韓国人「歴史(集団的記憶)とは概念的な虚像であり、物質的実態で補完するものである」←それって捏造じゃんw
前回のエントリーで ”韓国では証拠に基づいた「事実」ではなく、観念によって「事実」が作られる” と書きましたが、それに関連したエントリーになります。
崔鍾徳(チェ・ジョンドク)元国立文化財研究所長という方が、『世界日報』(韓国語版)に興味深いコラムを書いています。
ブログ主にとって ”興味深い” というのは、韓国人の理論とか思考方法を探るのに良い記事という意味です。
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https://www.segye.com/newsView/20240826512842
[최종덕의우리건축톺아보기] 우리는 왜 조선궁궐을 복원하는가
[崔鐘悳の韓国建築を振り返る] 僕たちはなぜ朝鮮宮殿を復元するのか
入力2024.08.26 午後 11:14
- 景福宮復元はソウルの根源復元
- 国家発展に対する自信の表れ
- 日帝に歪曲された歴史を正す
- この時代の韓国人の正当な権利
朝鮮の宮殿は文禄·慶長の役と日本による植民地時代、日本によって徹底的に破壊された。
解放後、韓国は植民地経済の収奪と韓国戦争の被害で過去を振り返ることができなかったが、1970年代以降、国の財政に息抜きができ、日帝によって歪んだ過去の建築環境、特に宮殿を復元しなければならないという共感が形成され、その出発点が1983年の昌慶宮復元だった。 1990年から始まった景福宮復元は、旧朝鮮総督府庁舎の撤去、光化門と月台〔※門や宮殿の前に延びる石畳/謁見場所〕の復元などを終え、依然として現在進行形だ。 光復節がある8月に、私たちはなぜ朝鮮宮殿を復元するのかを探ってみる。
朝鮮宮殿、特に景福宮を復元することは、ソウルの根源を復元することだ。〔中略〕
日帝によって毀損されたまま残された空き地と彼らがあちこちに建てた施設物だけが宮殿の庭を占めているならば、そこを訪れる人々の目には500年以上の朝鮮の歴史よりは36年日本による植民地時代の過去だけが目立って見えるだろう。 朝鮮の歴史的な雰囲気を感じるためには、それにふさわしい昔の建築物が必要であり、そのために宮殿の姿を見せる主要殿閣の復元が必要だ。
宮殿の復元は韓国人のアイデンティティを高めるものだ。 過去は私たちのアイデンティティに欠かせない要素だ。 昨日の私を知らなければ今日の私を知ることができない。 昔のものは私たちの記憶をよみがえらせ、私たちが誰なのかを教えてくれる。 個人レベルで私たちは各自の記憶を通じて自身が経験した過去を思い出すが、国家レベルでは国民が共に持つ「集団記憶」が国家の過去を規定する。 国家は多様な世代の数多くの個人で構成されているにも関わらず「集団記憶」が示す通り過去を眺めるためだ。 記憶は現在の時点で過去を眺めることなので、過去と現在が共にする。 記憶は過去と現在をつなぐ紐であり、社会の連続性と私たちのアイデンティティに必須だ。 個人の記憶が直接経験で形成される「実状」であることとは異なり、国民の「集団記憶」は先の世代から学んだ「概念的な虚像」であり、物質的実体で補完する必要がある。 この時、最も有効な手段が集団記憶と関連付けられる文化遺産だ。 宮殿の復元は韓国人の「集団記憶」を呼び起こす物質的な実体を作ることだ。 日帝が朝鮮宮殿を毀損したのは朝鮮人の「集団記憶」の物質的実体をなくし、朝鮮人のアイデンティティを抹殺しようとしたためだ。〔中略〕
宮殿の復元は韓国人の自尊心を回復する過程だ。 朝鮮が滅亡してから1世紀が過ぎたが、我々は依然として宮殿に畏敬の念を抱いている。 1970年代以降、経済成長で不動産開発への圧力が高まった時も、宮殿は例外だった。 日帝が昌慶宮に動物園と植物園を設置し、その名前まで「昌慶院」に格下げしたことを私たちは宮殿の尊厳性を傷つけたことであり、それはすなわち韓国人の自尊心を踏みにじったことだと考えた。 金泳三(キム·ヨンサム)元大統領は、彼の回顧録で「野党議員だった時代、日本の国会議員が自分の家に総督府の建物を背景に撮った写真をかけておいたのを目撃し、相当な侮蔑感と恥辱を感じた」と話した。 昌慶院を昌慶宮に復元し、旧朝鮮総督府庁舎を撤去して景福宮本来の姿を取り戻したことは、まさに傷ついた韓国人の自尊心を回復することだ。
