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2024/04/20

【蔚山椿(五色八重散椿)】韓国人が勘違いしたのは... 確かにイルボンのせいでしたw

前回のエントリーでご紹介しましたが、「加藤清正が蔚山(ウルサン)から持ち帰った五色の椿」は事実では無さそうなものの、調べてみると、これがまことしやかに伝えられている... 例えば椿の園芸書などにこの逸話が紹介されていたのは本当でした。

とは言え、前回書いた様に、これが史実なのか?と問われれば、数ある「清正公伝説」の一つに過ぎず、現代人が事実関係を吟味せずに行動に移す直情的且つ短絡さはブログ主の理解を超えています。

できれば、”清正公の椿” の元ネタ... 例えば江戸時代の戯作本などを見つけたいと思っていたのですが、それは見つけられなかったので、今回は蔚山市の人々の ”椿奪回” 物語の詳細をご紹介したいと思います。

  

* * * *

※今回ご紹介する資料は『国立国会図書館デジタルコレクション』で公開されていますが、ログインが必要、つまりユーザー登録をしないと閲覧できません。

まず、『つばきの栽培の仕方 (実用百科選書) 』(1968年)。要するに園芸書ですが、様々な椿の品種や各地の有名な椿を紹介しており、椿寺として有名な地蔵院の五色八重散椿の立て看板について言及しています。それには以下の様に書かれていたそうです。

「この椿はもと朝鮮の蔚山城にあった、文禄の役に加藤清正が持って帰って豊臣秀吉に献じたものであるが、秀吉が北野大茶の湯を催すに当たって、当院を茶席の一荘とした因縁からここに移し替えたものである。」

※この木は当時樹齢400年との事だが、83年に枯死し、現在の椿はその2代目。蔚山に贈られた椿が「孫(3代目)」と言われるのはこの為。  

 

この立て札と同じ物かどうかは不明ですが、これを90年頃に偶々この寺を訪れた韓国人が見つけました。

以下は、『野田経済』7月号(野田経済研究所 編/1992年07月)という雑誌の『椿、祖父の地に帰る』(崔龍基 - 日本学研究所理事・法学博士)と題された寄稿文から引用します。

三年前のこと、蔚山市に居住する一人の芸術家〔※韓国芸術総連合会蔚山支部長の崔鍾斗氏〕が京都を旅したときに偶然にも地蔵院を参観した際、「五色八重散椿」の事を知った。寺の案内所によると〔省略:前述の立て看板の内容... と記されていた。

崔氏はこの椿にまつわる悲しい由来を知り、なんとかして一株でも先祖の地に逆移植できないものかと考えた。... 地蔵院の大河内存無住持に直訴してみたが、体よく断られてしまった。韓国に戻った崔氏は椿のことが忘れられなかった。韓国の要路〔※重要な地位の人にこの事実を打ち明けた。たまたま朴三中僧正の知るところとなり、朴僧正が動き出した。誰あらん朴僧正とは「耳塚の土」を韓国に奉還させたその人である。今度も朴僧正が乗り出して京都の仏教界を説得し、大河内住持の理解と協力を得ることによって、椿三株を分けて貰う事になったのである。

この後、地蔵院から譲り受けた3株を3箇所に植えた話があり、〕 つらつら思うに、四百年前に奪い去られた椿の「孫」が韓日両国の善意と友好の結晶となって「祖父の地」に還ってくるということは、なんと素晴らしい事であろうか。〔中略移植された椿が元気に根付いて ... 参観する韓国の人をして、日本人の温かい心を感じ取るようにしてくれることを祈るばかりである。 

 

この文章を読んで分かる様にこの筆者は、日韓友好の美談として語っています。

 

ところで、この話題を「X」でしたところ、愛知県の、織田有楽斎(おだ うらくさい※)にゆかりのある庭園「有楽苑」に、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石鉢があると教えて頂きました。これも加藤清正が豊臣秀吉に献上し、秀吉が織田有楽斎に譲った... という逸話があるそうです。

これ、パターン化しているようですね。

※おだ‐うらくさい【織田有楽斎】
安土桃山・江戸初期の武将。織田信長の弟。名は長益。大坂冬の陣に豊臣方にくみしたが、のち堺・京都などに隠棲、茶人として知られた。(1547~1621) 広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

 

20240420_urakuen

 

ブログ主は加藤清正と言えば「虎退治」くらいしか知りませんでしたが、地元で愛されるのは数々の土木工事を行った名君だからだそうで、没後にも様々な伝説が生まれたようです。

清正公が植えた(馬を繋いだ?)イチョウとか、清正公が汗疹を治したといわれる温泉とか、清正公が腰かけた石とか... 。中には河童伝説と結びついたものもありました。

おそらくは、江戸時代に書かれた『清正記』や『続撰清正記』のような伝記や歌舞伎の人気演目になり、庶民に親しまれている内に様々なエピソードが創られていったのでしょう。李舜臣が名将となったのも江戸時代の読本(よみほん=文芸書の総称)によるもので、日本統治時代にこれが朝鮮に逆輸入されました。

* * * *

 

今回分かったのは、そもそも蔚山城に椿があったのかどうかも眉唾 な話という事です。

日本のたわいも無い伝承に踊らされた蔚山市の人々は気の毒でもあり、滑稽でもあります。

教訓としては、「清正公が朝鮮から持ち帰った○○」などとうっかり謳っているものがあるなら気を付けましょう。取り返しに来ますよw

 

文禄慶長の役(韓国では「壬辰倭乱」)を舐めたらいけません。あれは韓国人の被害者意識の着火剤みたいなものなのです。

日本大使館前で加藤清正の虎退治に抗議した人もいるそうですからw

 

 

 

  


 

 

 

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