【愛されない共和国】反米・反日左翼を生み出したのは保守政権【ブライアン・マイヤーズ 著】
以前のエントリーの続きです。ここであらためて『愛されない共和国』(『사랑받지 못하는 공화국』)の著者、ブライアン・マイヤーズ(Brian Reynolds Myers)教授のプロフィールをご紹介します。
英語版Wikipediaの情報によると、教授は1963年生まれ。2001年から韓国に移住して大学で教鞭(高麗大学→東西大学国際学)を執っていますが、それ以前の80年代初頭~90年代前半に西ドイツに留学して北朝鮮文学を中心とした韓国学で博士号を取得。時折東ドイツを訪問し、朝鮮学校で英語を教えた経験もあるそうです。日本でドイツ語を教えていた事もあるとの事。
他の英語のサイトも幾つか見ましたが、恐らく左派系のサイトなのでしょう、”極右” のようなレッテルも貼られているようです。
本のタイトル、『愛されない共和国』とは韓国の事で、建国年を人前で言えない韓国人、国家よりも民族を愛する韓国人の事を意味し、半分ほど読んだ限りではこの本で一貫して指摘しているのは「国家意識の欠如」です。
今回のブログエントリーの範囲は以下の目次(韓国語からの機械翻訳)の赤字の部分ですが、ここではブログ主の興味ある部分のみピックアップしてご紹介します。
第1章 この本を書いた理由 5
第2章 歴史を整理しようとする韓国人 14
第3章 アメリカを信じすぎないように警告する 22
第4章 解放期に関する修正主義の神話を修正する 25
第5章 北朝鮮と第1共和国 43
第6章 北朝鮮と4・19 54
第7章 朴正煕の国家主義について 59
第8章 5-18に対する慎重な一言 67
第9章 全斗煥時代への思い出 70
第10章 北朝鮮学研究者への変身 74
第11章 民主主義といえばアメリカ人は投票箱、韓国人はデモを思い浮かべる 79
第12章 国家より民族を優先した金泳三 88
第13章 金大中統治下の韓国への招待 93
第14章 ヤンキーの故郷 101
第15章 天安艦と延坪島 108
第16章 北朝鮮の3代世襲 115
第17章 文在寅候補の敗北 120
第18章 「独裁者の娘」 124
第19章 保守が見守る南北連合構築 132
第20章 結論 148
大統領で言うと、李承晩~朴正熙~全斗煥~盧泰愚の範囲ですが、盧泰愚大統領を軍事政権と括るのは誤りだと著者は言います。
それは、それ迄の政権と異なり北朝鮮との融和政策を急激に進めたこと。
大韓航空機爆破事件(1987年11月29日)から100日も経っていない時期に北朝鮮関連の禁止図書の解禁を行い、”南北関係を改善しようと必死だった盧次期大統領は、就任式まで待つことができず、1988年1月にすでに南北会談の開催を求めた” からです。〔pp.79-80〕
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韓国には「86世代」または「運動圏」と呼ばれる人達がいます。「80年代の民主化運動に参加した60年代生まれ」という意味で、更にその運動の中心となった人達が運動圏で、政治のみならず、司法、労働、教育、メディアなどで主流になっていった世代です。日本の「60/70年安保闘争」に加わった人達や「全共闘」世代とも共通点はありますが、韓国の方がより社会への浸透度が高い様に思えます。また、70年安保闘争の世代と比較しても10歳以上若いので、当分権力を握り続ける事でしょう。
マイヤーズ教授によると、この世代を生み出したのが李承晩~朴正熙政権との事。
以下の引用は機械翻訳である事ご了承ください。
〔...〕 問題は相反する感情を同時に抱いている韓国人が依然として多いということにある。 韓米同盟を支持しながらも、核兵器を積んでおく北朝鮮に同調したり、南北連合を擁護しながらも、一種の保険をかけるように米軍が残っていることを望む中道左翼は、いわゆる従北勢力よりも韓国の安保に大きな問題になるかもしれない。 しかし、遡ってみると、そのルーツは自由民主主義の価値よりも民族主義を前面に押し出した保守政権から始まった。
朝鮮戦争は、北朝鮮に対する韓国人の敵対感を高め、大韓民国に対する支持を強化した。 もし李承晩大統領がその時からでも国家精神涵養に本格的に乗り出したなら、その後の歴史の流れは非常に変わったかもしれない。 残念なことに、彼は代わりに自分を個人崇拝の対象にした。 彼の顔が描かれた1000ウォン札が戦争中に既に発行された。 休戦後、ソウルのあちこちに胸像や銅像が建てられ、1955年からはさらに彼の誕生日は全国民を総動員する大祝祭の日になった。〔...〕 南山の日本神社敷地跡に李承晩銅像を建てることを決めたことは、彼が依然として民族主義英雄として崇められることを望んでいたことをよく示している。 〔pp.48-49〕
