮮赤十字が拉致疑惑を全面否定 

1998年(平成10年)8月 日本共産党が兵本達吉を除名

1998年(平成10年)8月 〔北朝鮮〕中距離弾道ミサイル・テポドン発射 日本列島を越える

1999年(平成11年)12月 北朝鮮が再び行方不明者の調査を表明

2001年(平成13年)5月1日 金正日の長男・金正男が成田で拘束 →3日報道、4日に強制送還

2001年(平成13年)12月 北朝鮮側が調査の中止を表明

2002年(平成14年)3月 「よど号グループ」元妻が有本さん拉致を証言

 

相次ぐ朝銀破綻と公的資金投入(1990年代末~)

この項仕掛かり

2001年(平成13年)11月22日 『朝銀信用組合の破綻に対する公的資金投入に関する質問主意書』(提出者:西村眞悟) →12月14日答弁書(内閣総理大臣 小泉純一郎)⇒最終的に合計1兆3600億円もの公的資金投入

 

日朝首脳会談

2002年(平成14年)9月17日 日朝首脳会談 …金正日総書記が拉致を認める。5人生存、8人死亡と説明。

  • 田中均アジア大洋州局長が金正日総書記と近い人物(当時、「ミスターX」と呼ばれた)と極秘交渉を重ねて実現したが、この極秘交渉の記録の一部は欠損している。→ _blog_entry

2002年(平成14年)9月25日 有本さん拉致事件で、よど号の安部(現姓・魚本)公博容疑者に逮捕状

2002年(平成14年)9月~10月 政府が北朝鮮に調査団派遣 …松木さんの「遺骨」を持ち帰る。→11月 松木さんとされた遺骨は別人と判明

2002年(平成14年)10月15日 蓮池、地村両夫妻、曽我ひとみさんの5人帰国 …この時の申し合わせは「一時帰国」。政府は返さなかったが、一部マスコミは北朝鮮に返すべきと批判

2002年(平成14年)11月 松木さんとされた遺骨は別人と判明

 

“一時帰国”のはずであった帰国者を北に帰すべきと主張した一部マスコミ

2003年(平成15年)1月1日 朝日新聞社説「『千と千尋』の精神で 年の初めに考える」

“拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される”

“(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい”

“厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。”

(月間HANADAセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞誤報・虚報全史』P.25の引用文)

 

2003年(平成15年)1月8日 久米裕さん拉致事件で金世鎬(キム・セホ)容疑者に逮捕状

2003年(平成15年)1月 拉致被害者支援法に基づき、政府が15人を被害者と認定

 

2回目の日朝首脳会談-北に残っていた一部家族の帰国

2004年(平成16年)5月22日 2回目の日朝首脳会談 …蓮池、地村両夫妻の子供計5人が帰国

2004年(平成16年)7月 曽我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんと娘2人が帰国

2004年(平成16年)11月9~14日 日朝実務協議 

  • 北朝鮮側がめぐさんの「遺骨」などを提出→12月8日、DNA鑑定で「遺骨」は別人と判明。

 

2005年(平成17年)4月 田中実さんを拉致被害者と追加認定

2006年(平成18年)2月23日 蓮池、地村夫妻拉致事件で、チェ・スンチョル容疑者等に逮捕状

2006年(平成18年)11月2日 曽我さん母娘拉致事件でキム・ミョンスク容疑者に逮捕状

2006年(平成18年)11月 松本京子さんを拉致被害者と追加認定

2007年(平成19年)3月 ベトナム・ハノイで日朝国交正常化作業部会 …北朝鮮「拉致問題は解決済み」

2007年(平成19年)6月13日 石岡、松木さん拉致事件で、よど号メンバー妻の森順子、若林(旧姓・黒田)佐喜子両容疑者に逮捕状

2008年(平成20年)6月11~12日 日朝実務協議 …北朝鮮が拉致問題の再調査を表明→9月4日 再調査の先送りを日本側に通告

 

2011年(平成23年)12月 〔北朝鮮〕金正日死去 →金正恩が権力継承(12年4月11日 朝鮮労働党第1書記に就任)

2014年3月10~14日 横田さん夫妻がめぐみさんの娘・キム・ウンギョンさんとモンゴルで初面会

2014年(平成26年)5月26~28日 〔日本・北朝鮮〕ストックホルム合意 …全ての拉致被害者の調査を盛り込んだ合意。北朝鮮は特別調査委員会を設置。

(2016年1月2日 米大学生・オットー・ワームビアさん、平壌空港で北朝鮮当局に拘束)

