【韓国の歴史認識】東学党の乱 132周年記念式典での李在明大統領のスピーチ
「東学党の乱」... 現在では日本の辞書は「甲午農民戦争」と表記している様ですが、『大辞林』の説明ではこのようになっています。
- 朝鮮で1894年(甲午の年)東学の信徒が主導した農民戦争。地方官の悪政に反対した全羅道の農民の蜂起に始まる。朝鮮王朝政府は鎮圧のため清(しん)に出兵を求め,清に対抗して日本も出兵,日清戦争の契機となった。東学党の乱。
- 東学とは、朝鮮王朝末期,崔済愚(さいせいぐ)が創始した新興宗教団体。西学(キリスト教)に対し,固有の民間信仰をもとに儒仏道三教を折衷したもの。東学党。
実態については後述することにして、韓国の左派(現与党)は以前からこれを「抗日闘争」と位置づけ、これに参加した人達を独立有功者とし、その子孫に特典(独立功労者礼遇法)を与えるという法案を2023年に提出し、これを数にものを言わせて議決してしまいました。 〔※『中央日報』、『朝鮮日報』記事後述〕
単に反日扇動だけでなく、このような「独立有功者」を認定する制度や組織を作ることは、仲間に仕事を与え、自分達の支持者に ”飴” を与えるバラマキ政策の一つだと思われますが、この国はいつまで過去に生きているのでしょうか... ?
なお、李朝の官軍に捕らえられた反乱軍の首魁、全琫準を、井上馨日本公使はその人間性を買って、処刑しないように李王家に要請していましたが、井上が不在の時に処刑されてしまいました。
https://www.yna.co.kr/view/AKR20260511068300001
聯合ニュース(韓国語): 李대통령 "동학농민혁명, 韓 민주주의의 위대한 첫 발걸음"
李大統領「東学農民革命、韓国民主主義の偉大な第一歩」
2026年5月11日
李在明大統領は11日、「国民が国家の根本であり主人であることを悟らせた東学農民革命は、韓国民主主義の偉大な第一歩だ」と述べた。... さらに「独立運動と4·19革命、5·18民主化運動を経て『ろうそく革命』と『光の革命』へと絶え間なく受け継がれてきたその精神は、今日の大韓民国を世界が注目する模範的な民主主義国家へと花開かせた根源である」と意味付けた。...
少し補足すると、4.19革命とは、李承晩が亡命せざるを得なくなった不正選挙(副大統領選挙)が発覚したことをきっかけに起こった暴動。5.18民主化運動とは所謂「光州事件」(1980年)で、多くの韓国人は左翼勢力(南朝鮮労働党など)による暴動だと信じていますが、政府によって「民主化運動」と位置づけられ、これに公に異を唱える者は罰金や禁固刑の対象になります。ろうそく革命とは、朴槿恵大統領をでっち上げの罪状で弾劾した事。これにより、文在寅政権が誕生しました。
笑ってしまうのは、『光の革命』とは、尹錫悦大統領が非常戒厳を出したことで弾劾され、それによって李在明政権が生まれた事を言うようです。
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東学党の乱に関しては、ブログ主の説明の代わりに、Xの「ナユタ」さんという方の投稿を機械翻訳でご紹介します。
プライバシー情報にはブログ主は関心はありませんが、この方の背景をご紹介することが信憑性にも繋がるので、簡単に説明すると、日本人女性とご結婚なさって現在は(10年ほど前?に)日本に帰化し、日々、Xで韓国の歪んだ歴史認識を正す投稿をされています。
以下、ナユタさんの投稿です。〔原文は韓国語〕
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李在明が「民主主義の偉大な第一歩」と称する朝鮮時代の東学農民運動の真実
5月11日の東学農民運動記念日を「民主主義の偉大な第一歩」と位置づけ、政治的シンボルとして活用している李在明。
しかし、歴史的事実を見ると、この運動を「民衆の正義の革命」や「民主主義の起源」として美化することは、かなりの歪曲である。東学農民運動は朝鮮後期の社会の矛盾を露呈した事件ではあるが、同時に暴力、略奪、迷信、強制動員という暗い側面を数多く内包した民乱(内乱)であった。
韓国で独立運動家として知られている黄玹〔※号は梅泉〕が東学農民運動の実相を記録した『梧下記聞』(国家登録文化財)を確認してみると、黄玹は東学を「妖術」あるいは疑似宗教的な性格を持つ宗教として描写し、「東学でなければ生き残れない」といった調子で民心を扇動したと記している。
