【日帝陰謀論】華川ダムの名前の謎
韓国のメディアはしばしば日本を悪魔化する手法として、併合期に日本人がやった事の動機を捏造します。
今回は、1944年に完成した華川ダムの堤の名称に巡る日帝陰謀論みたいな話をご紹介します。
華川ダムを建設したのは鹿島建設らしく、『鹿島建設百三十年史 上』によると、主目的は漢江の洪水調節を兼ねた、首都圏への電力供給だそうです。
記事は後回しにして、内容は、「地元住民は『大鵬堤』という名称を要望したのに、日帝は わざと 『鵬』(朋+鳥)ではなく、『䳟』(明+鳥)という見慣れない漢字を使った!」というもの。
どちらも伝説上の鳥を表すそうですが、そもそも住民から「大鵬堤」と命名して欲しいという要望があったのか?、本当に悪意を持って漢字を変えたのか?... この辺りの記録が見つからないので、実際のところはよく分かりません。
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※機械翻訳。「明+鳥」の漢字は環境依存文字らしいので「■」に置き換えます。
https://n.news.naver.com/mnews/article/087/0001188787?sid=110
[강원포럼]화천의 물 위에 숨겨진 이름, ‘대붕’과 ‘대명’ 사이
江原日報:[江原フォーラム]華川の湖面に隠された名、「大鵬」と「大■」の間
2026年04月23日
江原道華川にある人工湖は、かつて「華川貯水池」と呼ばれていたが、今日では朝鮮戦争での大勝利を称える名前として、自然と「破虜湖(パロホ)」と呼ばれるようになった。しかし、この湖が最初に形成された時期、すなわち日本植民地時代に華川ダムが建設されていた当時は、全く異なる名前が使われていた。人々の間では「大鵬堤」と呼ばれていたが、実際にはダムの銘板には「大■堤」という少々聞き慣れない文字が刻まれていた。同じ施設なのに、なぜ二つの名前が存在したのだろうか。
「大鵬」は、中国の古典『荘子』「逍遥遊」に登場する想像上の巨大な鳥である。この鳥は北海から南海まで飛び立ち、万里を飛翔する存在として、古くから「大いなる志」や「大国の飛翔」を象徴してきた。漢字文化圏において、このイメージは単なる動物ではなく、世界を包括する思想的な比喩として機能してきた。もし「大鵬堤」という名称が公式に使用されていたなら、それは単なる貯水池やダムを超え、「巨大な国家事業」あるいは「文明的な飛躍」を象徴する名称として読み取ることができただろう。
ところが、実際の銘板には「鵬」ではなく、「■」という聞き慣れない文字が記されていた。「■」は辞書でも容易に見つからない希少な文字であり、大きな鳥を意味する点では「鵬」と通じるが、古典的な象徴性ははるかに希薄である。この選択は偶然というより、意図的な調整と見られる。つまり、「大鵬」が持つ壮大なイメージは取り入れつつ、それが内包する哲学的・文明史的な重みは、ある程度取り除こうとする試みであったのだ。
ここには当時の植民権力の言語戦略が垣間見える。「大鵬」は『荘子』に由来する中国的な世界観と深く結びついた象徴である。日本帝国が朝鮮を支配していた状況下で、そのような象徴をそのまま借用することは、文化的文脈において負担となった可能性がある。したがって、意味は維持しつつも直接的な連想を避けられる異体字を選択することで、名称の威信は維持しつつ、その解釈の方向性を統制しようとしたものと見ることができる。
もう一つ注目すべき点は、「大鵬堤」という名称が民間で自然に使用されていたという事実である。「■」という文字は一般人には馴染みが薄く読みづらい反面、「鵬」は比較的広く知られていたためである。結局、人々は理解可能な言語で名称を再構成し、その結果、口語では「大鵬」、文字では「大■」という二重構造が形成された。これは、支配権力が設定した公式名称と生活の中の言語が互いに異なる働きをする典型的な事例と言える。
華川ダムとその湖の名前は、単なる地理的表記ではない。その中には、巨大な土木事業を通じて自然を再編し、その上に新たな秩序を与えようとした時代の意図が込められている。そして、「大鵬」と「大明」という二つの文字の間の隙間には、象徴を借用しつつも、それを完全に露わにしようとはしなかった、微妙な権力の計算が潜んでいる。
今日、私たちが「パロ湖」という名前でこの空間を呼ぶとき、その下には、かつて「空へ舞い上がる巨大な鳥」を夢見た名前と、それをさりげなく隠そうとしたもう一つの名前が幾重にも重なっていることを覚えておく必要がある。今、華川には「パロ湖」がある。
イ・ムホン記者 trustme@kwnews.co.kr
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補足の為に『朝鮮日報』の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者の記事から、以下を引用します。タイトルからも分かる様に、堤防の名前は本題ではありません。
https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/24/2016082400056.html
[박종인의 땅의 歷史] 고단한 삶은 끝나고… 사람들은 호숫가를 걸으며 안식한다
【パク・ジョンインの土地の歴史】疲れた人生が終わり··· 人々は湖畔を歩きながら安らぐ
2016.08.24.
パロ湖は、1944年に日本総督府が首都圏の軍需工場への電力供給を目的として発電所を建設した際にできた人工湖である。もともとパロ湖という名前ではなかった。大鵬湖と呼ばれていた。その後7年後の1951年、湖の名前はパロ湖に変更された。大鵬湖という名前はすぐに忘れ去られた。
1987年4月、湖の北側で平和のダム建設が始まった。湖の水が引いた。華川ダムの脇で一つの石碑が発見された。そこにはこう記されていた。「大■堤 昭和19年10月 竣工」。大鵬が住む湖ではなく、聞いたことも見たこともない「■」が住む堤防だと?悪辣な日本統治時代の策略に、華川は騒然となった。果たしてそうだろうか。「■」は南方の世界に棲む伝説の鳥だ。水に感応する神鳥である。鳳凰よりも明鳥の方が湖の名前にふさわしく、「悪辣」「策略」「蛮行」といった言葉は似つかわしくない表現だ。
もう一つ、1987年に発見された石碑の状態です。「昭和」の文字を削り取ったり、故意に毀損した形跡がありますが、恐らく光復(解放)後に行った事でしょう。
整理すると、
- 人造湖なのだから、昔から湖の名前など無かったはず。
- 1944年10月に完成した華川ダムの畔には当初「大■堤」と刻まれた石碑が建てられたが、恐らく、光復後に石碑を傷つけ、ダムの中に捨てた。なぜなら、1987年4月にダム工事の為に貯水量を減らした時に石碑が発見されたから。(石碑があった事も忘れ去られていた。)
- 1951年、破虜(パロ)湖と命名。
cf. Wikipediaによると、1955年、李承晩大統領(当時)がダム湖を訪れた際、「虜」(異民族、蛮族)を「破」したという意味で「破虜湖」に命名。 - 一方、「大鵬湖」の名前も伝えられてきた。
となりますが、ここで疑問が湧きます。
「鵬」と「■」では読み方が違います。朝鮮語では何と発音するのか分かりませんが、日本語なら「ホウ」と「メイ」です。
「大■堤」と石碑に書かれているのを「大鵬堤」と誤読したのか、「大メイ堤」が気に食わないので「大ホウ堤」と呼び変えて伝えていく内に「大メイ堤」の名前は忘れ去られたのか... 。
いずれにしても、「■」の漢字を使った理由(動機)を、「悪辣な日帝」というイメージから妄想しているだけとしか思えません。
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