【古墳】瑞鳳塚・・・こうして歴史は捏造される
韓国の元スウェーデン大使が『毎日経済』に寄稿したコラムを機械翻訳でご紹介します。
墳丘の土を機関車の車庫を造る工事に使ってしまった事、瑞鳳塚の名前の由来について注意してお読みください。
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https://www.mk.co.kr/news/contributors/11069642
[매경춘추] 서봉총
[毎経春秋]瑞鳳塚
2024-07-17
瑞鳳塚は慶尚北道慶州市中央洞にある新羅時代の古墳である。1926年、考古学者であったグスタフ・アドルフ スウェーデン皇太子が新婚旅行で日本を訪問した際、この古墳の発掘に参加した。私は2018年にスウェーデン駐在大使に任命され、スウェーデンの主要人物に会う際、韓国とスウェーデンの縁を強調するための素材として瑞鳳塚の話をたくさんしていました。 しかし、ある時、この時期が日帝強占期であることがふと思い浮かんでからは、あまり気が進まなくなり、この話をしなくなりました。
今年4月に慶州に家族旅行に行きました。外交官という職業のため、子供たちが韓国より外国で学校教育を受けた期間が長く、韓国の歴史に関する知識が不足していると考え、千年の古都であり、新羅の都であった慶州に行き、多くの遺跡を直接見せて説明もしてあげたいという思いからでした。幼い頃に修学旅行に行った後、初めて行った慶州で私は千年の歴史が息づくことをそのまま感じることができました。世界的な文化遺跡をたくさん訪れましたが、慶州は世界のどこに出しても全く遜色ない誇らしい文化遺産だと確信しました。 特に大陵園にある新羅の王たちの墓の前では、悠久の歴史の魂と気運を感じることができ、襟を正すことができました。2025年のAPEC首脳会議の開催地に慶州が選ばれたそうです。私たちの誇り高い文化を世界に存分に発信する機会になることを願っています。
慶州でぜひ行ってみたい場所が一つありました。大陵園の向かいにある瑞鳳塚です。
ところで、特異なことに瑞鳳塚は大陵園の他の古墳と違って墳丘がなく、平らな形をしていました。瑞鳳塚の前には、スウェーデンのグスタフ·アドルフ皇太子の古墳発掘記念碑とともに、瑞鳳塚にまつわる事情が掲示板に書かれていました。日帝は慶州駅で機関車車庫を作るのに土が足りず、墳丘の土使うために発掘を始めたという。呆れたことだ。機関車の車庫を作るための土が不足して、神聖な他国の古代王陵を掘ったなんて! 本当に許せないことだ。古墳発掘作業が完了した後、慶州の最富豪の家で開かれた晩餐会で、日本の関係者が古墳の名称をスウェーデンを記念して「瑞典塚」と名付けようとグスタフ皇太子に話すと、皇太子は顔を真っ青にして「千年輝かしい新羅の王室を冒涜することはできない。王冠に鳳凰の文様があるので、『鳳凰台』としたらどうだろう」と断ったそうです。日本の役人が恥ずかしがり屋で、瑞典の「瑞」と鳳凰の「鳳」を合わせて「瑞鳳塚」と呼ぶことになり、今日の古墳の名称になったと言われています。当時、古墳の発掘作業に参加し、金冠を直接手に入れたグスタフ皇太子に贈った金耳飾り一対は、現在ストックホルム東アジア博物館のコリアンギャラリーに展示されています。グスタフ皇太子は現スウェーデン国王カール・グスタフ16世の祖父である。機関車車庫の土が必要だからと王陵の墳墓を掘り起こされる屈辱と恥をかかされたことは、とても心が痛く、悲しいことでした。歴史を忘れた民族に未来はないという言葉があります。未来に向けた協力も、過去の歴史は歴史として記憶しながら進めていく必要があります。
イ·ジョンギュ元駐スウェーデン大使
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まず、この元大使は案内板の説明を読んでいる事に注意してください。
墳丘に土が無いのは、日帝が工事に使ってしまったからと書かれているようです。
また、発掘調査に加わったスウェーデン皇太子にちなんだ名前を提案したら、新羅の王室を冒涜する事だと言って固辞したような事が書いてありながら、「鳳凰台」としたらどうだろうと提案しているのがよく分かりません。
◆日帝が塚の土を工事に使ってしまったのか?
事実はこうです。
「韓国学中央研究院」が運営しているサイトの『瑞鳳塚』の項を機械翻訳で読むと、発掘前から土は取り除かれていたようです。
https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0027777
>慶州·老西洞(キョンジュ·ノソドン)第129号墳だ。 1921年に慶州金冠塚〔금관총〕が偶然発見された後、朝鮮総督府博物館では1924年に金鈴塚〔금령총〕と飾履塚〔식리총〕を発掘したが、いずれも墳丘がなくなった廃古墳であり、新羅古墳の全体的な構造を把握するために墳丘が一部残っているこの古墳を1926年に発掘したという。
>発掘前にこの古墳の周囲に建てられた民家によって墳丘は大きく毀損されており、...
この古墳の発掘に携わった考古学者の濱田耕作が著した『考古游記』(1929)にも以下の様に書かれています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1918629/1/55
慶州の瑞鳳塚
一、発掘の由来
>その封土は半ば鍬除せられてはゐるものの...
◆「瑞鳳塚」の由来
では、瑞鳳塚の命名はどのようになされたのでしょうか。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1918629/1/60
>中食の間に山縣式部官から殿下御來訪の記念としてこの發掘中の古墳に御命名を乞ふたところ、宝冠上に鳳凰の飾物があるのみならず、なお青銅銭斗(これは金冠の東方に出現してゐた)にも鳳凰の鈕〔ボタン/つまみ〕があるによつて、「鳳凰塚」としては如何との事であつたが、私は甚だ結構ではあるが、この塚の東方に有名な「鳳凰台」と称する古墳があるので、それとの混雑を避くるため、「鳳冠塚」もしくはスェーデン皇儲殿下御發堀の記念として「瑞鳳塚」と名づけられては一層面白かるべしと申したので、遂にこの瑞鳳塚の名を採用せられ、なほ藤田、小泉兩君等發掘の當事者の賛成をも経て、遂にこれを決定發表せられたのであった。
濱田耕作博士が捏造した可能性もあります。しかし、スウェーデン皇太子に随行した学者が、発掘からまだ3年後しか経っておらず、その会話に参加した者もいるのに、嘘を書く必要があるのでしょうか?
冒頭のコラムを書いた元スウェーデン大使は案内板にそう書いてあったと言っているだけなので、恐らく、古墳の管理者がそういう話を作ったのでしょう。
何でそんなつまらない嘘をつくのか理解できませんが、少しでも日本人を悪者にしたいのかも知れません。
そして、案内板に記された以上、これが事実として流布されて行くのでしょう。
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