【後朝鮮人】景福宮に翻った日章旗は果たして ”国恥” だったのか?【1915年の「始政五年記念朝鮮物産共進会」博覧会】
韓国では、日韓併合(1910年)の干支を取って、これを「庚戌(こうじゅつ)国恥(경술국적)」と呼びます。
※日本でも歴史的な出来事を干支を使って表現することがあります(ex. 戊辰戦争/1968年=戊辰)。
このシンボルとされるのが、朝鮮内に掲げられた日章旗の写真です。
例えば、下の「景福宮に掲げられた日章旗」の写真は... 、しばしば、トリミングして上空の飛行機を消した画像使われるのですが... その象徴として韓国の教科書にも多く登場します。
◆朝鮮内に翻る日章旗
では、この写真の正体は一体何か?
結論から書けば、「始政五年記念朝鮮物産共進会」が開催した博覧会(1915年)の写真です。上空を飛ぶ飛行機は、... 現代でも催し物にブルーインパルスが登場する様に... 、デモンストレーション飛行です。
この「始政五年記念朝鮮物産共進会」は、日本が朝鮮(大韓帝国)を併合して、如何に上手く統治をしているか、あるいは、朝鮮に投資を呼び込む為に、朝鮮が如何にポテンシャルを持っているかを内外にアピールする為に博覧会を開催したもので、確かに日本の ”国策” 博覧館ですが、後述する様に、朝鮮人も数多く来場し、変わりゆく朝鮮に関する感想も残しています。
◆現代の価値観で過去を裁く愚かさ
韓国人(のみならず日本人も)の中には、現代の価値観で過去を裁く人達がいます。
現代の韓国人にとって、併合された事は確かに「国恥」(国辱)であり、プライドが傷つく事でしょう。それは認めます。
では、1915年の朝鮮人はこの博覧会にどの様な反応を示したのか?... そこを考えずに現代の価値観で批判する ”後朝鮮人” が一定数いますが、下の写真はどの様に評価するのでしょうか? 〔博覧会に殺到する朝鮮人達〕
朝鮮物産共進会の入場客数
内地人 昼 206,039人 夜 93,502人
朝鮮人 昼 472,503人 夜 254,651人
支那人 昼 3,326人 夜 1,333人
外国人 昼 1,705人 夜 938人
無料者 昼 88,953人 夜 41,214人
総計 1,164,383名
余計な情報を排除して上記写真を見れば、白衣を着た朝鮮人も博覧会に興味を持って来場したのだと思うはずです。
しかし、上記画像を掲載した『ハンギョレ』は2021年7月に以下の様に報じています。〔※記事詳細は後述〕
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1003256.html
韓国語:[단독] 세종 거닐던 경복궁 터…일제가 깔아뭉갠 흔적 드러났다
【独自】朝鮮初期の景福宮を踏みつぶした日帝時代の博覧会跡が明らかに
登録:2021-07-13 10:52 修正:2021-07-13 12:23
ブログ主は韓国人を馬鹿にする為では無く、『湿TV』さんの様に韓国人の中で「現代の価値観で過去を裁く人達」を批判するブログや動画を上げている韓国人を応援したいが為にこのエントリーを書いています。
しかし、残念ながら、この写真(景福宮に掲げられた日章旗)が博覧会の写真だといくら言っても、”後朝鮮人” は納得しません。日章旗が翻った事が許せないのですから。
このような人達は無視して、ここでは1915年の博覧会について、日本人が理解できる様な資料を纏めることにします。
* * * *
◆当時の韓国人の反応
過去のエントリーに纏めてありますが、朝鮮人の中でも今後の発展を期待する方は多くいました。
◆『ハンギョレ』の記事
