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2024年6月の24件の記事

2024/06/29

【渋沢栄一】韓国メディア『日本の新紙幣に「韓国経済侵奪」の主役』

韓国メディアが『ソウル経済』が1万円の肖像画、渋沢栄一にいちゃもんをつけています。

 

* * * *

https://n.news.naver.com/mnews/article/011/0004359638
日 새 지폐에 '韓 경제침탈' 주역… 최고액 '1만원권'에 등장 [지금 일본에선]
日本の新紙幣に「韓国経済侵奪」の主役··· 最高額「1万円札」に登場【今、日本では】
2024.06.29.

大韓帝国を圧迫して発行した最初の紙幣に
自分の顔を入れさせた人物
日本政府、貨幣交換でタンス預金が出るか期待

日本で発行される新紙幣に韓国経済侵奪の張本人が刻まれていることをご存知ですか?

日本では来月新しい紙幣が発行される。

新紙幣は1万円(約8万7000ウォン)札と5000円札、1000円札の計3種だ。

日本が紙幣の中の人物を交替したのは2004年が最後だった。 当時は1000円札と5000円札だけを変え、1万円札の人物は1984年以後40年ぶりに交替される。

ところが、新しく登場する紙幣人物の中で、私たちにすっきりしない後味を残す人がいる。

日本最大の紙幣単位である1万円札の新顔である渋沢栄一(1840~1931)だ。

彼は日本の明治時代の経済官僚を経て、多くの企業の設立に関与し、「日本資本主義の父」と呼ばれる。

しかし、渋沢は韓国には全く違う人物として記憶される。

彼は旧韓末、韓半島に鉄道を敷設し、日帝強占期に京城電気(韓国電力の前身)社長を務め、経済侵奪の先頭に立った人物として批判されている特に大韓帝国時代、利権侵奪のために韓半島で初の近代的紙幣発行を主導し、自ら紙幣の中の主人公として登場して韓国に恥をかかせた

この記者、自分で何を書いているのか分かっているのだろうか?w

大韓帝国では1902~1904年、日本第一銀行の紙幣1ウォン、5ウォン、10ウォン札が発行された。 この3種類の紙幣の中に描かれた人物が、当時第一銀行の所有者だった渋沢だった。 大韓帝国が1901年、外国貨幣の流通禁止と金本位制度の採択を内容とする「自主的貨幣条例」を発表すると、日本第一銀行は貨幣の発行を要求し、武力デモを通じて大韓帝国がこれを受け入れるようにした。

渋沢など新紙幣3種に登場する人物は、2019年の安倍晋三政権で決定された。

当時も、過去の韓半島侵略の歴史を代弁する人物である渋沢を1万円札の人物に選定したことに対して、安倍政権の歴史修正主義が反映されただけでなく、日帝植民支配を受けた韓国に対する配慮が欠如しているという批判が出た。〔以下略〕

何で韓国に配慮する必要があるの?w

* * * *

 

そもそも、奪うものなど無かった朝鮮であり、実際には、渋沢栄一は朝鮮の金融やインフラの近代化に貢献した人物です。

銀行制度は日帝残滓なのだから、無くしたらどうでしょうか。

以下、産経のコラムをご紹介して終わります。


https://www.sankei.com/article/20240615-V3AJAAIIVZLVTJGEBKFFBVAZ4A/?425733
新一万円札の渋沢栄一に韓国はどう反応する
ソウルからヨボセヨ
2024/6/15

日本のお札が7月から変わる。肖像画も一万円札はこれまでの福沢諭吉から渋沢栄一(1840~1931年)に変わる。2人とも明治時代の日本近代化の偉人だが歴史的に韓国と縁が深い。〔...〕

韓国では1963年、日本の千円札に初代首相の伊藤博文が登場した際、「わが国を侵略、支配した元凶でケシカラン」といって大騒ぎしたことがある。今回もまた騒ぐのだろうか。

渋沢は1898年(明治31年)に韓国で大韓帝国皇帝、高宗に会い経済改革などを話し合ったが、その結果の一つが紙幣発行だった。渋沢が頭取だった日本の第一銀行釜山支店がそれを担い、渋沢の肖像画が入った紙幣が韓国最初の紙幣になった(1902年)。ソウルの南大門市場向かい側の「韓国銀行貨幣博物館」にはそれが展示されている。

渋沢はそのほか韓国で最初の「京仁鉄道」や「京釜鉄道」をはじめ数多くの近代化事業を手掛けているが、公式歴史観ではそれはみんな〝侵略〟とされてきた。今回、一万円札の渋沢登場で韓国が自らの歴史をどれだけ冷静かつ客観的に見られるか、興味深い。(黒田勝弘)

 

 

  


 

 

 

 

【ういろう通信(共同通信)】『辺野古移設抗議の女性ら2人ひかれ1人死亡』

『辺野古移設抗議の女性ら2人ひかれ1人死亡』というタイトルの記事をupし、見事「コミュニティノート」爆撃を受けましたw

 

20240629_uirou01

 

* * * *

 

https://nordot.app/1179300020341097413
辺野古移設抗議の女性ら2人ひかれ1人死亡

Published
2024/06/28 14:56 (JST)
Updated
2024/06/29 09:52 (JST)

 沖縄県警によると、28日午前10時15分ごろ、同県名護市の国道で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に抗議していた70代女性と、40代の男性警備員がダンプカーにひかれた。警備員は全身を強く打って間もなく死亡し、女性は負傷した。

* * * *

  

お手本(読売新聞の記事タイトル)

 ↓ ↓ ↓

辺野古移設工事の土砂運搬ダンプカーにはねられ、警備員男性が死亡…周辺で抗議活動の女性は重傷
2024/06/28 23:25

 

 

  


 

 

 

 

【沖縄】反基地活動家が辺野古の警備員を殺した/警備会社のせいにしようとする沖縄メディアの動き

昨日(2024/06/28)、辺野古(へのこ)の基地拡張工事に資材を搬入するダンプが事故を起こし、警備員の方〔宇佐美芳和さん(47)〕がお亡くなりになりました。

→ 事件があった場所は安和桟橋と呼ばれる場所で、埋め立ての為の土砂を搬出するダンプだそうです。

この場所では連日のように、トラックを阻止しようと、反基地活動家がトラックの前に飛び出したり、牛歩戦術(進路をのろのろと遮って搬入を遅らせる)事でいつ事故が起こってもおかしくない状況でした。

本来なら活動家の行為は「道路交通法違反」や「威力業務妨害」の罪に問われるべき事ですが、逮捕しても軽犯罪でたいした罪に問われない事や、その際に警官や警備員が多少手荒に扱うと、全治3日程度の怪我でもそれを理由に訴えられる事が理由で本格的な取り締まりは行われず、活動家がやりたい放題でした。

警察がふがいないと言えばふがいないのですが、活動家達は地元出身者である警官の家や家族を調べ上げて、「お前の家族も知っているんだぞー」と脅しています。

以下はTBSの記事です。

 

◆事故は活動家のせい

* * * *

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1260611?display=1
【続報・ダンプ事故】辺野古埋め立てに抗議する女性が飛び出し 警備員は巻き込まれたか
2024年6月28日(金) 17:00

警察によると、きょう午前10時すぎ、沖縄県名護市の安和港の出口付近で、ダンプカーが2人と接触し、40代の男性警備員が死亡した。

普天間基地の辺野古移設工事では、本島北部で石材を採取しダンプカーで搬送している。

男性は普天間基地の辺野古移設工事に関する警備業務についていた。警察によると、移設工事への抗議活動をしていた70代女性も病院に搬送された。消防によると、この女性は足を骨折しているが意識はあったとされる。

死亡した男性警備員については通報時、「頭部破裂、意識なし」という通報内容だったという。

「Googleストリートビュー」では、去年撮影された現場付近の様子が確認できるが、歩道上からトラックに向かって抗議のメッセージを掲げる人物が写っている。

今回の事故はこうした抗議行動の延長線上で起きたとみられる。

警察関係者によると、抗議行動そのものの過熱や特に大きなトラブルの情報はなかったため、事故発生時の現場には警察官はいなかったとしている。死亡した警備員は事故の直前、今回けがをした女性とは別の女性抗議者を制止していたが、今回けがをした女性がすり抜け、ダンプトラックの前に飛び出そうとしたため急いで制止に入り、一緒に巻き込まれた

 

目撃者「2人をはねながら引きずった」

当初警備員の制止を受けていた女性も取材に答えた。

▽抗議行動をしていた女性
「出てきたトラックが2人をガガガってはねながら向こうまで引きずって」
「私が牛歩(で抗議)するのを、事故に遭った人が止めようとしたんです」

「それを彼女(けがをした女性)が見て、トラックを出して私を止めてるのをおかしいでしょ?って、2人が言い合ってるときに、止まってたトラックが、ガーッと2人を引きずって」

警察関係者によるとダンプトラックは、現場にいた別の人物から、出発してもよいという合図をもらってから発進したとみられるという。

* * * *

 

マーキングした部分から想像するに、トラックの前から活動家を排除する最中に別の活動家がトラックの前に立ち塞がった様です。警備員さんはそれをどかそうとして...

 

一方、この事故が起きた直後にRBC(琉球放送)が気になる記事を出しています。

 

◆警備会社のせいに世論を誘導しようとしている?

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1260071
辺野古ダンプ運転手が証言「無理な誘導多かった」現場では辺野古移設反対の抗議運動
2024年6月28日(金) 13:50

取材された工事関係者は、最近、警備会社が変わった事で誘導方針に変化があったと語っています。一部を引用します。

「1年程前に警備会社が変わり、土砂搬入のスピードアップを図って無理な誘導が増えていた。いわゆるヒヤリハット事例が何度もあった」

この運転手が、事故当時の様子を目撃した別の運転手から話を聞いたところ、ダンプトラックは「何かに乗り上げたような動きをしていた」そうだ。 

「工期のスピードアップの指示が上からあったようで、危ない事案が増えた。ただ事故の責任は運転手が問われるということで、大半の運転手は無理な誘導に従っていなかった」

「人がまだいるのに進行させるため、事故になりそうなことが何度もあった」

 

警備会社が丁寧に活動家をどかせてからトラックにGOサインを出さないのが悪いと言わんばかりです。

注意しなければならないのは、沖縄メディアがストーリーを作ろうとしている可能性です。

インタビューに答えた方は、どういう質問をされ、この様に答えたのかは我々には分からないのです。

しかし、警備員を配置しなければならない状態だったのは活動家のせいです。

そして、TBSの記事でも分かるように、悪いのは、活動家仲間が排除されるのを邪魔しようと、おとりのようにダンプの前に飛び出した別の活動家(70代女性)です。

 

彼らは、人を殺しておいて、
これからも妨害活動を行うのでしょうか?

 

◆工事が遅延すればする程儲かる人達もいる

一般県民にとっては、道路も渋滞するし、反基地活動によって得られるものはありません。むしろ迷惑しているのですが、沖縄経済はごく一部の ”財閥” があらゆる分野を支配しています。物流然り、小売業然り、建設業界然り... 。[この点では韓国経済界に似ている。]

コンビニを想像してみてください。本土資本の企業が沖縄に進出しようとすれば、必ず沖縄財閥と手を組まざるを得ないという構造になっています。

反基地活動は財閥にとっては ”美味しい” のです。

迷惑を被っているはずの業界が黙認しているのはこのためです。現に、沖縄財閥は社員研修と称して、反基地活動家の違法テントに新入社員を派遣して反基地活動を行っています。

このマッチポンプのような経済構造がある限り、沖縄社会は変わらないと思います。基地問題はイデオロギー闘争だけでなく、これによって儲かるか否かの問題でもあります。

この経済構造に多くの県民が組み込まれている限り、基地問題は ”甘い汁” です。

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/25

【韓国のダブスタ】ALPS処理水→「汚染水」、未処理の冷却水→「貯蔵水」

韓国の月城原発で、使用済核燃料を冷却した水がそのまま排水口から日本海へ流れ出るという事故がありました。

今まで韓国人が、ALPSで放射性物質を極力除去した「処理水」を「汚染水」と呼んでいましたが、これぞ正真正銘の「汚染水」です。

ブログ主は 『お隣速報』(韓国人の反応翻訳サイト ※)で見ただけですが、韓国人のコメントにこういうものがありました。

日本には浄化処理すべて終わったものを汚染水だと言っておきながら、処理せずに漏らした自分たちのものは貯蔵水と言うのか?

※翻訳元記事(NAVERに転載された聯合ニュース):"월성 4호기 사용후핵연료 저장수 2.3톤 바다로 누설돼"

 

そう、韓国メディアは、今回流出した水を「汚染水」という言葉は使わず、「冷却水」(あるいは「貯蔵水」と呼んで報道しています。

韓国から処理水放出に反対する為に来た尹美香(ユン・ミヒャン)などの左派系議員と一緒になって「汚染水の放出反対!」と叫んでいた日本の社民党議員達はこれにはだんまり?

 

以下に記録として『朝鮮日報』の記事を保存しておきます。

 

* * * *

https://www.chosun.com/economy/science/2024/06/24/DEI3G4NNO5ATTFWR2UTGYPVLPY/
월성 원전 저장수 2.3t이 바다로… "원인 조사중"
2024.06.24.

https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/06/24/2024062480036.html
韓国・月城原発4号機の貯蔵水2.3トンが海に流出…「原因を調査中」 /慶州
2024/06/24

流出は今回が初めて
人体に害がないレベル

 慶尚北道慶州市の月城原子力発電所4号機の使用済み核燃料保管施設から22日、2.3トンの貯蔵水が排水口を通じて海に流れ出す事故が発生した。月城4号機は現在稼働を停止し計画整備中だが、韓国国内で貯蔵水が海に流れ出す事故は今回が初めてだ。原発の安全性を管理監督する原子力安全委員会は「人体に害がないレベルには大きく及ばない」と説明しているが、一方で「再発防止策が必要」との指摘も相次いでいる。

 原子力安全委員会などによると、原発を管理運営する韓国水力原子力は22日午前4時34分ごろ、計画整備中の使用済み核燃料貯蔵プールで冷却系統の異常を感知し、午前7時40分に微量の貯蔵水が海に流れ出した事実を確認した。流出量は推定で2.3トンだった。原子力安全委員会は一連の事実について同日午前7時53分に報告を受け、韓国原子力安全技術院(KINS)の専門家を現地に派遣し、正確な流出量や流出原因などについて調査を行っているという。原子力安全委員会の関係者は「貯蔵水を冷却する熱交換器で流出が発生したと推定している」と説明した。

 流出した貯蔵水の放射線量は一般人の年間線量限度(人体に害のない放射線量の限界値)と比べてごく微量だという。韓国水力原子力は流出した貯蔵水の有効線量を「年間0.000000555mSv(ミリシーベルト)」と原子力安全委員会に報告した。一般人の線量限度は年間1ミリシーベルトだ。人体にがんなどを誘発する「セシウム137」も検出されなかった。原子力安全委員会が同日月城近くの港や海水浴場など4カ所で海水を採取し分析したところ、セシウム137の濃度は検出下限値(測定可能な最小値)の1リットル当たり2.88-3.29ベクレルだったという。

貯蔵水(冷却水)とは使用済み核燃料から放出される熱を冷却し、放射線の流出を防ぐために使用される水だ。使用済み核燃料は核分裂は終えているが、莫大(ばくだい)な熱と放射線を出すため原発内の貯蔵プールで貯蔵水により冷却され、その後臨時あるいは永久保管施設に移される〔〕。貯蔵水は使用済み核燃料と直接接触するため、徹底した管理が必要になる。原子力安全委員会は「浦項や蔚山沖合での放射能測定では特異な事象がないことを確認した」「精密分析を行い、その結果が出れば直ちに公表する」と説明した。

※「臨時あるいは永久保管施設に移される」とあるが、臨時に保管された水はALPSみたいな処理しているの?

