水木しげるさんの戦争体験
NHK公式サイト「戦争証言アーカイブス」の『水木しげるさんの戦争体験』より
インタビュー:陸軍・第38師団 ズンゲン支隊 水木しげるさん
収録年月日:2010年4月28日
【出来事の背景】
まんが「ゲゲゲの鬼太郎」の作者で知られる水木しげるさんは、太平洋戦争中、南太平洋のニューブリテン島で、苛酷な戦争を体験した。
水木さんが所属していたのは歩兵229連隊。制海権を失っていたために、ニューブリテン島には、新たな補充兵が来ることなく、いつまでも初年兵あつかいで、ひんぱんに暴力的な制裁を受けながら、陣地構築の日々を送っていたという。昭和19年になるとこの部隊のうち水木さんを含む2個中隊およそ400人は、この島の東端にあった日本軍の拠点「ラバウル」を防衛するため、ラバウルの西にあるオーストラリア軍の支配地域に近い前線のズンゲンに送られることになった。
水木さんは、19年の春、ズンゲンよりさらに先にある「バイエン地区」に10数人の分遣隊の一員として派遣された。しかし、水木さんが歩哨に立っていたある夜、オーストラリア軍に率いられた現地のゲリラに襲われ、水木さんを除く分遣隊は全滅してしまう。水木さんは、一人でバイエンを脱出し、何日もかけて本隊に戻った。しかし、戻った時に、たった一人生き残ったことをなじられてしまう。
さらに、その後、マラリアに罹患し、療養中に空襲にあい、左手に大けがを負った。野戦病院で切断手術を受け、左手を失ってしまったが、九死に一生を得た。そして、昭和21年3月に故郷に復員することができた。
【関連する地図】
【テキスト】
■ズンゲンへ
南太平洋の日本軍の拠点「ラバウル」を防衛するために水木さんは、ラバウルの防衛戦に当たる「ズンゲン」に送られた
とにかくズンゲンっていうところ大変な所っていう事で、ズンゲンに行けって言われれば決死隊に参加するような気持ちでしたね。
Q:いちばん前線。
危ない。いちばん危ないところです。だから、中隊長なんかは死ぬ気なんですよ。もう元気がないんですよね。わたしを呼んじゃ似顔絵を描かせるんです。
Q:今言われた中隊長っていうのは、児玉さんの事ですか。
そうです。児玉さんです。
Q:児玉さんの部隊にいらしたという。
そうです。中隊にね。中隊というのはね、250人ぐらいだから。だから児玉隊にいたんですね。児玉中隊っていうのがあって、その中隊が4つの小隊にわかれていますが、1個小隊が40人ぐらい。で、その40人の上が少尉。少尉です。で、10人単位でそれは下士官が長ですからね。そういう事になっています。
Q:児玉さんの印象ってあります?どんな方でしたか。児玉さんて。
呼ばれてしょっちゅう似顔絵を描いていたから。材木屋でね。別に普通の人でしたね。平凡な人でした。
あんまりねぇ、そういう上の方の命令の話はねぇ。下の方にあんまり伝わらんです。戦後、分かるわけで。そのときは何も分からんです。成瀬支隊長っていうのはね、27歳の士官学校を出た少佐だから、やっぱりあんまり人間とか軍隊は詳しくは分からん年ですから。だから中隊長の方が材木屋だったけれど、37,8 だったから。話はよく分かるような感じでしたけれど。やっぱり支隊長になって来るとね。機械みたいに扱うわけですよね。兵隊を。上の命令をそのまま実行しようとするかなんか知らんけれど。何かこう、逆に怖かったねぇ。27歳で少佐なんていうのは。怖い。なんかこう、人間を人間として扱わないんだなぁ。結局は士官学校出た連中はどうも。
Q:成瀬さんと直接話をしたというか、会った事は。
あんまりないです。階級が下っていうのはあんまりないです。
Q:遠目で見たりとかってご本人の事は御存知?
