【竹島】年表(時系列)
このエントリーでは、『竹島問題100問100答』(月刊WiLL 2014年 3月号増刊)巻末の年表をベースに加筆した年表を提示する。
◆江戸時代は現在の鬱陵島は「竹島(または磯竹島)」、現在の竹島は「松島」と呼ばれていた。江戸時代の鬱陵島は無人島
1618 江戸幕府が、大谷・村川両家(米子)に、鬱陵島(当時の日本名「竹島」、一部では「磯竹島」とも)への渡海を許可する(1625年とする説もある)
※1417~1881年の間は朝鮮政府は、倭寇対策として「空島」政策、即ち鬱陵島は無人島だった。
1650年代 この頃、「松嶋絵図」が描かれたとみられる
1967 齋藤豊仙(松江藩士)、「隠州視聴合紀(記)」を著す
◆「元禄竹島一件」から江戸幕府が鬱陵島への渡海を禁止するまで
1692 村川家の船頭たちが鬱陵島で朝鮮の漁民と遭遇
1693 大谷家の船頭たちが鬱陵島で朝鮮の漁民と遭遇。安龍福と朴於屯の二名を、隠岐島を経て、鳥取藩に連れ帰る
※ ここから、鬱陵島への渡海禁止が決定されるまでの騒動を「竹島一件(元禄竹島一件)」と呼ぶ。この「竹島」は鬱陵島の事。
- 鬱陵島への出漁をめぐり、日本(対馬藩)と朝鮮国の交渉が始まる
1696 江戸幕府が鬱陵島への渡海禁止を決定し、鳥取藩に伝える
1896 6月 安龍福らが鳥取藩に訴え事があるとし、「朝鬱両島監税将」と官名を詐称して隠岐島に現れる → 国外追放
※ 帰国した安龍福は、朝鮮でも国外渡航のかどで捕らえられるが、日本の将軍から鬱陵島と于山島の朝鮮領有の書契をもらったと偽証する。⇒ 韓国が独島の領有を主張する根拠の一つで、安龍福は韓国英雄となっている。
1896 朝鮮王朝の役人に、江戸幕府の鬱陵島への渡海禁止措置が伝えられる
1697 【朝鮮】朝鮮王朝の役人が帰国し、江戸幕府の渡海禁止措置を報告
1711 【朝鮮】欝陵島捜討に赴いた三陟営将の朴錫昌(パク・ソクチャン)が『欝陵島図形』を作成
- 鬱陵島とその周辺の島(現 竹嶼や観音島)の詳細が初めて分かり、これ以降、「于山島」は鬱陵島の右側(東)... 大凡、現在の竹嶼の位置に描かれる様になる。※ 新羅の時代には鬱陵島は「于山国」と呼ばれ、鬱陵島の詳細が分かる以前は、1530年の『東國輿地誌』(東国輿地勝覧)で「一説には于山と鬱陵は本来の一つの島」と書かれている様に、鬱陵島と于山島はセットで地図に描かれていた。
- 韓国では、古地図に「于山島」さえ描かれてれば ”独島領有の証拠” と言うが、その于山島が現在の独島であるという証拠は提示できていない。朝鮮半島から約130km離れた鬱陵島は適度な距離感を持って地図に描かれているのに、そこから88km離れた竹島が相応の位置に描かれた地図は一切無い。
1726 対馬藩が「竹嶋紀事」の編募を命じる(竹島一件の記録/全5巻)
cf. 島根県サイト: 資料編 (「竹島紀事」他、地図などの資料多し)
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1779 長久保赤水(ながくぼ せきすい)、「改正日本興地路程全図」を出版
1801 矢田高当(やだ たかまさ)、「長生竹島記」を著す(現在の竹島を「隠岐国松島」と記す)
※出雲大社の神官で、隠岐の漁師からの聞き書きなどを基に、竹島(鬱陵島)や松島(現在の竹島)に関する情報をまとめた記録書
1836 今津屋八右衛門が現在の竹島(当時の呼称「松島」)へ行く名目で鬱陵島へ行ったとして処罰される→「天保竹島一件」
※石見国浜田(現在の島根県浜田市)の廻船問屋