傷ついた皮膚に傷痕が残るように、日本に蹂躙された過去もまた、韓国社会に深い傷痕として残った。 強盗に暴行されて壊れた顔を整形手術で治癒するように、日帝によって歪曲された過去を正し、今日の観点で望ましい過去を作っていくことは、現在を生きていく私たちの責務だ。 毎時代、歴史家が歴史を新しく書くように、私たちはこの時代の価値観と未来に対するビジョンで望ましい過去を創造する権利がある。 なかったことをもっともらしく操作するのではなく、数多くの過去の痕跡のうち、現在と未来のために望ましいことを今後明らかにするだけだ。 朝鮮宮殿を踏みにじった36年の日本帝国主義の痕跡を取り除き、500年以上花を咲かせた朝鮮宮殿を復元することは、この時代を生きる韓国人の正当な権利だ。
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日帝は朝鮮を ”暴行” したらしいw (どんだけ弱っちいキャラが好きなんだよ... )
それは兎も角、この人の考えでは、「李氏朝鮮が韓国人のアイデンティティ」だそうで、独立以来、李氏朝鮮に戻っていきつつあるのも頷けます。ブログ主が近代化されていない韓国人を揶揄して ”後朝鮮人” と呼ぶのはこの為です。
更に太字にした部分は韓国人の歴史認識を知るのに重要です。
- 個人レベルで私たちは各自の記憶を通じて自身が経験した過去を思い出すが、国家レベルでは国民が共に持つ「集団記憶」が国家の過去を規定する。
- 国家は多様な世代の数多くの個人で構成されているにも関わらず「集団記憶」が示す通り過去を眺めるためだ。
- 個人の記憶が直接経験で形成される「実状」であることとは異なり、国民の「集団記憶」は先の世代から学んだ「概念的な虚像」であり、物質的実体で補完する必要がある。
個人レベルの記憶が当てにならないのはその通りですが、オーラル・ヒストリー(口伝えの記録)も多数集めたり、その時代を振り返った回想録や小説... 特に風俗小説は、フィクションとは言え、当時の雰囲気とあまりにもかけ離れていたらリアリティが無くなるので、当時の人々の振る舞いや考え方などを表しているはずで、韓国の場合は、日本統治時代を知っている人の口が長いこと塞がれていたために途絶えた記憶を再現するのに役に立つはずです。2014年に「日帝時代は良かった」と言った老人が殺されたのも有名な話です。
『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著)で著者が使っていたのは「public memory」(公共の記憶:公共の物として広く共有される歴史的記憶)という言葉でしたが、このコラムの筆者は「集団(的)記憶」と呼んでいます。そしてそれは実体験からくるものではなく「概念的な虚像」とも言っています。
そう。”李氏朝鮮時代は華やかで美しく、人々は幸せに暮らしていた” という虚像が彼らにとって ”正しい歴史” であり、「物質的実態で補完」(ex. 美化した宮殿の復元)をして ”これが事実だ!” となるのです。
記事には「昌慶宮」という宮殿に言及していますが、それでは、日韓併合の8年前(1902年)の昌慶宮はどんなだったかと言うと... 。
これです ↓ ↓ ↓
この場所は、純宗〔最後の大韓帝国皇帝〕即位後、朝鮮総督府が頼まれて動物園と植物園を作り、市民に公開しました。 殿閣は整備して博物館にしました。 民に対する王室の啓蒙活動だったのです。
記事では日帝が王宮を蹂躙した痕跡を無くして元通りにする様な事が書かれていますが、見栄えのする洋風建築は残しています。例えば昌慶苑の植物園。
↓ ↓ ↓
この、「集団的記憶」や「公共の記憶」、即ち「みんながそう思っているのだから事実」というのは、李栄薫(イ・ヨンフン)博士が言う『一致した意見が真実になる国』と同じです。
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