【日本統治時代】大邱市、1930年代の『大邱案内』を翻訳・公開
『サーチコリアニュース』という韓国の話題を提供するニュースサイトが、「日本の植民地時代である1930年代の大邱(テグ)市の情報が記録された資料『大邱案内』が韓国語に翻訳され、注目を集めている。」と報じていたので、韓国語の記事を探したところ、大邱市のプレスリリースを元に報じた様な記事が数多く検索され、どの記事も内容は似たり寄ったりだったので、その中の一つ、『グッドニュースコリア』というメディアの記事を機械翻訳で読んでみました。
こういう資料を先入観なく読めば、日本統治時代の実態も伝わるかもしれないと期待します。
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http://www.goodnewskorea.kr/news/articleView.html?idxno=1748
1930年代の大邱の様子を紹介する「大邱案内」の国文翻訳本を公開
2025.02.11 14:41
日本による植民地時代 以降現在まで残された近代大邱に関する総合的な記録
大邱広域市は、日本による植民地時代、大邱の人口、行政、司法、教育、産業などに関する総合的な情報を一目で確認できる資料1934年版「大邱案内」の翻訳本を公開する。
特に、この本には当代の大邱府の地図と多様な写真資料も一緒に収録されており、さらに興味深い。
大邱の人口は1906年約1万2千人から1933年には人口10万人以上に増加し、短距離交通網が発達して大邱から慶尚南北道一帯を連結する「自動車万能時代」になった。
また、大邱のリンゴは日本だけでなく東南アジアとインドにまで輸出され、「大邱といえばリンゴ、リンゴといえば大邱」、大邱の代表特産物として位置づけられた。
大邱は1930年代にも「夏の暑さが朝鮮最高」であり、これを解消するために1933年には「緑化協会」が設立され大邱全体に常緑樹と観賞樹を植え始めた。
※『朝鮮の林業』(1934年6月/朝鮮総督府農林局)という本に「盛暑八月の最高氣溫平均は大邱三十一度、雄基二十四度にして此の間七度の差あるに過ぎず...」と書かれているので、朝鮮の夏は冬ほど気温の地域差は少ないものの、大邱は酷暑の地とされていた様である。
また、ある新聞支社長は囲碁が好きで、ある商店の息子は学校野球チームの捕手だという詳細な情報とともにゴルフ場、プールの設置·運営など当時の生活像も垣間見ることができる。
政治的な変化も見られる。 1931年からは制限的な自治制が実施され、大邱府尹(現大邱市長)〔※府尹は府の長〕が議長を務める定員33人の府会(現市議会)が設置された。
反面、一定金額以上の税金を払わなければ有権者になれないため、1933年当時、総有権者4,064人の中で朝鮮人が1,446人であり、日本人は2,618人、府会議員33人の中で朝鮮人はわずか8人であるほど、政治的·経済的格差は依然として残っていた。
この時期に建設された公会堂(現大邱コンサートハウス)、朝鮮殖産銀行大邱支店(現大邱近代歴史館)、大邱医学専門学校(現慶北大学校医科大学)、三中井百貨店〔※みなかいひゃっかてん〕などは日本人が植民支配が持続すると考え、自分たちの「近代」を大邱に移植しようとした痕跡といえる。
「大邱案内」は1905年から1934年まで5回刊行されたが、大邱市はその内1905年版と1918年版を2023年翻訳·公開した。
各「大邱案内」の記録を比較すると、日本による植民地時代直前から1930年代までの大邱の変化を見ることができる。 「大邱案内」の翻訳には嶺南大学校日本語日文学科のチェ·ボムスン教授が責任翻訳者として参加した。
大邱広域市のイ·ジェソン文化体育観光局長は「今後も大邱の歴史に関する様々な資料を発掘·公開できるよう努力していきたい。 市民と地域史研究者の持続的な関心をお願いする」と述べた。
一方、大邱市はこれまで「大邱府邑誌」、「大邱府事例」、「大邱民団史」等、過去の大邱を知ることができる古書を着実に翻訳、公開してきた。
これらの資料はオンラインで一定期間公開·検証した後、大邱史料叢書として発刊する。 大邱広域市ホームページ(大邱紹介-歴史-大邱歴史資料)https://www.daegu.go.kr/)で閲覧できる。
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有権者数の日本人・朝鮮人格差の部分でやや反日色を出そうとしているようにも見受けられますが、この紹介文からは併合(1910年)からたかだか20年かそこらで発展した大邱市の様子が伝わってきます。
ところで、大邱市というと、ブログ主が時々引用する韓国人ブロガーの『My Identity』氏が既にその歴史を数多くブログで紹介されていて、インデックスを見ると、記事に出てくる大邱公会堂や朝鮮殖産銀行大邱支店、三中井百貨店もブログエントリーになっていて、一級の資料が揃っています。
ブログは斜め読みした程度ですが、大邱公会堂は劇場やホテル、宴会場などを兼ね備えた、日本の地方都市にも良くあるような施設で、1970年代までは建物は存在していたようです。
朝鮮殖産銀行大邱支店の建物は現在は「大邱歴史博物館」〔※リンク先は韓国語Wikipedia「대구근대역사관」〕となっています。
三中井百貨店〔※リンク先はWikipedia〕も建物は比較的最近まで残っていたのに、潰して立体駐車場にしてしまったそうで、My Identityさんはお怒りのようでした。
なお、三中井は現在彦根市にロールケーキで有名な洋菓子店として存在しています。建物も趣がある和風建築で、朝鮮の初期の店舗を彷彿させる佇まいです。

▲My Identityさんのブログよりキャプチャで拝借(この後満州にも出店する)
上の図を見ても、大邱市は鉄道の要所で、大邱平野の中心だそうで、早くから産業が栄えた都市だと分かります。
cf. 『幻の三中井百貨店: 朝鮮を席巻した近江商人・百貨店王の興亡』単行本 – 2004/3/1
林 廣茂 (著)
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