維新政権〔※朴正熙政権〕に「全体主義」というレッテルを貼ることについては議論の余地はないが、実は私は「国家主義」というレッテルもそれほど明確ではないと思う。 もちろん、国家主義を国家が経済や社会に積極的に介入すべきだという主張を理念として規定するなら、朴正熙が国家主義者だったとも言える。 彼が著述と演説で国家に対する忠誠心を弱めてきた儒教的家族主義の伝統をよく批判したこともまた確かだ。 にもかかわらず、第3共和国は教育と宣伝で李承晩政府が犯したのと同じ基本的な過ちを犯したと考える、すなわち、北朝鮮が絶えず転覆させようとする大韓民国を守るのに最も適した方法が民族主義を煽ることだと考えたという点だ。 そのため、日本との関係正常化のために努力している中でも、全国各地に李舜臣将軍の銅像を建て、建国大統領の李承晩の名誉を回復させる代わりに、独立運動家の金九(キム・グ)を民族の指導者として掲げた。 〔p.63〕
このすべての宣伝が、経済的には日本と緊密に協力し、軍事的には米国に依存する国家である大韓民国の正統性を傷つけ、米国と日本に堂々と対抗しようとする北朝鮮の魅力をさらに輝かせることは、子どもでも予想できる。 もちろん、政府は金日成政権を絶えず誹謗したが、一つの民族主義国家がさらに民族主義的な同族国史をけなすことは、大変難しいことだ。 〔p.65〕
結局、若年層を対象にした宣伝は、金日成を豚に、人民軍を猿に描写するなど、北朝鮮の同族性を否定する方向に努力を傾けるしかなかった。自認できる結果として、賢い子どもたちが高校に進学する前に、幼稚な反北朝鮮宣伝にうんざりし、反米、反日感情と国家に対する反感だけを抱いたまま大学に入った。 〔p.65〕
朴政権が強化した集団主義精神も、不本意ながら運動圏に大きく役立った。 いわゆる主体思想派活動家だった閔庚宇(ミン・ギョンウ)学者は転向後に出した本「86世代民主主義」(2021)で次のように書いた:「運動圏は朴正熙と戦ったように見えるが、内面から流れる根の感情は朴正熙と同じように民族的、憂国的だったようだ。」(ちなみにここで憂国とは、共和国への愛ではなく、5000年前の祖国への愛を指す)。 〔p.65〕
主体思想派の ”ゴッドファーザー” だった北朝鮮人権運動家の金永煥(キム・ヨンファン)も同様の主張をし、維新時代に主体性という価値が持続的に強調されたことが彼を金日成の主体思想に脆弱にさせたと記憶した。〔p.65〕
* * * *
ここで韓国人を少し弁護すると...
著者も書いていますが、確かに1945年以降、南朝鮮~韓国に駐留した米軍人は素行が悪かったようです。そして、韓国人女性を慰み者にしている米軍を見て、あの韓国人がその屈辱を簡単に忘れるとは思いません。
著者は「韓国とは違ってNATO国家の政権は反米感情を常に落ち着かせようと努力した。」と書いていますが、NATO加盟国の国民と韓国国民に対する態度は同じだったのか疑問があります。そこには人種差別があったのではないか?... と。
また、アメリカ人の著者にとって米国史は1776年7月4日の独立宣言あるいはその前の独立戦争から始まるのだと思いますが、韓国人にとって、半万年はオーバーだとしても、”民族” の歴史をそう簡単に切り離せるものではないでしょう。
そして、韓国人が「国家意識」を持ったのはおそらく日本統治時代です。民族意識もこの時初めて芽生えたのかも知れませんが、その日本統治時代の記憶から、「国家主義」に帝国主義や軍国主義的な嫌悪感を抱くのではないかと想像します。それは、各種のコメント欄を見ても、日本の保守をすぐに軍国主義と結びつける傾向がある事に感じ取ります。
著者は第7章をこのように結んでいます。
私が保守にこのような話をすると、彼らは非常に不快に思い、すぐに話題を変えようとする。 左派だけが反米伝統を持っていると信じたいようだ。 しかし、現在の韓国の国家精神の不足を理解するには、軍事政権の民族主義から理解しなければならない。
この辺りはブログ主が ”我が意を得たり” と思う所です。慰安婦像の撤去運動をしている方に反日のルーツを指摘しても無視されますが... w
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