11月18日の札幌高裁で植村隆氏の上告が棄却され、櫻井よしこ氏や氏の論文を掲載した出版社の完勝が決定しましたが、未だに元朝日新聞記者・植村隆氏とその支援者は「(植村氏は)捏造記者ではない」と主張しているようです。
しかし、12月11日に放送された言論テレビ『緊急特番「言論の自由は守られたかⅢ」 』で、2018年3月23日の札幌地裁での反対尋問(相手方=櫻井氏側=の尋問)での植村隆氏の訳の分からない答弁が再現され、既にこの尋問で、植村氏が「テープで語った女性(金学順氏)が、女子挺身隊と関係が無く、騙されて慰安婦になったことを、執筆当時知っていたということが明らかになっていたことが判明しました。
つまり、「意図して書いた」ことが明らかになっていたわけです。
裁判は公開されているものであり、その内容は秘密ではありませんが、裁判に支障があるといけないという判断の下、今まで公にはしていなかったことだそうです。
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まず、前提となる情報として何点か整理しておきます。
- 植村氏は1991年(平成3年)8月11日付けで朝日新聞大阪本社版で問題となる記事「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」を書いた。植村氏は、本人とは会っておらず、挺対協(現・正義連)からの話と女性のテープだけで記事を書いた。(名誉毀損の裁判では「記事A」と呼ばれる。)金学順氏が韓国で記者会見を開いたのは8月14日。(植村氏はテープのコピーも文字起こしも持っていないと主張。)
記事のリード文:日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることが分かり、(中略)体験をひた隠しにしていた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた。
- 植村隆氏は、もう一本、1993年12月25日に「日本政府を相手に提訴した元従軍慰安婦・金学順さん 返らぬ青春 恨の半生」との見出しで金学順氏のインタビュー記事を書いた。2本目の記事が書かれたのは金学順氏らが日本政府を相手に賠償を求めて提訴(1993年12月6日)の約20日後。(この裁判を起こしたのはに植村隆氏の義理の母=梁順任(ヤンスニム)氏=が幹部の団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」で、植村氏は利害関係がある。)
- 櫻井よしこ氏の当該の論文は2014年4月~10月にかけて発表。
- 朝日新聞は2014年8月14日に慰安婦関連の記事を取り消すと共に、故金学順氏が「『女子挺身隊の名で戦場に連行され」たという記事について、当時韓国では慰安婦と挺身隊の混同があり、植村氏も「誤用」したと説明。(←この時点で朝日は植村隆氏を庇っている)
2014年12月23日、前日発表の朝日新聞第三者委員会検証報告書の指摘を受けて「この女性が挺身隊として戦場に連行された事実はありませんと、植村記事の誤りを認めて訂正。
- 2015年2月10日、植村隆氏は西岡力氏や櫻井よしこ氏に対し、百十数人の弁護団を擁して東京地裁と札幌地裁で名誉毀損訴訟を提起。
2018年11月9日、札幌地裁は植村氏の訴え棄却。
2020年2月6日、札幌高裁は植村氏の控訴棄却。
2020年11月18日、最高裁判所も植村氏の上告棄却。
確定した判決では、「櫻井氏の記事は植村氏の名誉を損なうものではあるが、公益性があり、名誉毀損にはあたらない」というもの。
※西岡力氏に対する裁判でも東京地裁判決(2019年6月26日)及び東京高裁判決(2020年3月3日)に於いても全面的に敗訴している。
- 植村氏とその支援者が西岡力氏などが「捏造を認めた」と触れ回っているが、西岡氏のケースでは著書の中で引用の間違い=括弧を付ける範囲の間違い=で、それは第3版では修正済みのものであり、本筋とは関係ない部分である。(しかも、植村氏側は修正済みの第3版を証拠として提出するお粗末さ。by 西岡力氏)
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◆初公開!植村法廷陳述調書のやり取り
