【李承晩】「対日全面禁輸だー!」→ダメージを受けたのは韓国でした
前回のエントリーで、「日韓国交正常化交渉も、李承晩で無ければもう少し早く終了したのでは無いか」と書きました。
実際、李承晩の子供じみた反日は無駄に交渉をこじらせていました。
これはその一例ですが、その前に...
韓国の李承晩絶対無謬論者は李承晩の反日は良い反日と言います。「国をまとめる為にしかたがなかった」と。
李栄薫(イ・ヨンフン)博士ら『李承晩学堂』の先生方はこのタイプ。同じ陣営には甘いのです。
ここで日本人が理解しておくべきは、韓国には本来の意味での『保守』はいないと言う事。
右翼や保守とは伝統的価値観を大事に守るものですが、韓国の場合、保守は李氏朝鮮の伝統を重んじるのではなく、「左翼(共産主義)ではない」という他律的な存在です。(だから、国内で「南北統一」の期待が高まったりすると存在価値を失う。)
従って、反共の李承晩や朴正煕元大統領のような「人」を ”よりどころ” にするしか無いのです。
これは「神格化」に繋がります。
若き日の李承晩は「自由民主主義」者だと言いますが、実際の彼の政治手法は権力を集中させ、政敵はどんな手を使ってでも潰すという... お世辞にも自由民主主義を実現できたとは言えません。
前回ご紹介したようなエピソード(不正選挙)などの理由で、保守の中には「朴正煕大統領は尊敬できるが、李承晩大統領はちょっと... 」という人も少なからずいます。
李承晩の評価で普遍的なものは「反共を貫いた」という事でしょう。まあ、当時の南朝鮮ではこれだけでも十分功績ですが。
経済政策もこれといった成果はありませんでした。
アメリカ生活が長かった彼は「自由経済」の考えが強かったのですが、朴正煕大統領になると行きすぎた民営化(企業体の民間払い下げ)を元に戻す「統制経済」に回帰させ、一部の企業を再び国有化しています。
自由経済が悪いのでは無く、日本統治時代をよく知っていた朴正煕は、当時の韓国には統制経済が合っていると判断し、それが成果を出したと言う事です。
* * * *
ここで本題ですが、李承晩は対日交渉の際、気にくわない事があると、いちいち日本に ”経済制裁” をかけています。
以前、保守論客の重鎮の趙甲濟(チョ・ガプチェ)氏だったか、「李承晩は反日ではない」という擁護をした事があり、「日本に敵対的な行動を取った理由は日本が中国(共産主義)に接近したからだ」と言う趣旨のコラムを書いていた事がありました。
それを読んだ時は納得したのですが、それは ”チェリーピッキング” 的詭弁だったようです。
それだけ聞けば尤もだと思いますが、それは「対日禁輸措置」の理由の一つでしかありませんでした。そして、理由はどうあれ、単に自国の経済を痛めつけるだけだったのです。
以下は『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』(李大根 著/文藝春秋社)からの引用です。
【注釈】13) 日本の総輸出入に占める韓国のシェアは輸出50分の1、輸入200分の1にすぎなかったが、韓国の総輸出入に占める日本の シェアは(図7-1) のように輸出30%台、輸入40%台であった。対日禁輸措置は韓国にとって自殺行為にほかならなかったのである。
まるで文在寅の「GSOMIA破棄」みたいなものです。
ちなみに文中の「久保田発言」というのは、請求権交渉の予備会談のようなところで韓国政府が「日帝36年の賠償金」とか言い出したので、久保田貫一郎首席代表が、それならこっちも言い分があると、反論したのですが、それに腹を立てて対日禁輸措置をしたのです。
日韓会談「久保田発言」に関する参議院水産委員会質疑
1953年10月27日
>韓国側のほうでは朝鮮総督の三十六年間の統治に対する賠償を要求したであろう、そう出て来たわけでございます。そこで私どもとしましては韓国側がそういうふうな朝鮮総督政治に対する賠償というふうな、それほど政治的な要求をいたさなかつたことは賢明であつたと思う、若し韓国側のほうでそういう要求を出しておつたなれば、日本側のほうでは総督政治のよかつた面、例えば禿山が緑の山に変つた。鉄道が敷かれた。港湾が築かれた、又米田……米を作る米田が非常に殖えたというふうなことを反対し要求しまして、韓国側の要求と相殺したであろうと答えたわけでございます。そういうところからいわゆる朝鮮総督府の政治のことが出て来たわけでございまして、それがまあいわゆる新聞で久保田発言と申されましたものの始まりでございます。
前回のエントリーで言及した動画のコメントのように、韓国人が「自分の陣営に属するものは詭弁を使ってでも擁護する」という癖をやめない限り、(解釈が異なるのは仕方がありませんが)事実関係の認識の一致はできないでしょう。
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