【韓国】光復節と建国(1)
今年の5月28日、中華民国政府は10月25日の「光復節」を祝日(国定休日)にしました。
https://jp.taiwantoday.tw/148/270221
TAIWAN TODAY:総統令で「紀念日及節日実施条例」公布、新たな国定休日が誕生
2025/05/29
>総統府は28日、従来の「紀念日及節日実施弁法」に代わる新たな「紀念日及節日実施条例」を総統令により公布した。立法院(国会)で今月9日に「紀念日及節日実施条例」案が可決されたのを受けたもので、台湾の「国定休日」に、旧暦「小年夜」(旧暦大晦日の前日)、9月28日「孔子生誕記念日」(教師節)、10月25日「台湾光復・金門古寧頭戦役記念日」(光復節)、12月25日「憲法施行記念日」が加わることが確定した。また、これまで労働者のみ休日とされてきた5月1日「メーデー」(労働節)が、公務員・教員・軍人も含めた全面的な休みとなった。「紀念日及節日実施条例」は今月31日をもって発効し、今年下期から早速、「教師節」、「光復節」、「憲法施行記念日」の3つの「国定休日」がカレンダーに加わることになる。
しかし、他にも幾つかの祝日が追加され、光復節〔1945年10月25日〕も正式には光復節だけではなく「金門古寧頭戦役」〔1949年10月25日:中国共産党による金門島攻略を防いだ戦勝記念日〕との ”抱き合わせ” です。
その意図はよく分かりませんが、以前のエントリーでもご紹介したように、台湾の管理を日本から引き継いだ中華民国政府は日本で言うGHQの様な存在・立場で、その後、内戦に敗北した中華民国政府が1949年12月7日に台湾へ亡命した事でそのままになっている、というのが実情なので、あまり「光復節」だけを目立たせたくなかったのだろうか?と勘ぐりたくなります。
何が言いたいかと言うと、「光復」は「失われた物が元に復する」というやや曖昧な言葉なので、「この日が光復」と決めるのはその国家の自由です。
* * * *
で、ここからが本題ですが... 、韓国は8月15日が「光復節」ですが、これが1945年〔日本の敗戦→解放〕なのか、1948年の建国〔中央政府が樹立され、李承晩大統領が大韓民国政府の樹立を宣言)なのか、左右での争いがあります。尤も、独立運動家を称えたりする光復節の記念式典の様子からも分かるように、一般的には1945年と認識し、”対日戦争勝利” を祝う日の様です(笑。また、「建国」自体も、1948年とするか、1919年の臨時政府樹立にするかで左右の論争があります。
右派が主張するのは1948年ですが、彼ら(の一部)は「光復」もまた1948年という立場です。
日本の終戦以降、占領軍(米軍)による統治に移行するので、光復とは程遠い状態であり、日本人から見たら、これのどこに議論の余地があるのかと思いますが... 。
このエントリーでは、『朝鮮日報』の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者が、臨時政府の描いた建国までのロードマップから、建国は1948年8月15日であるという記事を書いていたのでご紹介します。
先に結論を引用してしまうと、
>大韓民国憲法によると、1919年は臨時政府の法統の起源だ。 法統を継ぐには、臨時政府が規定した「復国と建国」段階論も続けなければならない。 1941年に臨時政府が宣言した大韓民国建国綱領ロードマップにより、建国は1948年8月15日に開始された。 売国奴や歴史内乱犯ではなく、臨時政府と臨時政府主席の金九(キム・グ)がそのように宣言した。
常識的に考えれば、国土も人民(国民)も持たない臨時政府が「国家」であるはずがありませんが、実際に臨時政府も臨時政府樹立を「建国」とは考えていなかったのです。
逆に左派はなぜ頑なに1948年建国説を否定するのか...
それは李承晩の否定です。以下の『ハンギョレ(日本語版)』の記事から、最後の1段落をご紹介します。
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/49809.html
[寄稿]彼らが李承晩を「建国の父」に祭り上げようとする本当の理由=韓国
登録:2024-04-23 02:03 修正:2024-04-23 08:39
「李承晩と4・19革命」連続寄稿(1)
イ・ジュンシク|元独立記念館館長
>ニューライトをはじめとする極右勢力が無理に「建国節」を推し進めるのには理由がある。それは親日と独裁の歴史の洗浄だ。「建国節」制定を通じて独立運動家を大韓民国から切り離し、その座に親日派とその後裔(こうえい)である独裁政権に加担した勢力を据え、あたかも親日と独裁が大韓民国の正統であるかのようにしようという黒い本音が、「1948年建国」主張には込められている。だから「建国節」を何度も蒸し返しているのであり、その一環として「建国の父」李承晩を称揚しているのだ。
「韓国の左右の対立は理念(イデオロギー)ではなく怨念」とは朴斗鎮(パク・トゥジン)氏の言葉ですが、左派は反共の李承晩が余程憎いのでしょう。
彼らは憲法前文に「我々大韓国民は3・1運動で建設された大韓民国臨時政府の法統〔=法的正統性〕..を継承」と書いてあると言いますが、これは最初の憲法には無かった文言。1987年の「第六共和国憲法(現行憲法)」〔※〕で追加されました。それ以前の例えば「第五共和国憲法」では、「我が大韓国民は3·1運動の崇高な独立精神を継承して... 」となっていました。
※ Wikipedia:大韓民国憲法#第九次憲法改正(第六共和国憲法)
朴鍾仁記者の記事の要約は次回ご紹介します。
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