東学農民軍は集団で村を回り、金持ちの家を略奪し、女性を強姦する行為で地域社会から大きな非難を受けた。さらには、両班の家の妻や娘を強制的に連れ去り、結婚させた事例まで伝えられている。これは単なる「蜂起」ではなく、統制の取れていない暴力集団の振る舞いへと発展したことを示している。
東学軍は、東学の信徒ではないという理由で拷問したり、強制的に入信を強要したりした。生き残るために偽って信者だと主張しなければならず、経典の内容を暗記してこそ疑いを免れることができたという記録も残っている。
一部の東学軍は一般の民衆を強制的に引き入れ、戦闘の先鋒に立たせたり、お守りや呪文で銃弾を防げるという迷信を信じ込ませたりした。これは農民を保護するどころか、宗教的狂気と集団的狂乱へと追い込んだ。
韓国で教科書やドラマを通じて接する東学農民運動は、「反封建・反外勢の民衆革命」というイメージが支配的である。全琫準は「緑豆将軍」として英雄化され、国家記念日まで指定され、有功者礼遇法、特別法、さらには一部地域での遺族手当まで推進されている。しかし、こうした政策は運動の否定的な側面をほとんど排除したまま、「正義の農民蜂起」という単一の物語だけを強調している。
東学の「人乃天」思想は人間の平等を強調したと評価されているが、当時の運動は平等な民主主義を目指したものではなく、既存の秩序に対する怒りと宗教的熱狂が入り混じった混沌とした蜂起であった。既得権益層の放蕩や官吏による収奪という社会的背景は確かに存在したが、その解決方法が略奪や強制、迷信に依存していたという点は、決して美化できない部分である。
運動が拡大すると、朝鮮政府は清国に援軍を要請し、これを牽制した日本軍が介入したことで日清戦争へと発展した。その後、第2次蜂起と牛禁峙の戦い 〔※우금치 전투(1894年11月)〕での敗北により、運動は崩壊した。
黄玹の記録によると、清軍は略奪や強制徴発で民衆に被害を与えたが、日本軍は軍律が厳格で物資を自給自足したため、民家への被害を相対的に軽減したという。結局、この運動が結果として外勢の介入を招き、朝鮮の主権をさらに弱体化させたという事実は否定しがたい。
東学農民運動は、極度の社会混乱の中で農民たちの抵抗、宗教的結束、暴力と略奪、外勢の介入が絡み合った複合的な事件である。これを「民主主義の偉大な第一歩」と断定することは、歴史的事実を政治的に利用する行為である。
歴史は複雑だ。その複雑性を認めず、「民主主義の偉大な第一歩」というスローガンで単純化する李在明をはじめとする韓国の政治家たちが叫ぶ「東学農民運動=民主主義」という枠組みは、都合の良い政治的道具に過ぎず、歴史的真実とは程遠いものである。
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赤字にした部分は黄玹の『梅泉野録』では以下の様な記述だそうです。原文と日本語訳をご紹介します。
이 전쟁에서 왜인은 모든 군수물자를 다 자기 나라에서 수송해 왔는데, 땔감과 석탄까지 도 그러하였다. 저들은 이르는 곳마다 물을 사서 마셨고, 군령이 매우 엄하여 우리 백성들 이 군대가 와 있다는 것을 의식하지 못할 정도였다. 그래서 모두들 기꺼이 그들을 위하여 향도(嚮導, 길잡이)가 되었던 것이다. 청국군은 음행과 약탈을 자행하고 날마다 징발하기 를 일삼아 관민이 모두 곤란을 당하여 그들을 원수 보듯 하였다. 평양이 포위되었을 때 문 을 열고 왜를 인도한 자도 있었고, 청국군이 패하여 도망가 숨어 있으면 성 안의 백성들이 그 숨은 곳을 가리켜 주어 벗어날 수 있는 자가 드물었다.
この戦争において、日本軍はすべての軍需物資を自国から輸送してきたが、薪や石炭に至るまでそうであった。彼らは行く先々で水を買って飲み、軍令が非常に厳しかったため、我々の民は軍隊が来ていることさえ意識できないほどであった。そのため、皆進んで彼らのために案内役を務めたのである。清国軍は淫行や略奪を横行させ、毎日のように徴発を繰り返したため、官民ともに苦難を強いられ、彼らを仇敵のように見なした。平壌が包囲された際、門を開けて倭を案内した者もいたし、清国軍が敗れて逃げ隠れしていると、城内の民衆がその隠れ場所を教え、逃れることができた者は稀であった。
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以下は、2023年の『中央日報』の記事で、歴史問題では反日的な韓国メディアでも、「東学党の乱を抗日闘争と呼ぶのは無理がある」という趣旨の記事なので記録しておきます。
https://www.joongang.co.kr/article/25196626
동학이 항일투쟁이라고?
