【韓国語に於ける日本語】日本語語彙を「日帝残滓」と言うけれど...
長らく放り出していた『日本のイメージ 韓国人の日本観』(鄭大均 著/中公新書/ 1998/10/25)を読みました。なぜ途中で読むのを止めたかというと、この本は、”戦後の韓国人の日本や日本人を見つめる目” を当時の世論調査や新聞記事、評論やエッセーなどを提示して、その変遷を分析する内容で、読んでいて不快になるからです。もちろん、著者に対してではなく、引用する文章に、です。
この本は、『韓国のイメージ―戦後日本人の隣国観』(中公新書/1995/10/1)という本と対になる本で、こちらはすんなりと読めたのですが...w
今回は、この本で ”目から鱗” だった話をご紹介します。論理的に考えれば、なる程と思う話ではありますが。
韓国語に多くの日本語語彙があるのは衆知の事実ですが、実は、日本語が旺盛に取り入れられたのは、35年の日本統治期間よりも、むしろ、解放(光復)~軍政期(米軍占領期)であった、と言う事がこの本に書かれていました。
今まで日本語が受け持っていた領域、例えば、司法制度とか高等教育とか、つまり、法律とか教科書を急いで朝鮮語(韓国語)に置き換える必要性があり、対応する語彙が朝鮮語に無ければ、朝鮮語読みに変えた日本語語彙をそのまま取り入れるしかなかったのだと思います。
「リヤカー」とか「土方」、「おでん」のような具体的で卑近なものであれば、そのまま朝鮮語に取り入れて定着したとは思いますが、高級語彙であればある程、朝鮮語に対応する語彙が無い/訳す必要が無いものだったのでしょう。
日本語話者だけが属する分野だからです。
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関連エントリー:【朝鮮語の近代化】『女学生の日記』【百年歴史さんのブログ】
上記エントリー内でブログ主が引用した金東仁のエピソードの元ネタは、国家基本問題研究会の論文集〔『歴史認識問題研究』 第 11 号 (2022年9月16日)〕より、『日韓併合期・日本人は何を考えていたか⑤(連載最終回)』(鄭大均 著)pp.14-15です。
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