【植民地か併合か】My Identityさんのブログ
以前のエントリー『【植民地】韓国人の考える『植民地』(식민지)のニュアンス【韓国統治は「併合」か「植民地」か】』でご紹介しましたが、ブログ主が時々引用させていただく韓国人ブロガー『My Identity』さん〔차경환(チャ・ギョンファン)さん〕が近々『李承晩学堂』で「日本統治時代の朝鮮は果たして植民地だったのか?」というテーマで研究発表をなさるそうで、その発表内容をブログにエントリーされていました。
日本でも基本的には、「植民地(殖民地)」という言葉にはネガティブなイメージがあります。例えば、電子版〔※日本語入力ソフト『ATOK』付属辞書〕の『岩波国語辞典』ではそうでもありませんが、同じ岩波書店が出ている『広辞苑』は非常にネガティブに説明されています。恐らく、「植民地主義」の定義に影響されているのでしょう。
また、西欧諸国の「植民地」の実態が定義に入り込んでいる様にも思えます。日本が台湾や朝鮮で行った ”植民地”統治は西欧諸国のそれとは異なるのに、同じ用語〔植民地/colony〕を使った事による誤解です。
岩波国語辞典(第七版):しょくみんち【植民地】
ある国(本土)からの移住者によって、新たに経済的に開発された土地。特に、新領土となって本国に従属する地域。
広辞苑(第七版):(colony)ある国の海外移住者によって、経済的に開発された地域。本国にとって原料供給地・商品市場・資本輸出地をなし、政治上も主権をもたない完全な属領。
cf. 新明解国語事典(第七版)/三省堂: しょくみんち しゅぎ[6] 【植民地主義】
帝国主義的な先進国が自国の植民地を原料・商品市場として利用すると共に、住民を政治的・軍事的に抑圧・支配し、また他国の植民地や発展途上国を侵略して勢力の拡大を図ろうとする政策や思想。
日本で活動されているジャーナリストの崔碩栄(チェ・ソギョン)氏によると、韓国では以下のように日本統治時代の呼び方が変遷したそうですが、これを見ると、日本統治時代を韓国の方達がどの様に認識していたのかよく分かります。「倭」は当然侮蔑語、また、「日帝」は「日本帝国主義」の意味なので、ニュートラルな表現は「日政時代」くらいです。
45-60年代 倭政時代
60-70年代 日政時代
80年代 日帝時代
2000年代 日帝強占期
なお、韓国の ”生き字引” の様な産経の黒田勝弘記者によると、「日帝時代」という言葉は日本の左翼学者の影響だそうです。〔産経『ソウルからヨボセヨ』日本統治時代の呼称 韓国と台湾 黒田勝弘〕
ちなみに、台湾では日本統治時代を「日治時代」と呼ぶそうで、2013年、国民党の馬英九総統の時代に「日據(=拠)時代」と呼ぶよう通達を出しましたが、「日帝強占期」に近い語感で、それを「法的な根拠は無い」と破棄したのは蔡英文総統です。
右(保守)も左(進歩)も反日種族主義では大差無い韓国と異なり、台湾では進歩派(革新系)である民進党政権の方が良識があり親日的ななのは面白いところです。
前置きが長くなりましたが、言葉の定義や西欧諸国の植民地との比較、日本統治時代の政策(教育・経済政策、etc.)などは今更ご紹介する必要は無いと思うので、今回は印象に残った部分をご紹介したいと思います。
* * * *
解放後、何故日本が ”悪魔化” されていったのかについて
解放後、南北の抗日闘争経歴の執権層〔※李承晩/金日成〕は、権力の正統性確保と正当化のために、国民のアイデンティティと集団記憶を再構成しなければなりませんでした。 この過程で「植民地朝鮮」という叙事は、次のような構造的必要性によって選ばれました:
第一に、国家アイデンティティの再設定が必要でした。 朝鮮は日本統治時代に法的に日本国民と見なされました。 しかし、解放後に新しい国家を築くためには、「被害民族」というアイデンティティが必要でした。 「植民地」という言葉は、この被害者のアイデンティティを最も強く象徴できる手段でした。
第二に、過去との断絶のための象徴的な装置でした。 日本統治時代の間、朝鮮人は日本の行政や教育、産業などはもちろん、その後の日本帝国の戦争遂行過程に深く参加しました。
第三に、国民統合と社会安定のために必要でした。 解放直後の混乱と経済破綻の中で、国民の不満を外部に向ける必要がありました。 そのため、日本を「絶対悪」に設定し、その支配を「植民地虐殺と収奪」と規定することで、内部の葛藤を外部の敵対感に転換する効果を狙いました。
第四に、国際的に被害国のイメージを構築しようとしました。 国連と国際社会で戦犯国日本によって被害を受けた民族というイメージを構築してこそ、戦後復興支援と外交的正当性を確保することができました。 「植民地」という言葉は、国際的な談論とも非常に簡単に結びつく用語でした。
このような植民地叙事は教育·言論·政治談論を通じて以後数十年間繰り返され、国民の集団記憶として石碑石に文字を刻むように固着されました。 しかし、その結果は次のような副作用を生み出しました:
第一に、歴史的複合性の消去です。 朝鮮人の主体的な参加、日本との法的統合、経済的相互作用、戦争への参加などはすべて消されました。
