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兵士達の戦争 『生き延びてはならなかった最前線部隊~ニューブリテン島 ズンゲン支隊』

このwebページは、8月13日(金) 午後0:30~1:15 にNHK BShiで放映された番組『生き延びてはならなかった最前線部隊~ニューブリテン島 ズンゲン支隊』を視聴しながらメモし、それをまとめたものです。

【内容説明】
太平洋戦争の終盤、大本営に「全員玉砕」と報告されながら、半数近くが生き延びた部隊があった。
南太平洋、ニューブリテン島の前線に送られた「ズンゲン支隊」。総攻撃後も生き残った150人あまりの将兵は、司令部から厳しい追及を受け、自決に追い込まれるる者も現れる。兵士たちはなぜ“玉砕”しなかったのか? 生き延びた将兵のその後は? 戦うことより死ぬことを求められ続けた兵士たちの戦争を描く。

 

 

 

 

ニューブリテン島の東端に位置するラバウルは日本軍の最重要拠点の一つだった。

天然の良港を持つこの地には大規模な軍港や航空基地が築かれ、陸海軍の司令部が置かれ、10万の日本軍兵力が駐留していた。

 

昭和17年以降の連合軍の大規模な反抗が始まると、各地で敗退を重ね、昭和19年にはサイパン島グアム島が次々と陥落、ニューブリテン島は日本軍の勢力範囲の外となり孤立する。(↓は日本軍の勢力範囲とニューブリテン島の位置を表す地図)

 

20100908_new_britain_small

 

そのニューブリテン島にも連合軍が上陸し、日本軍の支配地はラバウルのある島の東側だけになっていた。

ラバウルを防衛するため、島の最前線に派遣された部隊が歩兵第229連隊を中心とした二個中隊およそ400人。この部隊は、ガダルカナル島などの激戦地を転戦しラバウルに集結したが、既に兵力の多くを消耗していたため、他の部隊から補充した寄せ集め部隊であった。 

この部隊の隊長は当時28歳の成瀬偉民(なるせよしたみ)少佐で、実践を指揮した経験がほとんどない。しかし、既に経験豊富な指揮官は失われていた。

部隊が向かったのはラバウルの南約80キロのズンゲン。部隊に命じられたのは『遊撃持久戦』で、正面からではなくゲリラ的な攻撃をしかけ、敵を牽制する戦法だった。(↓はニューブリテン島における日本軍の勢力範囲とズンゲン、ヤンマーの位置を表す地図)

 

20100908_new_britain_large

 

昭和20年1月、成瀬支隊長をラバウルの司令部から参謀が訪ねる。この参謀がズンゲンを『死守すべき』と述べたことでズンゲン支隊の任務が大きく変わった。小部隊に分かれ臨機応変に戦う遊撃戦から、主陣地に立てこもり最後まで戦うことになった。

当時、連合軍はラバウルを素通りし、日本本土に向かっていた。第八方面軍司令官、今村均大将(*1)は配下の部隊に的(まと)をラバウル方面に引き寄せるため、ニューブリテン島で積極的な攻勢に出る。

 

20年3月、日本軍の動きに刺激されたオーストラリア軍の大規模な攻撃が始まる。その兵力は日本軍の10倍を超えた。

攻撃の翌日には ズンゲンに作った陣地の一つが陥落し、成瀬支隊長は兵士達に切り込みを命じる。夜陰に紛れて敵に近づき殺すという戦法である。 

次々と陣地は落とされ1週間後には最後の一つしか残っておらず、水源地も奪われたため、兵士達を激しい乾きが襲う。

しかし、ラバウル攻撃に備え、ズンゲンに援軍が送られることはなかった。兵士のやり場のない怒りがラバウルに向かう。 

 

二週間にわたる激しい戦闘の上、支隊長は玉砕を命令、大本営に電報で伝えた。

残された陣地に集まった兵士がこの時の成瀬支隊長と神宮寺中隊長の声を聞いている。神宮寺中隊長「おれ達の意志は若い者が継いでくれる。おれ達は靖国に行って待っている」と熱っぽく話していた。成瀬支隊長は「うん、うん」と答え、ラバウルに最後の決意を打電。