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◆鬱陵島や竹島の名称を巡る混乱
1840 シーボルト、欧州で「日本図」を刊行
※ これ以前の1780年代にフランスやイギリスの探検家による測量で鬱陵島の位置を誤り、地図に存在しない島が描かれた。このため、鬱陵島が「Dagelet(ダジュレー島)」と幻の島「Argonaut(アルゴノート島)」の名前で2つ存在した事になる。
※ シーボルトは地図上のアルゴノート島に「Takashima(タカシマ)」、ダジュレー島に「Matsushima(マツシマ)」と表記したため、それまで竹島と呼ばれていた鬱陵島に松島の名前が冠せられてしまった。⇒ 松島と竹島が入れ替わってしまった。アルゴノート島は1876年の英国海軍の海図では存在しない島として抹消されるが、1877年の「太政官指令」の頃はアルゴノート島が地図から抹消される過渡期だった。
※また、西洋の地図に現在の竹島が描かれるのは、フランスの捕鯨船リアンクール号が1849年に竹島を発見した後で、現在の竹島は「Liancourt Rocks(リアンクール岩礁)」と表記され、これを日本人は「リャンコ島」等と呼んだ。
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◆太政官指令:現在の鬱陵島を島根県の版図に含めるか否かの政府回答
1868 9月8日 明治に改元
1877 太政官指令「竹島外一島 を版圖外ト定ム」
- これに先立つ1876年、島根県から内務省に宛てて「竹島外一島」について地籍編成の可否を問う伺いが出される。ここで言う「竹島」は鬱陵島の事で、17世紀に鬱陵島に渡海していた大谷家と村川家の記録を参考にした説明文と「磯竹島略図」を添付した。
- 内務省が、現在の鬱陵島の地籍(土地台帳) 編纂について、「竹島外一島の件は本邦と関係なしと心得るべし」との指令を出す。
- この「竹島外一島」とはダジュレー島と ”幻の島 アルゴノート島” で、どちらも現在の鬱陵島を意味する。
- 韓国が指摘するのはこれに添付された「磯竹島略図」で、磯竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)が描かれている事から、「外一島」を独島だと主張(日本は権利を放棄したと主張)。
- しかし、この島根県と政府との間のやり取りで論じられているのは論旨から、対象はあくまでも現在の鬱陵島である事に注意。当時は、一般には鬱陵島に対する呼び名は「松島/竹島」が混在していた。例えば、太政官指令の前年、1876(明治9)年7月に武藤平学という人が外務省に提出した「松島開拓之議」の松島、1877年1月に島根県出身の戸田敬義が東京府に提出した「竹島渡海之願」の竹島は、どちらも鬱陵島のことであった。一方、西洋の知識が流入した中央では「松島=現在の鬱陵島」だった。
1883 内務省、各府県に「日本称松島一名竹島朝鮮称蔚陵島」への渡海禁止を訓令
- この表題から見ても、「松島/竹島」と、鬱陵島の呼び名が統一されて無かったことが分かる。
1983 日本政府、鬱陵島から日本人二百五十四人を連れ戻す
- 島根県のサイト:明治16年鬱陵島から退去させられた島根県人について
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◆大韓帝国の「勅令第41号」: 韓国はここに言及された「石島」を独島だと主張するが...