 専門家は「貯蔵水の流出は異例」とした上で「再発防止策の取りまとめが必要」と指摘する。慶煕大学原子力工学科の鄭釩津(チョン・ボムジン)教授は「2.3トンは家庭用の浴槽2-3個分の量なので、懸念するレベルでは全くない」としながらも「問題が発生した熱交換器の整備間隔を短くするなどの対策が必要だろう」とコメントした。

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/22

腹話術師の時代:韓国語と韓国小説の近代化【『朝鮮日報』鮮于鉦(ソンウ・ジョン)コラム】

植民地の腹話術師たち: 朝鮮の近代小説を読む』(平凡社、2017/3/21、金哲 著/渡辺 直紀 訳)を読了。

著者の金哲(キム・チョル)氏は韓国・延世大学校名誉教授です。

著者のスタンスが分かる文章を前書きから引用します。

私の職業は大学の国語国文学科の教授である。いわゆる「国語」と「国文学」を学び教えることが私の仕事で、私はそれで飯を食っている。だが、私はかなり長い間、自らの仕事の手段であり、自らの勉強の根拠である、この「国語」と「国文学」が、実はきわめて疑わしい存在であるということ、「国語」や「国文学」というものを、それほど神聖なるものとして持ち上げるべき理由などまったくないということを、さまざまな形の文章や著書を通じて主張してきた。本書もそのような主張と同一線上にある。

 

日本人は、明治期にそれまでの文語体から「言文一致」という日常の話し言葉に近い文体を何人もの作家が試み、現代の日本語の文体の基礎を築いたと、恐らく中学生くらいでも知っています。しかし、韓国では、この時代はひたすら ”暗黒” の時代であり、この時代の朝鮮人作家が、朝鮮語で朝鮮人の為の小説を書くのにどのような苦労があったのか、彼らの試みを通じて、朝鮮語(韓国語)と韓国小説がどのように『近代化』されたのかは知らないのでしょう。

この本を構成する13章は、国立国語院の季刊誌に掲載されたものだそうで、エッセイ(随筆)と論文の中間くらいの文章... つまり、論文程堅苦しくなく、注釈なども少ない読みやすい文章となっています。一章に一人の作家という形式では無く、章ごとにテーマがあり、複数の小説から引用しています。

例えば、

第4章 「裁判にも、両班、常奴の区別があるのでしょうか?」──韓国小説と近代司法
第9章 コーヒー、ブランデー、恋愛アメ、そしてランチ──食べ物と植民地モダニティ

という見出しから分かるように、韓国社会の文明化や近代化に主点か置かれた章もあります。

韓国では、強烈な民族主義から、「朝鮮には素晴らしい文化があったのに、日帝が破壊した」というのが今なお一般的な認識で、「日帝に言語(朝鮮語)と文字(ハングル)を奪われた」というのが定説となっていますが、日本語(単語や表現方法)を取り入れたり、日本統治時代に紹介された西洋文化... そこにはコーヒーやブランデーといった外来語も伴いますが、こうしたものを吸収して朝鮮語がより表現豊かになり、近代小説が発達したのが日本統治時代の一面でもあったのです。

更に、日本人読者向けの前書きから。

(1989年に海外旅行の自由化以降、海外に出るようになったという話の後)私が暮らしてきた国家と社会の知的・精神的な自閉性、病的ナルシシズムがさらに鮮明に見え始めたが、それは私にとって大きな衝撃だった。なぜなら、私もやはりそのような自閉性において例外ではなかったからである。

訳者が後書きで書いていますが、初めて金哲教授の講演を聴いた時には、まだ氏は韓国語に関して民族主義的な視点だったそうです。が、それからしばらくして教授の主張が変化したと言います。それが冒頭にご紹介した氏のスタンスです。

 

今回、ブログ主が稚拙なレビューを書くよりも良い文章を見つけたのでご紹介します。

『朝鮮日報』の鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員のコラムです。

 

* * * *

※機械翻訳による誤字は極力修正しましたが、多少日本語として不自然でも意味が分かれば機械翻訳ママ。緑字はブログ主の補足。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2019/12/31/2019123102886.html
[선우정 칼럼]복화술사의 시대
[鮮于鉦(ソンウ・ジョン)コラム]腹話術師の時代
朝鮮日報 副局長兼社会部長
2020.01.01

自分の言語が何なのか分からない時代、
私たちは純粋な韓国語を探して
韓国語で新聞を作り、ハングルを民衆に普及させる運動を展開した

 

石窟庵※日本統治時代に発見された新羅時代の石窟寺院に対する私の知識は、世界的な文化遺産という事実と、日帝がセメントを塗って壊したという俗説を知っているレベルだった。 そうするうちに朝鮮末期の石窟庵の姿を冊子で見た時、頭が混乱した。 漢城の旧跡レベルの崩れた入り口、石積みの廃墟。

石窟庵に関する本と論文を読んで次のような事実を知った。 第一に、三国遺事から朝鮮後期までの400年間、韓国の記録に石窟庵は登場しない。 石窟庵を文化遺産とは思わなかったということだ。 第二に、石窟庵を近代的に再発見し、復元したのは日本である。 ここで日本とは朝鮮を支配した統監府と総督府をいう。 第三に、石窟庵を世界の名作と評価し、近代的な文化遺産に引き上げたのは日本人だ。 今日の石窟庵の認識は、日本の美術史学者柳宗悦の評価「永遠の傑作」から抜け出せない。 1907年から1919年の間に起きたことだ。

 

Sekkutsuan01_before
発見当時の石窟庵(Wikipediaより)

 

Sekkutsuan01_after
修復直後の石窟庵

 

「近代」は「現代」以前の古い時代ではない。 今私たちがしている服装、コミュニケーションする言語、知識を伝播する教育、生活を拘束する法律、さらに美的感覚の体系まで近代の枠組みの中にある。 みんな「モダン(modern·近現代)に生きている」のだ。 人々は私たちが完成した近代を日帝が国権を強奪し前近代に戻したと考える。 これに異議を申し立てた瞬間、「植民地近代化論か」という攻撃を受ける。 近代性と植民地性に対する混乱は、韓国近代史の永遠の足かせであり、罠だと思う。

延世大学の金哲(キム・チョル)名誉教授が書いた本「腹話術師たち」〔복화술사들 소설로 읽는 식민지 조선(腹話術師たち 小説で読む植民地朝鮮)〕は文学と言語の観点から韓国近代の複雑さを教えてくれる。

1917年に連載を始めた小説家李光洙(イ・グァンス)の記念碑的作品「無情」の会話の一部だ。

「ヨウ。オメデトウ。イイナヅケ〔※許嫁〕がいるらしいな。うーむ。 ナルホド」〔

純粋なハングル小説だが、日本語が入り混じった韓国の主人公たちの対話だけは実際のまま反映している。

※台詞の中でカタカナで表記した部分は、原文では日本語をハングルで音写している。

国権喪失から7年で、朝鮮の言語がひどく汚染されたと見るべきだろうか。 キム・チョル教授はこのように説明する。 「近代語文に刻まれた植民地性ではなく、近代韓国語が作られる過程だ。 純粋で完結した形態の言語とは、他のすべての言語がそうであるように、存在しない。」

尹致昊(ユン・チホ)は歴史的な名声と同じくらい「日記王」として有名だ。 1883年から1943年までの60年間、ほぼ毎日日記を書いた。 漢文で4年、ハングルで2年、その後英語で書いた。 ハングルをあきらめて英語で書き始めた1887年のある日、彼は理由をこのように記録した。 「its vocabulary is not as yet rich enough to express all what I want to say.」韓国語は語彙が豊富ではなく、言いたいことをすべて表現しにくいという意味だ。 尹致昊と李光洙の事例は、言語の面で韓国の近代とは、すでに完成したものでもなく、完成したものを誰かが完全に破壊したものでもないことを物語っている。

韓国の文化遺産を近代の視線で評価できる朝鮮人美術史家は、日本植民地時代の半ばを過ぎる頃に輩出された。 解放後、韓国美術史研究を新しい次元に引き上げた高裕燮 (고유섭/コ・ユソプ)が初めての人物だ。 彼は1920年代、京城帝大法文学部で哲学と美学を専攻し、日本美学の主流を受け継いだ東京帝大出身の上野直昭〔※うえの なおてるに師事した。 コ・ユソプのような朝鮮の人材が京城帝大から1000人近く輩出された。 彼らが韓国現代史の主役になった。 大韓帝国がそれだけの近代的人材を輩出していたら、石窟庵は韓国人によって発見されたはずであり、国も滅びなかっただろう。

小説家の金東仁(김동인/キム・ドンイン)は「構想は日本語でするが、書くことは朝鮮語で書いた」と話した。 「弱い者の悲しみ(약한 자의 슬픔)」を書いた1919年頃の回顧だ。 日本が韓国の文化遺産を近代的な物差しで評価していた時、韓国の知識人は自分の内面にあまりにも早く浸潤される「日本の近代」に当惑していた。 キム・チョル教授はこの時代の韓国人のアイデンティティを「腹話術師」という表現で象徴した。 「一口で2つの言葉を話す者、2つの舌を持つ者たち」だ。

小説家のキム・ドンインが言語のアイデンティティに苦悩した1920年、朝鮮日報は創刊された。 編集局の大会議室の壁面全体に掲げられた歴代編集局長の写真のうち、日本による植民地時代編集局長は10人だ。 独立運動家の李商在(イ・サンジェ)先生をはじめとして廉想渉(ヨム・サンソプ)、朱耀翰(チュ・ヨハン)、李光洙(イ・グァンス)など当代の作家が含まれている。 「腹話術師の時代」に彼らは毎日近代的な韓国語を探し、韓国語で新聞を作り、ハングルを民衆に普及する運動を繰り広げた。 今私たちは少なくとも「ヨウ。オメデトウ。イイナヅケがあるみたい。 うーむ、ナルホド。」とは言わない。 自然に実現しなかった。 彼らの苦悩と情熱を考えながら創刊100周年を迎える。

※上記コラムを見つけるきっかけとなったブログ: https://obokname.tistory.com/1390

* * * *

 

  


 

 

 

2024/06/20

【佐渡金山】ユネスコ諮問機関による「情報照会」とは?

まずは産経新聞の社説をご紹介します。

 

* * * *

https://www.sankei.com/article/20240613-53DSU3XHXZMD3IWRUEVQWYVAFM/
<主張>佐渡金山 歴史を歪めず世界遺産に
2024/6/13 05:00

政府が世界文化遺産登録を目指す「佐渡島の金山」(新潟県)について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が補足説明などを求める「情報照会」を勧告した。

登録内定には至らなかったが、佐渡金山の世界的価値を認める内容だ。政府は地元自治体と連携し、登録実現へ万全を期してもらいたい。

勧告には、登録▽情報照会▽登録延期▽不登録―の4段階がある。佐渡金山は今回、「(登録を)考慮するに値する価値を有する」と評価された。その上で、明治以降の遺産が多い一部地域の除外▽遺産保護のための緩衝地帯の拡大▽商業採掘を再開しない確約―の3点について補足説明を求められた。

※佐渡金山は江戸時代の幕府直轄地から明治時代には官営の佐渡鉱山(皇室財産)となり、明治期に三菱(現 三菱マテリアル)に払い下げられて今に至っている。

勧告を踏まえて内容を一部見直し、適切に説明すれば、7月に開かれるユネスコ世界遺産委員会で登録が決議される可能性は十分ある。昨年は情報照会の勧告を受けた6件が全て同委員会で登録決議された。

林芳正官房長官は会見で「登録に向け、政府一丸となって対応する」と述べた。地元自治体とも早急に協議し、しっかり対応してほしい。

一方、今回の勧告では補足説明とは別に、「配慮すること」として「全体の歴史を現場レベルで包括的に扱う説明・展示戦略」も求められた。これを受けて韓国外務省当局者が「韓国の立場が十分反映されれば(登録を)妨げない」との考えを示したのは問題だ。場合によってはなお妨害するつもりなのか。

韓国側はこれまで、佐渡金山は戦時中の「強制連行の被害現場」だとして登録に反発し、その言い分を認めるよう訴えてきた。しかし当時の朝鮮半島出身者には給与も支払われており、韓国側の主張は言いがかりである。日本政府は令和3年、「強制労働には該当しない」との答弁書を閣議決定している。

そもそも日本側が推薦する佐渡金山の文化的価値は江戸時代までだ。「全体の歴史」を説明するにしても、閣議決定に沿った内容でなければならず、「韓国の立場」でないのは言うまでもない。

佐渡金山は、独自の技術により江戸時代の17世紀には世界最大級の金の産出量を誇った鉱山遺跡だ。その歴史と文化的価値を歪(ゆが)めることなく、世界遺産にしなければならない。

* * * *

 

今回、世界遺産登録を目指す佐渡金銀山は、西三川砂金山(にしみかわさきんざん)と相川鶴子金銀山(あいかわつるしきんぎんざん)の2つの資産で構成されており、その価値として江戸期の手掘り採掘に限定しています。

 

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全体像はこちらのサイト(『文化遺産の世界』)のレポートが詳しく分かりやすいです。公式サイト『「佐渡島の金山」を世界遺産に』はこちら。

  

観光スポットとして見所が多い、と言うか、写真などでよく見るのは相川金銀山周辺が多く、「道遊の割戸」と呼ばれる特徴的な山〔上図〕もここにあります。江戸時代の坑道跡である宗太夫坑〔江戸時代の作業風景を人形で展示している観光コースもこの近くにありますが、コンクリートの廃墟となっている「北沢浮遊選鉱場」や「道遊坑」は近代の遺産です。

江戸時代以前から継続的に金を採掘し、戦時中は重要な物資である銅や鉄、亜鉛、石炭等を採掘。20世紀末まで活動していたので、当然と言えば当然ですが。

その為、韓国メディアが佐渡金山〔〕を話題にする時は、たいてい、北沢地区にある近代的な施設跡を映像で紹介します。

※韓国では佐渡金山と呼ばずに「佐渡鉱山」と呼ぶ。李宇衍(イ・ウヨン)博士によると韓国語では「金山」がなじみのない言葉だからだそうだが、”戦時中に朝鮮人労働者が搾取された現場” というのを強調したいのではないだろうか。

 

世界遺産検定」のサイトからお借りして勧告の内容をもう少し詳しく書くと、

①相川鶴子金銀山に含まれる相川上町の北沢地区を世界遺産エリア(プロパティ)から外し、緩衝地帯(バッファーゾーン)とすること
②相川鶴子金銀山の緩衝地帯を沖合に拡張すること
③世界遺産範囲内での商業採掘を今後行わないことを示すこと

だそうで、北沢地区はコアゾーンで無くなるものの、遺産を補完するエリアとして保護・保全の対象になります。これに関しては地元の皆さんも納得しているようで、『新潟日報』には、

