【朝鮮総連と民団の関係】朝鮮総連に飲み込まれつつある民団?【李相哲TV】
李相哲(り そうてつ)教授のYouTubeで現在の朝鮮総連と民団の関係について、朴斗鎮(パク・トゥジン)先生に話を聞く動画がありました。このエントリーはその内容をメモしておく為のものです。
冒頭は総連と民団の歴史的経緯の説明。少し補足して整理しておきます。〔※敬称略〕
1945年10月15日 『朝連』(在日本朝鮮人連盟)日比谷公会堂で結成式
- 最高顧問に金天海が、神奈川県本部委員長に韓徳銖が就任。金天海は日本共産党中央委員で、民族派や親日派を粛正、共産党の別働隊となり非合法活動を行う。
1946年10月3日 『民団』(在日本大韓民国居留民団、後に在日本大韓民国民団)結成
- 初代団長:朴烈(元無政府主義者。金子文子と愛人関係→後に反共主義)
- 朝連の共産主義化に反対し民団結成。これ以降、朝連と民団は激烈な抗争状態に。但し、勢力は圧倒的に左派>右派。
- 1948年9月、韓国政府から在日同胞の公認団体として認定される。
- 朴斗鎮談:冠婚葬祭などで親戚が集まると暴力沙汰の喧嘩はしょっちゅうだった。特に、朝鮮戦争(1950~53)では民団は義勇兵まで送っているので完全に敵と味方。
1948年8月15日 大韓民国建国/9月9日 北朝鮮 建国
1949年9月 GHQ、『朝連』に解散命令
1949年10月19日 GHQ、「朝鮮学校閉鎖令」
- それ以前の1948年1月24日、GHQの意向により文部省が各都道府県宛に「在日朝鮮人も日本の公私立学校に就学する義務がある」と言った通達を出し、各自治体は朝鮮学校を閉鎖。各地で暴動が起きる。中でも酷いのは「阪神教育事件」。
1950年1月 『民戦』(在日朝鮮統一民主戦線)結成
- 朝鮮戦争が勃発したことにより、北朝鮮政府を支援する組織として。日本共産党の支配下。
1955年5月 『総連』(在日本朝鮮人総聯合会)結成
- 初代議長:韓徳銖(ハン・ドクス)
- 金日成が「お前達は日本革命ではなく、朝鮮革命の為に戦わなくてはならない。」と言って朝鮮総連を作らせた。共産主義ではその国の共産党に入らなくてはならないので、在日朝鮮人は日本共産党に所属し、日本共産党の実働部隊だった。朝鮮戦争の時に日本で後方攪乱の騒擾事件を起こしたのも、日本共産党員としてやった。しかし、金日成はこの勢力を自分の革命に使いたかった。
- これ以前の組織は日本共産党の支配下にあったが、ここで朝鮮労働党の支配下に切り替わる。但し、日本国内に於いては『学習組』〔朝鮮学校のエリートを選抜した組織〕が朝鮮労働党と同格。総連や傘下の銀行、学校、etc.はその支配下にあり、学習組員がそれらの組織内に配置されている。
1965年 『日韓基本条約』締結
- これをきっかけに韓国が経済成長。
- 附帯する「日韓法的地位協定」に基づき、韓国国民は1966年から5年間に限り,日本政府への申請によって「協定永住」が許可。1991年の「出入国管理及び難民認定法特別法」により、朝鮮籍にも永住権「特別永住制度」新設(再入国期限につき4年・最長5年まで許可)
参考:川崎医療福祉学会ࢽ Vol. 24 No.̎ 2015 129 - 145 『戦後日本における外国人政策と在日コリアンの社会運動』(竹中理香 著)
1970年代 大韓民国による総連系同胞への懐柔政策 ex. 母国訪問事業(墓参団)
- この頃、朝鮮籍→韓国籍取得者が増える。
- 朴斗鎮談:在日60万の内50万が朝鮮籍だったが、この頃その半分が韓国籍を取得。→本国からの締め付け→反党分子追放闘争へ→朝鮮総連の内紛激化
1980年代 韓国の民主化(軍事政権の終焉)以降
- 韓国の民主化(80年代末)や1995年北朝鮮の「苦難の行軍」(経済的困難)から朝鮮籍→韓国籍への移動が増加。思想はそのままの在日朝鮮人が民団の中へ浸透。その結果朝鮮籍は現在2万5千名程。韓国籍を取りながらも総連にも籍を置く者に総連は支えられている。
- 80年代末の韓国民主化以降、韓国からの留学生などニューカマーも増える。中には左派思想もおり、これがまた民団に入ってきたので、民団は変質していく。
- 最近(2024/02/28)民団の団長は朝鮮学校出身者となった。
聯合ニュース:民団新団長に金利中氏 組織立て直しに意欲
2024.02.28
>【東京聯合ニュース】在日本大韓民国民団(民団)は28日、東京の韓国中央会館で定期中央大会兼団長選挙を開催し、中央本部の新団長に神奈川県本部常任顧問の金利中氏(64)を選んだ。任期は3年。
統一日報:団長立候補者 金利中氏
2024年02月20日
>金利中氏 プロフィール: 南武朝鮮初級学校卒、神奈川朝鮮中等部卒、同高等部卒、都立大森高校定時制卒、関東学院大学卒。韓国神奈川青年会議所会長、民団神奈川団長、民団中央副団長などを歴任。
但し、今回、金利中氏が新団長に選出された第56回中央大会の前、昨年の12月2日に行われた第56回臨時中央大会にて、一度金利中氏は暫定の団長に選ばれている。
これに対し、呂健二団長の名で民団玄関に張り紙が出され、金利中氏、張仙鶴(暫定議長)、韓在銀(監察委員長)及びその関係者である地方支部名を挙げて立ち入りを禁じている。
〔示現舎(2024年3月1日):【民団】内なる 分断(後編)反呂体制派の 金利中氏が 新団長に 選出 初の朝鮮学校卒の 団長に賛否も〕
* * * *
実は、この動画はブログ主が李相哲TVの有料会員コミュニティに「最近の民団と総連の関係について朴斗鎮先生に教えて欲しい」と質問したので、それに応えてくださったものだと思います。
なぜそんな質問をしたかと言うと、在日3世シリーズをメディアに寄稿されている豊璋(ほうしょう)氏の叔父さんが「総連と民団の幹部」と聞いたからで、地方ではそういう活動をしている在日コリアンの方が多いとか。
2000年代の初めにも民団と総連が接近した事がありましたが、白紙撤回されました。
民団新聞(2006-07-06):5・17白紙撤回 総連議長に書信送付
また、ジャーナリストの崔碩栄氏は、「民団新団長に金利中氏」というニュースをXでポストした際に「麻布の韓国領事館は民団の建物に入っているが、行くたびに違和感を覚える」と書かれていたので、恐らく、掲示物などから民団が様変わりしているのを感じておられたのだと思います。
このエントリーでは動画の前半部分をまとめましたが、後半に話されている事... 北朝鮮が「統一」路線を捨てて南とは敵対関係だと公言した事により、例えば、韓国籍の生徒が朝鮮学校に所属している、つまり、敵国同士の生徒がいるという状態になっているのを今後総連はどう対処していくのか?等、興味は尽きません。
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