1897 【朝鮮】朝鮮国、国号を「大韓帝国」と改称
- 日清戦争(1894年~95)による下関条約で清国は朝鮮の独立承認。
1900 【朝鮮】大韓帝国政府、「勅令第四十一号」を公布
- 勅令第41号は、鬱陵島からの建議書に応じて出された物。その該当地方は縦80里(約32km)横50里(約20km)で、独島は含まれていない。
- その内容は、鬱陵島を鬱島郡に、島監を郡守に格上げし、同郡の管轄区域を「鬱陵全島と竹島、石島」とする。 ⇒ 韓国側は、ここで言う「竹島」は竹嶼(韓国名:竹島)の事で、「石島」を全羅道方言の「独島」だと主張するが、それを示す証拠は出せていない。 石島は観音島と思われる。→ 1906年の項参照。
1903 中井養三郎(隠岐・西郷)が現在の竹島でアシカ猟を開始
1904 9月29日 中井養三郎、「りやんこ島」(現在の竹島)の領土編入と貸し下げを願い出る
1904 2月~195年 日露戦争
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◆1905年、日本政府、竹島を領土に編入
1905 1月28日 日本政府、「島名を竹島とし、日本領土に編入し、隠岐島司の所管とする」ことを閣議で決定
1905 2月22日 島根県知事・松永武吉、「島根県告示第四十号」により、竹島の地名と所管を公示
1906 7月13日 【朝鮮】『皇城新聞』 「鬱陵郡의(の)配置顛末」
- 「該郡主管島は竹島石島で、東西は60里(24km)、南北は40里(16km)... 」
1906 3月27日 神西由太郎(じんさいましたろう)島根県第三部長、東文輔隠岐島司ら県調査団四十四名を率い、第二隠岐丸に乗って竹島を実地調査
- 竹島踏査後、鬱陵島に立ち寄り、鬱島郡守・沈興澤を表敬訪問
→ 翌日、沈は「本都所属独島(獨島)が日本領になったと島根県の官吏が言って来た」と江原道に報告、道は韓国政府に報告
※ ここに「独島」という言葉が出てくることから、鬱陵島の住民の間では「独島」という呼称があったのは事実である。また、1904年9月の『軍艦新高行動日誌』で、松島(現在の鬱陵島)で聞いたところ、「リアンクルド岩は韓人は独島と書き、我が国の漁夫はリャンコ島と呼んでいる」と書いている。しかし、韓国人が現在の竹島を「独島」と呼んでいた事を示す資料はこれ以外に無い。
※ また韓国は、「1905年の時点では日本に外交権を剥奪されており、抗議ができなかった」と主張するが、大韓帝国議政府内部(内務省)の史料には、日本人との間に起こった種々の案件について、統監府など日本側に照会を行っていることなどが記録されている。1905年12月、日本海軍望楼跡地をめぐり、日本人によって土地の不法売買が行われていることを疑った内部大臣李址鎔が、議政府参政大臣朴齊純へ報告し、朴が竹島の場合とは異なり統監府へ照会した。その結果、土地の売買は行われていないことが回答され、同年4月にその旨報告された。
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1910 韓国併合
1939 4月24日 隠岐・五箇村の議会が竹島の五箇村編入を議決
1940 8月17日 舞鶴鎮守府が竹島を海軍用地として引き継ぐ。アシカ漁業は引き続き許可
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※以下はあまり手を付けていません。
◆WWⅡ~戦後
1943 米英中三カ国首脳により「カイロ宣言」が出される
1945 米英ソ ニカ国首脳がヤルタで会談
1945 8月15日 日本が「ポツダム宣言」の受諾を表明
1945 9月27日 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本漁船の操業区域を指定(「マッカーサーライン」)、竹島はラインの外に置かれる
1946 1月29日 GHQ、「指令第六七七号 (SCAPIN-677号)」で、竹島を含む外郭地域に対する日本の行政権行使を停止
- ただし、日本の管轄権等に関する連合国の政策表明ではない旨の規定あり