No.4で明らかなように、朝日新聞は既に植村氏の記事は誤りだったと認めており、争点は、「事実と異なる事を植村氏は知っていながら(記事を)書いたのかどうか」ということになります。
そして、植村氏は「テープで語った女性が、女子挺身隊と関係が無く、騙されて慰安婦になったことを、執筆当時知っていた。」ことが2018年3月の尋問で判明していたと今回の動画ので公表されました。重要なので、以下、番組でのやり取りを文字に起こしました。
発言は要旨ですが、その中で林いずみ弁護士が再現した反対尋問の様子(紺色の文字)は発言通りに書き起こしています。
林いずみ弁護士・西岡力氏(以下、林、西岡と表記。他も敬称略): 金学順氏の証言の前に吉田清治の本や彼を紹介する記事を朝日新聞や他のメディアが書いていた。つまり、挺身隊の名で済州島で奴隷狩りをしたという“加害者”側の証言が既にあり、しかし、韓国人記者が済州島で取材してもそのような事実は出てこなかった状態で、植村氏が初めて“被害者”女性がいた」という“スクープ”記事を書いた。「女子挺身隊」は国家総動員法に基づくものなので、これが事実なら日本が国家として奴隷狩りをしたことになる。
林: 彼が言葉の使い方を間違えたのか? どういうつもりであの記事を書いたのかについて、彼は提訴の前に『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店/2016/2/27)という本を出しているが、この中でも、また、第三者委員会でも明らかにしてこなかった。
被告代理人(櫻井氏側弁護士、以下「代理人」): これもちょっと主尋問と被りますけれど、録音テープには女子挺身隊の名で戦場に連行されたという発言はありましたか?
植村: それも記憶にありません。
林: この後、のらりくらりとしたやり取りが続きます。
代理人: もう一回言いますよ?日本において「女子挺身隊」と「慰安婦」とが本来別物であるということは、認めるんですか?認めないんですか?
植村: 日本では慰安婦のことを女子挺身隊とは通常呼ばないということは認めます。
櫻井: だけど、さっきのリード文では「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と書いている。
代理人: 「連行」という言葉を使用してしまうと、一般読者は「強制連行」の意味に解釈してしまい、吉田清治氏らが述べてきたことや、朝日新聞が報じてきたことは本当だったと思ってしまうとは思いませんでしたか?
植村: 思いませんでした。
代理人: あなたは、朝日新聞社第三者委員会の調査に協力しましたね?
植村: はい。調査を受けました。
代理人: 「連行」という言葉を使ったことについて、調査はありましたか?
植村: 調査はね、なかったんです。結論、朝日の第三者委員会の報告には、私の記事についていろんなことがでましたけど、それについていちいち「これは強制連行の意味であるんじゃないか」みたいな具体的な対話というのはありませんでした。ただ、私の記事の執筆経緯を説明しただけです。
林: これに関するやり取りが続くが、尋問の最後に3人の裁判官が植村隆氏に対する質問をしました。
裁判官①: あなたが今仰ったことを整理すると、朝日新聞の第三者委員会に対しては、「強制連行」の意味と記事Aに書かれている「連行」は違うと、こういう説明は間違いなくしたと?
植村: はい。つまり、強制連行という言葉の定義があると思うんですけれども、いわゆる「人さらい」のような、あるいは路上で拉致するような強制連行の意味で使ったわけではない、という風には言いました。
裁判官①: ただ、今日説明されたみたいに、もっと具体的に「この連行というのはこういう意味で書いたんだ」ということまで説明したかどうかというのはご記憶にない、ということで宜しいですか?
植村: はい。まあ、そこまでは聞かれませんでしたので。
裁判官②: 先程から出ている記事Aのリード文のところに「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という風なことが書かれていると思うんですけれども、ここで言う「名で」という言葉の意味というのはどういう意味で使われているんですか?
