【ハングル電報】1939年度(昭和14年度)以降のハングル電報に関する資料
以前のエントリーで、昭和16年(1941年)に朝鮮半島でのハングル(諺文)電報の取扱いが無くなったのは、一時停止したものの、敗戦によってそれきりになってしまったのではないか? という事を書きました。
根拠は、昭和16年以降も諺文電報の料金の改定が官報で告知されていたからです。
これに関し、韓国人ブロガーの『百年歴史』さんから、韓国で出版された『電気通信史資料Ⅰ』のコピーを頂戴したので、資料としてこのエントリーに保存します。この資料は、80年史編纂委員会が編纂し、1966年8月25日に刊行された本の様です。
なお、上記本の統計数字と、国会図書館で閲覧できる、手書きの『外地海外電気通信史資料 4』(日本電信電話公社、1956年/※ログインID要)とでは、数字に齟齬があるようです。どちらも微妙に間違っている様な... w
例えば、1939年度に朝鮮から発信された電報数は、和文・ハングル・欧文ともに同じ数字ですが、合計が異なります。これは日本の「14,029,227」が正しく、韓国側資料の数字は誤っています。
また、日本側資料の1940年と41年の「着信」のハングル電報数が「4,371」、「17,698」となっていますが、これは欧文の電報数ではないかと思います。
なお、日本側の資料は1941年までの統計しかありません。
いずれにせよ、1940年頃まではハングル電報を扱っていたという事実に変わりはありません。
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