という記事がありました。

 

「全体の歴史を現場レベルで包括的に扱う説明・展示戦略」を配慮すべしという勧告は、観光客の立場からしても尤もな話で、閉山に至るまでの通史は展示されるべきでしょう。

問題は、韓国がこれに便乗して ”朝鮮人労働者の被害” を展示しろと言ってくる事で、既に今年4月には尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日韓国大使が佐渡を訪れ、

  • 朝日新聞(2024年4月5日):佐渡金銀山遺跡は「マイナスの歴史も表示を」 徴用工めぐり韓国大使
    戦時中に朝鮮半島出身の徴用工が厳しい環境下で働いていたことに言及し、「マイナスの歴史もあるわけだから、全体の歴史をそのまま表示する必要がある」として、現状の展示には不備があると指摘した。
    犠牲者の慰霊碑についても「残念ながら欠いている」とし、「そういうことがきちんとできれば、登録に大きな支障はなくなる」と述べた。

などと世界遺産登録への協力をチラつかせながら脅しています。

しかし、佐渡にはその時代の資料も多く残されており、朝鮮人労働者に対しても手厚い福利厚生があった事も分かっているのですから、むしろこれをチャンスとして、事実を展示すれば良いと思います。

また、世界遺産登録は全会一致が慣例とは言え、2/3の賛成で決定するのですから、姑息な裏取引などせず、堂々と来年7月21~31日にインドで開かれる世界遺産委員会を迎えて欲しいと思います。韓国と中国がどれほど買収するかは分かりませんが、反対した国には今後報復してやればいいのです。

 

* * * *

鈴置高史氏の指摘する事は重要です。

タイトルが示すとおり、軍艦島でもそうでしたが、佐渡金山での ”徴用工” 問題を利用して、韓国は日本統治が不法なものであったという既成事実を作ろうとしています。

仮に朝鮮半島出身労働者が「徴用」〔←強制性があるが合法〕だったとしても、これは一般に言う「強制労働」とは異なりますが、その為に、わざわざ「強制徴用」と呼んでみたり、最近では「強制動員」と呼んで、あまり「徴用」という言葉を使わなくなってきています。

彼らはなんとしても『不当な植民地支配』という ”最強のカード” が欲しいのです。

既に、彼らは日韓基本条約を事実上破棄していますが、それの裏付けを創作しようとしています。彼らが創ってたファンタジーの歴史を既成事実化したいのです。

 

【参考】zakzak(2024.6/14):佐渡島金山の世界遺産登録で「反日」再燃のきざし 日本政府はオドオド…申請対象「江戸時代まで」の小細工も 全歴史を示す好機に 室谷克実

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/19

【慰安婦像】旧日本大使館前の慰安婦像撤去活動はそれ程重要なのだろうか?

韓国の右派が旧日本大使館前の慰安婦像撤去を叫んで挺対協(現正義連)の水曜集会のカウンターデモを始めてから何年も経ちます。

始まったのは、文在寅政権時代でした。

日本人としては、2015年の日韓合意で朴槿恵政権が慰安婦像の撤去努力をすると約束し、これ以上は慰安婦問題を不問にすると約束してから、日本大使館前や釜山の日本領事館前の慰安婦像は象徴的な存在なので、これらの撤去を叫んで活動する右派の活動には賛同していましたが、尹錫悦政権に変わって様相が異なりました。

麻生政権の時、釜山領事館前に慰安婦像が建てられた事で日韓スワップ再開交渉が打ち切られたりしましたが、尹錫悦政権に変わってから、慰安婦像があろうとなかろうと、ホワイト国に復帰させたりと、日本政府は、せっかく生まれた(比較的)まともな保守政権である尹錫悦大統領にポイントを稼がせてあげようと、なし崩し的に韓国に甘い顔を見せるようになりました。

そのせいか、慰安婦像撤去を叫んで活動を開始した人たちも、それとは関係ない活動をしています。

但し、慰安婦像を絡めないと日本人の関心を引き留められないのも分かっているようで、表向きは慰安婦像撤去を叫んでいますが、今は警察と揉めたり、正義連の水曜集会にヤジを浴びせたり、左右の闘争に過ぎません。

中継している方は、日本の名誉を守る為と言って、動画で収益を上げられるように、視聴者を引き留める努力をしていますが... 。

彼らはあくまでも韓国の正常化の為に戦っており、それには賛同しますが、もはや旧日本大使館前の慰安婦像なんて象徴程度に過ぎません。

日本人としては、ぶっちゃけ、韓国にいくら慰安婦像を建てようが、海外に嘘を広めるのをやめさせたい=慰安婦合意を守れと言いたいだけですが、カウンターデモをしてる方達は慰安婦合意を破棄しろと言っているわけで... 。

利害が一致する部分は多くあるので、心情的には応援しますが、韓国国内では黙殺されている状態で、もはや旧日本大使館前の慰安婦像は「ストローマン論法」で言う ”藁(わら)人形” に過ぎないのです。

 

 

  


 

 

 

 

【慰安婦像】ベルリン・ミッテ区の慰安婦像撤去? 一部の区議が撤去阻止の議決案上程へ

今朝、韓国メディアが『ベルリンの少女像撤去の危機···管轄区庁「許可延長不可」』と題する記事を配信しました。

ベルリン市やミッテ区が公式に報道したわけでは無く、恐らく市議会の一部議員と密に連絡を取っている「コリア協議会」からの情報で、韓国の通信社である『聯合ニュース』が確認の取材をしたようですが、主張に食い違いもあり、よく分かりません。

区側は碑文の修正について、コリア協議会と協議したが物別れに終わった、という趣旨の回答を聯合ニュースにしたようですが、コリア協議会側は協議の要請すらされていない、といった食い違った主張をしています。

以下は日本語で配信された『聯合ニュース』の記事です。

 

* * * *

https://news.yahoo.co.jp/articles/ef3160ea0dadfe6925a4bfe33e47d82e3e8308c5
ベルリン・少女像が撤去の危機に 区「設置許可の延長不可」
6/19(水) 9:14

【ベルリン聯合ニュース】ドイツの首都ベルリン市内にある旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」が、設置から約4年で撤去の危機にひんしている。少女像がある同市ミッテ区の区役所は18日(現地時間)、聯合ニュースの取材に対し、像の碑文の修正を巡る協議が不調に終わり設置許可を延長できないとの立場を示した

 少女像の碑文には、第2次世界大戦当時に日本軍がアジア太平洋全域で女性を「性奴隷」として強制連行し、このような戦争犯罪の再発を防ぐためにキャンペーンを繰り広げる生存者たちの勇気に敬意を表するとの内容が含まれる。慰安婦被害者を支援する韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」が寄贈したとも記されている。

 ミッテ区役所は、少女像が設置された2020年9月にもこのような碑文の内容を事前に通知しなかったことを問題視して撤去を命じた。しかし、少女像を設置した現地の韓国系市民団体「コリア協議会」が裁判所に効力停止の仮処分を申し立てたことを受けて撤去命令を保留。少女像設置の特別許可を22年9月28日まで延長し、その後は法的根拠なしに裁量により容認しているとの立場だ。

 区役所は、24年9月に容認期間が満了すればコリア協議会に撤去要請を行うとしたが、同団体は区役所から協議を要請されたことはないとして、「文句の修正をはじめ、すぐにでも協議する準備ができている」と述べた

 ベルリンの少女像を巡っては、先月東京を訪れたウェグナー市長が「一方的な表現があってはならない」として撤去を示唆。市民団体は区役所に対し、市が干渉すべきではないと反発していた。

 ミッテ区議会は20日、区役所に対し少女像の永久設置を保障し、そのためにベルリン市当局と対話に乗り出すよう促す内容の決議案について議論する。区議会は以前にも同様の決議案を複数回採択したが、法的拘束力はない。

* * * *

 

群馬の森の朝鮮人追悼碑に続け!

 

記事に書いてあるように、慰安婦像を設置した当初から、ミッテ区側は事前に説明の無かった碑文を問題視して、一度は設置許可を取り消したくらいなので、それが再燃した形です。当時は、区長は撤去派、左派区議が反対の立場でしたが、その後区長も交代したので、議会の力関係などは不明な点があります。

実際、区議会の一部議員の間では撤去を阻止しようという動きもあるようです。

以下、『東亜日報』の記事もご紹介します。

 

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https://www.donga.com/jp/article/all/20240619/5012116/1
ベルリン区議会、「少女像撤去」阻止の議決案上程
19, 2024 08:38

撤去の危機に直面しているドイツ・ベルリンの「平和の少女像」を守るため、ベルリンの区議員たちが永久存置を推進することにした。この少女像は、日本側の撤去要求にも関わらず、2020年9月に設置されてから約4年が経っているが、最近、ベルリンのカイ・ウェグナー市長が撤去を示唆する発言をし、撤去を懸念する声が高まっている。

17日(現地時間)、ベルリンのミッテ区議会によると、多数派の社会民主党と左派党所属の区議員らは最近、区役所に少女像の永久存置を保障する決議案を上程した。議員らは決議案で「少女像がベルリンの共同体の重要なプロジェクトであり、撤去してはならない」との立場を明らかにした。

第2次世界大戦中の性暴力被害者を象徴する他の記念物が建立されても、この少女像に代わることはできないと指摘した。左派党は19日、決議案の採決を翌日に控えて平和の少女像の存置を支持する追悼行事も開くことにした。

少女像は設置直後にミッテ区役所から撤去を命じられた。少女像を設置した在独市民社会団体コリア協議会が仮処分申請を出し、撤去は見送られた。その後、区議会が数回にわたって存置決議案を採択した。

ウェブナー市長は先月、ベルリンと日本東京都の姉妹提携30年を迎えて東京を訪れた。当時、ウェグナー市長は少女像について、特定グループの立場だけを強調してはならないという趣旨の発言をした。また、日本の上川陽子外相と面談した席でも「変化を作ることが重要だ」と発言。これに対しウェグナー市長が日本側に少女像の撤去を示唆した、との解釈が出た。

ベルリン市当局はウェグナー市長の発言について、「少女像問題の解決策を提案した」との立場を示した。これを受け、ベルリンと東京が共同で少女像の撤去を推進する可能性を警戒する声が上がった。

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/18

【慰安婦問題】1990年以前の韓国社会での慰安婦イメージの変遷【『反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』】

反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』(朱益鍾 著、文藝春秋社、2024/6/12)では各章の終わりに「要約」が書かれています。

第2部の「3.慰安婦強制連行説の形成と隆盛」〔〕からその要約を引用します。

※韓国では、1部、2部... の下に「章」等の細分類がある場合は1部から通し番号にするのが普通らしく、この本でも、1部の下に1、2と2つの章があり、2部は3から始まる。

韓国人は日本の植民地統治の被害者だという物語が完成されるにつれ、1980年代から日本軍慰安婦がその主要な被害事例として人々の関心を引くようになった。日本で成立した慰安婦強制連行説が韓国に入り、1991年から元慰安婦らによる証言が相次いだことで爆発的に慰安婦問題が起こった。韓日外交交渉を経て日本政府が「本人たちの意思に反して」という文言で慰安婦動員の広義の強制性を認めた〔※河野談話(1993年8月4日)結果、強制連行説は公認され、慰安婦制には戦時における性暴力・戦時犯罪という汚名が着せられた。しかし、実際の研究においては強制連行は立証されていない。

 

本書には「1946年から1990年にかけての『東亜日報』と『京郷新聞』における慰安婦記事数」を棒グラフ化したものが掲載〔p.101〕されていますが、”1946年から60年にかけての15年間、日本軍慰安婦に言及した記事はわずか1件”、”1960年代から70年代までの20年間でも、日本軍慰安婦に関する記事は平均して1年に1回足らず”〔〕です。

※東亜日報のみを集計した表がWikipedia『韓国軍慰安婦』にもあり。

 

◆慰安婦は売春婦を指す一般名詞

グラフは、「慰安婦」、「米軍(慰安婦)」、「日本軍(慰安婦)」の3種類に分類しており、例えば、1962年の「慰安婦」記事数は他の年に比べて突出して多く、57件程。(棒グラフなので以下もおおよその件数) 内、慰安婦は5件、日本軍は1件、残りが米軍という内訳となっています。

これで分かる様に、「慰安婦」という言葉は売春婦という概念で、一般名詞として韓国で定着していました。そして、もっぱら話題になるのは米軍相手の慰安婦でした。

以前のエントリーにも書きましたが、1966年に、事故で慰安婦の仕事が続けられなくなったという女性が損害賠償を求めた裁判で、大法院(=最高裁)が、「一般的に日常用語における慰安婦とは、売春行為を行う女を指すものであるため、法律が禁じている売春行為を35歳まで継続できることを前提として、慰安婦が他人の不法行為のある事故により喪失した収益損害額を算出するにあたり、このような犯罪行為を継続して得られる収益を基礎とすることはできない。」という判決を下しています。

 

◆挺身隊と慰安婦の混同

一方、本書では扱っていませんが、元挺身隊で日本政府や企業相手に損害賠償を求めた女性が、60年代に夫に元挺身隊という事がばれて虐待を受けたという被害を訴えています。韓国国内の勘違いまで日本のせいにされてはたまったものではありませんが、この当時、挺身隊とは ”性奉仕をさせられた女性”、即ち慰安婦との混同があったのでしょう。

そして1990年11月に日本軍慰安婦を問題視して発足した「韓国挺身隊問題対策協議会(略称:挺対協)」という名称から、日本軍慰安婦と挺身隊を同一視している事が分かります。彼女たちは、それ以前から韓国の妓生観光の原型を日本の慰安婦と見ていて調査をしていました。

 

話を「日本軍慰安婦」に絞ると、著者は、独立後40年程は韓国では日本軍慰安婦に対する関心が無かったと述べます。

 

◆60年代の慰安婦(挺身隊)イメージ

そして60年代に映画に登場する日本軍慰安婦は、映画の本筋とは関係ありませんが、米軍慰安婦のイメージを投影しているそうです。いかにも ”はすっぱ” で ”すれた” 女性のように描かれていますが、日本軍慰安婦もこんなものだと思っていたのでしょう。

 

▼『サルウィン川に陽が落ちる』(사르븬 강에 노을이 진다)1965年
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◆70年代の慰安婦(挺身隊)イメージ

1974年には日本軍慰安婦を主役にした『女子挺身隊』という映画が作られました。広告を見ると、完全に挺身隊と日本軍慰安婦(”從軍慰安婦”)を混同しています。

 

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本書には別の広告が掲載されていて、「補償받지못할女人 数万의痛哭!」という宣伝文句が書かれています。これは「補償してもらえぬ女人、数万の痛哭」という意味で、そうなると、上の広告宣伝文句「*補償받지못할從軍慰安婦8万의痛哭!」は「補償してもらえぬ從軍慰安婦、8万人の痛哭」です。

如何にも元慰安婦(挺身隊)の苦しみを訴えた映画のように思えますが、著者によるとこれは典型的な「ホステス映画」だそうで、ホステス映画の意味を調べてみたところ、「70~80年代に流行った、社会的身分の低い女性の恋愛物語を描いた映画」だそうです。

この映画も、日本軍相手に慰安婦をしていた女性が満州の慰安所で朝鮮人兵士と純愛をする、という内容だそうで、日本軍の被害者という描かれ方ではないそうです。

 

