【李舜臣】作られた英雄【『無明』氏のブログ】
※誤変換による誤字脱字は極力修正しましたが、意味が分かるようなら機械翻訳ママ
https://blog.naver.com/zero53/222991220433
作られた英雄
2023. 1. 22. 23:16
口を開けば嘘をつく種族らしく、歴史についても口を開けば嘘をつくのが韓国人だ。 数字のポン菓子〔※誇張〕が基本の中国人亜種である韓国人は365日嘘をつき、後には自分が言った嘘に自分も騙される醜態まで見せたりもする。
韓国では壬辰倭乱、日本では文禄慶長の役と呼ばれる戦争で「李舜臣は日本軍を10~15万人水葬した!」と依然として大多数の韓国人は信じている。 閑山島大捷〔※閑山島海戦〕で李舜臣が日本軍3万人を水葬したと堂々と主張する一方、東郷平八郎提督は李舜臣を尊敬し、「李舜臣はネルソンより優れた指揮官だった」と発言したとして露骨に歴史歪曲に、日露戦争でロシア海軍を撃破した日本海軍が勝利した理由は李舜臣を学んだ結果だと語るなど。 うそを息づくようにしゃべっている.
当時、脇坂安治の石高は3万程度で、いくらせいぜい兵力動員力は1500~1800人が限界だ。 明と朝鮮は将帥に官職を与え、官職による兵力がついてくる専制政体制だが、封建制日本は大名の石膏によって兵力数が決まる。 例えば、Aという企業が下のB企業に仕事を任せれば、B企業は自分の生産性によって仕事を処理する形式だと言える。 中小大名である脇坂家の石高が3万石以上動員できる兵力は普通1500人で、実際に戦争中に脇坂が率いる兵力数も1500人だった。 ところで、何?閑山島で3万人が死ぬの??
同時代を比べてみても、どれほど狂気の沙汰なのか簡単に分かる。 脇坂がウルグ・アリ〔※クルチ・アリ:オスマン帝国海軍の提督〕かハイレディン〔※バルバロス・ハイレッディン:海賊、後のオスマン帝国の提督〕級だというのか。 韓半島の海戦は1592年で、レパントの海戦は1571年に勃発したが、地中海の覇権をめぐってオスマン帝国はオスマン海軍とバルバリ海賊を総動員し、戦闘結果は合わせて死傷者が約3万人だ。 李舜臣を浮上させるために脇坂をオスマン帝国以上に浮かべる狂ったことをしたのが韓国人だ。 それでも最近は3万人死亡から8千人死亡に数字を減らしたとはいえ、依然として扇動していることは変わっていない。
封建制で兵力は該当領地に限定されるため、本当に致命的な大敗だったとすれば、家臣団も兵力も簡単に回復することはできない。 封建制は、マンパワー被害が領地ではなく、全国に分散する専制政ではない。 しかし、その後、脇坂が1200人の兵力を指揮したことからも分かるように、韓国が主張するように壊滅的な被害などはなかった。 しかも4大海戦だなんて? 口を開けばグラ〔※구라:嘘の俗語〕が出てくるよね?
1隻当たり100人ずつ死亡したと計算しているが、これは朝鮮軍の主力船舶である板屋船が125人であることを根拠に、日本船舶にも同様に適用したわけだ。 ところでそうかな? 日本の水軍は中型船舶の関船(せきぶね)と小型の小早船(こばやぶね)で構成されていた。 最大の船舶である安宅船は主に旗艦用に使われた。 便宜上と呼ばれたもので、近代海軍のようにクラスが決まったわけでもないので、すべて大きさがまちまちで関船は40~70人、小早は15人程度から多ければ20人といえる。
1576年、織田家に対抗して毛利家は村上水軍を中心に800隻の船団を派遣したが、韓国式の兵力解釈によると、この時の兵力は8万人か。 村上の石膏は15万石と推定され、兵力動員力は最大1万人と見るのが一般的な定説だが? 駆逐艦が沈没したら、戦艦が沈没したものとみなすべきか? どこでそんなにとんでもないことを言うんだろう。
東郷平八郎提督が李舜臣を尊敬したという発言は、当然韓国以外ではどこにもない扇動であり、 詐欺劇で日本側のいかなる記録にもない。 日本海軍が李舜臣を学んだというのも嘘で、明治維新によって日本人がアメリカ-イギリスに留学まで行って成し遂げた結果であって、何が李舜臣に学ぶの?
