【『弥助』問題】批判すべき所とそうで無い所の見極めが必要
ブログ主は彼の著作を読んでいないので恐縮ですが、Kindle版(電子ブック版)の『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』(太田出版/単行本版は2017/1/25発売/トーマス・ロックリー 著)、「第一章 日本上陸と信長との謁見」には以下の様な記述があります。〔無料サンプル公開部分〕
>地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった。
この部分が「奴隷貿易が流行した」と読み違えて拡散されている様です。
ちなみに、トーマス・ロックリーの英語本を読んだ方によると、英語版には同様の記述はなかったそうです。
ロックリーの英語本2冊ともに読みましたが、日本語本の傍線部に該当する箇所は無いようです。なお、「イエズス会士は、奴隷制には反対はしていたが、実際には奴隷売買の主要な参加者になっていた」と言うような記述はあります。 pic.twitter.com/167vt6j6CW
— 清水俊史 (@AKBhVis) July 20, 2024
いずれにしても、巷間(「X」上で)言われている様な、”日本が黒人奴隷の発祥” という主張がなされているわけでは無い ようです。
ここは注意しておく必要があります。
また、ラム・マイヤーズ氏(アカウント名)によると、トーマス・ロックリーはあくまでも弥助を賞賛... 美化する目的があったと言います。
ニッポンジャーナルという番組内で「(ロックリー氏が)日本が黒人奴隷を生んだとWikipediaで拡散している」と解説していましたが、この情報はフェイクです。
— ラム・マイヤーズ (@laymans8) July 20, 2024
ロックリー氏の著書で書かれている内容は「地元の名士のあいだでは、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」です。… pic.twitter.com/G1MRGegPln
上記に引用したポストに表示されない部分を追記すると、
>要するに弥助が人気過ぎて黒人フィーバーが起きたという内容にしたかったのでしょう。彼のやりたかったことは「弥助スゲー」であって、日本に黒人奴隷の責任を押し付けることではないかと。
同内容をWikipediaで拡散しているという情報も正しくありません。鳥取トム時代の活動内容に「奴隷が流行った」等の記述は含まれません。「当時の日本では黒人は差別されておらず、むしろ尊敬されていた。なぜなら日本の寺院では仏像が黒く描かれていたからだ」とは書いています。
また、同放送内では「Wikipediaの記述を自説にあうように改竄している」と解説していますが、正しくは「2015年から3年弱の間、自分の学説をソースにWikipediaの記事をほぼ占拠していた」です。オークランド大学関係者の手によって、推測記事、憶測記事、主張と紐づかない引用が削除されるまでこの状態は続きました。
前述の書籍には以下の様な記述もあります。
>従者の中に、当時の標準でずば抜けて背が高く、強靭な肉体を持った二十代前半のアフリカ人青年がいた。そのハンサムな青年はポルトガル風の衣服に身を包み...
STST氏のNote+によると、(弥助を従えていた)ヴァリニャーノ神父の背の高さに驚く信長を記述した記録はあっても、”信長と弥助との出会いを記録した「信長公記」及びルイスフロイスやロレンソメシアの報告には特に弥助の身長は記されてい” ない、との事。
所謂「南蛮屏風」に描かれる黒人従者のイメージを美化しています。
▲傘を持った黒人従者(Wikimediaより)
ラム・マイヤーズ氏の表現を借りると、「弥助スゲー」が特にアフリカ系の人々の間に伝わり、更に別の書物が著されたり、彫刻などの作品となって、戦国時代に活躍した弥助という虚像を増幅させているようです。
映画化やミュージカル化の動きも既に出ています。フィクションやファンタジーと断った上での上演は構わないと思いますが、事実とは言えない事が拡散されるのは困るので、批判すべき所とそうで無い所を見極めて、”歴史戦” を戦う必要があります。
« 【尖閣諸島】台湾のメディアが(釣魚台ではなく)「尖閣諸島」と表記【台湾CH Vol.529】 | トップページ | 【ハングル】ハングル至上主義/ハングル民族主義 »
« 【尖閣諸島】台湾のメディアが(釣魚台ではなく)「尖閣諸島」と表記【台湾CH Vol.529】 | トップページ | 【ハングル】ハングル至上主義/ハングル民族主義 »
コメント