◆80年代の慰安婦(挺身隊)イメージ=可哀想な女性

韓国人として初めて元慰安婦だとカミングアウトした女性は1991年の金学順という事になっていますが、実際は1979年の沖縄の裴奉奇(ペ・ポンギ)さんが最初です。以前のエントリー〔(1)(2)(3)〕に詳しく書きましたが、彼女は慰安婦だった事を恥じて故郷に戻る事ができませんでした。

84年にはタイの盧寿福(ノ・スボク)さんが、KBSテレビの離散家族再会番組で存在を知られたそうです。彼女もまた、面目なくて韓国に帰れなかったそうです。ちなみに、現在、「노수복 위안부」(盧寿福 慰安婦)で検索してみると、既に情報が ”汚染” されています。

また、80年代(1982年)には尹静慕(윤정모/ユン・ジョンモ)という1946年生まれの女性作家が『에미 이름은 조센삐였다』〔直訳:母さんの名前は朝鮮ピーだった/日本語訳タイトル:母・従軍慰安婦ーかあさんは「朝鮮ピー」と呼ばれたー〕という小説を書いて人気を博したそうです。「ピー」とは英語の「prostitute(売春婦)」から来ています。

これも、主人公の母は兄の徴用の身代わりに挺身隊に行ったにも関わらず我が身を恥じて故郷に帰れなかった女性で、元朝鮮人兵士の夫は何かと彼女の過去(慰安婦生活)に触れて彼女を傷つけ、家庭が壊れてしまった、という内容だそうです。

小説の元ネタは林鍾国イム・ジョングック/1929年 - 1989年)の『実録挺身隊』〔〕という本だそうで、おそらく、そういう境遇の女性の話が収録されていたのでしょう。元挺身隊の女性の話とも通じます。

※国際紛争化以前の韓国における慰安婦問題を巡る言説状況(木村幹)
https://www.research.kobe-u.ac.jp/gsics-publication/jics/kimura_22-2&3.pdf
1981年には、「親日派問題」の追求者としても知られる林鍾国が、金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』を翻訳して『挺身隊実録』という名で自らの編著として出版するに至っている。

 

著者(朱益鍾氏)は80年代初めまでの慰安婦(挺身隊も含んで良いでしょう)のイメージは、”不幸で、可哀想で、我が身や他人に恥じる、面目を失った人たち” だったとしています。

 

* * * *

朝日新聞の植村隆記者が金学順氏(この時は匿名)を韓国メディアに先駆けて報じたのは1991年8月11日(朝日新聞 大阪本社版)で、「女子挺身隊の名で戦場に連行され... 」は、後になって虚偽だと判明しましたが、上記の様に90年以前の韓国内の事情を知ってみると、作り話としてはこれが韓国人向けには自然で説得力がある設定だったのだと理解できます。

 

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2024/06/17

【韓国】李氏朝鮮を代表する風俗画家の絵が盗難、所蔵していた団体は4年後の今になって盗難届

基本的に日本は関係ありませんが、韓国らしい話題を目にしたのでメモしておきます。

李氏朝鮮を代表する画家の絵を所蔵していた団体が、2020年に紛失しているのを確認したにもかかわらず、最近になって盗難届を出した、という事です。

 

* * * *

ハンギョレ:신윤복 ‘고사인물도’ 도난 확인 5년째…경찰 못 찾아

https://japanese.joins.com/JArticle/319986
中央日報:197年ぶりに日本から帰ってきたが…朝鮮の風俗画家・申潤福の絵が消えた=韓国
2024/06/17

約197年ぶりに日本から韓国に戻ってきて注目されていた蕙園申潤福(ヘウォン・シン・ユンボク、1758~?)の絵が消えたという届け出があったことが確認された。

17日、韓国国家遺産庁によると、申潤福の『故事人物図』を所蔵していた社団法人厚岩(フアム)未来研究所側は絵が消えたとして最近ソウル鍾路(チョンノ)区庁に届け出た。

朝鮮末期を代表する風俗画家だった申潤福が描いたものは1811年最後の朝鮮通信使派遣の時に日本に持ち出されたものと推定される。

絵を所蔵してきた厚岩未来研究所側は2019~2020年に盗難に遭ったとみている。

研究所は管轄地方自治体と国家遺産庁に届け出て「掛け軸形態の絵を巻いて桐箱に入れて保管してきたが、2020年1月事務室を整理する過程で所蔵品がなくなっていることを確認した」と説明した。

研究所側は警察に捜査を依頼したものの、絵の所在を確認することができないという。
研究所側は約4年が過ぎた最近になって鍾路区庁を通じて盗難届けを出し、国家遺産庁は公式サイト「盗難国家遺産情報」を通じてこの事実を公告した。

国家遺産庁は古美術業界と主要な取引市場を確認する一方、情報提供を通じて絵に関連した情報を確認する方針だ。

* * * *

 

まず、社団法人厚岩未来研究所とは2006年に設立された団体で、設立者は2019年12月に死去した車吉辰(차길진)氏。宗教家の家系の様で、本人は小説を書いたり企業を経営したり、プロ野球のオーナー代行になったりと、多彩な方のようですが、研究所も「座禅、瞑想などの伝統精神文化の発掘および研究事業」を目的の最初に掲げているあたり、宗教系の団体かも知れません。他には文化振興などを活動目的に掲げています。

時系列としては、

  • 問題の絵は車氏が2008年に日本から購入。
  • 車氏が亡くなったのは2019年12月。
  • 絵が紛失しているのに研究所が気づいたのは2020年1月で、事務所を整理した時。
  • 何故か盗難届けは最近提出。

 

まぁ、身内の犯行でしょうw

 

子供はいるのだろうか?と思って調べたら、訃報記事に書いてありました。息子と娘がいて、共に社団法人の運営に携わっている/いた様です。

ハンギョレ:‘초혼’ ‘예언’ 유명 차길진 회장 별세
2019-12-03

芸術家·予言者·宗教家·体育人など多方面で活動してきた厚岩未来研究所のチャ·ギルジン会長が3日午前3時、持病で死亡した。 享年72。

故人は1947年、全羅北道全州で「パルチザン討伐隊長」として有名なチャ·イルヒョク警務官の息子として生まれた。 大学を中退した後、劇作家として演劇、ムジカル公演活動をしていた彼は「救命試食」という名前で魂を呼び出してなだめる天道儀式である「招魂慰霊祭」で世の中にさらに知られた。 彼は催眠や霊媒のような補助手段なしにすぐに「霊」と通じる能力者に選ばれた。 韓国のW杯ベスト4進出と盧武鉉大統領と李明博大統領の当選を予言したことで有名だ。 2014年、父親に続き文化勲章を受け、初の父子受賞記録を立てた。

ハンギョレアリラン連合会理事長、元ネクセンヒーローズプロ野球団オーナー代行、西大門刑務所歴史館運営諮問委員などを務めた。

遺族に息子のヒョンソク(劇団フアム代表)、娘のソヨン(H&Cフアイエム代表)氏がいる。

 

  


 

 

 

【慰安婦問題】柳錫春(リュ・ソクチュン)元延世大教授裁判 ー 「強制連行」の証拠を提示できない検察

「慰安婦は売春の一種」発言で挺対協(挺身隊問題対策協議会、現「正義連」)や反日団体、元慰安婦などから名誉毀損で訴えられた柳錫春(リュ・ソクチュン)元延世大教授の裁判ですが、既に過去のエントリーに書いた様に、一審では部分勝訴しています。

簡単にまとめると、

  1. 「慰安婦は強制連行ではない」という趣旨で発言した部分は、慰安婦一人一人に向けた発言では無いとして無罪
  2. 「挺対協が統合進歩党や北朝鮮と連係した」と主張した部分は無罪
  3. 「挺対協が慰安婦お婆さんたちを日本軍に強制動員されたように証言するよう教育した」という趣旨の発言に対しては挺対協に対する名誉毀損が認められて有罪。罰金200万ウォン。

 

これに対し、検察が控訴しました。しかし、次回公判の目処が立ちません。

それは、上記1の「慰安婦は強制連行ではない」に対抗する強制連行の証拠を検察が提示できずにいるからです。

本来はそれで終わりのはずですが、高裁はそれに配慮して、次回の公判スケジュールを決めないという、ウルトラC(←古いかw)の対応をしたのです。

韓国社会一般には未だに強制連行の ”証拠” として通用する「河野談話」ですが、さすがに司法レベルでは、あれはあくまでも政治的な談話であり、証拠にはならない事が分かっているのです。

その意味で、ブログ主は柳錫春教授の裁判は非常に重要だと思っています。

いつ、司法と検察がギブアップするのか... 。

尤も、国民感情を恐れて、このままズルズルと公判を引き延ばすだろう事が心配ではありますが。

 

反日慰安婦団体等が論者として一番頼りにしているのは恐らく吉見義明教授ですが、その彼さえも、強制連行は否定しており、「本人の意思に反した」、「外出の自由が無かった」、「報酬が支払われなかった」等の理由で ”広義の強制性” や ”性奴隷” 論を主張しています。

前回のエントリーでご紹介した朱益鍾(チュ・イクジョン)博士は既に動画でそれらを論破していますが、今回、本にまとめた事で、柳錫春教授のような、不幸にも理不尽な訴訟を起こされる方にとって強力な味方になるでしょう。

だいたい、敵に囲まれた外地(戦地)で、軍の目に届く範囲外に女性が勝手に出歩く方が危険です。その為に、定期的な休養日には兵士がピクニックなどに連れ出してあげてたのですから。

 

参考までに、月刊正論 2023-09-29 発売号 〔令和5年(2023年)11月号〕の西岡力教授の論文、『「慰安婦の嘘」との闘い ソウル集会の意義』の一部を添付します。

2023年9月以前に書かれたものなので、その後の柳錫春教授の裁判や朴裕河教授の裁判の結果を追記しました。

 

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【慰安婦問題】『反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』(朱益鍾 著 2024/6/12)のレビュー

李承晩学堂の朱益鍾(チュ・イクジョン)博士が書かれた『日本軍慰安婦インサイド・アウト』〔原題:일본군 위안부 인사이드 아웃〕の日本語訳、『反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』(文藝春秋社)を読了。

と言っても、これから述べる理由で、かなりの部分は読み飛ばしたのですが... w

この本を一言で言えば、(一度に精読しなくても)「手元に置いておくと便利な本」です。

 

この本は、秦郁彦教授の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書 1999/6/1)に匹敵する様な、慰安婦問題研究の集大成と言っても過言ではありません。しかも、日本人より前提知識が乏しい韓国人読者を想定して書かれた本なので、用語なども丁寧に解説され、また、彼ら(=韓国人)の漠然とした慰安婦神話〔を払拭する為に、豊富な具体的事例や資料を提示しています。

Amazonの紹介文より

「慰安婦神話」を実証的に論破する!
韓国、日本、そして世界は、真実に基づかない運動に騙されてきた――
【エピローグより】今まで慰安婦運動グループの研究者や運動家たちが主張してきたものは、架空の作り話というしかない。(略)彼らは、道を歩いて至り村の井戸で水を汲んでいたりした少女を、いきなり現れた官憲が父母も知らないうちに捕まえ連れていったと主張する。(略)しかし、そうしたことは、本書で論じてきたように全て事実ではない。
慰安婦は20万人いた? 幼い少女も動員? 官憲による強制連行? 慰安所では無報酬だった? 慰安婦を虐待、虐殺……?
こうした「主張」は、全て事実ではない。

 

秦郁彦教授から四半世紀(25年)、ようやく韓国人による韓国人の為の本が出たかと感慨深いものがあります。

「具体的事例」には元慰安婦証言が多く含まれますが、挺対協が出版した証言集のみならず、先行する研究から元慰安婦の証言を丁寧に拾い上げて分析する事により、慰安婦になる経緯や慰安所での生活の実態を明らかにしています。

  

と言う事で、慰安婦問題に関心がある日本人読者にとっては、概略としては既に知っている事なのですが、資料集として、あるいは資料のインデックスとしても有用です。別の言い方をすれば、(読者の知識レベルにもよりますが、) 見出しとその内容を斜め読みするだけで、詳しい内容は必要な時に参照すればいいやと、読み飛ばす事も可能です。

慰安婦問題に詳しく無い読者が丁寧に読めば、この程度の杜撰な研究や慰安婦証言で日本を糾弾していたのかと呆れるでしょう。

 

文玉珠ムン・オクチュ/『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』森川万智子 著)さんや沖縄の裴奉奇ペ・ポンギ/『赤瓦の家』川田文子 著)さんの様な個人で単独の本が出ている元慰安婦に関しては、嘗て『李承晩TV』で動画で解説した事もあり、彼女等の状況は詳しく紹介されています。

 

ラムザイヤー教授の論文の内容も紹介されています。

 

このように、著者は膨大な先行研究を読み込んでおり、そのエッセンスとかダイジェストがこの本一冊に詰まっているのです。

事典的な使われ方(読まれ方)を意識されてか、巻末には参考文献だけでなく、人名や事柄の索引がつけられ、慰安婦や活動家、研究者の名前から該当箇所を見つける事ができるようになっています。

 

「河野談話」についても分かりやすく書かれています。

韓国では「河野談話」が強制連行説の ”証拠” として使われる事がしばしばあるのですが、「河野談話」とは政治的な妥協の産物であり、朝鮮人女性の強制連行の例などいくら探してもなかったので、日本側は韓国政府に譲歩して ”広義の強制性”(=「女性達の意思に反して」)と拡大解釈した上で認め、謝罪した事、「官警の加担」はスマラン事件の事、つまり朝鮮人慰安婦の事では無いと説明しています。

未だに「河野談話を破棄しろ」と主張する人がいますが、はっきり言って、タイミングを逸してしまいました。

安倍総理を始め歴代首相が談話を「継承」しており、今更唐突に破棄しようものなら、「歴史修正主義だ!」と騒ぎになるだけです。それなら、「河野談話の正しい読み方」を解説する方が簡単でしょう。消しても無かった事にはならないのですから。

 

▼「河野談話」全文
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実際、慰安婦関連の司法レベルでは、河野談話は ”証拠” としては使えなくなっています。これについては別途エントリーします。

 

韓国ならではの事情も分かりました。特に、挺身隊/慰安婦/売春婦がどのように混同されていったかについてです。これも別途整理したいと思っています。

 

* * * *

後ほどここに、本の紹介記事などのリンクを張る予定です。

  

  


 

 

 

2024/06/16

【レーダー照射事件】真相解明を棚上げ/レーダー照射「文在寅の指示」

このエントリーでは主に『レーダー照射「文在寅の指示」』の記事を扱います。

 

▼産経新聞 2024/06/15:レーダー照射隠蔽「文在寅の指示だった」

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省略した部分は『「真相」に南北の闇」と題され、当時北朝鮮では粛正が相次ぎ、その罪状は金氏暗殺未遂説が有力だ、という説明の後、麗澤大学の西岡力教授のコメントが掲載されています。

「北朝鮮内部につながる情報源から聞いた内容によると、大和堆で漂流していたのは粛正を恐れて逃亡した護衛司令部幹部等3人と機関長」。

拓殖大学教授で特定失踪者問題調査会の荒木和博氏も同様の話をしており、2022年8月には、月刊朝鮮の張源宰(チャン・ウォンジェ)・ベナTV代表のコラムに、2020年9月22日付日本のインターネット媒体「現代ビジネス」に乗った河野克俊前自衛隊統合幕僚長と近藤大介「現代ビジネス」編集次長の対談として以下の様な事が書かれています。

