【竹島】1908年の韓国人(大韓帝国)の地図【『百年歴史』氏のブログから】
前回のエントリーで竹島を取りあげたところ、奇しくも『百年歴史』さん(韓国人ブロガー)も「獨島(独島)」を取りあげていらっしゃいました。〔대한제국지도(1908년)에서 보는 간도와 독도/大韓帝国の地図(1908年)から見る間島と独島〕
※百年歴史氏は、韓国による竹島占拠の正当性があるのかどうか、根拠を資料に求めて探求していらっしゃいます。
今回は、そのエントリーを再編集して、韓国(李氏朝鮮/大韓帝国)の竹島領有の正当性があるのかを確認してみたいと思います。
そもそも、日本が竹島を領土にしたのは、1905年1月28日で、この島が無主地である事を確認しての事です。
本来はこの時点で "勝負あり” ですが、それ以前に韓国が竹島〔英語名:Liancourt Rocks/リアンクール岩礁=1849年にフランスの捕鯨船Liancourt号が現在の竹島を確認した事から命名〕を正確に認識していたのかどうか?は韓国人、とりわけ、李承晩の行為を正当化したい韓国人には重要な事だとブログ主は理解します。
韓国人の一般的な主張は、”日本が竹島を領土に組み込む以前に朝鮮/大韓帝国も領土として認識していたが、日本の保護国下で反論ができなかった” というものだからです。
1908年の韓国〔当時は大韓帝国〕の地図から、当時、彼等はどのように竹島を認識していてのでしょうか?
* * * *
念の為書きますが、1908年の大韓帝国は日本の保護下にありましたが、日韓併合(1910年)以前で、国家の体裁はあった時期です。
その時に作成した地図が下図です。
黄色や赤の丸、竹島や鬱陵島といった文字はブログ主が書き込んだもので、竹島の位置は、百年歴史さんのブログに掲載されていた拡大図〔下図〕から「この辺りだろう」と判断しました。下図の黄色い丸は百年歴史史さんが書き込んだ物です。
この地図の竹島の位置は、百年歴史さんも指摘していらっしゃいますが、「アルゴノート(Argonaut)島」という幻の島 ...、実際には存在しないのに、1789年にイギリスの探検家コルネットが発見した島として、ヨーロッパの地図上には長らく記録されていた島です。
外務省の「竹島の認知」というサイトでは、以下の様に説明されており、アルゴノート島は鬱陵島の誤認のように思えます。
>1787年,フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り,これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名しました。続いて,1789年には,イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を「発見」しましたが,彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けました。しかし,ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから,その後にヨーロッパで作成された地図には,鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることとなりました【図2】。
もう一度書きますが、日本は1905年に既に「竹島」の正確な位置も把握し、無主地である事も確認して領土に編入していたのです。
一方、大韓帝国は、1908年当時、竹島... 韓国人が現在「独島」であり固有の領土だと主張する島をアルゴノート島と勘違いしたり、その位置も分からずにいたのです。
***
百年歴史史さんは、1905年に日本で発行された「韓国全図」も提示しています。〔下図〕
黄色い丸はブログ主が付けた物で、下はその部分の拡大図です。
竹島がおおよそ正確な位置に描かれており、竹島の英語名の「リヤンコール(リアンクール=Lien Cool)」の文字も見えます。
1905年には竹島を領土に編入している位なので、それは当然だと百年歴史史さんも仰います。
更に百年歴史史さんは、「韓国全図」に竹島が描かれているからと言って、本州や九州の一部も描かれているので、日本が竹島を韓国の領土と認識していた証拠にはならないとも仰っています。
百年歴史さんが、竹島 ... 韓国人が言う独島を自国領土だと主張したいのは、韓国人としてはしかたがありませんが、この方は、その為には根拠が必要だというスタンスです。
そのことを理解してあげて下さい。
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