【創氏改名】朝鮮人の日本風姓の一番人気は何と「伊藤」姓だった
以下の「X」のポスト、日付は1ヵ月前ですが、偶々今朝、目にしました。
六衛府
@yukin_done
韓国が日本に併合された明治43年前後に朝鮮人が日本人風の名前に改称することが流行し、一番人気がなんと伊藤博文の「伊藤」姓であったことが当時の統監府、総督府の警察官僚、朝鮮史家であった人物の著書に残されている。
※「歴史民俗朝鮮漫談」今村鞆 南山吟社 昭和5年6月 国立国会図書館 蔵
午前11:53 · 2024年2月18日
六衛府
@yukin_done
元ポストの「歴史民俗朝鮮漫談」の著者、今村鞆は在野の朝鮮学者、朝鮮史家で江原道警察部長、平壌警察署長、元山府尹(市長)などを歴任した人で、実際に朝鮮人の氏名変更を制限・規制した側の人なので著述には信頼性があると思っている。この制限は昭和14年の創氏制度の創設まで続くことになりました。
午後1:01 · 2024年2月18日
最初のポストに添付されていた画像は「歴史民俗朝鮮漫談」(コマ番号:265)です。※ログイン不要
下の画像は新たにスクリーンショットを撮りました。
>當時表面的ではあるが、鮮人が日本に同化の意を表はす爲めに、吉田權次郞(本名權内吉)、伊藤彬(本名李冑彬)吉野柳之助(本名柳學文)と云ふ樣に、日本人名を附ける事が流行した。其中伊藤(統監と同姓)と云ふ姓が一番多かつた。此等は民籍が出來て後にも、民籍へ日本名で登錄されてあつた。
※寺内正毅 総督在任期間:1910年10月1日 - 1916年10月16日
※民籍法:1909年、1915年(改正)
こんな事、現代の韓国人が知ったら驚くでしょうね。
ちなみに、日本人と紛らわしい名前を禁止したのは、1911年10月26日付け『朝鮮総督府令 第124号』/「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」)だと以前、某大学のテキストで読んだのですが、実物の官報を確認してみると、「日本人と紛らわしい名前」云々は書かれていませんでした。これについては後述します。
人として相応しくない名前(ex. 犬、牛の糞)は現場の運用で許可しなかったそうなので、これも同様の方法で対応したのかも知れません。
* * * *
おまけ。
下の記事はハングルの部分が読めないのですが、日本人用の学校に進学する為に日本風に改名したという記事だそうです。朝鮮名だと進学に不利になると思って改名したのかどうかは分かりませんが、その後、このようなことが頻繁になると総督府が禁止したそうです。画像は百年歴史さんに頂きました。
この記事の日付は1912年9月8日なのだそうです。となると、解せないのは、前述の1911年10月26日付け『朝鮮総督府令』よりも後になります。
考えられるのは、施行日のようなものが厳格に決められておらず、「日本人と紛らわしい名前禁止」が徹底していない時期があったのかも知れません。
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