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【国際】慰安婦問題(挺対協・正義連)

2023/04/19

【慰安婦問題】赤瓦の家の慰安婦、裴奉奇(ペ・ポンギ)さん(3)慰安所生活~戦争~戦後

前回のエントリーの続きです。

ペ・ポンギさんが興南の街で女紹介人に声を掛けられたのが1943年の晩秋、29歳の時でした。そこから最終的に慶良間諸島の渡嘉敷島に向かうのですが、釜山に来たのが数ヶ月後。そこから門司/下関を経由して51人の女性が鹿児島を出発するのは44年の11月になっていました。

那覇はその1ヵ月程前に十・十空襲を受けており、そこでは1~2泊しただけで、20名の女性と共に渡嘉敷(とかしき)、座閒味(ざまみ)、阿嘉島(あかじま)に向かう船に乗ります。

 

20230419_tokashiki

 

渡嘉敷島の慰安所は接収された仲村渠(なかんだかり)家で、そこに配置されたのは、アキコ(ペ・ポンギさん)の他は、キクマル、ハルコ、スズラン、カズコ、ミッちゃん、アイコの6人で、ペ・ポンギさんは30歳になっていました。

この家が空襲に遭うのは1945年3月23日なので、慰安婦として働いたの5ヵ月に満たない期間ですが、ペ・ポンギさんは慰安所生活について多くは語っていないようです。

朝晩、家畜に餌をやりに行ってた仲村渠家の長女初子さんが、スズランに「こんな若い人がお化粧もしないで、汚いものばかりいじってかわいそう」と、お化粧をしてくれた思い出を語っています。どの島の慰安所も村はずれにあったので、慰安婦達と島民との交流は少ないようですが、慰安所の隣にある新里(しんざと)家には遊びに来ていたようです。

3月23日の空襲でハルコが死にました。その時は簡単に埋葬しましたが、戦後、新里家の人が骨が見えているのを見つけ、壺に入れて埋葬していたのを、1962年に戦没者慰霊の「白玉の塔」が建てられた時、軍人の遺骨とともに合祀されたそうです。

赤瓦の家』の著者の川田文子氏と共に渡嘉敷島を訪れたペ・ポンギさんはそれを知って「ハルコの遺骨をそんなにまでしてくれて、ありがたいよね。」と言ったそうです。

 

その後は、終戦まで軍の炊事版で働いたりしながら戦禍を生き延びました。武装解除は8月26日で、ペ・ポンギさんも第三戦隊と共に武装解除式に臨んだと言います。

ずーっと山に隠れている時、日本は勝つ、日本は勝つ、いつも心の中で思ったよ。そう思ってたのが、はい、日本は負けてね。〔隊長が剣をアメリカーに渡すのを見て〕アメリカーが取るのを見たら、悔しかったよ。

その後、ペ・ポンギさんは本島の石川収容所に送られます。そこに1年いたのか4年いたのかも記憶がないそうですが、収容所を出た後、再び放浪が始まります。

その間、1972年5月に沖縄が日本に返還され、ペ・ポンギさんも身体が言う事を聞かなくなって、周囲から勧められて入国管理局へ特別在留許可を申告するのが1975年10月でした。

川田文子氏が取材を始めるのが77年12月。ペ・ポンギさんの少ない言葉の間を埋めるように慶良間諸島で取材したり、残りの慰安婦の消息や姉を韓国に尋ねたりと、丹念な取材の様子が本の後半を占めます。

ペ・ポンギさんは1991年10月18日、那覇市のアパートで息を引き取っているのが発見されました。享年77歳。

 

* * * *

 

ところで、本国ではあまりに話題にならなかったペ・ポンギさんですが、朝鮮総連が接近していたようで、それが(1)のエントリーでご紹介した『東京新聞』の記事の希望の種の活動に繋がるのでしょう。彼女の晩年、面倒を見ていたという在日朝鮮人夫婦の肩書きが元総連の働き手などとなっているので調べたら、沖縄県本部の設立で沖縄に移り住んだ夫婦のようです。

以下、月刊イオという雑誌の編集部ブログから。

https://www.io-web.net/ioblog/2021/10/28/86481/comment-page-1/
那覇の同胞を訪ねて
2021年10月28日

前略〕初回は、那覇市。
「沖縄に暮らす同胞」というと、真っ先に名があがる2人にお会いすることができた。
まずは、元総聯沖縄県本部活動家の金賢玉さん(79)。
金さんは、1972年の沖縄の本土「復帰」後、在日本朝鮮人総聯合会沖縄県本部の設立を機に、夫の金洙燮さん(2019年逝去)と沖縄へ渡り、沖縄に暮らす在日朝鮮人の権利擁護に取り組んできた。
また1975年に、日本軍性奴隷制被害者の裴奉奇ハルモニと出会い、亡くなるまで寄り添い続けた。
日本軍「慰安婦」とされ、日本軍が勝ってこそ生き延びることができると思っていた裴奉奇ハルモニは、金さん夫婦と出会った当初も日本軍の敗戦を悔やんでいた「皇民化政策の産物」だったという。
その存在が知られるようになり、朝鮮新報に自身の被害を告発(1977年4月23日)するまでの葛藤、金さん夫婦と過ごすなかで、総聯コミュニティ、祖国、分断について知っていき、朝鮮人としての尊厳を回復していったこと― 〔中略
これまで、修学旅行で沖縄を訪れる朝鮮学校の生徒たちに、沖縄についてや、裴奉奇ハルモニについて講演してきた金さん夫婦。昨年はコロナ禍で修学旅行が中止となったが、来年1月に生徒たちが訪れるのを心待ちにしているようだ。〔後略

 

金氏はそのように語っていますが、他人との関わりを避けていたペ・ポンギさんなので、総連の広告塔には利用されなかったようですが、今また希望の種が利用しようとしているようです。

 

20230419_kibotane

 

唯一の地上戦を経験した沖縄の方々、数奇な運命でその戦争に巻き込まれた朝鮮人女性、この方達の苦労の記憶を留めておくと同時に、ペ・ポンギさんの正確な情報を語りつぎ、変な団体に利用させないようにしなくてはなりません。

 

なお、『李承晩TV』も約1年前に「強制連行・性奴隷説に汚染されていない証言、慰安婦ペ・ポンギ」(강제연행 성노예설에 오염되지 않은 증언, 위안부 배봉기)というタイトルの動画を公開しています。

 

  


 

 

 

 

2023/04/18

【慰安婦問題】赤瓦の家の慰安婦、裴奉奇(ペ・ポンギ)さん(2)慰安婦になるまで

前回のエントリーの続きです。

ここに1枚の新聞記事があります。

 

20230417_19751022_pepongi01

 

1975年10月22日付の『高知新聞』の記事で、『共同通信』が配信した記事との事です。

戦時中、沖縄に連行の韓国女性 30年ぶり『自由』を手に」 、「不幸な過去を考慮 法務省特別在留を許可」といったタイトル・サブタイトルがついています。

画像は解像度が低くて読みにくいのですが、「慰安婦報道の出発点 1991年8月に金学順が名乗り出るまで」(水野孝昭 著/2019年3月)という論文から引用すると、冒頭は以下のように書かれています。