2016年(平成28年)2月12日 〔北朝鮮〕特別調査委員会解体 …北朝鮮の相次ぐ核実験や弾道ミサイル発射などを受け、日本が独自制裁を強化したことに対する対抗措置として。

 

(2017年(平成29年)2月13日 金正恩総書記の異母兄・金正男氏殺害事件)

2017年(平成29年)5月12日 「特定失踪者」の家族が「有志の会」結成

(2017年6月 米大学生・オットー・ワームビアさん、アメリカ帰国。19日に死亡)

2017年(平成29年)9月19日 トランプ米大統領が国連総会の演説で拉致問題に言及

2018年(平成30年)4月17~18日 日米首脳会談 …トランプ大統領が米朝首脳会談での拉致問題提起を明言

2018年(平成30年)4月27日 〔北朝鮮・韓国〕板門店で南北首脳会談

2018年(平成30年)5月9日 〔北朝鮮〕米国人3人を釈放

 

 

その他出典/関連サイト

【その他の出典】

  • わが朝鮮総連の罪と罰』 韓光煕著(2002/4)
  • 日本社会党興亡史』 上住 充弘著(1992/9/27)
  • Wikipedia『韓国の歴史年表
  • 警察白書 「警備警察50年」
  • iRONNA 「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた→ _blog_entry
  • メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)→ _blog_entry 
  • 更にや百科事典などから当時の時代背景が分かるような客観的事実や事件、用語の解説などをメモしておいたものを記す。
  • 読売新聞2018/5/31付『基礎からわかる拉致問題』

【関連サイト】;

 

 

 

 


 

【拉致問題】マスコミが報道しなかったために9年間のロスが...【iRONNA】

公開: 2018/06/09 10:33  最終更新: 2018/06/09 21:13  

今回はブログ主の覚え書きを兼ねて、とても良い記事を見つけたのでご紹介します。

 

iIRONNA 「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた

米朝首脳会談を前に一冊の本が衝撃を与えている。『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(元産経新聞記者・阿部雅美著、産経新聞出版)。40年前、拉致事件を発掘し、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者が、取材の経過とメディアが拉致をどう報じたか、赤裸々に綴ったのである。

 

 

 

 

リードにも書いてありますが、『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(阿部雅美著)というほんの一部を抜粋して再編したもので、ブログ主もまだ半分くらいしか読んでいませんが、6本ぐらいの記事が章のようになっているので、全て読むとかなり読み応えもあります。

各記事の文章はしっかりしたものなのに、表題がそれを台無しにしているのが残念。もう少しクリックする気を起こさせるような表題をつけて貰いたかったです。

 

 

下は各記事の見出し。

 

  • 報じられなかった「梶山答弁」 
      1988年3月26日、メディアが死んだ日
     
  • 取り返しのつかない空白
      誰も目にしたことがない国会映像
     
  • 家族会結成につながった情熱
      人権問題に産経も共産党も朝日もない
     
  • 解決へ全政党が知恵を絞れ
     
  • あれから40年 (動画)
     
  • 「怒りが大きな力になった」
      横田早紀江さん「あの子が帰ってくる姿を見れば、それで十分です」
     
  • 「6・12」何が起こる
      北朝鮮問題めぐる日中韓の駆け引き
      金正恩の妹と横田めぐみさんの娘「学校も職場も同じ」説の真偽

 

最初の記事の「1988年3月26日、メディアが死んだ日」というのは梶山静六国家公安委員長(自治相)が重大な答弁をした日で、それは、昭和53年以来の一連の行方不明事犯を「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と、初めて北朝鮮の名前を出した日だったのです。この答弁を引き出したのは橋本敦参議院議員(共産)でした。

この失踪事件を初めて報じたのは1980年(昭和55年)1月のことで産経新聞に掲載されたのですが、それから8年後のことでした。

しかし、この重要な発言を報じたのは産経と日経だけ、しかも、産経が29行、日経が12行と小さなベタ記事(1段の記事)で朝日、読売、毎日には一行もなかったそうです。

 

1980年1月に記事を書いたのが前述の本の著者、阿部雅美氏で、アベック3組の失踪に外国情報機関が関与している疑いを指摘したものでした。記事の存在を知った横田早紀江さんは、めぐみさんの失踪と関係があるかもしれないと、すぐに産経新潟支局を訪ねたそうです。

