【月刊正論ch】群馬の森慰霊碑/高市早苗ブログ:「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料
月刊正論のYouTubeチャンネルで『群馬の森・追悼碑をなぜ撤去しないといけないのか』という動画が2024/02/02付けで公開されました。
この動画で言及される、自民党・高市早苗議員のブログについてメモをしておきます。
ブログ主はURLをメモしておいたのですが、ブログ(コラム)のトップ画面からではバックナンバーが検索ができないようだからです。〔試したところ、「高市早苗 コラム 2010年4月2日」でググれば見つかります。〕
URL: https://www.sanae.gr.jp/column_detail415.html
ブログタイトル:「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料
更新日:2010年04月02日
以下、簡単に要点のみメモします。
* * * *
2010年3月10日の衆議院外務委員会で高市氏が配布した資料を自ブログに転載したもの。
その資料とは、「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」(記事資料 昭和34年7月11日:昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)というもので、昭和34年(1959年)に外務省が作成し、発表したもの。
1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。
【要点】
- 1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。
- (※内訳省略)
- 朝鮮から内地へ送り出される「徴用」は、1944年9月に初めて実施され、1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したため、短期間であった。
【参考資料】
▼下の画像は西岡力教授の論文を元に以前ブログ主が作成した『戦時動員概念図』
※右端のコラムは内地「在日朝鮮人」数の推移を示す。
※左端のコラムが示す様に、韓国では「国家総動員法」(1938年)以降の出稼ぎ労働者や応徴者を全て ”戦時動員被害者”(所謂 ”徴用工” や ”強制動員被害者”)と呼んでいる事に注意。
以下は細かい数字が含まれているので、原文通り引用させて頂きます。
2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。
右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。
(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。
(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。
北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。
3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。
そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。
したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。
(※以下略)
【参考資料】
▼1959年7月13日 付け朝日新聞『大半、自由意志で居住』
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