韓国で話題の”ニューライト”教科書の執筆者「韓国史は、民族主義を取り払って初めて真実が見え始める」
韓国で今年検定を合格した国史教科書(9社)の中で『韓国学力評価院』社が話題になっており、例えば慰安婦については1行しか記述が無いなど、日本統治時代を正当化すると、多方面から批判されています。
そんな記事の一つが、「例えば、執筆者の一人はこんな思想の持ち主だ」と批判したいのでしょうが、その執筆者が以前『ペン&マイク』という保守系ネットメディアに寄稿した記事を紹介していました。
それを読んだら良い文章だったので、記事を機械翻訳でご紹介します。
筆者はベ・ミン氏というソウル崇義女子高校の歴史教師だそうです。(記事には筆者名以外に記者名もあるのですが、記者によって原文が校正されたのかも知れません。)
* * * *
https://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=76582
[기고/교사 배민] 민족주의 없는 한국사는 가능할까
[寄稿/教師 ベ・ミン]民族主義のない韓国史は可能か
2024.02.16
人々が旅行に行く理由はすべて多様だろう。 最近は円安で多くの韓国人が日本に旅行に行っている。 すぐ隣の国だし、言語も似ているから、旅行するのに色々と楽な面もあるだろう。
私の場合は日本に旅行に行くとあまり移動しない方だ。 (演劇やオペラ、パンソリがもともと好きなので)歌舞伎を観たり、(これも木と森が好きで歩くのが元々好きなので) お寺や公園を訪ねて散歩を楽しむ。 古いお寺や昔の伝統式庭園には抹茶を売る伝統茶屋があるものだが、私はそのような茶屋で抹茶を飲むことを楽しむ。 日本の若い人の中でも歌舞伎や能を観覧したり(抹茶ラテではなく)抹茶を飲む人はめったにいないのに、そうするうちに自然に日本旅行をしていると私が老人好みの旅行をしていることを感じるようになる。
見方によっては当然だろう。 単に私が歴史教師であるだけではない。 それよりは、私の好きな日本の姿は、実は今の日本ではなく、手塚治虫監督の宇宙少年アトム(鉄腕アトム)や小津安二郎監督の東京物語などで見られる戦後の日本社会の情緒と文化である。 日本の1950-60年代は、過去の痛みに対する傷を持ちながらも、未来に対する肯定と伝統に対する謙遜さをよく保管した時代だった。 何より健全な希望が社会的に噴出した時代であり、これは私が韓国の1970-80年代が好きな理由でもある。
人々はよく日本の全盛時代として80年代-90年代初めまでのバブル経済時代を思い浮かべるが、日本現代史の実質的全盛期は50-60年代だったと私は思う。 もちろん、もっと過去にさかのぼれば明治時代の哲学的な悩みと成果から淵源を見出すこともできるが、この時期に復旧した(戦争で崩れた)社会経済的土台は、以後日本社会文化の復興をゆっくりと到来させたと見ることができる。 韓国も同様だ。 60年代中盤から方向をきちんと定め、87年以前まで熱心に建設した社会経済的土台が2000年代になって地下鉄駅ごとにエスカレーターを建てる贅沢と、ついに教育の無償給食を提供するポピュリズム政策までも可能にした経済的基盤になった。
歴史から見れば、どの社会も熱心に働いた世代が別にいて、気楽にその果実を取って食べる世代が別にあるが、韓国現代史ほど克明にこれをよく示す事例はないだろう。 韓国社会と比較すると、日本は50-60年代以降も勤勉と自助、協同(この伝統的昭和時代の日本の価値を採択したのが朴正熙と軍事政権のセマウル運動だった)の社会的伝統が韓国のように完全に途切れることなく続いてきた。 色々な面で韓国は87年体制以後、社会の精神水準が堕落し傲慢になり贅沢になったが、これは「倭色を消す」ために努力したアイロニーな結果だ。
