【オリンピック】孫基禎選手の記事に見る韓国の民族主義
韓国でオリンピックときたら... とうとう出ました孫基禎選手のコラム。〔後述〕
日本統治時代に日本人としてベルリンオリンピックに出場し、金メダルを取ったマラソン選手です。
コラムで言いたいことはソウルの光化門広場に大韓民国を象徴する「記憶の空間」を建てるべきだという事で、孫基禎(そんきてい/ソン・ギジョン)の話題は ”枕” のようなものですが。
恐らく、最近ソウル市が発表した、光化門前広場に巨大な太極旗を立てるという案が不評なので、それに関連したコラムだと思います。
そしてコラムが掲載されたのは『東亜日報』なので、この新聞社としてはオリンピック時期、孫基禎の事を書かないわけにはいかないのでしょう。あの有名な、胸の日の丸を消した写真を掲載したのが東亜日報なので、これが東亜日報の ”誇り” なのだと思います。
しかしね、こういうのを読むと、いつまでも粘着質な奴らだな... w と思ってしまいます。
だいたい、今や韓国人選手が出場機会や好待遇を求めて他国の国籍を取ったり、韓国スポーツ界が他国の選手を帰化させてる のですから。
孫基禎選手とは事情が異なるとは言え、矛盾してるとは思わないのでしょうか?
もういい加減、偏狭な民族主義(反日種族主義)を捨てるべきなのでは... 。
大して中身の無いコラムですが、一応機械翻訳でご紹介します。
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https://www.donga.com/news/Opinion/article/all/20240801/126269769/2
대한민국 지켜낸 이들 기릴 ‘기억의 공간’ 모색을[기고/강병근]
大韓民国を守り抜いた彼らを称える「記憶の空間」の模索[起稿/カン·ビョングン]
2024.08.01.
建国大学建築大学 カン·ビョングン名誉教授·ソウル市総括建築家
2024年7月27日は韓国戦争休戦協定71周年になる記念日だった。 今更ながら、私たちが日常の中で享受する自由と平和は、ただ与えられるのではなく、これを享受できるように国民を守る国家があってこそ保障される。 特に、今回のパリ五輪開会式を通じて、全世界の人々は一緒に見守った。 国を失えば、祖国を代表して参加する世界人の祭りに自分の国旗を掲げられずに入場する悲しみと侮辱を経験しなければならないということだ。
歳月が多く流れた今は多くの人々の記憶から遠ざかったが、私たち国民も過去に同じ悲しみを経験した。 まさに日本植民地時代だった1936年ベルリン五輪の時だ。 ベルリン五輪競技場には今も第11回五輪マラソン優勝者が「日本選手孫基禎」と刻まれている。 当時、彼の胸に刻まれた国旗が太極旗ではなかったため、今まで彼は韓国人でありながらも韓国人として認められていない。 孫基禎先生はドイツ体育会を通じて、絶えず自分が大韓民国の国民なので、五輪記録から国籍を回復してほしいと要請したが、その願いは結局叶わなかった。 その代わり、1986年に副賞(副賞)として与えられた古代ギリシャの冠〔※月桂樹の冠?〕だけを返してもらった。
私たちが生きていく今の大韓民国は、一つの国家の自由と平和を守るために、22カ国という人類の歴史上、最も多くの国が国連の旗の下に集まって守った唯一の国家だ。 韓国戦争当時、韓国軍13万7000人余りと国連軍15万3000人余りが負傷したり失踪し、捕虜になったりもした。 特に、このうち約4万人は、たった一つしかない大切な命を大韓民国の自由のために捧げた。 自身の生命より「自由」と「平和」の価値がより貴重だと考えたため、彼らはその価値を血を流して守り、今日の誇らしい大韓民国を作り出した。
今や「自由と平和を守ってくれた犠牲者たちと彼らを守り抜いた国家を記憶するということ」を、「大韓民国国民は彼らが残した価値を世の中で最も大切なもの」と考えているという事実を全世界に知らせようと思う。 この崇高な意味を最もよく表現できる位置、どこからでも見える高さに、大韓民国の先端技術力が凝集した表現方法で、世界人が共に経験しながら心に留めていける「記憶の空間」をどのように作っていけば良いか全国民の知恵を集めて下さるよう要請する。
戦争中の1950年9月27日未明、首都ソウルの中央庁に人共旗を下ろし、大韓民国の象徴である太極旗を再び掲揚した姿を世界の人々は生々しく覚えている。 その後、首都ソウルを修復し、この国を守り抜いたため、太極旗は再び翻すことができた。 その時の中央庁はなくなって久しいが、大韓民国の中心は変わっていない。
国家象徴街路の頂点は景福宮で、出発点である光化門前は「大韓民国の中心広場」だ。 ここに「大韓民国の象徴物」を再び建てることで護国英霊たちと6·25戦争に参戦した国連国家を子孫が胸の奥深く記憶に刻むことができる空間を用意しなければならない。 世界の多くの国家が彼らが守り抜いた国家と自由、平和を象徴する象徴物を広場の中心に空高く立て、横の中心に勝利の塔を立て、歴史的記憶が忘れないように努力してきたようにだ。
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