あらためて、ハンギョレの記事を読んでみましょう。彼らは現代の韓国人の感情を以てして過去を裁いています。こうした韓国人をブログ主は ”未開人” という意味を込めて ”後朝鮮人” と呼んでいるだけです。〔先の定義に当てはまらない近代的韓国人も多くいらっしゃいます。〕
* * * *
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1003256.html
韓国語:[단독] 세종 거닐던 경복궁 터…일제가 깔아뭉갠 흔적 드러났다
【独自】朝鮮初期の景福宮を踏みつぶした日帝時代の博覧会跡が明らかに
登録:2021-07-13 10:52 修正:2021-07-13 12:23
[ノ・ヒョンソクの時事文化財]
- 東宮南側の朝鮮物産共進会の跡
- 博覧会の建物の重々しい柱の礎石
- 600年前の殿閣の痕跡を無残に破壊
- 「景福宮の傷、保存・活用方法を考える」
8日、景福宮東宮圏域の南側で厠の遺跡と共に公開された日帝時代の朝鮮物産共進会の建物の柱の礎石。近くの石壇と石の山は朝鮮前期と後期の景福宮の遺跡で、日帝が景福宮の建物跡を崩して共進会の建物を建てたことを赤裸々に示している//ハンギョレ新聞社
残酷な姿だった。
5、600年前に世宗大王が歩いた旧景福宮の跡が、粉々になった姿であらわになった。わずか100年前、日本人が500年前の朝鮮王朝の正宮だった景福宮をはばかりなく壊したという事実が、疑いの余地のない遺跡の実体として証言するかのように現れた。日帝は朝鮮統治の成果を示す近代博覧会の建物を建てるとして、人の背丈ほどの幅150~160センチの四角柱の礎石を景福宮の旧殿閣跡のあちこちに埋めた。建物の礎石の下に割栗を敷いたり、こまごました形の基壇を築いてあった朝鮮初期の景福宮の建物の痕跡は、無残に破壊されていた。東西南北に列を作った日帝の重々しい柱の礎石に押しつぶされ、あちこちに散らばって廃墟となった惨状が赤裸々に広がっていた。
今月8日、景福宮の東宮南側でこのような惨状の痕跡が多数確認された。最近、国立江華文化財研究所が発掘した景福宮東宮殿エリアの南側で、厠跡の遺跡と共に、1915年に日本が作った朝鮮物産共進会・機械館の柱の礎石が106年たって初めて発見されたのだ。宮殿の東側の関門である建春門殿閣と世宗路一帯のビルが遠景に見える中、厠の遺跡よりも南側の敷地で、朝鮮前期の景福宮殿閣跡を日本人の建物の柱の礎石が押しつぶしている衝撃的な場面が目の前に広がった。土と砂を固めて土台をつくり、その上にコンクリートをかぶせた重く威圧的な柱の礎石が、南北軸で15列、東西軸で15列も姿を現していた。その下に粉々になり崩れた状態で下敷きとなっていた朝鮮初期の建物の礎石下の割栗や基壇、防火壁などの施設を見て、胸が痛んだ。実は、この日マスコミの注目を集めたのはこの付近の東宮殿近くで発掘された19世紀の再建当時の厠の遺跡だった。宮殿から発見された現代式浄化槽のあるトイレの跡という点で注目を集めた。しかしそれに劣らず、いや、それ以上に重要な韓国近代史の傷が発見されたという事実は、あまり伝えられなかった。
1915年に朝鮮物産共進会が開かれた当時、出入り口として使われた光化門の様子。門の前に日の丸と天皇家の菊模様などで飾られた仮設装飾門が重ねられた//ハンギョレ新聞社
朝鮮物産共進会を見るために集まった人々を撮った写真。光化門前の大通りを埋め尽くした。約2カ月間行われた共進会の行事を、当時全朝鮮人口の10%に迫る166万人余りが訪れて観覧した//ハンギョレ新聞社
