【中国】中国官営メディア「琉球は中国の属国だった」
『共同通信』と韓国の『中央日報』の記事をご紹介しますが、先に回答らしきものを言ってしまえば、シナという中華思想であり華夷秩序の国と交易するためには、「冊封」関係になる必要がありました。そして、交易形態は所謂「朝貢貿易」です。中国はこれを以てして、琉球は「我々の属国だった」と言っているのです。
※冊封: 古く,中国で冊をもって爵位を授けること。また,その書状。冊封の対象は内臣(国内の臣)にとどまらず,外臣(周辺国の君主)にも及んだ。〔大辞林〕
※朝貢貿易: 中国が中華思想に基づいて他国と行なってきた貿易形態。明代に確立。他国は明に対し朝貢の形をとり,年度・数量・人数・経路・入国地点・取引商人・貿易品目・日数などを厳重に規定された。〔大辞林〕
「属国」という表現はさておき、「属国であったから我々の領土」というのは、馬鹿馬鹿しい論理です。
このロジックなら、朝鮮はもちろん、ポルトガルやオランダもチャイナの属国です。また、足利義満が始めた「勘合貿易」〔日明貿易〕も「冊封」関係による朝貢貿易なので、”日本も中国のものだった” と言う事になってしまいます。
以下はWikipedia「日明貿易」より。
>当時の明王朝は、強固な中華思想イデオロギーから朝貢貿易、すなわち冊封された周辺諸民族の王が大明皇帝に朝貢する形式の貿易しか認めなかった。そのため勘合貿易は、室町幕府将軍が明皇帝から「日本国王」として冊封を受け、明皇帝に対して朝貢し、明皇帝の頒賜物を日本に持ち帰る建前であった。
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https://news.jp/i/1368487069901144282?c=39550187727945729
共同通信:中国紙、琉球属国の「証拠」掲載 台湾有事答弁、日本揺さぶり狙う
2025/12/02
琉球王国が歴史的に中国の属国だったとする記事を掲載した2日付の中国国営英字紙チャイナ・デーリー(共同)
【北京共同】2日付の中国国営英字紙チャイナ・デーリーは「琉球王国が歴史的に中国の属国だったことや日本による琉球侵略」を示す「重要な証拠」が遼寧省の博物館で公開されたとの記事を1面に掲載した。高市早苗首相の台湾有事に関する国会答弁以降、中国メディアは沖縄県の日本帰属に疑義を呈する報道を続けており、日本を揺さぶる狙いとみられる。
公開されたのは中国の明王朝が1629年に琉球王国に下した勅書の複製。琉球王国の王位継承時期に出され、新しい王に属国としての義務を守るよう促す内容だとした。記事は勅書によって中国と琉球王国の朝貢関係が浮き彫りになったと強調した。
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https://japanese.joins.com/JArticle/341676
中央日報:中日間の対立が続く中、中国官営メディア「日本の琉球は中国の属国だった」報道
2025.12.02
中国官営の新華社通信は11月29日、遼寧省大連で旅順博物館が最近「明が琉球国王に勅書を下す(明諭琉球國王敕)」という展示を再び開き、各界の関心を集めていると報じた。
報道によると、今回の展示は旅順博物館の収蔵庫に保管されている、かつて明朝が発した勅書を紹介している。明の崇禎帝2年(1629年)に作成されたこの勅書には、琉球(沖縄の旧称)の国王・尚寧が死去すると、明の皇帝が王世子である尚豊の王位継承が妥当であると命を下した内容などが記されていると同通信は伝えた。
関連の研究を続けてきた旅順博物館の元副館長、韓行方氏は新華社通信に対して「この勅書は琉球が中国の属国であるという重要な歴史的事実を示した」とし、「琉球の歴史と日本の侵略史研究に重要な証拠を提供した」と語った。
11月の高市首相の発言以降、中国政府の激しい非難とともに、日本への旅行・映画・公演などの中断が相次ぎ、両国間の対立が深まる中で、中国は沖縄をめぐる歴史問題まで取り上げ、日本への攻勢を繰り広げている状況だ。
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◆「琉球は『日清両属』の国」の誤り
一般的に、1906年に薩摩国が琉球国を支配下に置いた(=属国化)事は知られています。それ以降は少なくとも幕藩体制に組み込まれ、例えば、禁教令も琉球まで行き渡り、宗門改も行われていました〔※後述〕。
※宗門改(しゅうもんあらため): 江戸幕府がキリシタンの禁圧・摘発のために設けた制度。各家・各人ごとに宗旨を調べ,檀那寺に信者であることを証明させ,その結果が毎年村ごとに宗門人別帳として作成された。1873年(明治6)廃止。宗旨人別改。〔大辞林〕
薩摩は琉球内に番所も置いて役人も配置していました。例えば、首里城の南殿は薩摩の役人の詰め所です。要するに、琉球には日本の法律が及んでいたわけで、一度たりともシナの法律で管理されたことはありません。江戸時代の間、琉球は交易のために ”独立国” を装っていただけです。
1629年の明王朝からの勅書なんて、「でっ?」という話です。
◆虚構に満ちた ”琉球王国” の歴史
さて、それでは薩摩国の支配下に入る前の琉球国は、「琉球王国」、「琉球王朝」などと呼ばれるような国だったのでしょうか?
長崎純心大学准教授の石井望(いしゐ のぞむ)先生が「X」にポストされていた画像をお借りします。
上記画像の『琉球王国は存在せず 復帰50年に嘘を正す』と題したコラムより、年表部分をお借りします。特に★部分(ブログ主が付けた物)にご注目ください。
14~15世紀の琉球は、内地の戦国時代と同様に、諸豪族が争っていた時代でした。
このうち有力な豪族が「三山」と(北山・中山・南山)と呼ばれる3つの豪族です。
この時代に現れたのが明の鄭和(ていわ)という宦官でした。
※鄭和: 1371~1434頃
中国,明代の武将。雲南出身のイスラム教徒。永楽帝に宦官として仕え,1405年から33年まで前後七回にわたって南海遠征を行い,東南アジア・インド南岸・西アジアを訪れ,南海諸国の朝貢・通商貿易を促した。
琉球の諸豪族は統一されていませんが、三山が鼎立しているという体(てい)で、明との交易を行っていました。
1429年には「三山統一」が為されたことになっていますが、1500年には、現在の石垣島を根拠地とするアヤケアカハチと中山との間で戦争も起きています〔オヤケアカハチの乱〕。
中山に於いても、1406年に尚巴志(しょう はし)が中山王武寧を攻め滅ぼし〔=第一尚氏〕、この第一尚氏もまた1469のクーデターで滅ぼされています〔=第二尚氏〕。この第二尚氏が薩摩に組み込まれながらも明治まで続くのですが、こうした争いの歴史を知らないと、「薩摩に併合される前には『琉球王国』という統一国家が続いていた」というファンタジーに騙されます。
◆おまけ:辺野古(へのこ)の民間行事『キリシタン』
琉球へも禁教令が行き渡っていたと上述しましたが、辺野古には「キリシタン」という民間行事が残っているそうです。
この一年に誕生した子どもの健康を祈る辺野古の民俗行事だそうですが、元々は毎年の宗門改でキリシタンがいないことを分かると村でお祝いしたもの。琉球まで禁教令が行き届いていた証拠であり、琉球は中国とは冊封関係にはあったが、日本の統治下でありつづけた事が分かります。
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