韓国近現代史を勉強すればするほど、私がなぜ李承晩(イ·スンマン)より朴正熙(パク·チョンヒ)と全斗煥(チョン·ドゥファン)時代を好むしかないのかを、私自身が理解するようになる。 私が修士論文を書きながら分析した1958年、ソン·チャンソプ〔※손창섭/孫昌涉 1922年5月20日 - 2010年6月23日〕の小説「余剰人間」〔※잉여인간〕は戦後1950-60年代の大韓民国の社会雰囲気をよく反映している。 そこには、アトムや紀子(東京物語に出てくる老夫婦の末嫁)を通じて読める、困難の中でも希望の涙を秘めた社会の雰囲気は読まれない。 <余剰人間>だけでなく<誤発弾>と<自由夫人>に代表される、無秩序と荒涼さ、退廃がむしろその時代の主な情緒に近かった。 ソ·マンギ(『余剰人間』の主人公歯科医)は、それでアトムよりも、ノリコよりも悲惨な主人公にならざるを得なかった。
李承晩は激しい反日主義者だった。 彼の反日主義政策は、第2次世界大戦後、米国が望んだ韓国-日本-米国の連合戦線を形成するのに実質的に最も大きな障害物であり、結局これは大韓民国自らにも良くない状況を強要した側面があった。 そして、さらに重要な事実は、解放後に建国された大韓民国は、李承晩が試みたように、反日を土台に米国的自由主義的システムを模倣する試みでは、到底社会·経済的土台の構築どころか、戦後の復旧も難しかった。 なぜ日本式軍事訓練を受け、日本の昭和時代のエリート精神を内在化した朴正熙が、日本の精神文化をモデルにした「豊かに暮らせ」と「やればできる」のような(liberalな米国文化には見られない)スローガンを持ち、(日帝時代1910-20年代のような)経済的状況の飛躍的上昇を再び60-70年代に再現させることができたのかを理解しなければならない。
私は韓国人として当然、韓国人が日本人より精神的に高い水準の文化を成就することを念願するが、日本から私たちが何を学び、日本を通じて何をもっと学ぶことができるのかを賢明に悟らなければ、金泳三政権以来続いてきた大韓民国の社会文化的停滞あるいは退行現象を治癒することは難しいと診断する。
韓国人は英米人とは全く違う情緒と思考をする人たちだが、反日をしてみると、正確に90年代の開放化以後、中国社会が歩んできた道を共に踏襲している姿を見せている。 (日本式ではなく)英米式市場資本主義を真似しながら、西洋近代史から発展させてきた哲学は抜けており、その外形だけを追うのがそれだ。 その結果、物質主義、重金主義の蔓延の中で個人の知的、道徳的努力がますます弱まっていく流れの中にある。
歴史的な見方がなく、現実を生きていくのに忙しい一般大衆、特に若くて若い人々は、韓国社会が半世紀ほどどの方向からどの方向に変化し、その結果、社会がどのように変わってきたのか分からない。 年配のお年寄りの方々は、特に哲学がなくても肌で過去と比べて韓国の精神水準が荒廃化していることを感じる。
精神文化そのものが曇ってしまった霧の立ち込めた姿の大韓民国.. 私が見るにはこの国に住んでいる個人たちに今必要なのはヒーリングではなく哲学だ。 謙虚に自分を反省する姿勢が足りない個人の精神の中に哲学が定着しにくいのと同じように、「私たち」の(事実はこの社会の実体不明な「大衆」の)通念と情緒が批判なしに強固に流れていくだけの社会では、いかなる自省のための声も見つけられないだろう。
歴史を勉強しながら感じなければならないのは「鬱憤」や「自負心」ではなく「洞察」と「謙虚」だ。 私の持論は簡単だ。 韓国史は、民族主義を取り払って初めて真実が見え始める。
« 韓国の教科書に異変?ー李承晩政権を「独裁」とせず、慰安婦問題を比較的あっさり書いた教科書が検定合格 | トップページ | 【佐渡金山】韓国『MBC』が再び相川郷土博物館を取材。よくよく展示パネルを見て激怒w »
« 韓国の教科書に異変?ー李承晩政権を「独裁」とせず、慰安婦問題を比較的あっさり書いた教科書が検定合格 | トップページ | 【佐渡金山】韓国『MBC』が再び相川郷土博物館を取材。よくよく展示パネルを見て激怒w »
コメント