【李承晩】李承晩大統領は本当に山口県に亡命政権の樹立を要請したのか?
韓国では「日本=悪」という絶対的命題があるため、左派は、右派の拠り所である李承晩大統領(や朴正煕大統領)を ”親日派” だとレッテルを貼ります。親日派とは即ち「売国奴」という意味で、左派は、「新生国家・大韓民国は親日派を清算しなかった”汚れた” 国家だ」と批判し、”抗日パルチザンの英雄金日成が日帝残滓を清算した北朝鮮に正統性がある” という論理で北に憧憬を抱きます。
この背景には、李承晩が徹底した「反共」で、新政権から共産党(共産主義者)を排除し、かなり厳しい ”赤狩り” をしたので、左派からすれば ”不当な弾圧” を受けた怨念があるからです。
しかし、基本的に「反日」は左右関係無いので、「親日派」だと言われた右派は、「いや、我こそが反日だ!」と主張し、選挙の時には、相手候補を「親日派だ!」、「いや、そっちこそ親日派だ!」と不毛な争いをします。
日本人はこういうところに、うんざりするのですが... 。
4年前に行われた選挙では、文在寅政権下で『韓日戦』というスローガンを掲げた左派に、右派が上手く乗せられてしまい、野党である「未来統合党」(現「国民の力」)は反日ソング『竹槍の歌』(甲午農民戦争の題材にした歌)を唄うなどしましたが、与党「共に民主党」が大勝しました。
今回も、野党に回った「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は『新・韓日戦』などと与党を挑発しています。
韓国人は基本的に左右共に「民族主義者」で、大雑把に、左は反大韓民国、右は親大韓民国だと定義できます。こと「対日本」となると一致団結できるのはこの為です。
李承晩学堂の先生方が著した『反日種族主義』は、この「民族主義」を、もっと未開な「種族主義」と定義し、それを打破しなければ大韓民国に真の自由主義はないと啓蒙する本です。
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さて、大韓民国の初代大統領である李承晩は左派の格好の攻撃対象であり、虚実織り交ぜて誹謗中傷または批判されています。それが、今年公開された『建国戦争』という映画で、幾つかの誤解が解けたと右派は喜んでいるようです。
一方で、左派は、「映画は捏造だ」とばかりに、新たなデマを流します。
こんな中で出てきたのが、「『李承晩大統領が、朝鮮戦争開始まもなく、日本の山口県に亡命政権の設置と6万人の収容を要請した』のは事実ではない」と言う主張です。
結論から言えば、「亡命政権の要請」は山口県史が唯一のソースで、ブログ主は『NHKスペシャル』の『朝鮮戦争 秘録 知られざる権力者の攻防』(2019年3月1日放送)の再放送で見ましたが、当時の田中龍夫山口県知事の証言テープもありますが、逆に言えば、これしかありません。
以下、山口県史を出処とした、『朝鮮戦争と日本の対応 : 山口県を事例として』(庄司潤一郎 2006-03-23 防衛省)の該当部分を引用します。
戦局の方は、国連軍の劣勢が続き、北朝鮮軍は、6月28日にはソウルに入城、韓国政府は首都を大田、大邱さらに釜山に移転、8月下旬には洛東江を渡河した北朝鮮軍は、韓国の大半を制圧し、釜山の前面にまで達したのである。
その頃、外務省から、「韓国政府は、6万人の亡命政権を山口県に作るということを希望している」との電報が入り、それらの施設、宿舎等遺漏なきようにということであった。
当時山口県は、県民分の米の配給も、半月以上欠配し、さらに軍人の復員、下関などからの引揚げ者が増えつつあり、6万人分の食料を確保するのは困難であった。そのため、田中知事は、再度久原を通して、GHQに山口県の実状を伝えさせたりした(24)
。
しかし、9月16日国連軍が仁川に敵前上陸を敢行したことにより、戦局は大きく逆転することになり、亡命政権構想も消えたのであった。田中知事は当時を回想して、「とんでもない話だ。もう、そうしたらもう、山口県人なんかどこかへ出てくれなければね。なんぼなんでも、どこかに行けやしないしね、そういう問題で」、「いま顧みれば一つの物語に過ぎないが、そのときのことを思うとゾッとする」述べていた(25)。
脚注:
(24) 前掲『山口史 史料編 現代2』25ページ。
(25) 前掲『山口県史 史料編 現代2』25~26ページ。前掲『至誠は息むことなし』210~211ページ。
これがデマであると主張するのは、問題の電報が未だに出てこないというのが根拠です。
また、上記が事実なら、外務省やGHQ、あるいは山口県側に何らかの資料があってもよさそうですが、今のところ裏付ける資料は出てきていません。
もしかしたら、山口県知事の証言だけがソースかも知れないのです。
ちなみに、ブログ主が『NHKスペシャル』の録画を見直してみたところ、テープには「民選初代知事 田中龍夫 H5.2.6」と読めるラベルが貼られています。
平成5年(1993年)に、恐らく、山口県史を新たに作成する為に得た証言でしょう。
田中龍夫知事は嘘をついたのか? だとすると、何の為に?
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なお、韓国KBS(日本で言うNHK)が2015年6月25日に「李承晩政権 韓国戦争勃発直後に日本への亡命を打診か」というスクープをしています。
ネタ元は『山口県史』のようですが、それをソースにした防衛省の論文では、「8月下旬」となっているにも関わらず、記事では、戦争勃発の2日後、つまり1950年6月27日頃には山口県への亡命を要請した事になっています。〔全文はこちらのエントリー参照〕
>KBSの取材陣が山口県庁図書館で確認した文書「山口県史」によりますと、韓国戦争勃発2日後、日本外務省は山口県知事に、「韓国政府が6万人規模の亡命政権を山口県に樹立したいとしている」 と知らせ、可能かどうかを尋ねたということです。
韓国側が形勢を逆転したのは、国連軍(米軍)の『仁川上陸作戦』(9月15日)からなので、もし、亡命の要請が事実なら、8月下旬~9月15日の間に起きた出来事のはずです。
まあ、映画『建国戦争』がドキュメンタリーだとしても、本気で李承晩大統領の濡れ衣をはらしたいのなら、”映画で真実” ではなく、日本の外務省なり山口県なりに問い合わせるか、あるいは米国の公文書を調べるなりして、「電報など実在しなかった」... これは ”悪魔の証明” になりますが、徹底的に調査すべきです。
なお、『NHKスペシャル』は、「何故、北朝鮮が南進を決意したのか?」と「仁川上陸作戦に日本の元海軍軍人が協力した」という事がメインで、山口県知事の証言は、その間の「韓国軍が絶体絶命のピンチに陥った」という状況を説明するエピソードに過ぎません。
李承晩大統領を巡る誤解と真実については、次回、もう少し補足します。
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