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2024/02/11

【韓国】国立中央博物館の前身である朝鮮総督府博物館とは(2)『国立中央博物館収蔵庫の秘密』

前回のエントリーの続きです。ご紹介するのは、『日曜時事(일요시사)』というメディアの2016年の記事ですが、解放(1945年)後に朝鮮総督府から博物館を引き継いで68年ぶりに本格的な調査をしたら、次々と貴重な文化財が発見されて驚いていると内容の記事です。

これでは、『百年歴史』さんでなくとも、「68年間、韓国の博物館や専門家は何をやっていたのだ?」と言いたくもなります。

その記事を読む前に『植民地朝鮮における博物館・博覧会・観光 : 1910-1930を中心に』(関西大学 中江桂子 著)という論文から、朝鮮総督府博物館に関する一節を引用しておきます。

 

* * * *

... 古跡調査の遺物は、1915年の始政五年朝鮮物産共進会のために建てられた美術館に初めて一部展示され、その後、建物ごと総督府博物館となった。開館後では、日本人篤志家などから寄付を受けた遺物や美術品もここに寄付や寄宅などされ、ここに文化財の集積がおこなわれていくのである。総督府博物館は日本の敗戦による博物館接収まで、朝鮮半島の遺物と古美術の調査研究、収集、および保存のための拠点として機能した。

1920年代後半になると財政緊縮によって、1930年代になると戦況の悪化にともない、総督府の古跡調査事業は破壊された遺跡の保護すらままならなくなり、資料保存のための経費すら厳しい状況になっていく。この厳しい状況への対処として黒板勝美は、「朝鮮古蹟研究会」という民間の有志から寄付を募る団体をつくってまでして、総督府の調査事業を継続させた〔*13〕。

やがて太平洋戦争がはじまると、所蔵品保存庫としての防空壕の建設を博物館は求めたが、総督府は認めず、それどころか総督府博物館の建物と保存庫も閉鎖を示唆されることになった。戦況悪化のなか、ついに学芸員と研究者たちは、総督府の許可を得ずして博物館員としてやるべきことをやることにし、博物館の所蔵品を博物館分館の倉庫があった慶州と扶余に疎開させる行動にでる〔*14〕。

敗戦後、こうして守られた所蔵品は、アメリカ軍の管理下に入る。しかしこれで安心ということではなく、博物館資料がアメリカ兵によって抜き取られ、アメリカ兵向けの市場に出回っているところを、あわてて買い戻して散逸を防いだ、などということもあった。これらはみな、敗戦後も博物館に残った有光元館長はじめ数人の努力であった〔*15〕。現在ではそれらの収集物は、韓国国立博物館の所蔵となっている。

*13、14、15:有光教一(考古学者)『朝鮮考古学七十五年』昭和堂、2007年

 

調べた所、有光教一は1946年6月まで総督府博物館に残り、展示品の整理、古蹟の保存施設の事務を指導し、慶州の古墳発掘調査にも関わったそうです。 〔参考:『日本の旧植民地における歴史・考古学系博物館の持つ政治性 : 朝鮮総督府博物館及び「満洲国」国立(中央)博物館を事例として』大出 尚子 著/学習院大学東洋文化研究所

 

* * * *

 

https://www.ilyosisa.co.kr/news/article.html?no=102278
<단독>국립중앙박물관 수장고의 비밀
<単独>国立中央博物館収蔵庫の秘密
2016.05.20 15:11:19

ソウル龍山に位置する国立中央博物館の収蔵庫には、韓半島だけでなく、中国、日本、台湾、モンゴル、シベリア、中央アジアの遺物まで約38万点余りの収蔵品が保管されている。1945年に博物館が開館しましたが、収蔵庫の中の遺物の全貌が完全に把握されているわけではありません。 特に、日本統治時代の日本人考古学者が発掘した「日帝収集遺物」を光復後68年ぶりに調査し、歴史的に重要な遺物が複数回発見され、注目を集めています