「【那覇】太平洋戦争末期に、沖縄へ 『慰安婦』として連行され、終戦後は不 法在留者の形でヒッソリと身を潜めるように暮らしてきた朝鮮出身の年老いた女 性が、このほど那覇入国管理事務所の特別な配慮で三十年ぶりに『自由』を手に した。当時は『日本人』でも、いまは外国人。 旅券もビザもないため、強制送還 の対象となるところだったが『不幸な過去』が考慮され、韓国政府の了解を得た うえ、法務省はこのほど特別在留許可を与えた。〔...〕沖縄戦へ強制連行された 朝鮮人の証言が、 直接得られたのは初めてだ。」

 

この記事の元慰安婦、裴奉奇(ペ・ポンギ)さんが世に知られた記事ですが、彼女は沖縄が日本に返還された事により正式の滞在許可を得る手続きをした事がきっかけでその存在が知られました。

彼女については『赤瓦の家』(川田文子 著、1987/2/1)に詳しく、著者はフェミニズムの立場から取材していますが、まだ慰安婦がそれ程大きな日韓の問題とはなっていない時なので、扇情的な表現も無く、約10年を掛けて地道に取材した成果と言える本です。

但し、この本を読む時に気を付けなくてはならない点が2つあります。

1つは、著者が、済州島で慰安婦狩りをしたという吉田清治の証言に影響を受けている事。実際に本の中で吉田清治に言及しています。慰安婦の実態がよく分かっていなかった時期なので、「連行」という認識でいる事です。また、挺身隊と称して慰安婦にさせられるという都市伝説を信じています。

もう1つは、ペ・ポンギさんが嘗て慰安婦をしていた慶良間諸島で起きた集団自決を「軍の命令」と信じている事です。大江健三郎や沖縄メディア、沖縄の活動家の反日・反日本軍キャンペーンにより拡散されたデマなのですが、実態は、遺族が恩給を得られるように、軍の命令だとしてあげた事が恩を仇で返される結果となりました。 〔櫻井よしこコラム(2007.01.11):「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣

 

ペ・ポンギさんは金学順氏より16年も早く存在が知られた人で、本来なら慰安婦問題の象徴になっても良い人ですが、正義連(旧・挺対協)などの慰安婦利権者がまだ元慰安婦の女性を本格的に利用する前に見つかった事と、典型的な「貧困~甘言に騙されて慰安婦になった」タイプで、慰安婦になる経緯に日本軍など登場しないので、あまり利用価値がないのでしょう。

 

◆ペ・ポンギさんの生涯 慰安婦になるまで

彼女は1914年9月5日、貧しい小作人の次女として生まれ、2歳上の姉と弟がいました。甲斐性が無くてろくに家に帰らない父親、その苛立ちからか母親からしばしば折檻を受け、ペ・ポンギさんが7歳になる以前に母親は姿を消してしまいました。

弟はどこかに預けられ、父親の実家に引き取られます。その家も貧しく、7歳の時にミンミョヌリ〔민며느리:将来息子の嫁にする為に幼い時から連れてきて育てる少女〕に出されます。体のいい口減らしであり下女です。

これ以降、婚家から返されたり、再びミンミョヌリに行ったりと他人の家を転々として、17歳の時に結婚しますが、夫は出稼ぎで殆ど家に帰らず、兄夫婦の家の居候状態で、ペ・ポンギさんはここを逃げ出します。再び結婚するも、ぐうたらな夫で、見切りを付けた彼女は家を出ます。

この後、1943年に興南という街で日本人と朝鮮人の ”女紹介人”(女衒)に声を掛けられる迄の生活は、本人の口が重いのでよく分かりません。本人曰く、「あっち転々、こっち転々、人の家、手伝い、あっちがいいかと思ったら、あっちへ行くし、こっちがいいかねと思ったら、そこへ行くし、そんなさ。」〔『赤瓦の家』pp.38-39〕

60人ほどの女性達に混ざって釜山から下関に行き、そこから6人が渡嘉敷島に着くのが1945年3月です。29歳でした。

多くの記事、前回ご紹介した『東京新聞』の記事もそうですが、「仕事をしなくても金を稼げる」と言われたと書いていますが、上掲の記事には「シンガポールでいい儲け仕事がある」と言われたと書かれています。これは事実で、『赤瓦の家』にも書かれていますが、最初はそう言われていたのだそうです。

彼女は生涯、ほぼ文盲でした。頼れる家族も無く、日本軍慰安婦にならなくても、ほぼそれと同じような仕事をするしかなかったのではないでしょうか。

ここまでで分かるように、彼女が慰安婦になる経緯に日本軍だの強制連行だのといった話は出てきません。

 

次回に続きます

 

 

  


 

 

 

 

【慰安婦問題】赤瓦の家の慰安婦、裴奉奇(ペ・ポンギ)さん(1)彼女を利用する人達

最初(1991年8月14日)にカミングアウトしたとされる元慰安婦は金学順氏ですが、それよりも16年早く存在を知られた朝鮮人の元慰安婦がいました。ペ・ポンギさんです。奇しくも、金学順氏が名乗り出て慰安婦が日韓の大きな歴史問題になったその年の10月に、ペ・ポンギさんは沖縄で亡くなりました。

久しぶりに、彼女の名前を聞いたと思ったら、希望の種(キボタネ)〔後述〕が利用しようとしているようです。

『東京新聞』がその活動を報じていました。

 

* * * *

https://www.tokyo-np.co.jp/article/243101
1975年に元慰安婦だと初めて明かした女性がいた その生涯を学ぶ20代、30代が感じたこと
2023年4月10日

日本軍「慰安婦」問題が広く知られる以前の1975年、元慰安婦であることを初めて明らかにした女性がいた。朝鮮半島出身で91年に沖縄で亡くなった故・裴奉奇さん。93年に日本政府が慰安婦への軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」の発表から30年、裴さんの人生を学ぶ20〜30代の有志らは「性暴力の問題は今も続いている。慰安婦を人権問題として考えて」と訴える。

裴さんは1914年、朝鮮半島の農村の貧しい家で生まれた。29歳の頃、「仕事をしなくても金を稼げる」などと業者にそそのかされ、44年に来日。沖縄県渡嘉敷島の慰安所で慰安婦とされ、戦後は身寄りもない中、沖縄本島の飲食店を転々とするなどして生活し、77歳で亡くなった。

72年の沖縄返還後、沖縄県内に住んでいた朝鮮人は、日本の在留許可が必要となった。裴さんは75年、手続きのために過去を明らかにし、新聞などで報道された。望んで名乗り出たわけではなく、体験を公に語ることに消極的だった。

裴さんの生涯を、全国の20〜30代の大学生や会社員など13人が学んでいる。韓国文化への興味や留学経験などをきっかけに関心を持ち、慰安婦問題のような性暴力を二度と起こさないようにと活動する「希望のたね基金」(東京都文京区)の企画に参加した。 〔後略

* * * *

 

ペ・ポンギさんについては次回もう少し詳しく見ていきますが、大凡は記事の通りです。

 

