【新潮社Foresight】大韓帝国皇帝・高宗は「日本が退位させた」のか?【新城道彦教授】
ネットで読める記事(論文)としては大変読み応えがあったのでご紹介します。
大韓帝国皇帝・高宗は「日本が退位させた」のか――「山川の歴史教科書」に書かれた“不可解な一文”(前編)、(後編)
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日本史の教科書として定評がある山川出版社の『詳説日本史』に、日清戦争の結果、清から独立し、初代大韓帝国皇帝となった高宗の退位(譲位)に関し、以下の様に記述されているそうです。
これ〔※1905年 第二次日韓協約による大韓帝国の保護国化〕に対し韓国皇帝高宗は、1907(明治40)年にオランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に密使を送って抗議したが、列国に無視された(ハーグ密使事件)。日本は、この事件をきっかけに高宗を退位させ、ついで第3次日韓協約を結んで韓国の内政権をもその手におさめ、さらに韓国軍を解散させた。〔後略〕
ハーグ密使事件とは、実際に高宗がどこまで関与していたのかはともかく、韓国では、”乙巳条約(いつしじょうやく)=第二次日韓協約は高宗の意に反して5人の売国奴大臣が日本と結び、それに抗議する為にハーグに3人の密使を送り、全世界に日本の理不尽さを訴えた” 事件で、これによって、"日帝の怒りを買った高宗は第一皇子の順宗に譲位させられた” 事になっています。
しかし、この論文は様々な資料〔※後述〕から、
- 日本側は高宗の退位までは考えていなかった。
- むしろ、日本の怒りを恐れた大韓帝国高官達が主体的に、高宗を退位させることで亡国の危機を救おうとしたのが実態
という事を検証しています。
更に、高宗退位を扱った書籍で「日本側に退位させられた」と書いている物を洗い出し、それが何に典拠しているのかを調査していますが、根拠がない事も明らかにします。
そして、これ程までに無批判に根拠のない話が広まった理由は安重根の供述に一因があるという事も。
〔 ... 〕 このように史料的裏づけのない言説がこれほどまでに拡散したのには原因がある。それは、1909年に伊藤博文を暗殺した安重根が、取調べの過程で「伊藤さんは強いて韓国皇帝の廃位を図りました」と供述したからだ。これは伊藤を敵視した15の理由の1つとして述べたものであり、他にも王妃閔氏の殺害を指揮したとか孝明天皇を亡き者にしたといったデマの類が含まれていた。それでも、安重根の発言ということで高く評価し信じる人はいる。その結果、この供述がひとり歩きし、一部の研究者が自身の歴史観に沿うように想像で件の一文を書いたのではないかと考えられる。
安はこれ以外にも、「(伊藤博文は)明治天皇の父(孝明天皇)を殺した」等と言っています。 〔※安重根は明治天皇を支持していた〕
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以下は、この論文で参照している史料の内、主要な3つの史料へのリンクをご紹介する為に、リンクを貼って論文の一部をご紹介します。
1.当事者の史料からみた高宗の退位
ハーグ密使事件から高宗の退位に至る経緯を記した当事者の史料として、『日本外交文書』『一堂紀事』『日韓合邦秘史』がある。『日本外交文書』は、外務省が日本の外交に関する基本的史料を提供する目的で編纂した公刊史料集である。第40巻第1冊にハーグ密使事件後の伊藤統監と日本政府関係者の電報が数多く収録されている〔12 日韓協約締結一件(韓帝譲位一件)〕。『一堂紀事』は、李完用の甥で秘書の金明秀が李完用の一周忌を記念するために関係文書を編纂して1927年に上梓した伝記である。李完用は政府首脳としてハーグ密使事件後の難局に対応しており、韓国側の視点から高宗の退位を把握するうえで欠かせない史料といえる。『日韓合邦秘史』は、黒龍会の葛生能久が同時代の記録や証言をもとに著した書籍である。黒龍会の内田良平(統監府嘱託)と連携して高宗の退位を推進した一進会の宋秉畯農商工部大臣らの言動が詳細に記録されている〔上巻、下巻〕。
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