ズンゲン支隊の暗号兵がこの時成瀬支隊長から渡された電報の内容を暗記している。「ズンゲン支隊は今夕を期し敵陣に切り込みを敢行する。今日までのご支援ご協力に感謝する。ラバウル10万将兵のご検討と武運長久を祈る」というものだった。

しかし、この電報はラバウルの司令部を驚かせた。戦い続ける兵力は残っており玉砕はまだ先と考えていたからだ。玉砕をやめさせようと電報を打とうとしたが、通信機材が破壊されいて連絡が取れず、やきもきしていた。 

ズンゲンの兵士も命令に不信感を持った。劣勢とは言え、食料も弾薬もまだあり切迫した感じではない。

ところで、この命令に異を唱えた中隊長がいた。児玉清三(*2)中尉で、200人の兵士を率いていた中隊長で実戦経験も豊富だった。「部下を犬死にさせてはいかん」と支隊長に談判。成瀬支隊長は押し切られる形で、児玉中尉の隊のみ別行動を認める。52人くらいの兵隊を五個分隊に分け、ジャングルの地形を生かしたゲリラ戦を行うことにする。しかし、後に児玉隊に大きな困難が待ち受ける。児玉中尉はマラリアが悪化し歩けなくなったため、一人残って拳銃で自決。将兵は指揮官不在のまま更に後方を目指すことになる。

 

3月18日朝、成瀬支隊長率いる部隊が総攻撃に向かう。しかし、玉砕命令に不信感を抱き、自分の判断で隊を離れた者もいた。

また、将校の中には部下の兵士に玉砕を命じるのにためらいを抱くのもおり、ある隊では、突撃前夜、部下に「第一回の攻撃が成功に終わったら、現在の位置まで集合」という指示を与えた者もあった。この隊に所属していて生還したした元兵士は、この命令を聞いて「もしかしたら助かるかも知れない」と思ったと言う。

 

3月19日早朝、 成瀬支隊長は陣地に突入し戦死したが、多くの将兵が行動を共にすることなく生き残った。

司令部に玉砕したはずの将兵が数多く生き残っているという知らせが入った。既に大本営に報告し、ラバウル全将兵の模範とたたえていた。このままでは「天皇陛下に嘘をついたことになる」、どう処理をしたらいいのだろうか...。事情聴取に向かう。

生き残った兵士は150名あまり。憲兵隊に拘束され尋問を受けた軍曹は、自分たちが『いてはならない存在になっている』ことを知る。

司令部の与えた命令は、ズンゲン部隊に対しては一食も与えず、ズンゲンに戻って敵に突入せよ、であった。

将兵は疲弊しきっていたが前進する。しかし、その行く手を豪雨で増水した川が阻む。結局、ズンゲンにたどり着けずヤンマーに集められる。参謀が来て尋問するが、既に成瀬支隊長も児玉中尉もいない。そのため、最も位の高い中尉と少尉が自決に追い込まれる。自ら墓標をたて、腹を切り、小銃で撃って介錯の代わりとした。これで師団司令部のメンツを立てたのだ。

後任は現在も存命の岡本大尉で、これに対し、ヤンマーを死守すべしと言う命令が下った。「下がってはならない。死ぬまで戦え」という意味だ。皆、死を覚悟する。

しかしこれ以降、連合軍による大規模な攻撃はなかった。約3ヶ月後終戦。結局、部隊は死を賭して戦うことはなかった。

 

*1 過去の記事で紹介した『歴史家の立場』(会田雄次著)によると、今村均大将は、戦後は座敷牢を作って自己監禁し、そこから出るのは死んだ部下のを弔うだけに限った。

*2 ドラマ『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』では石橋蓮司演じる中隊長

【追記】
NHKのサイトに、水木しげる氏の戦争証言(インタビュー音声)を見つけたのでリンクを貼っておきます。(いつまで残っているかは分かりませんが、こういうのは残していて欲しいと思います。) 

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130006_00000
 
20100920_syougen

 

 

 

 


 

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