1946 GHQ 「SCAPIN-1033号」で「マッカーサーライン」を改定、日本の船舶と乗組員に対し、竹島の十二海里以内への接近を禁止
- ただし、領土の決定に関する連合国の政策の表明ではない旨の規定あり
1948 8月15日 【朝鮮】「大韓民国」(韓国)の成立
1950 【朝鮮】朝鮮戦争が起きる
1951 7月19日 韓国政府が米国政府に対し、対日平和条約の中で竹島を韓国領とするよう要望
- → 8月10日 米国が「竹島は一度も韓国領であったことがない」と述べて拒否(いわゆる「ラスク書簡」)
1951 9月8日 「 サンフランシスコ平和条約」調印。朝鮮の放棄を規定、竹島の日本保持が確定
1952 1月18日 【韓国】韓国・李承晩大統領が、一方的に「李承晩ライン」を設けて、竹島を韓国領に含める
- → 1月28日 日本政府、韓国政府に対し、「李ライン」と竹島領有主張に抗議
1952 日韓の国交正常化に向けた第一次日韓会談が開催される
1952 4月25日 「マッカーサーライン」の廃止
1952 4月28日 「サンフランシスコ平和条約」が発効
1952 7月26日 竹島を米軍の爆撃訓練区域として提供
1953 2月4日 韓国政府により済州島西方で日本の第一大邦丸が銃撃され、漁労長が死亡する事件が発生日
1953 3月19日 米合同委員会、竹島の爆撃訓練区域からの削除を決定
1953 6月27日 島根県と海上保安庁が共同で竹島を調査、「島根県穩地那五箇村竹島」の標識を立てる
1953 7月12日 竹島にいた韓国人が、日本の巡視船「へくら」に発砲
- → 7月13日 「竹島に関する日本政府の見解」を韓国に伝達
- → 9月7日 【韓国】韓国政府、「李ライン」内からの日本漁船の退去を命じ、拿捕の強行を開始 → 9月9日 「独島に関する日本政府の見解に対する韓国政府の反駁書」
- → 10月17日 辻政信衆議院議員,巡視船「ながら」に便乗し、竹島哨戒に向かう
1954 2月10日 「竹島に関する一九五三年九月九日付韓国政府の見解に対する日本政府の反駁」
- → 【韓国】韓国政府、竹島に武装要員を派遣して実力による占拠を開始。巡視船に発砲
- 9月25日 【韓国】「一九五四年二月十日付日本外務省口上書第一五号亜二にみられる独島領有権に関する日本政府の見解を反験する韓国政府の見解」
- 同日 日本政府、「竹島領有権問題」について、韓国政府に国際司法裁判所(ICJ)に付託することを提案
- 9月30日~(23日間)、韓国、「独島水路測量」と称して、始めて竹島の実地測量を行う。 〔画像は@jizoh3のポストより拝借〕
- → 10月28日 【韓国】韓国政府、日本政府の提案を拒否
1962 日本、日韓外相会談等の場で、再びICJへの付託を韓国に提案(韓国は拒否)
1962 島根県議会本会議が「竹島の領土権確保に関する決議」を全会一致で採択
- 島根県知事と同県議会議長の連名で、国に対して、竹島の領土権確保を要望(~1976年まで継続)
1965 「日韓基本関係条約」「日韓漁業協定」「紛争解決に関する交換公文」(六月二十二日調印、十二月十七日発効)、李ライン侵犯を理由とする日本漁船拿捕終止
1977 島根県議会が「竹島の領土権の確保並びに周辺漁場の安全確保に関する要望決議」を探択
- 島根県竹島問題解決促進協議会の設立、国に対して、竹島の領土権確立と安全操業の確保を要望(~一九九五年まで継続)
1978 【韓国】韓国、領海十二海里を宣言し、竹島近海から日本漁船を締め出す
1981 【韓国】韓国が竹島にヘリポート施設を設置(以降、断続的に施設設置を続ける)
2005 島根県、「竹島の日」(2月22日)制定
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◆【附録】便利なボータルサイト
【内閣官房ホームページ】竹島資料ポータルサイト
高解像度の各種資料が揃っている。
【島根県】Web竹島問題研究所
論文が多い。
特に地図が多い。
【韓国】 東北亜歴史ネット(日本語版)
説明は兎も角、資料が掲示されている。
【韓国】 東北亜歴史ネット: 正しく知る独島(高校生用)
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