2023.10.03
https://japanese.joins.com/JArticle/309710?sectcode=120&servcode=100
【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(1)
2023.10.03 15:56
左右を見回すという意味の「左顧右眄」が必要な時がある。政界が歴史的事件を評価する場合だ。野党は独立運動家の洪範図(ホン・ボムド)論争が収まる前に今度は東学を取り出した。国会常任委員会小委員会で強行処理された東学法改正案は直線的でとても洗練されているとはいえない。1894年東学農民蜂起(東学党の乱)参加者を「独立有功者」として待遇して「玄孫」まで教育・就職・医療の恩恵を付与しようというものだ。「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開したから」独立有功者、130年前のことなので玄孫だとした。家系図をひっくり返して高祖父の行跡を調べないといけないかもしれない。
文化体育観光部傘下「東学委員会」に登録された人は東学運動参加者3745人、遺族は1万3000人余りだ。はるか昔のことで先代の証言と口伝を収集してもっと登録するよう求めた。遺族が数万人増えるかもしれない。東学軍の足跡が韓国の随所に散在しているからだ。当時参戦したオ・ジヨンの陳述によると、公州牛金峙(コンジュ・ウグムチ)の戦い(1894年10月)で2万人余りが戦死した(『東学史』)。任実(イムシル)に居住していた黄玹(ファン・ヒョン)は最も激しい戦いとして蟾津江(ソンジンカン)の戦いを挙げた(『梧下記聞』)。康津(カンジン)と長興(チャンフン)地域の1余万の東学軍は大邱(テグ)まで進撃し、その帰り道で蟾津江で待ち伏せした官軍と日本軍の攻撃を受けた。銃に撃たれて溺死した死体が蟾津江を血の海にしたと黄玹は書いている。羅州(ナジュ)の戦いでは「官軍が農民軍2万人余りの首を切った」とした。
一体農民軍の戦死者はどの程度だろうか。『天道教創建史』は20万人以上、朴殷植(パク・ウンシク)は『韓国痛史』で30万人、オ・ジヨンは30万~40万人と推算した。京畿道(キョンギド)南地域の成人男性のほぼ10%に該当する規模だ。農民軍の相手は主に官軍、守城軍、民堡軍(両班の士族)だった。古阜(コブ)蜂起、茂長(モジャン)起包、井邑(チョンウプ)黄土峴の戦いと全州(チョンジュ)城陥落まで官軍および郷土軍と戦った。日本軍が介入したのは日清戦争勃発により朝鮮摂政官の袁世凱が清国で逃げてからだ。牙山(アサン)湾の海戦(同年6月)、平壌(ピョンヤン)城の戦い(8月)で清軍を大破した日本軍は甲午内閣の要請を受けて東学軍に視線を転じた。牛金峙、清州(チョンジュ)、蟾津江の戦いで農民軍の主力が日本軍とぶつかった背景だ。
2代目教祖崔時亨(チェ・シヒョン)が詠んだ『龍潭遺詞』にこのような一節がある。「犬のような外敵の輩をはね除けて」「大報壇に誓って洋夷の怨みを晴らしてみせよう」(「安心歌」)。1894年春の白山(ペクサン)決議文には人間尊重、聖軍秩序、倭洋と権貴の逐滅を宣言し、全琫準(チョン・ボンジュン)が作成した傑出した文書『茂長布告文』も教祖伸寃〔教祖・崔済愚(チェ・ジェウ)の無実の罪を晴らすこと)、貪官汚吏清算、斥倭洋の順で大義を明らかにした。外勢をはね除けて正しい国を作るという強い民族主義の源流と解釈するのはよいが、「日帝の侵略に対抗して抗日武装闘争を展開」したという意図的な強調は本末転倒に該当する。学界でそのように警戒した運動圏的な歴史編集だ。牛金峙の戦いで農民軍は3000の官軍と2000の日本軍連合部隊と戦ったがそれが抗日闘争なのか。
【コラム】東学が抗日闘争だって?=韓国(2)
独立有功者になるには農民軍の胸中に「抗日闘争」という旗印が翻っていなくてはならない。竹槍と鍬(くわ)を持って武装(南接)と報恩(北接)集会に自主的に集まった農民軍の内面に独立と抗日があっただろうか。火縄銃を持って日本軍のガットリング機関銃の前に突進した意気は何だったのだろうか。「座れば竹山、立てば白山」の1万人余りの農民軍の脳裏にはまず除暴救民が刻印されていた。支配層の収奪から家族生計を救おうとしていた民衆だった。それを遮る外勢はもちろん、外勢を呼び入れた朝廷も敵だった。「輔国安民(国を正して民を安らかにする)」はそのため登場した。死を恐れず突進した力は内面の声、すなわち東学の教理だった。