植村:先程言いましたように、いわゆる韓国で女子挺身隊という風に呼ばれているところの慰安婦、そういう意味で使いました。
西岡: 韓国では(植村隆氏が記事を執筆した)当時、「慰安婦」という言葉は無かったんです。挺身隊というのが慰安婦の意味で使われていたんです。彼(植村氏)はそのことを言っているんです。
しかし、一つの文章の中で「挺身隊」と「慰安婦」が両方入っている。韓国では挺身隊と慰安婦は一つの文章の中に出さないんです。挺身隊は慰安婦の意味ですから。でも、彼は一つの文の中に書いているんですから、一人の慰安婦が連行された。そのされ方が、「女子挺身隊の名で」と言ったんですね。今言ったこと、全くおかしいんですよね。
櫻井: しかも、韓国語で「挺身隊」(=慰安婦)という言葉が、日本の、日本語の朝日新聞で、何で韓国語の言葉遣いが出てくるのか?ってことですね。だから、全然理解できない。
林: 私達は法廷で彼の法定代理人の質問、「主尋問」って言うんですが、その時に、この話が出てきたんです。もう、目が点になりました。既に、「金学順氏が女子挺身隊の名で戦場に連行された」わけでないことは明らかなわけです。本人もそんなこと言ってないし、その後の(日本政府相手の)訴状にもそんなことは書いていない。問題は、植村氏が執筆当時、そういう風に誤解してたのかどうかってのが今まで分からなかったのでさっきのような尋問をしたら、なんと彼は、(金学順氏が慰安婦になった経緯は)挺身隊と関係ないと言うことを知っていたと。で、「慰安婦」の意味で使いましたと、自分で言っているわけです。
裁判官の質問の再現を続けます。「いわゆる韓国で女子挺身隊という風に呼ばれているところの慰安婦、そういう意味で使いました。」と植村氏が答えたところ、裁判官は以下のように質問します。
裁判官③:そういう意味で使われているということなんですか?
植村:はい。法令に基づいて連れて行かれた人ではないということは認識がありました。
林: 女子挺身隊ということは法令に基づいて連れて行かれたってことですからね。彼は(そうでないという)認識がありました。
裁判官: それから、「連行」という言葉がありますよね?
植村: はい。
裁判官: これの主体は誰なんですか?
植村: その時にはそこまでは取材しませんでした。騙されたという言葉を聞いただけで主体は分かりませんでしたけれども、少なくとも後半の主体=慰安所に連れて行かれてからの主体=が日本軍だったと思いますけれども、誰に連れて行かれたかは、騙されたかは、その時には分かりませんでした。
動画からの引用は以上。
前述の前提No.4に書いたように、朝日新聞は2014年の訂正記事では、“当時韓国では慰安婦と挺身隊の混同があり、植村氏も「誤用」した” と、植村隆氏の記事は意図した間違いではないと庇っていたのですが、上記のやり取りを聞いて分かるのは、植村氏は挺身隊と慰安婦は別のものという認識があり、挺身隊は法令に基づくものということも知っていたわけです。尤も、日本人なら当然ですが。
そして、支離滅裂なことには、「挺身隊」は韓国での意味(=慰安婦)で使ったなどと言っています。仮にこれが本当なら、「慰安婦の名の下で連行して慰安婦にした」という文を書いたことになります。これが主尋問で出てきたのですから、林いずみ弁護士が“目が点”になったのは当然でしょう。百人以上の弁護士は何なのか...とw
◆法廷闘争をしたために捏造記者と認定されてしまった植村隆氏
なお、最後に、植村隆氏の応援団が、「真実相当性は真実ではない!」などと詭弁を言っていますが、実際の判決文は以下のように、「真実性・真実相当性が認められる」あるいは「真実であると証明されているか、真実と信じることに相当な理由があると認められる」というものだそうです。
また、西岡力氏の裁判の範疇になりますが、植村氏は2本の記事で、金学順氏が言っていない「挺身隊の名で」と言うことを付け足し、言っていた「母親にキーセンに売られた」を書かなかった(=意図的)ということを西岡氏が指摘したのは「真実性がある」と東京高裁は認めています。つまり、彼は西岡力氏を相手に裁判を起こしたことで、「捏造記事を書いた」と法廷で認められてしまいました。
この「言っていたことを意図的に書かなかった」ということは朝日新聞第三者委員会のサイトにある報告書(全文)にも書かれており、P.16から以下を引用します。