 

しかし、横田めぐみさんの失踪が北朝鮮の拉致によるものだという報道が出るのは1997年。梶山答弁からさらに9年の歳月が経過していました。

iRONNAの記事によると、1996年に石高健次・元朝日放送プロデューサーが初めてめぐみさんのことを記事にし、97年1月に橋本敦議員の秘書、兵本(ひょうもと)達吉氏から阿部記者に電話があり、その時は北朝鮮による拉致とは思いもよらなかったそうですが、最終的に石高氏が韓国情報機関から「13歳の少女拉致」の情報を入手し、雑誌「現代コリア」に情報を掲載しました。

記事の一つの「人権問題に産経も共産党も朝日もない」というタイトルはそういう意味です。

とにかく、一日でも早い拉致被害者の皆さんの帰国を祈ります。

 

記事はメディアの人間として書いているので、報道しなかったことについての慚愧の念を述べていますが、これは政府も同罪、いえ、分かっていて何もしなかったも同然なので、もっと罪は重いでしょう。

ブログ主は以前、『徐勝-「英雄」にされた北朝鮮のスパイ 金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち-』(張明秀著/宝島社/1994.12)という本を読んだ時、主な日付をメモ帳(アプリ)にメモしていたので、それを繙(ひもと)いてみると、1985年には社会党の田辺誠氏が7名の代表団と共に北朝鮮を訪問し、金日成国家主席と会談、87年にも土井たか子氏が金日成を訪問、1987年には 大韓航空機爆破事件が起こりますが、社会党は北の「南の自作自演」と同調し、土井たか子氏も「この事件は北にはメリットがない」と主張するなど、拉致など存在しないと言い続けた社会党の罪は深いものがあります。(カテゴリ『【政治】学園浸透スパイ事件とその時代』シリーズのブログ記事はこちら。)

 

社会党はなくなりましたが、この系譜を引く者が、まるでガンが移転するように、現在の社民党や立憲民主党などに散っているのです。国会の拉致対策委員会には必ず有田芳生議員がいますが、質疑を見ていても、情報収集のために委員になっているのでは?と感じることが度々あります。

また、社会党だけでなく、90年には金丸・田辺訪朝団(本によると、前年の社会党・村山富市議員による竹下登首相への質疑が伏線。)と、自民党の中の北との繋がりは今でも綿々として存続しているのでしょう。

安倍政権にばかり色々要求するのは酷ですが、安倍総理の間にスパイ防止法の成立も望みます。

 

 

 

 


 

2012/12/03

【書籍】蓮池薫著 『拉致と決断』読了

数週間前に読売新聞で北朝鮮による日本人拉致被害者の一人、蓮池薫氏の新著の記事を見て早速購入。実はすぐに読了したのですが、ブログを書きかけのまましばらく放置していました。ブログ主の覚書として記事にしておくことにします。

 

 

内容は下に掲載した記事に詳しいのですが、構成について少し補足をしておくと、新潮社の雑誌『波』に約2年に渡って連載した手記をまとめたものなので、その連載単位なのか、27の章に分かれており、各章は8ページほどで完結しています。時系列に書かれているわけではないので、興味のある章から読んでもよいかと思います。

 

Hasuike_s

 

この本では、拉致当時の生々しい話や他の拉致被害者の目撃情報などはほとんど出てきません。彼の地で生き延びよう、家族を守ろうと決意した後の、招待所の内外で接した人々、北朝鮮内部の政治的変化や国際情勢の変化による社会の変容が具体的な例で描かれています。

招待所と呼ばれる監禁場所での24年間に及ぶ生活は、北朝鮮の市井の人々の生活とはかけ離れているかも知れません。ご本人も本の中で仰っているように、一般的な生活水準から比べると衣食住は恵まれており、ある意味“特権階級”ではありますが、招待所で働く人々や旅先で垣間見た人々の姿は、やはりその国に住んでいるからこそ観察し分析しうるものです。

特に心に残ったのは、単身北朝鮮を訪れて「統一」の思いを演説した韓国人女子大生に対する北朝鮮女性の反応に関するくだりでした。彼女の語る言葉だけでなく一挙手一投足に「真の自由」を見いだして憧れ、彼女が韓国に出国後、国境で逮捕されたという報に多くの女性が涙したという話はテレビニュースなどで見る女性達の姿とは異なり、非常に新鮮でした。

 

【関連サイト】

 

 

 

 


 

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