【李堈(イ・ガン/義親王)】李泰鎮(イ・テジン)教授がでっち上げた抗日秘密情報組織
朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者の「李堈(イ・ガン)」シリーズ動画の後編です。〔前編に関するエントリーはこちら〕
- [박종인의 땅의 역사] 224.‘이태진씨가 날조한 의친왕의 비밀조직': 당신들, 거짓말이 역겹소
[朴鍾仁の土地の歴史] 224.「李泰鎮氏が捏造した義親王の秘密組織」: あなた方の嘘にうんざり
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今回は ”高宗の第2皇子・義親王(李堈)の抗日運動拠点” という名誉を得たい世宗市とそれに加担するインチキ学者李泰鎮(イ·テジン)教授の嘘を暴きます。
李泰鎮は、世宗市に実在した金在植(キム・ジェシク)という人物を抗日運動家に仕立て上げ、この人物を李堈と結びつけ、世宗市富江面を抗日運動の地とする歴史をでっち上げたようです。もはや ”小説” としか言いようがありません。
李堈の美化は直接日本が被害を被る話ではありません。しかし、”根っこ” にあるものは、韓国人の「抗日活動は『正義』」という価値観です。
だから、爆弾テロも「義挙」となり、テロリストは「義士」になります。
まぁ、こういう国民と... 個人レベルでは別として、仲良くしたいとは思いません。
日本人として生まれ、ただ「人」として努力して知識や技能を身につけ、建国後の大韓民国を支えたのに、「親日派(=売国奴)」として罵られた方々が不憫でなりません。
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李泰鎮教授は高宗が組織した「帝国益聞社」という秘密情報組織があると主張していますが、朴鍾仁記者によると、李泰鎮が論文にそう書いているだけで、その実態を示す史料は無いそうです。
唯一、「帝国益聞社秘報章程」という1997年に李泰鎮の弟子達が見つけた本がありますが、この本は抗日の為ではなく、国内の政敵... 大臣やその家族を見張るために書簡を検閲する等といった事が書かれている規定集だそうです。
李泰鎮の論文にはこのように書かれているそうです。
「皇室の子孫たちの間では、1909年頃、金在植が皇帝直属の秘密情報組織帝国益聞社要員らと世宗市牟山郡富江面で金鉱を基盤に独立資金を用意した事実を伝えている。帝国益聞社に特別な関心を持つ筆者にとって、松庵〔←号〕・金在植と義親王に関する上記の情報は目を見開いた。」
つまり、義親王の子孫達に伝わる口伝に過ぎません。
下は「帝国益聞社秘報章程」の中身です。
第十条として、「本社に秘密の報告をするときには封筒に左記の印章を捺印せよ」という趣旨の事が書いてありますが、印章は筆で描いたものです。
一方、義親王記念事業会は印鑑の実物を所蔵しています。が、朴鍾仁記者... と言うより、朴鍾仁記者にこの研究成果を託した匿名の学者でしょうが、この印鑑は100年も前の物の様に見えず、恐らく、手描きの印章を元に作成した偽物では無いか? と疑念を抱いています。
「帝国益聞社秘報章程」を作成したときに印鑑があればそれを押したはずなのに手描きなのはなぜ... ?