植村は、金氏への面会取材は、写真が撮影された1991年11月25日の一度だけであり、その際の弁護団による聞き取り(ブログ主註:日本政府相手の裁判の為の聴き取り)の要旨にも金氏がキーセン学校に通っていたことについては記載がなかったが、上記記事作成時点においては、訴状に記載があったことなどから了知していたという。しかし、植村は、キーセン学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく聞き取りの内容をそのまま記載したと言う。
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◆捏造慰安婦記事の黒幕は北畠清泰氏
もう少し動画の内容を西岡力氏の発言からご紹介します。
朝日新聞は1991年の150件もの慰安婦記事を書きました。他紙やNHKを併せると全体で250本ほどの記事だそうで、朝日の記事の多さが際立ちます。
朝日はその記事でくり返し「女子挺身隊の名の下で連行した」と言い続けてきました。特に150件の内60件は大阪本社が出したもので、植村氏の上司は北畠清泰(きたばたけきよやす)氏。植村氏は切り込み隊長のようなもの。
彼がデスクとして、植村氏が90年に最初に慰安婦を探しに行きましたが見つけられられませんでした。
朝日新聞は91年から「女たちの太平洋戦争」という大型企画を1年かけてやったのですが、それは女性の立場から見て戦争はひどいものだ(だから憲法9条を守りましょう)というキャンペーン。そこで投書を募集したが、そこに集まった内容は「ソ連軍にレイプされた」、「中国でひどい目に遭った」というもので、朝日が意図する「日本が悪い」とは合致しませんでした。彼らには「日本軍にレイプされた人」が必要でした。
それで植村氏に探してこいと命じたのですが、西岡力氏が何故ここまで断定的に言えるのかというと、1991年12月31日に北畠氏が企画の纏め記事に、「戦争中を密かに懐かしんでいる人がいる。ひとを遠慮なく殴打できた。女性の性を蹂躙できた。上手く立ち回って飽食の特権を得た。そういう人たちがいて、戦時に郷愁の念を抱きながら口を閉ざし続けている。そういう人を暴き出そう。」という内容を書いたからです。彼はこの功績で1月に東京の論説委員に栄転しました。
彼はまた、論説委員として吉田清治を称えるコラムを書きます。
しかし、朝日新聞の読者と言えども、90年代では当時を知る読者も多く、吉田清治は嘘をついているのではないかという投書が多数来ました。すると、北畠氏はもう一度コラムで「真実を認めない読者がいる」と読者を批判する文を書きます。
ですから、西岡氏は2014年の検証記事の時、「取り消すだけでなく謝れ」と批判しました。誠実な読者に対して、あたかも彼らが倫理が欠如しているかのように批判したのですから。
植村氏の2本の記事は朝日の壮大なキャンペーンの駒に過ぎなかったわけです。
◆種本は吉田清治の『朝鮮人慰安婦と日本人』
なお、動画の中で『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年/吉田清治著/新人物往来社)という本が紹介されます。
帯に書かれているのは、『「皇軍」という名の淫獣日本軍!/女子挺身隊という美名のもとにうら若き朝鮮人女性を狩り集め、前線の慰安婦として日本軍に送り込んだ、元現場責任者が直言する歴史的事実」』と書かれており、この帯がいつのものかは分かりませんが、これが朝日のキャンペーンのストーリーとなっていることが分かります。
◆植村隆氏は別の記者を出し抜いた
西岡力氏が「又聞きの話」として紹介していましたが、実はテープは植村氏一人ではなく、もう一人、日本人女性記者と共に聴いたのだそうです。しかし、彼は、これはまだ書かない方がいいと言って、記事にしないように言ったのだそうです。しかし、彼はテープの裏取りもせず、一人で記事にしました。そのことに対し、もう一人の記者は憤慨していたというものです。
上に、彼は「駒」に過ぎなかったとは書きましたが、記者としての「功名心」があったのかも知れません。
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