https://www.hankookilbo.com/News/Read/201406171815717594
「李舜臣英雄による古文献の挿絵、柳成龍『懲毖録』の影響」
ソウル大学奎章閣(キュジャンガク)韓国学研究院の金時徳(キム·シドク)教授。 俳優ハン記者bwh3140@hk.co.kr日、水軍を推し進める亀甲船などがスンシン活躍詳しく描写、朝鮮を越えて日中ベストセラーだった徴候録の重さを再確認する文ではなく挿絵でも壬辰倭乱を再構成できるという事実がある学者を魅了した。 文禄·慶長の役は韓日中3国の7年戦争だったので、挿絵に映った朝鮮の実体...
日本で李舜臣が知られたきっかけは、柳成龍の『懲毖録』〔※17世紀前後〕の影響といえる。 それまでは関心がなかったが、懲毖録が広がり、無批判的に受け入れた結果で、これがそれさえも根拠のある最も好意的な評価と言える。 何かの国を救ったと騒ぐが、当時の朝鮮支配層が本当に国を救ったと評価した人物は明の万暦帝だった。 宣祖が明に関連した人物を功臣扱いしたのも、明の派兵が戦争の版図を変える最も決定的な契機になったためだった。
制海権を握って海上封鎖したということは、敵の港に行く物流を遮断したことを意味する。 しかし、朝鮮水軍は戦争が終わるまで九州-対馬-釜山という海上ラインを遮断できなかった。 遮断したなら、これ以上武器·兵力の補充が不可能であるため、戦争が7年も続くということ自体が不可能だが、制海権を掌握して補給遮断したことがないため、戦争が長引くしかない。 制海権掌握云々は、単語の意味さえ理解できない韓国被支配層の愚昧さをよく知っている韓国支配層の扇動にしかならない。
李舜臣はできることとできないことを区分し、日本水軍の小型艦隊を急襲して戦果を得ることに主として集中した有能な人であって、大した大海戦を繰り広げて勝利した人ではない。 李舜臣の功績とは、主に漢山島周辺海域に出現した小型艦隊との戦闘であるにもかかわらず、韓国支配層は歴史歪曲のために脇坂をメジャー級に変身させる詐欺を働いただけだ。 海戦と関係なく流れたのが7年間の戦争だったので、徴秘録以外は日本も明もそれで大きく扱わなかったのだ。
戦争は明が参戦して膠着状態になり、日本軍の戦略変化は李舜臣ではなく明に対する対応で行われ、補給困難で凄惨な戦闘を行った事例もやはり李舜臣のためではなく明に包囲された蔚山城の戦いだ。 加藤清正は蔚山城の戦いでトラウマが生じ、日本に帰還した後、城を建築する際に大量の井戸と食糧備蓄を必須としたほどだった。
それでも黄海に向かう海上補給は遮断したのではないか」と文句を言うだろうが、前近代において食糧補給は現地補給が大きな比重を占めている。 そのため、青野戦術が効果を得るしかないのだ。 朝鮮に来た明の軍が補給で大きな苦労をしたことからも分かるように、薄っぺらな朝鮮の生産力と明と日本ですでに確立された貨幣経済も実現していない朝鮮の凄惨な原始性のためであって、何が李舜臣のためなのか。 万暦帝が朝鮮で買って食べろと銀の字を積んで送ってあげたら、明の国では当然の貨幣経済が朝鮮土人国では銀の字で買って食べること自体が不可能だね? じゃあ、どうするの? 生きるためにも略奪しなければならない。