◆キボタネと北のスパイ容疑者との繋がり

キボタネとは、2017年に発足した、韓国の正義連の日本支部のような性格の団体であり、この代表者〔양징자 (梁澄子)氏 〕と現在北のスパイ容疑で取り調べを受けている尹美香(ユン・ミヒャン)の元秘書チョ・ジョンフン(조정훈)の名前で検索すると、繋がりがある事が分かります。

20230416_touitunews_20150826

"전쟁반대 日 젊은층, 과거사 청산으로 이어지길"
양징자 '일본군 '위안부'문제해결 전국행동' 공동대표
기자명 조정훈 기자 입력 2015.08.26 17:53 수정 2015.08.27 16:04

「戦争反対の日本の若者、過去史清算につながることを」
ヤン·ジンジャ「日本軍慰安婦問題解決全国行動」共同代表
記者名 チョ·ジョンフン記者入力 2015.08.26 17:53修正 2015.08.27 16:04

 

チョ・ジョンフン容疑者は2008年から2020年の間、『統一ニュース』というメディアの記者をしており、日本でしばしば朝鮮学校の取材をしています。2016年5月に正義連が『金福童の希望』という元慰安婦の名前を冠した、朝鮮学校の生徒への奨学金を目的とした基金を設立すると、チョはその理事になります。また、2020年6月からは尹美香の秘書(4級補佐官)。今年1月にベトナムで北の工作員と接触した疑いと暗号文で連絡を取っていた事から現在国情院が捜査中の人物です。〔詳細は:【韓国】尹美香(ユン・ミヒャン)の元議員秘書、北朝鮮のスパイか!?(3)

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◆キボタネと正義連との繋がり

以下、『聯合ニュース』に掲載された設立時の記事をご紹介します。

 

* * * *

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20170606000300882
慰安婦問題を若者に伝える 日本の市民団体が9日基金発足
2017.06.06 09:47

【東京聯合ニュース】日本の市民団体の関係者らが、旧日本軍の慰安婦問題を若い世代に正しく伝えるために「希望のたね基金」を設立する。慰安婦問題を巡る2015年末の韓日合意に反発して韓国の市民団体が昨年6月に設立した「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」と協力していく。

一般社団法人「希望のたね基金」は6日、設立発表の記者会見を9日に東京の衆議院第2議員会館で開き、今後の活動計画を示すことを明らかにした。10日には東京の在日本韓国YMCAで記念集会を開く。これらの行事には、正義記憶財団の常任理事で、慰安婦被害者を支援する韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)共同代表の尹美香(ユン・ミヒャン)氏も出席する。

希望のたね基金の代表理事を務めるのは、これまで日本で慰安婦問題について積極的に声を上げてきた梁澄子(ヤン・チンジャ)氏。歴史や女性問題などに取り組んできた活動家も理事として名前を連ねる。〔後略〕

 

次回に続きます

 

  


 

 

 

 

2023/04/08

【李承晩TV】慰安婦 姜徳景(カン・ドクギョン)の隠された話

挺対協(現・正義連)が出版した証言集の第1巻に「挺身隊員から慰安婦へ」というタイトルで姜徳景(カン・ドクギョン)の証言が収録されています。しかし、ここで語られている彼女の体験談は幾つか不都合な話が除かれている、というのを『李承晩TV』が解説しました。

彼女の「語られなかった話」は『“記憶”と生きる: 元「慰安婦」姜徳景の生涯』(土井敏邦 著/2015/4/20)に書かれているそうです。

 

詳細はTwitterにスレッドの形でまとめたのですが、ここでは何が「隠された話」なのか、簡単に説明します。

 

彼女は1992年に慰安婦であると挺対協に名乗り出ました。

挺身隊員であった事は事実で、1944年に富山県の不二越で働きますが、2回脱走を試み、2回目の時に憲兵に見つかって暴行され、長野県の松代で慰安婦として働かされたと証言しています。しかし、その移動方法などは詳しく語られていません。

ここで注意しなければならないのは、当時の朝鮮の女性は就学率も低く、挺身隊は義務では無く、斡旋の形でした。彼女は公立普通学校から晋州第一国民学校高等科に進学した恵まれた境遇でした。当時の女性としては上位3%程の中に入っていただろうと朱教授は語ります。

当時の学籍簿も残っており、2年生の時に不二越に挺身隊として行ったと書かれています。彼女は実父と継父と死別するなど、家庭は複雑でしたが、母親の実家が裕福だったのです。

元挺身隊員の証言で多いのは、「働きながら学校で勉強できる」という甘言に騙されたという話ですが、姜徳景にはその動機は当てはまりません。

証言集では語られていませんが、2人の夫と死別した母親は隣の男の子供を産んでいたそうで、土井敏邦氏は「母親からの逃避」ではなかったかと想像しています。

長野県で ”慰安婦” をしていたと言いますが、国内(内地)には慰安所はありません。当時、松代に大本営と政府機関移転計画があり、大規模な地下施設が建設中だったので、兵隊や労働者向けの置屋が幾つもありました。恐らく、彼女はそのどこかで働いていたのでしょう。

終戦後、新湊(富山県)に住む朝鮮人の家にしばらく滞在、同居人の日本人女性と一緒に45年12月帰国。姜徳景は妊娠中で、出産後、孤児院に預けて働きますが、子供が死亡します。

その後は結婚せずに色々な仕事をしていたと証言集には書かれているそうですが、実は米兵や新聞社勤務の男性、ビニールハウス農園の男性と同居しています。

新聞社勤務の男性は優しかったようですが、農園の男からは虐待を受けて別れます。

その後は苦しい生活だったようで、そんな時に、元慰安婦を募集していると話が耳に入り...。

 

最初にカミングアウトした金学順もそうですが、大金を貯めた事で知られる文玉珠も後半生は男運が悪く、金も使い果たして寂しい生活をしていました。

そうした時に、元慰安婦として名乗り出れば大金を貰えると知ったら...。

 

もちろん嘘はいけませんが、名乗り出た後、貰うものだけ貰って後は沈黙しているのなら、まだ人情として理解できます。

しかし、姜徳景は絵が上手だったので(但し、プロの手が入っていると指摘あり)、彼女は絵で日本や日本軍を告発し続けます。

下は彼女が描いたという絵。

 

20230408_prostitute01

 

桜の木は日本兵の象徴で、その根元に裸で横たわる慰安婦。地中には慰安婦の髑髏が埋まっています。

彼女の絵はこうした観念的なものが特徴です。

 

 

  


 

 

 

 

2023/03/28

【慰安婦問題】ラムザイヤー教授&ジェイソン・モーガン教授の共著『The Comfort Women Hoax』(慰安婦詐欺)が年内出版

韓国メディアの『JTBC』が報じました。このメディアは韓国では一応保守と分類されている『中央日報』傘下の放送局ですが、朴槿恵大統領を弾劾に追い込んだタブレット端末を捏造したりと、思い切り左翼です。

記事の紹介は後回しにして、本の紹介文を翻訳してご紹介します。予約受付をしている『紀伊國屋書店』のサイトからです。

 