以下、2022年8月27日付け『荒木和博BLOG』より、該当部分をお借りします。

この記事で近藤大介次長は「韓国政府関係者から得た情報」だとしてこのように語った。
 「金正恩が元山葛麻観光地区の現地指導をする時に現場にいた兵士の中で暗殺を企図した人々がいた。暗殺は未遂に終わり加担した人々は一網打尽にされたが、その中の4人が逃亡して船で日本に亡命しようとした。この事実を知った北朝鮮当局が南北合同事務所を通して捕まえろと要請し、文在寅政権はそれに応じた。
 事実、海軍と海洋警察両側に命令することができる権限を持っている期間は大統領官邸しかない。そしてその時文在寅政権はこの事件の関心をそらすためにレーダー照射事件として韓国の世論を反日の方向に誘導したという。

 

「X」でお世話になっている『e takaqu』さんの検証動画(13:46~)では、防衛省の公開動画に映っている、海面にあるものは「(北朝鮮の)潜水艇のスコープ(望遠鏡)部分」ではないかと推定していらっしゃいますが、北から南に拿捕を依頼したとしたら、その位置を北朝鮮は把握してと思われます。警備艇だけなら捜査の為に大和堆付近をうろついても言い訳はできますが、駆逐艦が共に北朝鮮船を探すとは考えづらいからです。

 

なお、産経の記事に対しては、韓国メディアは沈黙を守っています。

 

 

  


 

 

 

 

【レーダー照射事件】真相解明を棚上げ/レーダー照射「文在寅の指示」/2019年1月7日に何があったか【伊藤俊幸提督】

6月1日、木原稔防衛相と韓国の申源湜(シン・ウォンシク)国防相は、2018年12月22日に発生した韓国海軍による海上自衛隊機への火器管制レーダー照射問題を巡る再発防止策に合意した、と報道がありました。〔記事別途

ひどい話です。

また、6月14日には、産経が『レーダー照射隠蔽「文在寅大統領の指示だった」』という記事をweb版で出しました。〔紙面は6月15日、記事別途

これに関しては「知ってたwww」という人も多いのでは無いでしょうか。

ところで、この記事を取り上げたYouTube番組『ニッポンジャーナル』(6月15日)に出演された伊藤俊幸元海将が仰っていた事が気になったので調べて見ました。

  • 【新証言】韓国レーダー照射事件「文在寅が隠蔽支持」か伊藤俊幸さんと飯田泰之さんが解説!〔0:33 辺り~〕

 

以下、文字起こしです。

今回のこの記事のようにムンジェインさんが(隠蔽しろという指示を)やったかどうかは私は知る立場にないんで、これ分かりません。

ただ、海軍省(将?)は最初から「ごめんなさい」だったんですよ。だから、これ(=レーダー照射)が起きた時の翌月には、その海軍のトップがまさに第2艦隊というこのアホな館長がいるところに行って、指導してんですよ。「ちゃんと国際法を守れ」と。「くだらん事やるんじゃ無い」っていうのがあって、それは向こうの韓国のニュースに出たんですよ。だから、分かってんですよ、海軍のトップはね。...

その事を当時の幕僚長に聞いたら、その記事を見ただけで、あちらの海軍からは何も言ってこないと言っていた、という話の後に、〕その上の国防省ってのはもう政治(の世界)ですから、青瓦台(=大統領府)の指示のままである、それも、本来は日本語ペラペラで、航空自衛隊で育った人がトップになったのに、これも一切日本とは関係ないみたいな感じで嘘に嘘を重ねたんですよ。

この時に私が思ったのは、「もうちょい上手に嘘つけよ」というぐらいもう下手くそすぎたんですよ。

 

日本でもそうですが、所謂「制服組」と「背広組」の立場の違いがあります。

改めて、当時の言い訳の変遷を調べて【時系列】に追記したのですが、最初は「遭難した漁船を捜査するのにレーダーを使用したら、連動して火器管制レーダーも連動した」、つまり、レーダーを使った事は認めていました。

その後、「光学カメラで自衛隊機の動きを追っただけ」と言いだし、年が明けて2019年1月4日に、韓国防衛部が自衛隊側検証ビデオに対抗してビデオを公開します。この頃から、自衛隊哨戒機の低空飛行を言い出します。

つまり、この時点では、「P-1哨戒機が低空飛行で威嚇したので、レーダーで追っ払った」というストーリーだったのです。

しかし、1月7日に海軍のトップが駆逐艦「広開土大王」の所属部隊を訪問すると、再びストーリーを変えます。

以下、聯合ニュースの記事です。

 

* * * *

https://www.yna.co.kr/view/AKR20190107119451062
해군총장 "외국機 조우시 작전예규 따라 즉각 대응해야"(종합)
2019-01-07 17:56

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190107003000882?site=lang_jp
海軍トップがレーダー問題の部隊を訪問 対応を叱責? 
2019.01.07 20:40

海軍制服組トップの沈勝燮(シム・スンソプ)海軍参謀総長は7日、威嚇的な飛行を行った海上自衛隊の哨戒機に対し煮え切らない対応をとったとして批判を受ける駆逐艦「広開土大王」の所属部隊を訪問し、叱責とも受け止められる発言をした。

海軍によると沈氏はこの日午前、東海を守る海軍1艦隊司令部を訪問し、新年の軍事対応態勢の現場を点検した。同艦隊は先月20日、東海上で北朝鮮の船舶を救助中に海自の哨戒機と遭遇した「広開土大王」が配備された部隊。 

「広開土大王」を巡っては、同駆逐艦から海上自衛隊の哨戒機が火器管制レーダーの照射を受けたと日本が主張。韓国側は火器管制レーダーの照射は行っておらず、むしろ海自哨戒機が同艦に対し威嚇的な飛行を行ったとしている

沈氏はこの席で「全部隊は外国の艦艇・航空機との遭遇など海上で発生しうるあらゆる偶発状況に対し、作戦例規や規定、国際法に基づいて即時に対応し、現場で作戦が終結するようにしなければならない」と指示した。

また「すべての艦艇は作戦を遂行しながら様々な状況を同時に管理することができるよう、能力を備え、作戦の完全性を保障しなければならない」と強調した。沈氏のこのような発言は「広開土大王」が海自の哨戒機の威嚇飛行に対し、適切な対応をしなかったとの批判を意識したものと受け止められる。 

武装した軍用機が艦艇に向かって近づく行為は危険であり、接近しないように警告するべきだったが、同艦は海自の哨戒機に対し、そのような措置を取らなかった

また「様々な状況を同時に管理できる能力」を強調したのは、北朝鮮の漁船の救助作戦を行いながらも、外国航空機の威嚇飛行のような突発的な状況におかれれば、適切な措置を取らなければならないとの叱責と受け止められる可能性がある。 

海軍関係者は「沈総長は激励のため1艦隊司令部を訪問した」とし、拡大解釈に対する慎重な姿勢を示した。 

* * * *

 

伊藤提督の話とはやや異なりますが、要するに、「異常接近した哨戒機に対抗してFCレーダーで威嚇した」という、(国際法はともかくw)一応、つじつまの合うストーリーから、「異常接近した自衛隊哨戒機はけしからん。」、「広開土王は何もしなかった。(それもけしからん)」とストーリーを変えたのです。

これ以降は「レーダー照射は無かった」という一点張りで、韓国側はメディアも含め、「自衛隊機異常接近事件」と呼ぶ様になります。

そして、広開土王が ”煮え切らない” 対応をした(=レーダー照射などしなかった)のを既成事実化するかのように、政府は2月1日には5段階で構成された「日本哨戒機対応指針」を海軍、つまり制服組に通達します。これには国防軍側もさすがに批判をして、「破棄を検討中」という報道がありました。〔→ブログエントリー(2022/08/19):【レーダー照射事件】2019年2月に文在寅政権が「日本の哨戒機にFCレーダーを照射しろ」という指令

しかし、その後、この指針が破棄されたという報道は聞いていません。

 

※「レーダー照射事件」のエントリーが増えたので、ブログカテゴリー「レーダー照射事件」を作成しました。過去のブログエントリーは追々カテゴリーを変更します。

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/14

韓国人観光客を立ち入り禁止にした対馬の和多都美神社(わたづみじんじゃ)... 韓国ではどう報道されているか

長崎県対馬市(対馬)の和多都美神社(わたづみじんじゃ)で、韓国人観光客が無作法な振る舞いをしたという理由で、神社側が韓国人だけを立ち入り禁止とした事は各種メディアに報道されたので、ご存じかと思います。

この神社による「韓国人立ち入り禁止」はコロナ禍前にも一度行われた事があります。落書きなど、目に余る行為を韓国人観光客がしたからですが、新型コロナが収束して、再び韓国人観光客が増加したところ、また不法行為が目立ったので苦肉の策と言う事です。

この事は韓国でも大きく報道されました。大手メディアで報道されたという意味です。

そして、その反応はと言うと、神社に対してでは無く、不法行為を行った韓国人観光客に対して批判が向けられました。

これは偏(ひとえ)に、和多都美神社側が証拠となる動画を撮り、発信したからです。

さすがの韓国人も、ぐうの音も出ない証拠を突きつけられては、神社に対して、「差別」だの何だと文句を付けられなかったのです。

 

韓国メディアの報道は、神社が撮影した数々の動画を使って報道した日本のメディアのニュース動画を引用しました。

例えば、『SBS』のニュース動画と、その書き起こしは以下の様なものです。〔※機械翻訳ママ

 

* * * *

https://youtu.be/wP2GLX0juGM?si=-Sd4-GzMyfpyGm8c
"이게 무슨 망신"…민폐 한국인들에 일본 신사 결국 / SBS / 오클릭
"これは何という恥"...迷惑な韓国人に日本神社はついに

日本の対馬のある有名な寺院〔※사찰が韓国人の立ち入りを禁止し、議論が起きています。韓国人があまりにも迷惑をかけているからだそうです。

<お!クリック>3位の検索語は「韓国人立ち入り禁止を掲げた日本の神社」です。

「韓国人は立ち入り禁止。 参拝者専用の駐車場です。 無断駐車は罰金1千円」ときちんとハングルで書かれたこの案内文は、日本の対馬にある和多都美神社に掲げられたものです。

 

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和多都美神社は、日本の建国神話と関連がある場所で、対馬を代表する観光地です。

神社側は迷惑をかける一部の韓国人観光客のせいで頭を悩ませ、最近こうした決定を下したと伝えられています。

これまで一部の韓国人観光客が喫煙が禁止された神社の中で規定を無視してタバコを吸ったり〔歌ったり踊ったり〔するなど、騒々しく騒いでいたというのがお寺側の説明です。〔※動画あり

他にも韓国人観光客の道路での逆走〔※動画あり〕、無断駐車なども問題だと指摘しましたが、一部では韓国人を特定して立ち入り禁止にしたことが行き過ぎだという指摘も出ていますが、お寺側は「観光客のすべての行動にいちいち対応するのは難しいだけに、韓国人立ち入り禁止措置を解除する考えはない」として強硬な立場を伝えました。

ネチズン〔※ネット市民達は「日本不買を全て忘れて遊びに行くとしたら一体これが何の恥」、「韓国人の顔に泥を塗る行為」、「観光して日本の監獄を経験するよりはあらかじめ禁止した方が良いかも」等の反応を見せました。

* * * *

 

その他の記事も読んでみましたが、韓国人読者の反応は概ねこのような感じでした。

この辺りの心理を少し説明すると、韓国人は経済や文化では先進国だと自負しています。しかし、民度が低いのは自覚しています。自国の『国格』〔※国家間ランキング〕を落としたり、泥を塗る様なことをした同胞を批判しているのです。

今回は、反論ができないような証拠を突きつけた事。神社で不埒な事をすると容赦なく動画に撮られ、晒されると周知された事。これに尽きます。

 

 

  


 

 

 

2024/06/13

【韓国】韓国社会に於ける1960年代の外国人(在韓華僑)差別

まずは、日本在住の韓国人ジャーナリスト、崔碩栄(チェ・ソギュン)氏のポストから。

 

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崔碩栄
@Che_SYoung

韓国にいた台湾国籍の人たちが1960ー70年代に韓国政府の迫害のせいで涙ながら台湾、日本、カナダ、米国などへ移住した歴史をご存知だろうか?🙄

その迫害は在日韓国人がいう日本の差別とか冷遇とかのレベルではない。人口が2/3に減ったくらい。

在韓華僑が在日韓国人の有名人に「あなたたちは日本で差別、差別いうが、本国の差別には触れないのか?」と質問した時、何も言い返せなかったというエピソードもある🧐そんな韓国を選ぶだろうか?

午後10:13 · 2024年6月12日

* * * *

 

これは在日韓国人らしき人の以下のポストに対する崔さんのコメントです。

発展するのは韓国です。台湾難民は経済的な理由なら給料の高い、生活の質なら文化レベルの高い、教育なら教育レベルの高い、未亡人女性なら男らしい男性の多い、戦争から離れたければ防衛力の高い、日本ではなく韓国を選ぶはずです。

 

ある種の裏面史と言ってもいいかもしれませんが、「韓国に何故『中華街』がないのか?」という命題で以前知ったのですが、1960年代に在韓外国人に対する差別的な政策があり、韓国から出て行ったのです。(当時は在韓外国人と言えば、ほとんどが在韓中国人=在韓華僑だった。)

例えば、以下の様な論文に見て取れます。

 

* * * *

https://fukuchiyama.repo.nii.ac.jp/records/127
韓国社会の韓国華僑に対する差別に関する歴史学的考察
李正熙・金桂淵・崔孝先 著

V. 1960年代~1980年代における差別問題

1. 華僑農民

朴正熙政権は1961年9月外国人の土地取得を制限するため「外国人土地法」を制定し、国防、産業、そのほか公共目的に必要な地区に対しては閣令により土地の取得を制限した。1962年4月には 「外国人土地法施行令」が発布され、外国人の土地の権利取得を禁止し制限を加える地域が定められ た。指定された地域において外国人が土地を取得するには、国防長官の許可を受ける必要があった。 1968年7月には改定された「外国人土地法」が公布され、華僑は居住を目的とする200坪以下の土地、商業目的の土地50坪以下は、事前申告で所有できるようになった。このような制限は1998年 解除されるまで続いた。

このような「外国人土地法」は韓国華僑にどのような影響を及ぼしただろうか。孫文武氏(49)は 1972年台湾に移住してから今年6月から煙台で韓国料理店を経営している。孫氏は仁川の朱安の叔 父の家に居住しながら学校に通っていたという。朱安というところには19世紀末頃から華僑が野菜を栽培した地域で1950年代までも華僑農民が多かった。孫氏の叔父は華僑労働者を雇うほど相当な 規模の野菜農業を営んでいたが、1960年代次第にその規模を縮小していったという。清州華僑協会 長の李同石氏は「外国人土地法」で農地を韓国人の名義に移転したが、名義を貸してくれた韓国人が不法であることを怖がり、結局その農地をその韓国人に売却したという。一方、農地は1961「外国人土地法」が公布される前すでに制限され、外国人の農地所有権は認められず、使用権のみ認められたと言うが、それを確認することは出来なかった。

朝鮮半島における華僑の農業の歴史は1887年まで遡ることが出来る。植民地期には華僑農民の人口は商業、労働者と肩を並べるほど多かった。主にソウル、仁川、元山などの都会の郊外に位置して野菜を栽培し、都会に野菜を販売した。華僑農民は1954年933戸、1962年458戸であったが、「外国人土地法」の制定によって、1972年には82戸、1983年にはさらに46戸まで落ち込んだ。華僑農 民は「外国人土地法」で農地所有が制限されて1960年代と1970年代農地を売却して台湾、アメリカなどへ大量に移住した。...

