【蔚山椿(五色八重散椿)】ウリ達が勘違いしたのはイルボンのせいだ!
以前のエントリーで、韓国の蔚山市に、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で加藤清正に略奪されて取り返した椿があるが、それに疑問を呈す学者がいて、真贋論争?になっているという中央日報の記事をご紹介しました。
どうやら、略奪した椿を返せと京都の地蔵院に迫ったようで、分けて貰った椿を「蔚山椿」とし、「蔚山は椿文化の発祥地」と誇っていたようですが... 。
そもそも、地蔵院の言い伝えでは、秀吉が北野大茶会(1587年10月1日)を記念してこの寺に献木したそうで、「文禄慶長の役」の最初の文禄の役(1592~93年)は茶会より後、つまり時系列が合わないのです(笑)。
もう一度、地蔵院公式Facebookの説明を再掲します。
今回ご紹介する韓国メディアの記事は、「京都の地蔵院から持ち込まれた椿の苗木が「蔚山椿」の子孫という根拠はない」というものですが、自分達の勘違いを日本人のせいにしている様なのですw
以下、『ファイナンシャルニュース』(파이낸셜뉴스)の記事の機械翻訳です。
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https://www.fnnews.com/news/202404161123094551
기원설 논란 '울산 동백'... 그냥 일본산 동백나무였다
起源説をめぐる議論、「蔚山椿」··· ただの日本産ツバキだった
入力2024.04.16.
- 蔚山歴史研究所、「蔚山椿」起源説の考証結果発表
1992年、日本の京都地蔵院から持ち帰った椿の苗木、「蔚山椿」の子孫に根拠がない - 文禄·慶長の役の時、加藤清正が蔚山から搬出したという話も根拠を見出せず
- 蔚山市「蔚山椿」の名称使用を控えるか、または慎重に行うこと
▲〔画像省略〕1992年に京都の地蔵院から蔚山に持ち帰った後、「蔚山椿〔※〕」と呼ばれてきた日本の「五色八重山春」が蔚山市役所広場の花壇に咲いている。 「五色八重山春」は、様々な色が幾重にも花びらとして咲き、一枚ずつ散る〔※〕。
※韓国語では「椿」は「동백(トンベ)」で、漢字に直すと「冬柏」ですが、ここでは「椿」に統一。
※前回は気付かなかったのですが、椿は一般に花全体がポロッと落ちるので武士は嫌います。首が落ちるのを連想するからです。
「文禄·慶長の役の時に日本に持ち出された蔚山の椿という話の根拠が見つかりません。」
蔚山市は起源説に関する論難が続いている「蔚山椿」の正確な歴史的背景などを研究検討したこのような内容の蔚山歴史研究所考証結果を16日発表した。
現在「蔚山椿」と呼ばれる椿は日本で「五色八重山春」〔※오색팔중산춘〕と呼ばれている。 さまざまな色が幾重にも重なった花びらで咲き、一枚ずつ落ちる椿という意味の日本式漢字の名前だ。
※日本での園芸品種名は「五色八重散」椿(ごしきやえちり)
1992年、蔚山のある放送局報道局長が日本京都の小さな寺である地蔵院から椿の幼い苗木を蔚山に持ってきて植えた。 当時、地蔵院の山門の横には京都市が製作した案内板があったが、ここの椿について「豊臣秀吉が寄進したと伝えられている」という説明があった。 寄進という言葉は、寺院や神社などに金品を寄付、奉納するという意味だ。
以後、蔚山では地蔵院の案内板の説明に壬辰倭乱の時に蔚山倭城を築造して駐屯した加藤清正が豊臣秀吉に進上するために珍しい椿を全て掘り出して搬出したという日本国内の話が加わり「蔚山椿」は実際に存在し、地蔵院から持ってきた椿がその子孫だという話で固まった。
その後、この椿は「蔚山椿」と呼ばれ、蔚山中区の「区花」となった。 根拠はなかったが「蔚山に自生した珍しい椿品種で歴史性がある」という指定理由を付け加えた。 また、蔚山のある茶道会では、花が咲く春になると蔚山市庁の庭に植えられたこの椿に茶礼までしている。
▲〔画像省略〕蔚山市庁広場に植えられている「蔚山椿」
※案内版の説明
蔚山椿
植樹の経緯
蔚山が原産地で、文禄·慶長の役の時に蔚山を占領した倭将加藤清正が日本に持ち帰って豊臣秀吉に捧げられ、京都地蔵院(別名:椿寺)で育てられた3世として、1992年5月27日、日本の京都地蔵院(椿寺)から帰国して植えられた。特性
一本から色とりどりの八重の花が咲き、散る時は花が花びらがついたまま落ちずに複数の花びらに分かれて一枚一枚散り、3月下旬から4月まで開花する椿の優秀な品種である(五色八重山椿)。
▲〔画像省略〕「蔚山椿」と呼ばれてきた日本の「五色八重山春」蔚山市庁広場の花壇。 写真=崔首相記者
しかし、蔚山市は同日、資料を出し、日本から持ってきた椿と蔚山は関連性がないことを明確にした。
蔚山市は「蔚山歴史研究所(ハン・サムゴン所長)の研究の結果、現在日本の地蔵院で育てているいわゆる『蔚山椿』と呼ばれる『五色八重山春』と関連して明確な歴史的史料と学問的根拠が明らかになったことは見当たらない」と説明した。
特に蔚山に持ってきた椿である「五色八重山春」を「蔚山椿」という名称で呼ぶこともまた止揚する必要があるという蔚山歴史研究所の意見も共に付け加えた。 日本「五色八重山春」の蔚山起源説は確認できない話に過ぎないという意味だ。 むしろ観光客を狙った日本現地人たちが作り出した話だという一部の主張がむしろ説得力を得ているわけだ。
市の関係者は「蔚山椿関連の名称使用により一層慎重を期する」とし「今回の研究結果を地域の各機関および団体に共有した」と話した。
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”加藤清正が戦利品として持ち帰って秀吉に献上した椿” というのは、逸話としては面白いので、そういう ”噂” はあったかもしれませんが、”史実” として日本で信じられていたとは思えないのですが... 。
恐らく地蔵院さんは、取り返しに来た蔚山市の人達に、「加藤清正云々なんてあり得ないよ」と説明したのでしょうが、聞く耳を持たなかったのでしょう。
(笑)
【追記】
※以前は確かに、地蔵院の椿の前に清正伝説が書かれていたようです。→続き
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