あと、これはブログ主の見解ですが、印影は、中央のスモモ(李王家の紋章は李花)といい、文字といい、あまりにも稚拙です。
また、義親王記念事業会は2023年8月、全羅南道木浦で開かれた第3回全羅南道国際水墨ビエンナーレにおいて、「大韓帝国皇室水墨遺産展」という名目でいくつかの所蔵作品を出品しましたが、その内の何点かが偽物と判明して出展を取り消された ”前科” があるそうです。
そして、前回ご紹介した様に、同音(イ・ガン)の独立運動家「李剛」の功績を「李堈」のものと剽窃したのがこの記念事業会です。
祖先である李堈を抗日の王族と偽っているのです。
世宗市に実在した金在植(キム・ジェシク)という人物について、記念事業会は次のように主張しているそうです。
「松庵 金在植は昌徳宮の衛将、王陵の前宮の개수〔←?〕、昌陵参奉、中枢院の議官、內藏院卿、韓末の統理軍国事務衙門の內部協辦などを勤め、義親王と近かった。 1910年、金在植は義親王の命で現・世宗市富江龍浦里に移り 、義親王所有の金鉱を管理しながら富を蓄積し、忠清道以南の3大富豪になった。キム·ジェシクが突然1910年に富江に現れ、大富豪になったのは謎のままだったようだ。義親王は特別に帝国益聞社の活動のために京釜線鉄道を敷設し、富江駅を通過するよう元の計画から変更させた。」 ※官職名は機械翻訳の誤変換の可能性有り。
しかし、朴鍾仁記者はキム・ジェシクが金持ちだったこと以外は全て嘘だと言います。
以下、朴鍾仁記者の詳細な説明は端折りますが、キム・ジェシクの一族は500年も前からここに住む土着の家門で、経歴も嘘なら、京釜線云々も嘘。李堈はこの頃、日本かアメリカにいました。
金在植の役職に該当する人物は金允植という別人で、更に李泰鎮は、抗日的な天道教青年同盟の指導者5人の一人、金在桂を金在植にすり替えます。これは、この5人の名前を国史編纂委員会がデジタル化したときに金在桂を金在植と誤って転記したのを幸いとして(?)利用したのでした。
この天道教グループを指揮したのが李堈だとも主張します。
しかし、李堈は女遊びに明け暮れていて、抗日運動などしていないので、全て作り事です。
朴鍾仁記者に研究成果を託した歴史家は、さすがにこのままでは不味いと思ったが、かと言って、歴史学会の大物に楯突くような事はできずに新聞記者である朴鍾仁氏に代わりに公表して貰ったのでしょう。
想像ですが、その学者は李泰鎮の弟子の一人で、「帝国益聞社秘報章程」を読み解く手伝いをした方ではないでしょうか。李泰鎮の日本語能力が低いのは『エンジョイ・コリア』というサイトがあった時代を知っている韓国ウォッチャーには有名な話です。
以下は、李泰鎮の講演内容を纏めた記事を機械翻訳したものです。上に述べたような嘘が書き連ねられています。
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https://shindonga.donga.com/society/article/all/13/5066728/1
「世宗市 松庵古宅は義親王抗日根拠地だった」
【地域の再発見】大韓帝国皇室の独立運動 秘 ストーリー
2024-07-2009:00:01
- 義親王・李堈(イ・ガン)、世宗市富江面金鉱で義兵養成を助けた
- 高宗皇帝を毒殺〔※1〕した日本、大韓帝国の皇室を卑下するように史料を捏造
- 皇帝秘密情報組織の帝国益聞社〔※2〕、「安重根救済」の特命を受ける
- 世宗市長「富江面一帯の国家遺跡地化方針」
※1 高宗毒殺説はデマ。既に退位した高宗を殺しても意味が無い。
※2「帝国益聞社」のWikipediaは既に李泰鎮(イ・テジン)の学説で汚染されているので注意。
〔画像省略〕皇室独立運動の根拠地として確認された松庵(ソンアム/송암:金在植の号)の金在植(キム・ジェシク/김재식/1860~1928)家屋(上)と洪判書宅。 [世宗市]
※洪判書宅(홍판서댁): 〔韓国語の『Cultural Heritage wiki』より機械翻訳〕世宗市の洪判書宅は高宗3年(1866)に建てられた古宅で、兵曹判書や礼曹判書〔※「判書」は役職名)などを務めた洪淳馨(홍순형/ホン・スンヒョン)が住んでいた家屋だ。 ホン・スンヒョンは大韓帝国時代に宮内府特進官、奎章閣学士などを務め、純宗4年(1910)に大韓帝国が日本に強制併合された後、日本が与える男爵位を断った人物だ。
cf. 『官報 1885年08月19日』の「朝鮮国内外文武官人名」に「工曹 參判 洪淳馨」の名がある。