2. 華僑経営の中華料理店

「外国人土地法」は華僑経営の中華料理店の営業にも影響を及ぼした。中華料理店に従事する華僑人口は華僑全体人口のうち、1958年は58.2%、1964年は66.8%にのぼり、華僑の約6割~7割が中 華料理店で生計を立てていたからである。

華僑は、前述したように、居住土地200坪以下、商業用土地50坪以下、居住と商業両方の場合は 200坪以下に土地所有が制限された。大邱で「龍岡漢医院」を経営している張春禄氏(36)は営業用建 物が55坪であったため、役場の地籍課の公務員が何回も来て不法所有の5坪を他人に売却するよう に指示され、当時帰化しようと真剣に考えたことさえあったという。

このような営業用地制限は華僑経営の中華料理店が営業拡大をする際、支障をもたらしたことは間違いないだろう。制限用地を超過する華僑経営の中華料理店は韓国人の名義を借りて商売を続けるしかなかっただろう。...

1970年代華僑経営の中華料理店は急速に減少する。1971年2,500ヵ所あった中華料理店は 1979年1,800ヵ所になり、700ヵ所が減少した30。華僑はこのような華僑経営の中華料理店の減少の原因 について、以上のような政府の制限・差別的な措置を取り上げる人が多いが、韓国人経営の中華料理 店の数が多くなって競争が激化したことを理由に上げる華僑も多かった。実際、1960年代までは華 僑経営の中華料理店が圧倒的に多かったが、1974年頃ソウルの中華料理店 1,204ヵ所のうち約45% は韓国人経営の中華料理店になっていた韓国人の中華料理店の経営者はもともと華僑の中華料理店で働いて技術を学んで独立した人である。韓国人経営の中華料理店が増加するに連れて中華料理店 において1960年代まで圧倒的なシェアを占めていた華僑は1970年代に独占的な地位が崩れてしま ったのである。韓国人が中華料理店市場に大量に参入することによって競争が激しくなり、華僑経営の中華料理店の収益が下がったという。...

 

おそらく、韓国人の国民食「ジャージャー麺」は華僑から奪ったものでしょう。

別の論文。

https://iminseisaku.org/top/pdf/journal/005/005_065.pdf
韓国の多文化政策と在韓華僑 ──仁川チャイナタウン構想を事例に
川本 綾

1950年に勃発した朝鮮戦争とその後の反共政策、厳しい華僑排除政策の中で、「中国人」 である華僑は社会・経済・政治的に韓国社会より排除されていく。...

また、1961年の外国人土地所有禁止法では土地の所有が禁止されたため、土地を所有する場合 は韓国人妻や韓国人の友人、知り合い等に名義を借りなければならず、だまし取られたりして土地 を失うケースもあったという。1970年に公布された 「外国人の土地取得及び管理に関する法」では、1世帯あたり1住宅、1店舗のみの所有が認められたが、住宅面積は200坪以下、店舗は50坪以 下に制限された。また、取得した土地の賃貸は認められず、田畑や林野の取得も認められなかった。 それらの規制により、商業活動は小規模とならざるを得なかった。現在仁川チャイナタウンで中国 菓子店を夫婦で営むY氏は、鮮明に記憶している幼少期の思い出について次のように述べている。

(小さいころの記憶に、華僑は土地の登記ができなくなるということで) 父親が土地の登記のために 印鑑を押してくれる韓国人を探してあちこち回っていたのを覚えています。私もお父さんに ついて行きました。水原、仁川と回りながら知り合いの韓国人に印鑑を押してくださいと頼 んだのですが、してくれるところも、してくれないところもあり、そんなこんなで山、田んぼ、 畑を沢山失いました。(Y氏)

1970年代には独裁政権による再開発事業の影響を受け、ソウルを始めとして各地に形成されて いたチャイナタウンがことごとく解体される。現在、在韓華僑はソウルに最も多く居住しているが、 韓国内で「チャイナタウン」という形で集住が認められるのは仁川と釜山のみである。...


* * * *

 

在日韓国人は自国の外国人差別を棚に上げているのです。

 

 

  


 

 

 

2024/06/12

【神宮外苑再開発】共産党や立憲民主党による印象操作/蓮舫の「100年かけて育てた森」の嘘

ブログ主はテレビをあまり見ないので、首都圏のワイドショーなどでどう扱っているのかは知りませんが、明治神宮の所有である神宮外苑の再開発を邪魔する為に一部の国会議員が「X」で誤情報を流しています。また、影響力のある芸能人(桑田佳祐、故坂本龍一)や作家(村上春樹)などもこれに加担してします。青学出身の桑田佳祐氏が外苑を知らないとは思えないので、おそらく思想的なものでしょう。

東京都知事選に立候補した蓮舫氏もデマを流しています。

 

そもそも、神宮内苑・外苑とは... 下記の動画を観たら理解できますが、ここではそのキャプチャを利用して簡単にまとめておこうと思います。

 

神宮外苑の木々はスポーツ施設が集まった公園として植栽されたものです。森などというものではありません。

 

◆神宮内苑と外苑

下図は大雑把に線を引いたものですが、①が神宮外苑(赤)、②が内苑=明治神宮(水色)で、今回再開発されるのは外苑の方。黄色い線で囲った部分は有名なイチョウ並木で、一時、このイチョウが切られるというデマが広まりましたが、この部分は保存されます。

 

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いらした事が無い方でも、イチョウ並木超しに眺める絵画館の建物の画像〔下図・左下〕はご覧になった事があるかと思います。この風景は保存されます。

 

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外苑は明治神宮の所有で、ここから得られる賃貸料は明治神宮の維持に使われています。

現在の外苑は戦後、GHQに接収され、米軍のリクリエーション施設として以前の景観が壊された部分があります。それが絵画館前の緑の庭園です。ここにはGHQによってソフトボールグラウンド等が造られました。これが現在までも軟式野球場として残っています。

何故か、共産党はこの草野球を残せと言っています

 

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「閲覧したユーザーが他のユーザーにとって役立つと思う背景情報を追加しました」と書かれた部分がありますが、これはTwitterからXに代わって追加された機能で、「コミュニティノート」と呼ばれています。ツィート(ポスト)に誤りなどがあった場合や追加情報が必要だと思われた場合、有志によって追加された情報です。コミュニティノートに対しては閲覧者が評価する事ができ、不適切/不必要な情報だと判断されたらコミュニティノートは消える事もあります。

原田あきら都議は「イコモス」云々言っていますが、このイコモスとはユネスコの世界遺産登録の勧告などを行う外部諮問機関で、その日本支部が意見をしていると言う意味です。

しかし、調べたらイコモス日本支部は何故か「岩波」の社屋に入っており、むしろ、こんな所まで左翼に犯されていると考えた方が良さそうです。

 

前述の様に戦前までは芝生の広場だった場所がGHQによって潰され、殺風景なソフトボールグラウンドなどに作り替えられてしまいました。

20240612_gaien04

↓ ↓ ↓

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芝生があるとは言え、こんな人工的なものに何故固執しているのでしょうか。

明治神宮の邪魔をしているとしか思えません。

 

◆蓮舫氏の「100年かけた森」の嘘

 

20240612_gaien06

 

上にご紹介した動画を観れば分かりますが、外苑は戦前から戦後にかけてスポーツ施設が拡張されたり追加されたりしてきた場所で、都度、植栽も変えられ、ここに100年かけて育てた森などありません。

「100年の森」という言葉は内苑の森のことです。

 

これも、「X」での投稿を見ていると、意味が間違って伝えられているようです。

内苑の森は、実際に造成されてから100年程経ちますが、100年経った森という意味では無く、「100年を経て自然の林相となることを目指してつくられた人工的な森」の事です。そして、それは成功し、100年どころか今後も持続して成長していく森になりました。

 

この森を再開発するという誤解を与える悪質な印象操作です。みなさん、蓮舫に騙されない様にしてください。

 

 

  


 

 

 

2024/06/11

【旭日旗】「旭日旗問題と浅薄な対日本歴史認識」【ペン&マイク】

韓国の保守系ネットメディア『ペン&マイク』に掲載された朴舜鐘(パク・スンジョン)客員記者の記事。

内容全体としては、旭日旗を ”戦犯旗” などと呼んで批判する歴史認識を批判するものですが、むしろ、これを読んで、韓国人の反日思想の刷り込みの根深さを感じました。

冒頭部分を機械翻訳でご紹介します。

 

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https://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=82256
[시시비비] 욱일기 논란과 천박한 對日 역사 인식
旭日旗問題と浅薄な対日本歴史認識
2024.06.10
パク・スンジョン客員記者

「旭日旗」と関連して否定的認識を作ろうとする試みは、親北朝鮮·左翼勢力が主導する反日プロパガンダの一環だ。 正しい歴史認識と正しい国際感覚を備える第一歩は「旭日旗」を見ても興奮しないところから始まる。

国民の力は、日本帝国主義の象徴を公共の場で使うことを絶対に容認できず、条例案廃止にも当然強く反対する。

今年4月の総選挙を控え、旭日旗などのいわゆる「日本帝国主義のシンボル」の使用を制限するソウル特別市条例を廃止しようとする動きが国民の力所属のソウル市議員の間で見られると、韓東勳(ハン・ドンフン)当時国民の力非常対策委員長はこれに反対する意思を明確にした。 韓東勳(ハン·ドンフン)前委員長は、該当条例案の廃止を発議した市会議員らに対し、党レベルの調査後、厳正な措置を取るという警告も忘れなかった

今年の顕忠日には釜山広域市水営区所在の某住商複合マンションに旭日旗が掲げられた。 朝日を象徴するこの旗は赤い円を中心にいくつかの枝が伸びていくかによって4条(條)·8条·16条·24条旭日旗に区分される。 そのうち、赤い円を中心に16個の枝が伸びる旭日旗(十六条旭日旗)がかつて大日本帝国時代の軍旗として使われた。〔後略〕

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この記事で取り上げている旭日旗を掲げた住民は別に親日とかではなく、その後の報道によると、「近隣の土地の問題で区役所などに不満を抱き、こんなことをした」との事です。つまり、嫌がらせの道具として旭日旗を利用しただけ。

そして、韓東勳(ハン・ドンフン)氏とは元検事で、尹錫悦政権の法務部長間に抜擢され、韓国保守から次期大統領候補として期待されている人物。〔尤も、もっとコアな保守勢力は彼を尹錫悦氏ともども ”隠れ左翼” だと見なしていて不信感を抱いています。〕

そういう人物でも、歴史認識はこの程度で、旭日旗に偏見をもっているという事です。

 

 

  


 

 

 

【日本史】「士農工商」は身分制度(階級制度)ではなかったーでは「穢多・非人」は?

数日前に『ライブドアニュース』が「教科書からすでに「士農工商」は削除!実は身分制度・身分序列を表す言葉ではなかった【前編】」という記事を配信していました。

ブログ主はその記事を「X」で知ったのですが、コメント(リプライ)を見ると、「士農工商は身分制である」という記述がとっくに無くなっているのを知らない方も結構いるようです。

手元にある自由社の最新版『新しい歴史教科書』を調べてみたところ、巻末の索引にもありませんでした。

 

記事には【前編】とあるので、後編が気になっていたのですが、一向に配信されず、「そもそもライブドアが独自に記事など書くだろうか? 何か元ネタがあるのでは?」と思ったので、調べたら、これが元ネタかどうかは分かりませんが、熊本県宇城(うき)市のサイトの「人権教育」のコラムにこのようなものがありました。

 

前編では、掲題の通り、士農工商は階級を表すものでは無いと言う事が書かれています。

「『士農工商』は身分を表すものではなく、職業名です。もともとは古代中国の四字熟語で、「全ての職業」「民衆一般」という意味です。日本に入ってきたのはまだ武士のいない奈良時代ですから、「士」は「武士」を意味してはいませんでした。中国での使われ方と同じで、「士」は知識人や役人を指していました。現在でも弁護士、博士、栄養士など、「士」のつく職業がたくさんあります」。
小・中学校の教科書に部落問題が初めて載ったのは1972年。それから長い間、小・中・高校の社会科の教科書の全てが、江戸時代の身分制度を『士農工商』のピラミッド型で記述していました。しかしそれは大きな間違いでした。江戸時代には『士農工商』という身分制度はなかったのです。
でもどうして『士農工商』が江戸時代の身分制度だと考えられたのでしょうか。それは明治初めの身分制度の変革を誤って「四民平等」ととらえてきたことが大きかったのです。

 

中国から来た言葉、即ち、儒教と共に入ってきた言葉で、これがあたかも階層を表す言葉だと誤解させたのは明治政府によるものでした。

ライブドアニュースによると、1990年代末には大半の教科書から消えていたようです。

1990年代末には小学校や中学校の教科書から士農工商という表現そのものが消え、2020(令和2)年になると高校の教科書からもついに消滅してしまいました。

ライブドアニュースにはこんな記述もあります。

江戸時代の身分序列は、大まかに言えば「士」(武士)の下に「百姓」「町人」(平人)がおり、さらにその下に「穢多」「非人」(賤民)という身分があったというのが現代の考え方です。
ちなみに士農工商の「工」にあたる職人は、町に住んでいれば町人、村に住んでいれば百姓でした。百姓は農業従事者に限らず、海運業や手工業も含む概念でした。

江戸時代は、農村住民(農民)と都市住民とに分かれていただけです。なお、黄色くマーキングした部分は誤りです。

宇城市のコラムの後編にはこのような事が書かれています。

これまで部落は「一番下の身分」とされてきました。しかし、「士農工商」という身分制度はなかったのです。武士は確かに支配階級でしたが、「農工商」の間には序列はなく、「士農工商」といえば、今でいう「全国民」という程度の意味でした。だから、「農工商の下に」といったとらえ方は、根本的に間違っていることになります。部落は、「一番下の身分」ではなかったのです。さらに、部落は「貧しかった」ことが強調されてきました。しかし、実際には、田畑の所有者として公認され、非常に大きな石高を持った人もいて、一定の経済力を持っていました

 

部落問題を主に扱っている『示現舎』(じげんしゃ)さん曰く、

神奈川県人権啓発センター(公式)
@K_JINKEN
6月7日
返信先:
@livedoornews
さん
>大まかに言えば「士」(武士)の下に「百姓」「町人」(平人)がおり、さらにその下に「穢多」「非人」(賤民)という身分があった
これもちがいますね。賤民は「下」ではありません。「外」にあるもの。身分外身分というのが今の考え方です。穢多頭なんかは、武士並の権力を持っていましたから。


示現舎さんは、「曲輪クエスト(93)中郡大磯町大磯裡道」(2018年10月12日)というルポで、神奈川県の大磯... 湘南と呼ばれる地域ですが、穢多(えた)の小頭だった人物の子孫の方を取材しています。

