【回顧】『石破4条件』とか玉木雄一郎とか...
たまたま「X」(旧Twitter)の私のTL(タイムライン※)で加計学園問題が話題になっていました。特に『石破4条件』。
※タイムラインには全てのポスト(ツイート)が流れてくるわけではなく、私がフォローしたり「イイネ」をした方のポストが優先的に流れます。だから、SNSは結局、考え方が近い人間のポストを重点的に見る事になり、まるで、自分と同じ考えの人達の意見がマジョリティだと勘違いしがちです。これを「エコーチェンバー」と言います。
せっかくの機会で、もう忘れかけている人も多いと思うので、おさらいをしておこうと思います。
『石破4条件』とは、安倍政権が2015年度の目標として掲げた「日本再興戦略」にこっそりと追記された、獣医学部を新設する際にクリアしなければならない条件の事で、そもそも、目標に「獣医学部新設」が掲げられたからこそ付け加えられた(=石破茂がゴリ押ししてねじ込んだ)”ハードル”です。
最終的に日本再興戦略は「日本再興戦略 改訂2015」という名称で閣議今日されました。平成27年(2015年)6月30日の事です。
だから、正確には、石破4条件が閣議決定されたのではなく、それが追加された『日本再興戦略』が閣議決定されたのです。
野党の国会議員はしきりと国会で「今治市は新規参入の条件をクリアできているのか!」とやっていました。
その急先鋒は現・国民民主党の玉木雄一郎党首。
彼は現在、「X」などではわりと良い事を言っていて、ブログ主は是々非々のスタンスなので、彼には国民民主党を野党第1党に育ててもらいたいとは思っていますが、東京15区補選でも小池百合子と組んだり、彼自身は ”機会主義者” であり、利害で動く人物だと個人的には思っています。
是々非々で応援はしても、ブログ主が今一つ玉木雄一郎氏を信用できないのはこういう所です。
『石破4条件』という固有名詞を一般に向けて最初に使ったのは、ブログ主が記憶する限り玉木雄一郎氏です。(2017年05月20日付ブログ記事『加計学園獣医学部新設は「石破4条件」を満たしているか』)
恐らく ”業界” 内では有名な言葉だったのでしょう。彼の父は地元の獣医師会の重鎮、弟は獣医師ですから。
しかし、当時は一般人は恐らく ( ゚д゚) ポカーン... でした。
そもそも、石破4条件などと言われても、『日本再興戦略』には以下の様に記されているだけです。
基本的には「地方主導による大胆な規制改革の実現」が目標であり、「獣医学部新設」はその14番目の項目であるのが分かると思います。
しかし、確かに読んでみれば、4つくらいの条件が書かれていますから、「4条件」は良いとして、なぜこれが『”石破” 4条件』なのか?
自慢するわけではないのですが、その意味を理解したのはブログ主はかなり早い方です。
自慢ではないというは本当で、実は私のブログ(2017/05/27)に「日本獣医師会の議事録に石破にねじ込んで貰ったという事が書いている」旨の ”垂れ込み” をして下さった方がいたのです。
上記エントリーを書いた当初は玉木雄一郎氏のブログについて反論していただけでした。しかし、たまたま私のブログを読んだ方が、獣医師会の議事録の事を教えて下さったのです。そしてその事を本文内に追記をしました。
上記リンク先ブログエントリーの一番下のコメントです。〔コメント欄は降順、つまり、新しいものが上になっています。〕
議事録に書かれていたのは、以下の文章です。
『石破担当大臣と相談をした結果,最終的に,「④既存の大学・学部で対応が困難な場合」という文言を入れていただきました.』
『藏内会長とともに石破 茂地方創生大臣と2 時間にわたり意見交換をする機会を得た.その際,大臣から今回の成長戦略における大学,学部の新設の条件については,大変苦慮したが,練りに練って誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言にした旨お聞きした.』
つまり、石破に3つの条件を追加して貰ってたが、念には念を入れて4つめの条件を付け加えて貰ったという報告です。
ここで初めて、『石破4条件』の名前が理解できたのですが、この辺りから、もう野党は開き直ったのか、普通に『石破4条件』の名前を口にするようになりました。しかし、今治市の提案のどこがこの条件に合わないのかを具体的に指摘する議員はおらず、「4条件が~」を言うのみでした。
この頃から、前述のブログエントリーのアクセスビューがとんでもない事になっていきました。多くの方が関心を持った証拠でしょう。
ついでに書いておくと、京都市が京都産業大学と組んで国家戦略特区に提案したのは、既に今治市が国家戦略特区に指定された後でした。始めから競合などしていなかったのです。
諮問委員会側はそれでも希望する自治体(今治、京都、新潟)は特区に指定するつもりでした。しかし、日本獣医師会の「何とか1校に留めたい」という意向を汲んで妥協したのです。
当時は山本幸三地方創生相でした。この方は失言が多いのですが、この時は本当に良く踏ん張ったと評価しています。
そして、京産大が降りたのは、最終的に公示に「平成30年4月開学の獣医学部は1校のみ」と書き加えられる事になり、自分達に勝ち目が無いと悟ったからでした。
きれいな形で降りたので、あまり京産大の悪口は言いたくないのですが、彼等は正攻法ではなく、日本獣医師会や文科省と直接交渉していたので、ブログ主の目には「1校の座」を横取りしようとしている様に見えました。
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