第二に、被害者中心の単純化です。 すべての朝鮮人を一方的な被害者と規定することで、歴史的責任と現実認識が歪曲されました。
第三に、現代外交の障害です。 反日感情が構造化し、韓日間の協力と南北統一論議に障害となっています。
このように「植民地朝鮮」という概念は存在しなかった歴史的実体を政治的必要に応じて創造した叙事でした。 これは当時、新しい国家を建設するための南北双方の戦略的選択だったとみられます。
このような理由で、36年間の日本統治時代を経てほとんど日本人化された国民に、
「輝かしい民族の歴史→日帝強占(植民地収奪·虐殺·独立闘争)→圧制から解放→新しい国建設」
という必然的で操作されたナラティブが韓国と北韓住民の両方から強く注入されました。 その結果、日本統治時代の歴史は日本を侵略に及ぼした悪魔で、その時期を無条件に生き地獄のような時期として描写する歪曲された見方が確固として位置づけられ、これは今日までも影響を及ぼし国民的常識として位置づけられています。 〔... 中略... 〕
歴史を勉強したり叙述したりする時、「日本人」の定義は再確立されなければなりません。 韓日併合条約以降、朝鮮人は日本国籍を与えられ、法的には日本帝国の臣民となりました。 当時、「日本人」というカテゴリーには日本本土人だけでなく、朝鮮人、台湾人などがすべて含まれていました。 「日本人」という表現から朝鮮人を除いて考えること自体が誤った前提です。 私は大邱人です。 だからといって私が大韓民国人ではないわけではありません。すなわち、朝鮮は日本であり、朝鮮内の人々は外国人を除けば皆日本人でした。
* * * *
ここに引用した部分は、『李承晩学堂』とか『朝鮮日報』の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者が語らない事です。
どうしてもこの年代の李承晩信奉者にはしかたがない事ですが、日本統治時代に実際に庶民はどの様に暮らしていたのかという部分は避ける傾向にあるように思えます。
例えば、My Identityさんもブログに書いていらっしゃいましたが、「珍島犬」を1938年に天然記念物にして保護した事一つ取っても、韓国人の ”日帝強占期” 観とは矛盾するでしょう。朝鮮が搾取する場所に過ぎないのであれば、食用とされていた珍島犬は朝鮮人に好きなだけ食べさせてやれば良かったのです。
ここで少し、台湾と比較したいと思いますが、台湾では1947年の「2.28事件」で知識人の粛正が行われ、1949年に施行された戒厳令は1987年まで続き、この間に反日教育がなされました。
ただ、韓国と違うところは、そのような圧政の中でも、子供や孫には断片的に日本統治時代の良かった点を伝えていたようで、例えば、写真で日本統治時代を綴る、YouTubeの『佐榮寫真館(佐栄写真館)』の各動画のコメント欄を読むと、失われた歴史... 失われた記憶と言っても良いかと思いますが、祖父母から聞いた断片的にしか知らない歴史の穴埋めをしようとしている方達が多いということがよく分かります。
恐らく、「祖父母の世代は何故『日本統治時代を良い時代だった』と言っていたのだろう?」という疑問の回答を求めて『佐栄写真館』の動画を視聴されているのでしょう。
彼らも、朝鮮の住民がもし2等国民なら、台湾の住民は3等国民の様な差別があった事は知っていますが、それ以外の「近代化」という恩恵を被った事はよくご存じなのですが... 。
おそらく、李登輝総統の存在が大きいと思います。彼もまた国民党ではありましたが、それまでの国民党歴史観を軌道修正したので、今までごく身内にしか言えなかった日本統治時代の生活を公に言えるようになったのでしょう。
以前も書きましたが、ブログ主は1991年(李登輝総統時代)に台北に1ヶ月ほど仕事で滞在していた間に、あるお茶屋さんのご主人に、「日本式の(近代的な)教育を受けられた事は幸せだった」と感謝されたことがあります。清国に支配されたままではそのような教育は受けられなかっただろうと言う意味です。
本来は、朴正煕大統領辺りが李登輝総統の役目をすべきだったのかもしれませんが、彼は隠れて日本映画を観るほどの ”日本人” であったにも関わらず、李承晩が始めた反日歴史観を強化して、国民には、抗日歴史観を植え付け、日本文化を排除しました。
とは言え、日本人が客観的に見る最も有能な韓国大統領は朴正煕でしょう。少し身も蓋もない言い方をすれば、「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国人は、実は元日本人世代です。この世代が死に絶えたら、500年続いた李氏朝鮮時代のDNAに回帰していくのも分からないではありません。
ブログ主が時々揶揄して言う ”後朝鮮人” はそういう韓国人を指しています。特に韓国国内の歴史論争は、後朝鮮人と近代韓国人との論争に見えます。
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