ところで、『人権のとも』には「小頭の助左衛門」の子孫を訪ねたことが書かれている。要は、ここに穢多の小頭がおり、絶大な権力を持っていたということなのである。その穢多小頭は「大繩橋《おおなわはし》」と名乗っていたということである。
見せていただいたのは、大名から贈られたお椀と、通行手形箱根の関所も助左衛門の許可がないと通れなかったという。

 

ところで、ブログ主が使っている漢字変換ソフト「ATOK」は「えた」を漢字に変換してくれません。ATOKは昔から ”言葉狩り” の悪評があるのですが、(小うるさい団体から文句を言われるのかも知れませんが... )こういう言葉狩りをする方が偏見を助長すると思うのですが。

 

 

  


 

 

 

2024/06/09

【パラオ】『日本を愛した植民地 南洋パラオの真実』(荒井利子 著)ー 何故パラオの人々は親日なのか

下は清水ともみさんの描いたマンガ「パラオと日本 トクベツな国」全20頁の一部をお借りしたものです。〔漫画は「X」上で公開されており、読む事ができます。〕

 

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これを見て、もっとパラオの事が知りたいと思い、『日本を愛した植民地 南洋パラオの真実』(荒井利子 著、2015/9/16)を読んでみました。そして、「親日国」と言われるパラオの、やや悲しい理由も知りました。

 

◆日本が南洋群島(ミクロネシア)を占領する経緯

この漫画の通り、大航海時代の16世紀にスペインやポルトガルが南洋群島を訪れて、パラオは1885年にスペイン領東インドとなりますが、国力が衰退したスペインはドイツ・スペイン条約(1899)でミクロネシアをドイツに売却します。

 

20240609_palau01

 

ドイツは主にリン鉱石採掘やコプラ〔〕を目的とするので、ごく少数のドイツ人しか住んでいませんでした。

※ ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの。灰白色で約65パーセントの脂肪分を含む。圧搾して椰子(やし)油(コプラ油)をとり,マーガリン・石鹼(せっけん)・蠟燭(ろうそく)などの原料とし,かすは肥料・家畜飼料とする。

 

そして、第一次世界大戦勃発(1914.07)で、日英同盟を結んでいた日本は必然的に連合国側となり、8月23日、山東省に植民地を持っていたドイツに宣戦富国し2ヶ月後に勝利。戦勝国の一員としてドイツが所有していた南洋群島を占領します。

日本軍が来た時には既にドイツ人は退去しており、日本は戦わずして南洋群島を占領できたのでした。責任者となったのは松岡静雄海軍中佐。柳田国男の弟です。

しかし、南洋群島が日本領になるかどうかの正式な決定はパリ講和会議(1919)を待つ必要がありました。当時、フランス、ロシア、イタリアは日本がミクロネシアを譲り受ける事を了解していましたが、ここで横やりを入れてきたのは米国(ウィルソン大統領)です。急激に力を増す日本を警戒したのです。

結局、「委任統治領」と決定がなされました。他国との貿易に制限がかかり、統計資料を国際連盟に報告する義務があるなど、国際連盟の監視下におかれる事となります。

他国との貿易の制限... これはパラオの産物を対外的に輸出する事ができず、その結果日本向けに輸出(移出)するしかなくなりますが、これにはメリットもあり、外国船の入港も制限できて、軍事拠点の建設も容易になりました。

 

日本は台湾や朝鮮と同様、内地延長主義をとり、”日本化” の政策をとり、インフラを整備し、学校も建てます。

しかし、このときに初めて南洋群島と縁ができたわけではなく、明治初期から貿易を求めて日本人商人が渡っていました。彼らの存在が、その後の日本統治を円滑なものにします。

その中の一人は元土佐藩士の子息の森小弁で、酋長の娘と結婚していたのでドイツ時代も追い出されずに済みます。(但し、離島に移り住んでひっそりと暮らした。) 彼の子孫は3千人を超え、2007年からミクロネシア連邦の大統領を務めるエマニュエル・モリもその一人です。

 

◆日本人(民間人)とパラオ人は仲良く暮らしていた

この本によると、ドイツ人のパラオ支配は所謂「植民地主義」のものであったそうです。

ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った[9]。しかし、遠く離れたドイツから送られる人員はほとんどないにもかかわらず、パラオがもたらす富はドイツ人に独占された。〔Wikipedia『パラオ』〕

 

一方、日本人はパラオ人と共に額に汗して働きました。

なお、著者によると、日本統治下のパラオにはある種のヒエラルキー(序列)があったようです。

まず、役人とその子弟は彼らだけのコミュニティを作り、民間日本人やパラオ人とはあまり関わらなかったそうで、「上流日本人」と「下流日本人(民間日本人)&パラオ人」の間に溝があった事により民間日本人とパラオ人の結束が強まった様です。

”下流日本人” の子供達は一緒に遊び、ドイツ時代にはあり得なかった事ですが、日本人の家にパラオ人が呼ばれる事もあったそうです。

そして、その民間日本人の中でも特に沖縄人が重要な要因でもありました。

これは、沖縄の人には不愉快かもしれませんが、パラオ人は日本人と沖縄人を分けて見ていました。外見や言葉、行動も違うので、日本人と沖縄人は区別ができたとパラオの古老は言います。そして、沖縄人を下流日本人の中でも下の部類、自分たちよりも下層レベルだと認識していたと著者は考察しています。

権力を行使し、偉そうにしている役人の前で、本土出身の民間 人も沖縄県出身の民間人も、同じ日本人なのに小さくなっている。萎縮する彼ら民間の日本人の姿をパラオ人が見れば、自分たちパ ラオ人と同様に「差別されている仲間」として映ったのではないだろうか。だから、自分たちパラオ人が上中下の三層の中間に位 置し、日本の民間人とも沖縄の民間人とも、より一層仲間意識が強化され、仲良くできたのだろう。
パラオ人は、沖縄県移民と本土移民の職業の違いや習慣の違いを明確に把握していた。

 

しかし、これはパラオ人と日本人の感覚の違いによるものだとブログ主は感じました。

著者によると、パラオ人はプライドが高く、沖縄県移民がやるような、魚を売り歩いたり、マングローブの林に分け入り、マングローブで炭を作って売るような仕事はパラオ人でもやらない仕事だと見ていたそうです。

失礼な言い方ですが、日本人に比較すると、パラオ人は元々それ程勤労意欲が旺盛な人達ではありません。食べ物も薪もその辺で簡単に採れるので、自給自足・物々交換の生活で問題なかったからです。日本に統治されるまで貨幣経済も無かったので、小売業というものもありませんでした。

沖縄県移民をパラオ人が下層だとみなした理由は、単に、南の島での生活に慣れている沖縄県移民がめざとく商売になりそうなものを見つけ、それを仕事にしていたからでしょう。

実際、沖縄人はパラオ人が ”下” と見る職業だけで無く、パラオで採れる鰹に目を付け、鰹節工場も作っています。

 

◆パラオの古老の言う「昔は良かった」の背景にはパラオ人を堕落させたアメリカが

アメリカは本当はミクロネシアを領土にしたかったのですが、パリ講和会議で日本の領土に反対した手前、結局、信託統治領となりました。

日本統治時代のパラオは飲酒が禁じられていました。これは、パリ講和会議で日本の委任統治が決まった時に決められた事で、日本はそれを守っていたからです。

日本の敗戦で日本に代わってパラオを統治したのはアメリカで、飲酒も解禁されました。

 

アメリカはパラオに「自由」を与えると約束しましたが、それは放任主義でもあったのです。

日本統治時代の南洋群島は自由貿易もできない代わりに、他国の船も出入りできず、その為に、この地の人々がどれ程文化的な生活をしていたのか、全く知りませんでした。

アメリカがパラオを占領する際、残っていた道路などのインフラ整備も日本人に命じて破壊させたそうです。

日本色を排除して原始的な生活に戻る事が彼らの本来の姿だと思ったのでしょう。その結果、パラオ人たちには職がなく、食べるためには再び自給自足の生活に戻るしかありませんでした。

壊されたものは、建物や道路だけではなかった。滑走路、波止場、船の定期便、交通機関、給水装置、発電施設、電話、タロイモ畑、教育システム、文化、習慣……。もちろん、日本人との友情もこの時点では失われてしまっていた。

 

アメリカは必要なインフラは復旧させず、パラオの人々の不満が溜まると、金だけ支給しました。その結果、仕事をしない公務員だけが増え、役人は腐敗し、若者はアメリカ文化を享受する一方、日本統治時代を知っている老人達の目には堕落したと映ったのです。

老人達はみんな口を揃えてアメリカ時代の不満を私〔※著者〕に訴えた。...「アメリカになって食生活も変わりました。日本時代はお米も食べましたけど、主食はイモでした。アメリカになってからは主食がお米になりました。もうタロイモは作りません。どこの家へ行ってもお米のない家はありません。カリフォルニアのお米です。それと、魚を捕って食べることもほとんどなくなりました。みんなアメリカからきた肉を食べています。だからお金が必要なんです」
「昔のパラオ人はみんなスマートでした。タロイモの文化がありましたから。筋骨隆々たるすばらしい体格をしていました。今じゃ、アメリカの安い肉食べて、みんな太っています。あれじゃ、椰子の木に登れない。もう登る人もいなくなりましたけど。... 」

 

他にも、昔はいなかった、”未婚の母” も現れたと訴えています。

日本統治時代に大工などを養成する「南洋庁木工徒弟養成所」が作られましたが、その写真を見た時、ブログ主も現在のパラオ人とは違う事に気づきました。皆、スリムなのです。

 

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▲南洋群島寫眞帖 : 南洋廰始政十年記念(南洋廳 編纂 1932.7)

 

前述の様に、ミクロネシア連邦では森小弁の子孫が有力者になっているのですが、著者は、森の一族やそのコネがないと出世できないと言います。

この辺の「昔は良かった」は台湾とも少し似ているような気がします。

「日本人は何かと小五月蠅かったが、その後に来た国民党と台湾社会は... 」という対比です。

パラオの古老達は、アメリカの与えた「自由」は決して良い事ばかりでは無かったと気づいたのです。

 

下:昭和天皇在位60年を提灯行列で祝うパラオの人々 

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◆日本統治時代の教育

最後にこの本で知った、日本統治時代のパラオの教育制度について書いておきます。

繰り返しますが、パラオを含めたミクロネシアは日本の委任統治領であり、当時のパラオ人は日本国民ではありません。しかし、軍事的に重要な位置にある南洋群島を領土にしたかった日本はパラオ人の「皇国臣民」化を図ります。これに関しては、現在のパラオ人が文句を言っていないので、現代人がとやかく言う事では無いと思います。

民間人の移住が増え、日本人児童が増えると、国語常用/非常用で学校を分け、島民の児童は島民学校(後の公学校/本科3年と補習科2年)に通いました。公学校の本科だけではひらがな/カタカナ程度で、それ程高度な教育という訳ではありません。日本への留学制度もありましたが、あまり向学心は高くなかったようです。

独特なのは補習科と並行した「練習生」制度で、日本人家庭に行き、2時間半程家事手伝いをしながら日本語を学ぶと言うものです。

練習生にはおやつと給金が出ました。月1円50銭を受け取ると、その内1円は先生が郵便局で通帳を作って積み立て。5年の練習生期間が終わると通帳を貰ったそうです。卒業した人はお金があったから「日本統治時代は良かった」となるのだとインタビューを受けたパラオ人が言っていました。

1926年にコロール市に大工仕事を学ぶ南洋庁木工徒弟養成所が作られます。これは補習科を優秀な成績で修了した生徒だけで、かなりの狭き門でしたが、授業料は無料、学用品や用具も支給または貸与。寄宿舎や食料も無料でした。徐々に教育内容も充実し、建築に必要な数学や設計、車の整備や電気技術も加わったそうです。

台湾や朝鮮などと比べると低レベルな教育とは言え、アメリカはこのような教育制度も壊してしまったのです。

 

* * * *

大東亜戦争でパラオが激戦区になった事で日本を恨むパラオ人は皆無ではないそうですが、不思議にも、パラオ人は「日本統治時代」と「戦争」を分けて考えているそうです。

幸いにも、パラオでは日本統治時代を「良い時代」と考えるお年寄りがそれを語り継いでくれましたが、今後も「親日国」でいてくれるかどうかは、日本政府の関わりに掛かっていると思います。

 

 

  


 

 

 

2024/06/08

【台湾】終戦後、引き揚げた台湾人が見た国民党軍はあまりにもみすぼらしかった

日本の敗戦により、台湾は中華民国(中国国民党軍)に占領されます。

これには功罪あり、功については、日本国民であった台湾人は敗戦国民でも戦勝国民でもない「第三国人」となりましたが、それが一転、戦勝国民になりました。

複雑な思いだったとは思います。

ところで、戦後、台湾にやってきた中国兵(国民党軍)はまるで敗残兵のようで粗野で無知で腐敗しており、台湾の人々が苦しめられた事は有名で、特に、『台湾人と日本精神』の著者、 蔡焜燦(さい・こんさい)氏が描写する中国兵の姿や粗野な振る舞いはよく知られています。

たまたま「X」でそんな証言を裏付ける画像を台湾人の方がポストしてらっしゃったのでご紹介します。

carlさんはよく日本統治時代のノスタルジックな写真を投稿していらっしゃる親日家且つ国民党嫌いの方です。

 

carl 林-忘れられる帝國南方島嶼
@carl_lin_tw
戦後の中国人兵士.国民党軍は正に乞丐.嫌がらせ台湾人
午前0:54 · 2019年2月27日

20240608_chinese_soldiers

 

乞丐 」とは「乞食」の事の様ですが、この写真が、『台湾人と日本精神』に書かれている事と一致するのに驚きました。

 

蔡焜燦氏は港で中国軍の軍楽隊による歓迎を受けました。その時に目にした中国兵の姿です。

ある者は、ぼろぼろの綿入り服に唐傘を背負ってわらじを履き、またある者は、天秤棒 に竹籠を下げ、その籠の中には鍋釜を覗かせている。そして全員が胸ポケットに歯ブラシ をさして、水筒の紐にもホーロー・カップを引っかけ、醤油で煮つめたような汚いタオル を腰にぶらさげていた。彼らは軍隊行進にあるまじき乱れた歩調で、ミシッミシッと軍楽隊に後続してきたのである。その光景は異様としか言いようがなかった。

 

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2024/06/06

【慰安婦像】梁山市で金福童平和公園と慰安婦像設置の動き

旧日本大使館前の様子や釜山領事館前の状況など、近況をまとめてご紹介します。

その前に...