日本軍も同じだ。 はたいても銀行をはたいてこそ、わらぶき屋根の家を歩き回りながら、何の時間の無駄で人材の浪費なのか。 当時、韓半島で生産力のある地域は全羅道と慶尚道で、それで戦争後半期に日本軍は慶尚道に城を築き、持ちこたえ始めたのだ。 これでは最大の理由だった朝鮮の原始性は教育もせず略奪したことだけを教えるのが韓国の教育。 「厚顔無恥」という言葉を悟ること。
李舜臣の最後の露梁海戦は数万人を撃破した朝鮮軍の勝利だと主張するが、これも説得力がない。 閑山の海戦と同様に日本軍数万人が死んだと言い張るが、その後も島津家は動員力においてこれといった変化はなかった。 家臣団皆殺し? 当然事実ではない。 すでに述べたように、数万人が死ぬほどの大敗なら、該当家門はマンパワーの復旧が事実上不可能で、周囲の家門に吸収されるしかない。
韓国は鷺梁海戦の歴史歪曲のために関ヶ原の戦いで島津兵力を口実にする場合がほとんどだが、この時の兵力規模はただ重臣たちが参戦反対した結果であり、徳川家が警戒し続けたほど島津家の地位は変わらなかった。戦争は1598年に終わったが、1年後の1599年に発生した島津家の内乱である庄内の乱で島津家が動員した兵力は4万に達する。 一体数万人が死んだ証拠がどこにあるの?
明の軍を壊滅させた泗川城の戦い〔※泗川の戦い〕で島津兵力が約8千人であることを勘案すれば、海戦に参加した13万石膏の橘家の5千、宗家の1千、高橋500、寺沢家の1千を合わせたとしても、鷺梁海戦で日本側兵力は1万5千程度だ。 数万人という数字自体が全く出てこないのだ。
数万人が死ぬほどの惨敗なら、指揮部も打撃を受けなければならないが、当然そのようなことはなく、指揮部が死んだのは島津家ではなく、明·朝鮮連合軍だった。 明側は鄧子龍が戦死し、朝鮮軍は李舜臣、方徳龍、李彦良、高得将、李英男戦死。 明の指揮官が戦死し、朝鮮軍の李舜臣と李舜臣指揮下の名士達が流されたということは、指揮部が致命打を受けた証拠だ。 明の朝鮮連合軍が奇襲を行ったにもかかわらず、日本の水軍の長所である接近戦に巻き込まれたということであり、1人程度ならネルソンと比べて無理矢理でもいいが、この程度の打撃を受けたということは敗北以外に説明できない。 日本軍が苦戦したという評価までは可能だが、「対捷」云々するのはプロパガンダしかない。
明には暗君だったが、朝鮮には救世主だった万暦帝に朝鮮両班たちは一途に仕え、明が滅びても、朝鮮が日本帝国に合併された後も祭祀を続けた。 韓国戦争の主力が米軍なら、7年間の戦争で朝鮮を救ったのは明であり、この点を先祖や両班たちもよく知っていた。 戦前まで朝鮮の中国に対する崇拝意識が理念的な面が強かったとすれば、戦後は肌で感じられる現実だった。 理念が現実になってしまったので、儒者の間で再造之恩〔※ざいぞうのえん:重たい恩義〕は絶対的な名分になってしまったのだ。 ただでさえ小チャンケ〔※小チャンケ(소짱깨)=小中華:チャンケは中国人の蔑称。台湾は島チャンケと呼ぶ。〕だったが、チャンケの恩恵を受けてさらに小チャンケになってしまったきっかけといえる。
救世主であるかのように李舜臣を浮かべることは、日本と中国に対する劣等感を隠すための道具になっても、決して真実にはならない。 韓国が歴史の中でできることだとしても、扇動と歪曲しかないだろうが。
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