* * * *

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781641773454

再軍備ゾーン : 共産主義者の慰安婦デマが学問の自由を奪い、日韓の絆をズタズタにし、私たちの人生を根底から覆すまで

Ramseyer, J. Mark/ Morgan, Jason M.
Encounter Books, USA(2023/12発売)

著者の二人は、第二次世界大戦中の「従軍慰安婦」に関するWork〔の路線に従うことを拒否したために、アメリカの日本研究プログラムの仲間たちから残酷な「取り消し」〔※キャンセル〕を受けたことに気づいた。 アメリカの人文科学系の学部での主張に反して、彼女達は奴隷ではなかった。 彼女たちは売春婦だったのだ。 そして、彼女たちが売春婦以外の何者でもなかったという考え方は、1980年代に日本の共産主義者の作家によって行われたデマに起因する。 日本の真面目な知識人(政治的観点は問わない)なら誰でもこのことを理解しているし、韓国の多くの知識人も同じように理解している。 この1980年代のデマに固執し続けるのは、超政治化された人文学部の知的破綻の証左である。

日本軍は「慰安婦」の枠組みを通じて、国内の売春宿に対する許認可制度を海外基地に隣接する売春宿にも拡大した。 この制度を通じて、以前の戦争で軍隊を衰弱させた性病をコントロールするために必要な厳しい衛生基準を課したのである。 これらの「慰安所」は、朝鮮と日本で認可された売春宿が使っていた標準的な年季奉公契約と異なる方法で売春婦を募集した。 ある女性は詐欺師の勧誘に騙され、この仕事に就いた。 また、親に虐待され、その圧力で娼婦になった者もいる。 しかし、それ以外の女性たちは、お金のためにこの仕事に就いたようである。

※Work:「社会で起きていることに対する認識がある」という意味のスラング。「社会のトレンドに敏感な/問題意識がある」程度でしょうか。敢えて皮肉っぽく意訳すると「意識高い系の」かな?

* * * *

 

上記サイトではタイトルが『Remilitarized Zone』となっています。

 

以下、JTBCの記事(ニュース動画の原稿)

* * * *

https://news.jtbc.co.kr/article/article.aspx?news_id=NB12119994
램지어, 새로 출간할 책에서도 "위안부는 매춘부" 왜곡 주장

ラムザイヤー、新たに出版される本でも「慰安婦は売春婦」歪曲を主張
2023-03-27 20:22

[アンカー]

2年前の慰安婦被害者を「自発的な売春婦」と主張し、全世界的に非難された人です。 米国ハーバード大学のマーク·ラムザイヤー教授が近いうちに新しい本を出しますが、本の紹介にはラムザイヤーの歪曲された主張がそのままでした。 さらに大きな問題は、米国の有名出版社がこれを濾過なしに紹介していることです。

チョン·ジェユン記者が取材しました。

[記者]

世界的な書店チェーンであるバンス&ノーブルホームページです。

アメリカの有名出版社「エンカウンターブックス」が今年11月に出版予定の「慰安婦詐欺劇」という本をあらかじめ紹介しています。

著者はハーバード大学ラムザイヤー教授で、2021年に日本軍慰安婦を「自発的売春婦」と歪曲した論文を出し、全世界の学界から非難を受けました。

特に日本戦犯企業である三菱の後援を受けてハーバード教授に任用されただけに、日本右翼の立場を代弁する代表的人物です。

ところが、新しく出す本でも「アメリカの人文学主流とは正反対に(慰安婦)女性たちは性奴隷ではなく売春婦だった」として同じ主張を繰り返しました。

慰安婦 動員に強制性がないという主張も繰り返しました。

さらに「慰安婦システムを通じて戦争初期、日本軍の性兵を統制できる衛生基準が導入された」と明らかにしました。

ただ、こうした主張の根拠は明らかにしませんでした。

この本の共同執筆者であるジェイソン・モーガン教授もやはり「『強制性奴隷』は根拠のない嘘だ」と主張する人物です。

[シン·ヒソク/延世大学法学研究院博士·転換期定義ワーキンググループ研究員:(民間業者を通じて)当時植民当局で統制しながら人身売買をしたので強制性がなかった 主張するのは事実関係で論理的飛躍···]

アメリカの有名出版界がラムゼイ教授の一方的な主張を濾過なく紹介し、日本軍慰安婦に対する歴史歪曲への懸念が再び高まっています。

 

 

  


 

 

 

2023/03/25

【昌原スパイ団】「福島沖に奇形魚のデマを流して反日感情を刺激せよ」・・・慰安婦や強制動員支援団体と連携して反日活動

韓国では今年の1月頃から「한길회」(ハンギル会)というスパイ組織が話題になっています。これが、「反日感情を煽れ」という北の指示でネット工作などを通じてデマを流したり、尹錫悦退陣の運動をしたり、保守系のYouTuberや朝鮮日報を攻撃していたという話題です。

 

この組織は「한길회」の字母(ハングルを構成する部品)の一部を取って「ㅎㄱㅎ」と名乗っており、喩えて言えば、日本語のスラングで「卵かけご飯(Tamago Kake Gohan)を「TKG」と表記するようなものでしょうか、韓国語では「ㅎㄱㅎ」をそのまま読むため、日本語の記事では「ヒウッ・キヨック・ヒウッ」などと表記されます。

ちなみに、日本語ではネットなどに書き込みづらい言葉を「○」などを使って一部伏せ字にしますが、韓国人はこういう形で書き込む事が多いようです。便利ですね。

閑話休題。

ハンギルとは「一つの道」という意味だそうで、「金日成」を意味します。つまり、金日成に忠誠を誓ったスパイ組織という事になります。

このスパイ組織は済州島に本部?がありますが、各地に支部のようなものを作っていて、その内の一箇所が昌原という防衛産業の盛んな都市です。

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/01/10/2023011080029.html
朝鮮日報(2023/01/10):韓国の防衛産業都市・昌原に北朝鮮地下組織の中央拠点…晋州・全州でも結成
済州のスパイ組織「ヒウッ・キヨック・ヒウッ(ハングル字母)〔※「ㅎㄱㅎ」=「한길회」(ハンギル会)」事件を捜査している国家情報院と警察は、北朝鮮とつながる地下組織が慶尚南道昌原、晋州、全羅北道全州など全国各地に結成されている動きを把握し、捜査を拡大していることが9日までに分かった。各地の地下組織を総括する上部組織の名称は「自主統一民衆前衛」〔자주통일 민중전위、略して자통(自統)とにらんでいるようだ。国家情報院はこれらの組織が各地の政治団体や社会団体はもちろん、建設労組や貨物労組など複数の労働組合に浸透している疑いについても捜査を行っている。
韓国語記事:北지하조직, 방산도시 창원에 중앙거점… 진주·전주서도 결성

 

今回出た記事は、東京オリンピックの頃から放射能デマなどを利用して反日感情を煽れという指示の元に活動していた、という内容です。

https://www.chosun.com/national/court_law/2023/03/23/O7YDOGSJWRHINHHYIXKKTS5CNM/
[단독] 北, 자통에 반일감정 자극 지시...“후쿠시마 물고기 괴담 유포하라”
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/03/24/2023032480058.html
【独自】北朝鮮「福島沖に怪魚出現、奇形児出生デマを流せ」…韓国内のスパイ組織に反日感情刺激を指示
2023/03/24 15:38