遠目で見てです。だから神様みたいな感じで。
Q:中隊長は絵を描かせたり割とこう近いところにいる?
そうそう。いちばん近いから。だからしょっちゅう似顔絵を描かされたりなんかするんです。
中隊長っていうのは、普通の兵隊と同じです。召集されて来ているわけだから。変なのはやっぱり士官学校出ていきなり大尉とか少佐になった連中で、人間を人間とも思わないわけですよね。作戦の道具としか思わないようなのがいたねぇ。やっぱり27ぐらいで少佐なんてのは。人間としては扱っていないね。兵器として考えているわけですね。だから頭が明解だけれど、怖いですよね。人間として考えていないから。
■陣地構築の日々
Q:最初ズンゲンに到着したときの任務っていうか、お仕事はどんな事をしていらしたんですか?
最初はズンゲンに着いたときは普通の兵隊のような事で、大した変化はないわけです
毎日毎日穴を掘るんです。陣地構築。山に穴を掘るのが毎日の仕事でしたねぇ。
Q:どんな事をしていらしたんですか。
とにかくツルハシで穴を掘るんです。山に穴を開けたり、塹壕を掘ったり。それが毎日のような重労働だから。地獄みたいでしたねぇ。地獄と同じですよ。ちょっとでもなまけりゃ殴られる感じだから。まずいもん食ってねぇ。飯があればいいだろうっていう考えだけど、オカズがないんですよ。あんまりね。オカズが。梅干しとか。現地でオカズを作れって言われるけれど、現地にそんな作る時間ないですよ。穴ばっかり掘らせてね、陣地構築ばっかりして、食事を取る時間なんて与えられないですよ。だからしょっちゅうわたしは梅干しと白米と。梅干しっていう感じ。だから時間があれば陣地構築して穴を掘る。
大砲の弾が来たりなんかした場合に、穴を掘って入っていると死なないんです。破片が入って来ないからね。だから塹壕でも伏せていればかなり大丈夫なんですけれど、それがないとすぐ死にますよ。弾を撃たれるとね。
Q:どのぐらいの深さのどのぐらいの大きさの穴を?
穴を掘る場合は大きな穴ですよ。トンネルみたいなの。普通のところでもこのぐらいの深さのをずっと。かなり長い距離。作るんです。
Q:一つの洞窟を作るのにどのぐらい時間がかかるんですか。
どのぐらい時間って、朝から晩まで働きづくめですから。何が何しようにも何もないですから。朝から晩まで日が当たっている限り。もう働いてばかりだから。お互いに話すなんて事も少ないです。
Q:それが何日ぐらい続くんですか?
それが無限なんですよ。一日の休みもない感じなんです。無限に続くんです。同じ状態が。重労働もいいところですよ。だからしまいには頭がやっぱり精神的にみんなおかしくなりますよ。
だから命令が何日から何日までここ掘って、こうこうってなっているんだろうけれど、現地でやっている人間には、まずいもの食って穴ばっかり掘らせるなんてキチガイになりそうです。キチガイになりかけるころに敵が来て、殺し合いになって戦争になれば多少労働から免れますからねぇ。とにかく行ったら地獄です。身体が若かったから。もう死ぬしかないですよね。
機関銃の銃座を置くところを作るのが椰子の木で、こう盛って作るんです。普通の小銃を撃つ所はそれはないです。ただの穴です。
Q:椰子の木運びなんかもさせられた。
そうそう、もちろん。殺されれん限りは何でもやらなきゃいけないわけですねぇ。
■制裁の日々
制海権を失い補充兵の来ないニューブリテン島では、水木さんはいつまでも初年兵扱いで、制裁を受け続けた
軍隊は階級です。ちょっと違っただけで、パチパチ殴られるからね。星が一つ違うだけで。
Q:どういう事で、殴るんですか。
それはいろいろなあれですよ。運び方が遅いだのって言えばなんぼでも殴るあれは出て来ますよ。理由はね。要するに敵が来ないでちょっとヒマなときは殴られます。パチパチパチパチパチ。