博物館には、大谷光尊率いるシルクロード探検隊が蒐集した仏教美術の内、朝鮮総督府に寄贈されたものが所蔵されています。これは別途エントリーにします。

日帝収集遺物は、遺跡報告書や図面などの公文書、ガラス板を除いても、発掘品だけで「16万点」に達する膨大な量です。あまりにも量が多く、人員と予算が不足していたため、解放後68年が経つまで、学界では当該発掘品がどのような性格の遺物で、どこでどのように出土されたのか、完全に把握できていませんでした。

この後、発見された国宝級の文化財(金冠塚「尒斯智王(이사지왕)」の環頭大刀の紹介があり、朝鮮総督府が残した文化財の調査ができなかった言い訳が続きます。経済成長優先で、開発した土地から出土される遺物を ”救済” するので精一杯だったとか、予算や人員が足りなかったとか。

日本統治時代に日本に持ち出されたと言われていた原州法泉寺址の智光国師玄妙塔(国宝第101号)の獅子像も、国宝博物館の収蔵庫に過去60年間保存されていたことが後になって明らかになりました。

『朝鮮日報』が2016.03.17.付けで「盗まれたと思っていた智光国師塔「獅子像」を発見」(도둑맞은 줄 알았던 지광국사탑 '사자상' 찾았다)という記事を書いていますが、記事では、”中央博物館の関係者は「獅子像は1957年に復元工事を終えた後、ずっと収蔵庫にあった。 文化財庁が『盗まれた』と紹介しているとは知らなかった」と話した。” と書かれています。

20240211_museum02
▲左:1911年撮影の智光国師塔、右:朝鮮戦争直後の智光国師塔
@ETakaquさんのポストより拝借

 

別の記事〕によると、”1962年、文化財専門委員第1号に委嘱された「美術·石造文化財のゴッドファーザー」チョン・ヨンホ〔정영호〕檀国大学碩座教授は、「獅子像は日本による植民地時代、日本の人々が智光国師塔を解体して日本に持ち帰った後、行方を知る術がない」とし、「日本のどこかにあるだろう」ときっぱりと話した”  そうです。

※ ソウル新聞:국립중앙박물관, 3년 전 수장고에서 사자상 확인하고도 외부에 안 알려(国立中央博物館、3年前に収蔵庫で獅子像を確認しても外部に公表せず) 2016-03-16 

 

また、日本統治時代に日本人がこのように文化財を蒐集し、博物館を造った理由についてはこう書いています。

ある考古学者は、日帝の収集遺物について新たな視点で見ることを注文している。彼は「植民地支配の正当性を得るための活動の一環だった。日本のための'日本史の書き換え'であり、彼らだけのための文化財政策、博物館政策だった。日帝強占期全期間、韓国人を排除し、日帝の権力者たちが自分たちだけの宴をしたのだ」と前置きした。

しかし、この学者は「最初は植民地史学に関連するものを集中的に収集したようだが、考古調査発掘が体系的に軌道に乗った後、(自分たちの目的に合うものだけを)選別して博物館に置いたわけではないようだ」とし、「可能な限りすべての資料を原則に合わせ、博物館に保管し、順番に従って報告書を書いたようだ」と指摘した。

これは韓国人お得意の ”動機の捏造” です。何を持って『植民地支配を正当化する為の博物館政策』だと断定するのでしょうか?

記事の最後は意味不明な言葉で締めていますw

結局、日本人学者は自分たちの学術活動が帝国主義の植民地支配を支える行為であるという自覚がなかったのだ。先の学者は「考古調査のような実証的な活動と朝鮮史の書き換えの意味を正しく把握した上で、このような様々な主張が意味を持つだろう」と評価した。

* * * *

 

何度でも繰り返しますが、慰安婦問題や徴用工問題などがあるから韓国人は反日ではないのです。反日だから、様々な歴史問題が生まれるのです。

 

次回、シルクロード探検隊について補足します。

 

 

  


 

 

 

 

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