北朝鮮工作員とひそかに連絡を取り北朝鮮の指令を受けて活動した、いわゆる「昌原スパイ団」、自主統一民衆前衛(自統)のメンバーが、北朝鮮から「反日感情」をあおって闘争せよという指令を受けていたことが23日に判明した。
特に北朝鮮は、自統に「世論流布チームは福島沖で怪魚出現、奇形児出生といったデマをインターネットで大量にばらまき、社会的反感と不安感を増幅させよ」など、「反日感情」を刺激するよう具体的な指令を下していたことが明らかになった。
「進歩党の地域道党、民労総(全国民主労働組合総連盟)地域本部、○○進歩連合、地域市民運動をはじめとする政党および大衆運動団体が、青瓦台を相手に東京オリンピック競技大会参加拒否、日本水産物全面輸入禁止、日本商品不買運動といった対日強硬姿勢を要求する請願書を一斉に発送し、署名運動、一人デモ、ろうそく集会も組み合わせて展開し、文在寅一党が菅義偉政権のやつらと結託できないようにしっかりと圧迫けん制しなければならない」と指令を下した。

 

こちらは『毎日経済』です。〔機械翻訳で一部引用〕

https://www.mk.co.kr/today-paper/view/2023/5412607/
"우리 총회장님은 北김정은"…尹 퇴진여론 조성했다
「我々の総会長は北朝鮮の金正恩」···尹退陣世論を醸成した
2023.3.23. 22:09

いわゆる「昌原スパイ団」と呼ばれる「自主統一民衆前衛(自統)」組織員らと民主労総幹部らがここ数年間、北朝鮮の指令を受け反日·反米·反保守活動を展開した情況が続々と明らかになっている。 彼らは北朝鮮から「日本福島沖の怪魚」怪談などを流布して反日感情を刺激し、昨年10月梨泰院(イテウォン)惨事直後、尹錫悦大統領退陣運動をするよう指示などを受けて実行に移したことが23日明らかになった。 また、北朝鮮の金正恩国務委員長を「総会長」と呼び、忠誠決議文を北朝鮮に提出したものと把握される。

15日、自通組織員などに対する拘束起訴以後、法務部が柳想範(ユ·サンボム)国民の力議員室に提出した公訴状によると、北朝鮮は2019年7月、彼らに「日本福島沖で怪魚の出現、奇形児出生などの怪談をインターネットに大量流布させ社会的反感と不安感を増幅させろ」「汚染水被害を受ける漁民を前面に出し集団断食、剃髪座り込み、漁船を動員した大規模海上デモを激しく展開せよ」などの世論戦を展開するよう指示した。 これら組織員は昨年3月1日、三一節103周年を迎え慰安婦市民の集い、強制徴用賠償運動本部など100人余りが参加する糾弾大会を慶南にある日本強制徴用労働者像の前で開催したと北朝鮮に報告した。

北朝鮮は2019年6月、資通組織員に「自主ユーチューブチャンネルを開設し保守勢力ユーチューブチャンネルの大衆事業に対処し、保守勢力ユーチューブチャンネルを相手に告訴·高発展を繰り広げたり社会的物議を起こしかねないコメントを掲示して法的問題を起こせ」という指令を下しもした。 その他にも国家情報院、国軍機務司令部、国家保安法解体世論をソーシャルネットワークサービス(SNS)を通じて造成するよう指示したと検察は指摘した。

 

これらの行動から、スパイ組織と言っても諜報活動のようなものではなく、中共の所謂「五毛党」や日本共産党の「カクサン(拡散)部」(ジジババにTwitterの使い方を覚えさせて情報を拡散)のようなものではありますが、煽動に弱い韓国人には、より効果がある方法でしょう。

 

日本にも支部はあるかどうかは分かりませんが、福島の風評被害や慰安婦・徴用工問題、朝鮮学校の補助金問題、etc. と、頼まれなくても協力する団体はたくさんあります。

韓国では ”親日” とレッテル張りされるメディアでさえ、これらの団体を ”良識的な日本人” ともてはやすのですが、彼らはそれが北朝鮮に利する事には考えが至りません。

 

 

  


 

 

 

2023/03/11

【ドイツ・慰安婦像】カッセル大学の慰安婦像撤去

『中央日報』の記事です。

 

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元記事:https://www.joongang.co.kr/article/25146238#home
독일 카셀대 '평화의 소녀상' 기습 철거…"日 압박 정황 뚜렷"
2023.03.10 22:36
独カセル大学の少女像、設置から8カ月後に奇襲撤去
2023.03.10 10:23

ドイツのカッセル州立大学に総学生会の主導で建てられた平和の少女像が設置されてから8カ月後に撤去された。

在独市民社会団体コリア協議会は、カッセル大学学長側が9日(現地時間)午前、同大学総学生会が昨年7月に建てた少女像を奇襲撤去したと発表した。

コリア協議会のハン・ジョンファ代表は、少女像の撤去を要求する学長側と反対する総学生会側が対立していたと説明した。コリア協議会は来週カッセル大学で大規模の糾弾集会を始める予定だ。

カッセル大学学長側は昨年9月から総学生会側に少女像を撤去するように通知している。日本政府は昨年7月、カッセル大学に少女像が建てられて以来、学長に引き続き撤去を求めてきたという。

* * * *

 

他の記事も読んでみたのですが、慰安婦像の設置をした側にしか取材をしておらず、余り要領を得ないのですが、元々大学側から昨年9月までに撤去するよう命じられていた物でした。

従って、状況から判断すれば、像を設置した学生会側がそれに従わなかったので、強制的に撤去されただけの話のようです。

上記記事によると、ベルリンに慰安婦像を建てたコリア協議会がしゃしゃり出てきて抗議集会をするようですが、大学もいい迷惑でしょう。

 

 

  


 

 

 

2023/03/05

【”徴用工”】法治主義より情治主義:韓恵仁・アジア平和と歴史研究所研究委員のインタビューから

『東京新聞』に(ブログ主にとって)興味深い記事がありました。

インタビューを受けている韓恵仁(ハン・ヘイン)・アジア平和と歴史研究所研究委員のプロフィールは、以下の通りですが、韓国人の反日が如何に非論理的かがよく分かるものです。

北海道大博士課程で日本史を専攻。盧武鉉政権が設置した「強制動員被害真相究明委員会」や「親日反民族行為真相究明委員会」の調査官を務めた。

 

* * * *

https://www.tokyo-np.co.jp/article/234681
「談話の継承」は謝罪の意味をなさない 元徴用工問題が韓国に残した傷、想像以上に深い
2023年3月5日

以下、部分的に引用します。

私は2000年代に韓国政府が設置した歴史問題に関する委員会の調査員になり、強制動員の被害者や遺族に接した。日本の植民地支配が韓国社会に残した傷は、想像以上に深いと感じている。