毎日殴られたりとかなんかだから。それを防衛するので精一杯だったから。先の事なんか全然。パチパチパチパチ殴られるんです。これほど殴ってもいいのかなぁっていう程、わたしはだから365日殴られてた。だからそうするとね、殴られまいとするし、殴ることに対するなんかでね、エネルギーは十分にそれで使い果たされます。殴られる事のために先の事とか何か考えられないです。それほどひどくなるんです。わたしなんか毎日ですから。パチパチパチパチ。たいがいは参ります。
防衛は自分の防衛が精一杯です。殴られまいとする防衛。だから全体がどうなっているっていう事は大して思いが及ばないですねぇ。パチパチパチパチおもしろいように殴るんです。だからこの辺がはれましたよね。毎日殴られるから。丸顔になっていましたよ。そのころは。
■たった一人生き残った水木さん
昭和19年(1944年)4月末、水木さんは分遺隊の一員としてズンゲンの南、最前線のバイエンに派遣された
そこから10人選ばれてバイエンっていう所に行くんです。いちばん真っ先に。そこからがやっぱり大変ですよ。
Q:バイエンはズンゲンから、どんな風にして行ったんですか。
50里ほど先を歩いていく。
Q:途中どんなんでしたか。大変でしたか。
大変も何も原始林です。海岸通るけれど人も何も誰もいない。土人の部落もないし。何もないです。そこへ行けばもうダメだろうと思っていたけれど、予想どおりやっぱりだめで。わたし一人生き残ったんです。
Q:その場所には何人ぐらいで。
10人。
Q:途中食糧なんかはどうされたんですか。
食糧はやっぱり持って行くんです。
Q:何日ぐらいかかりましたか。
5日ぐらいだったかなぁ。何しろ向こうは暑いからねぇ。そんなにいっぺんに行けないですよ。食糧持って。
10人しか生きていないわけだから。しかも一戦の中の一瞬ですよ。
Q:そのときに襲って来たのはどういう人達ですか。
敵です。敵です。
Q:敵というと。
敵のでしょうね。特殊部隊でしょうねぇ。ちょうどわたしは歩哨に立っていたから。みんなが寝ている幕舎にいなかったから。助かったんです。
Q:戻ったときに皆さんが全滅しているときを見たときっていうのはどうだったんですか。
見たときって、あんた。逃げなきゃあんた、殺されますから鉄砲をバラバラバラって、弾がすると同時に逃げるわけです。それで助かるわけです。もう居る人はそのまま死んでしまう。すぐ。すぐ死ぬ。だからそうやって生きて帰ったことに対して死ねって言うんですよ。あんた。そんな馬鹿なこと
いちばんもう先の前線ですよ。そこでわたしは歩哨に立っていたんです。そうしたら、明け方敵が来て、兵舎全滅です。わたし一人生きて帰るわけですよ。5日間かかって。そうしたら死ねっていう命令なんです。そんなばかな話ないですよ。みんなが死んだんだからお前も死ねって。死ねって言われたってねぇ。わたしはだからすぐは死ねなかった。ばかばかしくて。だから命令を聞いたけれど、だまって生きていたんです。
そこは文字通り全滅でわたしだけ生きて帰った。一人。一人生きて帰った大事な人をね、死ねっていうわけですよ。困りますよね。死ねっていうわけです。なんで一人生きたからって死ねって言われるのかって思いました。
うれしいわけですしね。助かったって。わたしは運の悪い所にいたからね。ズンゲンの他にバイエンってところは全滅したところで。そこにいたから。えらかった(きつかった)ですよね。一人生き残ったから「一人生き残ったから死ね」っていうような事を言われたからね。全滅を免れたわけだけれど、「一人生き残ったから死ね」っていうわけです。わたしは歩哨に立っていたからね。それで一人生き返ったけれど「死ね」って。
歩哨に立っていた。だから兵舎よりもちょっと離れたところにいた。それで助かったの。だから兵舎にいた人間は全部死んだ。だから歩哨に立っていて、助かった。歩哨に立っていて助かったわけだけど、「死ね」って言うわけですよ。