東学は彼らにハンウル様(神様)の声を聞かせ、侍天主すれば永生不滅だという信頼を植え付けた。彼らは東学教徒だった。東学は西学(キリスト教)に対抗した学問であり、天道を人民のものにした民衆宗教だった。ハンウル様が霊符と先約を与えた。形状は太極であり弓弓だった。霊符を受けて呪文を唱えれば病気が治り、天の心に達する。弓弓村は民間が渇望する楽園で、万事が調和をなす(造化定)理想郷だ。日本軍に突進する農民軍は「弓弓」というお守りを胸に付けていれば弾丸が避けていくと信じていた。
ハンウル様が自分の胸中に降りてくれば支配層の宗教が自分の宗教になった。四民平等に目を開き、皆が神だという「事人如天」の思想が芽生えた。東学は朝鮮最初の「宗教改革」だった。まるで欧州中世のルターが「信仰のみ(solafide)」という悟りで宗教改革をスタートさせた過程と似ている。創教者の崔済愚がルターなら、海月(へウォル)崔時亨は改新教理を伝播したカルヴァンで、全琫準は農民戦争を指揮したミュンツァーだった。独立有功者云々の論理は東学の歴史的地平を民族主義の小さな道に格下げする発想だ。
東学法改正案を発議した議員の地方区が井邑というが、井邑黄土峴の戦い(4月)には清軍も日本軍もいなかった。1907年旧式軍隊解散前後の義兵運動こそ独立抗争の宝庫だ。彼らのほとんどが山野で死んだので記録がない。これは郷村野史までひっくり返す価値はある。
宋虎根(ソン・ホグン)/中央日報本社コラムニスト・翰林(ハンリム)大学陶軒(トホン)学術院院長・碩座教授
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https://www.chosunonline.com/svc/view.html?contid=2023092280103&no=1
朝鮮日報: 1894年東学農民運動参加者のやしゃご1万3000人を特別待遇、共に民主党が単独議決
2023/09/22
「独立有功者礼遇」 小委で単独議決
韓国の進歩(革新)系最大野党「共に民主党」が、3745人に達する第2次東学農民運動(1894年)参加者を独立有功者として礼遇し、この人々の孫の孫に当たる代(ひ孫の子ども。やしゃご)にまで各種の恩恵を提供する法律案(東学法改正案)を9月19日に国会常任委の小委員会で強行処理した。保守系与党「国民の力」は、有功者の叙勲を扱うものなのだから法案は文化体育観光(文体)委ではなく国家報勲部(省に相当。以下同じ。報勲部)所管の政務委員会で取り扱うべきだとして退場した。報勲部は翌20日、「有功体系を崩し、過度の特別待遇を与えるポピュリズム法案」だとして反発した。「こうやって壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)の有功者も独立有功者だというのか」と非難の声が強まると、民主党の洪翼杓(ホン・イクピョ)文体委員長は同日の文体委全体会議で「両党が合意して初めて全体会議に上程して処理したい」とブレーキをかけた。
この法案は、第2次東学農民運動に参加した人々が建国勲章・建国褒章・大統領表彰など叙勲を受けた場合、自動的に独立有功者に登録するよう定めている。法案が本会議を通過したら、有功者の子孫は教育・就職・医療分野で政府の支援を受けることになる。文化体育観光部(文体部)傘下の「東学農民革命参与者名誉回復委員会(東学委員会)」によると、今年6月現在で、第2次東学農民運動参加者として登録されている人物は3745人、遺族は「やしゃご」まで該当し、その数は1万2962人に達する。文体部関係者は「遺族の数は2005年から登録している人員全体で、一部は既に他界しているので、実際はこれより減っているだろう」と語った。
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