韓国人の考える「併合か植民地か」
先日のエントリーでご紹介した韓国人ブロガー『My Identity』さんは、度々、「朝鮮(韓国)は日本になったのであり、植民地ではない」と力説しています。
言葉を変えると、韓国人の多くは「朝鮮(韓国)は日本に(不当に)占拠された」と考えていると言う事であり、これは「日帝強占期」〔※〕という概念です。
※この言葉は北朝鮮が創り出した言葉ですが、韓国でも使っており、韓国製の韓国語入力システムを使うと、例えば「日本統治時代」〔←この部分はうろ覚え〕と入力しても、無理やり「日帝強占期」に直されると、鄭大均教授が書いていました。
この方は李承晩の信奉者のようですが、実は、李承晩も同じ考えだと言う事は、以前のエントリー『【光復】「光復」を巡る、韓国右派と左派の滑稽な争い』でも説明しました。
My Identityさんのブログのコメント欄でも、「朝鮮は日本になったのであり、植民地ではない」という考えに賛同する方はいらっしゃって、この考えを受け入れる事で、様々な事が理解できたという趣旨の事を仰っていました。
以前、『百年歴史』さんの動画のコメント欄で、「日本人が石窟庵〔※〕の素晴らしさに嫉妬して毀損した」と言い張る韓国人視聴者がいたのですが、百年歴史さんは、「石窟庵は日本の文化財になったのだから、毀損するわけが無い」と説明しても、理解ができないようでした。これも、「朝鮮半島は日本の一部になった」事を受け入れられないからだと思います。
※当時の技術ではセメントを使って修復する事が限界だったのですが、これを韓国人は ”毀損” と認識しています。
「日本の一部(併合)か植民地か」という議論では、ブログ主も「日本の一部になった」事に異論はありません。
但し、日本国内(=内地)と朝鮮半島(=外地)が全く同じかと言うとそうではなく、法律も朝鮮総督府が「朝鮮総督府令」という形で公布していたように、完全には平等ではありませんでした。
しかし、これは、朝鮮半島...のみならず、台湾も...、慣習が内地と異なる等、日本の法律をそのまま適用するわけにはいかなかった事もあり、差別したのでは無く、むしろ、朝鮮半島や台湾の実情に合わせた配慮だと思います。
また、日本人と同じ権利が無い代わりに、同じ義務も課しませんでした。
更に、こうした特殊な地域を指す言葉として。「植民地(殖民地)」〔=拓殖地〕という言葉が行政用語として、実際に使われていたという事実もあります。
そもそも、「植民地」に厳密な定義は無いのです。
従って、ブログ主は、「植民地」と言う言葉を使うなら、こういう事実を理解した上で使うべきだと考えてています。
日鮮の関係について、より厳密に言えば、「内地の延長線上で朝鮮を統治した」と言うのが正しいでしょう。
いずれにせよ、「李氏朝鮮(大韓帝国)は消滅した国家である」わけですが、韓国人がこれを理解できない原因は、「韓国」という名称のせいもあるかと思います。
つまり、併合前の国名が『韓国』(大韓帝国)であり、李承晩が1919年に樹立したと主張する臨時政府が『韓国』(大韓民国)を名乗り、1948年に ”光復” (失われた土地や主権を取り戻した)した国名が「韓国」(大韓民国)である事に誤解の原因の一端があるのではないかと...。
「韓国」という国がずっと存続していたと現代の韓国人が誤解する原因があるとすれば上記の様な理由でしょう。これなら、韓国人が「国権を喪失した」という言い方をするのも理解できます。
しかし、実際には「韓国(大韓帝国)」は消滅しました。併合に同意した李完用は「韓国」という名称に拘ったのですが、日本側はそれは許さず、「朝鮮」としました。つまり、地方名としての朝鮮です。(中国地方、関東地方、東北地方、etc. のようなもの)
そして、朴正煕大統領の時代には、李舜臣や安重根、金九等の抗日の英雄を顕彰して民族主義的歴史観(=反日種族主義的歴史観)を打ち立てました。
韓国の歪んだ歴史観は、実は、保守の二大巨頭である、李承晩の「日帝強占期」史観と朴正煕の「反日種族主義」史観が基礎となっている事を保守が認めようとしない事から正せないのだと思います。
それでも、「朝鮮半島は日本の一部(一地方)になった」というシンプルな考えを持てる韓国人が少しでも増えれば、韓国人の対日歴史観は変わってくると思います。
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更に追記
韓国人が、「日本に(不法に)占拠された」という認識を払拭できないのは、なまじ、李王家が「王公族」という形で存在し続けたからかも知れません。
皇室に準じる扱いをし、朝鮮の社稷〔土地の神(社)と五穀の神(稷)〕を祀る祭司として存続させた事は、当時の朝鮮人(現代の韓国人も)理解しがたいのではないでしょうか。
投稿: ブログ管理者 | 2024/01/10 09:07
かんぱちさん
コメント、ありがとうございました。スパムコメント対策に「http」や「https」をNGワードにしているので、お手間をかけさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。
教えていただいたドキュメンタリー、見てみます。取り急ぎ、お礼まで。
投稿: ブログ管理者 | 2024/01/10 08:59
大韓帝国と大韓民国が連続した同一の国家なら、李王朝も復活していないとおかしいですね。「王政の廃止や王朝の交代=革命」 ですから、普通はそこで国家の連続性は途切れます。
むしろ日本のほうが、大韓帝国を併合した後も李王家の人々に華族の身分を与えたり、女性皇族が李王家に嫁いだりして、李氏が断絶しないようにしていました。アジアやアフリカを植民地にしたヨーロッパの君主国の中に、現地の王家に嫁いだ王族なんていません。
李方子 - Wikipedia
h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%96%B9%E5%AD%90
NHK Eテレで方子妃の生涯についてのドキュメンタリー番組が放送されたことがあって、私も見たことがあるんですが、矛盾だらけの内容でした。李垠・方子夫妻は、華族の身分を日本国籍ごと喪失した戦後のほうが苦労なさっているのに、番組では 「日本の植民地支配のせい」 になっていたので。
YouTubeに読売テレビの 「ウェークアップ!」 で取り上げられた時の動画がありました。こちらのほうが偏向していなくて良いですね。2019年に放送されたもののようです。
読売テレビ 大韓帝国 最後の皇太子妃 李方子女史 他界30周年 特集 - YouTube
h ttps://www.youtube.com/watch?v=XyKnTYN5ubg
※URLが含まれているコメントはスパムとして弾かれてしまうようです。1文字開けたら投稿できました。
投稿: かんぱち | 2024/01/08 07:57