◆挺身隊を慰安婦と誤解され苦痛に満ちた人生を…

 1930年代に生きていれば、大部分の人は日本の植民地支配がずっと続くと考え、日本語も一生懸命に覚えて生きていくことを選んだだろう。でも戦争が終わって解放後は、そのような日常を生きていた自分の人生を否定しなければならなくなった。
 原告の梁錦徳さんは、日本語がよくできたので朝鮮女子勤労挺身隊として日本へ行くことになり、工場で働かされた。まともな賃金は受け取れず、誰にも守ってもらえないまま韓国に戻り、挺身隊を慰安婦と誤解され苦痛に満ちた人生を送った。彼女は「金が欲しいのではない。(被告企業でない企業が拠出する)大義名分のない金は受け取れない」と訴えている。国のために奉仕したのに、結局は自分を見捨てた日本という国が謝罪してくれることを望んでいるのだ。〔...〕

梁錦徳氏が挺身隊に行った事で慰安婦と混同されて苦労したのはお気の毒ですが、挺身隊と慰安婦との混同は韓国社会の問題であり、日本のせいではありません。

別の原告の女性(金正珠氏)は、1960年代に夫に元挺身隊だったと知られ、暴力を振るわれるようになり、離婚しています。〔ブログエントリー:【慰安婦問題】慰安婦・日本軍慰安婦・日本軍慰安婦被害者、そして挺身隊

 

ところで、この事の意味を冷静に考えると、1960年代の韓国人は、「挺身隊=(or nearly=)慰安婦=売春婦」だと認識していた事が分かります。

実際に、上記の過去エントリーにも引用していますが、1966年に大法院で、以下のような判決が出ています。損害賠償を求める裁判のようです。

〔判決要旨〕一般的に日常用語における慰安婦とは、売春行為を行う女を指すものであるため、法律が禁じている売春行為を35歳まで継続できることを前提として、慰安婦が他人の不法行為のある事故により喪失した収益損害額を算出するにあたり、このような犯罪行為を継続して得られる収益を基礎とすることはできない。〔以下略〕

 

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▲韓国(朝鮮半島)における「挺身隊・慰安婦」に対する認識の変化

 

更に東京新聞の記事から引用します。

◆大日本帝国の被害者は韓国人とは限らない

 韓国では、日本の植民地支配は強制的で不法なものだったという考えがある。2018年の最高裁判決は、徴用を「日本の不法な植民地支配に直結した反人道的な不法行為」だとして慰謝料の支払いを命じた。植民地被害を受けた共同体の集団意識が論理的に結実したものだと思う。〔...〕

これぞまさしく韓国社会の「法治より情治」という考えが良く現れています。

赤字にした部分...言ってる事は「『国民情緒』を反映したもの」です。

原告が実際に損害を受けたのかどうかを争う裁判で、韓国人の ”集団の意識” という、戦後に作られた ”共通の歴史” が根拠になって当然だと、非論理的なことを堂々と言っています。

気にくわない相手でも、法に従って裁かれるべきというのが分からないようです。

 

気にくわない相手なら法を曲解して恣意的に運用する事がおかしいと思わない...これが、私が「慰安婦法を廃止せよ」と言っている方々から距離を置こうと決心した理由です。

 

 

  


 

 

 

 

2023/02/28

【慰安婦問題】軍の関与を証明しようとして「慰安婦=性奴隷」ではない事を証明してしまった韓国人教授【陣中日誌にみる日本軍慰安所】

公開:2023-02-28 12:34:26  最終更新:2023/03/01 5:25(加筆、画像追加)

先日も書きましたが、もう「慰安婦問題」に関しては ”手詰まり感” があります。何とか、”性奴隷” や ”強制性” の証拠を探し出そうとしているようですが、出てくるはずもなく、むしろ墓穴を掘るような本を書く始末。

良い例が『ハンギョレ』の記事にあったのでご紹介します。

インタビューを受けた方は最近、『陣中日誌にみる日本軍慰安所―日本軍「慰安婦」問題解決の突破口を開く』という本を出版されたそうです。

陣中日誌とは戦地での業務日誌のようなもので、最近も『Record China』にこのような記事がありました。

https://www.recordchina.co.jp/b905359-s25-c100-d0193.html
日本の僧侶から「南京大虐殺」の新たな証拠―中国メディア
2022年12月1日
2022年11月30日、中国メディアの中国新聞網は、「南京の731部隊」と呼ばれる旧日本軍の細菌戦部隊に関する新たな史料が、日本の僧侶から南京大虐殺記念館に寄贈されたと報じた。
また、新たに寄贈された「陣中日誌」には、南京に設置された慰安所についての詳細な記述が見られ、1938年1月1日には「本日より慰安所が開設された。1人30分で、費用は下士官が1円50銭、兵卒が1円だ。相当な賑わいで、常に満員状態である」など記載されていたと伝えた。

 

どこから突っこんで良いのか分からないインタビューですが、以下、記事をご紹介する前に、参考までに河野談話全文を提示します。

 

19930804_kounodanwa2

 

この記事を読む際にポイントとなるのは、河野談話のこの部分でしょう。→「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」ー  関与していたことは認めています。

軍の、言わば福利厚生としてのリクリエーション施設ではあったので、軍の管理は当然ありますが、そもそも、慰安所を経営してたのは、軍(部隊)から認可を得た、抱え主などと呼ばれる民間人事業主です。

慰安婦の健康診断は、戦地、つまり外国なので軍医が行っていたし、安全管理のために一定の範囲で行動が制限されてもしかたがないでしょう。その「管理」の部分を持ってして、著者はどうしても「軍施設」と呼びたいようですが、ここまで来ると ”言葉遊び” に過ぎません。従って、そこにはいちいち反論を加えるつもりはありませんが、この本は『慰安婦=性奴隷」説を否定する、格好の材料になりそうです。

 

* * * *

※ブログ主のツッコミや補足は緑字で記入します。

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/46040.html
韓国語URL:https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/1081453.html
[インタビュー]「日本軍の日誌で『慰安所は軍の附属施設』を論証した」(1)
登録:2023-02-28 08:58 修正:2023-02-28 09:25

韓信大学日本学科のハ・ジョンムン教授 

1937年日中戦争~45年の敗戦まで 
2008年から夏休みと冬休みに「日誌」読み漁る 
『陣中日誌にみる日本軍慰安所』を発表 

日本陸軍省からコンドーム100万個空輸 
「慰安所の許可から休業規定まで 
日本軍が直接統制した記録数多く発見」

 

画像省略〕日本軍「慰安所」に関する研究書を最近出版したハ・ジョンムン韓信大学教授が21日午後、ソウル麻浦区孔徳洞にあるハンギョレ新聞社で、インタビューに応じている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 「日中戦争と太平洋戦争当時、日本軍部隊が残した陣中日誌(以下日誌)を探し出して、ほとんど目を通しました。日誌を検索し本を書くのに15年もかかりました。これまで読んできた日誌だけで数万ページを超えています」