朝鮮物産共進会は、1915年9月11日から10月31日まで景福宮の内部で朝鮮総督府主催で開かれた朝鮮初の公式な近代博覧会だ。韓日併合から5年で、朝鮮を統治して成し遂げた近代化の成果を誇示するために、各道の物産と日本や西欧から持ってきた様々な珍しい近代文明を展示し、朝鮮近代化の現在と未来像を知らしめようという目的だった。武断統治の立案者だった寺内初代総督は、この官制近代化行事の場所として、1896年の露館播遷(高宗ロシア公館亡命)以前まで高宗皇帝の住処だった景福宮に目をつけ、1913年から工事に入り、勤政殿や慶会楼などのいくつかの大型殿閣だけを残して、東宮殿をはじめ多くの建物をすべて壊してしまった。総督府は取り壊された場所に鉄道館、美術館、第1・2陳列館、機械館など巨大な石造建物と仮建物を建て、後に朝鮮総督府美術館になる美術館の前にフランス式庭園を造成した。
今回発見されたどっしりとした柱の礎石は、当時の勤政殿の隣の陳列館の跡だ。朝鮮物産共進会の行事場を鳥瞰図のように描いた「共進会会場景福宮地図」という当時の地図を見ると、柱の礎石が新たに発見された共進会の建物跡は、地図の真ん中の景福宮勤政殿(2階建て建物)の右側(東側)に縦軸に配置された2棟の陳列館のうち、上の方の建物である機械館の跡と把握される。研究所のヤン・スクチャ学芸官は「機械館の下の柱の礎石が確認されただけで、建物の規模がかなり大きかったことが分かった。今回発見された厠の上の方に調査範囲を拡大すれば、当時の共振会の機械館全体の輪郭を把握できると思われる」と述べた。
朝鮮物産共進会の行事場を写した鳥瞰図。「共進会会長景福宮地図」という題がついている//ハンギョレ新聞社
これまでの発掘結果と分析を総合すると、東宮南側エリアは景福宮の歴史の生きた現場博物館となる。今回、朝鮮初期の景福宮の建物跡の石造遺構が初めて本格的に大量に確認され、その後、19世紀に建てられた宮人用の大型の厠と宮城を守っていた宿舎跡に加え、朝鮮初期の宮殿跡を壊してその上に建てられた朝鮮物産共進会・機械館の大型の柱の礎石まで、生々しい歴史を一目で眺めることができるからだ。600年の歴史が込められた遺跡が、現代の光化門ビル群と建春門を背景に広がっているという点からも、野外遺跡博物館としての価値は十分にある。
今年30周年を迎えた文化財庁の景福宮復元事業で、これまで一貫してきた復元基準は、朝鮮初期でも20世紀近代でもなく、1868年の再建当時の建物と配置構図だった。朝鮮物産共進会を控え、再建されて50年も経たない1913~1915年にほとんど破壊されていた景福宮エリアを、原状回復することが事業の始発点だった。研究所側は「厠など東宮エリアの南側遺跡の保存・整備活用法は関連部署と協議してまとめる」としているが、より能動的にこの遺跡の保存・活用案について考えるべきではないだろうか。世間にあまり知られていない景福宮破壊の暗黒の歴史である朝鮮物産共進会という希少な跡であるだけでなく、見れば見るほど106年前の景福宮破壊の実情を新たに追体験させられるという点でも、遺跡の価値は大きいからだ。
* * * *
あらためて書いておきますが、韓国人の歴史認識の ”歪み” は、韓国人自身で修正すべき事です。
ハンギョレの様な、現代人の価値観で過去を見る反応は、”もはやビョーキ(病気)” 〔山本晋也監督の名言〕なのです。
そのための資料を提供する事には協力しますが、日本人の読者(或いは、流入してきた韓国人)に資料を提供しているだけです。
* * * *
後ほど以下に関連資料を追記する予定です。
« 【韓国】『李氏朝鮮』という言葉は日帝が作った卑下用語だ! | トップページ | 『隣国のおじさん』の動画の欺瞞:そもそも、韓国人”徴用工”は日本から被害を受けたのか? »
« 【韓国】『李氏朝鮮』という言葉は日帝が作った卑下用語だ! | トップページ | 『隣国のおじさん』の動画の欺瞞:そもそも、韓国人”徴用工”は日本から被害を受けたのか? »


























































test

コメント