【竹島】韓国側に「独島を朝鮮領土に組み込んだ」という証拠はない (1)概略
公開:2025-08-01 07:28:04 最終更新:2025/08/02 1:20
竹島(韓国名:独島)に関しては、SNS(X)上でも、日本人と韓国人(かどうかは不明)との間で議論があり、最近は、本国の韓国人も竹島の帰属問題に参戦してくるのですが、彼らは現代日本語には堪能でも古い文書となると歯が立たず、問題提起するだけで、議論にはついて行けなくて離脱する... というのはしかたが無いことだと思います。
この方(『しずく』さん)は単に問題を提起しただけで、日本人と議論を戦わせようというつもりはないと理解しています。
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①日本は17世紀初頭から鬱陵島や竹島で経済活動を行っていた(その後、政府は鬱陵島は朝鮮の領土と認識して渡航を禁止)②1905年、竹島の領土編入を閣議決定、どの国からも異議申し立てが無かった。
日本にはこれらの活動が公式文書で残っているが、朝鮮には竹島を領土に編入した記録が一切無い。
これを換言すると以下の様になります。
日本政府は独島を無主地と判断して、1905年に領土に編入。これに対する韓国(=大韓帝国)の異議は無かった。韓国は独島を領土の範囲内と認識していなかった。
独島に関しては様々な側面からの議論はありますが、問題は上記に尽きると思います。
ここではまず関連する時系列と主要な文書をざっと見る事にします。
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1900年(光武四年)10月25日 【韓国】「大韓帝国勅令第41号」... ”竹島” と ”石島” を領土に編入
- これに3日先んじて「請議書」が出された。(李乾夏が提出)… 郡に格上げされる「鬱陵島」の範囲を建議。
- 「石島=現在の独島」であると韓国側は主張するも、「全羅道などの方言からトルソム→ドクソム→ドクト(独島)と名称が変化したから石島=独島」と苦しい説明。(石島は鬱陵島の周囲にある小さな島々の1つに過ぎないと思われる)
- 勅令41号に書かれている「竹島」は「竹嶼(ちくしょ)」と思われる。〔※下図の「竹島」〕
1905年1月28日 【日本】竹島編入の閣議決定
- 1905年2月22日 公布 → 現在の『竹島の日』
1906年3月 【日本】島根県視察団が独島(竹島)や鬱陵島を視察、鬱陵郡守等を訪問
- 3月26日出発 → 27日 竹島到着 → 28日 鬱陵郡庁(郡守 沈興澤(シム・フンテク))訪問 → 29日帰着
島根県:杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」第19回鬱島郡守沈興澤と島根県調査団 より
1906年4月29日 【韓国】鬱陵郡守が道庁に報告書
- この報告書内で「独島」という名称を使用。
→ 「指令第3号」:議政府(大韓帝国の最高行政機関)が再調査を命じる(5月10日) → その後何ら報告があった形跡はない。
- 「指令第3号」には議政府が「(報告のあった)独島は『令属無根』」、即ち、令(=勅令41号)で述べた島では無いと書いている。
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下図は埼玉県教育委員会が作成した子供向けの資料ですが、大まかな時系列が一覧できるので提示します。
また、『領土・主権展示館』サイトの「北方領土・竹島・尖閣諸島(相手国・地域の主張などのQ&A)」で基本的に韓国の主張を論破しているので、このURLもご紹介しておきます。
次回以降、個々の資料の問題点などを追求していきたいと思います。→ NEXT
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