世宗市富江面に口伝で流れていた話が学界の考証と子孫たちの証言を通じて事実であることが明らかになり、再び注目されている。 富江面に位置した松庵 キム・ジェシクの古宅が大韓帝国皇室の独立運動の根拠地の役割をしたというのがその内容だ。
松庵 キム・ジェシクは高宗皇帝の次男であり独立運動家である義親王・李堈(イ・ガン)が內藏院卿(내장원경)に任命した人物だ。內藏院卿は皇室の財産を管理する責任者だ。 義親王は1928年、キム・ジェシクが死亡した後、神道碑文〔※〕を直接書き、「松庵新亭記」(송암신정기)を作成し下賜した。 皇室で臣下にこのような誠意を見せるのは珍しいことだ。
※神道碑: 王や従二品以上の官員の墓の南東の大通に建てた石碑
国史編纂委員長を務めた李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学国史学科名誉教授が考証したところによると、義親王と金在植(キム・ジェシク)は1908年に義親王府ができ、義親王が自ら抗日独立運動家たちと接触する中で結ばれた縁と把握された。 義親王は日帝が皇室財産を国有化しようとした時、キム・ジェシクに皇室の財産管理を任せたのに続き、皇室所有の金鉱を開発させた。
義親王-斉国益文社-金載植の三角関数
皇室の子孫たちの間には、1909年にキム・ジェシクが皇帝直属の秘密情報組織「帝国益聞社」要員たちと「牟山郡富江面(문의군 부강면)で金鉱を基盤に独立資金を用意した」事実が伝えられる。 義親王がキム・ジェシクのために書いた「松庵新亭記」にも「文義郡富江面で帝国益聞社要員と金鉱を基盤に独立資金を用意したキム·ジェシク」という字句がある。
大韓帝国高宗皇帝の次男である義親王イ·ガンの宗孫、イ·ジュン義親王記念事業会長は「皇室の中で『義親王所有だった富光面の金鉱を松庵キム·ジェシクに任せ義兵を養成する独立資金として後援した』という話を聞いた」と話した。 イ教授はこれを根拠に「義親王がキム·ジェシクに金鉱を開発させたのは、帝国益聞社の国内活動資金を確保し、帝国益聞社を通じて独立知事らの抗日活動を支援したことが把握された」と明らかにした。
帝国益聞社は1902年、光武帝高宗が大韓帝国政府を相手にした日本側の深刻な偵察行為に対応して秘密裏に建てた韓国初の情報機関だ。 皇室の支援で独立運動の最前線で活躍したが、史料はほとんど残っていない。 それもそのはず、設置目的と運営方法を明示した帝国益聞社秘保定〔←?〕には、「密書を必ず燃やせ」という条項があった。
李泰鎮(イ·テジン)教授は、歴史学者として帝国益聞社の足跡を執拗に追いかけ、帝国益聞社碑の宝蔵亭から貴重な情報を得た。 李教授は「1909年、光武帝(高宗)が太皇帝としてハルビン義挙〔※伊藤博文暗殺〕の英雄安重根の身柄がロシアから日本側に渡るのを見て、『安重根救済』のためにウラジオストクの韓人社会に2人の密使、まもなく帝国益聞社要員を派遣した事実が確認される」と伝えた。 それと共に「皇室の子孫を代表する『義親王記念事業会』は現在、帝国益聞社の公式印章である『聖聰補佐(성총보좌)』の実物を保有しており、皇室内で伝わる言葉の信頼度を高めている」と付け加えた。
義親王記念事業会のイ・ヨンジュ事務総長の証言によると、義親王は帝国益聞社の秘密活動を支援するため、京釜線鉄道が富江駅を経由するように路線計画を変更し、金在植(キム・ジェシク)が金鉱から出る収益を富江浦口と富江駅を利用する行商人を通じて全国に独立資金として渡すようにした。 当時、帝国益聞社の総責任者だった篤利李昊錫は、義親王の密命で10回あまり金在植を訪れるなど、金在植の古宅を帝国益聞社忠清道の拠点として活用したという。
この時、義親王は錦江の景色を楽しむという名分でキム・ジェシクの家を訪問し、イ・ホソク(이호석)、キム・ジェシク(김재식)、洪判書宅 の主人洪淳馨(홍순형/ ホン・スンヒョン)大監〔←尊称〕と抗日活動について意見を交わした。 特に、万海のハン·ヨンウン一行がキム·ジェシクの家に立ち寄って会話を楽しんだという。 イ·ヨンジュ事務総長は「キム·ジェシクの家とホン·パンソ宅が富江面で抗日運動の根拠地の役割をした」という事実も確認した。 洪判書宅の主人であるヨムン〔←号か?〕ホン・スンヒョンは、憲宗妃孝貞王后の甥で、大韓帝国皇室の宗親であり、1874年に科挙に及第し、官職に就いた。 その後、弘文館副提学、成均館大司成、大司憲、刑曹判書、礼曹判書などを歴任した。 帝国益聞社の司記(次官級)でイ・ホソクを補佐していたが、富江面に住居を作った。〔以下略〕
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