 日本史が専門のハ・ジョンムン韓信大学日本学科教授は2008年頃から、日本が日中戦争を起こした1937年から敗戦した1945年まで侵略のために編成した軍部隊の陣中日誌を見つけては、その中から慰安所に関する内容を抜粋する単純で機械的な作業を繰り返した。主に大学の夏休みと冬休みに、日本が2001年に開設したアジア歴史資料センターで日誌を検索した。日誌は日本軍中隊(独立小隊含む)以上の部隊が義務的に作成した記録物で、今は米軍からの鹵獲品(ろかくひん。戦争で敵から奪ってきた兵器や補給品など)を中心に約10%未満のみ残っている。

 ハ教授が明らかにしたこの作業の目標は「日本軍が設置・管理した慰安所が今も存在する軍基地付近の売買春施設とは異なり、日本軍の組織体系と作戦に深く結びついた軍事施設だったことを論証すること」だった。「日本は河野談話で慰安婦問題に日本軍が直接・間接的に関与した点は認めましたが、慰安所を軍施設として認めていません。軍医が慰安婦の性病の検診を行った事実程度を認めただけです」

 これまで15年間にわたる研究結果をまとめた分厚い著書『陣中日誌にみる日本軍慰安所―日本軍「慰安婦」問題解決の突破口を開く』(ヒューマニスト)を発表したハ教授に、21日、ソウル孔徳洞(コンドクドン)のハンギョレ新聞社で会った。

 ハ教授は、日本軍が慰安所の設置と運用に関与した痕跡をよく示す日誌として、1938年1月10日、中国江蘇省の省都、鎮江市に進入した上海派遣軍隷下第4師団第68連隊第3大隊が残した記録を挙げた。第3大隊は駐留2日後の12日、第3師団参謀部より「慰安規定ノ件」について電話連絡を受け、約1カ月半後の2月28日、「戦場慰安所規定」を作って兵士たちに配布した。最初の慰安所出入りは2月1日に行われたが、日誌にこのように記録されている。「本日本部機関銃中隊大隊砲小隊ノ外出ヲ許可シ慰安所ヲ利用セシム 」。慰安所開設の許可および監視監督は、戦場駐屯地司令官の方針によって憲兵隊が務め、慰安所は毎月15日と金曜日は午後5時まで休業だった。〔←※定休日!w〕

 「日誌には日本軍が慰安所の承認など大きな権限を持つ※悪質な業者は認可を取り消されましたからね。ことはもちろん、慰安所の休日や営業内容も統制していたことを示す記録が数多く残されています。慰安所は日本軍部隊の規定と連係して設置され運営された『日本軍施設に近い附属施設』〔←※もはや言葉遊び〕というのが私の結論です」。研究目的を成し遂げたのかという質問に、ハ教授はこう答えた。

 ハ教授は著書で、上海派遣軍が1937年末、中国南京の陥落を控えて慰安所の開設を進め、陸軍省にコンドーム100万個を要請して届けてもらった事実も初めて明らかにした。「コンドームの空輸は陸軍省が慰安所の開設に積極的だったことを示す決定的証拠です」

 日本軍の「慰安婦」は「性奴隷」だったというのが国際社会の一般的な認識だが、日本はこれを認めていない。「1940年、中国湖北省唐陽に駐留した部隊慰安所配置図を見ると、慰安所を囲んで鉄条網の表示があり、この周辺を歩哨が守るようにしていました。慰安婦たちは鉄条網の中だけ歩き回ることができました。〔※1部隊の給料日には一日数十人を相手にしなければならず、彼女たちには『お客さん』を拒否する権利もありませんでした〔※2。(慰安婦は)戦争遂行のために企画された日本軍システムで稼動した『性奴隷』でした」

※1 これは吉見義明教授の言う「広義の性奴隷」と同じ論理。既に色々な人が論破している。〔下図は過去のブログエントリーより転載〕

 

20210425_yoshimi01
20210425_yoshimi02

 

※2 酒気を帯びた客などは拒否できた。それ以外のえり好みが許されないとしたら、それは業者と慰安婦の契約の問題であり、仕事なのだから当然あり得る。

 

(2)http://japan.hani.co.kr/arti/culture/46039.html
韓国語URL:https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/1081453.html

 ハ教授は著書で、日本軍が慰安婦たちを軍属と見なしていたことを示す資料もいくつか提示した。1943年にビルマ(現ミャンマー)の首都ヤンゴンに駐留する日本軍慰安所管理人〔※売春宿に雇われた朝鮮人が、軍組織の野戦郵便局を通じて自分と「慰安婦」の貯金を送金したのがその例だ。

※単に便宜を図ってやったにすぎない。文玉珠などは貯金ができた事を喜んでいた。戦地では軍票が貨幣の代わりをしていて、戦後紙くずになったが、貯金をすれば同じ額面の日本円になる。そして、そもそも実家に送金できる奴隷がどこにいる?w

また、沖縄県東南の沖大東島の慰安所の「慰安婦」たちは、1945年初めに米軍の艦砲射撃が予想される瞬間にも島の外に出ることができなかった〔※ここは事実を要確認。民間人は全員島を離れろという連隊本部の指示にもかかわらず、「慰安婦」は民間人に含まれなかったためだ。「ビルマでも日本軍が英国軍と戦闘を繰り広げる激戦地に慰安婦はそのまま残っていました。資料がないので確認はできませんが〔※はぁ?〕、沖縄の事例にその答えがあるでしょう

※沖縄はまだしも、完全に外地となれば脱出する術は軍用船しかない為、留まらざるを得なかったのであろう。
※ビルマの慰安婦については、捕虜となった朝鮮人兵士や慰安婦の調書〔Report No. 49〕があり、「慰安婦は売春婦以外の何者でもない」と書かれている。→ブログエントリー

 ハ教授は1937年12月、日本の中支那方面軍が南京陥落を控えて司令部レベルで慰安所の設置を急いだことについて「慰安所設置の『ビッグバン』だった」と表現した。「日中戦争前にも慰安所がありましたが、性格が大きく異なります。以前は売春施設を通じた軍人の性病拡散の統制に注力しましたが、日中戦争後には軍が本格的にシステム的に慰安所の設置と運用に関与しました」とし、「民間の売買春施設従事者の性病検診の予防などを規定した『娼妓取締規則』が、日中戦争以後には日本軍の文書などで全く言及されないのも、慰安所に対する軍の直接的な関与を裏付けている」と説明した。

 1938年11月15日、日本軍第2師団第3兵站輜重(しちょう)兵中隊の日誌によると、中国武漢近くの應城駐屯軍部隊に「まもなく慰安所が開設される」という知らせが来る。日本軍の「應城掌握」から15日後のことだった。まだ戦場の整理がついておらず、敗残兵が出没するので、部隊員の日曜日の外出は認められていなかったが、慰安所の出入りの際は許可証を交付したという。日本軍はなぜ慰安所の設置を急いだのだろうか。「戦闘が終わったばかりなので、部隊員の統制が容易ではなかったのでしょう。殺気立った部隊員を反抗をなだめる意図があったと思います。(慰安所を)戦闘直後に日本軍兵士に唯一許された安全な場所であり、『娯楽』とみなしたのです」〔※いや、元々娯楽なんだってば。