Q:死ねっていうのは自決しろって事なんですか?もう一回戻れって事なんですか。
自決しろっていう事はね、やっぱりみんなの見せしめのためにもね、そうしておかないとまずいという、やっぱりね。10人おって一人だけ助かって。どうこうっていうよりは、全部殺した方が次の戦争をしやすいって感じになるんじゃないかなぁと思いますけれど。だから死ぬのは困りましたよ。本当。生きているのに。
■重傷
昭和19年6月、マラリアにかかった水木さんは療養中に爆撃を受け、左腕に大怪我を負った
マラリアはしょっちゅうです。みんな熱発したりして、マラリアはあれ、熱が出ないときと出るときとあるんです。ほとんどの人がマラリアになるんです。行けばね。
Q:マラリアになると、どんな風になるんですか。
身体がだるくなってね。42度ぐらいの熱が出る。だからその42度ぐらいの熱が出る前にね身体が冷えるような感じがするから。そのときに安静に寝ていればいいわけですけれど、マラリアでも働かされる場合があるんですよ。初年兵は自由にしゃべれんもんだからね。
熱が42度出るんですから。だからなかなか休ませてもらえんけれどね。マラリアで42度出れば休められます。だから階級がいちばん下だとね、やっぱりあんまりこう休めないんですよ。
■ワニに襲われた兵士
危険な河とかワニがいて、すぐ真っ先にやられるんですよ。で、ワニってヤツはね、海水には弱い。だから海水にまざった所を土人は通ります。ワニは海水はまずいらしいね。だから海水でない所に住んでいます。だからネープル湾っていうワニがいる所は土人たちは海水と混ざり合った河口を渡っていましたね。で、普通の所は危ないからあれしないんです。
Q:ワニを見た事あるんですか。
あります。しょっちゅういます。目だけだしてこうして見ている。目と鼻だけ出してね。しょっちゅういましたよ。
Q:日本にいない動物だからびっくりしますよね。
動物だからって言うよりもね、予想を超える敏捷さです。食べられるときは。だから動物がワニ見て安心してはいかん。ものすごい早さだから。もう、ぱっと見付かったらおしまいですよ。河を渡るときは。だから海の方の海水を渡った。ちょっとでも普通の所をちょっとでも渡るともうダメ。すぐ食べられますよ。速いです。
Q:ワニに襲われた人もいるんですか。兵隊で。
いますいます。ちょっと洗濯しただけで失敗する。洗濯したらダメです。ぱっと手を引きずり込むんだから。だから初めの頃はワニの速さが分からんから洗濯して2~3人兵隊が死んだけれどね。それでもう危険だから洗濯するなって事になったわけです。
■「ラバウル戦記」
水木さんは昭和21年3月復員
自分の戦場体験を「ラバウル戦記」にまとめた
思い出とか、苦しいっていうのはね、1日じゃなくて全部そうです。全部。軍隊の中で1日でも楽(らく)っていう事はない。2年間なら2年間地獄です。深呼吸なんか出来ない。それはその期間はないです。毎日毎日が同じです。
思い出すとやっぱり懐かしいわけですね。だから余計いろいろ想像して描くわけですよ。おもしろがって。まぁそれにしても21年で死ぬっていうのはあまりいい事ではないですよねぇ。生き延びようとするのは当然じゃないですかねぇ。やっぱり25ぐらい(の将校)が命令するわけですから。思い出さないですね。やっぱり避けて、避ける思い出かもしれんねぇ。わたしなんかしょっちゅう殴られていたからねぇ。あんまり思い出したくないわけです。毎日殴られるんですよ。
→兵士達の戦争 『生き延びてはならなかった最前線部隊~ニューブリテン島 ズンゲン支隊』へ



















































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