少し古い『慶南毎日新聞』の記事(1月18日付け)ですが、慶尚南道梁山市で元慰安婦金福童氏を記念した公園の造営と、8月14日の慰安婦記念日に除幕式を行う事を目標に慰安婦像を設置する動きがあります。

金福童(キム・ボクトン)氏とは、途中から小うるさい李容洙(イ・ヨンス)氏に代わって、元慰安婦代表のような扱いを正義連から受けていた女性で、国から勲章も授与されています。

以下、記事の一部を機械翻訳でご紹介します。

 

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http://www.gnmaeil.com/news/articleView.html?idxno=533743
양산 평화의소녀상ㆍ김복동평화공원 조성 나서
梁山平和の少女像・金福童平和公園造成へ
2024.01.18

金福童(キム・ボクドン)平和公園梁山市民推進委員会のパク・ミヘ市議員(現推進委代表)は18日、梁山市庁プレスセンターで記者会見を開き「現在まで梁山市民2018人の心を集めて今年梁山平和の少女像とキム·ボクドン平和公園を推進する」と明らかにした。
梁山平和の少女像建設と金福洞平和公園造成のための募金キャンペーンには、市民2018人から4852万2867ウォンが募金された。
推進委は「8月14日、日本軍『慰安婦』記念日に梁山平和の少女像の除幕と金福洞平和公園造成を目標に△梁山市は梁山平和の少女像建立と金福洞平和公園造成のための場所提供△梁山市議会は平和の少女像と金福童平和公園運営のための条例を制定せよ」と要求した。

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続報を探してみたところ、特に記事はないものの、『金福童の希望』(김복동의 희망)という団体が集会を開いたり、資金を募っている事が左記サイトに報告されていました。(2024/03/12

上記記事から覗えるのは、公園の設置には市議会での条例が必要であり、この時期(6月)に建設されていないとしたら、認可が下りていないと思われます。

 

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日本でも最近は韓国国内の慰安婦問題の話題が報じられる事はありませんが、実際、活動できる ”元慰安婦” が李容洙一人になり、彼女が何か発言した時くらいしか韓国でも記事にはなりません。

釜山在住の「慰安婦法廃止国民行動」〔金柄憲(キム・ビョンホン)代表〕のメンバーが釜山領事館前の慰安婦像に「撤去」と書かれた黒いビニール袋を被せたり、像の隣の椅子に座って寿司を食べるといった、ちょっとしたいたずらが記事になる程度です。

最近、ベルリン州首相が慰安婦像撤去を示唆する様な発言をして久々に慰安婦問題そのものが話題になったくらいです。

 

正直に言って、韓国内ではこのまま慰安婦問題はフェードアウトしていき、”そして慰安婦像が残った” という状態になるのではないかと思っています。

と言うのは、慰安婦問題の真実が少しずつ知られているとは言え、韓国人には「自分たちの誤りを認める(=日本に有利な事を行う)」強いモチベーションが無いからです。120体以上建てられた慰安婦像ですが、既に ”空気” の様になっていて、わざわざ撤去しようと言い出す人は出て来ないと思うのです。

 

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問題はソウルの旧日本大使館前と釜山領事館前の慰安婦像ですが、近況はと言うと...

釜山では、最近は月に1度くらい水曜日に「慰安婦法廃止国民行動」の皆さんがここで集会を行っています。

集会には届け出が必要なので、会の地元メンバーが警察署に届けを出すのですが、必ず下記の様な書面で却下されます。

 

 

赤枠を付けた部分は以下の様に書かれています。

上記屋外集会(デモ·行進)は次の理由で「集会およびデモに関する法律」第8条第1項および第11条第5号により禁止することを通告します。

⑥ 禁止の根拠及び事由
0 禁止の根拠:集会及びデモに関する法律第8条第1項及び第11条第5号
0 禁止の事由
貴下が申告した集会場所は、国内駐在外国の外交機関の境界地点から100m以内の場所で、屋外集会またはデモをしてはならないと規定しており、禁止通告します。
この禁止通告に対して異議があれば、この禁止通告を受けた日から10日以内に禁止通告をした警察官署のすぐ上の上級警察官署の長に異議を申し立てることができます。

 

外国の外交機関(領事館)から100m以内で集会を禁止するなら、その国を侮辱する慰安婦像も禁止だろ... と思うのが普通ですが、これが韓国です。

常識の無い国では常識のある方々がいかに生きづらいかが良く分かります。

ただ、一つ傑作な事があり、この書面は必ず申請者に手交しなくてはならないそうで、釜山警察はソウルにお住まいの金柄憲氏の自宅までこれを持ってくるのだそうです。(デモの申請をする側は代理人でも良いらしい。)

そして、「こんなデタラメな警察の言う事など聞く必要が無い」と言って、許可の無いまま集会を行うというカオスw

集会の際には、慰安婦像を守るかの様に警察が周囲をバリケードで囲み、警備します。

 

昨日は旧日本大使館前で集会があり、正義連が行う「水曜集会」に、道を挟んで慰安婦法廃止国民行動の皆さんが集会を行っていました。

水曜集会には既に一般市民は参加しておらず、毎回、労組とか宗教団体とかが動員されています。更に、このところは「処理水問題」とか「尹錫悦政権打倒」等、慰安婦とは関係ない事ばかりを主張しています。昨日もそうでした。

そして、その横で国民行動の皆さんが慰安婦の真実を叫ぶというシュールな光景になっていました。

水曜集会に参加する連中は話を聞く耳を持たないので、いくら横で正論を言っても ”馬の耳に念仏” だと思うのですが... 。

 

国民行動の皆さんが悪いのではありませんが、今は双方とも ”集会の為の集会” をやっている感は否めません。

 

  


 

 

 

2024/06/03

【在日コリアン】「日本政府は一方的に在日朝鮮人の日本国籍を奪った」←権利要求の為に在日コリアンが言い出したこと

最近、「X」で「日本政府は一方的に在日朝鮮人の日本国籍を奪った」だの「国籍選択をさせてくれなかった」などと批判するツィート(ポスト)を見かけたので、以前のエントリーにも書きましたが、あらためて。

日韓会談(日韓国交正常化交渉)は1951(昭和26年)年10月20日から開始された予備会談から始まり、1965年6月22日に日韓基本条約調印するまでの長期に渡りましたが、在日朝鮮人の国籍問題は1951年12月22日の会談で意見の一致を見て、「終戦前から日本に引き続き在留する朝鮮人は対日講和条約〔※サンフランシスコ講和条約/1952年発効〕発効と同時に日本国籍を失う。」と発表されました。

 

 

以前のエントリー(前述)でご紹介した様な前田日明さんのご家族のように不本意な在日朝鮮人もいたかもしれませんが、李承晩政権は1949年10月7日付けでGHQ宛てに在日朝鮮人の日本国籍を否定する書簡〔※後述〕も送っており、両政府の合意事項なので、一方的に日本政府に非があるように言うのは不公平でしょう。

この後ご紹介しますが、「日本政府は一方的に在日朝鮮人の日本国籍を奪った」という批判は90年頃から言い出した事の様です。

 

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 国立国会図書館デジタルコレクション:現代コリア (316)、1991-11 ※閲覧にはログイン要

特集★韓国に訴える 「よき日本人になれ」とはいえぬか ー 在日韓国人問題(田中明)

この文は既に上で述べた様なことですが、こちらの言いたいことを言語化してくれているので、部分的に引用してご紹介します。

在日韓国・朝鮮人の処遇 ー といった問題を考えるとき、何を基準にして考えればよいだろうか。私はごく単純に「在日僑胞がどうすれば幸せに生きられるか」ということを尺度にして考えればいいと思っている。...

彼らの真の幸福が第三者にわかるものではない。だが、それを探る一つの手立てとして、解放後の在日僑胞が主張してきたことの変化の跡をたどる道があるように思われる。... 〔中略。以下同〕 そうした変化は彼らが何を幸福と考えているかを、無意識のうちに指し示しているからである。

変化の軌跡

◆国籍の選択 このごろ在日韓国・朝鮮人の処遇改善を叫ぶ運動家たちの日本非難の一つに、解放後、日本は在日僑胞に国籍選択の自由を与えなかった、という項目がある。すなわち、日本はサンフランシスコ講和条約の発効(1952年4月28日)を機に、一片の法務省民事局長通達でもって、当事者の意思を問うことなく「旧植民地出身者は日本国籍を喪失した」と決めた。これはヨーロッパの例に徴しても不当だ、というのである。... こういう主張には、もし国籍選択の自由が与えられたら、日本国籍を選ぶ在日僑胞が少なからず出たはず、ということが予想されている。

だが、それは解放後の実情を無視した議論である。... 日本国籍を選ぶなどということは、日帝に屈従することに等しいと思われていたのである。

そうした意識は、その後もずっと続いた。... その典型的な文書が1949年10月7日付けで出された「駐日韓国代表部大使が、マッカーサー連合軍司令官に伝えた在日韓国人地位に関する見解」である。〔※後述〕...

このようにウェノム〔※왜놈(倭奴):日本人に対する別称〕の国籍などとれるか、と言っていた態度がいまや国籍の選択を認めなかったことがけしからぬ、という非難に変わったのである。これは在日韓国・朝鮮人の側に日本国籍をとることに対する抵抗感が薄れたこと、さらにいえば、日本国籍をとる方が都合がいい(幸せである)と考える人が増えた、という事であろう。

※1949年10月7日付け「駐日韓国代表部大使が、マッカーサー連合軍司令官に伝えた在日韓国人地位に関する見解」

 

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◆帰国と永住 日本は仮の住居か永住の地か、についての意識も変わった。かつては、在日韓国・朝鮮人にとっての日本とは「敵区」であって、やがて帰国するまでの一時的の仮の居住地であった。

このことは北朝鮮系(総連系)の人びとには、とくにはっきり意識されていた。彼らは自力で民族学校を日本各地に作り、帰国に備えて母国語の習熟を子弟に課した。... だが、日本生まれの二世、三世が増えてくるにつれ(85年には一世は1割に過ぎなくなった)、叙上のことはだんだんタテマエに過ぎなくなってきた。...

在日僑胞の動向に明るい日本の行政当局の方が、事態を先取りした。... 82年1月1日から国民年金の経過措置を除き、制度的差別は全廃された。今や、在日韓国・朝鮮人問題は「永住」ということを前提にして論じられている。

◆就職差別 〔省略

◆純な国籍感覚 ー 特権要求論 ... もし本当に彼らの生活が辛苦の連続なら、彼らはとうの昔に日本に見切りをつけて移住しているであろう。... にもかかわらず、差別問題としての在日韓国・朝鮮人論議が、いまなお(正確に言えば、いまになって一層)盛んなのはなぜだろうか。それは前節で述べたような在日韓国・朝鮮人側の変化を正当化するには、多くの言葉が必要だからである。

かつての在日韓国・朝鮮人問題とは、日本の支配から脱した民族が、日本を拒否し日本から独立しようとする要求の表現であった。... だが、いま語られているのは、①もはや日本人とほとんど変わらぬ人びとが、②自分たちは外国人であると強調しながら、一方、③われわれは特殊な外国人だから日本人と同等な処遇をせよ ー という要求である。

これはかなり強引な論理で、多くの言葉を費やしても、他者には納得しにくい。... 日本人と異なるところがなくなっていく僑胞の「実情」と、民族意識を堅持しなければならないという「当為」〔※あるべきこと〕とが、どんどん乖離していく現状を直視せず、言葉で乖離を埋めようとするご都合主義に思える。... 外国人が外国人でありながら内国人と同等の処遇をせよ、と要求することは、自分たちを居住国の特権グループにせよ、というに等しい。...

現在、南北朝鮮はいずれも国民に徴兵の義務を課しているが、在日僑胞の子弟は免除されている。もし日本に徴兵制がしかれた場合も、外国人であるという理由で、彼らは免除されるであろう(そのときは「日本人と同じ処遇を」とは誰もいうまい)。... ただ、そうした自由は、重大犯罪を犯したときなどは国外退去を命じられるといった制限とセットになっている。これは差別ではなく、外国人との違いを示す区別である。だから、その区別措置を廃止すれば、彼らは「義務不要、他は内国人なみ」という特権者になるわけだ。

◆「強制連行」論の非主体性 

この文が書かれた当時(91年)には、まだ「強制連行」が通用していました。未だに本国では「強制動員」や「強制徴用」という言い方をしていますが、これは韓国人が「動員」や「徴用」〔←既にこの言葉に ”強制性” のニュアンスはある〕では ”日帝の悪辣さ” を表現するのに物足りないからのようです。しかし、さすがに ”腕を掴んで無理矢理連れて行く” 様なイメージの「強制連行」とは言えず、やや ”マイルド” な言い方をしているのでしょう。

終戦時点で200万人ほどいた在日朝鮮人は韓国の建国(1948年)までに140万人ほどが帰国し、約60万人が日本に残りました。以下、引用を続けます。

では、そんな「地獄」に、自由を回復した後も居残った60万の人びとは、どう考えたらいいのであろうか。... 警察力が麻痺した敗戦国日本では、戦勝国民のように威勢を振った人も少なくなかった。

だから、そうした人びとが(正確に言えば、そうした人たちの子供や孫たちであろうが)自分の選択した行為をないことにして「いまわれわれが日本にいるのは強制連行の結果」というのはご都合主義といわねばなるまい。... 自分たちは、「戦前、日本にやられたまま、戦後の45年をも送ってきた哀れな存在」だとみずからを貶めているのである。... 自分たちをひたすら、「責任負担能力のない被害者」に仕立て上げている。そうした作風は「なんでも他人(ひと)のせいにする韓国人」という不名誉な通念を補強することになっており、まことに残念である。〔以下略

* * * *

 

この当時から「なんでも他人のせいにする韓国人」と言われてたんですね。

 

 

  


 

 

 

 

2024/06/01

【旭日旗】韓国人が旭日旗で騒ぐようになったのは『戦犯旗』というネーミングのせい【原因はキ・ソンヨンではない】

この件は以前にもブログエントリーにしているのですが、韓国人YouTuberの『箱バン金さん』が4年前(2020/01/05)に説明している動画をupされているのを教えて頂きました。

ブログ主は見落としていたようです。

 

箱バン金さん:韓国の旭日旗アレルギーはいつから?

 

なお、この動画とほぼ同じ事を『note+』にもまとめています

 

結論を要約すると、

奇誠庸(キ・ソンヨン)選手の所謂 ”猿真似パフォーマンス” のあった2011年1月以前も「旭日旗」自体は時々問題視される事はあったが、下のグラフを見ても分かるように、韓国人が関心を持つようになったのは2012年から。

その原因は、李明博大統領の竹島上陸〔※2012年8月10日〕、その翌日のロンドン五輪3-4位の日韓戦サッカー競技〔※日本時間11日〕での ”独島パフォーマンス” で韓国選手が表彰式に参加できなかった事で国民全体が憤慨していたところで韓国メディアが『戦犯旗』という造語で更に煽るような記事〔※8月12日〕を書いたから。

です。

 

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箱バン金さんによると、メディアが「アジアでは『戦犯旗』と呼ばれている」などと尤もらしい事を書き、「今まで知らなかっただけで、『戦犯旗』は批判されるべきものだったんだ!」と韓国人が ”知って” しまったからだそうです。

そして、関心を持ってネットで調べれば調べるほど、(韓国語では)否定的な事が書かれているので、益々 ”反日のスパイラル” に陥ってしまうとの事です。

だから、「あなたたち、2000年代始めまで、旭日旗なんて問題視してなかったじゃない」と反論しても無駄なのです。彼らの反応は、「広く知られてなかっただけ」なのですから。

韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社)の著者が、こうした現象を「public memory」(公共の物として広く共有される歴史的記憶)と呼んでいましたが、共有された事で ”事実” になってしまうのです。これは日本のネットでもしばしばあることですが、この良い例が、”ドラマ/映画で真実” なのでしょう。

多くの人が同じ物を見て、「ああ、これが真実だったのだ」と思えばそれが ”事実” になってしまうのですから、恐ろしいことです。

 

【一致した意見が真実になる国】

20240601_public_memory
▲崔碩栄 著 『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』より

 

 

  


 

 

 

 

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