※武漢の漢口慰安所に関しては例えば、当時の慰安係長が著した『武漢兵站』(1978年/山田清吉 著)に、「計算に疎い娼妓が業者に騙されていたので、業者の帳簿を兵站経理が検査する事にした。楼主は不平を言ったが、営業許可を取り消すと脅して従わせた。 」という事が書いてある。慰安婦問題が発生する前に書かれた本であり、情報操作などの汚染はほとんどないと思われる。

 

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 ハ教授はソウル大学人類学科を卒業した後、日本史に専門を変えて東京大学日本史学科で「戦時労働力政策の展開」をテーマに博士号を取得した。日本史に関心を持つようになったのには、祖父と伯父が日本で移住労働をした家族史も影響を及ぼしたという。

 ハ教授は慰安所研究の意味をこのように指摘した。「慰安婦問題で被害者のハルモニ(おばあさん)たちの存在と証言が最も強力な武器〔※「証言」しか無いって事だろwだったのに、多くのハルモニたちが亡くなっていっています。私は『慰安所研究』が新たに慰安婦研究と活動を続けていく迂回路だと思います。慰安所の記録を新たに発掘し、その実体を明らかにすれば、ハルモ二たちの証言も歴史性を保つことができるでしょう」

 ハ教授は「今後はこれ以上慰安所研究をする計画はないが、他の研究者の要請があれば集めた資料を共有する」と語った。「今後、慰安婦がどのように船に乗ったのかを明らかにする『渡航研究』が必要です。慰安婦が日本軍とどのような従属関係で渡航証を手に入れたのかを明らかにする必要があります」

 ハ教授は3年前に出した本『なぜ日本は韓国を征服したがるのか』で、「朝鮮半島の中立化」を「韓国の生存と東アジアの安定を生み出し保障する唯一無二の戦略」だと強調した。

 インタビューの終盤に、なぜ朝鮮半島の中立化なのかと尋ねた。「日本が朝鮮半島を自分たちの影響力のもとに置こうとしたのは、日本に敵対的な勢力が朝鮮半島を支配すれば、自分たちにとって脅威になると考えるからです。もちろん、そこには自分たちの勢力権を拡張しようという意図もあったはずです。私は、日本が前面に押し出すこのような侵略の口実を与えないためにも、朝鮮半島の中立化が必要だと思います」

* * * *

 

正直に言って、この人、本などを読んで理解できるのだろうか?と思います。15年間資料を読み解いて、「ハルモニの証言」が嘘という結論に達しないのが不思議です。

恐らく、結論が決まっているので、何が書かれていてもそのそのフィルターに通して理解してしまうのでしょうが、こういう現象は心理学とかで名前が付いているのでしょうか? 

 

  


 

 

 

2023/02/27

【慰安婦像】慰安婦カードはもはや反日活動のトレンドでは無い

毎週水曜日に旧日本大使館前で行われる水曜集会〔慰安婦支持団体=正義連〕と像を守る反日行動の若者達 vs. 慰安婦像の撤去を求める方達の争い...今回は、これを客観的に見てみたいと思います。

日本大使館は下図のように、既に旧日本大使館の裏に位置するツインタワービルに移転してます。

 

20221216_wednesday01

 

慰安婦像は、元々日本大使館に嫌がらせのため設置された物で、ウィーン条約に違反する物であり、韓国の国際法無視という不法の象徴なので撤去されるべきですが、現実的には既に日本大使館はありません。

「日本」が不在のまま、前述の正義連や反日行動、そのカウンターデモをされている方々、そして後者を邪魔する警察と、韓国人だけで騒いでいます。

念の為もう一度言いますが、あの慰安婦像という呪詛像は撤去すべきであり、あの場所の平穏を取り戻すべきです。従って、日本人ではできない活動をしていらっしゃるカウンターデモの方々には感謝します。

しかし、ここ数週間、「慰安婦法廃止国民行動」〔金柄憲所長等のグループ〕は、慰安婦像の場所の取り合いで「反日行動」の連中〔実態は「民衆民主党の別働隊〕と揉め、反日行動を守る警察と揉めています。

つまり、「慰安婦についての事実を啓蒙し、日韓友好の妨げとなっている慰安婦像を撤去する」という目的からズレ始め、「横暴な地元警察署との戦い」にシフトしています。

 

客観的に見ると、今は日本とは関係の無い、”コップの中の争い” をしています。

 

* * * *

 

元々、あの場所で聞く耳を持たない人達(正義連や反日行動)相手に、慰安婦の正しい歴史を伝えても、彼らが説得されるはずはないのです。彼らは真実などどうでもいい人達です。

それでも、彼らに語りかける動画を配信することで、国民に事実を伝える啓蒙ビデオにはなると思っていましたが、最近は場所取りで揉めているだけです。

元々、カウンターデモをされている方々は、韓国を変えなくてはならないと考え、その妨げである慰安婦像の撤去を求めて活動していたので、日本人はそれに便乗させて頂いてただけで、日本人があれこれ指図できる事では無いのですが、警察の問題は韓国の国内問題です。

ブログ主個人の考えとしては、日韓関係の修復を追及するなら、集めてもせいぜい数十人規模の慰安婦集会や慰安婦像の横でピケを張っている反日行動など放っておいて、より多くの国民を啓蒙する努力をする方が良いのではないかと思っており、もう少し啓蒙活動に力を注いでくれると思っていました。

警察との争いでは、「理」はカウンターデモをされている方々にあるので応援はしますが、日韓歴史問題は ”置いてけぼり” になってきました。

 

* * * *

 

別の見方もできます。

既に韓国国内では、慰安婦問題は反日ツールとしてはトレンドでは無いのです。慰安婦を使って反日活動をしようにも、数々の横領をしていた尹美香(ユン・ミヒャン)という弱点を持ってしまったからです。言わば、水曜集会がジリ貧になってきたのは正義連のオウンゴールです。

唯一動ける元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)も、直近では、訪韓したペロシ下院議長にアポ無しで面会しようとして警備員に排除されたと記事になった程度です。トランプ大統領に無理やりハグを求めた時が最後のピークでした。

カウンターデモをされている方々には気の毒ですが、彼らの活動はメディアも無視するし、動画を配信しても再生数は全く伸びないので、影響力はほぼ無いと思って良いでしょう。

同情すべき点はあります。せっかく金柄憲所長が韓国で出版した『赤い水曜日』は、保坂祐二〔国籍は韓国人〕が名誉毀損で訴訟を起こしたため、裁判所から指摘された箇所を修正するまで韓国では販売できなりました。保坂との裁判にも時間とエネルギーが消耗されます。だからと言って、「日本は保坂を入国禁止にしろ」と騒いでも何の解決にもならないと思いますが、色々と焦りがあるのだと思います。

以前、日本の国会議員が調査のために韓国に行った所、金浦空港でテロリスト扱いの出入国管理法を適用され、入国できなかったことがありましたが、これを当然と見ているようなので、そのような発想が出るのかも知れません。韓国国内で法を恣意的に適用されて苦労されているはずなのですが。

 

日本にとっての慰安婦問題は、今後は海外に慰安婦像を建てる活動や、米国を中心とした反日学者との戦いになるでしょう。

やはり、他人を当てにしてはダメなのです。

 

 

  


 

 

 

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